艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

「キク」登場! (ミケタも…)

わが家の猫「キク」(とミケタ)が、とあるサイト(フェリシモ)に登場しました。

 

私も今は猫好きですが、本来は女房の守備範囲。

女房の展覧会がらみで取材に来たとか。

とりあえず、紹介しておきます。

 

里山の三毛猫・キクとミケタ」

https://www.nekobu.com/blog/2018/11/post-1894.html

 

お暇な方、御高覧下さい。

 

註:キクは正確には三毛+キジネコです。

 

 ↓ キク

f:id:sosaian:20181113213137j:plain

 

 ↓ 純正三毛猫 キクタ

f:id:sosaian:20181113213239j:plain

附記:ストックとサポートタイツについて

 前々稿の「レジェンドたちと登った西上州・鍬柄山」で書き落としていたというか、ちょっと気がついたことを二点、書きとどめておく。

 

 一つはストックのこと(トレッキングポールと言うこともあるようだが、ここではストックで統一)。

 昨今の登山、特に尾根歩きではストックが大はやりというか、ほぼ必携装備扱いだが、あれはいつ頃からそうなったのだろうか。長く沢歩きを主にしていて、その後しばらくの空白の後に尾根歩きを主とした山を再開したせいで、再開した時にはもう常識となっていたような気がする。

 

 ↓ 愛用のストック モンベル製 使い込んで塗装はほとんど剥げている。

f:id:sosaian:20181106223440j:plain

 ↓ グリップの下、指先の当たるところには金属の冷たさを軽減するために断熱材(?)を養生テープで縛りつけている。

f:id:sosaian:20181106223500j:plain

 *サポートタイツは見苦しいので載せません。

 

 そのころ自分自身が年齢などから、体力・反射神経の低下などを自覚痛感することが多かったせいで、ストックを手にすること自体にはさほど抵抗感はなかった。すぐにその有効性もわかった。ピッケルを手にしていた経験も長かったので、躊躇なくシングル(T字グリップ)を選んだ。その時、なぜ日本の山でダブル(I字グリップ)を使うのだろうと不思議に思った。ルートにもよるが、日本の山では藪や、やせ尾根、岩場、鎖場・ロープなどの複雑な要素が混在していることが多い。藪や岩場鎖場では時にストックは邪魔になる。ダブルストックでは往々にして危険である。

 ダブルストックによる平地歩行がノルディック競技の夏場のトレーニングとして始まり、その有効性を認められて、近年新たな健康法として理論的にも確立され、新たな運動として独立したことも知った。しかしそれは基本的に平地でのことだ。

 ヨセミテをはじめとする海外のいくつかの(観光用)トレイルを歩いてみると、その多くは老若男女が安全に歩けるように、平地に準じて幅広く整備された「遊歩道」なのである。そうしたところだと了解していれば、ダブルストックもトレランも、問題はあまり発生しない。

 

 ↓ グランドキャニオンのトレイル 幅広い。

f:id:sosaian:20181106224330j:plain

 

 ↓ ヨセミテのトレイル 幅広い。

f:id:sosaian:20181106224218j:plain

 

 しかし日本の四季の変化の激しい、降雨量の多い、細い急峻な山道では話が別だ。多くの場合、藪、やせ尾根、岩場、鎖場・ロープなどがあることが多い。またそうしたところではない場合でも、少なくともダブルストックではシングルに比べて、山道の脇を二倍ほじくり返すことになる。以前泊まった北アルプス燕山荘の主人は夕食時のレクチャーでそうしたことによる登山道の荒廃、ひいては自然破壊というとことを切々と訴えておられた。私もその点は全面的に賛成である。

 しかしその話を聞いた当夜の登山客のどれだけがその趣旨に賛同し、ダブルからシングルに替えただろうか。新ハイキングクラブの山行では、ルートによって(?)ダブルストック禁止とされていたのを見た覚えもある。むろん各自の身体条件やルートによっては、ダブルストックの方が有効な場合もあるから、一概には言えないのであるが。

 

 二つ目はサポートタイツについて。これもほぼストックと同様な経緯で、ここ数年使い始めた。モノにもよるだろうが、現在使っているワコールCDXは非常に強力かつ有効なのだがその分、下腹部への圧迫が強く、毎回しんどい思いをしている。有効性と締め付けの苦しさを秤にかけて、着用すべきかどうか、いまだに少し迷い続けている。結局短い楽なコースでは着用せず、少し長いややハードなコースでは着用と、使い分けているのが現状だ。まあそれに関しては私のBMIが最大の原因なのだから、あまり文句も言えないのであるが…。

 

 このストックとサポートタイツについて、前回の鍬柄山山行の際、途中から気づいて観察し、何人かに質問してみた。全員に確認したわけではないからおおよそのところではあるが。

 

 ストックについては、山行自体が久しぶりの国井さんがダブルストック。これはまあ大事を取っての事だろう。ほかの人は持っている人の方が多かったが、そのおそらくほぼ全員がシングル。ベテラン組で持っていた人は間違いなくシングル。

 サポートタイツについては、着用していない人の方が多かったようだ。ベテラン組はほぼ全員がサポートタイツを着用せず。

 打田さんは一時着用していて、その有効性を大いに認めていたらしいが、冬用のそれを着用してみて圧迫による血流の悪さなどを感じ、現在は着用していないとのこと。

 

 いずれにしても、ベテランほどダブルストック、サポートタイツを使用されないということだ。またダブルストックに関しては、前述したような日本の山でのむしろ危険性を指摘されていた。

 それは長く山を続けておられて、ベテランとなった今に至っても体力・力量的に必要性を感じないということだろう。それはそれで素晴らしいことだ。しかし、ベテランとは言えない一般の中高年の登山者にあっては、遭難対策の面からも必要に応じて積極的に使うことは良いことだろうと思う。私の場合は、最近起こりがちな股関節痛に対する予防の面も大きい。

 

 だが中高年とは言えない若い登山者にあっても、最近は当たり前のように使用しているのを見かける。正確な統計はわからないが、かなりの割合で使用しているのではないか。

 彼らに本当にストックやサポートタイツが必要なのだろうか。登山は、程度はともかく、なるべく人工的手段に頼らないスタイルで登るべきである。そもそも、ストックなしでの身体バランス、サポートタイツを必要としない身体能力、体力をこそ、若い人は身に着けるべきではないか。ファッション性の観点はともかくとして、登山という行為そのものに目を向けて、道具・手段を自分の意思と思想で選びたいものである。

 

 もう一点、これは鍬柄山の岩場でのことだが、岩場の取り付き点で全員が一斉にストックを縮め、背に落とし刺し(ザックと背中の間に差し込む)か、またはザック本体に(グリップを下にして)収納された。さすがだなと思った。昔の剣岳での、雪渓を登りつめた岩場の取り付きのシーンを思い出した。

 

 ↓ こんなところではストックはザックに、できれば本体の中にしまおう。

f:id:sosaian:20181106224759j:plain

 

 ↓ こんなところではストックを使ったらかえって危険です。

f:id:sosaian:20181106224850j:plain

 

 岩場や鎖場では、邪魔になるストックを手から離しザックや背に収納することが必要なのだが、つい面倒くさがって、あるいはそうすべきだということを知らずに、手首にぶら下げたまま岩場鎖場を登る人が多い。ましてや二本の長いストックを片手で持ったり、両手首からぶら下げながら登る人を見ていると、本当に冷や冷やする。本人のみならず、振り回されるストックが後続の人にとっても危険だということに気づかない人が多すぎる。かくいう私自身、ちょっとした岩場では収納を面倒くさがることがないとは言えないが、あらためてそうしたフォームというか、ルーティンをさぼらないようにしようと自戒したのであった。勉強させていただきました。                        

                             (記:2018.11.6)

玲瓏の佐久・光あふれる尾根を天狗山から男山へ (2018.10.28)

 朝7時に金峰山荘の朝食。食べ終えてベランダで一服していると、快晴の朝陽を浴びて、周囲は紅葉と岩々の遊戯場のようだ。

 屋根岩パノラマコースに心惹かれる。千曲川上流梓山からの(秘峰?)五郎山にも惹かれる。未だ登っていない金峰山そのものも魅力的だが、ここはいずれまた違った計画で歩いてみたい。などとイメージプランは果てしなく広がっていくのだが、今日は一人で天狗山から男山の縦走である。

 

