艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

小ペン画ギャラリー‐38 「近作‐男と女」

 ここ3回の「小ペン画ギャラリー」は、グループ展の報告と振り返りとしてだった。「小ペン画ギャラリー」自体としては、昨年の8月の「700点」以来だから、だいぶ間が空いた。

 さて次のお題は「700点以降」かな、ということで、ざっと最近の画像フォルダを眺めてみると、私としては珍しい傾向だが、男女二人を描いているものが多いことに気がついた。

 

 ここ数年、人からいろいろと相談されたり、アドバイスを求められることが増えた。老若男女、他愛もないこと、人生上のこと、人間関係や夫婦関係、等々。「人間嫌い」を公称している私だが、年齢と経験値に応じて、いやおうなしに求められる役割ということか。

 逃れられないものについては、できる範囲で話を聞く。愚痴を聞き、ガス抜きしてあげる。しかし、しょせんは他人の人生、関与できることなどいくらもないのだ。それでも例えてみれば、村はずれの路傍のお地蔵様に、子犬や猫がすり寄ってきて昼寝をしたり、時にはおしっこをひっかけた後でせいせいして去っていくようなものか。例えが悪すぎたか。手を合わせて、夫への愚痴や不満を胸の内でつぶやく、少し疲れたおみなの横顔。

 

 それはさておき、今回の作品はいずれも、そうしたなにがしかの実体験を直接的に反映したものではない。それらは現象であり、個別性である。他人の人生の生臭さに興味はない。そうした世俗的で個別的な現象群から、なにがしかの普遍性を導き出したいとは思っているが、結局画面に現れてくるのは、私個人の幻想や妄想、インスパイアされ再創造された物語でしかないのかもしれない。つまり私の個人性。そして、そうした私という個人性が、再び普遍性へのモチーフという回路となるのだと、開き直るしかないのだろう。

 男と女の間に醸し出される、愛憎という磁場。愛別離苦。そうした「男と女」が直接的に描かれることは、絵の世界では割合としてはそう多くないが、歌や映画や小説では圧倒的に多い。絵というメディアの自ずからの制約もあるのだろうが、風俗画に堕さぬよう気をつけながらも、もう少しモチーフ、テーマとして取り上げても良いような気がしてきた。

 

 

 ↓ 701 「磐上の二人」

 2023.8.12-22  12.1×16.6㎝ 水彩紙にアクリル・ペン・インク

 

 ほとんどそうとは見えないだろうが、「磐上の」というあたりに、次の小杉放庵(未醒)の「白雲幽石図(1933年)」がイメージの前提にある。

技法的には何度もやっている方法で、アクリル絵具か黒インクで下彩を施し、ペーパーがけして白地を削り出した表面を凝視しているうちに現れてくるイメージの描き起こし。前段のイメージスケッチは無い。

 とにかく男女が巨岩の上で、ささやかな飲物(酒?)と食べ物(果物?)を挟んで、なにやら対話している情景。二人の内面や関係性は、私にも不明。

 

 

 ↓ 「白雲幽石図」 小杉放庵(未醒) 1933年

 

 参考にというほど参考にもしてないのだが、備忘録的に掲載。小杉放菴記念日光美術館にあるらしいが、実物は未見。印刷物や画像でしか見たことがないのだが、好きな作品。神品である。う~ん、前掲作とは似ても似つかぬが、まあそれはそれ。

 小杉放庵は当時最先端の油彩画から留学体験を経て日本画水墨画へと、おそらく自身の文人趣味や隠遁趣味的資質(?)を軸として変遷し、制作した画家。

私とはだいぶ離れた位置にいる画家だが、妙に心惹かれるものがある。

 

 

 ↓ 709 「拘引」

 2023.11.21-27  12×16.6㎝ 水彩紙(ラングトン)にアクリル・ペン・インク

 

 前掲作と同様の技法。イメージの出どころは不明。なんだか暴力的な、危険な匂いがしないでもないが、そういう意図でもないのである。意図しないものが現れることも、絵ではままある。特にこの技法は、オートマティズムの要素を内在させているから。

 

 

 ↓ 713 「爐辺情話」

 2023.11.29-12.9  12×16.5㎝ 水彩紙に水彩・ペン・インク

 

 インスパイアされ、再創造され、変容し、もはや原形をとどめぬ物語。

僧と比丘尼の、あるいは仏陀と観音の恋物語といえば、あまりに不謹慎であろうか。エロティシズムと情念は、私の絵において重要なモチーフである。

「爐辺」「情話」の語に、昔語り的な、民俗学的な雰囲気をまとわせている。

 

 

 ↓ 721 「道行」

 2023.12.28-2024.1.2  14.4×10㎝ 水彩紙(アルシュ)にアクリル・ペン・インク

 

 これもまた想像と妄想と偶然の産物である。浄瑠璃・歌舞伎でいう心中や駆け落ちと結びつく「道行」のイメージ。製作途中から浮かび上がってきた物語。降雪の記憶も関与している。

