艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

個展「耀ふ静謐」 レポート―7 「をみな」に関連して

 さて「レポート―7」。

 前回に引き続き「をみな」関連の作品。といっても、内容、制作時期等、相互の関連はあまりないのだが、あくまで「をみな」が描かれているということで2点紹介する。

 

 私は時々、過去の他者の作品(のイメージや構図等)を、自分の作品に使うことがある。それを引用といっても参照といっても良いのだが、一種の「本歌取り」といった意識である。日本の和歌などに見られる表現思考だが、マニエリスム等を引き合いに出さずとも、古来から現代にいたるまで、先例に習い取り込むそうしたやり方は、表現における普通の方法だと思っている。むろん、その周辺に在る、模倣や剽窃と言われる場合も、意識性をのぞけば同質である。また、「本歌取り」とは別に、私はコラージュもよく使う。

 いずれにしても、「ネタ」や「パクリ」といった言い方は下品で嫌いだが、以前にちょっと必要を感じて、著作権について少し調べてみた。結局、著作権やそれにかかわる法規は、現在なお発展途上の問題としてあり、明確な基準はわからずじまいだったが、現存作家にかかわることでは盗作等の問題が生じやすいことはわかった。

 例えばマッド・アマノ白川義員フォトモンタージュ「パロディ裁判」(最高裁までいったが第三次控訴中に和解決着)とは異なる次元の話だが、2006年に芸術選奨文部科学大臣賞に選ばれてのち、現存のイタリア人画家の作品との類似が指摘され、史上初めて授賞が取り消された、元名古屋芸術大学教授の和田義彦の場合など、論外というべきであろう。余談だが、たまたまこの事件が報道された時、学部時代に彼に教わったという大学院の指導学生がいて、当時の行状等を聞いたこともあって、印象が強かった。

 なおこれも余談というべきであろうが、その時の芸術選奨の選考審査員には酒井忠康世田谷美術館長)や瀧悌三が加わっていたとのことだが、彼等の責任というのは何か問われたのだろうか。 

 まあそうしたことと直接の関係はないのであるが、私が「本歌取り」をする場合、作者の名がはっきりしていて、引用するという造形的意思が明確な場合には、タイトルの一部として(H.D./ヘンリー・ダーガー)とか、(S.S/曾我蕭白)と言ったように、出典というか、元歌の頭文字を記載する(ことが多い)。本歌取りだから、そこに元歌へのある種の敬意があるわけで、その意味も含んでのことである。すでに自分の中に取り込んだ、自分自身の要素となったと思うものについては、それが似ていようと、記載しない。

 今回紹介する3点はその「本歌取り」の系統に属するものである。

 

 

564「胡姫」

(2010.10~2016.7.9 31.5×23.5㎝ 厚口和紙にアクリルクラッキング地、樹脂テンペラ・油彩・蜜蝋・アッサンブラージュ

 

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 この作品は二、三十年前の朝日新聞に載っていた図版(27.5×21.5㎝)をもとにしたもの。絵柄をほとんどそのまま使用している。図版だけしか切り取らなかったので、おそらくインドミニアチュールであるということ以外は、いつ頃の、誰の、どんなものとも知らないまま、長くスクラップブックに収められたままだった。

 

 

 ↓ 参考図版

 (朝日新聞掲載 掲載年月日不明 インド タージ博物館蔵)

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 それから二十年以上たって、ふとそれをもとに作品にし始めたのである。途中でモチベーションというか、イメージを見失ったような時期があって、完成まで足かけ7年もかかってしまったのだが、その途中2013年にインドに旅した。タージマハルを訪れた時、その附属美術館(タージ博物館)で、思いがけずその現物を発見した。新聞に載っていた図版と違って、実際のそれは思いがけず小さな、せいぜい10数㎝程度の象牙の薄片に描かれたものだった。象牙ゆえの半透明な、なんとも言えぬ上品な半光沢を活かした不思議な色調。(撮影禁止だったので写真はない。絵葉書や図録の類もなかった。)

 その幸運な鑑賞体験にうながされて何とか完成させたのだが、やはり時間がかかりすぎたせいか、作者としては、やや精気に乏しいように思う。しかしまあ、これはこれだ。

 ちなみにタイトルの「胡姫」は、シルクロード時代の中国における紅毛碧眼の胡=イラン系異民族の若くて美しい「をみな」。緑酒と舞踏のイメージとともに記憶されている。

 

 

565「胡姫」

(2010.10.24~2016.7.9 31.4×23.5㎝ 厚口和紙にアクリルクラッキング地、樹脂テンペラ・油彩・蜜蝋・コラージュ・糸)

 

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 参考までに上げておく。

 564と565は上記したように同じ図版をもとにして、サイズと向きを変えて2点制作した。こちらはすでに東京で発表済みなので、今回は不出品。

 

 

700「憧憬と記憶」

(2016.1.25~2017.1.27  34.5×47.9㎝ 水彩紙に和紙・膠地、鉛筆・彩墨・アクリル・セピア・コラージュ)

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 「女」ではあるが「をみな」とは多少位相が違う。元になったのは誰もが知っている有名な女優。だがその女優がヌード写真を撮ったという話は聞いたことがない。ネット上で拾ってきたそれは、おそらく別の女性のヌード写真(全身の三分の二ほどの構図)に、その女優の顔をすげ変えたフェイク写真(アイコラなどと言うそうだ)というべきものでないかと想像される。痛ましいといえばそうなのだが、そうした下劣な写真にも美しさ(と言ってはいけないのかもしれないが)はある。

 少々やましさを覚えながら描いたのだが、思い返してみれば、少年時代に大人たちの見ていたヌード写真をこっそりと垣間見る時には、いつもそんなやましさがあった。そのやましさを透かして見える美しさへのあこがれ。タイトルのゆえんである。

