艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

権現山から麻生山・三ツ森北峰

 私の最も好きな山歩きの季節は、四月中旬から五月いっぱいにかけてである。最近の山歩きの中心である東京近辺の山を前提としての話だが。

 その四月五月に、今年は三回しか行けなかったというか、行かなかった。その三回も奈良県の観音峰山、三輪山山口県の寂地山と、西日本の山である。いずれもほぼ他動的な縁によるもので、行った山に別に不満はないが、肝心の東京近辺の四月五月の山に行けなかったことを残念に思うのである。落葉広葉樹林帯の木々の、芽吹きから新緑へと推移してゆくあの美しさを、今年は見ずに終わってしまったのだ。

 四月は伊勢志摩・大峰・奈良と結んで6日間家を空けたほか、あれこれと用事が多かった。五月は思いがけない郷里山口での葬式や、グループ展、ギックリ腰などがあった。また制作の金箔貼り関係の作業で、丸3日は費やした。忙しかったのである。だから、葬式のついでの一回だけでも良しとしなければならないかもしれない。

 まあそれは良い。そうこうしているうちに、前回の山行からまた中一ヶ月空いてしまった。早く行かねばならない。早く行かないと梅雨入りしてしまう。

 

 今回の山は権現山。中央線の上野原から猿橋の北方で長く東西に延びる尾根である。尾根と書いたが、周辺の山から見て、その長く延びる大きな尾根の存在を指摘することはたやすいのだが、それが何山なのかというのは判りにくい。明瞭な三角形の山頂や特徴的な山容を持っておらず、長く大きいだけが特徴で、とらえどころのない山なのだ。そうは言っても、そこには当然最高地点があり、それに権現山の名が冠せられている。一般的には昔からそれなりによく登られている山である。しかし私の印象としては、上記したように、何となくとらえどころがないというか、個性が見えないという印象だった。個性的ではないというのが、この山の個性なのか。また、アプローチの便が悪く、しかも長丁場のコースだと思い込んでいて、食指が動かなかったのである。

 しかし、赤線が増えた地図の中で、その一帯だけが赤線の空白地帯であることが気になる。調べてみると、確かにバス便は午前中1本だけだが、歩程としてはそれほど長くもない。そんなにハードルの高い山ではないのである。ハードルは私の起床時間だけだ。平日午前中1本だけのバスは上野原駅発8:30。それに合わせて五日市を6:52の電車に乗ればよい。いつもより少し早いが、仕方がない。

 

 いつにもまして寝不足のうちに、5時前に目が覚めた。寝不足だけなら仕方がないが、何を寝呆けたか、勘違いして1時間も早い5:47の電車に乗ってしまった。やっちまったことは仕方ないし、早く着くのはむしろ良いことだと思ったが、よく考えたらバス時刻まで、1時間半も待つことになる。上野原駅のバス・タクシー乗り場がある側は、本当にバス・タクシー乗り場しかない。そして一台のタクシーだけが止まっている。とりあえず用竹バス亭まで幾らぐらいかかるか聞いてみた。2500円くらいかなという答え。若干のためらいもあるが、1時間半待つ気にはなれず、タクシーに乗り込む。あると思っていたコンビニもなかった(反対側にあったようだ)ため、途中のコンビニに寄ってもらい、弁当、飲み物を買う。

 用竹バス亭のまだ手前で、メーターが2800円を超えたところで、運ちゃんはメーターを止めてくれた。2500円くらいと言った手前、バツが悪かったのか。そのままだと3000円は超えただろうから、とりあえず感謝である。

 

 いつもに比べるとずいぶん早く7:30に歩き始める。バス亭から左に舗装道路を辿り、すぐに標識に従って右に入る。その道の突き当たりから山路になる。炭焼窯の跡がある。路は幅広く、雑木林の中をゆるやかに登ってゆく。

 

 ↓ 登り口近くにあった炭焼き窯跡

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 ↓ こんな感じ

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 おおむね展望はきかないが、それでもところどころで展望が開けるところがある。新緑というにはやや緑が濃くなり、初夏の山の風情であるが、気持が良い。

 

 ↓ どの辺の山か、まだ見当がつかない

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 神戸山道分岐で主稜線に乗る(8:02)。主稜線に出ても幅広い路は尾根を丁寧に右に左にと縫うように、ゆるやかに続き、実に歩きやすい。墓村への分岐を過ぎ、三本松908.9mの三角点は気づかないうちに通り過ぎてしまったようだ。2時間ほどで寺入山1028mの山名表示を見つけた。特に山頂といった感じもなく通過する。

 

 ↓ ゆるやかで幅広い路 あふれる緑光

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 ↓ 寺入山山頂

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 雨降山1177mは大きなアンテナや観測所が立ち並んでいて、立ち寄りようもなく、早々にそのかたわらを通りすぎる。「すみれの丘」の表示があったが、盛りはもう終わっただろうと通りすぎる。

 ともあれ、この尾根は自然林と植林が交互に、あるいは左右に現れる林相で、思っていたより自然林の割合が多い。楢を主とし橅も交えた自然林のところは、特に気持が良い。

 

 ↓ 広葉樹林と針葉樹植林帯の違い 植林帯は光も彩も乏しい

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 歩いているうちに、ふと一基の馬頭観音が佇んでいるのを見つけた。観音像は刻まれておらず「馬頭尊」の文字。裏面を見ると明治38年11月、表には桑久保の文字が刻まれている。桑久保は南麓の集落の名。それで気がついた。この登山道は、昔の馬や牛に荷を運ばせていた交易路、生活道だったのだ。ふつう新しくつけられた登山道は、稜線上をそのまま忠実に辿るようにつけられていることが多い。その元になった仕事道の性格が強いものでは、可能な場合はピークを巻くようにつけられているが、それでもここのように可能な限り急登を避けるようにゆるやかに、丁寧に尾根を縫うように、しかも幅広くはつけられていないものである。ここの主稜線がおおむね幅広く、またそれを可能にする地質だったということなのだろう。明治38年といえば1905年、100年以上前だ。いつ頃までこの尾根を馬や牛が荷を運んでいたのかはわからないが、おかげで(?)今日こうして、ゆるやかな道を楽に歩けるというものだ。

 

 ↓ 刀痕も潔い

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 ところどころに山ツツジの朱い花が咲いている。

 

 ↓ 山ツツジ

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 ↓ 笹尾根と左:三頭山

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 そろそろ大宝沢ノ頭1245mあたりかなと思うあたりで、ふと足元を見ると、なにやら赤く塗られた三角点のような標石がある。側面には「㤙(恩の異体字)」と「九七」の数字。以前にも見た御料局三角点には「三角点」の文字があった。「恩賜林」という単語が思い浮かんだ。思い浮かんだが、その内実は全く記憶にない。そういえばこの標石自体もこれまで何度も見かけたことがあるような気がする。帰宅後の事後学習で「明治末期に山梨県に下賜された山梨県内の元御料林の通称。現在は県有林で、管理の一部を恩賜県有財産保護組合(通称 恩賜林組合)などが行っている。(ウィキペディア)」と知る。この標石は恩賜林の境界を示す標石だったのである。それはそれとして、ではその恩賜林という措置は、水害で苦しんだという山梨県民に対してだけ行われたのだろうか。そして恩賜林は山梨県以外には存在しないのだろうか。新たな疑問が出てきた。

 

 ↓ 恩師林境界標石

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 その少し先に御社がある。近寄っていくと、このあたりでは珍しい大岩の上に鎮座しているが、社に登る石段そのものが、その大岩を刻みこんで作られている。小さな足掛かりを岩に刻んでいるのはよく見るが、このようにしっかりした階段を大岩から直接彫り出しているというのは、ちょっと珍しいのではないだろうか。御社は大ムレ(群)権現。権現山の名の元だ。あまりパッとしない山頂よりも、やはりこのような巨岩を依代(よりしろ)として必要としたのだろうか。

 

 ↓ 大群権現

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 ↓ 大岩から彫り出された石段

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 大群権現の脇からは左に水平に続く古い道型を捨て、裏手の尾根を直上する。ほどなく権現山頂上1311.9mに着いた(11:15)。さほど頂上らしいところでもないが、周辺には山ツツジが咲き、北側には三頭山から奥多摩方面が望まれ、気分は良い。良い位置にある山だなと思う。ともあれ、登り口の用竹が標高337mだから1000m弱の登り、ゆるやかではあったが、充分登ってきたのだ。

 

 ↓ 権現山山頂 二つの三角点(?)

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 ↓ 山頂からの三頭山とその奥、奥多摩の山なみ

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 ここにも三角点?が二つある。側面は削られているようで、何も読みとれないが、例の御料局三角点か、あるいは先ほど見た恩賜林境界票石かのいずれかだろう。昼食を食べていると単独行の年輩の男性がやってきた。この日会った唯一の人。

 

 権現山頂上からさらに西に進む。ふだん通りだったら、ここから浅川方面に下りる確率が高いのだが、今回は時間的にも余裕がある。麻生山、さらにはその先の三ツ森北峰を目指す。まあ例によって欲をかいたのである。浅川への分岐からは、多くの人はそこから浅川へ下るようで、歩く人が減るせいか、心もち路も細くなる。これまでと異なり、植林帯がほとんどなくなり、ほとんど広葉樹林。ゆるやかに下りながらまことに気分が良い。途中、エビネのような花を見つけた。まだ蕾だったせいもあるが、正確な名はわからない。また「㤙 四三」と刻まれた恩賜林の票石があった。

 

 ↓ エビネ? どなたか名前を知っていたら教えてください。

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 快適な尾根歩き1ピッチで麻生山頂上1267.5mに着いた。麻生山の名を「地図の四隅に秘境あり」との名言と共に知ったのはだいぶ前のこと。確かに麻生山は五万図「五日市」の左下隅に、山名はなく、三角点と標高のみ記されている。見落とされるべくして見落とされる山だと言えよう。だからこそ「地図の四隅に秘境あり」とは名言なのである。この名言、出典は『静かなる山』『続・静かなる山』(川崎精雄・望月達夫・ほか 茗溪堂)あたりかと思って見てみたが、見当たらない。あるいは麻生山とは関係なく、深田久弥あたりだったかもしれない。

 

 ↓ 麻生山山頂 特に展望もなし

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 麻生山から先、左へ駒宮への分岐(尾名手峠?)を分けると、尾根筋はそれまでと変わって岩場混じりの細いものとなる。変化があって楽しい。急なアップダウンを少しばかり繰りかえした先が、三ツ森北峰の頂上(13:23)。南側の見晴らしが良い。その南側の木には、なぜかデコラティブな大きな鏡が取り付けられている。ちょうど晴れていれば富士山が大きく見えるはずの方向である。今日は雲がかかっていて見えないが、富士山と鏡に映る自分とを比較対照して反省せよ、ということか。それとも少し割れていることを含めて現代アートなのか。必ずしも100%嫌味ではないが、意味不明である。なお「北峰」の手書きの表示板には1202mと記されているが、地図で見てわかるように標高点はないものの、正しくは1250m圏である。

 

 ↓ 本来は富士山が見えるはず この鏡は???