 

 

 ↓ 725 「無題(花をめぐって)」

 2023.12.31-2024.1.12  16.2×12.5㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 これは男と女が描かれているが、愛憎といった要素はまったく無かった。下彩のわずかなにじみのムラを拾い上げ、描き起こしているうちに、造形的な必要から人物を入れることになったのである。したがって、結果はともかく、エロティシズムと情念の要素は本来的には無い。

 

 

 ↓ 740 「相克」

 2024.2.15-19  16.9×16.9㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 一瞬に、完成形で訪れたイメージを捕まえたので、その時点で意味など無かった。だが、それがかえって結果的として、男女の共依存の中に本質的(?)に存在する相克(相反するもの同士の争い)の物語を、殻を背負ったカタツムリという形で、象徴的に現してしまったというところか。自分でも少々驚く結果と効果。

 

 

 ↓ 750 「いざない」

 2024.3.17-21  15.7×11㎝ 水彩紙?に水彩・ペン・インク

 

 本作もイメージデッサンは無し。下彩のにじみのムラムラの凝視から見出した形とイメージ。「誘い」でも「誘惑」でもよかったのだが、ほんの少し分かりにくくするために平仮名で「いざない」。妙な色の、妙な絵だ…。

 

(記・FB投稿ブログ投稿:2024.3.25)

早春の上州の旅‐②  チャツボミゴケ公園スノーハイク(3月8日)

 今回の旅の最大の目的は、O氏にとって「チャツボミゴケ公園」に行くことだった。

 チャツボミゴケとは、強酸性の温泉水が流れる場所に育つ最も耐酸性の強い特異な苔。阿蘇などの温泉場や鉱山跡地などでも見られるが、ここの「穴地獄」が最大の群生地だそうだ。驚いたのは「数億年かけて鉄鉱石に変わっていく」とのこと。「天然記念物」やら「ラムサール条約」やらの単語も飛びかうが、それはそれ。

 どんな苔であろうが、私にとってまったく未知の存在であろうが、苔は苔。好きだけど、あまり興味を惹かれない。そもそも山中の源流の苔を見に行くなら、夏だろう。三月では雪の下でなのはないかと思うが、同行してみた。一人一万円近いガイド料を払って、スノーシューを履いてのスノーハイキング。私からでは決して出てこない企画だが、やはり久しぶりの雪山を歩くという魅力には、それはそれでちょっと抗しがたいものもあった。

 現地は草津白根山の東の尾根上にある、昭和19年に開山され、同40年に資源枯渇のため閉山するまで採掘していた群馬鉄山(旧名:草津鉱山)の跡地。露天掘りのあとが現在の沢すじになったとのこと。

 鉱山関係なら、興味津々。褐鉄鉱だから、製品化されるのはいわゆる鉄ではなく、塗料用の顔料ベンガラ(弁柄=ほぼライトレッド)。その点もまんざら無関係ではない。

動植物、地形、歴史等、いろいろなコンテンツを終始、わかりやすくガイドされながら歩く。こういうのもたまには悪くないな。

 最終到達地点の湧泉地「穴地獄」を一周する木道の最後で、目の前でO氏が転倒し、起き上がるのに失敗してさらに1mほど横倒しで落下したのには肝を冷やしたが、濡れただけで幸い怪我がなかったのが不幸中の幸い。

 

 

 ↓ 当日のホテルのベランダから見る朝の草津温泉スキー場。

 

 三日間、晴れたり、曇ったり、風雪だったり。草津では三日間の最高気温が1℃だった。

 

 

 ↓ 生まれて初めてのスノーシューを履いていざ出発。

 

 難しくはないが、慣れないうちは、靴の締め具合がよくわからず、何度か締め直す。

 

 

 ↓ ちなみに雪山でもっぱら使っていたのは輪カン。

 

 これは会津桧枝岐の和一で作ってもらったもの。使いやすく、ずいぶん愛用した。スノーシューに比べて横幅があるので、歩行時にはガニ股になる。もう30年近く使っていない…

 

 

 ↓ 途中で見た熊棚。

 

 どんぐりやブナの実を食べに熊が木に登り、手近の枝を引き寄せ引き寄せしては食べ、その枝を尻の下に敷き重ねたものが熊棚。葉のついていた時期の枝なので、その葉がそのまま残っている。幹にはよじ登った時の爪痕が残っていた。

 

 

 ↓ 途中で見たデブリ=落下した雪の塊。

 

 別名バームクーヘンともアンモナイトとも言われる。

 

 

 ↓ 途中で見た褐鉄鉱露天掘り跡。氷柱が一本。

 

 ここはそれほど純度が高くないせいか、あまり赤くない。別のところではイエローオーカーを思わせるような黄色いところもあった。ちなみに弁柄=ベンガラというのは、江戸時代にインドのベンガル産のものを輸入していたところからの名というが、さて?

