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艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

ちょっと遅くなりましたが、「美術館探訪録・2015年-2 (海外篇)」

美術・展覧会

 少し前に「美術館探訪録・2016年(国内篇)」をアップした。「国内篇」を書いたからには「海外篇」も書かねばならない、昨年も書いていることだし。と、思って確認したら、ない。「美術館探訪録・2015年(海外篇)」はアップしていなかったのである。おかしい?確か書いた記憶はあるのだが。よく見て見たら、途中までは書いていたが、未定稿のまま埋もれていた。読み返してみて、思い出した。後半のアメリカの美術館の部分が書けなかったのである。

 もともとこの「美術館探訪録」を書くにあたっては、それほど分析的批評的観点で書く気はなかった。一種のコレクション自慢のような、軽い気持ちで書くつもりだったのだ。今でもそうである。自分の趣味を基軸としながらも、それでも結果として、多少はそれなりの観点が出てくれば幸い、というぐらいの気持ち。しかしふとした拍子に、歯止めがきかなくなるというか、その国の美術の基層に在る、特殊でもあり、普遍的でもある、意味合いのようなものに触れざるをえなくなる時がある。たまたまアメリカという国、アメリカ美術がそうであった。

 

 ○○美術ということで言えば、振り返ってみると、すべてとは言わないまでも、かなりのものを、多くはその地で、見たという気がある。イタリアルネサンスフィレンツェ派、ヴェネツィア派、シエナ派、フェラーラ派・・・)、北方ルネサンスビザンチン美術、印象派、北欧工芸、中国美術、東南アジア各地の美術、イスラム美術、アフリカ美術、アンデス美術、オセアニア美術・・・。

 ただ、アメリカ美術をアメリカに行ってトータルで見たことはなかった。アメリカに行かずともこれまでのさまざまな国内外の美術館や展覧会で見ている気はあるが、あれだけの大きさとなると、一度はアメリカに行かないとすまないような気はしていた。長くその思いはあったのだが、むしろそれゆえに、行くことを避けていたところがある。(アメリカという国があまり好きではない、ということもある)

 しかし、縁あって行ってみると、その体験をベースとして、やはりその特殊性と普遍性について考えざるをえなくなる。それほど難しい話ではない。事前事後共に、直観的には把握したつもりでいる。ただ、それこそがアメリカの特殊性であるところの、移民国家であるゆえの伝統を持たぬことからくるヨーロッパに対するコンプレックスと、その反動としてのアイデンティティーの確立過程、及びそれを可能にしたところの経済の問題、等を考え、いざ書くとなると、いくらサラッと書くにしても、やはりある程度の実証作業は必要になってくる。そして、そこでめげてしまったのである。

 

 途中放棄した本稿は、「アメリカ 財閥 第一次と第二次の両大戦を通じて 子供じみた所有慾」という、いくつかのキーワードをメモし始めたところで終わっている。いまさらながら、アメリカという国はでかい。ハドソンリヴァー派から始まって、アメリカンフォークアート、現代美術、そして異常ともいえる美術品蒐集慾等々、それらのアメリカの美術全体を、軽く、サラッと語ることに、あっという間に挫折してしまったのである。

 

 挫折は挫折でしかたがない。しかし、ここでこの稿をお蔵入りのままにしておくことは「美術館探訪録」のみならず、山の紀行・記録や読書のそれやも含めて、このブログの存在理由が危うくなるということにもつながりかねない(ちょっと大げさだが…)。

 ということで、思い出したのを幸いとして、この未定稿をそのままアップすることにする。しかし、よく見たら他にもいろいろと書きかけのまま放置しているものが、結構あるのである。なんか、書くということ、それは考えるということと同義でもあるのだが、そしてそれを(ブログで)発表するということは、なかなか大変な作業というか、エネルギーを要することなのだなあと、いまさらながら思うのである。

 

   以下未定稿「美術館探訪録・2015年 (海外篇)」

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 美術館探訪録を国内篇と海外篇とに分けて出すのは、何か少し嫌味な感じがしないでもない(わが内なるブルジョア趣味?)。しかし実際問題として、海外の旅では一日中朝から晩まで何ヶ所も歩くことが多い。その結果、数的にも増え、また中には名所旧跡的な所も含まれてきがちなので、分類上分けて考えたいのである。

 昨2015年に行ったのはモロッコ+チュニジアとアメリカ。延べ33日(←!)。それぞれのいきさつについては別に書いたからここでは略すが、いずれにしてもそこにある美術を見ることが最大の目的であったことは言うまでもない。

 

 以下、「*ここに記すのは基本的に入場料を払って行った美術館・博物館の展覧会である(中には無料のものもある)。寺院・教会・遺跡等も含む。一般画廊の個展等は含まない。」については同様。なお国内のそれと違って、海外ではいわゆる特別展は少なく、常設が中心となるので、記載形式が若干異なる。内容・規模的に一つとしてカウントするに足りないと思われるものは適当に+を付して他と合わせてカウントした。以上、私の分類趣味についての補注。

 

◆モロッコ+チュニジア

 モロッコ+チュニジア篇の写真については、完結していないが、すでに「モロッコ・チュニジアの旅 1~10」をアップしているので、省略

  1. マラケシュ博物館(+現代モロッコ絵画の展示)

  モロッコ/マラケシュ 2月3日 [建築・絵画]

  1. ベン・ユーセフ・マドラサ (+皮なめし職人地区/2月4日)

  モロッコ・マラケシュ 2月3日 [建築・工芸]

  1. ハビア宮殿

  モロッコ/マラケシュ 2月4日 [建築・工芸]

  1. ダール・シ・サイド(工芸博物館)

  モロッコ/マラケシュ 2月4日 [工芸]

  1. ディスキウィン博物館

  モロッコ/マラケシュ 2月4日 [工芸]

  1. マジョレル庭園+ベルベル博物館

 モロッコ/マラケシュ 2月5日 [工芸・デザイン]

  1. イブ・サン・ローラン・ギャラリー (+アグノウ門)

 モロッコ/マラケシュ 2月5日 [工芸・デザイン]

  1. ザアード朝墳墓群

  モロッコ/マラケシュ 2月5日 [歴史]

  1. エルバディ宮殿+ギャラリー

 モロッコ/マラケシュ 2月5日 [遺跡・写真]

  1. アイト・ベン・ハッドゥ

  モロッコ/アイト・ベン・ハッドゥ 2月6日 [遺跡]

 +ブー・ジュルード門

  モロッコ/フェズ 2月10日 [建築]

  1. ブー・イナニア・マドラサ+皮なめし職人地区

  モロッコ/フェズ 2月10日 [建築]

  1. ダール・バトハ博物館

  モロッコ/フェズ 2月11日 [工芸]

  1. 武器博物館

  モロッコ/フェズ 2月11日 [軍事]

 +マンスール

  モロッコ/メクネス 2月12日 [建築]

  1. ムーレイ・イスマール廟

  モロッコ/メクネス 2月12日 [建築・歴史]

  1. クベット・エル・キャティン+キリスト教徒の地下牢

  モロッコ/メクネス 2月12日 [歴史]

  1. ジャメイ博物館

  モロッコ/メクネス 2月12日 [工芸]

  1. メクネス博物館

  モロッコ/メクネス 2月12日 [工芸]

  1. ル・バルドー博物館

  チュニジアチュニス 2月15日 [歴史・モザイク]

  1. グランド・モスク

  チュニジアチュニス 2月15日 [建築]

  1. ポエニ時代の住居+ピュルサの丘

  チュニジアカルタゴ 2月16日 [遺跡]

  1. カルタゴ博物館

  チュニジアカルタゴ 2月16日 [考古・歴史]

  1. パレオ・クレチアン博物館

  チュニジアカルタゴ 2月16日 [モザイク・遺跡]

23.ローマ人住居跡+円形劇場

  チュニジアカルタゴ 2月16日 [考古・歴史]

 

◆アメリカ篇

  1. グッゲンハイム美術館 Doris Saicedo展+一部常設(展示替え中)

  ニューヨーク 9月16日 [近・現代西洋美術]

 

 ↓ ご存知、グッゲンハイム美術館の外観

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 ↓ Doris Saicedo は日本でも展覧会の開かれたことがある、コロンビア出身の女性作家で、社会性を持った優れた作品が多いが、コロンビアという国の歴史と文脈を知らないとわかりづらい。社会性を重視する作家のそこが辛いところでもある。

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 ↓ 同じく Doris Saicedoのインスタレーション

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  1. メトロポリタン美術館+エンパイアーステートビル

  ニューヨーク 9月16日 [総合+建築]

 

 ↓ メトロポリタン美術館の外観(だと思う) 実質世界最大の美術館。何でもあります。

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 ↓ こういうものに出くわすと、ドキドキする 正体は不明

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 ↓ オセアニアのコーナー  巨大な空間に膨大なコレクション

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 ↓ トーマス ・ハート・ ベントンの巨大な壁画の一部 この作品は知らなかった。

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 ↓ 私個人として、最も「アメリカ現代絵画」という気がしたのは、この作品だったかもしれない。