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 ちなみに三ツ森というが、三ツ森が三つの山峰であるとして、ここがその北峰とすれば、南峰はどこなのか。地図を見ると北に三つピークが連なっている。この三つが三ツ森なら、ここは北峰ではなく南峰にあたる。ここを北峰とするなら南西の麻生山までを三ツ森ということになるが、さて本当はどうなのだろう。ともあれ一人っきりの静かな山頂を堪能した。

 

 下りの鋸尾根には地図とは違って、少し主稜線を行った先の分岐から入る。この尾根も広葉樹主体の気持の良い尾根。二つほどある小ピークは左に巻く。下るほどに幅広い、ゆったりとした歩きやすい尾根となる。

 

 ↓ 鋸尾根の上部を見上げる。まだ尾根は少し細い。

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 ↓ 鋸尾根の下部 尾根はだだっ広くなる

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特に問題もなく、小姓集落に降り着いた(15:05)。一ヶ月ぶりということもあって、後半、足はあちこちだいぶ痛んだが、まあこんなものだろう。

 橋を渡れば杉平入口バス停だが、バスが来るまで40分以上ある。せっかく初めて来たところなのだからと、いつもの流儀で歩きだす。路傍にはいくつもの石仏がある。丸石神がある。かたわらの林では猿の群れが騒いでいる。

 振返ると、どうやら「三ツ森」の名の由来と思われる山容が見えた。ただし山座同定には自信がない。浅川入口バス停まで歩き、15分ほど待ってやってきたバスに乗った。

 

 ↓ どうやらここからの眺めに三ツ森の名のいわれがありそうだが…

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 今回は出発時点でのミスから、かえって余裕のある山行ができた。山そのものも予想以上に良い山で快適だった。特に権現山以降は樹林の相もさらに良くなり、また変化もあって楽しめた。この周辺はもう少しルートがとれそうである。もう一ヶ月ぐらい早い時期に再訪してみようか。

 

 ↓ 山ツツジ

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 ↓ ギンリョウソウ

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【コースタイム】2017.6.5(月)(晴れ)

用竹バス停留所7:30~神戸山道分岐8:02~寺入山1028m9:40~雨降山10:15~和見分岐10:20~権現山11:15‐40~麻生山12:36~駒宮分岐12:58~三ツ森北峰13:23‐38~小姓登山口15:05~杉平入口バス停15:25~浅川入口バス停16:00‐15~猿橋駅

「散策展」 うしお画廊 2017.5.15~20 作品紹介

 さる5月15日から20日まで、銀座のうしお画廊で「散策展」という5人(+1人)のグループ展をおこなった。

 当然このブログでもその案内をすべきだったのであるが、送ってもらったフライヤー(A4両面刷り)のデータを、どのようにして取り込めばよいのか右往左往しているうちに、いつのまにかどこかに失ってしまった。意気消沈しているうちに、あっという間に会期が始まり、あっという間に終わってしまった。どうも山行記録以外のブログを書くのは、フットワークが悪いというか、腰が重い。ちなみに水曜日の朝ギックリ腰になり、二日間休んだが、四日会場に行った。四日とも酒を飲んだ。

 

 まあ、終わってしまったことはしかたがないが、6日間の会期中に来ていただいた人は(今、手元に芳名帖が届いていないので正確にはわからないが)、だいたい300人から400人の間だったと思う。比較的小さな画廊としてはまあまあの数字かもしれない。5人の出品者がいるが、案内状を出した先は、ある程度重複しているだろうし。

 私自身は350~400通弱の案内状を出したが、その中で画廊に来てくれた人は何人ぐらいだろう。それも芳名帖をチェックすればわかることだが、そんなことをしてみてもせつないだけで、あまり意味はない。それぞれ都合も事情をあることだろうし。そもそも、そんな事を考え始めると、発表すること自体がだんだんネガティブに、面倒に、なってくる。

 だが、それはそれとして、実際に来られなかった人がいて、そういう人たちに見てもらえなかった作品があるというのは事実である。ならばこの際、「散策展」に出品した作品を、ここで紹介しようというのが、本稿の趣旨である。

 

 グループ展であるからには、どういう趣旨のグループなのかとか、どんな人が来たのかとか、ところで売り上げはどうだったのかとか、そうした現実的世俗的な問題もあるにはあるが、それはここではふれないことにする。それぞれ、微妙にデリケートな面もあり、それらを検証・考察・記述することがむしろ消耗につながりかねないからである。あくまで「散策展」に出品した私河村の作品のブログ上での再録ということである。

 

 一つだけ記すならば、今回の7点の出品作の選択で私自身が心がけたのは、出品数は少なくても(とは言いながら結果としては一番多く並べたのであるが)、作品世界においてある程度の幅広さを提示したい、ということである。出品メンバーの関係が、作品傾向や思想・テーマの上での共通性に基づいたものではなく、大学・予備校での知り合いといういわば同窓展的なニュアンスに立脚したものであったことから、そんなゆるやかな選択をしたのである。

 それぞれの作品間の関連は、基本的にはない。会場での展示、配置等のイメージも、個人としては当然ある程度はあったが、実際には画廊の方がすべて行われ、私は全く関与していない。そもそも展示空間ということでは、ある程度以上の大きさのある会場の個展でないかぎり、あまり興味が持てないというか、たいした問題ではないと思っているのである。

 

 なお、以下に掲載する画像は額装する前に撮影したものである。額装すればまた印象も多少変わる。また、紙の作品によっては反りや歪みがそのまま撮影されているものや、平面ゆえの歪みがそのまま出ているものもある。印刷の際など、本来はフォトショップなどで加工すべきなのであろうが、私にはできないため、そのまま掲載せざるをえない。御容赦を乞う次第である。

 以下、作品紹介。

  *凡例:出品番号 「作品タイトル」(作品番号) 制作年 サイズ 技法及び素材 発表 

 

 

1.「神殿」(680)

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2015~2017年 P80 自製キャンバスに樹脂テンペラ・油彩 未発表

 

 部分的にある、タッチで表現したところをのぞいて、すべての形を定規、コンパス等を使用して幾何学的に描いた。幾何学的色面によってのみ画面を構成すること。イメージのきっかけはモロッコのマサドラ(神学校)やトルコのモスクなどのありようである。結果としてやはりある種のエキゾチシズムが出てしまった感はあるが、それはやむをえない。

 

 

2.「立つをみな」(678)

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2015~2016年 P6 自製キャンバスに樹脂テンペラ・油彩 未発表

 

 「をみな」とは「おんな」の古語。モデルはいない。意味もほとんどない。想像の産物である。何となく高飛車で現代的な謎の女。

 

 

3.「渡海」(530)

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 2008~2010年 29.7×35.3㎝ 和紙(紅花漉き込み:軍道紙)に膠引き、コラージュ・アクリル・蜜蝋・油彩・凧糸 パレット画廊(周南市)/2011年

 

 今回出品した中では最も古く描きだしたもの。あきる野市にあるあきる野ふるさと工房では東京で唯一残っている手漉き和紙、軍道紙を作っているが、そこで注文して作った紙を使用。紅花が漉き込んであり、いささか表情が強すぎるが、それをどう活かすかということ。結局あしかけ3年もかかってしまった。なかなかまとまらなかったが、画面左下の、たぶんミャンマーあたりの小舟に乗った僧侶の写真をどこかの雑誌かパンフレットで見つけていっきょに完成した。作品タイトルもそれに由来しているが、もう一つ那智あたりで行われていた「補陀落渡海」のイメージも滑り込ませている。曼荼羅の左下の女性像は昔のフランスのお札の絵柄。

 

 

4.「南方の話」(563) 

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2010年 42.5×57.3㎝ 台紙に厚口和紙・膠引き、アクリル・油彩・コラージュ・砂  パレット画廊(周南市)/2011年

 

 中央に貼りこんであるのはトルコで買ったコーランの一頁。モンゴル仏教のお経やスリランカの貝葉経、道教の護符、寺社印、聖書など、宗教的な紙ものを素材として使うことがあるが、それらは日本の漢文の本や謡曲本、ルーン文字ギリシャ語の詩集等の、様々な言語・文字に対するのと同等の興味からである。むろん宗教そのものへの(批判的、比較文明論的な)関心はある。

 この作品に関してはいたって単純で、異国趣味(エキゾチシズム)であると言えばその通り。一つの文字の記された形(頁)を中心に、どのように魅力ある異文化、異風土を感じさせるかということ。上の左右の隅の青色は40年ほど前に山梨で入手したアズライトの鉱石をその後精製し(てもらっ)たもの。下の左右の隅の円弧はスリランカで採取した土だったか。周辺の銀彩はマージンであり、本来はマットの下に隠れる部分。

 

 

5.「胡姫」(565) 

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2010~2016年 31.4×23.5㎝ 厚口和紙にアクリルクラッキング地、樹脂テンペラ・油彩 未発表

 

 イメージの源はずいぶん前、20年か30年くらい前の新聞に載っていた図。図柄はほぼそれを忠実になぞっているが、左右の向きと大きさと色合いを変えてもう1点並行して描いた。図だけを切り取ってスクラップしていたのだが、解説の部分は切り取っておかなかったので、どこのどんなものだか、作者も、大きさも、素材も、何も知るところがなかった。4年前にインドに旅し、タジマハ―ルの一画にある美術館に入ったところ、その実物があった。10数㎝ほどの、何と象牙の薄板に描かれたミニアチュール。薄い象牙のゆえか、半透明感のある、実に美しい絵だった。それに比べ、本歌取りを狙った私の作品のなんと下手糞なこと!赤面ものである。まあ、あしかけ7年もかかった(実際何度か途中で放棄しようかと思った)事に免じて、勘弁してもらいたい。その美術館では撮影禁止だったため、写真は撮れず、いまだに作者の名前も知らないが、影響される源はまあ、そんなものであっても良いと思っている。ちなみに今回は作者の名前がわからず、できなかったが、いつもは他の作者の作品からはっきりと引用、サンプリングする場合には、その作者がわかるような頭文字とかをタイトル中に入れることにしている。

 周りのひびわれた部分はクラッキングという名のアクリル系の内装用の塗料。2種類の塗料を混ぜ合わせて使う。20年、あるいはそれ以上に買ったもので、今はよくわからないが、当時は一斗缶入りでしか売っておらず、そんなに量を使うものではないため、いまだに大量に残ってはいるが、もう賞味期限切れというか、使えないのではないかと思う。処分するのもたいへんだ。

 

6.「晶徴」(686) 

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2015年 51.2×36.2㎝ 台紙に和紙(宇陀紙)、鉛筆・銀筆・アクリル・水彩 未発表

 

近年というか、長く画面に現れてくる三角錐状の形体を、単独ではなく、組み合わせるということに最近少しこっている(?)。三角錐状の形体は一種の象徴装置。その「象徴」の「象」を「晶」の時に置き換えてみる。そうした言葉遊び、文字遊びの例も最近少し多い。

 

 

7.「森の中で」(706) 

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2016年 35.3×28.7㎝ 和紙に水彩・アクリル・アラビアゴム 未発表

 

 北方、あるいは北欧の旅の印象というか、イメージ。紙を使った作品ではほとんど膠(ドーサ)をひいて目止めをするが、ここのところ目止めをしない生のままの和紙を試みている。単独ではほとんど使わない透明水彩やアラビアゴム+顔料の味ももっと追究してみたい気もあるが、やはりしっかり絵具を置くということでは今のところアクリルにならざるをえない。グアッシュはなぜか相性が悪いというか、使いこなせない。墨を使うというありがちなことはしたくない。課題である。

 