 

 ↓ 何とか瀧の手前、沢床にチャツボミゴケが見え始める。

 

 3月、雪の下かと思っていたら、水温は28度なので、雪に埋もれないのだとか。

 

 

 ↓ 源流、湧泉地の「穴地獄」、全景。

 

 確かにかなりの緑の苔。夏場は全体がもっと緑になるそうだ。

 

 

 ↓ 展望所からの全景。周囲を木道が一周している。

 

 写真の左の先でO氏が転落した。古い硬くてやせた雪の上に積もった新しい柔らかい雪の層に足を踏み外し、態勢を崩したのだ。下は水流と岩盤だから、怪我がなくてよかった。足はずぶ濡れになったようだが。

 

 

 ↓ 途中で見た白樺と宿木。

 

 宿木は冬でも青いことから、北欧などでは生命とか再生の象徴とされる。好きな植物の一つ。

 

 

 ↓ 今回初めて知ったウリハダカエデ。

 

 樹肌の模様が瓜のように見えることからついた名。瓜?ともあまり見えないが、近づいてみると、クレーの絵を思わせるような、繊細な抽象模様。気に入りました。

 

 

 ↓ チャツボミゴケ公園の帰路に立ち寄った入山百八十八観音。

 

 近くの品木ダムに水没した集落のものを移設したものか。西国・坂東・秩父の百観音に四国八十八霊場を合わせて写したもの。全部は残っていないようだ。いずれも小型の素朴なもの。あまり保存状態は良くないが、いくつかは良いものがある。

 この辺りにはその気で探せばまだいろいろな石仏があるようだ。

 

 

 ↓ 翌日の写真だが、長野原あたりから見た、右から丸岩、高ヂョッキ、1209m峰。

 

 心惹かれる風情の山々。登るのは難しくないが、足の便と宿を考えると、爺さんの一人旅としては割とハードルが高い。でも登りたい。

 

(記・FB投稿:2024.3.18)

早春の上州の旅‐①嵩山と三十三観音(3月7日)

 O氏に誘われて、群馬県の中之条~草津~長野原~四万あたりをウロウロしてきた。「チャツボミゴケ公園に行きたい」のだとか。なんだ?それ?

 そこは「冬季閉鎖中だが、ガイドを雇ってスノーシューを履けば行ける」とか、「良い百八観音がある」とか、訳のわからない言葉で私を誘う。彼は森や水や大地といった、自然とスピリチュアル(?)なものを作品のテーマとしている画家だから、動機としてはうなずける。まあ、いいか。いつものように、これも何かの御縁。

 

 最初に連れて行かれたのが、嵩山。なんでも三十三体の観音があるとか。要するに坂東三十三観音霊場の写し。それは良いが、これって登山ではないか。聞いてないよ。一応その用意はしてきているものの、O氏は山に関しては完全素人。嵩山は標高は低い(789.2m)が岩山で、鎖場もあり、おまけに少しばかり雪が残っていて、道は滑りやすい。

 とりあえず行けるところまでということで登り始めるが、案の定、彼の足元は危なっかしい。点在する石仏(三十三観音)を見ながら、主稜上の小天狗という730m圏のピークに立った。なかなかの大展望。そこから頂上までは30分程度だが、彼の登る気は失せたらしい。山屋としては後ろ髪を引かれる思いだが、まあ仕方がない。途中からの山腹コースを下ることにした。といって、こちらのコースの方が易しいということでもなさそうだ。残雪と湿った山道に何度も尻もちをつくO氏。お疲れ様でした。

 

 この日は前後して親都神社、龍澤寺、荷着場道祖神などを回ったのち、草津温泉に泊まったのだが、それらについてはまた別稿で。

 余談だが二人とも記念写真を撮る趣味がなく、気がつけば私の写った写真は1枚もなかった。

 

 

 ↓ 途中で見た榛名山

 

 いくつものピークからなる良い山だ。いつか登りたい。

 

 

 ↓ 小天狗のピーク、730m圏。

 

 浅間山や上信越国境の山々が遠望できた。

 

 

 ↓ 胎内潜り。

 

 今まで体験した胎内潜りの中で最も狭い。写真のO氏は結局断念。私は腹回りに関しては自信(?)があるが、長年の経験で思いっきり腹を引っ込めて身をよじって、何とか通過できた。

 

 

 ↓ 下山路にて。

 

 何やらつげ義春の漫画に出てきそうな一シーン。そういえば今回の旅自体がつげの貧乏旅行シリーズと似ている…

 

 

 ↓ 麓から見る男岩。男岩ね。なるほど…。頂上はその奥。

 

 

 ↓ 嵩山三十三観2番 十一面観音

 

 元禄15/1702年に麓に住み着いていた江戸の僧・空閑によって建立されたとのこと。現存の像の背面には「再建同年」とあるが、その「同年」がいつのことなのかわからない。そう古いものではなさそうだ。大正か昭和のものか。

 また三十三観音といえば多くは西国三十三観音の写しだろうが、ここは坂東三十三番の写しというのが、ちょっと珍しいのか?