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  3.自由の女神+グランド・0

  ニューヨーク 9月17日 [歴史]

 

 4.ホイットニー美術館

  ニューヨーク 9月17日 [近・現代アメリカ美術]

 

 ↓ ビル・トレイラー こういうのを見るとほっとする。それにしてもアメリカではフォークアートやアウトサイダーアートが大事にされている、というか、いわゆるファインアートとあまり区別されていない。

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 5.ニューヨーク近代美術館MOMA)

  ニューヨーク 9月17日 [近・現代西洋美術]

 

 ↓ ホイットニー美術館だったかもしれない。反戦を扱った作品、つまり反体制アートのコーナー。こういうコーナーがあることに、アメリカのある種の健全さを感じる。それに比べて・・・

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 ↓ せっかくピカソの大規模な彫刻展をやっていたのに気付かず、閉館間際にやっと一部だけチラッと見ただけ。残念。

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 6. Agua Fria (PUEBLO LA PLAT Nationl Memorial)

  アリゾナ 9月18日 [遺跡]

  1. グランド・キャニオン (サウス・リム)

  グランド・キャニオン 9月19日 [自然・世界遺産

 +ヤバパイ博物館

  グランド・キャニオン 9月19日 [歴史・民俗]

 +グランド・キャニオン (ブライド・エンジェル・トレイル~プラ

  トー・ポイント)

  グランド・キャニオン 9月19日 [自然]

 

 ↓ グランドキャニオンのど真ん中。大いなる自然のアート。

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 8.  TUSAYAN博物館

  グランド・キャニオン 9月20日 [歴史・民俗]

 +ボックス・キャニオン・Lomaki Pueblo+Wupatki Pueblo

  Wupatki 9月20日 [遺跡]

 

 ↓ 旅の途中の車窓から。これもまた自然のアート。

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  1. セドナ国立公園

  セドナ 9月21日 [自然] 

 +モンテズマ・ウェル (Montezuma)

  モンテズマ 9月21日 [自然・遺跡] 

  1. グレイシャー・ポイント+センティネル・トレイル~センティネル・ドーム

  ヨセミテ 9月22日 [自然・世界遺産

 

 ↓ 大いなる自然のアート二題。

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  1. パノラマ・トレイル

  ヨセミテ 9月23日 [自然]

 +ミラー湖トレイル

  ヨセミテ 9月24日 [自然]

  1. アンセル・アダムス・ギャラリー

  ヨセミテ 9月24日 [写真]

  1. ゲッティ・センター

  ロサンゼルス 9月25日 [西洋美術]

  1. ロサンゼルスカウンティ美術館

  ロサンゼルス 9月26日 [総合]

  1. ロサンゼルス現代美術館

  ロサンゼルス 9月26日 [近・現代西洋美術]

 

 ↓ 美術館がでかすぎる!

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 ↓ アメリカ 作者未詳

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 ↓ わりと好きだった作品。この手の感じは60~70年代ぐらいに日本で誰かがやっていたのではなかったかな?

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  1. ノートン・サイモン美術館

  ロサンゼルス 9月26日 [西洋美術]

 

 

 といった按配である。当然ながらその国、民族性、風土性といった特徴を反映したものとなる。すなわちモロッコ+チュニジアでは(ローマおよびイスラム)モザイク、イスラム工芸・建築であり、アメリカではアメリカ近・現代美術と、近代以降の資本家の圧倒的な経済力によって蒐集されたヨーロッパを中心とした全方位の美術である。残念ながらアメリカでは街のギャラリーを中心とした最もコンテンポラリーなアートをあまり見ることができなかったのは、日程上やむをえなかったとはいえ、少々心残りではあった。

 

 さてモロッコである。文化的にはローマ文明からその後のイスラム文化の流れが基本であるが、私的には、初めてのアフリカということで、楽しみであった。

 モロッコには見どころが多い。1.「マラケシュ博物館」や5.「ディスキウィン博物館」4.「ダール・シ・サイド(工芸博物館)」など、日本ではあまり見る機会のない素晴らしいイスラム工芸を中心とした美術館は、いずれも充実した内容で楽しめた。マラケシュ博物館ではそうした伝統的なものと現代モロッコ絵画などが並べて展示されており、このやり方は最近海外で時々見るものだが、なかなか良いものだと思う。

 そうした伝統的工芸美術の中でも、この6.「ベルベル博物館」が白眉である。決して大きな美術館ではないが、この博物館があるマジョレル庭園を創設した画家ジャック・マジョレルから引き継いだ、イヴ・サンローランが蒐集した北アフリカ美術のコレクションは超一級品ばかり。さらに展示の仕方自体が現代的で、彼の作品と言いたくなるほど洗練されたものである。世界的デザイナーのエキゾチックなプリミティブ・アートの蒐集。思わずそれだけで反発したいところだが、脱帽するしかない。また、彼自身の作品(イラストレーションが中心)を展示した7. 「イヴ・サン・ローラン・ギャラリー」も意外なことに、たいへん面白かった。さらにマジョレル庭園自体が自然そのものを素材とした美しい美術作品というべきであり、ヨーロッパ人が抱くエキゾチシズムの具現化として見るのも興味深いものである。 

 その他、2. 「ベン・ユーセフ・マドラサ」や8.「 ザアード朝墳墓群」なども良かった。建築とはいっても、見どころはその壁面等の装飾であるが。また「皮なめし職人地区」は、工芸の生まれる以前の現場そのものといった観点から、興味深いものである。もっとも大多数の観光客のまなざしは、恐いもの見たさといったところだろうが。確かにインドあたりならスラムの一画にある光景である。

 

 私は旅において美術や風景、風土性といった興味の対象以外にも、いくつかのコンテンツを持っている。例えば物乞いのありようや、墓地、職業にかかわる差別、等々。モロッコでは職業・職人ごとにまとまったスークと呼ばれる地区が形成され、それらが隣接しあいながら旧市街(メディナ)の中に厳然と存在している。こうしたありようはモロッコに限らず多くの都市に見受けられる。かつての日本の一部においても同様であったのだが、そうした場合、古くからの市街の様態を保っているということがある程度前提のようだ。言うまでもなくマラケシュやフェズのメディナはおそらく中世以来のそのありようを保持していることによって、匂いや衛生面での問題にもかかわらず、その独特なありようを保持し続け、今日では観光の対象とさえなっているのである。そこに職業にかかわる差別が存在しているのかどうか、結局のところ、わからないのであるが、少なくともこうした過程をへて、あの美しいモロッコ革が造られるのだと知っておくことは、意義のあることだろう思う。そして結局のところ、あの迷宮としか言いようのない市街=メディナそれ自体、その全体が、アートだと思い至らざるをえないのである。

 

 チュニジアでは「ル・バルドー博物館」、その一ヶ月後の3月18日にあのいまわしいテロの舞台となったミュージアムである。古代ローマ時代のモザイクが中心。これまでトルコ、ギリシャとモザイクはそれなりに見てきたつもりだったが、新しい博物館だけあってそれらに比しても、質量、展示空間すべてにおいて素晴らしい。その素晴らしさゆえにISのテロの場に選ばれたということなのだろう。言うまでもなく、美術・文化といえどもそれが美術館・博物館という行政の場となったとき、畢竟政治や宗教といった思想と中立無縁ではないということである。しかし、それにしても・・・。

 カルタゴではやはりカルタゴ博物館が充実していた。当然モザイクもあるが、多様な考古的蒐集が楽しい。カルタゴと言えばハンニバルだが、この頃はまだ塩野七生の『ローマ人の物語』を読む前だったこともあり、遺跡等に関しては、興味が薄かった。

 

   ―以後未完

 

アメリカ 財閥 第一次と第二次の両大戦を通じて 子供じみた所有慾 

 

 

甲斐のマイナールート、水野田山・古武山・徳並山

[コースタイム]2017年3月9日

甲斐大和駅9:45~松智院10:07~マイクロウェーブ反射板11:10~水野田山11:18~林道:大志戸木の実の里森林公園11:35~大天狗12:25~古武山13:12~西大志戸山14:45~徳並山15:00~果樹園舗装道路16:43~甲斐大和駅16:50

 

 水野田山、古武山、徳並山と書き連ねてみても、その名を知っている人は少ないだろう。大菩薩連嶺の西に並行する長大な尾根筋が、最末端で中央本線と日川に突き当たって尽きるところに位置する山々。2.5万図、5万図のいずれにも山名は記載されていない。「山と高原」地図には徳並山の山名のみ記載されているが、登山道は破線ですら記載されていない。まわりの大菩薩、三つ峠滝子山などの有名な山々の陰に隠れた、知名度の低い山、つまり、私好みの山である。『新ハイキング』などにはたまに出るようだが、いわゆるガイドブックにはあまり紹介されていないようだ。と、思っていたら、図書館で借りた『ブルーガイドハイカー 中央沿線の山』(桑子登 引間恭夫 2002年 実業之日本社)には徳並山から勝沼尾根へのルートが出ていた。ちなみに松浦隆康の『新バリエーションハイキング』(新ハイキング社)などのバリエーションシリーズには、当然こまごまと出ている(このシリーズは凄い!)。しかし物好きな人はいるもので、ネットで検索してみるとチラホラとある。