 以上、7点。

 カテゴリーとしては「個展」ではないし、「美術・展覧会」でもよいが、ここは主に他者の作品や展覧会を扱う場だし、やはり「逍遥画廊[Gallery Wandering]」ということになるだろうか。あらかじめ計画的に設計したカテゴリー群ではないので、今一つ使い勝手が悪い面もあるが、まあ融通無碍ということにしよう。

カタクリの咲く尾根 46年振りの寂地山

 5月1日。夕方からの飲み会(高校同期会)に合わせて、東京ステーションギャラリーで開催中の『アドルフ・ヴェルフリ展』を見に行こうと家を出かけたとき、電話がかかってきた。

 山口県周南市のパレット画廊から、社長のHさんが亡くなられたとの報。享年79歳。2日が通夜、3日が葬儀。最近は癌の再発で入退院を繰り返され、この四月に予定されていた私の個展も延期と決まったばかり。あるいは、とも思ってはいたが、こんなに早いとは思っていなかった。Hさんとは30年以上の付き合いがあり、お世話になった。恩もあれば義理もある。通夜葬儀には行かねばならない。

 隣の下松市に住む姉に連絡し、宿を確保。ついでに防府市在のKに連絡を入れる。2日に山に登る予定で、3日以降も空いているとのこと。これでとりあえず行けば何とかなるというめどは立った。

 

 翌5月2日、ちょっとした踏切事故のせいで、予定より遅れたものの、通夜には少し遅れた程度でなんとか間にあった。3日、葬儀。多少の感慨あり。終わって下松の姉の家にいったん戻り、明日の予定を考える。

 事前にKに連絡を取った以上、山に登るという選択肢は当然あったのである。再度Kに連絡を取ってみると、前日に登っているにもかかわらず、若干の行き違いもあったらしいが、4日にもまた登ることになったという。行き先は山口県の最高峰(1337m)寂地山。高校生の時にすでに二度登っているし、今回としては、ちょっとイメージ的にハードに過ぎるかなと思った。しかし同行メンバーを聞くと、高校山岳部の後輩のF嬢、W嬢、S嬢が一緒だとのこと。何だ、これは、高校山岳部の再現ではないかと驚く。F嬢とは4月にも大峰に同行したばかり。ここのところ、妙に故郷山口との縁が深まっているような気がするが、それこそまさに縁というやつであろうか。ともあれ参加を表明。ルートや計画はKにお任せである。その夜は、なぜか地元防府の飲み会にも急きょ参加したあと、例によってK宅に泊めてもらう。

 

 5月4日、K宅を出てS嬢、W嬢をピックアップ後、玖珂インター近くでF嬢と合流。寂地山へは錦川沿いに進むが、車で行くのは初めてで、どこをどう走っているのかよくわからない。しかし、天気は良く、新緑の錦川沿いの景観も水の流れも実に美しい。

 登山口にあたる寂地峡駐車場に10:10着。意外にもというか、この時期当然というべきか、満車に近いぐらい多くの車がある。ということは、みな当然登り始めているわけだ。身支度を整えて、犬戻峡沿いの舗装された林道コースを歩き始める。46年前にはこのメンバーでそろいの赤い山シャツ、大きなキスリングザックを背負って歩いていたのだと思うと、なんとも不思議な気がする。

 

 ↓ 舗装された林道を歩く。

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 途中青いユニフォーム姿の高校生らしき10名ほどの集団とすれ違う。何気なく振り返ってザックを見ると「防高登山部」と書かれている。後輩だ。現役「防高登山部」と46年後の「防高山岳部」の邂逅。少しだけ言葉を交わす。

 われわれの頃の「山岳部」はだいぶ前に「登山部」と名を変え、現在は男女ともインターハイの常連校、強豪校として有名であるらしい。クライミングも盛んで日本人女子として初めてワールドカップで優勝(!)した小田桃花なども輩出している。部員数も35名と多く、われわれの頃と比べると雲泥の差、隔世の感がある。とはいえ、ほぼ何の規制もなく、それなりに自由にやっていたわれわれの頃に比べ、「インターハイ優勝が目標」などと競技性があまり強調されることには違和感を覚えるが、まあそれは年寄りの余計なお世話というものだろう。ちなみに今回の女性三名は、45年前に女子パーティーとして山口県から初めてインターハイに出場したメンバーである。もっとも、その当時女子のいた山岳部は県内で一校しかなかったという事情もあるが。

 今回は新人歓迎合宿とのことであるが、この先行の10名ほどは訓練に特化した、いわば精鋭であるらしい。その後も新人をまじえたグループや一人離れて最後尾から来る顧問の先生などが続々と降りてくるのに出会った。とにかく偶然とはいえ、ここでも故郷との深い縁を感じさせられた出来事であった。

 

 ↓ 犬戻峡遊歩道

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 しばらくすると林道は右に大きく尾根を回りこむようにカーブし、左に谷の左岸沿いの犬戻峡遊歩道が分かれる。そちらに入る。よく整備されており、歩きやすい。前方左に三段の立派な滝が見える。本流なのか支流なのか、ちょっとわかりにくい。地図上では顕著な支流は見当たらないのだが。そこからすぐに犬戻の滝に着き一服する。

 

 ↓ 水量からすれば本流だと思うが、地図にはこれにあたる滝記号なし

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 ↓ 犬戻の滝と若者たち

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 ここにも若者が大勢いる。聞くと今度は山口高校山岳部(登山部?)のやはり新人歓迎合宿だという。新緑の光あふれる渓谷の、なんとも若々しい光景である。それは60歳をとうに越えたわれわれを逆に照射し、年月なるものの残酷さというか、当り前さを感じさせずにはおかない。だがまあ、この美しい風景の中でそんなことを思ってみるのも鬱陶しいだけだ。ともあれ、近年絶滅危惧種と言われていた学校山岳部であるが、先日の那須での高校山岳部合同訓練の雪崩遭難に関連して報道された記事で、高校運動部に所属している人数が柔道部に次いで16位というのには少々驚いた。悪いことではない。若い時に山に登るのは基本的に良いことだ。そこから先は当人の問題。競技性も結構だが、山という大いなる自然性を充分に味わってほしいと、老婆心ながら、願うばかりである。

 

 滝や渓谷の美しさよりもむしろ若者たちの姿に感動した後、ふたたび谷から離れ、林道を辿る。ほどなく林道終点登山口の表示があり、そこから山道となる(12:00)。とはいえ、あいかわらず良く整備されており、歩きやすい。スミレ、ミヤマカタバミ、ネコノメソウ、キケマンなどを愛でつつ、1ピッチで尾根に乗る。

 

 ↓ ??スミレ 詳しくは知らない

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 ↓ ミヤマカタバミ ピンボケ

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 辿り着いたなだらかな尾根上は一面のカタクリの花。カタクリがあるとは間際に聞いていた。カタクリならすでに盛りは過ぎているが、自宅周辺にいくらでもある。とはいえ、ここほどの規模のものではない。特に期待もしていなかったが、実際には見事なものである。

 

 ↓ カタクリの群落

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 ↓ ちょっとズームで。 この花弁の反りっぷりが潔い。

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 ↓ カタクリを撮る。枯れ枝の結界。(撮影:K氏)

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 頂上はそこから一投足(13:20)。1337mの山口県の最高峰である。山塊としてはすぐ近くの冠山1338.9mの方がわずかに高く、三角点もそちらに置かれている。46年前と47年前に来た時はいずれも三月だったため、雪もあり、誰とも会うことのなかった山頂だが、今回は多くの人がいる。カタクリの咲くゴールデンウィークが、この山のハイシーズンであるようだ。それなりに良い頂上だ。大きな橅の木が立っている。中国山地最大級と言われる橅林だそうだ。東日本で見る地衣類をまとった白い樹肌と違って、緑色の苔類をまとっている。

 

 ↓ それぞれ色々あったでしょうが、46年ぶりのこのメンバーで、この頂上

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 珍しく、コンビニ弁当以外に、インスタントみそ汁やフルーツ、ケーキ、コーヒーまである豪華な昼食をとる。たまにはこういうのも良いものだ。

 頂上からはいったん先ほどの犬戻峡からのコースの合流点まで戻り、そのまま直進して右谷山を目指す。ルートは幅広くなだらかな尾根。ずっと樹林帯だが、芽吹いたばかりの落葉広葉樹が多く、この時期は明るい印象である。木の間越しに中国山地の山々が遠望できる。かつてはドンくさいだけで、さほどの魅力も感じなかったが、今こうしてみると、新緑のせいもあるのか、それなりに魅力ある山域である。それは、私自身の山に対する鑑賞能力が高まったということもあるだろうが。

 

 ↓ なだらかな橅の縦走路。

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 ↓ 振り返り、冠山遠望。

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 ↓ 中国山地の山々 (撮影:K氏)

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 道の左右にはずっとカタクリの群落が続く。自生地に立ち入らないようにと書かれた小さな看板がところどころにあるが、ロープなどは張られておらず、わずかに倒木や小枝を利用した結界があるだけで、それも感じが良い。

 行きあった何人かの人に白いカタクリがあると教えられ、それとなく見てゆくと確かにいくつか白いカタクリがあった。雄蕊の先はわずかに薄い青緑。アルビノということだろうか。独特の孤高というか、清楚な印象である。

 

 ↓ 白いカタクリ。残念ながらピンボケ。

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 ↓ 同じく白花カタクリ。同じくピンボケ。

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 みのこし峠、15:08。風邪をひいて体調があまり芳しくなかったS嬢が、右谷山には行かずここで待っているという。待っているくらいなら先にゆっくりと降りることをすすめると、KやF嬢に比べ、最近の山歩き経験がやや少ないW嬢も付き合うと言う。多少残念だが、あまり右谷山に未練のなさそうな二人で先に降りてもらうことにして、残る三人で右谷山を目指す。急にペースの速くなったKとF嬢の後を追いかける。1260m圏の錦ヶ岳(地図に山名記載なし)の少し先が右谷山1233.9mの山頂(15:35)。特にどうということもないが、悪くない。標高の数字に若干の趣味的こだわりをもつ私としては、四捨五入すれば1234mとなるこの山は貴重だ。ともあれ、初めての山頂だ。少しばかりの感慨あり。

 

 ↓ みのこし峠~右谷山の間

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 ↓ 私は別に機嫌が悪いわけではありません。

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 写真を二三枚とっただけでみのこし峠に引き返す。下りは寂地峡沿いの、やはり歩きやすい道。

 

 ↓ 穏やかな寂地峡上流部 (撮影:K氏)

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 途中不思議な石組の構築物を見た。炭焼き釜かと思われた石組の下に、もう少し規模の大きなものがある。帰宅後調べてみたら、かつてこのあたりで伐採をした木を、水車を利用して製材したその施設の跡だとのこと。水車で帯鋸を回したということか。それだけの設備を必要としたということは、ずいぶんと伐採したのだろう。伐採される前の樹林におおわれた山は、どんなだったのだろうか。見てみたかったような気がする。

 

 ↓ 水車利用の製材所跡

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 おだやかな上流から下るほどに谷は深くなり、まもなく木馬トンネルにさしかかる。その手前の寂地峡左岸の尾根上にある、小さいが面白かった記憶のある岩峰、竜ヶ岳は落石のため登山禁止の鉄柵が設置されていた。

 