 昨日の宴会のあとを整理撤収する。そうこうしている間にも快晴の廻り目平でのクライミングを目指して多くの登山者がそれぞれに散っていく。圧倒的に多いのがマットを背負ったボルダリングの人。う~ん、時代は変わった。そうした人たちを眺めていると、さすがに有名人が多いせいか、山本さんや金さんや国井さんなどはあちこちから声を掛けられる。一ノ倉烏帽子大氷柱初登の菊地敏之さん(だったと思うのですが)、お~!この人がそうか。遭対訓練の講師として来ているとか。等々。

 撤収が終われば解散である。この後、近くでクライミングをする人、所用があって早々に帰られる人、のんびり寄り道して帰られる人、さまざまだ。

 私は先日のお話通り、関越道から帰るという打田さんに馬越峠まで送ってもらう。多少は回り道をさせることになるのだろうか。申し訳ないが、ありがたいことである。

 

 天狗山・男山は、山域としては佐久の山である。位置的には八ヶ岳の東、千曲川の右岸一帯を言う。大島亮吉が「佐久の幽巒」と呼んだ御座(おぐら)山が日本二百名山に選ばれているぐらいで、他に多少知られているものとしては茂来山、四方原山、そしてこの天狗山・男山ぐらいのものだろう。30年ほど前に茂来山から四方原山を目指したが、時間切れで四方原山は断念。その夜、麓の民宿に泊まり、翌日御座山に登った。12月で寒かった記憶がある。

 佐久の山と言うのは、八ツや奥秩父、西上州といったはっきりした個性を持っていないような気がする。個人的には、乾いた、中性的で、透明感のある山域といった印象を持っている。そうした強い自己主張をせぬ奥ゆかしさ(?)、さりげなさが佐久の山の個性というか魅力なのだろう。

 

 お土産を買いに打田さんが立ち寄られたスーパーの駐車場から、八ヶ岳東面の全貌が見える。素晴らしい大観だ。沢筋、ルンゼ、リッジ、克明に見える。昔中退した旭岳東稜はどれだ。しばし見とれた。

 

 ↓ スーパーの駐車場から見る八ヶ岳東面 中央赤岳

f:id:sosaian:20181106214614j:plain

 

 黄葉の白樺林を抜けて馬越峠に着いたのが10:00。ここは標高1610m。1178mのバス停大深山中央から歩けば、馬越峠の少し先で尾根に上がるのだが、2時間ほど楽ができた。私は、本来山はなるべき麓から登るべきだと思っているが、その原則は最近少しずつゆらいできている。今年登った四国剣山も八幡平もそうだった。実際問題、上まで車で上がれるようになっていて、そのルートがまあ妥当と思われるのに、わざわざ無理に下から登るというのもどうなのかとも多少は思う。原則を曲げる気はないが、実際楽なものは楽なのである。

 

 峠には車が6台停まっている。登山道の入り口には馬頭観音と地蔵がたたずんでいる。年記等は見なかった。

 

 ↓ 馬越峠 標識のところが登山口

f:id:sosaian:20181106213823j:plain

 

 ↓ 峠の石仏

f:id:sosaian:20181106213845j:plain

 

 

 登り出せば最初はやや急だが、路はしっかりしている。

 

 ↓ 登り始めはこんな感じ

f:id:sosaian:20181106213928j:plain

 

 10分ほどで尾根上に乗る。ここから先はもう急登はない。多少広くなったり細くなったりしながら緩やかに伸びる尾根を進む。

 ほどなく右に巻き道を分岐させるが、左に尾根上を進む。このあたりから所々に岩場が出てきて、良いアクセントとなる。ちょっとした所にはロープがセットされ、問題ない。この尾根全体を通して、この時期、おおむね見通しは良いが、特にそうした岩場では好展望に恵まれる。右に「佐久の幽巒」御座山、前方は八ヶ岳から南アルプス北部、左に振り返れば奥秩父金峰瑞牆と、豪華な展望の縦走路である。途中何人かの登山者とすれ違うが、それでも快晴の紅葉期の日曜日にしては予想していたより少ない。

 

 ↓ 「佐久の幽巒」御座山

f:id:sosaian:20181106213955j:plain

 

 自分なりの快適なペースで進む。昨夜は結構飲んだようだが、幸い二日酔いというほどのこともない。歩き出して1時間ほどで天狗山1882.1mの頂上に着いた(11:15)。峠からの標高差は270m、430mほど楽をさせてもらったのだ。

 

 ↓ 天狗山山頂

f:id:sosaian:20181106214031j:plain

 

 奥秩父方面だけ木立で見えないが、それ以外は330度の大展望。昨日午前中までの雨のせいか、大気の透明度が非常に高い。西には八ヶ岳が長大な全容を惜しげなく見せ、その手前にはこれから辿る山稜の先に、ポコンと男山が座している。スケールはともかく、それなりにきりっとした山容だ。八ヶ岳と良い対照をなしている。

 左に甲斐駒、北岳、振り返って遠くは浅間連山、最高の展望台である。15分ほど滞在して展望を堪能し、先に進む。

 

 ↓ 遠景は八ヶ岳全貌 手前が男山

f:id:sosaian:20181106214224j:plain

 

 ↓ 南アルプス北部 右甲斐駒と左北岳

f:id:sosaian:20181106214355j:plain

 

 ↓ 遠く浅間連山

f:id:sosaian:20181106214432j:plain

 

 その先もほぼ尾根筋を辿る。時おりの岩場のアクセント。さきほどまで見えなかった瑞牆山の鋸歯状の山容が見える。頂上右下は大ヤスリ岩。手前の送電線が少々目障りだが、やはり良い山だ。

 

 ↓ 瑞牆山 頂上の右の岩峰は大ヤスリ岩

f:id:sosaian:20181106214725j:plain

 

 ↓ 甲斐駒と北岳をズーム

f:id:sosaian:20181106215342j:plain

 

 ↓ 天狗山を振り返る。頂上そのものは見えていないか。

f:id:sosaian:20181106215413j:plain

 

 1時間ほどで垣越山1797mの標識(12:20)。ここはとりたてて言うほどのことはない。

 

 ↓ 垣越山頂上

f:id:sosaian:20181106215442j:plain

 

 ↓ こんな岩場があちこち出てくる。この先がビューポイント。

f:id:sosaian:20181106215521j:plain

 

 そのちょっと先の岩場がまた素晴らしいビューポイントで、前山を前景に五丈岩の金峰山から瑞牆山への連なりが美しい絵となって見える。振り返ると天狗山がだいぶ離れてきたことによって、その個性的な姿をあらわしてきた。

 

 ↓ 左金峰山五丈岩から再び瑞牆山

f:id:sosaian:20181106214914j:plain

 

 ↓ 右天狗山と左垣越山

f:id:sosaian:20181106214956j:plain

 

 やがて道が北側の山腹を回り込むようになると、ほどなく御所平への分岐に着いた(13:30)。地図(2.5万図)を見ると、男山山頂までまだ少しある。少し疲れも出てきた。一服して遅めの昼食を食べながら、今度は山と高原地図を取り出して見てみると、何かおかしい。この分岐の位置が2.5万図と全く違うのだ。おにぎりをほおばりながら数m進んで見上げてみると、どうもそのすぐ上が頂上のように見える。山と高原地図の通りに。

 またやって(やられて)しまった。2.5万図(や5万図)は地形図なので地形に関しては信用できるが、登山道に関してはかなりの確率で間違っているのは重々承知している。山と高原地図は登山道の位置や情報面では信用がおけるが、多くは縮尺が5万分の1なので、地形が読みにくく、行動中は胸のポケットに入れた2.5万図を見、ポシェットかザックに入れた山と高原地図を見るのはザックを降ろして休憩中というパターンなのだ。本来なら事前に両者を照らし合わせて、道の位置など確認しておくべきなのだが、よく行く山域ならともかく、あまり行かない所ではつい怠りがちになってしまう。

 やれやれ、ともかく昼食を食べ終わって目の前の急登を登れば5分で男山の頂上1851.3mだった(13:50)。できればここで飯を食いたかったが、しかたがない。あいかわらずの大観だが、八ヶ岳にはいくつか雲がかかってきた。10分ほど滞在して下山に移る。

 

 ↓ 男山山頂。大観は同様だが雲が出てきて、光線も少しぼやけてきた。

f:id:sosaian:20181106215038j:plain

 

 下山は手挽坂という小尾根というか山腹を下る。御所平までは700mほどの下りである。ほどなくカラ松林(植林)となる。落葉しているせいか明るい雰囲気で、案外気持ちが良い。カラ松そのものも意外に美しい。

 

 ↓ 手挽坂のカラ松林。腕とカメラのせいでどうも美しさが再現できない。

f:id:sosaian:20181106215612j:plain

 