 会場で、ある人(女性)がこの絵を一番好きだと言ったのは、救いであったかどうか。

大祓形代と水無月祓いのこと

 6月14日、近所のTさんが「大祓神事執行」の「大祓形代」を持ってこられた。息子夫婦と孫と合わせて五人分。

 

 

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 これは私が20年以上前に、現在のあきる野市高尾に引っ越してきてほどなく、斜め向かいのというか、当時は住宅が少なく、隣家というべき存在だったNさん(故人)が持ってこられたのが始まりだった。数年前にNさんが亡くなられてからはTさんがその役を引き継がれたようで、年に二回、現在に至っている。

 その形代は写真のように白い紙をヒト型に切ってあり、それに氏名と年齢を書き入れ、神社におさめる。神社はこの近辺で最も大きな、古い歴史を持つ阿伎留神社なのだが、私は別にそこの氏子というわけではない。N家は古くからの地元の方だったようだが、阿伎留神社の氏子だったかどうかは知らないが、おそらく氏子関係とは別の、伝統行事維持的な関係性で私に声をかけてくれたのではないかと思う。Tさんも引き継いだだけで、詳しいことは知らないと言われた。私自身は基本的に無神論者、無宗教者だが、民俗学的観点からの伝統行事には関心があるし、尊重する。(そういえば民俗学的関心は最近、少し薄れつつあるが…。)

 

 このヒト型=人形は「大祓形代」と明記してあるだけで充分予想されるように、われわれの半年分の日常の罪や穢れを、それに乗り移らせて(肩代わりさせて)、水に流して(お祓いして)しまうという、由緒正しい(?)東アジア的習俗である。三月のひな祭りの原型の流し雛も同様の趣旨。想像をたくましくすれば、ガンジス河のヒンドゥーバラモン教のそれと起源を同じくするのではないかと思う。蛇足だが、このヒト型という形状は言うまでもなく、普遍的シンボルとして世界中あちこちに見出すことができる。

 少し調べて見たが、阿伎留神社では6月30日に大祓(水無月祓)として神事を行い、そののち焼くそうだ(?)。ちなみに同じあきる野市の養沢に移住した知人の杉さんも地元の神社の同様の行事を投稿していた(https://www.facebook.com/takuya.sugi.3)。そちらは古式を守って、今でも実際に川に流しているらしい。「穢れた人形たちは、みんなうちの下の淵に集まってくるんだよねー。鮎釣りの人とかギョッとするんじゃないかな^_^;」とのこと。

 

 その水無月祓は「夏越(なごし)の祓い」とも言い、残念ながら私はまだ見たことがないが、茅で作った輪をくぐり抜けて無病息災を祈る「茅の輪くぐり」を伴うとのことである。それは蘇民将来信仰と結びつくが、その起源に関しては、スサノオとの関連もふくめて、渡来系、国津神系とも判然としない、あるいはそれらの習合した、日本=東アジアの民間信仰の曖昧とした薄明の中にたたずんでいる。

 

 ↓ 蘇民将来の一例(Wikipediaより)

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 ↓ 蘇民将来の護符の一例 晴明紋が描かれている

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 ともあれ、蘇民将来であれ、夏越の祓い、茅輪くぐりであれ、それらはすべて私が18歳で東京に出る以前には、見聞きすることのなかったことである。あるいは私が知らなかっただけなのかも知らないが、どうもそうした古い行事や民間習俗は東日本により多く残っているように思われてならない。中でも山間部に近いとはいえ、東京都にこうした古式の習俗が残っているのは興味深いことだ。

 

 ちなみに、本来であれば、その形代に対する正しい作法は、その形代で身体のあちこちをなでて、身体に付着した穢れを移し、最後に息を吹きかけて心の穢れと合わせて自分の身代わりとさせるとあるが、そんな作法については知らなかった。おまけに、何となく以前から顔を描いていたのだが、別にそんなことをする必要はなかったようだ。まあ、描いてマズいということもあるまいが。なんだか勝手に伝統的作法を変容させていたことには、気づいた…。                 (記:2019.6.15)

個展「耀ふ静謐」 レポート―6 「をみな」について

 さて「レポート―6」である。

 何を書こうか。どれを紹介しようか。

 「ところで、私はいったい何をしたいのか」、という自問自答は胸にしまっておいて、今回は「瓔珞のをみなたち」を中心に紹介することにしよう。前回が「装飾」という具体性というか再現性・現実性のない絵柄のものだったので、今回はその逆の作風のものをといった感じでしょうか。

 

 「瓔珞のをみなたち」と題されたのは全部で7点あるが、今回展示したのはその内の3点だけ(他はすでに発表済みか、次回10月に発表予定)。関連するものと合わせて5点を、RETAILと称するコーナーに誘導する狭く湾曲した迷路のような通路の金色の片面に展示した。RETAILというのは、まあ小売店というか、具体的にはブティックのイメージだと解しておけばよいだろう。だから、辿り着いた先のスペースには、洋服や靴やマネキン人形が設置されたままになっている。それはそれで面白い。そのスペースの商品棚にも関連する2点と、他の傾向の作品をいくつか展示した。それもまたアンチホワイトキュウーブ。

 迷路のような通路の反対側の白い面には、対照的な「晶」などの流れの紙の作品をマット装にて展示。通路の側壁の後半の曲面はオーバーハングしており、作品の展示には少々苦労する。ともあれ、これだけ狭い幅の通路の両面に作品を展示した例は他にあるまいなどと、妙な自負を秘かに抱く。「してやったり」の感。

 