 ↓ 真っ暗な木馬トンネル入り口

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 木馬トンネルもかつて通過したはずだが、全く記憶にない。頭のつかえそうな内部は真っ暗で、意外に長い。左に五竜の滝経由のルートも分かれていたが、楽で早く着ける方のルートを選び、ほどなく寂地峡駐車場に着いた(17:25)。先に降りた二人ものんびり降りたせいか、ほんの少し前に着いたばかりだとのこと。

 

 全く予定のなかった時期に、まったく登る気のなかった山だったが、結果としては良い山行になった。期せずして46年ぶりに一緒に登ることになったW嬢S嬢をはじめとする、防高山岳部という縁の取り結ぶ「人」のゆえでもあり、全く期待していなかったカタクリをはじめとする花々のおかげでもある。登山としては難しいところも急登もなく、穏やかに楽しめるコースだった。周辺の沢や藪尾根といったバリエーションルートを探るなどということは、今の私にはありえないだろうが、その気になれば魅力のある山域だと思う。

 東京に終の棲家を定めた現在、山口県中国地方の山に登る機会は、今後ともそう多くあるとも思えないが、少なくともKやF嬢にその気がある限り、可能性はいつでもあると思えるのは、なんとも心楽しいものである。御両人、そしてWさん、Sさん、機会があったらまたよろしくお願いします。

 

 ↓ 寂地山で見た花:ボタンネコノメソウ (ヨゴレネコノメソウだと思ったが、帰宅後調べたらボタンネコノメソウだった。ちなみにヨゴレネコノメソウはイワボタンの変種だとのことで、なかなか奥が深いというか、よくはわからない)

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 ↓ 寂地山で見た花:名前はわからない。これもピンボケ…。

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 【コースタイム】2017年5月4日

寂地峡駐車場10:20~犬戻の滝11:10/20~林道終点登山口12:00~寂地山頂上13:20/14:15~みのこし峠15:08~右谷山15:35~みのこし峠16:05~木馬トンネル~寂地峡駐車場17:25

伊勢・大峰・大和への旅(観音峰山・三輪山) その2

4月12日 雨後曇り 強風

 前夜半から嵐。台風並みの低気圧だとか。朝になって雨は多少小やみになったが、相変わらずの強風。もとより八経ヶ岳へのアプローチの林道も通行禁止で、登りようがない。登山は中止、強風の中、天川村観光の一日である。今日もA君に付き合ってもらうことになった。感謝。

 最初に予定していた面不動鍾乳洞は、風雨のせいか、閉鎖されている。幸先が悪いが仕方がない。円空仏があるという栃尾観音堂に向かう。

天川村は2015年12月で人口1558人(「天川村公式サイト役場ページ」による。)というから、やはり過疎の村と言うべきであろう。それでも大峰山洞川温泉があるために、観光客は県内では奈良市についで二番目に多いそうだ。また、日本史で重要な意味を持つ南北朝について私の知るところは少ないのだが、調べれば面白そうである。その南北朝の歴史があらゆるところにまとわりついているのが天川村であるようだ。とはいえ、やはり人家は少ない。また、数年前の台風で大きな被害をもたらした土砂崩れの修復工事が今も続けられているのが、あちこちで見うけられた。

 

 ふと見ると道路の脇に立派な滝が落ち込んでいるのが見えた。みたらい渓谷だと言う。かたわらに遊歩道があるようで、これを見逃す手はない。行がけの駄賃とばかり、車を降り、遊歩道に入ってみる。沢の上にかけられた吊橋から滝を見下ろすことができる。強風のせいもあり、連瀑とゴルジュの、なかなかの迫力である。そもそも大峰・台高をはじめ、紀伊半島は沢登りの王国でもあった。私自身は結局、果無山脈の中級の沢、八木尾谷を一本登っただけで終わってしまったが、数々の豪快な沢に憧れたこともあった。その王国の片鱗に予期せず遭遇したということだ。連瀑の先にはナメとさらに滝が続いているようだが、遊歩道をこれ以上辿ってみても仕方がない。思いがけぬ出会いを写真に撮って車に戻る。

 

 ↓ みたらい渓谷を見下ろす 

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 ↓ ナメの奥にも滝がある  

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 円空仏の安置されている観音堂は、そこから少し行った天ノ川左岸の栃尾集落にあった。A君の顔見知りの方が堂守をされているとの由。そもそも「堂守」と言う言葉が今も生きているという事自体が驚きである。折よくそこに居合わせたその方に許可を得て小さな御堂の中に入り、三尊の立像と一回り小さな護法神を見る。格子戸越しでやや見づらいが、それはしかたがない。撮影は遠慮したが、中でも護法神の造形が味わいがあり、良いものと見えた。円空はいくつもの護法神を彫っているが、聞けばここのものはその最初のものだとのこと。そうした初めての作ということのみずみずしさも現れているように思われた。護法神ヒンドゥーに由来するものが多いが、円空のそれは、彼自身の個性をへて、見事に日本化された造形であった。基本的には宗教心を持たぬ私であるが、円空の意図するものの、少なくとも一部は、感知できるように思われた。

 

 ↓ 栃尾観音堂の外観  

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 一通り見終わって、外にあった案内板を読む。最後の方に書かれていた「昭和四十八年七月二十日より八月十四日まで、朝日新聞社主催の『円空・木喰展』に出展される」という一文が気になった。昭和四十八年、私は18歳。その年、私は浪人して東京に出てきており、「円空・木喰展」を見た記憶がある。確か、東京に出て初めて見た展覧会ではなかったか。

 

 ↓ 案内板  

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 私は東京に出てきて以来、見た展覧会のチケットはほぼすべてとってあり、今はそれらをファイルに整理して保存している。それ以前、東京に出て来るまで見た展覧会は、小学生の時に学校から引率されて見に行った「山下清」と、高校生の時に悪友と一緒にヒッチハイクで福岡まで見に行った「ミレ―展」の二つだけ。東京に出てきて初めて見たのがこの「円空・木喰展」だったように記憶している。

 帰宅後、確認してみたら写真のように、間違いなくその「円空・木喰展」のチケットが一番最初のページに貼ってあった。また、正確な年度はわからないが、同じページには「古代シリア展」、「大ポンペイ展」、「横山操展」などのチケットが貼ってある。つまり油絵科の受験生でありながら、油絵以外のものを多く見ていたことに、今振り返ってみても、何か自分らしいなという感慨を禁じえないのである。

 

 ↓ これが証拠の昭和48年のチケット。この護法神栃尾観音堂のそれではない。 

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 ともあれ、44年前に見ていたのである。偶然と言えば偶然でしかない。だが、もともとここ大峰に来る気になったのも、Fを通じてA君と知り合ったという偶然の所産である。それも山に登りに来たのであって、円空仏があるのを知っていたわけではない。そもそも予定通りに天気に恵まれ、山に登れていれば、ここを見に来ることはありえない。また堂の外の案内板に上記の説明文が記されていなければ、それが44年前に見たものであるということを気づきようがないのである。かなり精緻に織りなされた偶然である。世界はそのようにできている、ということか。後になってじわじわと感動が滲みだしてきた。

 なお帰宅後の事後学習で知ったのだが、この一帯は、栃尾観音堂や洞川温泉街、みたらい渓谷などを含めた55の項目をまとめて「森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしとこころ~美林連なる造林発祥の地“吉野”」として文化庁から「日本遺産」に認定されているとのことである。何とか百名山、何とか100選といった行政のお墨付きリストアップが大流行りだが、へそ曲がりな私としてはそうした他者の決めた価値観にはウンザリなのだが、まあ色々な考え方もあるということで、ここではあまり毒づくのはやめておこう。

 

 その後近くの「天川薬湯センターみずはの湯」で、昼風呂を味わう。

 いったん洞川まで戻ってみると、朝は閉まっていた面不動鍾乳洞が開いている。話のタネにと、材木の形をしたおもちゃのようなモノレールに乗って入口へ。内部は小規模なもので、色調が変化するライトアップはきれいと言えばきれいであるが、特段言うべきものでもない。近くには他にいくつもの鍾乳洞があり、中でも昨日の母公堂登山口近くにある、やはりA君のお祖父さんが拓かれたという五代松鍾乳洞はより見応えがあるらしいが、まだ閉鎖中とのこと。

 

 ↓ 面不動鍾乳洞 一巡20分ぐらい  

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 一通り見終わってこれも帰りがけの駄賃とばかり、動鍾乳洞の入り口から続く遊歩道に足を踏み入れてみる。20分ほどでかりがね橋なる吊橋にさしかかる。「かりがね」とはふつう「雁」のことだが、このあたりでは「岩燕」のことを言うとのこと。所変われば名前も変わる。落下防止のためだろうが、左右上下、金網で囲まれた吊橋というのも初めて見た。一応渡ってみたものの、そこからはまた登りになるし、雨がまたぱらつき始めるしで、降りて宿に戻ることにした。

 かくて曇天時々雨、強風下の観光の一日は終わった。

 

 ↓ かりがね橋  Kは高所恐怖症

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4月13日 曇りのち晴れ

 下山、春合宿解散の日。解散後、Kは東京へ各種健診に、F嬢は京都へ一人旅の途へ、私は葛城市在の友人宅訪問へと、三人それぞれの予定がある。せっかく名だたる桜の名所吉野の近くに来たのだからと、帰りがけの駄賃に、とりあえず人出の多い吉野を避けて、地元の人だけが知るという桜の古木が一本だけあるという穴場に向かった。吉野の近くの、限界集落の一画の高みにその古木はあった。あったが、残念なことにまだ蕾は固いまま。一期一会である。すぐそばの廃校となった分校跡地の満開の二三本の桜にわずかに気を紛らわせるものの、かえってKとF嬢は刺激されたようで、人出の多さをかえりみず、吉野に寄って行くという。その二人を裏道から送り届けて、A君と葛城市へ向かった。

 

 ↓ 隠れ吉野の古木 蕾は固し  

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 ↓ 廃校となった分校跡のこちらはきれいだった  

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 この辺らしい昼食をということで、吉野そうめん(にゅうめん)を食べに、たまたま入った店が、大神(おおみわ)神社のすぐそば。大神神社とは三輪神社のことなのか、とすれば当然裏にあるのは三輪山か?などと話しているうちに、登れるのか?ということになった。私は、三輪山は三輪神社=大神神社の御神体なのだから、登れないのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、あにはからんや、登れるという。修験道の本場大峰天川村に住んでいるA君にしてもぜひ登ってみたいと言う。(かつては実際に「禁足の山として入山が厳しく制限されてきました。近代になり、熱心な信者の方々の要望もあり、特別に入山を許可することとなり現在に至っています:大神神社HPより」とのこと。)

 行き当たりばったりではあるが、登山(登拝)口の狭井神社に行く。登拝料300円なりを払い、「三輪山登拝証」のたすきをかけさせられ、あれこれと禁止事項の多い注意をかなり高飛車に授けられる。「一般の登山・ハイキングとは異なる」そうだからやむをえないが、まあここはルールに従うしかない。ちなみに飲食は禁止だが、水分補給は可とのこと。撮影禁止もかまわない。トイレ禁止も納得はできるが、山に入るとトイレが近くなる私としては少々困る。だが仕方ない。しかし「九、宗教活動及び勧誘行為などは謹んで下さい。」というのは、揚げ足取りと承知で言えば、読みようによっては??である。登拝=宗教活動ではないのか。