 

 

 ↓ 嵩山三十三観10番 千手観音

 

 頭部に仏面があるが、これは千手観音。六手で、そのポーズが私にはちょっと珍しかった。

 

 

 ↓ 嵩山三十三観14番 十一面観音

 

 これも頭部に仏面があるが、二手で、十一面観音。たまたま光が面白く射していた。

 

 

 ↓ 嵩山三十三観16番 十一面観音

 

 こちらの千手観音は頭部に仏面がなく座像。六手の内の二手は他と同様にバンザイ型。

 

 

 ↓ 登り口にあった「岩登り禁止」の標識

 

 確か昔のルート図集などにはここのルート図が出ていたような。

 

 

 ↓ 同前 

 

 昔開拓されて山岳雑誌やルート図集などに記載されていた岩場も、その後登攀禁止になったところが多い。登山者、クライマーのマナー違反や、こうした地元の信仰心との軋轢があるようだ。

 岩登りに限らないが、自然の中の、私有地(山林)内などでの、確かにモラル・マナーに欠ける振る舞いを目撃することは多い。キャンプや釣りや、いわゆるアウトドアライフを単なる消費の対象として紹介するメディアの罪も大きいが、しょせんは自然とかかわる個人の倫理観や美学の問題に行き着く。地元の人の理解が得られなかったら最悪だ。あまり人のことを言えた義理でもないが、少し悲しい話ではある。

(記・FB投稿:2024.3.13)

小ペン画ギャラリー‐37 「青梅市立美術館『アートビューイング西多摩2023』‐2」

 青梅市立美術館の「アートビューイング西多摩2023」展での、全体の意図と3点のタブローについては、前回の投稿で述べた。

 展示した小ペン画は24点。一応多少の見やすさとバリエーションを考慮したが、そのせいか後に確認して見たら、19点はすでにギャラリーやFBで発表済みだった。今回はFBでも未発表の5点を中心に紹介。

 

 小ペン画は、そのサイズの小ささや、技法的な制約などから「大きな物語」を語るには適さないが、小さな個別性(今回の場合は個々の現実現象と社会性との関連や、民俗学や宗教性などといった個別の関連領域)と対応するには向いている。それらをある程度以上の数量で展示することで見えてくるものもあるだろう。歴史的視点で言えば「通史」ではなく「聞書き」といったところ。その両者を並置したかった。例えていえば、「鳥の眼」と「虫の目」の併置。そうした意味で、大阪高島屋の展示とは意味合いが異なる。

 

 

 ↓ 会場風景

 

 3点のタブローとその間の小さなペン画。

 

 

 ↓ 小ペン画展示風景

 

 実際の展示風景の一部。この8点はギャラリーやFBで発表済みなので、詳しくは述べないが、簡単にテーマというか要素だけを、展示右下の展示番号とタイトルと共に簡単に記す。上から下へ、左→右の順。

 15.「隘勇線にはばまれて」日本による台湾植民地時代の先住民対策‐餓死作戦。

 11.「山水礼拝」古神道におけるアニミズム

 21.「舞闘尊者 (Rakan-13 倣Siyah Qalam)」14 世紀後半から15 世紀初頭のペルシャにおける「黒い絵」と言われる特異な、仏教とシャーマニズムに基づいた細密画群と羅漢図の折衷。

 8.「犀の角のようにそれぞれ佇む五人」『仏陀の言葉』より。

 12.「出口」イスラム国とシリア。

 14.「道筋と一対の門‐民俗学的絵画」民俗学‐葬送儀礼

 16.「送られる神」民俗学どんど焼き・塞ノ神。

 26.「降りくるもの」宇宙物理学、ブラックホール、膨張宇宙。

 

 

 ↓ 610 住輪の心御柱-哲学的幻想

 2022.8.5-14 21×14.8㎝ アルシュ紙に水彩・ペン・インク

 

 民俗学者としての(?)中沢新一の『精霊の王』中の、「『明宿集』の深淵』にインスパイアされたイメージ。

 『明宿集』とは室町時代の猿楽師・能作者であり、世阿弥の娘婿となった金春禅竹の著した一種の神秘学的「翁論」だが、難解すぎて、正直言ってほとんど理解できなかった。理解はできなかったが、妙に感動(?)し、影響を受けて、本作ともう2、3点描いたのである。

 金春禅竹金春流の中興の祖とされる。余談になるが、大学時代の後輩に金春流の家元の娘がいて、その縁でただ一度だけ能というものを見せてもらった。ごくごく淡いものではあるが、それもまた一つの奇縁というべきだろう。

 

 

 ↓ 参考 612 住輪の心御柱-出現に向かって

 2022.8.7-14  21×14.8㎝ 中国紙二枚重ね、水彩・ペン・インク 発表済み

 