 さて「をみな」である。「をみな」とは「若くて美しい女」の意。奈良時代の古語(平安時代には撥音便化されて「をんな」となった)。「をとめ」に少し近いが、多少意味が違う。「女/おんな」でも良いのだが、私は古語というものが割と好きで、時おり作品タイトルや詩歌作品や文章中にも使うことがある。「女/おんな」のあたりまえの平板さでは味気なく、やはり「若くて美しい」というニュアンス、憧れめいた感情を忍ばせたいからである。

 「瓔珞」とは古代インドの貴族の宝石などを連ねた装身具から発して、仏像の首、胸あるいは天蓋などに用いられた飾りのことである。飾り=装飾ということで、前稿で取り上げた作品群とつながる。また私の基本的なコンセプトというか、イメージの一つである「荘厳(しょうごん)」ということとも通底する。

 したがって「瓔珞のをみなたち」というのは「宝石のような装飾によって荘厳された若くて美しい女たち(の絵)」ということになる。開き直って言えば、それは、描かれた画像は、すなわちベクトルの曖昧なシンボリズムとして発現する。もとより私は「をみな」そのものに対して強い憧憬を持っているから、その意味するところを一言で言うことはとてもできない。

 

 ここ数年、昔からの私を知る人からは「河村が女の絵を描いている!」などと言われ、驚かれることが多い。確かに私は永く、女と限らず、人物をほとんど描かなかった。まったく描かなかったわけではないが、その数は少なく、ほとんどが具体性に乏しい観念的なシンボルとしての図像であった。

 油絵の源郷であるヨーロッパにおいては、絵画の王道は宗教画―歴史画―肖像画―人物画の系譜である。しかしそのことは、アジア/日本=非ヨーロッパということを持ち出さずとも、私には無縁であっただけの話だ。人物を書かなかったのは必然性がなかったからであり、人物=人間にまつわる現実感を忌避していたからだと言ってもよい。もともと人物画に、というよりも人間に興味が薄いのである。人間嫌いと言ってもよいのだが、私は基本的に人間よりも自然を上位に置いているのである。

 と言って、人間を描かないと決めていたわけではない。描かないことに対しての若干の負い目も持っていた。いずれにしても、あくまで必然性が訪れなかっただけなのであるが、ここ数年、何となく人物、それも女を描きだしたことに、明確な内的理由を挙げることはできない。人物/女に限らず、モチーフやテーマといったものは、論理的帰結として導き出されるものではあるまい。それはあくまで基本的には私に「訪れる」ものなのだ。したがって心の準備や計画などない。気がつけば描き出していたのだ。

 今回は出品していないが、2013年には「をみな」というタイトルの作品を6点描いている。私は基本的に「シリーズ」とか「バリエーション」という考え方、発想法が好きではないのだが、その「をみな」というタイトルの作品群は、今見れば「シリーズ」としか言いようがないようにも見える。しかし、それはあくまで結果から見てそう見えるのであって、初めからそのように意図して複数化したのではないという点で、かろうじて「シリーズ化」は免れていると思う。まあ、些細な違いでしかないが。

 その少し前の2012年頃にいくつか女性をモチーフとした作品を描いており、2010年頃には「マタハリ」をテーマとした何点かの作品を、前後してや女性の印刷物によるにコラージュを制作しているから、そうしたあたりが準備段階となって今回の「瓔珞のをみなたち」がポロンと紡ぎ出されたのだろうと思う。

 

 絵には系統的進化といえるような展開は、ないのではないだろうかと思う。Aというステージをクリアすることによって次のBというステージに行き、次いでC、Dに順次至るといった段階的発展は、少なくとも私においてはありえない。行き当たりばったりというほど杜撰ではないにしても、制作とは地図を持たぬ直観の旅/彷徨だと思う。ある一点の、あるいは同時進行する複数の作品の制作、それらの交錯した連鎖を通してしか先の作品のイメージは生み出されない。少々ロマンチックで幻想的なイメージではあるが、私は制作の展開というものを、そのようにイメージしている。以上は余談である。

 

 もう一つ別の余談を記しておく。

 今回取り上げるものの中に基底材として「パーティクルボード」とあるものが3点ある。パーティクルボードとは木材チップと接着剤を圧縮して成型した建材の一種。それに何種類かの地塗塗料を塗布して描画面としたのだが、それは1982年だから30年以上前の学生時代にまとめて作ったものである。当時は各種の技法や材料を色々と試していた頃で、ゼミか何かで作ってはみたものの、会わないというか、使いこなせなかったという感じで、以後未使用のままずっと持ち続けていたのだ。私は断捨離どころか、どちらかといえば物持ちの良い方だとは自覚しているが、それにしてもよく持ち続けていたものだと思う。それ以上に、よくそんなものにあらためて描こうという気になったのが、われながらちょっと不思議である。つまり最近は、イメージであれ、材料であれ、何でも自在に使いこなせるような気になっているということなのだろうか。だとすれば、それはそれで喜ばしいこと言うべきか。

 いずれにしても、それらの作品はそのパーティクルボードの存在なしには描かれなかった作品なのである。手持ちの素材が作品世界を決定することもあるのだということ。

 

 

 ↓ 750「巫女」

(2017.5.8~2018.1.19 25×18㎝ パーティクルボードに石膏地、樹脂テンペラ・油彩)

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 「巫女」という言葉とそのイメージは、私の中ではけっこう大きい。人に神の言葉を伝える者。人と神の媒介者(メディウム)。その手段としての芸能、などといったこと。なぜユダヤキリスト教イスラムでは預言者が男で、より古い宗教である神道その他では巫女=女なのか。