 竹杖を手に登り始めると、実によく整備された歩きやすい道。狭井神社で渡された案内図によれば、神社の標高が80m、山頂=興津磐座?が467.1mだから標高差は約370m。ちなみに帰宅後確認した地理院地図では神社120m、三輪山山頂三角点466.9mだから標高差は約350mとなっている。どちらが正しいのか。

 

 ↓ 地理院地図による三輪山 またしても横にならない 

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 山全体が神域ということで、自然のままに保たれているはずで、照葉樹の多い南西日本の森林相であるが、特に面白いものでもない。出合う人もやはりハイキングではなく登拝ということなのか、粛々といった雰囲気である。御神体ということで裸足で登っている人も二三人いた。山としては、基本的には単なる里山で、祭祀遺跡であるという中津磐座なども特に注意をひくものではない。

 頂上と思われるところは興津磐座として一帯に立ち入り禁止のロープが張り巡らされており、その周りを一周することもできない。三角点の存在も確認できない。離れた処にあるのか。

 ともあれ、予定外ではあったが一山登った、それもずいぶんと由緒のある山に登ったということに満足して、下山にうつる。

 登拝口も近くなったあたりで傍らの小沢に向かって何人かが騒いでいる。「沢の中に何か動く動物がいる」。撮影禁止ゆえ使い道のなかったカメラのズームでのぞいて見ると、どうやらフクロウの子が巣から落ちて沢の中で鳴いているようだ。ヒナとはいっても大型。助けるべきだとか、神域だからそのままにしておくべきだとか、議論は続いているが、われわれはそのまま元の登拝口に戻った。近くの小公園の満開の枝垂れ桜越しに見た三輪山はやさしくおだやかな風情であった。

 

 ↓ 三輪山 

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 ↓ 記念写真 

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【コースタイム】4月12日 曇りのち晴れ

狭井神社12:55~三輪山頂上13:45~狭井神社14:25

 

 その後、ちょっとした必要もあり、桜井市にある喜多美術館に立ち寄る。個人コレクター(旧山林地主)による近現代美術の小さな美術館。小さいがなかなか良いコレクションである。ゴッホピカソからボイスやデュシャンの「グリーンボックス」「スーツケース」まである。言うならば吉野の山林が作ったコレクションである。ただし、私立ゆえの維持保存の苦労はそれなりにしのばれる。

 

 その夜は葛城市のF宅にA君とともにお世話になった。一晩心おきなく飲む。

 翌日は近くの當麻寺を見る。初めてだと思っていたが、途中で40年前の大学の授業、古美術研究旅行かあるいはその後に、一度は訪れたことがあることに気づいた。憶えていないものだ。

 その後、和歌山にあるFの別荘に行こうという誘いを振り切って、帰途についた。家を出てちょうど一週間。そろそろアトリエに戻りたくなったのである。

 

 蛇足ではあるが、今回、大峰、三輪山當麻寺と宗教関連の地を訪れる中でふと思い至ったことがある。それは仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、およそ「宗教とは善意から発して悪と成るもの」ということである。誤解を招きやすい表現だと承知しているが、世界のあちこちで見てきたそれぞれの場、建築等の施設の豪華さ、今現在の維持の熱意や行政との関係、等々を見てそう思うのである。多くの人は、多かれ少なかれ、宗教を必要とする。その必然性もわかるが、また「宗教はアヘン」と言われるゆえんにも思い至らざるをえないのである。

 

 もう一つ、疑問というか、謎が残っている。標高の違いについてはすでに述べたが、地理院地図の写真を見てもらえばわかるように、三輪山山頂に至るには三四本の道記号が記されている。頂上には三角点もあるはずだし、そこから東に延びる尾根上にも道記号が記されている。しかし実際三角点があるとおぼしきあたりは立ち入り禁止のロープ。尾根伝いに進むことはできそうにない。三輪山が信仰の対象だということはわかる。しかしそこは神社の私有地(?)なのか、厳しい規制をする権利がそもそも神社サイドにあるのか、地図には記載されている山道を自由には歩けないのか、という疑問である。

 まあ、宗教のからむこの手の疑問に深くかかわる気もないのだが、素朴な疑問としては、今もあるのである。

 

 ↓ 帰途の新幹線から見た絶品の富士 

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                       (記:2017.4.20)

 

伊勢・大峰・大和への旅(観音峰山・三輪山) その1

 伊勢から大峰、大和へ、一週間の旅をした。三つのテーマ、三つの目的地、三つのパーティーの小旅行を一つに合体させたものである。

 

 一番目の旅は、高校同期の飲み会仲間との年に一度の小旅行。毎年桜を見ることが口実の一つである。4月8日、8:10東京駅集合に合わせて、前夜上野駅前のカプセルホテルに泊まった。これが大失敗。これまでも早朝の集合となると、私の普段の生活ペースでは前夜ほとんど寝ることができず、結局旅先で辛い思いをすることになる。そのため今回は余裕をもって一工夫したつもりだったのだが、うるさいやら、暑いやら、不快やらで、結局ほとんど眠れなかった。結論:私にはカプセルホテルは合わない。

 

 ともあれ、時おり小雨のぱらつく9日、伊勢に着いた。ここで東京組と山口組計10名が合流。この日最大唯一の目的地、伊勢神宮を訪れる。その歴史や意味に大いに興味はあるものの、これまで正面から相対したことはなく、当然訪れたことはなかった。こんな機会でも無ければ、おそらく一生訪れることはないだろう。正しい作法(?)にのっとって、外宮に参ってから、有志数名で歩いて内宮に参拝した。伊勢神宮そのものについては、本稿は一応山行記がメインなので、ここではふれない。というか、あまり書くことがない。個人的な感想としても、現地に身をおいたという体験で特に得られたというものは何もない。やはりその歴史と意味に正面から相対しない限り何もえられないというか、私とは縁が薄いということなのだろう。

 

 ↓ 伊勢の印象 その1 「中心は空白」

   西南日本で私の最も好きな樹は楠。(ちなみに東北日本では橅[ブナ:山毛欅、椈とも書く]である。)

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 ↓ 伊勢の印象 その2 幽玄の彩

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 その後、志摩の賢島の宝生苑ホテル、例の何年か前にサミットの記者会見が開かれたということでにわかに有名になったホテルに投宿。ここも何も言うことはない。松阪牛も伊勢海老も出なかった。

 

 ↓ 志麻の印象 花くだし―滅びの絢爛

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 翌10日、鳥羽での観光を楽しんでから帰宅する8名と分かれて、山仲間のKと下市口に向かった。これまで全く縁の無かった土地。途中の車窓の景色を楽しみにしていたのであるが、おりからの曇天と、引き続きの寝不足でほとんど眠っていた。下市口で単身山口より参加の、後輩のF嬢と合流。午後一本きりの、一時間半のバスの旅。ときおり見える、驚くほど急傾斜の山腹に巧妙にへばりついている集落に目を瞠らされるものの、やはりほとんど寝てしまっていた。終点、天川村洞川(どろかわ)温泉着。旧知のA君に迎えに来てもらい、彼の経営する民宿翠嶺館に到着。ここから二つ目の旅の目的、防高山岳部OB会春合宿、大峰登山が始まる。

 

 洞川温泉で民宿翠嶺館を経営する若いA君と知り合ったのは昨年、だったか。画家でもある彼の大学時代の先生F(奈良県在住)が私の古くからの友人であり、その友人と私の共通の恩師の作品にA君が惚れ込んだということからきた付き合いでる。もちろんそこには、A君の画家としての可能性を認めたということが、前提としてある。その縁で昨年秋にF嬢をまじえて洞川から山上ヶ岳等を計画したのだが、今も残る女人禁制のためにいったん挫折して、その時は九州の祖母山に転進した。

 本来であったら、私はこの時期は個展の予定が入っていたのだが、先方の事情により延期となった。その結果、不参加のはずであった上記の伊勢志摩旅行に参加することとなり、ついでにといったつもりで大峰行きを組み合わせたところに、高校山岳部の後輩F嬢も参加することになり、山岳部OB会春合宿とあいなった次第である。Kはもともと同期会も山岳部OB会もメンバーの一員であり、今年帰郷した山口からの参加である。

 天気が良くないのは事前にわかっていた。そのために天気予報を見ながら直前まで何度も計画を練り直した。当初の予定は初日が、洞川~レンゲ辻~稲村ヶ岳~法力峠~洞川、二日目が行者還トンネルまで車で送ってもらい、弥仙~八経ヶ岳~明星ヶ岳~栃尾辻~天川川合、というもの。だが今年は、雪はさほど多くなかったものの、春になっても気温の低い日が続き、そのため雪が融けていないとのこと。出発前に一週間ほど前のものという弥仙の記録をネット上で見ても、残雪豊かで、冬山そのものであった。K、F嬢共に雪山経験はない。とても予定通りの山行はおぼつかない。

 

4月11日 曇り一時小雨

 宿から最短コースで、ともかく法力峠まで行き、そこで判断することにする。朝食後、すぐ先の母公堂まで車で送ってもらう。登山口(7:40)からは杉の植林帯を行く。傾斜は緩やかで適当な道幅もあり、実に歩きやすい。かつての仕事道を利用した登山道だろうと思っていたが、後で聞くとA君の先々代が稲村ヶ岳に登山道を拓いたさいに、意識してなるべくゆるやかな傾斜で階段等の必要ないルートを心がけて作られたとの由。おかげで終始歩きやすい、疲れにくい道だった。植林帯もさすが林業の本場というべきか、枝打ちや間伐等よく手入れされており、明るい印象である。小さな沢にかかる橋を越え、一回の休憩をはさんで。ほどなく法力峠に着いた(8:50)。

 

 ↓ 母公堂からの登り始め

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 ↓ 法力峠

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 峠からは自然林となり、尾根上を辿らない、トラバース状の道である。上の方になると、橅も生えている。ここまで雪はほとんどなかったが、登るにつれて少しずつ現れてくる。多くはないが、部分的に凍っていて滑りやすい。タイミングを見計らって、このために持ってきた軽アイゼンを着けようと提案したが、まだ要らないという答えが返って来た。使ったことのない二人のために、練習を兼ねて早めに着けようという心づもりだったのだが・・・。

 

 ↓ 自然林の中のトラバース道 芽吹き未だし

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 ↓ 小沢やルンゼには橋がかけられている

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 道は稜線の脇を終始トラバース気味にゆるやかに登っていく。雪さえな

ければ特に問題のないルートであるが、昨年事故があったというあたりを見ると、多少の崩壊があったり、雪があったり、雪崩で倒木があったり、橋が壊れていたりと、なるほどという気はする。

 

 ↓ 雪が出始めた

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 ↓ 雪崩で壊れた橋

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 稜線に出るといきなり風が強まり、雪が多くなる。すぐ先が稲村小屋。入口のあたりはまだ雪で埋もれている。

 

 ↓ 稲村小屋

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 ↓ 稲村小屋 左に掘り下げられた入口がある

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 中には今日小屋の様子を見に来ていた経営者であるA君のお父さんがおられた。「アイゼンは持っているか。ピッケルは」と尋ねられる。軽アイゼンにピッケル無し。そしてすぐに、「ここから急に雪が多くなっており、この先のキレットの通過が危険だ。ここから引き返しなさい。」とのお言葉。納得である。雪の量も多いが、湿った重い雪で、雨交じりの風が強い。小屋の入口の温度計は1℃だから、外の風の中での体感温度は氷点下である。春山ではあるが完全な雪山だ。雪山経験皆無の者の行くべきところではない。中退である。二人は多少の未練があるようでもあったが、ここは当初の代案どおり、転進の一手。少し休憩して軽アイゼンを着け、引き返した(11:05)。