 前述の『精霊の王』の「明宿集」に影響を受けて、続けて描いた一点がこれ。共に楕円の下部にある小さな黒い棒のようなものが「住輪(しゅうりん)の心御柱」。

いまだに解説すらできないので、興味のある方は自分で読んでみて下さい。

「翁」ではあるが、老若と男女性を交換可能とみて、このような絵柄にした。

 

 

 ↓ 611 淡い光の中の宿神

 2022.8.5-8 21×14.8㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 同じく本作も中沢新一『精霊の王』中の「宿神」論が発想の源。シュクシンからシャグジ‐ミシャグジ‐シャクジン‐シュクジン‐シュクノカミ‐シクジノカミと呼ばれる、いまだに謎とされる神が芸能の神であるとする考察が、イメージの源。信州や甲州が本場のようだが、東京やその他にもある。石神井(シャクジイ)公園もそれ由来。

 いずれにしてもこれらの作品のようなイメージは、私個人の中からは思いつかないというか、発生しない。読書というアウトサイドから持ち込むしかないのである。

 

 

 ↓ 638 避難する光の母子

 2022.12.18-21 13.5×16.1㎝ 水彩紙にアクリル・水彩・ペン・インク

 

 下描き、予備的なイメージデッサン無しに描いた作品。あらかじめ下彩をほどこして用意しておいた用紙を凝視することで、形、イメージを発生させるというやり方。

 描いているうちに浮かび上がってくるニュアンス、形が、ウクライナ難民や、ミャンマーの、シリアの、その他もろもろの難民たちのイメージと重なり合い、それらが聖書の中の「エジプトへの逃避行」へとつながった。

 私としてはあまり例のないイメージ。聖書にはほとんど縁がないが、西洋画の画題としては一般的なので、ある程度は私の中にも入っている。技法的にはスクラッチ(引掻き)技法が主。

 

 

 ↓ 663 いにしえより‐弥勒

 2023.3.21-27 12.6×16.3㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク

 

 136億年前に宇宙を誕生させたビッグバンと、56億7千万年後に人々を救うために今現在も兜率天でそのすべを思惟しているという弥勒菩薩なる存在・観念が、どうも私の中では照応し合っている。

 そのビッグバンの超初期のインフレーション理論とその副産物として生み出されたブラックホール。関連も何も説明も理解もできないが、イメージとしてはこんな感じが私の感性の基層にある。

 

 

 ↓ 697 かろん(渡守)

 2023.8.7-10 14.5×9.1㎝ 和紙にアクリル・水彩・ペン・インク

 

 かろん(カロン、カローン)とは、ギリシャ神話における冥界の川スチュクスあるいはその支流アケローン川の渡し守のこと。画題(の一部)として、ヨーロッパでは多くの宗教画に描かれている。

 冥界の川だから仏教(仏陀自身はそんなことは言っていないが)の三途の川(三途河・葬頭河/しょうづか・正塚、三瀬川とも)に対応し、また渡し賃として死者の口などに小銭(六文銭)を入れるなど、ユーラシア全体に広く見られる葬送習俗と対応する。そのあたりも様々な宗教の影響関係を示すものである。石舟地蔵との関連も言えそうだ。

 

 

 ↓ 参考 673 渡守

 2023.4.11-18 21×15.4㎝ 和紙に膠、油彩転写・水彩・セピア・ペン・インク

 

 前掲の作品の四か月前にこの作品を描いた。描き始めの時点ではアケローン川の渡し守カロンというイメージ・発想は全く無かったのだが、途中からいつの間にかつながった。体にある黒い丸は、何か典拠があったような気もするが、覚えていない。

たまたまわが家に遊びに来たA君がこれを気に入って欲しいというので、未発表だが譲った。気に入っていたこともあって、後に同工異曲の前掲作を描いた。私としては比較的珍しいことである。

 

 

 ↓ 参考 Gustave Doré「神曲(1861-68)」より

 

 カロンはヨーロッパの宗教画では地獄の渡し守として、時々描かれている。ミケランジェロのシスティナの最後の審判にも登場する。渋い名脇役といったところか。

これはフランスのドレ(Doré 1832-83)の手になる木口木版画の一ページ。クラシックな印象。

 

 

 ↓ 参考 同じGustave Doré「神曲」より

 

 こちらも同じ書物の一ページだが、作者のダンテとウェルギリウスを載せている。

関係ないけど、ドレとエドワール・マネは生没年共に同じなのだが、画風と時代性はずいぶん違う。ドレのアナクロぶりはすごい。そこが好きなところでもあるのだが。

 

(記・FB投稿:2024.2.26)