 ただしこの作品もタイトルをつけたのは、完成後か、完成近くなってから。つまり「巫女」という絵を描こうとしたのではなく、「をみな」のイメージで描いていく中で自然に「巫女」という言葉が降りてきたのである。タイトルは、目指す地点ではなく、後追いで建てられた道標なのだということだ。

 塗りっぱなしの地塗り層の石膏地のマチエールが、結果としてちょっと面白い効果を上げている。

 

 

  ↓ 755「瓔珞のをみなたち-1(霧の滴)」

(2017.6~8.  25×18㎝ パーティクルボードに麻布・エマルジョン地/1982.8製作、樹脂テンペラ・油彩)

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 「瓔珞のをみなたち」と題した最初の作品。見てわかるように、作品の主役というか動機は、ほぼ左右対称の装飾的構成である。私の場合、こうした構成をとる際には、最初のほろ酔いかげんでのイメージスケッチの次に、必ず定規やコンパスなどを使った下図を作るというやり方をしていたのだが、この作品からはそのやり方をやめたというか、必要としなくなった。描きとめておいたイメージスケッチをチラ見しながら、パネルに直接フリーハンドで描く。線が少々曲がっていようと、不正確であろうと意に介さない。多少曲がっている方が、直線性が出る。味が出る。それは私にとって小さな革命であった。ようやく私も、ほんの少しではあるが、線や形を意のままに使えるようになった気がして、少しうれしかった。

 「霧の滴」というサブタイトルは、日本のロックバンド、ソウル・フラワー・ユニオンの曲から。やはり作品完成前後の絵柄と、女性ボーカルの意志的な歌声が結びついて思いついたタイトルである。

 ソウルフラワーユニオンは現場主義を標榜し、民謡や大衆歌謡、労働歌、革命歌などを取り入れたユニークな、私の好きなバンドで、「霧の滴」は1910年前後のアイルランド独立運動に取材した曲。第二次大戦後に完全独立するまでのアイルランドとイギリスの関係は、戦前の朝鮮と日本の関係と似たようなものであった。アイルランド独立運動自体は日本ではあまり紹介されていないようで、私も詳しくは知らないのだが、もともと私は独立運動や革命運動、抵抗運動といった反体制運動全般に基本的に共感を感ずる者である。詳しく知らないからといって共感していけないということにはならないだろう。体験していないことにも共感できるのは、想像力によってであるのだから。

 いずれにしても形や構成、絵具使いなどといった造形的要素には、それまでの私の中にはあまりなかった要素が自然に出てきて、多少戸惑いつつも、比較的楽しく描けたような気がする。幸いにというべきか、今回売れなかったが、しばらく手元にとどめておきたい作品である。 

 

 

 ↓ 757「瓔珞のをみなたち-3(赤色旗)」

(2017.7.20~2018.5.7 F3 パーティクルボードにミックステンペラ地/1982.8製作、樹脂テンペラ・油彩)

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 全体の構成は他と同様に左右対称の装飾的構成。中のをみなの扱いに苦労した。他と違って全身をいれのはたこの作品だけ。彼女の持つ赤色旗は当然共産主義のそれと見られても構わないのだが、なぜこのようにセミヌードのをみなが、稲妻の光る荒野に立っているのかは、作者としても説明のしようがない。絵解き的には割と簡単に読み解けそうであるが、簡単に読み解かれてしまっても、それもまた仕方がない。作者はどんなに扱いに困っても、自分に訪れたイメージに忠実に従うしかないのである。

 ちなみに、会田誠の作品に、日韓の女子高生がそれぞれの国旗を持って立つという絵(『美しい旗 戦争画RETURNS』があるが、それとの類似に気がついて、少し動揺したが、結果として似たところが出てきてしまったのはまあ仕方がないと思うしかない。いや、そもそも似ていると思う人は、ほとんどいないかもしれないし。

 ここであえて赤旗共産主義に言及しておけば、私は共産主義とは、人間の考えだした最も優れた理想主義の一つだと高く評価している。そしてその理想主義は、キリスト教であれイスラム教であれ、宗教のそれと同様の、人間には達成しえないがゆえに永遠に「理想」の域にとどまらざるをえないものなのだということだ。理想に対する人間の現実存在。宗教はいまだにその達成不可能性を自らは認めていないが、共産主義ソ連崩壊を具体的事例として、その達成不可能性を証明されたと見なされている。

 少し余談を加えておく。

 共産主義原理主義が達成不可能な理想主義なのであれば、次善の策として修正社会主義としての社会民主主義ということになるだろうし、実際に戦後から今日にいたるまでヨーロッパ社会を主導してきたのは社会民主主義であるということを、日本人も再確認しておくべきだと思う。

  

 ↓ 759「瓔珞のをみなたち-5」

(2017.7.22~2018.3 自製キャンバス/麻布に弱エマルジョン地、樹脂テンペラ・油彩)

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 「瓔珞のをみなたち」も5作目となると、少し手慣れてきた=退廃し始めてきた感があった。しかし手慣れてきているので、作業効率は良い。しかし芸術においては「慣れ」ということは、基本的に危険だ。だから何か新しい未知の要素を入れなければいけない。この作品では、過剰ともいえる色点(ドット)を描き加えることにした。造形的思いつきである。

 「過剰」は「装飾」の一要素、あるいは可能性の一つである。そして「過剰」ということは私にとって、大事な要素の一つである。「やりすぎるぐらいがちょうどよい」。「過剰」の果ての静寂・静謐に至ること。

 制作途中ではその過剰さのゆえに、一時かなり下品(?)な趣きを呈したらしく、女房のひんしゅくを買っていたが、そんなことを気にしてはいられない。ある種の静けさには辿り着けたと思うが、さて。