 

 ↓ 今回踏破したルート 地図アプリ等が使えないのでこんなアナログ方式でやってみたが、かえってわかりやすいかも

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 昔、中央線に乗っていて、初鹿野駅(今は甲斐大和駅というあまりセンスを感じられない駅名に変更されている―なぜハジカノという美しい響きの名前を捨てたのか、もったいない)を出るとすぐに右手から流れ込んでくる小さな沢が二三本あった。ごく小さな沢だったが、当時は一応沢屋であった私の目から見て、魅力的な渓相に見えた。地図で確認して白蛇沢の名を知り(もう一つは無名)、その流域というか山域に淡い興味を覚えた記憶がある。しかし、その頃はまだ行くべき沢はそれこそ山ほどあり、実際に足を向けることはなかった。ともあれ、近年山歩きを再開して以来、気になっていた山であった。

 

 3月9日。拝島に向かう電車が途中で止まった。「前の電車が非常停止、云々~」。ほどなく動き出したが、予定の電車には間に合わなかった。幸い一本後の電車でも20分ほどの遅れですんで、甲斐大和駅着9:45。

 今回に限ったことではないが、あまり一般的でない山に登るとき、正しい(?)取り付きを見つけるのは、なかなか難しい。水野田山への取り付きにはいくつかのルートが考えられたが、遠回りだったり、長い階段があるとか、フェンスを乗り越えての藪こぎがあったりなど、いずれもすっきりしない。手持ちの地形図には松智院という寺からの尾根に、手書きで破線が記してある。以前に何かの資料で見て転写したものだろうが、そこを登った記録は見たことがなかった。山際の寺社の裏手からは、そのまま山に上がる道がついていることが多い。今回はそれをあてにすることにした。

 松智院に着いて周囲を観察するが、当然標識等はない。左手の墓地を回りこんで見ると、猪除けのフェンスが張り巡らされている。それを辿ってみると、その先に施錠されていないドアがあった。そっと開けてみると、うっすらとだが踏み跡がある。成功である。踏み跡はすぐにしっかりしたものとなるが、薄暗い植林帯の沢沿いに進むようになる。早めに右の尾根を上がる。

 尾根上に藪はなく、獣道らしき踏み跡が多いが、歩きやすい。道標がわりの黄色のペンキが立ち木に塗られている。快適に登っていると右手に導水管が見える。その上の施設を過ぎると、マイクロウェーブの反射板がある。振り返ると、遠く南アルプスが見える。甲斐駒が神々しい。周囲に木立は多いが、落葉しているため、結構見通しはきく。周囲はほぼ初めて見る山々だが、さてどれがどの山なんだと、楽しみながら登る。

 

 ↓ 南アルプス遠望 右端が甲斐駒ケ岳 左奥に北岳がちょっぴり頭をのぞかせている

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 尾根上に比較的新しい石灯籠と大岩の上にお宮がある。麓の神社の奥宮なのだろうが、何神社かはわからない。それにしても山頂にあるのならともかく、こんな尾根の半端なところにあるのはちょっと不思議だ。

 

 ↓ なぜここに?

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 そこから10分たらずで水野田山1030.8mの山頂。どうということもないが、感じは悪くない。音沢の頭の異名もあるようだ。

 

 ↓ 水野田山(音沢の頭)山頂

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 ここまでがわりと良い感じだったので、先が楽しみである。ところが、山頂から下りはじめると、立派な木の階段があらわれた。全く不要で興がそがれるが、さらに先には展望台のような木の構築物と舗装道路が現れた。「大志戸木の実の里森林公園」とある。この存在は事前に知ってはいたが、フィールドアスレチックのような感じで、廃墟というわけでもなさそうだが、実際どの程度利用者はいるのだろうか。ここの舗装道路=林道大志戸線も地図で見るかぎり、単に一つの尾根を乗越しているだけで何の必要性も見出せない。これらさえ無ければもっと良い山だと言えるのに、残念である。

 

 ↓ 大志戸木の実の里森林公園

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 ↓ 大志戸木の実の里森林公園の看板 

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 そこからもしばらくの間、階段は続くが、落葉した広葉樹の幅広い尾根は気持が良い。ところどころに白樺の白い木肌が鮮やかである。そう言えばここは現在は甲州市になっているが、合併以前は大和村で、その村の木というのが白樺であると、下の「大志戸木の実の里森林公園」の看板に書いてあった。途中の東屋から、これから辿る古武山から徳並山への稜線の全貌が見えた。渋い。渋いが、好ましい山稜である。

 

 ↓ 木立をすかして望む古武山 

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 ↓ 大天狗山頂 左奥が古武山 

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 大天狗(山)1231.3mも感じは悪くない。この山も木賊山の異名があるらしい。大天狗を過ぎると階段がなくなる。道形は定かではないが、歩きやすくきれいな稜線が続く。ところどころほんの少し雪が残っていた。竜門山1273mとおぼしきあたりは山名表示板もなく、そのまま通過。

 

  ↓ 古武山の手前 

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 気持の良いゆるやかな登りしばしで古武山山頂1312mに着いた(偶然だが到着時間は同じ数字の13:12 )。

 

  ↓ 古武山山頂 

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  ↓ 山頂のヤドリギ

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 頂上で一服する。見上げれば頭上のミズナラにいくつものヤドリギが生えている。私はなぜかヤドリギが好きで、見るとホッとする。北にはそのまま直進する尾根道が続くが、目指す徳並山は西である。西に向かう。

 

 落葉の堆積したところは滑りやすい。幅広だった尾根もすぐに狭まり、岩場も出てきてなかなか楽しい。北側の谷間には雪が残っている。尾根越しの北風が冷たい。「春は名のみの風の寒さよ(早春賦)」。古武山以降、道標はおろか、ペンキやテープ類も少ない。踏み跡は途絶えがちで、読図には気を使う。一か所尾根が微妙に分岐するところで、右の尾根に移るべきところを直進しそうになったが、慎重に見定めて事なきをえた。

 東大志戸山をへたコルから登り返した西大志戸山の頂稜は幅広く、長く、気持の良いところ。ここに限らないが、新緑や紅葉のころはさぞきれいだろう。

 

  ↓ 西大志戸山の頂稜

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  ↓ 徳並山の手前にあったドルメン(北欧の巨石墓)風の岩

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 ちょっとした岩場のある尾根を登り返した先が徳並山山頂1116.7m。15:00。北側に栂の大木がある。ふと見ると、ここにも三角点が二つある(ブログ「宮沢賢治ゆかりの山―1 『銀河鉄道の夜』の舞台、南昌山」参照)。前回は確認できなかったが、今回は「御料局三角点」の文字がはっきり確認できる。御料局? はて? 

 

 ↓ 徳並山山頂 二つの三角点

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↓ 御料局三角点

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 帰宅後調べて見たら、明治18年以降皇室の所有地とされた山林を、明治41年に帝室林野管理局と改称されるまでの間に測量した際のものであるらしいとわかった。ちなみに上條武著『孤高の道しるべ』(銀河書房 1983年)に「初代御料局測量課長の神足勝記(こうたり・かつき 1854~1937)の業績とともに御料地、御料林の成立について記述されています」とのことで、私は同書を面白く興味深く読んだ記憶はあるのだが、中身はさっぱりおぼえていない。困ったもんである。だがまあ、長年の疑問が一つ解決したわけだ。

 

 例によって(慾をかいた)当初の計画ではここから西に勝沼尾根を歩き、勝沼ぶどう郷駅まで行く予定だったが、時間的にもここから南の尾根を甲斐大和駅に下ることにする。降り口はちょっとわかりにくいが、すぐ踏み跡が出てくる。尾根は細いが、快適である。テープ類は数少なく、ほどなく岩場や崩壊地が出てきて慎重に対処する。細い尾根というものは、登る分にはそうでもないが、下るとなると目の高さから見下ろす分、一層細く急に感じられ、恐さを感じるものだ。この下りでも一か所、左に古いロープが張ってあるところで、地図を読み違えて尾根筋を外してしまったが、早めに気づき登り返して事なきをえた。全く、踏み跡の少ない尾根の下降は難しい。この尾根は、登りはともかく、下りルートとしてはバリエーションルートと言えよう。その分、スリルがあって、楽しいのであるが。

 

↓ 徳並山南尾根 ところどころ岩場と痩せ尾根がある

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 忠実に尾根を辿っていくと、左に果樹園のフェンスが見え始めてきた。もういつでも左に降りれば林道に出られるのだが、少しでも長く尾根筋を歩きたい。そう思いながら歩いていると薄い踏み跡は錯綜し、妙に複雑な地形になってきた。歩く分には問題ないし、面白くはあるが、もうそろそろと思っているうちに予定外の三角点や送電線の鉄塔まで出てきた。どうやら長く歩きすぎ、尾根の末端近くまで来てしまったようである。鉄塔の先で眼下に見えている学校に向かっている荒れた道を下ったら、フェンスにぶつかった。ドアを開けようとするが、施錠はされていないのに歪んでいて、開かない。困った。登って乗り越えようにも「上には電流が流れています」とある。やむなく少しフェンス沿いに歩くともう一つのドアがあった。こちらは下に侵入除けの鉄棒も加えられていたが、何とか開けることができた。今回の山行はフェンスに始まり、フェンスで終わった。やれやれである。そこから駅までは10分足らずだった。