 

 ↓ 引き返し地点 本来ならここから50分で稲村ヶ岳頂上なのだが…

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 軽アイゼンがあると、確かに安全度は増す。本式のアイゼンのようにスパッツに爪を引っ掛ける心配もなさそうだ。前後して小屋を出て、登山道を整備しながら先に着いていたA君のお父さんと法力峠で再会。それとなくわれわれを心配し、見守っていただいていたようだ。感謝。ここから転進する観音峰山のことなど、少し話をして、別れた。

 

 ↓ 小屋から少し離れればこんな感じ。ガスが出始めた。

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 ↓ 途中の小沢を見上げる

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 観音峰山へは稜線上をほぼ忠実に辿る。右側が植林帯、左が自然林で、いくつかのアップダウンがある。ときおり未練がましく稲村ヶ岳の方を見るが、稜線上は雲がかかり、頂上は見えない。途中でガスストーブを出し、暖かい飲み物を作り昼食をとるが、寒い。

 

 ↓ 法力峠から三ツ塚の間

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 ↓ 三ツ塚 植林の中の一地点

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 ちょっと迷いやすいと言われた三ツ塚もなんなく通過し、ほどなくガスがかかり始めただだっ広い観音峰山1347.6mに着いた(14:20)。

 

 ↓ 観音峰山頂上 1347.6m 地理院地図では「観音峰山」、山と高原地図では「観音峰」と記載されている

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 北側は植林帯で、南側もガスがかかり、何も見えない。最近は晴れの日にしか山に行かないため、こうした天気の悪い山は久しぶりだ。それもまた山の諸相の一つであるのは間違いないが、やはり山は晴れていてほしいもの。早々に下りにかかる。

 

 ↓ 観音峰山からの下り

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 しばらく気持の良い樹林帯を行くと、眼前に開けたススキの原が出てきた。立ち入り禁止のロープが張られているが、盗掘等により激減した山芍薬の保護のためとのこと。

 

 ↓ ススキの原 ピーク上に石碑が立つ

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  ↓ 憂い顔で物思いにふけっているかと思いきや、強風に飛ばされて転倒し、膝をぶつけ、痛がっていたとのこと。

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 ピークに建てられた石碑の前に立って見るが(14:50)、やはり大日岳の岩峰も稲村ヶ岳も見えない。そこからはよく整備され(すぎ)たハイキングコース。やや意味不明な観音平の立派な休息所をへて観音峰登山口の休憩所に降り立ち(15:55)、A君に迎えにきてもらった。

 

 ↓ 見やれども大日岳の岩峰も稲村ヶ岳頂上も見えず

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 当初の予定とは大幅な変更(代案通り)で、稲村ヶ岳も翌日の八経ヶ岳も登れなかったが、今回の天気、特に例年にない残雪量では仕方がない。せめて観音峰山という大峰山脈の一峰でありながら、今回のようなことがなければおそらく登ることのなかったであろう山に、ともかく一座だけでも登ったというだけで良しとすべきなのだろう。私個人としてはなるべく近いうちに再訪し、長大な大峰山脈の中の稲村ヶ岳、山上ヶ岳、八経ヶ岳だけは登ってみたいと思っている。

 

 ↓ なぜか横画面が縦になっている。直せない・・・

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【コースタイム】4月11日 曇り

母公堂7:40~法力峠8:50~稲村小屋10:35/11:05~法力峠12:15~三ツ塚12:55~観音峰山14:20~ススキの原・石碑14:50~観音平・休憩所15:10~観音峰登山口休憩所15:55

マイナー・バリエーションルート:小路沢ノ頭北尾根から笹子雁ヶ腹摺山~送電線尾根下降

 二週間前に水野田山から古武山、徳並山と登った。その徳並山南尾根下降の際から見た(発見した)印象が忘れられず、小路沢ノ頭北尾根を登りに行った。

 

 ↓ 徳並山南尾根から見るお坊山(左)から小路沢ノ頭(右)の稜線。右端が小路沢ノ頭北尾根(3月9日)

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 小路沢ノ頭と言ってもどこかわからない人が多いだろう。地理院地図にも山と高原地図にも山名は記載されていない(小路沢の名は記載されている)。まあ、わかる人にだけわかれば良いのであるが、数少ないこの山ブログの愛読者2名が山口県在住で、関東近辺の地理にうといので、少し説明する。

 東西に延びる奥秩父山地の中ほどから南に下がったあたり、黒川鶏冠山に端を発した大菩薩連嶺というべき長大な尾根は、最高峰大菩薩嶺の先で日川を挟んで東西に分かれる。東側(日川左岸)が主稜で、小金沢連嶺とも呼ばれる。ややスケールの落ちる西側(日川右岸)は途中、源次郎岳~恩若峰の尾根や、宮宕山~甲州高尾山の尾根を派生させながら、その主脈は古武山から徳並山に至って日川、中央線に突き当たり、消滅する。

 主稜の小金沢連嶺は途中で牛の寝通りや、雁ヶ腹摺山からの楢ノ木尾根、また大垈山から岩殿山への支脈などを派生させながら南下し、大谷ヶ丸で滝子山を分岐して西に向きを変え、笹子雁ヶ腹摺山をへて笹子峠で大菩薩連嶺の範疇を一応収束させる。

 その大谷ヶ丸から笹子峠までの間にはいくつものピークがあるが、2.5万図に山名の記載があるのは笹子雁ヶ腹摺山のみ。5万図には一つもない。登山用の山と高原地図にはコンドウ丸、大鹿山、お坊山、米沢山、笹子雁ヶ腹摺山と五つの山名の記載がある。小路沢ノ頭は笹子雁ヶ腹摺山のすぐ西の1290mの突起である。この名はその北面に突き上げる日川の支流小路沢から便宜的に付けられたもののようで、もとより確固とした一個の山というほどの存在感はない。

 その米沢山から笹子峠の間に北に延びる尾根が四本ある。一番西の尾根には送電用の鉄塔が並び立ち、2.5万図には道記号が記載され、昔からよく歩かれているようだ(5万図には道記号の記載がない)。この送電線尾根はともかく、残りの三本の尾根が気になったのである。いや、それらの尾根の存在を意識したのは、実はもっと前だ。

 

 ↓ 「地理院地図」のサイトを印刷し赤線を引いて撮影した

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 20年ほど前に笹子から笹子雁ケ腹摺山~お坊山~棚洞山と歩いたとき、笹子雁ヶ腹摺山や米沢山(矢平峰)の山頂から北に延びる尾根にしっかりした踏み跡が続いていたのを確認している。地図で見るとスケールはそれなりでしかないが、すっきりとした感じで、歩いてみたいという気になったのである。山域的にも仕事道程度のものは必ずあるだろうと思った。しかし、当時持っていたいくつかの資料には、その記録なりガイドは載っていなかった。降り口はわかっても、取付きがわからない。尾根はそれが魅力的なものであれば、やはり上から下るのではなく、できれば下から登りたいものであるが、取付きを探すためにわざわざ現地に行く気にはなれないまま20年たった。

 

 前回の徳並山南尾根からの印象に魅了されるままに、帰宅後、珍しくインターネットで調べてみた。するといくつも記録が出てくる。私は山行に関して、あまりインターネットでは調べない。昔から文献で調べることが好きで、慣れているからでもあるが、写真付のネット情報だとあまりにわかり過ぎて、イメージが固定されるのが嫌なのである。文献としては当然出ているだろうと思ってみた松浦隆康の『バリエーション』シリーズ三冊にもなぜか出ていない。出発間際に知ったのだが、それらの前、2005年に出た『静かなる尾根歩き―奥多摩から八ケ岳まで100コース』 (新ハイキング選書)にすでに出ていたのである。同書はすでに絶版で、定価1680円がアマゾンの中古で、なんと4679円。キンドル版で2052円となっている。私はキンドルなんか使いません。「日本の古本屋」ではヒット0。

 ということで、今回は事前にある程度ネット情報をみておいた。とにかく、取り付き点と下山地点の把握がいかに大事かということが、身にしみてわかっているこの頃であるから。

 

 武蔵五日市発7:18、甲斐大和駅9:27着。9:35に歩きだす。セブンイレブンの前の小道を川に向かって下るとすぐに川久保橋。果樹園のような農地のようなところを道なりに進むと、道の尽きかけたあたりで右から小さな沢が入ってくる。その対岸が尾根の取り付きだった。道標やテープ類もなく、初見では確かにわかりにくいだろう。

 登り始めれば細い尾根上に、踏み跡はしっかりある。最初から鹿や猪の気配、痕跡が濃厚で、むしろ彼らがこの尾根の路を整備してくれているようだ。ところどころ落葉や湿った泥で滑りやすいところがある。今回好天が三日ほど続くことで、二回出発を延期したのだが、それはその前に雨が降ったことを考慮したからでもある。前日が雨天の場合、このように泥で滑りやすくなることを避けたのだ。

 

 ↓ 登りはじめ こんな感じ

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 明るく細い尾根を順調に登り、右側が植林帯となったところで、突然二頭の鹿が現れ、15mほど横を走り去った。一頭は少し小さく、親子(母子)連れだろうと思ったが、大きい方には角があったから牡か。うん?母子連れではなく、父子連れ?そんなことはあるのだろうか。よくわからないが、久しぶりに出会ったことは嬉しかった。お尻の白い毛はやはり可愛い。

 そこからほどなく主尾根に合流した。ここまでテープ類はほとんどなかったが、ここからは水色のスズランテープが出てくる。この主尾根との合流点では登って来た尾根は尾根状を呈しておらず、下降の場合はわかりにくいだろう。見れば、スズランテープは主尾根をそのまま下るように付けられているようだ。

 

 ↓ 主稜線と合流したあたり

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 尾根は幅広くゆるやかなものとなり、特に踏み跡は明快ではないが、どこでものんびりと歩ける。落葉のラッセル。振返れば、二週間前に歩いた古武山徳並山方面が、木の間越しに見える。富士山や南アルプス方面には雲があり、見えない。

 1044mのピークを越え小路沢ノ頭が近くなってくると、尾根は痩せて細くなり、ちょっとした岩場が出てくる。一か所古いトラロープが張ってある。その痩せ尾根自体はさほどでもないのだが、ほんの少しだけ残っている雪の部分が凍っていて、滑りやすく、緊張させられる。登りはともかく、下りでこの状態は恐いなと思う。

 

 ↓ やせた岩稜っぽいところにトラロープが張ってある。

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 ↓ わずかに残る雪のところが凍っていたり、融けかけて滑りやすかったり。左右は切れ落ちている。写真で見るよりけっこう恐い。

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 小路沢ノ頭1290m着、12:20。山名表示板等、何もなく、山頂という感じは皆無。縦走路上の単なる一地点である。左右ともいかにもこのあたりらしい、明るい樹林の尾根が続いている。

 