 ちなみにこの絵に限らず、最近の作品に描かれている女性・人物は一切現実のモデルはいない。写真や図版も使わない。ただ想像力や曖昧な記憶だけで描いている。モデルや図版を見るということは、その再現性=記録性にとらわれて、絵画的リアリティが損なわれるからである。私の場合は、というべきかもしれないが。

 サブタイトルはなんとでも付けられるとも思ったが、あえて付けなかった。曖昧なものは曖昧なままに。

 

(記:2019.6.4)

個展「耀ふ静謐」 レポート―5(フェイスブックおよび「装飾」について、など)

 個展(5.13~25 SALIOT)は終わった。

 始まって見れば、予想していた以上の規模となった。例えば100号以上6点を含む全50点という点数であり、会期は二週間、会場構成は複雑で広い。また、一般的な画廊ではなく、ビジネス街での企業(製造業)のショールームという勝手の違った世界ゆえの、事前から会期中にいたる対応や準備、また事後処理等々で、相当疲れたというのが本音である。

 さらに会場までの往復の電車の冷房や、会場内での冷房と乾燥が原因で、会期半ばで風邪をひき、それに夜ごとの飲み疲れが追い打ちをかけて、個展が終わってから4、5日寝込んでしまった。

 それはまあ、しかたがない。いろいろとしんどいことはあったが、成果もあった。それで良しとしよう。

 

 個展とはまた別の話であるが、会期の少し前からフェイスブックを始めた。それについては、簡単に言えば、「現代に生きるアーティスト(画家)として、必要最低限のインフラ」という息子の言葉に背中を押されて始めたのである。実を言えば、息子の真意と私の受け止め方には若干の食い違いがあったのだが、それはまあ、たいしたことではない。

 ともあれそうして始めたフェイスブックは、実際問題として今回の個展の宣伝媒体として確かに機能した。それが観客動員数に寄与したかとなると、数字だけ見ればそうとも言えないにしても。

 しかし、一回限りの事前の情報提供としての案内状(フライヤー)に比べて、事前から会期中を通して何回も情報を発信することのできる複数回性と拡散性は、ある程度予想はしていたが、今さらながら確かにたいしたものだという気はした。

 だが、言うまでもなく、フェイスブックにはフェイスブックのルールというかリテラシーといったものがある。ブログにはそれなりに慣れて、自分の流儀といったものを多少は身に付けているように思ってはいても、フェイスブックのそれには不慣れなわが身としては、その差異がなんとももどかしい。要は両者の差異をふまえて使い分ければ良い話なのだが、並行して両方やるとなると、時間的にも思考的にも結構な負担である。まあフェイスブックへの投稿は、本来それほど考えてやるものではないのだろう。

 それやこれや考え惑っていると、そもそも自分には発信すべきものを持っているのか、発信したいという気があるのかといった、根源的な懐疑に突き当たってしまいそうになる。それもまた別の話だ。「隠山造宝」もスローガンとしては良いが、スローガンだけでは身を処していけない。

 

 私にとって、ブログを簡単に言えば、それは言葉によるデッサン(≒写生≒記録)の公開だと思っている。フェイスブックは言葉によるクロッキーにさえもならない。画像(写真)の要素が大きすぎるし、控えめであることを要求される言葉(文字)の量では、それが観念から思考に至る過程を満たすことはできないし、そもそもフェイスブックにおいては観念や思考は歓迎されないのだ。むろんそれは私にとっての話であって、仕事・営業・宣伝のツールとして使う人にとっては自明のことであろう。私の場合は、アナウンスという点では、個展やグループ展といったイベントがそうそうあるわけでもない。

 もともとブログであれフェイスブックであれ、多少なりともSNSに関与しておきたいと思ったのは、息子が言った「情報弱者にだけはならないで」という一言にショック(?)を受けたためでもあるが、もう一つは自分の作品を載せたいという、これはこれで単純ながら切実な気持ちがあったことも事実だ。それは、いまさら有名になりたいとか、作品を売りたいとか、そういうことではない。そんな甘い幻想とはもう無縁の年齢だ。

 だが制作した作品を、一週間程度の画廊での発表で、せいぜい200人程度の人の目にふれさせて、後はお蔵入りという現状を思うと、そこにやはりなにがしかの虚しさというか、無意味さを感じざるをえないのもまた事実である。

 そうした虚しさに対抗する工夫の一つとして、最近までの30年ほどは東京と山口県(故郷)の画廊で一度ずつ計二度発表することを基本形、原則としてきたが、山口県の画廊のオーナーが数年前に亡くなられて以後、この形は自然消滅した。

 もう一つの工夫として、作品集の発行(自費出版)もしてきたが、それを買おうという人は画廊に来る人よりもさらに少ない。

 こうした「芸術的衝動の発動→制作→発表→在庫の山」という事態をへて「保管場所の苦労→保管することへの根源的懐疑」という袋小路的現状に至っているのは私に限ったことではあるまい。多くの画家制作者が同様であろう。世に蔓延している「断捨離」という思考は芸術的には不毛きわまりないものであるが、そこに一理を認めざるをえないのもまた事実である。

 現在私は自宅とは別に、車で一時間ほどのところの元織物工場の一画を倉庫として借りているのだが、五年先十年先を思うと、日々頭が痛いのである。

 そうした現実のしんどさからの一時的な逃避として、SNS/フェイスブックへの作品画像の投稿ということがあるのではないか。少なくとも私の場合はそのようなものとしてフェイスブックが考えられる。逃避ということも、生き延びるためには、時には大切かつ有意義なことだ。

 

 当たり前だが日々の生活の中心は制作である。制作に倦んだとき、気晴らしに本を読み、資料整理や骨董いじりをし、裏山歩きをし、ブログの文章を書く。そこに新たにフェイスブックが加わるとすれば、やはりブログの文章への誘導装置としてということになるのだろうか、