 

 今回の水野田山~古武山~徳並山は、予想以上に楽しめた良い山、良いルートだった。帰宅後、地図に赤線を引きながら事後学習をしていると、どうやら付近に楽しめそうなルートがいくつも見えてきた。人が少なく、道標も少なく、広葉樹林の、ところどころに岩場や痩せ尾根がある山。晩秋から初夏にかけて楽しめそうである。

                        (記:2017.3.11)

↓ 笹子雁ヶ腹摺山やお坊山の北面 次はあそこだ

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美術館探訪録・2016年(国内篇)

美術・展覧会

 

 昨年2016年に国内で見た美術館・博物館等での展覧会の一覧である。寺社、遺跡、庭園等も含む場合もあるが、一般的な画廊等は含まない。ここに植物園や庭園や城址を含めるのはどうかということもあろうが、私は、ここではMUSEUMの範疇をなるべく広くとって考えたい。

 昨年の記事(「美術館探訪録-2015年」)で、海外やかつての古美研(授業名)をのぞけば過去最多と記したが、何と2016年はそれよりも多い。それだけ良い展覧会が多かったことも確かだが、理由はもう一つある。

 ここ二三年、高校同期の何人かで月に一回程度集まって、飲み会をやっている。そんなにしょっちゅう会いたいということでもないのだが、誘われればだいたい応じている。平日の、場所は銀座や新宿といった都心。わが家から東京駅まで交通費が往復で1800円強。所要時間は、歩きも入れれば往復4時間、飲み会自体が3時間前後。私以外は全員カタギなので、それなりの店を予約するから、会費はだいたい7000円前後ぐらいか。ただそれだけのためにだけ出ていくのは、時間的にも経済的にもちょっと負担感がある。そこで、それに合わせて美術館に行くようにしたのである。したがって、どうしても行きたいという展覧会だけともいかない。見に行こうか行くまいか迷っていたり、普通だったらスルーするようなものでも結局行くこともある。まあ、それはそれで良いことだと思っている。

 

 私の展覧会に関する情報は、朝日新聞に週一回載る展覧会情報がほぼすべてで、あとは行った先の美術館に置いてあるチラシぐらいのである。それで充分。それにしても美術館博物館の数も多ければ、展覧会の数も、そのジャンルも多い。東京はおそらく間違いなく世界で一番展覧会の多い都市だ。

 とは言え、そのラインナップを見ても、必ずしも行きたい展覧会ばかりではない。これだけ長年展覧会を見ていると、全く未見の作家とか、初めてのジャンルというものはもうめったにない。たいていは、多少はどこかで見ていることが多い。したがって、ぜひとも見たいと思う展覧会は、そうはないのである。

 実際、画家が美術館での展覧会をどの程度見に行くのかというのは、案外面白いテーマなのではないだろうか。試みに私自身の過去のデータを見てみると、学生(博士課程)の最後から予備校講師時代の30歳代の10年間で56回、大学に勤務してからの40歳代の10年間で137回。ついでに50歳代の10年間はと言えば、55歳で早期退職するまでの6年間が64回、退職後の4年間が86回で計150回。いずれも海外や学生を引率しての授業としての古美術研究旅行をのぞいた数字である。う~ん、歳とともに増えている。余裕のなせるわざである。ちなみにもっとも少なかったのが、一番悩みかつ制作にエネルギーを注いでいたはずの30台後半。年に3回とか4回しか見に行っていなかった年があったのは自分でも少し意外であるが、それはまた最も生活が苦しく、時間的にも精神的にも余裕のなかった頃である。

 

 ともあれ、仮に10年前20年前に見たことがあるとはいっても、再度、再々度見ることは悪いことではない。ということで2016年にいった展覧会を以下にあげてみる。

 なお私は団体展やコンクール展、卒業制作展は見に行かないことにしている。10.「上野の森絵画大賞展」は昔の教え子からのたっての頼みで見に行ったので、例外である。

  

  *上段「 」内は展覧会の正式名称。その右の( )内はサブタイトル。

   下段は美術館名と見た日。[ ]はざっくりとしたジャンル。

1.「串田孫一」(生誕100周年)

 はけの森美術館 1月16日 [絵画・デザイン]

 

2.「恩地孝四郎展」(形はひびき、色はうたう)

 東京国立近代美術館 1月20日 [版画]

 

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3.「村上隆の五百羅漢図展」

 森美術館 1月22日 [絵画]

 

4.「天野喜孝展」(進化するファンタジー)

 有楽町朝日ギャラリー 2月16日 [イラスト]

 

5.「ジョルジュ・モランディ」(終りなき変奏)

 東京ステーションギャラリー 3月17日 [洋画]

 

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6.「清親 光線画の向こうに」

 町田市立国際版画美術館 3月25日 [版画]

 

7.金沢城兼六園

 4月9日 [城郭・庭園]

 

8.金沢市老舗記念館

 4月10日 [民俗・工芸]

 

9.「黒田清輝」(日本近代絵画の巨匠)

 東京国立博物館平成館 4月21日 [洋画]

 

10.「上野の森絵画大賞展」(第34回 明日をひらく絵画)

 上野の森美術館 5月2日 [洋画]

 

11.「カラヴァッジョ展」(ルネサンスを超えた男)

 国立西洋美術館 5月10日 [洋画]

 

12.「素心 バーミヤン大仏天井壁画 ~流出文化財と共に~」

 (東京藝術大学アフガニスタン特別企画)

 東京藝術大学大学美術館 陳列館 5月10日 [壁画・彫刻・保存]

 

13.「吉田博展」(生誕140周年)

 千葉市美術館 5月17日 [版画・洋画]

 

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14.「横井弘三の世界展」(没後50年“日本のルソー”)

 練馬区立美術館 6月1日 [洋画]

 

15.「高島野十郎展」(没後40年 光と闇、魂の軌跡)

 目黒区美術館 6月3日 [洋画]

 

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16.「若林奮展」(飛葉と振動)

 うらわ美術館 6月8日 [彫刻]

 

17.「田口安男展」(描線と色彩の間)

 いわき市立美術館 6月9日 [洋画]

 

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 ↑ これはチラシ。ポスターを揚げたかったのだが、画像が見つからなかった。 

 

17-2.「田口安男展+常設展」 [洋画]

 いわき市立美術館 6月10日

 

18.「立石鐡臣展」(麗しき故郷「台湾」に捧ぐ)

 府中市美術館 6月23日 [洋画]

 

18-2 常設展「所蔵品に見る描かれた水辺の景」+牛島憲之記念館

 府中市美術館 6月23日 [洋画]

 

19.「12Rooms 12Artists」(UBSアート・コレクションより)

 東京ステーションギャラリー 7月5日 [洋画・現代美術]

 

  1. 常設展 第2期 (萬鉄五郎・松本竣介・船越保武/渡辺豊重・松田松雄・内村晧一他)

 岩手県立美術館 7月14日 [洋画・彫刻]

 

20-2. 常設展

  もりおか啄木・賢治青春館 7月14日 [文学]

 

  1. 伊藤家住宅

 伊藤家住宅/花巻市東和町田瀬 7月15日 [建築・民俗]

 

22.上高地・明神池

 上高地 8月5日 [自然・宗教]

 

23.神代植物公園+「特別企画展『古文書でふりかえる江戸の園芸文化』」

 調布市 8月13日 [自然]

 

24.「小林かいち展」+浜口陽三+萩原英雄 常設

 武蔵野市立吉祥寺美術館 8月25日 [イラスト]

 

25.「沓間宏展」(1981-2016 変遷の軌跡)

 横浜美術大学ギャラリー 9月7日 [洋画]

 

26.「鈴木基一展」(江戸琳派の旗手)

 サントリー美術館 10月14日 [日本画

 

  1. 辻河原石風呂+宮迫東西石仏+臼杵の石仏

 大分・豊後大野市 11月8日 [仏教美術・歴史]

 

27-2常設展 

 ヤマコ臼杵美術博物館 11月8日 [仏教美術・歴史]

 

  1. 城址

 大分・竹田市 11月9日 [史跡・城郭]

 

29.「ダリ展」

 国立新美術館 12月10日 [洋画]

 

30.「ゴッホゴーギャン展」

 東京都美術館 12月13日 [洋画]

 

31.「小田野直武と秋田蘭画」(世界に挑んだ7年)

 サントリー美術館 12月28日 [日本画

 