旧作遠望‐6 「青梅市美 アートビューイング西多摩2023」と「世界の調べに耳を澄ます」

 青梅市立美術館で昨年の12月16日から今年2月4日までの予定で開催されていた『「″アート″を俯瞰する」アートビューイング西多摩2023』は、会期途中の1月19日に「(…)美術館内のエントランスロビーのガラスが破損していることが判明し、施設内の安全確保のため急遽、本日(…)午後から臨時休館とさせていただくことになりました。」との連絡を、旅先の奈良で受け取った。

 美術館は1984年開設だから、築40年。電気系統などが老朽化し、この三月ごろからしばらく休館して改修の予定だったそうだ。築40年ともなればそういうものかと思っていたが、今回の展示中止の直接の原因はガラスの破損だから、意味が違う。建物自体は、水平垂直・鉄筋コンクリート・ガラス多用の、よくあるモダニズム建築。だからガラスといっても、いわゆる窓ガラスのイメージではなく、150㎏(?)もある、荷重はともかく、構造体の一部を成しているもの。それが40年で壊れるというのは、どういうことなのか。具体的な責任の所在を問うても空しいだろうが、釈然としない。

 

 ともあれ、観覧予定だった人、遠隔地で来られない人のために、急きょ「旧作遠望」。

 

 本展は西多摩地区のアートを大事にし、盛り上げようという、地元ゆかりの作家有志が中心になって、これまで何回か同趣旨の展覧会を開催してきた。今回は青梅市立美術館と初めての「共催」。趣旨はわかるが、それはゆるい括りであって、グループ展としての統一的な主張や明確な視点があるわけではない。無くても構わないが、西多摩の風土が好きで30年近く住んでいるが、地元愛的なものは私にはない。したがって、出品するにあたって、やはり自分なりの論理構築のようなものは必要だった。

 けっこう苦労したが、東北大震災以前、阪神大震災以降から現時点までという近過去の枠組みを設定した。その時間に対応する旧作のタブロー3点と、より広いスパンの時間軸を、民俗学や宗教性、社会性といった個別の観点・要素を内包する近作(小ペン画)を配置・展示することにした。つまり歴史というほどの大きなスパンではないけれども、歴史性を内包する風土性と、そこに在る人間観みたいなものを暗示(?)したかったのである。以上はまあ、作者にとってだけ必要な展示の枠組み・必然性なのである。

 小ペン画については別に投稿する予定だが、柱となるタブロー3点に共通するタイトルは「世界の調べに耳を澄ます」。この言葉自体に関心を持ったのは、たしか社会学宮台真司が書いた朝日新聞のコラムによってだったと思う。それ以前から存在していた言い回しとして知っていたような気もするが、はっきりしない。世界全体・宇宙全体に通底する、神聖幾何学とか宇宙律などといった観念とも連動する、一種の哲学的神学的概念である。世界に遍在するかすかな波動と音律。その曲律は、大震災といった非日常の際には、どんな変化を示したのだろう。そんなことをぼんやりと思ったのである。

 東北震災後、「3.11以降、そのことを自覚しないアートはありえない」などといった発言をしたアーティストが何人もいたことを覚えている。個人的体験と普遍的経験性を弁別しない、そうした発言に対する反論がこれらの作品の底にあった。

 

 余談だが、3点ともにM120号(97×194㎝=2:1)という、細長く扱いづらい画面。普通だったらとてもこの比率の絵を描こうという気にならないが、もう「大きなサイズの作品は描かないから」といって、ある先輩がいきなり木枠を三本送ってよこした。それがなければ、この作品の構想は生まれなかっただろうから、縁とは不思議なものというべきであろう。

 

 

 ↓ 展示風景‐1

 

 手前は鹿野裕介さんの作品。こう対置してみると、少し硬い展示であったかもしれない。

 

 

 ↓ 460 「世界の調べに耳を澄ます‐2」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝) 以下3点とも自製キャンバス(麻布にエマルジョン地)、樹脂テンペラ・油彩 

 

 3点は一二ヶ月程度ずつ間をおいて着手した。2番目に描きだした本作は、最後までサブタイトルが浮上せずというか、サブタイトルを必要としなかった。

 

 

 ↓ 459 「世界の調べに耳を澄ます‐1(白い岸辺)」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝)

 

 3点連作とか、組作品というわけではないが、イメージとしてはこれが最初に描きだした作品。あとの2点は本作に引きずられて生まれたようなもの。

 「白い岸辺」という語(サブタイトル)にはなにがしかの意味があったのだが、3点完成して見ると、必ずしも組作品というわけではないということもあって、標示する意味が感じられず、キャプション等には表記せず。

 

 

 ↓ 465 「世界の調べに耳を澄ます‐3(紅蓮)」

 2005年 M120号(97×194㎝㎝)

 

「紅蓮」という語も同様。

 

 

 ↓ 展示風景‐2

 全景。壁面約10m。

 

 タブロー「世界の調べに耳を澄ます」の間に小ペン画を配置。ほかにもやりようがあったかもしれないが、まあ、これはこれで悪くはないか。

 