 ↓ 小路沢ノ頭。何の変哲もない一地点

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 さて、ここで今後のルートについて考えた。今登って来た尾根からも見えたが、主稜線から見ても北側は多少雪が残っている。予定では笹子雁ヶ腹摺山を越え米沢山から北尾根を下降することにしていたのだが、米沢山北尾根はやはり下り始めが痩せ尾根となっており、それなりに恐いという情報を持っていた。常の状態であればまあそれほど問題ともいえないだろうが、今日の状態ではわずかに残った雪の、正確にはその下の土の部分が凍っていて、それがもう少し時間がたつと融けて、より滑りやすくなるのは目に見えている。嫌な予感がする。そういう時は要注意なのだ。体験からくる予感は大事にしなければいけない。もともと米沢山北尾根は、下るよりも、本当は登りたい尾根である。次の機会でもよいのだ。

 ではどこを降りるかと考えて思いついたのが、送電線尾根である。そこは古くから歩かれているところでもあり、まず問題はない。だがここ小路沢ノ頭から単純に送電線尾根を下るだけでは少々物足りない。しかし、笹子雁ヶ腹摺山を往復し、ついでに送電線尾根ノ頭から笹子峠への往復も加えれば、大菩薩嶺からの主脈の赤線が全部繋がることにもなる。気になる赤線の未接続部分も解消できる。物好きではあるが、私なりの美学である。良い解決策を見出したような気がする。

 笹子雁ヶ腹摺山1357.7mへは30分ほど。20年ぶり二度目の頂上だが、狭い頂上に五本もの山名表示が乱立している。かつてはどうであったか、記憶にないが、「山梨百名山」「大和十二景」「秀麗富嶽十二景」・・・。多すぎる。美しくない。おまけに字体がいちいちコンピューターフォントで、センスが無い。山頂自体のたたずまいは素朴で良いのに、残念至極である。

 

 ↓ 笹子雁ヶ腹摺山山頂

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 ↓ 途中の鉄塔から見る三ツ峠、本社ヶ丸方面

 

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 軽く昼食をとって引き返す。途中の鉄塔の先に「笹子峠 尾根道」と「笹子峠 新道」の表示がある。新道の存在は知らなかったが、水平な巻道であろう。何となく少し楽をしたくなって、そちらに入って見る。予想どおり穏やかなトラバース道で、緊張感はなく、気分は悪くない。まもなく送電線尾根ノ頭で主稜線の尾根道と合流する。新道の存在理由がわからなかったが、要するに送電線の巡視路だったのである。

 

 ↓ おだやかに水平に伸びる新道

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 送電線尾根ノ頭から笹子峠を往復してくる。二度目の笹子峠だが、特に感慨もなし。徒労と言えば言えなくもないが、最後の赤線がつながったことに、ささやかな満足をおぼえる。

 

 ↓ 二度目の笹子峠を眼下に見る

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 これから下る尾根は、ここまで送電線尾根、送電線尾根ノ頭と記してきたが、仮称であって、実際の名前があるかどうかはわからない。下り始めに小さな岩場が出てきたが、岩場はそこだけ。尾根筋の路はしっかりしているが、わずかに残った雪の部分やそれが消えた後は、融け始めた泥がグチョグチョになって実に滑りやすい。こんなところで尻もちをつきたくないと、慎重に下る。それもしばらくの間だけで、あとは問題なく幅広い尾根筋をのんびりと下る。ときおり、左に右に小路を分岐するが、尾根上を忠実に辿る。ずっと送電線の下を行くのはあまりいい気分ではないと思っていたが、実際にはほとんど視野にも入らず、気にならない。

 

 ↓ 送電線尾根の下り始め。岩場はここだけ。

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 途中、落葉松の木に大きなスズメバチの巣があるのを見つけた。ふつう雨の当たらない岩壁などではよく見かけるが、まっすぐな立木にあるのはあまり見たことがないが。

 

  ↓ 落葉松にかけられたスズメバチの巣

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 次いでまたちょっと不思議なものを見つけた。「熊棚」のように見えるが、まさかと思う。しかし見るほどにそうとしか思えない。

 

  ↓ 熊棚?

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 熊棚は以前に残雪期の奥利根などでよく見た。初めて見た時には巨大な鷹の巣だと思ったが、先輩にあれは熊棚というものだと教わった。熊がその実を食べるために橅の木に登り、手近な枝を引き寄せ、へし折っては、食べ終わった枝を尻の下に敷き重ね、座布団のような、鳥の巣のようなかたまりを作るのである。しかしこんな所でと思うが、熊が棲息していることは事実だ。熊棚といえばイコール橅(ブナ)という頭がある。少し距離が離れているためその木が橅かどうかははっきりしないが、その特徴である白っぽい地衣類が付いているようにも見える(帰宅後調べたら熊棚を作るのは橅とは限らず、栗や小楢などにも作るとのことである―考えて見れば、それはそうだろう)。高さは10mほどで、その上の方の枝も引き寄せ、へし折っている様が見てとれる。

 

  ↓ ちょっとだけズーム。上の枝がへし折られている。

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 尾根もほぼ終わるころ、山茱萸サンシュユ)の花が咲いているのを見た。その向こうに、今日登った小路沢ノ頭北尾根が見える。前回今回と沢をめぐる周回尾根コースだったために、下るときに登ってきた尾根が見えるというのは、余韻があって、なかなか良いものである。ともあれ、鹿といい、熊棚といい、山茱萸といい、なかなか楽しいものを見た。

 

  ↓ 山茱萸とその向こうが小路沢ノ頭北尾根の下部

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  ↓ 日川をへだてて見る水野田山から古武山、徳並山

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 最後は例によって鹿除けフェンスをくぐり抜け、赤い屋根のお寺の脇に出て終了。諏訪神社に寄り道してから甲斐大和駅に到着した。

 

 米沢山北尾根は課題として残ったが、それはまた別の機会にもっと良い形で登ろうと思う。それにしてもこの大菩薩連嶺の南、甲斐大和周辺、笹子周辺には私好みのマイナー・バリエーションルートがまだまだ残っているのがうれしい。                (記:2017.3.26)

 

【コースタイム】2017年3月24日(金)

甲斐大和駅9:27/9:35~小路沢ノ頭北尾根取付き9:45~主尾根と合流10:40~P1044m11:02~小路沢ノ頭12:20~笹子雁ヶ腹摺山13:00~新道分岐13:32~送電線尾根ノ頭13:55~笹子峠14;05~送電線尾根ノ頭14:25鹿除けフェンス15:55~甲斐大和駅16:30

 

 

ちょっと遅くなりましたが、「美術館探訪録・2015年-2 (海外篇)」

 少し前に「美術館探訪録・2016年(国内篇)」をアップした。「国内篇」を書いたからには「海外篇」も書かねばならない、昨年も書いていることだし。と、思って確認したら、ない。「美術館探訪録・2015年(海外篇)」はアップしていなかったのである。おかしい?確か書いた記憶はあるのだが。よく見て見たら、途中までは書いていたが、未定稿のまま埋もれていた。読み返してみて、思い出した。後半のアメリカの美術館の部分が書けなかったのである。

 もともとこの「美術館探訪録」を書くにあたっては、それほど分析的批評的観点で書く気はなかった。一種のコレクション自慢のような、軽い気持ちで書くつもりだったのだ。今でもそうである。自分の趣味を基軸としながらも、それでも結果として、多少はそれなりの観点が出てくれば幸い、というぐらいの気持ち。しかしふとした拍子に、歯止めがきかなくなるというか、その国の美術の基層に在る、特殊でもあり、普遍的でもある、意味合いのようなものに触れざるをえなくなる時がある。たまたまアメリカという国、アメリカ美術がそうであった。

 

 ○○美術ということで言えば、振り返ってみると、すべてとは言わないまでも、かなりのものを、多くはその地で、見たという気がある。イタリアルネサンスフィレンツェ派、ヴェネツィア派、シエナ派、フェラーラ派・・・)、北方ルネサンスビザンチン美術、印象派、北欧工芸、中国美術、東南アジア各地の美術、イスラム美術、アフリカ美術、アンデス美術、オセアニア美術・・・。

 ただ、アメリカ美術をアメリカに行ってトータルで見たことはなかった。アメリカに行かずともこれまでのさまざまな国内外の美術館や展覧会で見ている気はあるが、あれだけの大きさとなると、一度はアメリカに行かないとすまないような気はしていた。長くその思いはあったのだが、むしろそれゆえに、行くことを避けていたところがある。(アメリカという国があまり好きではない、ということもある)

 しかし、縁あって行ってみると、その体験をベースとして、やはりその特殊性と普遍性について考えざるをえなくなる。それほど難しい話ではない。事前事後共に、直観的には把握したつもりでいる。ただ、それこそがアメリカの特殊性であるところの、移民国家であるゆえの伝統を持たぬことからくるヨーロッパに対するコンプレックスと、その反動としてのアイデンティティーの確立過程、及びそれを可能にしたところの経済の問題、等を考え、いざ書くとなると、いくらサラッと書くにしても、やはりある程度の実証作業は必要になってくる。そして、そこでめげてしまったのである。

 

 途中放棄した本稿は、「アメリカ 財閥 第一次と第二次の両大戦を通じて 子供じみた所有慾」という、いくつかのキーワードをメモし始めたところで終わっている。いまさらながら、アメリカという国はでかい。ハドソンリヴァー派から始まって、アメリカンフォークアート、現代美術、そして異常ともいえる美術品蒐集慾等々、それらのアメリカの美術全体を、軽く、サラッと語ることに、あっという間に挫折してしまったのである。

 

 挫折は挫折でしかたがない。しかし、ここでこの稿をお蔵入りのままにしておくことは「美術館探訪録」のみならず、山の紀行・記録や読書のそれやも含めて、このブログの存在理由が危うくなるということにもつながりかねない(ちょっと大げさだが…)。

 ということで、思い出したのを幸いとして、この未定稿をそのままアップすることにする。しかし、よく見たら他にもいろいろと書きかけのまま放置しているものが、結構あるのである。なんか、書くということ、それは考えるということと同義でもあるのだが、そしてそれを(ブログで)発表するということは、なかなか大変な作業というか、エネルギーを要することなのだなあと、いまさらながら思うのである。

 

   以下未定稿「美術館探訪録・2015年 (海外篇)」

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 美術館探訪録を国内篇と海外篇とに分けて出すのは、何か少し嫌味な感じがしないでもない(わが内なるブルジョア趣味?)。しかし実際問題として、海外の旅では一日中朝から晩まで何ヶ所も歩くことが多い。その結果、数的にも増え、また中には名所旧跡的な所も含まれてきがちなので、分類上分けて考えたいのである。

 昨2015年に行ったのはモロッコ+チュニジアとアメリカ。延べ33日(←!)。それぞれのいきさつについては別に書いたからここでは略すが、いずれにしてもそこにある美術を見ることが最大の目的であったことは言うまでもない。

 

 以下、「*ここに記すのは基本的に入場料を払って行った美術館・博物館の展覧会である(中には無料のものもある)。寺院・教会・遺跡等も含む。一般画廊の個展等は含まない。」については同様。なお国内のそれと違って、海外ではいわゆる特別展は少なく、常設が中心となるので、記載形式が若干異なる。内容・規模的に一つとしてカウントするに足りないと思われるものは適当に+を付して他と合わせてカウントした。以上、私の分類趣味についての補注。

 

◆モロッコ+チュニジア

 モロッコ+チュニジア篇の写真については、完結していないが、すでに「モロッコ・チュニジアの旅 1~10」をアップしているので、省略

  1. マラケシュ博物館(+現代モロッコ絵画の展示)

  モロッコ/マラケシュ 2月3日 [建築・絵画]

  1. ベン・ユーセフ・マドラサ (+皮なめし職人地区/2月4日)