 以上の中で良かったのは、2.「恩地孝四郎展」、5.「ジョルジュ・モランディ」、13.「吉田博展」、15.「高島野十郎展」、17.「田口安男展」といったところ。

 恩地孝四郎はまとめて見るのは初めてだった。以前から『月映』-田中恭吉との関連では多少は知っていたものの、全貌としては解釈しにくいというか、受け取りにくいというか、すでに過去の話として敬して遠ざけていた作家。まだ必ずしも飲み下せてはいないのだが、絵画(版画)の意外な可能性を見せてくれたような気がする。余談だが、この展覧会を見たことがきっかけとなって、その年、彼の作品(蔵書票)を7点も買ってしまった。

 

 他の四つはすでに以前に見たことのある作家だが、それぞれ充実した内容で、新たな視点と面白さを見出すことがせきた。モランディの静謐。吉田博の山の清浄。高島野十郎の自閉の光。それぞれの固有の世界。

 田口安男は私の大学時代の恩師であり、最も敬愛する画家である。御本人は現在も自宅療養中なのだが、その縁で初日前日の内覧会に招待され、その夜は友人、先輩方と楽しく飲んだ。せっかくいわき市まで行くのだからと、翌日は近くの山に登る予定だったのだが、飲み過ぎて翌朝寝過ごしてしまい、登山は中止。おかげで再訪した会場で、あらためてゆっくりと見直すことができた。

 

 次いで次点(?)としたいのが、1.「串田孫一」、6.「清親 光線画の向こうに」、14.「横井弘三の世界展」、16.「若林奮展」、19.「12Rooms 12Artists」、26.「鈴木基一展」等。

 串田孫一は画家とは言えないし、文筆家としても私はあまり評価しないのだが、昔からその絵やコラージュには何か引っかかるところがあって、その確認をしに行ったというところ。しかし案に相違して(?)、作品が意外と良かったのである。美術館の規模のゆえか、ちゃんとした図録がなかったのが残念。横井弘三、若林奮、鈴木基一はまとまって見るのは初めて。「12Rooms 12Artists」も初めての作家が多く、楽しく見る現代美術・現代絵画といった感じ。清親も光線画周辺のものはやはり良かった。

 

 他の展覧会もそれぞれ良い作品が含まれていたが、ただしその割合は多くない。

 石仏や城址、あるいは地方の美術館博物館を、旅行や山登りのついでに訪れるのも良いものだ。

 

 逆に最も期待外れというか、面白くなかったのは11.「カラヴァッジョ展」。

 

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 もともと行く予定はなかったのである。すでに海外等でだいぶ見ているし、本人の作品は11点ぐらいだということだし、そもそもバロック周辺というのが好きではないのだ。当日は東京都美術館の「若冲展(生誕300年記念)」を見にいったのである。平日にもかかわらず順番待ちの長蛇の列。2時間待ちとか。なぜそんなに人気があるのだろう。辻惟雄の『奇想の系譜』以来、蕭白単独の二回の展覧会のほか、いくつかの機会に芦雪や若冲を見る機会はあったのだが、なぜか若冲の単独展は見逃してきた。そうこうしている内に現今の異常人気である。並ぶとしても私は30分が限界だ。縁がなかったのだ。やむをえず、当日上野でやっている展覧会の中でカラヴァッジョを選んだのだが、やはりあまり楽しめなかった。高階秀爾は2016年末の「私の3点」(朝日新聞)でこの「カラヴァッジョ展」をあげているが、縁の無いものは縁が無いのである。

 

 ついでにその「私の3点」にあがったのを紹介しておくと、北澤憲昭がクラーナハ展」、「世界遺産 ラスコー展」、「川島清 彫刻の黙示」展高階秀爾「カラヴァッジョ展」、「ルノワール展」、「デトロイト美術館展」山下裕二「柳根澤 召喚される絵画の全量」展、「村上隆スーパーフラット・コレクション」展、「吉田博展」。

 選択の基準が良くわからない上に紹介文も極めて短く、はたして信用できるのかという気がしないでもない。新聞という公器に載せるのだから、まさか本人の趣味で、というわけでもあるまいが。むろん、私のこの記事は私だけの趣味であるけれども。

 その中で私が行ったのは「カラヴァッジョ展」と「吉田博展」。「世界遺産 ラスコー展」はその記事を読んで年が明けて見に行った。9分の3だから、この年はけっこう行った方だ。

 

 もう一つついでに、迷いながらも結局行かずじまいに終わって、今かえりみても残念だったのが以下の展覧会。

 

ボッティチェルリ展」東京都美術館

*海外でだいぶ見ており、ちょっと「今さら」感があって…。

「原田直次郎展(近代洋画・もうひとつの正統)」 神奈川県立近代美術館葉山

  *一昨年のがした巡回展で、二度目のたぶん最後のチャンスだったのだが、葉山の遠さと、今の自分にとってどう見ても「お勉強的」でしかなかったから。

ルノワール展」国立新美術館

ルノワールは私にとって長い間「謎」だった。今回ぜひとも行くつもりだったのだが、なぜかタイミングが合わず、残念。

 

 そのほか、「杉本博 ロスト・ヒューマン」展(東京都写真美術館)、「藤田嗣治」(府中市美術館)、「ピエール・アレシンスキー」(Bunkamuraザ・ミュージアム)なども見逃して残念な展覧会である。

 

 確かに展覧会というものは、若い時ならいざ知らず、数見れば良いというものではないかもしれない。絵を見るというのは体力を使うものである。また、会場を出て自宅に戻ってその内容を振り返り、咀嚼するのには、それなりの時間がかかる。続けざまに次から次へと見てゆくと、消化不良の感じがしてくる。

 とは言え、やはり展覧会を見るのは楽しみであり、快楽である。勉強としても続けたいと思う。さて2017年はどんな展覧会を見に行くことになるだろうか。              

                         (記:2017.2.28)

逍遥画廊[Gallery Wandering]-3  ヤフオクに出品された絵 その1

逍遥画廊 [Gallery Wandering]

 逍遥画廊で紹介する作品の選定について、特に明確な基準があるわけではない。「気ままに」が基本であるが、それでも、できればあまり人の目にふれていない(一回目の発表で人の手に渡ったとか、これまでの作品集等に掲載されていないといった)ものを取り上げたいと、漠然と思っている。

 かならずしも自作についての解説やエッセイを志向しているわけではないのだが、作品画像だけをポンと投げ出すのも、面白くない。やはり、なにがしかの、語る上でのきっかけになるようなエピソードというか、要素があった方が、書くほうとしても面白みがあるというもの。

 

 今回の眼目は「ヤフオクに出品された私の作品」、である。

 

 私はヤフオク愛好者である。いや、あった言うべきか。

 私がヤフオクに入札するようになったのは、10余年前の40代後半、大学に勤めてだして10年近くたったころだったと思う。理由はいくつかあるが、今から顧みて一番大きかったのは、ストレス解消のためであった。ストレスの拠ってきたるところについては、ここであれこれ書いてみてもしかたあるまい。およそどんな仕事、職場であっても、それが生活のためとなれば、ましてや対人を大きな要素とする仕事であれば、ストレスが生じるのは自然の理であろう。そして、生じたストレスはうまくそれと付き合いつつ、適度な割合でそれを解消していかなくてはやっていけない。

 実際、40代半ばから、髪は次第に減りはじめ、白髪が目立ち始め、肩こり・腰痛、また、歯や目の老化に悩まされるようになった。それらはその年ごろになれば、程度の差はあっても、自然に訪れる当たり前の現象ではあろうが、当人はそうも言っていられない。健康診断や病院に行くたびに、言われるのは「(原因の一部以上は)ストレスです」。言われるまでもなく、自覚している。

 

 私はパソコンやネットであれやこれやするというのは、仕事上やその利便性からある程度はやらざるをえなかったにせよ、基本的に嫌いだった。だからネットオークションなど、とても自分がやるようになるとは思ってもいなかった。しかし、要は「慣れ」であった。いつのまにやらそれに慣れ、一時はというか、昨年の秋にほぼ憑き物すべてが落ちるまでのこの15年ぐらい、研究対象という小さな口実、言い訳はあったにせよ、軽症ではあるがずっとハマっていたと言える状態だった。

 その間、対象としては外国切手から始まり、内外のマッチラベル、外国紙幣、蔵書票等とジャンルは移動した。他に割合は少ないが、明治石版画やセノオ楽譜、ホテルラベル、缶詰ラベル、古い薬袋、若干の版画や絵画等にも手を出した。ほとんどがいわゆる「紙もの」である。むろん、オークション自体が好きなのではない。それらの小さな美術品であるところの造形物、その持っている歴史性や世界観等を含めた、いわばマイナーアートとしての小世界が私にとってのアジール(避難場所)だったのである。

 そのコンテンツが変わるごとに憑き物の種類も変化したようだ。そうして見ると、IT自体についてはいまさら言うまでもないが、その内のネットオークション一つの普及によっても世界が、と大きく言わないまでも、コレクションということの在りようが旧来とは確かに激変したことがよくわかる。そもそもネットオークションという場がなければ一体どこで買えばよいのか、見当のつかぬコンテンツが多い。

 ともあれ、私がネットオークションにかかわったのはすべて入札者としてであって、出品したことはない。気がつけば手元にたまった各種のコレクションや、オークションとは関係なくそれ以前から所有している膨大な蔵書など、出品すれば整理処分できることはわかっているが、そんなめんどうなことをする気は、今のところない。