(記・FB投稿:2024.2.20)

小ペン画ギャラリー‐36 大阪高島屋「21世紀空間思考展」‐2

 前回の続きで大阪高島屋「21世紀空間思考展」に出品した小ペン画、その2。他の展覧会やFB上でも未発表のものを何点か紹介する。

 前回の投稿でも述べたが、共通するコンセプトや要素といったものは特になく、したがって全体としてのコメントも特にない。あまり濃すぎたり、メッセージ性の強くないもの、そしてバリエーションを意識したバランス感覚だけ。多少はデパートという場を意識したのか、私としては比較的珍しい選択基準。

 

 ↓ 514 ガンダーラの裔

 2021.8.22-23  19×14.2㎝ 水彩紙にゼラチン、水彩・ペン・インク

 

 東京オリンピックの開会式の、パキスタンだったか、イスラム圏の選手団の行進のシーンから発想した作品を2点描いた。ほんの10秒前後のニュース映像を見ながら一瞬で走り描きしたものから生まれた。先に描いた方(発表済み)には、入場行進のイメージが残っているが、2点目の本作はその余波といった形で、オリンピックや入場行進といった要素はほとんど残っていない。実際に女子選手が写っていたかどうかは記憶にない。

 ただ、パキスタンには古代の仏教の中心地の一つであるガンダーラ(現在のペシャワール地方)がある。バーミヤンなどと同様に、その後のイスラム教圏という歴史の皮肉を感じさせるところであり、その点での淡い興味を持っていた。

 余談だが、競技そのものは別として、オリンピックであれ何であれ、私は公的なイベントのセレモニー的なものがあまり好きではなく、ほとんど見ない。競技もたいして見なかったが、さまざまな国、文化の人々が集まるという感覚だけは好きだ。関係ないけど、イスラム圏の特に男性の服装が、ちょっと好きなのである。

 

 

 ↓ 527 ポーズする観音 

 2021.915-17 19×14㎝ 木炭紙にゼラチン、水彩・ペン・インク

 

 長野県筑北村修那羅峠の石仏群を見た時の驚きは忘れられない。一般的な仏教や神道の信仰に、民間信仰性が触媒として機能するとき、その的想像力が生み出すフォルムは、自在に、いかようにでも変容しうるということを思い知らされた。外見だけではなく、内面性も含めて。信仰における民衆の想像力その強さ、その坩堝のような石仏群。

 本作はその中の一つ、一応聖観音とされているが「ピエロ観音」などとも勝手に命名されている像の一つにインスパイアされたもの。

 

 

 ↓ 参考: 修那羅山安宮神社石仏群 聖観音

 

 「ポーズする観音」の元になった石仏。これをただ良し、ありがたしとしてだけ見るか、それともそこから自分の考察力・想像力によって、別の新しいイメージを創り出せるかが、言ってみれば翻案力とでも言うべき想像力の一つの振舞い方であろう。

 

 

 ↓ 557 異装のまれびとが観想する

 2022.1.29-2.1  18.7×15.9㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク

 

 元になったイメージや画像は何もない。一瞬にしてほぼ完成形のイメージが訪れることがある。割合としてはそう多くはないが、これもその一例。

一応、蓮の蕾(未敷蓮華=悟りきれない人の象徴)を持っているから、ある種の観音像とも言えよう。

 

 

 ↓ 626 宇賀神とともに

 2022.11.21-24  16.2×11.9㎝ 木炭紙に水彩・ペン・インク・修正白

 

 ちょっときれいな女性を描いてみたくなった。「美人」のイメージの一例が弁才天。その美人弁才天を、水神・福神・音楽神としてではなく、非宗教的に、信仰の要素をなくした素顔、普通の女性として描いてみようとした。

 水神、女神である弁才天には、もう一つ宇賀神という起源(ルーツ)がある。こちらはとぐろを巻いた蛇体の男性(多くは老爺)。弁才天ヒンドゥー由来であるのに対して、宇賀神はどちらかと言えば、神道の要素が強いらしい。合体して頭の上に、と蛇体の宇賀神と鳥居を載せた宇賀神弁才天という造形も多い。

 神性を取り去った美人弁才天では、人間と区別しがたく、手掛かりとしてあえて宇賀神=蛇を載せた。「これさえなかったら欲しいけどね~」と言われたりしたが、画家としてはそうはいかないのである。

 

 

 ↓ 632 黒華頌 

 2022.12.6-20  19×14.1㎝ アルシュ紙に水彩・ペン・インク

 

 これに限ったことではないが、我ながら何とも説明しにくい絵を描くものだ。ともあれ花、それも黒い華である。むろん写実ではなく、実在しない花、胸中の花である。

洋の東西を問わず「植物画」、「ボタニカルアート」「博物画」といったジャンルがある。趣旨の違いはともかく、そうした記録性からくる独特な魅力にも心惹かれるものがある。別にタイル、陶磁器の絵付け、織物・絨毯・服装などに描かれた、紋様化され意匠化、抽象化された花。それらの魅力。その両者のイメージをもとに、ギリギリのところで融合した形で描いてみたいと思った。