 まあしばらくの間はそういった感じで、自分の中で折り合いを探っていくしかないだろう。

 とりあえず今回始めた「レポート」を引き継いで、しばらくやってみようと思う。「レポート—4」までに取り上げたのが10点ほど。とにかく残り全部の画像を投稿してみようと思う。そこまでやってみたら、次の展開というか、可能性も見えてくるのではないかと期待して。

 

 一つ困っているのは、見せ方として、ある作品を、例えば692「やわらかな装飾」を取り上げる時に、必ずしもそれは「シリーズ」ということではないのだが、おのずと似たような「装飾」をテーマとした絵柄のものを関連して取り上げたくなるだろうということ。しかしそれをやってしまうと、それこそキリがなくなりそうだ。やはり、まずは今回の個展の全出品作の紹介ということで、いったんやってみよう。

  

 ↓ 692「やわらかな装飾」

(2015.12.1~2016.1.19  53.5×40.1㎝ ワトソン紙に東南アジア紙・膠地、鉛筆・アクリル・砂)

この手のものとしては3点目。紙は東南アジアのどこかのもの。こうしてみるとアルメニアグルジア的、あるいはケルト的要素が目に付く。

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 前稿の最後に紹介したのが696「装飾(ひびきと光)」。よって今回はその流れで「装飾」をテーマ(?)にしたものを紹介する。

 「装飾をテーマ」ということについては、前稿で簡単に触れている。装飾といっても多様であり、それが抽象的であろうと具象的であろうと、およそ古今東西、装飾を持たぬ民族・歴史はなかったと言える。今回とりあげるのは、それらの中でも中近東、イスラム圏のそれに根差すというか、影響を受けたものである。むろん影響といってもそれほど直接的なものではない。

 私がそれらに引かれるのは、そうした地域が宗教的理由によって、人物はおろか、鳥獣以上の生き物の具象的再現的表現を基本的に禁じられている所のものだからである。

 言うまでもないが、装飾の多様性を見てゆくと、それは民族的地域的な固有性と共に、いくつかの面においては汎世界的な共通性も持っていることに気づく。それは普遍性と言い換えてもよい。

 およそ人間には表現の本能が備わっている。それが絵画的表現をとるにせよ、あるいは音楽的表現、舞踏的表現であるにせよ、それが表現であるかぎり、装飾性ということと無縁ではいられない。ゆえに装飾もまた人間における本能的営為であると言える。

 仏教であれキリスト教であれ、その初期には偶像崇拝禁止という観点から、神仏の像を作り描くことは禁じられていた。しかし人々はその初源の原理に納得しえなかった。古代においては、イコン無くして現実的には宗教は広がりようがなかったからである。一人イスラム教のみその原則を今なお基本的に守っていられるのは、それが母体であるところのキリスト教が完成して以降の7世紀に成立したものだからである。すなわちその教義の前提としてのユダヤ教キリスト教における聖書の図像的イメージを、現代にいたるまでのムスリムは内蔵しているからではないかと、私は推測している。

 いずれにせよ、そのように鳥獣以上の生き物の具象的再現的表現を基本的に禁じられている世界における、唯一可能な絵画的表現としての装飾とは一体何なのだろうかというのが、私の根本的な興味なのである。

 

 私の海外への旅は、油絵を学ぶ者としての順路であるヨーロッパから始まった。その後、カウンターポジションとしての日本を含むアジア各地へと、またヨーロッパへと、何度か交互に旅を重ねてみると、それは要するにキリスト教圏と、仏教・ヒンドゥー教道教圏を比較対照して見ることであったと気づく。その結果というか、副産物(?)として、もう一つの未知の文化圏・宗教圏としてのイスラム圏が気になってきた。

 そしてトルコから始まり、インドのいくつかの地域、モロッコチュニジアアゼルバイジャンウズベキスタンと旅した。上記したように、ある時期のミニアチュールや、世俗主義的社会体制もしくは旧ソ連邦における宗教を否定する社会体制に基づいた近現代を除いては、基本的に再現的描写的絵画の歴史的文脈は存在しなかった。あるのはひたすらなる装飾の森であった。ムスリムの世界においては、絵を描く表現の本能は、装飾の中に溶け込んでいったのだろうか。ともあれ、私はそうした装飾の森の、特異な美しさと豊かさに心ひかれた。

 

 以下の作品を発想し描くにあたって、他と同様に、論理的な要素はほとんど介在していない。ほぼ情動的衝動を造形化したとしか言いようのない制作プロセスであった。装飾ということ自体がテーマというかモチーフなので、きっかけとしてはともかく、個々の要素としては必ずしも中近東イスラム的なものとは限らない。前後して訪れたアルメニアグルジア的な要素や、それ以前に訪れたケルト・北欧的な要素も混在しているだろう。

 いずれにしても再現的あるいは説明的意図はない。その意味では抽象画だと言えるかもしれないが、私としてはあくまで「装飾をテーマとした絵画」「装飾それ自体の意味を探る絵画」なのである。

 

 

 

 ↓ 697「異国風の形而上学的装飾」

(2016.1.6~2.17  59.3×41.3㎝ 水彩紙に和紙・膠地、鉛筆・セピア・アクリル)

この手のものとしては6点目で一応最後と言えるもの。それまで可能だった「まとまり」が何だか制御不能というか、解体し始めた感じになった。以後この延長上のものを二三点は描いたが、「まとまり」は二度と訪れなかった。一種の慣れが生じたのだろうか。

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 ↓ 698「光と観念の装飾」

(2016.1.24~2.17 40.8×26.7㎝ 台紙/シリウスD.P.に和紙・膠地、鉛筆・アクリル)

 「まとまり」が訪れなくなったことによって、「装飾」にはいまだ関心があるもののモチベーションがないといった状態で制作したもの。したがってシンプルではあるが奥行きといったものはない。シンボリズムの方に逃げているか?