 

 そんなわけでネットオークションとの付き合いはそれなりに深いのだが、まさか自分の作品が出品されることがあるとは思ったこともなかった。

 そう言えば以前ネット上の古本屋のサイトで私の著書(論文集)が出ていたことがあった。これまで4冊の著書を出している。といってもその内の3点は論文の印刷公表や展覧会図録、作品集といった自費出版、もしくはかぎりなく自費出版に近いもので、正規の出版社から出た商業出版物としては『山書散策』(東京新聞出版局 2001年)だけ。『山書散策』が古本屋のサイトやオークションに出るのは不思議ではないが、たかだか300部程度しか印刷していない、しかも市販していない論文集が古本屋のサイトに出るというのはちょっと驚きだった。その本に関してだけは論文集(+作品集)という性格もあって、半分近くを公的機関や関係者に寄贈した。まあ仕方がないというか、それなりの事情があったのだろうとは思うが、何となく妙な気分になったことは確かである。しかしそれはまあ、それだけのこと。

 

 数年前のある日、何気なく自分の名前で検索してみたところ、あるサイトで、自分の作品がヤフオクに出ていたことを知った。それがこの「水茎-4」(作品番号:D.60)である。

 

 「水茎-4」(D.60) 

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  制作年:1989年 サイズ:63×46.5㎝

  素材及び技法:手漉き水彩紙(3A)にアクリル、水彩

  発表:S.11個展 1990.10 ぎゃらりいセンターポイント/銀座(←?) 

      S.12個展 1991.1/パレット画廊/徳山

 

 

 2011年の4月15日開始、4月20日に終了していた。即決価格80.000円とされていたが、5件の入札があり、落札価は4.850円。まあ、そんなものだろう。ちなみに発表時の価格はたぶんその25倍以上。ただし企画展なので当方の取り分はその半分。

 ついでに記せば、この「水茎」というタイトルを持つ作品は1から5まで5点あるのだが、この機会に確認したところ、めったにないことだが、どういうわけかこのデータの記述の一部をD.59とD.61のいずれかのそれと間違えて記していたことが判明した。5点のうちこれを含めた4点は売れていて手元になく、また手元にあるはずの一点もどういうわけか、今見当たらない。ということでデータのうち、発表の項は少々不明確なのである。

 

 絵柄としてはケルト風の錯綜する線の要素が強いというか、その要素の面白さだけで描き上げたもの。なにかを、例えばある思想や考えを表現しようとしたものではなく、おそらくあらかじめのイメージすらもなかった。

 厚手の物質感の強い手漉き紙の上に、粘度の高い金彩(アクリル)を用い、自律的、自動的に生まれてくる瞬間ごとの表現効果に集中することによって成立した作品である。一種のオートマティズムとも言える。したがってそれ自体の完成度はありえても、そこからまた次の別の世界を紡ぎだすといったところまではいかなかった。5点で終了のゆえんである。

 もう30年近く前の作品であるが、久しぶりに見て見ると、これはこれでやはり面白い。この要素、方法を今ならばまたもっと異なった形で展開できそうな気もする。しかし、これはやはり極度の集中を必要とするので、今となってはちょっとしんどいかもしれない。といって、もう過去の方法として捨て去ってしまうのも惜しいような気がする。

 

 しかし、それにしても「水茎-4」は今現在どこのどなたが所有されているのだろう。絵は売れてゆく、人の手に渡っていくのが絵にとっても一番良いことなのだろう。落札した人は案外知り合いかもしれないとも思うが、とりあえず「買っていただいてありがとうございました」とこの場で感謝の意を表明させていただきたい。

 ついでといっては何だが、めったにないことだし、この機会に他の「水茎」も以下にまとめて紹介しよう。

 

 「水茎-1」(D.57) 

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 制作年:1989年 サイズ:63×46.5㎝

 素材及び技法:手漉き水彩紙(3A)にアクリル、水彩

 発表:S.12個展 1991.1/パレット画廊/徳山  ●個人蔵

 

 

 「水茎-2」(D.58)  

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 制作年:1989年 サイズ:63×46.5㎝

 素材及び技法:手漉き水彩紙(3A)にアクリル、水彩

 発表:S.12個展 1991.1/パレット画廊/徳山  ●個人蔵

 

 

 「水茎-3」(D.59) 

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 制作年:1989年 サイズ:63×46.5㎝

 素材及び技法:手漉き水彩紙(3A)にアクリル、水彩

 発表:S.12個展 1991.1/パレット画廊/徳山  ●個人蔵(?)

 

 

  「水茎-5」(D.61) 

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 制作年:1989年 サイズ:63×46.5㎝

 素材及び技法:手漉き水彩紙(3A)にアクリル、水彩

 発表:S.12個展 1991.1/パレット画廊/徳山  ●個人蔵(?)

 

 ちなみに水茎とは筆、筆跡とか、文字あるいは手紙といった意味。作品のタイトルとしては深い意味はない。

                        (記:2017.2.26)

 

「赤線」を引きに九鬼山から鈴ヶ尾山へ

コースタイム】2017.2.22(水)

田野倉駅~9:50~登山口10:08~池ノ山10:42~九鬼山11:45~高指13:45~桐木差山14:00~林道鈴ヶ音峠14:20~鈴ヶ尾山14:48~朝日小沢16:00~猿橋駅16:20

 

 今回の計画は、九鬼山から東に延びる尾根を辿って鈴ヶ尾山に登り、さらに大桑山を経て高畑山まで、というものである。猿橋駅から神楽山経由九鬼山までと、鳥沢駅から高畑山、倉岳山、高柄山、栃穴御前山経由四方津駅まではすでに二度に分けて踏破済み。地図には赤線が引いてある。つまり、今回はその間の赤線を引いていない部分をつなげようというものである。

 私は昔から山行が終わると、地図上に自分が歩いたルートを赤線で入れる。自分が歩いたラインが一目でわかるし、沢や道のない尾根筋など、そうしておかないとすぐにわからなくなるのだ。それでなくとも登ってから何年、何十年とたつと、記憶は曖昧模糊としてくる。むろん赤線を引くために山に行くのではなく、行った結果が赤線の連なりなのであることは、言うまでもないことだが。それはまあ一種の蒐集癖、整理癖と言えなくもないが、それよりも地域に対する鳥瞰的視点が欲しいと思うのである。

 

 以前在籍していた山岳会で、そうした赤線を引いた地図を見た先輩会員たちから、一頃「赤線マニア」と呼ばれていた。それを聞いてギョッとしたり、ニヤニヤするのは私より少し上の世代の人。「赤線」のもう一つのというか、より俗な意味を知っている世代である。「赤線」とは1958年3月の売春防止法の完全施行以前に存在した、公認で売春が行われていた地域の俗称である。東京の吉原や、永井荷風の愛した玉の井や鳩の街、川崎長太郎の小説に登場する小田原の抹香町などが有名だが、おそらく全国あちこちに存在しただろう。行政的地名ではなかろうが、通称としてなら、例えば福生市駅前の飲み屋街は今でもそう呼ばれている。そうは言っても、なんせ私が3歳の頃までの話だから、実感も懐かしさも持ちようがない。

 ちなみに非公認で売春が行われていた地域は青線と呼ばれていた。同じ山岳会のある若い会員は、歩いたところは私と同じく赤色で、自転車で踏破したところは青色で線を引いていたので、青線マニアと呼ばれたかというと、人柄のゆえか、そんなことはなかった。

 今回の山そのもの、ルートそのものには、さほどの興味も期待もなかった。だがいくつかの山頂を有するある尾根や連山のA山とB山を縦走し、次にC山とD山を縦走したあとで、今度はその間のB山とC山を結んで歩きたいと思うのは、自然な人情というか、美学と言えはしないだろうか。少なくとも私はその種の美学を持っている。今回の山行の半ば以上は、その赤線引きの美学だったのである。ただし予定ルートをすべてこなすとなると8時間以上かかる。日の長い時期に朝一で出かければ可能だろうが、現実的には難しいと思った。その場合、小沢川と幡野沢にはさまれた鈴ヶ尾山から北西に延びる尾根を下ることになるだろうが、それはまあ、現地で判断すればよい。

 

 5時間睡眠で6:00起床。例によって早くはない。五日市駅7:41発。田野倉駅9:40着。二人連れの登山者を先に送り、9:50発。いつものことだが、有名ではない山やルートに行こうとすると、まず取り付きに至るのがけっこう難しい場合が多い。今回は2.5万図と山と高原地図(5万図)を確認しながら行ったので、比較的スムーズに登山口に辿り着くことができた。途中、気がつくと先行した二人連れが、少し迷ったのだろう、遅れてやってくる。結局今日会った登山者はこの二人連れのみ。

 

 ↓ 登り口から見る朝一の富士山

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 小さな道標に導かれて沢を渡り、登山道に入る。それなりに歩かれているようで、道はしっかりしている。

 