 

 

 ↓ 648 アルカイックな二人‐別離

 2023.2.18-24  13×9㎝ 洋紙に水彩・ペン・インク

 

 上州の双体道祖神のイメージがベース。信濃のそれと違い、墓標仏のそれとも違い、万葉集の防人歌を思わせるような、より素朴な男女の造形。それほど数を見たわけではないが、ほのぼのと沁みるものがある。

この手のものを3点ほど描いたが、これは最も本歌から遠い、私の物語造形。「別離」としたゆえんである。まあ小さな詩であろう。

 

(記・FB投稿 2024.2.14)

小ペン画ギャラリー‐35 大阪高島屋「21世紀空間思考展」‐1

 先日、縁あって大阪の高島屋の彫刻4名、絵画2名の「21世紀空間思考展」に参加した(2月17~22日)。

 縁はあったのだが、必然性はなかった。グループ展としての統一的コンセプトといったものはない。必然性のない発表というのは難しい。だからグループ展の場合、それが作家主体であれギャラリー主導であれ、誘われても、お断りすることが多い。

 今回は経緯はともかく、出品することを了承したのだから、何か自分なりの必然性をひねり出さなくてはならない。それにけっこう苦労した。自分の展示全体をくくるコンセプトは見出せず、結局、関西では初めての発表の機会ということなので、自己紹介性‐バラエティーという単純な地点で折り合いをつけ、比較的近作のタブローとペン画を、バランスを考慮して展示するということで決着した。

 タブローの方はすべて、東京で発表済。だが関西では未発表なので、良しとしよう。

小ペン画はFBも含めて、なるべく未発表のものをと心がけたつもりだが、バラエティーということと、親しみやすさ(?)といったことを考えて21点を選んだ。あとになって確認してみたら、東京で発表済みのものやFBに投稿済みのものも含まれており、全くの未発表は11点。今回はその半分の紹介。

 

 

 ↓ 377 髪

 202.10.20-23 15×10.5㎝ キャンソンラビーテクニック?にペン・インク

 

 私のペン画は平滑な紙に描くことは少ないので、ペン(主に丸ペン)先の運び、滑りとは相性が良くない。なめらかにペンが滑る走るということはあまりなく、しょっちゅう引っかかったり、紙面がけば立ったりで、主に意志力(?)でコントロールし、ねじ伏せていたようなものだった。それがなぜかこの作品あたりから、ペンが自然と走るようになってきたのを記憶している。「あれっ?おれ、上手くなったのかも?」使える技が一つ増えるというものは、楽しいものだ。

 髪の毛は勝手に増殖し、こんな作品ができた。女性の髪の毛は美しく、エロチックなものである。

 

 

 ↓ 406 家路

 2020.11.27-29 12.6×8.5㎝ 和紙にドーサ、ペン・インク・水彩

 

 物を運ぶという動作は、背負ってであれ、頭上運搬であれ、抱えてであれ、人物=身体ということ以外に、他の物・要素とかかわる・連動するということだ。そして、その動きによって、ちょっと世界が広がるという感じがあり、魅力を感じる。

 多種類の大きなものを背負って運ぶというイメージは、アジアなどで実見した体験がベースになっている。人は、何を、どれだけのものを、運ぼうとするのか。

 

 

 ↓ 415 紡ぎ人

 2020.12.4-9 19.5×15㎝ 和紙にドーサ、ペン・インク

 

 菩薩的な人物(菩薩そのものではない)がある動作をしているところを描きたかった。

 描いていくうちに、ガンジー独立運動と関連して糸車を廻す有名なシーンと結びついた。菩薩‐インド‐ガンジー、という展開。だが、ガンジーそのものとは関係がない。

 

 

 ↓ 443 身毒の火のダンス

 2021.1.3-4 洋紙にペン・インク

 

 インドの国名表記には印度という漢字表記があるが、他にも天竺(後漢書)や身毒(司馬遷史記』)などといった表記もある。ある見慣れ聞きなれた言葉をちょっと違った視点・座標軸(外国語や古語や別名など)で置き換えて見ると、それ自体の内に潜む異世界性とでもいったようなものが立ち現れてくるような気がして、面白い。まあ、それだけの話ではあるが。

 画像としては、どこかでチラッと見た何かがあったような気がしないでもないが、覚えていない。たいして意味はないのだろう。

 

 

 ↓ 490 青い炎

 2021.7.27-30 水彩紙に水彩・ペン・インク

 

 イメージの元になったものは何もない。

 用紙に下彩をほどこす際にわずかに現れたにじみというか、綾をそのまま広げて描いていったもの。あまり肩に力が入っておらず、少し好きな作品。

 

(記・FB投稿:2024.2.8)