間もなく山道は古い林道に出た。長く車は入っていないようで、歩きやすく、幅広いゆるやかな山道といった感じである。こうした林道歩きにありがちな単調さも、西陽を受けたカラ松や白樺、楢などの黄葉と、時おりの紅葉の織りなす美しさに、あまり気にならない。気持ちよくたんたんと歩を進めるのみである。

 

 ↓ 林道ではあるが、美しい黄葉の中を行く。腕とカメラのせいで…。

f:id:sosaian:20181106215642j:plain

 

 やがて予想通り、車止めのゲートというか金属製の扉があると、もうその先は舗装道路。時おり振り返りながら、カラ松林を含めた全山紅葉を愛でながら、信濃川上駅に向かった。

 

 ↓ 腕とカメラのせいで…。

f:id:sosaian:20181106221826j:plain

 

 ↓ 信濃川上駅から男山山頂を見る。

f:id:sosaian:20181106220152j:plain

 

 今回の天狗山から男山への縦走は、天候その他にも恵まれ、予想以上に良い山行となった。今回の山行は言って見れば偶然の産物である。だいぶ前から「行ってみたい山」リストには入っていたが、アプローチの点などから、実現性はそう高くはなかった。それが今回の立川会の西上州鍬柄山~廻り目平宴会の流れで、思いがけず実現できてしまったのである。企画世話人の、そして峠まで送っていただいた打田さんには本当に感謝します。

 西上州も佐久も久しぶりの山域だった。通いなれた山域も良いが、久しぶりの山域、やはりまだ経験したことのない山域というのは良いものである。さてこれからあといったいどれぐらい、未知の山域に足を運ぶことができるだろうか。

 

 

f:id:sosaian:20181106220304p:plain

 

 

【コースタイム】2018.10.28(日)快晴 単独

馬越峠10:00/10:10~尾根上に乗る10:22~巻道分岐10:42~天狗山11:15/11:25~垣越山12:20~御所平分岐13:30~男山13:50/14:00~舗装道路15:40~信濃川上駅15:55/16:43発

レジェンドたちと登った西上州・鍬柄山 (2018.10.27)

【初めに:私は山行のブログにおいては、同行者の氏名は原則仮名としている。しかし本稿ではプロとして活躍している、または活躍していた人、あるいは著書のある人については実名で記す。そうしなければ「レジェンド」の所以がわからないからであり、彼らの活動の軌跡は本名で発表されてきているからである。以上の条件に当てはまらない方のみ仮名で記す。】

 

 

 ここ数年、年に二三回ぐらいのペースで立川会という名の飲み会に参加している。これは『岳人』の編集をされていた山本修(註1)さんが退職されたのを機に、気のおけない知り合いだけで時々集まって一杯飲みましょうという、ごくゆるいプライベートな集まりである。

 (註1)山本修二さん そう言えば正確な年齢は知らない。私より多少年長。長く『岳人』の編集をされていた。板橋勤労者山岳会所属のオールラウンド山屋。編著書に『岳人備忘録』(2010年 東京新聞 *面白く、素晴らしい本です。日本現代登山史の第一級の資料。)等、多数。

 

 私と山本さんの縁は、20年以上前、1995年から2年間『岳人』誌上に「山書彷徨」という、山に関する書物についての連載をしていた時の担当者だったことにさかのぼる。当時所属していた浦和浪漫山岳会の月報に断続的に掲載していた拙文に目をとめ、『岳人』への連載を要請されたのである。連載終了後、数年の間をへて『山書散策』として東京新聞出版局から単行本化された。

 それを機にというか、山書への執着も少し熱が冷めたというか、何よりも本業の大学教員としての多忙な仕事と、制作の両方に追われ、山に行く機会も減り、山岳会とも縁が薄くなった。その間、山の本についての執筆依頼も何度かはあったが、本業と制作に集中するためにほとんどの依頼は断り、いつしかそちらの世界との縁も切れた。やはり自分が積極的に山に行かなくなると、山の本に関する情熱もなくなるというか、薄れる。私は本質的には、山書に限らないが、コレクターではないのである。

 したがって以後の20年近く、ほんの淡いお付き合いしか無かったにも関わらず、ある日立川会に誘われた。そしてノコノコ行ってみたら、その顔ぶれの豪華さにびっくりしたのである。有名度合いはともかく、アルピニスト、ヒマラヤニスト、クライマー、ガイド、ライターばかりのそうそうたる顔ぶれではないか。せいぜい元:三流沢屋、現:ほぼ無名の画家(元大学教授とか博士という肩書は、この会に限らないが、ほとんど無意味)という貧弱な肩書しかない私としては、当初は必ずしも居心地の良い場とは言えなかった。なぜ私に声がかかったのかは、今でもよくわからない。

 しかしそれはそれとして、それぞれのお人柄もあり、話の内容も興味深いものが多かった(最先端のクライミングあたりになると、知らないというか、理解できないことの方が多かったが)。私は決して有名人好きのミーハーでないが、本や雑誌でしか知らなかった有名人・レジェンドたちと場を共にするのは、やはり大した体験である。そうした人にはやはり特有のオーラがある。

 

 9月の初旬だったか、そのメンバーの一人の打田鍈一さん(註2)から「国井さん(註3)と山へ!! 立川会親睦山行」というメールがきた。その前の暑気払いの飲み会には欠席したのだが、その時にでも話が出たのだろうか。

 

(註2)打田鍈一さん 1946年生まれ。名刺には「低山専門 山歩きライター」とある。著書に『ハイグレードハイキング』(共著 1993年 山と渓谷社)、『新分県登山ガイド 埼玉県の山』(山と渓谷社)、『藪岩魂』(2013年 山と渓谷社)、『山と高原地図 西上州』(昭文社)。ほか山岳雑誌に執筆多数。

 

(註3)国井治 1944年生まれ。徒歩渓流会。エベレスト南壁隊隊員、ヌプツェ北西峰初登頂、ナンガパルバット隊隊長。ウィランス・シットハーネスやEBシューズを日本で初めて輸入販売し、のちに登山用品開発会社マジックマウンテン設立。著書に『ザ・ロング・トレイル 登山用具と人と五十年』(2017年 山本修二さん編集 株式会社マジックマウンテン)。

 

 立川会というのは、本質的にはゆるい飲み会である。登山を軸とする会ではあるが、個々間ではともかく、全体としてみんなで一緒に山に行きましょうという雰囲気には、ちょっとなりにくい場なのである。そうした場で、仕切り上手で積極的な打田さんが、最近顔を出されるようになった、現在は実質的に山屋を引退されている国井さんをどう口説いたのか知らないが、こうした企画が出てきたのはちょっと驚きだった。

 当初は何人参加するのかもわからなかったが、場所が西上州鍬柄山と知って、参加を表明した。

 西上州は昔から好きな山域であり、その意味で打田さんの著書もガイドブックもよく読んでいた。しかも、西上州は距離的にはさほど遠くはないが、車を運転せぬ私としてはひどく不便で行きにくい山域だったこともあり、ぜひこの機会に久しぶりの西上州を訪れたいと思ったのである。

 そうこうしているうちに参加者も増え、その夜は奥秩父廻り目平で宴会、山小屋泊まりと、プランが広がっていった。うまくすれば二日目に近くの山に登れるかもしれない。打田さんに電話してみると、二日目の朝、所用で早めに帰るので途中の登山口馬越峠まで送って下さるという。久しぶりのラッキーな展開である。

 

10月27日(土)

 朝6:45東飯能駅に集合。4時過ぎには起きなくてはならない。結果、ふだんにもまして少ない2時間ほどの睡眠…。

 ともあれ駅で金邦夫さん(註4)とT島さん(註5)と一緒に、駅前で待っていていただいた打田さんと合流。打田さんの車で下仁田の道の駅に向かう。まだ雨は少し降っている。

(註4)金邦夫さん 1947年生まれ。アルピニスト。元警察官で長く奥多摩山岳救助隊副隊長。著書に『奥多摩登山考』(2002年 東京都公園協会等)、『金副隊長の山岳救助隊日誌』(2007年 角川学芸出版)、『すぐそこにある遭難事故 奥多摩山岳救助隊員からの警鐘』(2015年 東京新聞)。最近は某宮家の登山に同行というかガイド(?)などもされているようだが、詳しくはオフレコとの由。

 

(註5)T島さん 1960年生まれ。オーケストラ指揮者、某音大等の講師。本人曰く、指揮を始めるより岩登りの方が早かったとか。今でもクライミング、それも単独登攀やアイスクライミングを中心に実践しておられるクライマー。

 