 ↓ 登りはじめはこんな感じ

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すぐに尾根に上がり、一登りで池ノ山637.7mの表示のある三角点に到着。この尾根は大根畝と呼ばれているらしい。ときおり展望も開ける。文台山、尾崎山から御正体山への尾根と、倉見山から杓子山の尾根が重なった、奥行きのある構図のその向こうに富士が鎮座している。下の桂川流域の景観もなかなか良いが、手前にはリニア実験線が横切って目障りだ。今さらリニア線を走らせることにどれほどの意義があるのか。少なくともトンネルを掘られ、その膨大な土砂を捨てられることになる南アルプスの渓谷にとって、相当なダメージを受けることは間違いない。美しい景観と自律的経済至上主義が同居する現実。どこにでもある日本の風景。

 

 ↓ 画面下がリニア線

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 そこからほどなく右からの登山道を合わせる。しばらく行けば「右急坂登山道 左新登山道」の標識があった。しかしその分岐も見えず、道なりに進む。さらに「右天狗岩3分 展望良い」の表示があった。一応、行ってみると、確かに展望の良い、ちょっとした岩場がある。

 

 ↓ 右下が天狗岩

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 ↓ 天狗岩から 富士山の手前右が倉見山 その手前は尾崎山

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 そこからほどなく九鬼山970mの山頂(11:45)。ここは18年前に神楽山から登った。途中の感じは悪くなかったが、九鬼山山頂の印象は薄い。北に桂川を挟んで大菩薩連嶺を中心とした展望が広がるが、背後に植林帯が迫っていて、損をしている感じだ。

 

 ↓ 九鬼山頂上

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 少し戻って鈴ヶ尾山へと続く尾根を進む。歩く人は多少少なくなるようだが、しっかりした道である。落葉広葉樹の部分、植林の部分、それらの入り混じった部分と交錯し、悪くもないが、あまり面白くもない道を淡々と歩く。

 

 ↓ 途中のちょっと感じの良い部分

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 途中鹿除けのネットが張られている。今回のルート全般に猪の糞場がずいぶんとあったが、確かにこの辺りには鹿の糞も多い。鹿除けネット自体はやむをえないが、それが守っているのは、いくつかの檜の大木群の下に過密に植林された稚木である。何というか、植林の、林業の将来的方針が見えない構図である。

 

 ↓ 鹿除けネット 上下で色が違う

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 ↓ 中央奥が大桑山とその右が高畑山 鈴ヶ尾山は大桑山の左下だがわかりにくい

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 高指とおぼしきピーク(山名表示なし)のすぐ先に桐木差山の山名表示板があった(14:00)。

 

 ↓ 桐木差山 渋い~

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 そこからほどなく舗装された林道の鈴ヶ音峠に着いた(14:20)。この鈴ヶ音峠は、途中の道標には鈴ヶ尾峠、鈴懸峠とも記されており、どれが正しいのかわからない。右に林道を行くように大桑山・高畑山方面への表示があるが、ここはとりあえず直に鈴ヶ尾山を目指したい。注意してよく見ると道路の法面の際が登られているようだ。取り付いてみればそのまま踏み跡は上に向かっている。

 

 ↓ 鈴ヶ音峠 法面の際を登る

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 少しの登りで広い尾根に乗る。そのまま左に進めばまもなく、広葉樹の点在するだだっ広い鈴ヶ尾山山頂833.9mに着いた(14:48)。頂上には別に大秋日山の山名表示板があった。帰宅後確認したら別に鈴ヶ音山や、大秋田山の名もあった(『新ハイキング』470号 1994年12月)。日と田の写し間違いなのだろうが、どちらにしてもちょっといわくを知りたい山名である。

 

 ↓ だだっ広い鈴ヶ尾山山頂 感じは悪くない

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 私がこの鈴ヶ尾山を初めて知ったのはこの『新ハイキング』の記事によってだったと思うが、今回の山行に際して読み返しはせず、内容については全く記憶していない。そのせいか、鈴ヶ尾山とその北西尾根は植林に覆われた、あまり面白みのない尾根だと思い込んでいた。たぶん他の記事と混同したのだろう。

 

 時間的にもこれから大桑山、高畑山へ向かうのは少々無理がある。すなおに北西尾根を下り、小沢川二俣に出て猿橋駅を目指すことにした。多少薄くはなったものの、踏み跡もしっかりしている。尾根はイメージとちがって、意外にも落葉広葉樹の明るく気持の良い尾根である。降りるほどに尾根はやや細くなり、二三か所岩場や崩壊地の際のザレ場を行くところもあるが特に問題はなく、楽しく下っていく。今日のルートの中で一番気持の良いところだった。

 

 ↓ ちょっとした岩場 中ほどを下る

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 ↓ 気持のよい尾根すじを下る

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 ↓ 奥は権現岳(中央)と麻生山、ミツモリ 手前は左が百蔵山、右、扇山

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 この尾根は、末端近くに597mの幡野山を小さくせり上げたその先で、小沢川本流と支流の幡野沢の二俣で終わる。その幡野山もそろそろかなと思われるあたりでアンテナのたっている小ピークがあった。その先あたりだったか、「幡野入口バス停 右」という小さな道標があった。地図と磁石を出して確認する。下降する方向の右側に幡野という集落がある。私は二俣の尾根末端までまっすぐ進むつもりである。したがって右に行くのはまだ早いと判断し、左の正面方向と思われる方に進んだ。

 ここで見た2.5万図は新しいもので、道記号は全く記されていない。山と高原地図(5万分の1)には二俣へと北上するルートのみが破線で記載されている。帰宅後確認した古い2.5万図には、左手の朝日小沢集落からの道だけが記載されていた。しかし正面(北)に向かっているはずの踏み跡はいつのまにか左方向(西)に向きをかえ、同時に薄く怪しくなってきた。前回に引き続きまたしてもルートミスである。末端に近づいて掌状に分岐する尾根を地形的に読んで正確に下降するのは難しいものであるが、前回と全く同じ間違いをするというのはいささか情けない。直接の原因は「幡野入口バス停」=幡野集落と誤解したことにある。後ほどバスの窓から見た「幡野入口」と表示されたバス停は、何と正面の二俣にあったのである。

 ともあれ間違いを確信したのはもう朝日小沢集落の間近。苦労することもなく民家の脇に降り立った。その目の前をバスが上流に向かって通過する。終点はすぐ先だからまもなく戻って来るはず。少し歩いているうちにやって来たバスに手をあげ、乗りこむ。小沢川沿いの道を駅まで歩くのも悪くはないが、1時間半歩くよりはバスで15分の方が良い。そして途中の二俣で「幡野入口」の表示を発見し、ミスの原因を確認したのである。予定通り幡野山を越えて尾根末端まで歩けなかったのは画竜点睛を欠いたことになるが、帰路を楽できたのはラッキーだったとも言える。

 

 今回のルートは「赤線引き」が理由の大部分であったが、結果としてはなかなか味のあるルートで楽しめた。ただし結局、鈴ヶ尾山と高畑山の間は赤線の空白が残ったわけだが、それにこだわるかと言えば、案外そうでもない。こだわりはあるが、執着は少ないのである。行くべき山はたくさんあるし、ルート設定があまり面白くなさそうなのだ。しかし、またいつかその空白が気になり、赤線引きを目的として行くことがないとも限らない。それもまた私の山の楽しみ方の一つだからである。

                        (記:2017.2.23)

逍遥画廊[Gallery Wandering] -2

逍遥画廊 [Gallery Wandering]

 

 

「光の柱」(498)

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              制作年:2006.3~2011.12  サイズ:34.4×24.4㎝

 素材及び技法:厚口和紙にアクリルクラッキング地+台紙(キャンソンラビーテクニック)

        に和紙、アクリル・墨・膠彩・アクリル・油彩転写・アッサンブラージュ

                    発表:S.29 個展 2012.10/あかね画廊/銀座

 

 私の絵の中でこの絵は、絵柄的には他にあまり類例がない。ポンと、突然現出したようなものである。きっかけはある。

 30年以上前の学生時代に、アルバイトでM市の市民絵画講座から、そしてその発展した絵画サークルで教えていた頃からの長い付き合いのNさん。10年以上前のある日、そのNさんと話していて、ミヒャエル・エンデの『モモ』の話になった。以前からその名は知っていたが、読んだことはなかった。日本では1976年に岩波少年文庫として発行とあるから、年齢的にも情報的にもタイミングが合わなかったのだろう。当時はいわゆる児童文学やファンタジー系統のものはあまり縁がないというか、むしろ苦手だった。それらを多少なりとも積極的に手に取り出したのは、40歳をすぎてから。

 彼女との長い付き合いの中で『モモ』の名が出たのは何度目かだったと思うが、そのころには『指輪物語』や『ゲド戦記』『守人シリーズ』なども一通り読んでいて、ファンタジーに対する抵抗感はほとんどなくなっていた。自分でも絵を描き、詩を書くNさんの『モモ』を愛する熱意にうたれた形で、初めて手に取り、読んでみた。感想としては、出会いのタイミングを逸したという感じ。読み終わった直後は非常に良い本だと思ったものの、よく評されるように、寓意性や思想性が勝ち過ぎているように感じられたのである。その結果、評価とは別に、感動の記憶として残っていないのである。10代で出会えばまた違ったかもしれないが。