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 ↓ 705「モロッコの窗から」

(2016.2.27~6.14  39.9×28.0㎝ 台紙/シリウスD.P.に和紙・膠地、鉛筆・水彩・顔彩・アラビアゴム・アクリル)

 これは上記の3点とは異なるシリーズ(?)のものだが、装飾という観点からここに挙げる。この関連のものは何点かあるが、はっきりモロッコチュニジアでの体験をもとにしたものは数点程度。モロッコチュニジアマドラサ(神学校)の装飾にインスピレーションを得たというか、それにクレーのチュニジア体験を重ね合わせたところもある。技法的には和紙に透明水彩や、同じことなのだが、顔料をアラビアゴムで練ったものを使うことの楽しさで描き連ねたようなところもある。こうした説明的意味から離れた色とリズムだけの織りなす世界に遊ぶのは楽しいものだ。

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 ↓ 749「モロッコのバラ」

(2017.3.20~2018.1.2  22.4×27.2㎝ 市販パネル/シナベニヤ)に台紙+和紙・ドーサ引き、彩墨・アクリル・鉛・革・真鍮釘)

 モロッコのある霊廟の庭に咲いていたバラを、珍しく実際に見て写真に撮って描いたもの。なぜと言われても困るが、美しかったことは確かだ。妙な話だが、いかにも「モロッコ的」だと感じ入った覚えがある。いずれにしても「霊廟に咲く薔薇」だから、おのずと対立相反循環する世界観なのである。中央の黒い形はそのころ使っていた革財布を切り取って使った。物質感のある黒が欲しくなったのである。

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 ↓ 735「月の窓 (晶夜)」

(2016.11.10~2017.2.27  29.7×21㎝ パネル/シナベニヤに和紙二枚重ね、アクリル)

これはイスラムではなくアルメニアグルジア体験。このシリーズは10点ほどあるが、今回出品したのはこの1点だけ。前稿の736「アララット―いにしえの光」にやや近いか。風土も宗教も異なる世界の、装飾の差異性と共通性。

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個展「耀ふ静謐」 レポート―4

個展「耀ふ静謐」 レポート―4

 

これまでどちらかと言えば、デーハな(?)作品の紹介が多かったので、今回は少し地味めなものを紹介します。

 

 ↓ 736「アララット―いにしえの光」
(41.8×59.2㎝ 2016~2018年 版画用和紙/アクリル・彩墨)
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 アララット山は、現在はアルメニアとの国境に近いトルコ領内にある山。古来ノアの箱舟の辿り着いた山として有名
 キリスト教アルメニア人の心の山であるが、その山麓第一次世界大戦前後にトルコ=イスラム教徒による100万人単位のアルメニア人虐殺があり、今に至るも両国間の民族的アポリア(解決困難な難題)となっている。
 数年前にアルメニアを旅した時、その優美な姿を見て強く心惹かれた。その歴史性を含めて。
 もとよりかりそめの旅人である私に明快に言えることなどないのであるが、手前に描いたアルメニアの印象と合わせて、そうしたことに対する私の心情を綴った作品である。
 ちなみに版画用和紙とあるのは、生前東京学芸大学で版画を教えられていた宮下登喜雄さんが東秩父村で指導(?)されて作られたもの。現在も作っておられるかどうかは知らないが、それも淡い縁であった。
 
 
 ↓ 635「何処へ」
(41.5×28.4㎝ 2012~2013年 台紙に和紙/アクリル・コラージュ・彩墨)
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 これは私の中でも位置づけ、意味付けの難しい、類例のない作品。(会場では額装してあるので、少し印象が違うかもしれません。)
一見してわかるように横断歩道の信号機をモチーフとしている。
 何年か前から信号機が電球式からLED式にかわり、歩く男の図像が「青(緑)地に白」から「黒地に緑(のドット)」と変わった。
 変わり始めの頃で、場所によって従来のものと新型のものと混在していた時期であり、その変化に気づかず、妙な違和感をしばらく感じていた。調べて見たらちょうど切り替えの最中だと知って、安堵したのであるが、『1Q84』村上春樹)の中の「二つの月」のような不思議さであった。
 そうしたことから連想したもろもろの「我々はどこからきたのか。(中略)我々はどこへ行くのか。」(P.ゴーギャン)、「われわれは遠くから来た。そして遠くまで行くのだ。」(白戸三平/忍者武芸帖)に通底する感覚をごくあっさり描いたもの。

*上の一文を書いた後で知ったのですが、忍者武芸帖のそれは、イタリア共産党のパルミロ・トリアッティ(1893-1964)の言葉だそうです。知らなかった。様々な立場から似たような考えに到達するもんだ…。
 
 
 ↓ 603「夜のうつわ」
(80.3×55.9㎝ 2011~2012年 台紙に和紙、アクリル・膠彩・地の粉)
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 次に紹介する604「月の器」と並行して制作。共に既発表のものだが、後者はすでに売れてしまっている。今回この作品を買っていただいた方は、作品集を見て、両方欲しいと言われたが、残念ながらそれはできません。
 この作品はギリシャサントリーニ島の考古学博物館あたりで見た、おそらくミケーネ文明あたりの壺の印象が直接の契機となっている。もちろん忠実な再現ではないが。
造形的要素はかなりシンプル。水性絵具(膠彩・アクリル)のたらし込み的描法のコントロールの難 しさはあったが、私にしては珍しく楽しく描けた作品。
 