 道の駅に着くころには雨も上がり、なんとかなりそうだ。他のメンバーも続々と集まってきた。山本さん、国井さん、川村晴一さん(註6)、T田さん(註7)、Iさん(註8)、Kさん(註9)、S(娘)さん(註10)、S(母)さん(註11)、計12名の大部隊。

 

(註6)川村晴一さん 1947年生まれ、元山学同志会。ジャヌー北壁初登、エベレスト無酸素登頂(日本人初)、K2北稜登頂、カンチェンジュンガ北壁初登、等。ヒマラヤはすべて無酸素。8000mの上で煙草を吸われたそうである(本人談)。本人の著書はないが、『北壁の七人』(小西政継)、『精鋭たちの挽歌』(長尾三郎)等に登場している。前掲の山本さんの『岳人備忘録』でも山本さんがうまく心情を引き出されている。私が高校生の頃の何年間か『山と渓谷』の表紙モデルをされておられ、それが実にカッコよかった。

 

(註7)Tさん 41歳、現役クライマー。某山岳会所属。立川会会員の、これもまた間違いなくレジェンドの一人である池田功さんの経営される造園会社に勤務していたが最近独立されたとか。会うのは確か今回で2回目か3回目、お話しするのは事実上初めて。

 

(註8)Iさん 茨城県在住。軽トラで遠路来られた。徒歩渓流会で国井さんの少し(?)後輩だと言われるから70歳前後(?)。今も毎週のように山歩きされているとか。私とは初対面。仕事の都合で初日のみ参加。

 

(註9)Kさん 山梨県在住で元蒼山会会員。国井さんの友人(?)。現在も幅広く山登りされておられる由。私とは初対面。私よりちょい年上の、ちょっと不思議な雰囲気の女性。

 

(註10)S(娘)さん 20代後半?30代前半? 沢でT田さんに、日和田でT島さんにナンパ(?)されて立川会に参加。クライミングも沢も志望とのことだが仕事がら山行パートナーが見つからず、お母さんと山に行っているとのこと。

(註11)S(母)さん 私とは初対面。もともと山は歩いておられたようだが、最近は山に目覚めた娘さんに乞われてあちこち同行されているとのこと。中の良い親子である。

 

 駐車場からは、これから向かう鍬柄山がガスを通してぼんやりと見える。風景としては水墨画のようで、それなりに美しいが、鍬柄山そのものは茫洋とガスった大桁山の中腹手前にポコンと飛び出した突起というか、コブのようだ。

 

 ↓ 道の駅から見る鍬柄山 後ろは大桁山

f:id:sosaian:20181103213939j:plain

 

 終結した計12名全員を知っている人はたぶん誰もいない。簡単に自己紹介とあいさつを交わし、車に分乗し、登山口に向かう。

 単線の上信電鉄を横切り、林道(関東ふれあいの道)を少し行けば、車4台ほどが止められる駐車スペースがある。目の前には鍬柄山がいかにも岩峰といった面持ちで、頭を出している。

 

 ↓ 駐車場から見た鍬柄山

f:id:sosaian:20181103214218j:plain

 

 ↓ 参考:別の角度から見る鍬柄山 (ネット上で拾ってきた画像)

f:id:sosaian:20181103215444j:plain

 

 山仕事をしていた地元の方に少しスペースを譲っていただいて、歩き出す。雨は上がっている。ほんの少し戻ったところに登山口の標識。植林の中を登る。

 

 ↓ さて出発 すぐ先が登山口

f:id:sosaian:20181103214307j:plain

 

 ↓ 登山口 左のオレンジのヘルメットが国井さん 

f:id:sosaian:20181103214327j:plain

 

 中にお社がある。鍬柄山阿夫利大神と記された巨大な木刀が掛かっている。天井裏にはたくさんの木刀が奉納されている。

 

 ↓ 阿夫利神社

f:id:sosaian:20181103214426j:plain

 

 鍬柄山は別名石尊山とも言われるとは知っていたが、石尊?阿夫利神社?この関係は?と不思議だったが、帰宅後調べてみると、「石尊権現(せきそんごんげん)は、大山の山岳信仰修験道が融合した神仏習合の神であり、不動明王本地仏とする。神仏分離廃仏毀釈が行われる以前は、相模國 雨降山大山寺から勧請されて全国の石尊社で祀られた。(ウィキペディア)」とあって、納得した。丹沢の大山は別名阿夫利/雨降山であり、雨乞いの山でもある。

 

 登り始めて30分ほどで尾根上のちょっとした広場に出た。これからの岩場の登りと頂上からの懸垂下降に備え、ここでザイルを用意し、ハーネスを着ける。

 

 ↓ 岩場手前の肩の広場で

f:id:sosaian:20181103214505j:plain

 

 ↓ 川村晴一さんのザイルさばき 思わず見惚れるほど流麗である。

f:id:sosaian:20181103214524j:plain

 

 今回の山は岩峰とは言っても、地元の人が毎年総出で参詣のため登られているとあって、鎖などが整備されており、所要時間もさほどかからないということで、オプションとして、下山は反対側の岩場を下降しようと打田さんが提案されていたのだ。ハーネス?そういえば沢登りをしていた頃もっぱら使っていたのは、いわゆるウエストベルトである。確かシットハーネスも登攀的要素の強いルートでは使っていたが、ザイルを使う山行を事実上やめて以来、とっくに捨てている。まあ、懸垂下降だけに使うのであればウエストベルトでも差し支えあるまいというか、耐用年数はとっくに過ぎているだろうが、それしかないのだから。

 

 ↓ 岩場取り付き手前

f:id:sosaian:20181103214620j:plain

 

 ↓ 岩場取り付き

f:id:sosaian:20181103214810j:plain

 

 そこからすぐ先が岩場の取り付き。久しぶりということで、国井さんとS(母)さんのみアンザイレン。前後を、それこそ超ベテランが確保して登る。実際には岩場全部に鉄鎖が設置されていたのだからほとんどその必要はないようなものだが、そこはまあお互いの現状の力量もわからぬこととて、安全第一である。

 

 ↓ アンザイレンされたS(母)さん

f:id:sosaian:20181103214834j:plain

 

 岩場もそれほどのスケールがあるわけではない。人数も多いせいで少し時間もかかるが、その分のんびりと景色を楽しめながら登れた。

 

 ↓ 岩場中ほどのビューポイント

f:id:sosaian:20181103214859j:plain

 

 ↓ ビューポイントで撮影中の打田さん

f:id:sosaian:20181103214928j:plain

 

 いったん祠のある頂稜部に出ると、そこから目と鼻の先にある頂上までの間がやせた岩稜。気持ちが良い。ここにも真新しい鉄鎖が付けられている。ということで、あっという間に頂上。標高は低い(598m)が360度の大展望。小粒だがピリッとした気持ちの良い山頂である。残念ながら鹿岳・四ツ又山や荒船方面は雲がかかって見えない。

 

 ↓ 頂稜のやせた岩稜 目の前が頂上

f:id:sosaian:20181103215012j:plain

 

 ↓ 下仁田から鏑川流域をのぞむ

f:id:sosaian:20181103215047j:plain

 

 ↓ 頂上の祠と国井さん

f:id:sosaian:20181103215116j:plain

 

 ↓ 山本さんと一緒に

f:id:sosaian:20181104002057j:plain

 

 ↓ その先にも三つの祠がある。良い感じ。

f:id:sosaian:20181103215145j:plain

 

 私などが展望を楽しんだり、軽くものを食べている間に、クライマーたちは下降予定の岩場を偵察している。クライマー、沢屋(私)、藪屋(打田さん)の考える下降の仕方、懸垂下降の技術論がそれぞれ微妙に違っており、面白い。とはいえ、まだ力量もわからぬ初対面のメンバーもいるということで、結局大事をとって往路を戻ることになった。それはそれで納得。

 

 ↓ この先が下降予定の岩稜というか、壁。手前のブッシュで支点としては充分だと思うのだが…。確かにそうすると長さがね…。

f:id:sosaian:20181103215324j:plain

 

 いったん基部の尾根上の広場まで降りて、希望者数名で、下降を予定していた岩稜の基部まで行ってみた。見上げれば、やはりかなり切り立っており、今回の懸垂中止は妥当な判断だったようだ。

 

 ↓ 下降予定の岩稜の基部。う~ん、確かにまあ…。

f:id:sosaian:20181103215410j:plain

 

 そうこうしているとその反対側の尾根からぞろぞろと人が降りてきた。大桁山から下りてきて、これから鍬柄山に登るという。老若男女交えて約20名ほどの団体。どこかの市民ハイキングでもあろうかという風情である。

 下りはあっという間である。かくて普通であれば2時間足らずの山をゆっくりと楽しんだ、豪華な山行は終了した。

 