 それでも読み終えた直後には印象が強く、この絵のイメージも『モモ』の中のどこかのシーンを、そのままイメージにしたもののようである。それが物語のどこで、どういう意味があったのかは、もう憶えていない。そのように、詩や小説や様々な本を読む過程で、あるイメージが突然一瞬に切り取られて、絵のイメージとして定着するということは、私の場合、しばしばある。イメージが私を訪れるのである

 

 画像を見ている内に思い出したのだが、もともと中央の楕円形の部分は、四角い台紙(洋紙:キャンソンラビーテクニック/現在は製造中止)に和紙を貼ったものに描いていたものである。それが全体としてはどうにも上手くいかず、ボツにするつもりだったのだが、廃棄するには惜しい感じが絵の一部にはあった。捨てかねてしばらくとっていた。ある日ふと、別の厚口和紙にアクリルクラッキングで地塗りした状態のものと並べてみると、ボツにする予定の絵の気に入っている部分を楕円に切り抜いて貼りつけるというアイデアが浮かんだのである。小さな絵だが5年もかかった所以である。

 わりと最近知ったことであるが、P.クレーもまた描きあげた自作をいくつかに切り分け、左右を入れ替えたり、別々の作品に仕上げたりということをしている。完成作とはしかねるが捨てるには惜しい自分の作品もまた、素材でありうるということだ。

 

 水面に落ちる滝のような、また噴出する光の柱でもあるような、そんなシーンがおそらく『モモ』の中にあったのだろう。挿絵でもあったのだろうか。記憶はない。本も手元にないので確認できない。まあ、できてしまったものはもう私のもの、私の世界なので、出典というか、きっかけを確認しても、あまり意味はない。

 ただし、特に背景の扱いについては、ヘンリー・ダーガーの作品の方法を使っていることは確かである。この時期は彼の作品にかなりの影響を受けている。絵具として膠彩(顔料を膠水で練ったもの)を多く使用しているのもその一例。ヘンリー・ダーガーの場合はグァッシュ(不透明水彩)であろうが、その絵具の中性的な不透明感に惹かれながら、もう少し不透明性を厚くしたかったのである。

 楕円はアクリルクラッキング地塗りの台紙に、細い真鍮の針金で縫いつけられている。その周りを同心円状にペリドット橄欖石)が糸で縫いつけられている。画面の四隅には螺鈿用の貝。下方には、トルコで買ったコーランの断葉の一部が転写されている。深い意味はないが、前提としての東と西ということ、つまり異文化・異世界衝突ないし交流ということ。

 滝、または光柱とそれを映す水面の波紋。洞窟または地下世界。それらの全体の、また画面の一つ一つの要素の意味合い、象徴性というものは、必要であれば、見る人が感じ考えればよいことだ。

 

 Nさんの記憶と結びついた、ちょっと懐かしい、少しばかり愛着のある絵である。

 そう言えばこの絵は東京で一度発表したが、山口県では発表していない。

 

 余談だが、『モモ』から名前をとったらしい、あの小さかったNさんの娘も、現在は画家として立派に活躍されている。

                          (2017.2.12)

 

逍遥画廊[Gallery Wandering] - 1

逍遥画廊 [Gallery Wandering]

 グループ展が近づいてきた。出品作の選定をしなければならない。DM用の画像も送らなければならない。

 手書きの作品リストノート(手描き文字のデータと手描きの略図入り)と、PC画面の作品リスト(エクセル 文字データのみ)と、作品画像のフォルダの三つを付け合わせながらの作業。もちろん合い間には実物も引っ張り出してきて確認する。寄り道にはなるが、ついでに目についた未撮影の作品にはトレーシングペーパーをかけ、整理する。差し替え可能な額のチェックもある程度やっておかねばならない。それやこれやでなかなか煩雑である。

 

 私は発表、特に個展の場合は、基本的に時系列で出してゆく。会場全体の構成について考えないわけではないが、つまりは作品番号が古い未発表のものから順に出してゆくのである(最近はこの発表の順番待ちの列が長くなっている…)。特に大きな会場の場合や、事情がある場合は別にして、普通は東京と山口で一回ずつ発表したらそれで終わり。そこで売れなかったものは、以後、お蔵入りということだ。ふつう、一週間程度の間にせいぜい二、三百人の人の目にふれるだけである。我ながら、効率の悪いことだ。

 

 最近に限ったことでもないが、このお蔵入りの割合が増えて、収蔵スペースに困っている。自宅の収蔵室とは別に、少し離れたところに倉庫の一画を借りているが、これも種々の事情から、そう永続的なものとは考えられない。

 要するに、絵が売れないのと、発表機会が徐々に減っているにもかかわらず、制作量は減っていない、むしろ増えているということなのである。それはそれで根源的な問題であるが、今ここでそれについて論じようというのではない。

 

 そうして、作品画像のフォルダや収蔵室を行き来しているうちに、ほぼ死蔵状態のそれらのうちの幾つかを、あらためてどこかで公開してみたいという気になったのである。売れた売れないには関係なく、自分でも気になる作品というものがある。そういえば、こんな絵もあったなと思い出す画像がある。気がつくと、それらの作品や画像と小さく対話していたりする。

 

 これまで作品集という形で、なるべく多くの作品の画像を出そうとつとめてきた。ただそれも、種々の事情からとどこおりがち。そもそもほとんど宣伝していない。

 HPで、と思う。だがその肝心のHPのギャラリーのコーナーを、自分では更新できない(費用もかかるらしい)。ある友人はフェイスブックで毎日のように自作を公開している。しかし私はフェイスブックをやっていないし、好きではない。まあ今どき情報発信は、HPよりも圧倒的にフェイスブックなのだろう。SNSの圧倒性をいまさら否定してもしかたがないが、自分の好み、ペースとしてはせいぜいブログまでである。ブログなら日々自分で更新できる。

 そのブログに、新たに作品紹介のカテゴリーを作ってみようかと思うのである。題して「逍遥画廊[Gallery Wandering]」。ちなみに逍遥の英訳としてはstrollとなるのだろうが、この単語には私としてはなじみがない。意味としては逍遥でもあり彷徨でもあるので、Wanderingで妥当だろう。まあ、前後左右に関係なく、ふわふわと自作の森の中を彷徨い、行き暮れつつ、時おり一人つぶやく、といったイメージのカテゴリーである。

 最近は、文章を書く、ブログを更新するという事自体にいささか倦んでいるところがある。まあやってみて面白くなくなったら、それはその時で中断なりサボるなりすればよいと思う。

 とりあえず、始めてみよう。目的は作品(再)紹介。ときには作者と作品の対話が、低く洩れ聞こえてくるかもしれないということ。いざ。

 

 

 「旅人とその景」(566)

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                            2010.10~2011.8  28×24.8㎝

           厚口和紙にアクリルクラッキング地 アクリル・油彩・樹脂テンペラ

                 G.73 「第18回小品展」 2012.1/パレット画廊/周南

              G.75 「タテモノフウケイ展」 2012.6/あらかわ画廊/京橋

 

 グループ展の話があって、急きょ会場スペース等を意識して制作したもので、そうした作り方は、私としては比較的珍しい。

 基底材・支持体としての手漉き厚口和紙にアクリルクラッキング地というのは、それまで何度も使ったことのある組み合わせである。作業工程上、何枚かまとめて作ってストックしておく。地塗層は「クラッキング」というそのままの製品名のアクリル系塗料(主に建物の内装用)だが、それ自体の独特で魅力的な物質感が好きで、時おり地塗層=下色として使う。その独特のテクスチャアのゆえに、特にアクリル以外の絵具を乗せるのには多少の神経を使うが、そう難しいものではない。彩色の前に多少紙やすりをかける。

 クラッキングということのテクスチャア=肌合いの魅力にかなりの部分を負っていることは言えようが、それを活かさなければこの素材を使う意味がないだろう。

 

 絵柄としては結晶化した塔(ジグラット)。たしかバクダットにある塔で、イラクの昔の紙幣の図から持ってきた。塔の持つ垂直性と、螺旋という無限へと至る幾何学性に惹かれるというのは、時代や民族を問わず、人間の本能(的な美への希求)であるらしい。四つ四色の円形はまあ、月か、月のようなもの、か。色はアラブ的ということを意識したのかどうか、記憶にない。たぶんしていないだろう。村上春樹の『1Q84』にも二つの月が出てくるが、それを読んだのはこの絵を描いた後の話。そのずっと以前から同様なモチーフは使っている。

 左下の白い三角形は私の作品にしばしば出てくる形であるが、多様な意味合いを持つ象徴的な記号である。主に墓ないし「死」のイメージ。造形的には右の塔と対応することによって、画面の基本構造を成している。最後にその下にごく小さく人物を入れることによって、この絵は統一的な空間を獲得し、タイトル「旅人とその景」が成立したのであるが、今見れば確かに司修的である。それはまたルドンの「あいまいなもののかたわらに明快な形を置くこと」でもある。

                            2017.2.10