艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

裏山歩き 横沢入り東側~北側尾根 2020.5.2

 ゴールデンウイークに北アルプスや奥利根、あるいは下田・川内、南会津の残雪の山々に血道を上げたのは、もうはるか昔のこと。最近では、あきる野市の自宅周辺やその奥の檜原村にも観光客が押し寄せ、道路は渋滞し、私は自宅で息をひそめ、静かに時を過ごすという習慣になっている。

 もともと、人が行く山には行かない、人が登るルートは登らないというのが、昔からの私の流儀。さらにリタイア以降は、人が行く時期には行かない、人が行く時間には行かないという原則が加わった。時差登山である。むろんそれは早寝早起きが苦手な私のひねり出した、屁理屈ではあるが。

 だがコロナ自粛の日々、その自粛の意味を問うのも煩わしいが、ともかく車も人もいない。自宅周辺のウォーキングや散歩はむしろ推奨されているようだが。

 

 県外からの登山客云々というのが問題になっているし、登山口の駐車場が使用禁止となっているという話もあちこちで聞く。同じ都道府県の中であれば良いのか、普段からあまり登山者のいない山であれば差し支えないのか、などというやり取りは、今は不毛な話のようだ。

 

 ただ一つ、「登山禁止」と「登山自粛要請」というのは全く次元の異なる話なのだということは肝に銘じておきたい。感染者の移動ということはわかるにしても、「禁止」というのは本質的に個人の自由にかかわることだからだ。

 すなわち憲法に保障された自由が「緊急事態」だからといってないがしろにされるというのであれば、次には「非常事態」という言葉を持ち出して、国家権力はやすやすと個人の自由を制限する改憲憲法解釈の変更を可能にするだろう。自衛隊の海外派遣やら、憲法改正問題、モリカケ問題、あいトリ問題、等々。そしてそれらにかかわる立憲主義法治主義を無視し続ける、公文書偽造、法解釈の捻じ曲げ等。そして様々な新法策定や法改正を見ていると、そうした予定路線が深く刻まれていると思わざるをえない。それらを黙々と受け入れる多くの「国民」。

 昨今の情況は、どこか、戦時末期の登山者の取り締まりといった話を、うっすらと思い出す。私が言いたいのは、「登山自粛要請」は受け入れられても、「登山禁止」は受け入れがたいということだ。

 話はだいぶ大げさになったが、たかが裏山歩きであっても、やはり何となく人の少ないであろうルートを選んでしまっている今の自分がいる。そのことに忸怩たらざるをえない。

 

 今回歩いたのは、横沢入り東側尾根から北側尾根。横沢入り自体は、ふだん訪れる人、家族連れ、子供連れも多いが、それを取り囲む尾根を歩く人は、表参道からの天竺山以外は少ないようだ。私がいつも裏山歩きをする四つのエリアの中ではおそらく歩く人が最も少ない尾根だと思う。

 

 家から歩いて10分少々で、登り口。いきなりの植林帯の中の急登という記憶があって、あまり登らないルートだが、実際にはすぐに勾配はゆるむ。キリスト教墓地に沿った気持ちの良い広葉樹林帯。とことどころに山ツツジの朱い花。

 

 ↓ キリスト教墓地を右手に見ながら登る。

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 ↓ フデリンドウ/筆竜胆

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 ふと足元を見ればフデリンドウ。記憶では数本が固まって咲いているはずなのだが、一つだけ。まわりをよく見たら蕾の状態のものがいくつかある。もうニ三日したらそのようになるのだろう。いずれにしてもこの尾根でフデリンドウを見たのは初めて。また以後のルート上では見かけなかった。日当たりの良い、やや乾いたところを好むからだろう。

 帰宅後、その話を女房にしたら、すぐ近所の公園にもあったよねと言う。そういえば、見た記憶がある。最近見ていないが、どうなんだろう。

 

 ↓ 気持ちの良い尾根。ところどころに朱い山ツツジ

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 ↓ 同じく

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 新緑というには、そろそろ力強くなり過ぎてきた色彩の森の中を進んでゆくと、右前方に日の出団地が現れる。かつては横沢入りと同様の谷戸であったが、ニュータウンとして大規模開発されたもの。知り合いもニ三人住んでいたが、現在では住民の高齢化による空家が増えたという。

 

 ↓ 日の出団地。正面のピークはこのあたりでは一番高いが、そこには向かわずこの先で左折する。

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 ルートはその団地の際の道路に接するほど近づいたあと、再び森の中へ入っていき、主尾根は左折する。ここから北側尾根となる。

 ここまでも、そしてこれ以降も左右に数多くの小道やら踏み跡を分けていくが、そのほとんど全てをこれまで歩いてみた。道によっては途中や最後で地獄の藪漕ぎを体験させられたものもある。ともあれ、それだけ踏み跡=仕事道が多かったということは、つまりここが典型的な里山=生活の場だったことを物語るものである。

 

 途中にちょっとした窪地がある。少し離れた天竺山の近くには江戸時代以来、伊奈石を生活用材として掘り出していたという石切り場の跡がある。あるいはこの窪地も石切り場の一つだったのではないだろうか。

 

 ↓ 写真ではわかりにくいが、少し不自然な凹地となっている。伊奈石の石切り場跡か?