 ↓ 駐車場から青空を背景に再度鍬柄山を見る。

f:id:sosaian:20181103215541j:plain

 

 ↓ ズームすると、こんな感じ。左の影のところの下から右上に斜上。頂上は左のピーク。

f:id:sosaian:20181103215600j:plain

 

 いったん道の駅に戻り、打田さんおすすめの食堂で昼食。その後、昭和の色合いを濃く残す路地を歩いて、名物のコンニャク屋に寄る。ここでIさんのみ仕事の都合で帰宅され、他は今宵の宿、奥秩父廻り目平に向かう。

 

 ↓ 昭和の色合い。「撞球場」などと書かれた店(廃屋)もあった。

f:id:sosaian:20181103215636j:plain

 

 西牧川沿いを行き、内山峠では車を止めて荒船山艫(トモ)岩を眺める。なかなかの絶景である。突然、S(娘)さんが「岩壁に星がある!」と言う。よく見ると確かに岩壁の左側に星形が見える。ズームして撮影してみると多少形は崩れるが、やはりそのように見える。いわゆるゲシュタルト反応というか、無秩序な偶然の状態の中にある意味をもった形体を見出す(「だまし絵」などがその一例)ということなのであるが、それはそれで面白かった。それを見出し面白がるS(娘)さんの詩的感性に感心。

 

 ↓ 荒船山・艫岩 確かに軍艦の舳先のようだ。左の影との境のリッジに星が見えますか。

f:id:sosaian:20181103220258j:plain

 

 ↓ ズームすると星形が見える。

f:id:sosaian:20181103220326j:plain

 

 その後佐久に出て、小海線沿いから川上村廻り目平に向かう。この辺りは、昼間は初めて、あるいは実に久しぶりに目にする景色。西日をあびて紅葉の山々が美しい。と思っていたら、Kさん曰く、長野県の人は、長野県の山はカラ松(唐松 落葉松)の植林ばかりでつまらないと言われるとのこと。そうか、素晴らしい紅葉(黄葉)だと見入っていたら、植林されたカラ松の黄葉だったのである。とはいえ、一年中ほとんど変化することのない暗緑色の植林=杉檜に馴染んでいる吾々からすれば、確かに人口林、植林ではあっても四季の変化に対応して新緑から夏の緑、そして黄葉から落葉へと遷り変わるカラ松は十分に自然の一部として美しく見えるのである。風土性というか、認識の違いというのは面白いものだ。

 

 ↓ 残照に映える御陵(おみはか)山

f:id:sosaian:20181103220946j:plain

 

 廻り目平に近づくと前方に怪異な岩峰群が現れてくる。あれが屋根岩かと思うが、車窓からは撮影の余裕もない。素晴らしい白樺林の黄葉とその間に点在する紅葉。メンバーのほとんどの人にとっては単なる見慣れたアプローチにすぎないのだろうが。もっとゆっくりと鑑賞したいものだが、今回は仕方がない。ほどなく廻り目平に到着。

 

 ↓ 廻り目平から見る屋根岩。もっと手前でカッコ良く見えたのですが、撮影できませんでした。

f:id:sosaian:20181103221024j:plain

 

 ↓ 廻り目平の紅葉。これももっと少しきれいな場所があったのですが、あっという間に暗くなってしまった。そして何よりも私の腕とカメラではあの素晴らしさは再現できません。わが心に残るのみ。 

f:id:sosaian:20181103221059j:plain

 

 素晴らしい紅葉である。私がこれまで見た紅葉の中でも間違いなく一番である。残念なことに秋の日は釣瓶落としで、雑用に追われているうちにあっという間に暗くなってきた。

 

 ↓ さて宴会準備。続々とクライマーたちの車がやってくる。圧倒的に多いのはボルダリングの人たち。

f:id:sosaian:20181103221134j:plain

 

 早速、宴会の準備。流儀は違ってもベテラン揃い。焚火に大鍋をかけ、おでんが煮える。あっという間に準備は整い、宴会に入る。楽しい宴会はその後、金峰山荘の部屋へと二次会の場を移し、23時頃まで続いたのであった。

 

 ↓ 歩行距離が短すぎて赤線がさびしい。

f:id:sosaian:20181103221248p:plain

 

【コースタイム】2018.10.27(土)曇りのち晴 

 *あまりちゃんと記録をとっておらず、不正確です。

林道駐車スペース9:10~尾根広場ハーネス着装9:55~頂上598m~尾根広場~西側岩稜基部往復~阿夫神社12:20~林道駐車スペース12:25

 

秋合宿・弾丸日帰り百名山 その2 八幡平 (2018.10.16)  

 

10月16日(火)

 前夜は、いこいの村岩手・焼走り温泉に泊まった。今日のコースは時間の余裕もある。ホテルでゆっくり朝食を食べて出発する。

 アスピーテラインなる有料道路を行く。アスピーテライン?どこかで聞いたことがある。霧ヶ峰だ。そうか、八幡平もアスピーテ=楯状火山、つまりそれで高原状なのかと腑におちた。針葉樹と白樺で織りなされたおほどかな広がりである。

 

 茶臼岳登山口と表示された駐車スペースに車を止める。そこはすでに標高約1350m。瀟洒な面持ちの茶臼岳が少し気取って肩をそびやかす風情だが、標高差はたかだか228m。最終目標の八幡平山頂でも1613.3mだから標高差は263m。昨日の標高差1450mを思えば気楽な高原ハイキングである。

 

 ↓ 茶臼岳登山口から見る茶臼岳

f:id:sosaian:20181029215350j:plain

 

 ↓ 笹原の中に敷かれた木道

f:id:sosaian:20181029213430j:plain

 

 

 指導票に導かれてよく整備されたゆるやかな登山道を進む。笹原を切り拓いて木道が敷かれた道。かたわらのナナカマドの木には宝石のような赤い実が生っている。振り返れば昨日登った岩手山が重厚な姿を見せている。

 

 ↓ 振り返れば岩手山

f:id:sosaian:20181029213314j:plain

 

 ↓ 賢治の作品の中に出てきそうなナナカマド

f:id:sosaian:20181029213345j:plain

 

 ↓ 茶臼岳直下より振り返る

f:id:sosaian:20181029213622j:plain

 

 

 明るい山稜を40分ほどで茶臼山荘。左に低いオオシラビソの中の路を少し進めばもうそこが頂上だった。三角点のすぐ前が大岩のある大展望台となっている。いまさらながらの膨大な広がり。点在する湖沼群。顕著なピークのない中で少しだけ目立つあの山は何だろうか。

 

 ↓ 茶臼岳三角点の前の展望台にて

f:id:sosaian:20181029213657j:plain

 

 ↓ あのモッコリは何山?

f:id:sosaian:20181029213749j:plain

 

 

 いったん茶臼山荘に戻り、縦走路を進む。縦走路とは言ってもそもそも尾根の感じは全くない。入山者の多さからか、道はえぐれ、掘りこまれたところも多いが、木道、木段はよく整備されており、地面を歩くよりも木道・木段の上を歩く割合の方が多いほどだ。

 ゆるやかに下ると湿原が現れる。季節がら、花がないのは仕方ないが、秋の湿原の風情もそう捨てたものではない。

 

 ↓ 黒谷地湿原 一片の花もない

f:id:sosaian:20181029213845j:plain

 

 

 その湿原を過ぎ、笹原を歩んでいると突然先頭のKの声。「熊だ!」数m先の登山道を横切って、笹薮の中に消えていったと言う。他の三人は残念ながら目撃していないのだが、まさか幻でもあるまい。とりあえず大声を出し、追い払う(?)。

 これまで山で熊と遭遇したことは何度もある。といっても多くの場合は遠くから見たり、今回のように一瞬の出会いだったが、一度だけ蔵王沢登りのビヴァーク明けの起き抜けに、二頭の親子熊(といっても両方とも同じぐらいの大きさ)と5分ばかり間近で対峙した時は、さすがに恐怖を覚えた。

 まあ、とりあえずもう大丈夫だろうと先に進む。すれ違う登山者に一応情報を伝え、注意をうながしておく。八幡平は楽に登れる百名山なので、さすがに登山者は多い。体力的なことからも、岩手山に比べ、年配者の率、女性の率が高い。

 ほどなく源太森1595mの頂上(11:53)。特にどうということもないが、まあ一応頂上である。

 

 ↓ 源太森山頂 何だろうこのノリは?

f:id:sosaian:20181029213937j:plain

 

 

 下ればほどなく大きな八幡沼の一端にでる。先ほどよりも規模の大きい湿原が広がる。曇ってきて少し暗い印象だが、盛夏のころはまた違った印象となるだろう。

  