  モロッコ・マラケシュ 2月3日 [建築・工芸]

  1. ハビア宮殿

  モロッコ/マラケシュ 2月4日 [建築・工芸]

  1. ダール・シ・サイド(工芸博物館)

  モロッコ/マラケシュ 2月4日 [工芸]

  1. ディスキウィン博物館

  モロッコ/マラケシュ 2月4日 [工芸]

  1. マジョレル庭園+ベルベル博物館

 モロッコ/マラケシュ 2月5日 [工芸・デザイン]

  1. イブ・サン・ローラン・ギャラリー (+アグノウ門)

 モロッコ/マラケシュ 2月5日 [工芸・デザイン]

  1. ザアード朝墳墓群

  モロッコ/マラケシュ 2月5日 [歴史]

  1. エルバディ宮殿+ギャラリー

 モロッコ/マラケシュ 2月5日 [遺跡・写真]

  1. アイト・ベン・ハッドゥ

  モロッコ/アイト・ベン・ハッドゥ 2月6日 [遺跡]

 +ブー・ジュルード門

  モロッコ/フェズ 2月10日 [建築]

  1. ブー・イナニア・マドラサ+皮なめし職人地区

  モロッコ/フェズ 2月10日 [建築]

  1. ダール・バトハ博物館

  モロッコ/フェズ 2月11日 [工芸]

  1. 武器博物館

  モロッコ/フェズ 2月11日 [軍事]

 +マンスール

  モロッコ/メクネス 2月12日 [建築]

  1. ムーレイ・イスマール廟

  モロッコ/メクネス 2月12日 [建築・歴史]

  1. クベット・エル・キャティン+キリスト教徒の地下牢

  モロッコ/メクネス 2月12日 [歴史]

  1. ジャメイ博物館

  モロッコ/メクネス 2月12日 [工芸]

  1. メクネス博物館

  モロッコ/メクネス 2月12日 [工芸]

  1. ル・バルドー博物館

  チュニジアチュニス 2月15日 [歴史・モザイク]

  1. グランド・モスク

  チュニジアチュニス 2月15日 [建築]

  1. ポエニ時代の住居+ピュルサの丘

  チュニジアカルタゴ 2月16日 [遺跡]

  1. カルタゴ博物館

  チュニジアカルタゴ 2月16日 [考古・歴史]

  1. パレオ・クレチアン博物館

  チュニジアカルタゴ 2月16日 [モザイク・遺跡]

23.ローマ人住居跡+円形劇場

  チュニジアカルタゴ 2月16日 [考古・歴史]

 

◆アメリカ篇

  1. グッゲンハイム美術館 Doris Saicedo展+一部常設(展示替え中)

  ニューヨーク 9月16日 [近・現代西洋美術]

 

 ↓ ご存知、グッゲンハイム美術館の外観

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 ↓ Doris Saicedo は日本でも展覧会の開かれたことがある、コロンビア出身の女性作家で、社会性を持った優れた作品が多いが、コロンビアという国の歴史と文脈を知らないとわかりづらい。社会性を重視する作家のそこが辛いところでもある。

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 ↓ 同じく Doris Saicedoのインスタレーション

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  1. メトロポリタン美術館+エンパイアーステートビル

  ニューヨーク 9月16日 [総合+建築]

 

 ↓ メトロポリタン美術館の外観(だと思う) 実質世界最大の美術館。何でもあります。

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 ↓ こういうものに出くわすと、ドキドキする 正体は不明

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 ↓ オセアニアのコーナー  巨大な空間に膨大なコレクション

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 ↓ トーマス ・ハート・ ベントンの巨大な壁画の一部 この作品は知らなかった。

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 ↓ 私個人として、最も「アメリカ現代絵画」という気がしたのは、この作品だったかもしれない。

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  3.自由の女神+グランド・0

  ニューヨーク 9月17日 [歴史]

 

 4.ホイットニー美術館

  ニューヨーク 9月17日 [近・現代アメリカ美術]

 

 ↓ ビル・トレイラー こういうのを見るとほっとする。それにしてもアメリカではフォークアートやアウトサイダーアートが大事にされている、というか、いわゆるファインアートとあまり区別されていない。

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 5.ニューヨーク近代美術館MOMA)

  ニューヨーク 9月17日 [近・現代西洋美術]

 

 ↓ ホイットニー美術館だったかもしれない。反戦を扱った作品、つまり反体制アートのコーナー。こういうコーナーがあることに、アメリカのある種の健全さを感じる。それに比べて・・・

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 ↓ せっかくピカソの大規模な彫刻展をやっていたのに気付かず、閉館間際にやっと一部だけチラッと見ただけ。残念。

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 6. Agua Fria (PUEBLO LA PLAT Nationl Memorial)

  アリゾナ 9月18日 [遺跡]

  1. グランド・キャニオン (サウス・リム)

  グランド・キャニオン 9月19日 [自然・世界遺産

 +ヤバパイ博物館

  グランド・キャニオン 9月19日 [歴史・民俗]

 +グランド・キャニオン (ブライド・エンジェル・トレイル~プラ

  トー・ポイント)

  グランド・キャニオン 9月19日 [自然]

 

 ↓ グランドキャニオンのど真ん中。大いなる自然のアート。

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 8.  TUSAYAN博物館

  グランド・キャニオン 9月20日 [歴史・民俗]

 +ボックス・キャニオン・Lomaki Pueblo+Wupatki Pueblo

  Wupatki 9月20日 [遺跡]

 

 ↓ 旅の途中の車窓から。これもまた自然のアート。

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  1. セドナ国立公園

  セドナ 9月21日 [自然] 

 +モンテズマ・ウェル (Montezuma)

  モンテズマ 9月21日 [自然・遺跡] 

  1. グレイシャー・ポイント+センティネル・トレイル~センティネル・ドーム

  ヨセミテ 9月22日 [自然・世界遺産

 

 ↓ 大いなる自然のアート二題。

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  1. パノラマ・トレイル

  ヨセミテ 9月23日 [自然]

 +ミラー湖トレイル

  ヨセミテ 9月24日 [自然]

  1. アンセル・アダムス・ギャラリー

  ヨセミテ 9月24日 [写真]

  1. ゲッティ・センター

  ロサンゼルス 9月25日 [西洋美術]

  1. ロサンゼルスカウンティ美術館

  ロサンゼルス 9月26日 [総合]

  1. ロサンゼルス現代美術館

  ロサンゼルス 9月26日 [近・現代西洋美術]

 

 ↓ 美術館がでかすぎる!

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 ↓ アメリカ 作者未詳

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 ↓ わりと好きだった作品。この手の感じは60~70年代ぐらいに日本で誰かがやっていたのではなかったかな?

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  1. ノートン・サイモン美術館

  ロサンゼルス 9月26日 [西洋美術]

 

 

 といった按配である。当然ながらその国、民族性、風土性といった特徴を反映したものとなる。すなわちモロッコ+チュニジアでは(ローマおよびイスラム)モザイク、イスラム工芸・建築であり、アメリカではアメリカ近・現代美術と、近代以降の資本家の圧倒的な経済力によって蒐集されたヨーロッパを中心とした全方位の美術である。残念ながらアメリカでは街のギャラリーを中心とした最もコンテンポラリーなアートをあまり見ることができなかったのは、日程上やむをえなかったとはいえ、少々心残りではあった。

 

 さてモロッコである。文化的にはローマ文明からその後のイスラム文化の流れが基本であるが、私的には、初めてのアフリカということで、楽しみであった。

 モロッコには見どころが多い。1.「マラケシュ博物館」や5.「ディスキウィン博物館」4.「ダール・シ・サイド(工芸博物館)」など、日本ではあまり見る機会のない素晴らしいイスラム工芸を中心とした美術館は、いずれも充実した内容で楽しめた。マラケシュ博物館ではそうした伝統的なものと現代モロッコ絵画などが並べて展示されており、このやり方は最近海外で時々見るものだが、なかなか良いものだと思う。

 そうした伝統的工芸美術の中でも、この6.「ベルベル博物館」が白眉である。決して大きな美術館ではないが、この博物館があるマジョレル庭園を創設した画家ジャック・マジョレルから引き継いだ、イヴ・サンローランが蒐集した北アフリカ美術のコレクションは超一級品ばかり。さらに展示の仕方自体が現代的で、彼の作品と言いたくなるほど洗練されたものである。世界的デザイナーのエキゾチックなプリミティブ・アートの蒐集。思わずそれだけで反発したいところだが、脱帽するしかない。また、彼自身の作品(イラストレーションが中心)を展示した7. 「イヴ・サン・ローラン・ギャラリー」も意外なことに、たいへん面白かった。さらにマジョレル庭園自体が自然そのものを素材とした美しい美術作品というべきであり、ヨーロッパ人が抱くエキゾチシズムの具現化として見るのも興味深いものである。 

 その他、2. 「ベン・ユーセフ・マドラサ」や8.「 ザアード朝墳墓群」なども良かった。建築とはいっても、見どころはその壁面等の装飾であるが。また「皮なめし職人地区」は、工芸の生まれる以前の現場そのものといった観点から、興味深いものである。もっとも大多数の観光客のまなざしは、恐いもの見たさといったところだろうが。確かにインドあたりならスラムの一画にある光景である。

 

 私は旅において美術や風景、風土性といった興味の対象以外にも、いくつかのコンテンツを持っている。例えば物乞いのありようや、墓地、職業にかかわる差別、等々。モロッコでは職業・職人ごとにまとまったスークと呼ばれる地区が形成され、それらが隣接しあいながら旧市街(メディナ)の中に厳然と存在している。こうしたありようはモロッコに限らず多くの都市に見受けられる。かつての日本の一部においても同様であったのだが、そうした場合、古くからの市街の様態を保っているということがある程度前提のようだ。言うまでもなくマラケシュやフェズのメディナはおそらく中世以来のそのありようを保持していることによって、匂いや衛生面での問題にもかかわらず、その独特なありようを保持し続け、今日では観光の対象とさえなっているのである。そこに職業にかかわる差別が存在しているのかどうか、結局のところ、わからないのであるが、少なくともこうした過程をへて、あの美しいモロッコ革が造られるのだと知っておくことは、意義のあることだろう思う。そして結局のところ、あの迷宮としか言いようのない市街=メディナそれ自体、その全体が、アートだと思い至らざるをえないのである。

 

 チュニジアでは「ル・バルドー博物館」、その一ヶ月後の3月18日にあのいまわしいテロの舞台となったミュージアムである。古代ローマ時代のモザイクが中心。これまでトルコ、ギリシャとモザイクはそれなりに見てきたつもりだったが、新しい博物館だけあってそれらに比しても、質量、展示空間すべてにおいて素晴らしい。その素晴らしさゆえにISのテロの場に選ばれたということなのだろう。言うまでもなく、美術・文化といえどもそれが美術館・博物館という行政の場となったとき、畢竟政治や宗教といった思想と中立無縁ではないということである。しかし、それにしても・・・。

 カルタゴではやはりカルタゴ博物館が充実していた。当然モザイクもあるが、多様な考古的蒐集が楽しい。カルタゴと言えばハンニバルだが、この頃はまだ塩野七生の『ローマ人の物語』を読む前だったこともあり、遺跡等に関しては、興味が薄かった。

 

   ―以後未完

 

アメリカ 財閥 第一次と第二次の両大戦を通じて 子供じみた所有慾