 参考までに。
 ↓ 604「月の器」
(80.3×55.9㎝ 2011~2012年 台紙に和紙、アクリル・膠彩・地の粉)
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 内容的には「夜のうつわ」とほぼ同じ。中学高校の同級生のMM君が5年ほど前に買ってくれた。
 古いものを見て我々が美しいと感じる、そうしたフォルムや造形性などといったものは、それを使用していた当時の人たちにとって、どれほどの意味があったのだろうかと、思いはめぐる。
 

 ↓ 696「装飾(ひびきと光)」
(71.3×52㎝ 2016年 台紙に和紙/揉み紙、鉛筆・セピア・アクリル)

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 一連の「装飾」自体をテーマ(?)にしたものの一つ。
 装飾は常に二次的なものとして在った。何物かのための存在。存在理由を自身は持たないものとして。
 だが私は装飾それ自体を描いてみたかった。ゆえにそこに描かれたものは、この作品にはおそらく、「意味」はない。「意味」がないところに顕ち現れるものがあるとすれば、それを見たい。それは何か。仏教で言うところの「荘厳(しょうごん)」と通底するものがあるか、どうか。
 この作品も、自分としては比較的珍しく、割と楽しく描けたものの一つである。

 

 

 

個展「耀ふ静謐」 レポート―3

674「崩壊と忘却の静謐」と675「豊饒と忘却の静謐」について。
そして「SALIOTの照明について。

 

 ↓ 675「豊饒と忘却の静謐/Quietness of fertility and oblivion

  (F300 2014-2016年 自製キャンバス/樹脂テンペラ・油彩)

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 この画像はアトリエで大山富夫君に撮影してもらったもの
 よく見ると左右の輪郭が歪んでいるのは、彼のせいではなく、木枠自体が反っているためです。私はキャンバスは自分で麻布を張り、膠を塗り、地塗り塗料を作ってそれを塗ります。その作業は湿度の高い6、7月ごろに行います。湿度の低い季節には画面はパンパンに張り、それを受けてこのように木枠が反るのです。逆に乾燥した季節にキャンバスを張ると、湿度の高い季節には、画面がたるんでしまいます。
 小さな画面であればほとんど影響はありませんが、300号のようなサイズになるとかなり影響が出るので、注意が必要となります

 

 ↓ 674「崩壊と忘却の静謐/The silence of collapse and oblivion

  (F200 2014-2015年 自製キャンバス/樹脂テンペラ・油彩)

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 この作品と675「豊饒と忘却の静謐」は並行して描いたもので、ペアではありませんが、相補的な関係にあると言えます。
 両者に共通して在る、レイヤーのような25個のアルファベットと数字について多くの人から質問を受けます。
 それはこの作品におけるメッセージに近い、より正確に言えばコンセプト、私の思想と世界観を見る人に届けるための仕掛けです。読み解いてもらうための道標、あるいはヒント。ですから少しだけわかりにくいヒントにしてあります。
 たぶんそれを読み解けなくても、絵としての美しさ(?)を味わっていただくには差し支えないと思いますが…。
 まあ、とりあえず、ここではここまでにしておきましょう
 いずれ24日のトークショーで話題になるでしょうし。

 

 ↓ 作品を見ているうちに、光が変化しはじめます。1サイクル30秒ほどにセットされています。

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 ↓ 絵の中央が発光するかのように見えます。そしてほどなく、平常の昼光色に戻ります。
他にも多様な変化の設定が手元のタブレットから可能だということです。(激しくやればジュリアナ東京状態?も可能。~それも一度見てみたいけど…)

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 ↓ そんな変化の一瞬の記念撮影。

まあそんな感じの光=照明の可能性を見せてくれるSALIOTです。
註:光って見えるのはフラッシュではありません

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個展「耀ふ静謐」 レポート―2

5月3日に始めたばかりのフェイスブック/FBとブログの関係がまだうまく構築できていないのだが、とりあえず、FBに上げたものを一応ブログに再録しておく。

レポート―1と2は、個展の紹介というのが趣旨だったから、カテゴリーとしては「近況・NEWS」でよいのだが、3以降は作品紹介が趣旨としてはメインになるのし、また個展そのものも終わったことだし、カテゴリーとしては「逍遥画廊/Gallery Wandering」に移行した方が良いと思う。

若干混乱はあるかも知れないが、御了解のほどを。

 

以下、5/19にFBに上げたものの再録。

 

今日は日曜日で会場も私もオフ。やっと会期も折り返し地点です。
これまで来ていただいた方、ありがとうございました。
来ていただいたけど会えなかった人、すみません。毎日朝から詰めているのは、なかなかしんどくて、大体15時前後には会場に行くようにしていますので、御了解を。(中一日ぐらいは休みたいし…)
会期はまだ一週間あります。24日17時からは秋元雄二氏とのトークショーも予定されています。
ぜひ、見に来てください。

 

 ↓ 入り口を入ったところから奥を見る。左右に4つの金色の構造物。それぞれに作品が展示してある。その奥にさらに空間がありそうな。

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 ↓ 近づけば、何やら奥の院めいた明るさと広がりが…。

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 ↓ 近づけば、何やら奥の院めいた明るさと広がりが…。

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 ↓ もう少しちかづいて。
左上、437「青の光」(F130 2003-2004年 自製キャンバス/樹脂テンペラ・油彩)。
左下、617「浦圖-澪つくし」(F120 2012~2013年 自製キャンバス/樹脂テンペラ・油彩)。

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 ↓ 同じく、もう少しちかづいて。
左、525「そらのはな」(F150 2008~2009年 自製キャンバス/樹脂テンペラ・油彩)

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