 ↓ 八幡沼

f:id:sosaian:20181029214123j:plain

 

 ↓ 八幡沼横の湿原。まさに「平」は「岱」でもある。岱はぬたとも読み、山上の湿原湿地のことを言う。

f:id:sosaian:20181029214156j:plain

 

 

 沼の畔の凌雲荘のそばで昼食をとる。そこで初めて気がついた。弁当を車に置いてきたことを!仕方がない。持っていたバナナと行動食、そして皆から少しずつ恵んでもらえばもう充分であった。それにしても昼食を置き忘れてきたというのは初めてだ。まったく、長く生きているといろいろあるものだ。

 周辺には軽装の、容姿から見て中国人と思われる人が多くいる。それにしては静かだなと思っていたが、下山後のホテルでは台湾からの団体客が多く来ていた。その人たちのようだ。同じ中国人と言っても、中華人民共和国の人と中華民国の人ではだいぶ印象が違う。

 

 ↓ 八幡平と左が凌雲荘

f:id:sosaian:20181029214258j:plain

 

 

 昼食を食べ終わって歩き出せば、すぐ先が八幡平の山頂だった。単なる笹薮の中の何の変哲もない一地点に大きな櫓というか展望台がある。ふと気づけば、その足元に三角点がひっそりと在る。まあこのロケーションでは、三角点はあっても櫓でもなければ頂上の格好がつかないのだろう。

 

 ↓ 八幡平山頂 左奥に三角点が見える

f:id:sosaian:20181029214339j:plain

 

 ↓ 八幡平山頂展望台にて

f:id:sosaian:20181029214435j:plain

 

 

 下りだす頃から少し雨が降り始めた。その中を軽装で登ってくる人がまだ多くいる。この天気と時間では頂上の櫓に登って、八幡沼まで往復して終わりだろう。四月に登った四国の剣山では、歩き出して最短時間で登れる百名山と言っていたが、こちらはそれよりも短いのではないか。少なくとも車を降りてからということでは、間違いなくこちらの方が早く頂上に着ける。

 

 ↓ こんな小さな沼があちこちにある

f:id:sosaian:20181029214507j:plain

 

 

 頂上から駐車場まで30分足らず。何台もの大型バスや車が停まり、もはや下界である。1時間ほど待って定期バスに乗り、車を置いてきた茶臼岳登山口に戻る。かくて今回の登山は終了である。

 

 アスピーテラインを下りはじめ、標高が下がると、雲の領域を抜け出したらしく、晴れてきた。途中、大きく湯気を上げていた地熱発電所(関係の施設?)や団地のような廃墟らしきものが見えた。どうやら地図にある旧松尾鉱山関係のものと思われ、興味がわいた。近寄って見てみたいが、そう簡単にはいかないようだ。

 

 ↓ 地熱発電所関連

f:id:sosaian:20181029214552j:plain

 

 ↓ 旧松尾鉱山関連の住宅廃墟群

f:id:sosaian:20181029214632j:plain

 

 

  途中前の車が徐行している。ふと見ると犬がいる。犬?いや狐だ。少しケガをしているようだが、逃げもしない。餌をねだっているのどだろうか、車に寄ってくる。つい、何か与えたくなるが、与えるべきではないのだろう。それにしてもなぜこの狐はそんなに悲しげな眼をしているのか…。

 

 ↓ 狐…です

f:id:sosaian:20181029214721j:plain

 

 

 ともあれ、私は狐を見たのは初めてだった。これで本州に棲む哺乳類はほとんど見たことになるのかもしれない。月の輪熊、鹿、猪、狸、穴熊、イタチ、オコジョ、テン、黄テン、モモンガ、ムササビ、リス、兎、鹿、カモシカキョン(鹿の一種、外来種だが)、アライグマ(外来種)・・・。さすがに羆やアマミノクロウサギイリオモテヤマネコは見たことがない。そういえば、ヤマネも見たことはなかった。思えばそれぞれ貴重な体験だ。

 

 そうこうしているうちに、ふと松尾鉱山資料館という看板を見つけたので、立ち寄ってみた。松尾鉱山そのものについては何も知らなかったのだが、ふんふん、そうかといった感じで、少し勉強になった。

 吾々の世代ではまだ多少は体験している昭和の雰囲気・ありようが実感される部分もあり、それなりに面白かった。特に一頃(今でもまだ多少はそうであるが)、明治から戦前にかけて日本の主要輸出品の一つであったマッチのラベルのコレクターであった私には、マッチ=硫黄の線で興味深かったのである。このように、旅先で思いがけず自分と関係あるものと出会うことがあるということの、その可能性も、こうした遠隔地での山旅の面白さの一つでもあるだろう。もちろん、そうした個人的興味に、共感ないし少なくとも寄り道に付き合ってくれるメンバーでなければ、通り過ぎて終わってしまうのであるが。

 その夜は八幡平温泉郷ライジングサンホテルに泊。台湾からの団体客が多かった。前夜のいこいの村岩手・焼走り温泉もそうだったが、温泉、食事ともあまり印象に残っていない。もちろんそれなりにリーズナブルな観光ホテルなのだから、やむをえないというか、多くを望むのは贅沢にすぎるというものかもしれない。ちなみに当初私が計画していた、蒸ノ湯温泉も後生掛温泉も、宿は満員で、結局は泊まれそうになかったわけだから、なおさらそう思わざるをえない。

 

【コースタイム】2018年10月16日(火)

茶臼岳登山口9:25~茶臼山荘~茶臼岳1578.2m10:02~源太森1595m11:53~八幡沼凌雲荘12:25~八幡平山頂1613.3m13:05~見返峠13:35 バス発14:30

 

 

10月17日(水)

 ホテルでの朝食後、前々夜泊まったホテルに置いていた、Tの旅のバイクを回収しに、盛岡市街に向かう。山口県からバイクで山陰~北陸と走って盛岡で合流したTは、この後さらに十和田湖津軽~恐山と走って東京に向かい、その後フェリーで北九州を経て帰るという。トータル18日の、(主に)バイクと(一部)テントの旅。孫もいるというのに、いったい何を考えているのだろう、この男は。まあ、あまり人のことは言えないが…。

 

 吾々の方は毎度のことだが、帰りがけの駄賃に、今回は私の希望もあって、宮沢賢治ゆかりということで、小岩井農場に寄ってみた。名作の長詩「小岩井農場」の舞台である。もとより当時の雰囲気そのままというわけにはいかないだろうし、一部はテーマパーク化しているが、有形文化財に指定されているという、牛舎(今も現役)や関連建造物、資料館などを見ることができた。一部は宮沢賢治の時代にもあったものである。100年近い年月は隔たっているものの、それなりのゆかしさというか、当時のハイカラさを感じとることができた。何点かの建造物をスケッチした。賢治の詩碑も悪くなかったが、詩文の書体が活字体だったのは残念。

 

 ↓ 小岩井農場 有形文化財の一つの牛舎

f:id:sosaian:20181029214856j:plain

 

 ↓ 小岩井農場 これは別の牛舎の内部

f:id:sosaian:20181029214941j:plain

 

 ↓ 同じく小岩井農場 双子型サイロ いい感じだ~

f:id:sosaian:20181029215008j:plain

 

 ↓ 同じく小岩井農場の木造サイロ。私の一番のお気に入り。いずれ私の作品に出てくるかもしれない。

f:id:sosaian:20181029215037j:plain

 

 ↓ 賢治の詩碑

f:id:sosaian:20181029215120j:plain

 

 

 ついでにF嬢の希望で、さらに足を少し伸ばして「小岩井農場の一本桜」なるものを見に行く。私は今回までその存在を知らなかった。いやどこかで画像を見たことはあるのだろうが、特に意識はしなかった。日光戦場ヶ原のそれやら、尾瀬のそれやら、同様のものはよくあるが、有名なそれらを画像で見ても、多くは(おそらくはそれらが有名であるがゆえに)人工的というか、美しく加工されすぎという印象を持つのである。もちろん現物を見ればまた違うだろうが、要は画像化されたものに対する不信感が最初にあるのだ。つまりは有名なものは嫌いというへそ曲がり。

 今回の小岩井農場の一本桜は、それはそれで悪くない。残念ながら岩手山は雲の中、雪もなく、当然ながら花も咲いていない。しかし確かに残雪の岩手山を背景にして満開の花の時期であればさぞやと思わせるものはある。そこに多くの観光客さえいなければ。

 

 ↓ 小岩井農場一本桜 農場の敷地内なので近づくことはできません。

f:id:sosaian:20181029215152j:plain

 

 ↓ 同上ズーム 岩手山は雲の中

f:id:sosaian:20181029215216j:plain

 

 その後はひたすら東北道を南下し、20時過ぎにわが家に到着。二人ともわが家で最後の一泊。

 

10月18日(水)

 昼過ぎの羽田発の飛行機に間に合わせるには、F嬢希望の高尾山に登るにはちょっと余裕がない。ということで、今回はわが家の裏庭というか、私の山散歩コースの一つの、広徳寺から金剛の滝に行った。Kは二度目だが、F嬢は初めて。ま、東京の裏山はこんなもんです。

 

 ということで、今回の秋合宿、岩手山と八幡平の二つの日帰り百名山は完全終了。

 今回の二つの山は、一つは富士山型成層火山(コニーデ)、一つは楯状火山(アスピーテ)≒高原ということから、火山特有の地形の単調さゆえに、山登りとしてはそう面白いものとは言えなかった。だが火山であれ、褶曲山脈であれ、準平原であれ、それぞれが山の個性なのだ。そして登り自体の面白さと、登った喜びとは、本質的にはまた別のものである。要はいろんな山があるということなのだ。

 そして、久しぶりの東北の風土性を多少とも味わえたことは、やはり楽しかったのである。

 

 

附録:帰宅後に作った拙作五首。

 

   みちのくの山 五首

成層火山(コニーデ)の単調なれば優美なる

姿態をさらす岩手山 午后   

 

愛らしきゆえに忘らる人あるべし

姫神山の小(ち)さく可愛ゆく

 

茫洋とただ連なれるみちのくの

山山の憂ひ誰ぞ知らなむ  

 

山中の瞳のごとき沼沼の

秘かな息は今日も吐かれる

 

みちのくの山巓に在る不思議さよ

かく人生のその意味不可知(しらず)

 

 *( )内は本来はルビなのだが、このサイトではルビはフリガナとして表示されず()に入れられてしまう。ちょっと読みづらくなるが、ご勘弁を。

 

                           (記:2018.10.29)

展覧会(グループ展)のお知らせ・二つ

 間近になってのお知らせで申し訳ありませんが、まもなく始まる二つのグループ展についてお知らせします。

 御時間ございましたら、ぜひ御高覧下さい。

 

 

1.「年末年始に飾る絵画」

 会期:11月2日(金)~17日(土) 12:00~19:00

 会場:数寄和 杉並区西荻北3-42-17 ℡ 03-3390-1155

 

 ↓ DM 表面

f:id:sosaian:20181029131406j:plain

 

 ↓ DM 裏面

f:id:sosaian:20181029131342j:plain

 

 

 急に決まった企画展ですが、新作の小品5点を出品します(会場の都合で当日すべてが展示されているとは限りませんが、申し出ていただければ、すべて見ることはできます)。

 酒飲みにやさしい(?)、今人気のおしゃれな街西荻窪散策と合わせ御高覧いただくのも良いかと思います。

 出品作家等については数寄和のHP( https://sukiwa.net/ )をご覧ください。

 

 

 

2.「Art Viewing OME」

会期:11月17日(土)~12月2日(日) 9:00~17:00

 会場:青梅市立美術館 市民ギャラリー(入場無料)

 ギャラリートーク 11月25日(日)14:00~16:00

  *参加作家による自作を前にしてのトークです。

  

 ↓ 展覧会チラシ 表面

f:id:sosaian:20181029131646j:plain

 

 ↓ 展覧会チラシ 裏面

f:id:sosaian:20181029131710j:plain

 

 昨年に引き続きの青梅市立美術館市民ギャラリーでのグループ展です。18人の現代的傾向の作家が参加。私の作品は未発表作を中心とした小品5点による構成で、静かなふんいきのものになると思います。

 ちょうど見ごろの多摩川渓谷の紅葉の鑑賞と合わせて御高覧いただくのも良いかとおもいます。

 

 以上、ご多忙とは存じますが、よろしくお願いします。

秋合宿・弾丸日帰り百名山-その1 岩手山 (2018.10.15)

 恒例の(といってもまだ3回目だが)防府高校山岳部OB会の秋合宿である。前回の山から、中三か月も空いた。

 7月下旬に夏合宿として北海道、雌阿寒岳羅臼岳斜里岳等を予定し、宿も飛行機のチケットも手配済の7月3日、そのトレーニングを兼ねた奥多摩蕎麦粒山から帰ってみると、メンバーの一人Kが箱根金時山の一般登山道で転倒し、手首を骨折したとの報が入った。当然、夏合宿は中止である。数日後、追いかけるようにして、その時に肝臓も損傷していたことが判明し、即刻入院したとの連絡があった。

 それはまあ仕方がないのだが、その後の連日の猛暑は異常だった。山に向かうモチベーションはおろか、日中は外出する気力すらわかず、ひたすらエアコンを入れたアトリエに逼塞するのみ。9月に入っても猛暑は続き、その後は毎週ごとの台風襲来と、天候に振り回された今年の夏だった。ただし、山を早々にあきらめたその猛暑の中で、ただ制作に専念したことはそう悪いことではなかったが、それはまあ山とは別の話。とにかく、それ以来の山なのだ。

 

 山は、百名山好き、有名山岳好きなFとKの意向もあり、早い段階から岩手山(プラス近いということで八幡平)ということは早くから決まっていた。私自身としても、宮沢賢治ゆかりの山ということから、念願の山でもあった。一応、私がリーダーということで、計画を立てようとするが、山口県から来る三人の交通手段や現地での移動手段まで含めて考えると、なかなかルートも決まらない。メンバーの一人2学年後輩のTはなんと山口県からバイクで旅をしつつ、現地で合流するという!

 私の方は、山とは別に、9月に孫が生まれたり、その他、身辺の雑事・俗事の多忙さもあって、とうとう、私なりの原案のみ提示して、具体的なことはすべてKにゆだねることにした。こうした実際面については、私よりはるかに能力の高いKはあっという間に新しい計画書を書いた。

 当初の私の案では、岩手山は柳沢コースから避難小屋泊り、翌日主稜線を縦走し、網張温泉に下山、次の八幡平は安比高原あたりから入って蒸ノ湯もしくは後生掛温泉で一泊後、田沢湖方面に下山というもの。避難小屋泊まりを含む二日×2では、確かに吾々には少々荷が重いかなという気はした。

 Kの新案では、羽田からレンタカーを駆り盛岡へ、岩手山焼走りコースから日帰り、八幡平は茶臼岳登山口から頂上へという、最短コースの日帰り2本という、なんともシンプルというか、効率的なもの。つまり「日本百名山弾丸日帰り登山×2」に変貌していたのだった。私はそのシンプルかつ効率の極致のような計画を見て、圧倒された。感動したといってもいい。

 ルートに意味や美しさを求めがちな私からは絶対出てこない計画である。悪いとは言わない。むしろ、今の吾々の力量に見合った、良い計画だと思った。それにしても発想(における個性)の違いというのは侮れないものだと思った。そして、昨今の多くの百名山志向の(中高年)登山者の多くは、おそらくこんな感じの計画を立てるのだろうと、思い当たったのである。

 ちなみに宮沢賢治はこの岩手山を愛し、学生時代だけでも三十数回登ったという。「岩手山」という詩も書いている。彼が登ったのはほとんどが柳沢コースからで、「柳沢」という作品もある。私が柳沢コースに多少のこだわりがあったのも、そのことが影響していないわけではない。ともあれ、Kに計画をゆだねたことによって、賽は投げられたのである。

 

 10月14日昼前、山口から飛行機でやってきたKとFが羽田からレンタカーで迎えに来てくれた。現地盛岡でレンタカーというのは私も考えたが、羽田からとは恐れ入った。

 一路盛岡へ。数日前に山口を出てバイク旅を重ねてきたTと盛岡のホテルで合流。一杯飲み(KとFはほとんど飲まない)、盛岡じゃじゃ麺などという不思議なものを食べた。帰途、翌日の朝食と昼食をコンビニで仕入れる。

 

10月15日

 朝6時すぎ、ホテルを出る。登山口の岩手山焼け走り国際交流村の駐車場で、前夜買ったコンビニ弁当の朝食。駐車場のすぐ脇が登山口。7:00に歩き出す。

 

 ↓ 焼走り登山口 左から欲深キョーコ 防長マグロK チャリダー兼バイカー兼旅人T          

f:id:sosaian:20181023170151j:plain

 

 植林はほとんどなく、ミズナラなどの落葉広葉樹を主とした林相である。紅葉というにはやや中途半端な彩合いだが、まあ今年はこんなものなのだろう。新緑に比べて紅葉は、一斉にといったまとまりのタイミングで行き当たることは、案外難しいのである。

 

 ↓ こんな感じ 以後植生の垂直分布が観察される          

f:id:sosaian:20181023170232j:plain

 

 岩手山は南部富士の別名のごとく富士山型の成層火山(コニーデ)なので、ゆるやかで均一な登りが続く。道はよく踏まれているが、火山帯特有の軽石のような砂礫交じりで、その分少し滑りやすい。焼走りコースというからにはその溶岩流の上を歩くのかと思っていたら、並行してその右側を登るばかりで、溶岩流そのものを見るところはほとんどなかった。

 変化の少ない、単調といってもよいゆるやかな路を淡々と登る。緊張感もなく、時おり、周辺にキノコを眼で探すが、不思議なほど見当たらない。

 単調とは言っても、次第に傾斜は増してくる。先行の三人に少しずつ遅れる。必ずしも私のペースが遅いわけではないのだが(決して早くはないが)、前の三人が元気良すぎ、早すぎるのである。Kの手首の痛みも登るぶんにはあまり問題ないようだ。時々立ち止まって待ってくれるが、かえって少し苛立つ。パーティー登山ではよくある、仕方のない現象である。すがれたウスユキソウの渋い美しさに慰められつつ、自分のペースで登るしかない。

 第2噴出口跡は少し開けた溶岩の台地。気持ちの良いところだ。仰げば岩手山山頂がまだまだ先の高みを優雅な傾斜の上に見せている。反対側を見下ろせば、雲海の上に姫神山がその愛らしい山体をのぞかせている。

 

 ↓ 第二噴出口 見えている頂上まで標高差はまだ1000m近くある          

f:id:sosaian:20181023170054j:plain

 

 ↓ 雲海の彼方の姫神山をズーム

f:id:sosaian:20181023170122j:plain

 

 伝説によれば男らしいイケメンの岩手山と、あまり美しくない(?)正室姫神山と、美しい側室の早池峰山の間で、オクリセン(送仙山472.4m/岩手山の東北東)を介して人間臭い(?)葛藤悲劇があったとのことだが、遠望するかぎり、十分可愛らしい山容である。

 第2噴出口跡のすぐ先が第1噴出口。傾斜は少し強まっているはずだが、巻き気味に登るのでさほど苦にはならない。気が付けばいつのまにか高い木はなくなり、岳樺などの灌木帯となっている。

 

 ↓ 第一噴出口と溶岩流

f:id:sosaian:20181023170427j:plain

 

 ↓ 第一噴出口の先

f:id:sosaian:20181023170543j:plain

 

 ツルハシの分かれで上坊コースを合わせ、やや傾斜の増してきた登りを続けると、ちょっとした岩とその下の祠が目に入った。帰宅後に見た山と高原地図では「三十六童子」と記されてあった。わずかに名のみ知っているセイタカ童子やコンガラ童子を含めた、不動明王の眷属ということらしいが、詳しいことは知らない。

 

 ↓ 三十六童子と記されていたところ~後述

f:id:sosaian:20181023170617j:plain

 

 ↓ この溶岩塊全体を平笠不動というのだろうか? 手前が避難小屋 遠くは八幡平 まわりはハイマツ帯

f:id:sosaian:20181023170712j:plain

 

 その先一登りで平笠不動避難小屋。小屋の背後の大きな岩塊が平笠不動(の御神体)ということなのだろうか。ちょっと攀じ登ってみたくなる風情だ。あたりにはハイマツも出てきた。頂上まではあと一息。その一登りでまた十分に遅れ、ようやく皆の待つ山頂(薬師岳)2038mに着いた。

 

 ↓ 岩手山山頂(薬師岳) 八幡平方面は雲

f:id:sosaian:20181023170830j:plain

 

  さすがに東北を代表する名山。平日とはいえ、登山者も多い。やや雲が多いものの、展望やロケーションは素晴らしい。ことに当初の私の計画にあった鬼ヶ城の岩尾根や、それと対照的な御苗代湖のある草原湿地帯に目を惹かれる。

 

 ↓ 御苗代湖と奥の乳頭山秋田駒方面 手前左が鬼ヶ城の一部

f:id:sosaian:20181023170754j:plain

 

 ↓ 鬼ヶ城の岩尾根をズーム

f:id:sosaian:20181023172649j:plain

 

 八幡平方面は折あしく雲の中だが、遠望すれば秋田駒や早池峰に限らず北東北一帯の山々が見えているはずだが、茫洋となだらかな起伏で連なる、いかにも東北的な山々は、一目でそれが何山だとは同定しにくい。

 遠望もさることながら、眼前にあるのは、一周1時間ほどのカルデラのお鉢巡りの路と、その中に、何となく恥ずかしそうに佇んでいる中央の墳丘。意図的にか、その頂上の二か所に積まれたケルンによって、それはアドレッセンス中葉の少女のまだ硬い乳房を思わせる。乳房山とか乳頭山といった山名はいくつかあるが、これほど魅力的な乳房は初めて見た。

 

 ↓ 少女の乳房

f:id:sosaian:20181023170924j:plain

 

 ↓ 何してるの? いや、させられてるの?

f:id:sosaian:20181023170959j:plain

 

 少し楽しみにしていたお鉢巡りは、時間の点から中止という。少々残念ではあるが、反対する者もおらず、もったいない、残念だと思いつつ、そういう私がこの時点では一番疲れているのだから、仕方がない。

 いったん避難小屋に下り、昼食。コンビニ弁当以外に、例によって具沢山の熱いみそ汁やコーヒー等々の豪華な昼食である。

 

 帰路、少し気になっていた三十六童子に立ち寄ってみる。祠の前には赤さびた鳥居と剣。剣は不動明王の持物で問題はないが、ヒンドゥー由来ではあっても一応仏教の範疇である。それと神道の鳥居が同居するのは、神仏混交時代の名残なのだろう。右の首のない石仏ははっきりとはわからないが、地蔵のようにも思われる。もう少しゆっくりと観察したいところだが、そんなことに興味のない皆はとっとと下っている。

 

 ↓ 左:鉄の剣と鳥居の組み合わせ        右:地蔵?不動と見えなくもないか。 詳細不明

f:id:sosaian:20181023171228j:plain    f:id:sosaian:20181023171301j:plain

 

 下りでは遅れることはない。ツルハシの分かれからは往路と分かれ、上坊神社に至る上坊コースを下る。こちらも登りと同様の、変化の少ない単調な下りが続く。時おり現れる美しい紅葉を愛でる。どういうわけかTが何度も滑って尻もちをつく。昨日までの連日のバイク乗りのせいか。この歳になると、下りでひざが痛いという人が多い。他の三人ともその傾向があると言う。私もまったく経験が無いわけではないが、普段はほぼ全くないのは幸いである。

 次第に薄暗くなりつつあることもあって、上坊神社でもゆっくり観察する余裕はなく(他のメンバーはもともと関心がない)、地図上でやや不安のあったその先の路も問題なく、まもなく舗装道路に出た(16:30)。そこから車道を歩くこと30分ほどで駐車場に着いた。途中で振り返ると、岩手山が大きく優美な姿態を見せていた。

 

 ↓ 見返れば暮色に包まれた南部富士

f:id:sosaian:20181023171405j:plain

 

 省みると、今回の登りでは一人だけ常に遅れていたわけだが、実際にかかった時間は休憩を入れても5時間25分。山と高原地図のコースタイムでは5時間20分。コースタイムは一つの目安にしか過ぎないのだが、休憩時間は含まないことになっている。したがって実質的にはコースタイムよりだいぶ早く登っているのである。上等ではないか。まあコースタイムより早く登ろうが遅かろうが、想定内であれば問題ないのであるが、パーティー全体の力量を配慮しろよと言いたくはなる。しかし一人遅れる私としては言いにくいのだ。ただ「ブツブツ…」とつぶやくのみ。

 ちなみに今回の標高差は1450m。登りやすい単調な富士山型の登降なので、特にきついとは思わなかったが、やはり吾々の年齢としては、日帰り登山としては標高差1000mというのが目安だろう。まあこのコースと移動手段の効率の良い計画だったからこそ、充分日帰り可能だったのである。とにかくまた一つ百名山を登ったのである。

 

 【コースタイム】          

焼走り登山口7:00~第2噴出口跡8:45~第1噴出口跡9:10~ツルハシ分かれ10:05~平笠不動避難小屋11:10~岩手山山頂(薬師岳)2038m12:25 平笠不動避難小屋13:05~ツルハシ分かれ~上坊神社~車道16:30~焼走り登山口駐車場17:00