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 そこを過ぎればすぐに三角点と落葉松山307.6mの標識。本日の最高地点。何の変哲もないただの一地点。腰を下ろし、一服。

 

 ↓ 落葉松山山頂。

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 北側尾根に入ってから、北側はすべて植林帯。北麓の羽生家という山林地主の旧家の持山だそうだ。

 植林帯と常緑広葉樹林に挟まれた展望のない尾根を進む。この盆地状の横沢入りを四方で囲む尾根筋は、遠目よりも小さな急な登下降が続き、案外体力を使うし、時間もかかる。全部を忠実に辿ったら、3~4時間かかりそうだ。だからいつもは、いくつもある支尾根のどれかを選んで主尾根に出て、その半分か、三分の一ぐらいを歩く。

 そのまま尾根通しに進めば林道の通る峠をへて天竺山に至るのだが、今日はその少し手前の支尾根から下ることにした。途中で、今も使われているらしい獣の巣穴らしきものを発見した。狸だろうか。

 

 ↓ 意外と奥行きがあり、今も使っているように思うが、さて?

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 林道に下りてからほどなく横沢入りの中央湿地。

 

 ↓ 掌状にいくつかある沢/谷戸の一つ。ここではもう米作りはしていない。沢沿いに尾根に上がるのは、上部は藪漕ぎになる。

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 ↓ 横沢入り中央湿地。

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 いくつかある戦時中の防空壕(?)などの戦争遺跡を確認しながら帰る。この戦争遺跡についてはまた別の機会に紹介したい。

 

 ↓ 戦争末期に立川の基地から物資を移すために掘られた地下壕の一つ。ほかにも何か所かある。

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 ↓ いわゆる「洗車橋」と呼ばれているもの。ほかにも何か所かある。

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(記:2020.5.3)

柊人とのコラボMVがYouTubeにUPされました。

ラッパー柊人とのコラボMVがYouTubeにUPされました。


柊人 - Be You feat. Emoh Les | SMOKE TREE Music

 

背景は私の作品「そらのはな」(2009年 F150号)。

 

ジャンルで言えばラップで良いのかな?

あんがいおとなしめの使われ方ですが、きれいな歌声と重なり、シンクロして、作者の意図とはまた別の新しい解釈、新しい世界観が立ち上がってくるように思います。

こうした使われ方、一種の二次的創造は、大歓迎。

 

ぜひ一度ご覧になって下さい。

 

 ↓ 525.「そらのはな」

 2008-2009年 F150 自製キャンバス(麻布にエマルジョン地)、樹脂テンペラ、油彩、蜜蝋

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なお、以下は最初、YouTubeの貼り付け方がわからなかった時点で、苦肉の策としてカメラで撮影したパソコン画面を貼ったもの。せっかく貼ったのにもったいないので、これはこれとして、そのままにしておきます。味もあるし。(;^_^A)。

 

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2020.5.4

「小ペン画ギャラリー」―その2 「繭」

 今回は繭と人物を描いた絵を5点(+油彩作品1点+参考図版1点)。

 人物の性別はあいまいである。

 繭とは書いてみたが、はたしてそれは繭なのか。

 形と意味からすれば、「卵」でも良いような気もする。

 しかし私にとって、そのイメージに最も近いのが、ヤママユガ(山繭蛾 天蚕)の繭なのだ。ウスタビ蛾の黄緑色の繭のイメージも重なる。いずれも近所の山歩きでよく見かける繭。私はそれらの形状、色合い、風情が好きで、巣立って下に落ちているのをよく拾う。たまにボックスアート形式の作品などに使ったりする。

 私は昆虫愛好家ではないが、繭という存在、在り様には強い魅力を感じる。それは変容ということの、現実態だからである。卵から生まれ、芋虫や毛虫の時期から、蛹とそれを包む繭の時期をへて、やがて空に舞い立つ蝶や蛾へと、文字通り変化・変身・変態(metamorphosis)することの不思議さ。

 

 それは例えば、村上春樹の『1Q84』や『騎士団長殺し』の中で、何の説明も解決もされぬまま、そのくせどう見ても物語の核心を蠱惑的に象徴するイメージとして、読者の前に投げ出されたまま強烈な魅力を放射させていることからもわかるように、ある種の人々を惹きつける魅力を持っている。

 解決不可能、説明不能の要素(構造的不条理)を物語中に持ち込むというのは、ファンタジーにのみ許される手法であり、多ジャンルでは禁じ手であったはずだ。だが、いつの間にか村上春樹やそれに続く純文学の書き手によって一般化されることによって、文学の世界を広げもした。そしてそのことで、同時に小説の論理的快楽の水準を下げたというのが私の考えだが、それはまあここでは置くとしよう。ただし、そうした手法は美術の世界では、シュールレアリズムや形而上絵画以来、一般的な手法となっているということは、この際確認しておいても良いかもしれない。

 ともあれ、それは壺中天、すなわち桃源郷や閉ざされたユートピアにも通じる、異界を感じさせる装置でもある。

 

 言うまでもないが、現実の繭という具体物を描こうとしたわけではない。描き始めの意識としては、結晶・鉱物質の硬質で直線的な形体と、有機的な人体の形とを、繋げ、とり結ぶ要素としての(準幾何学的な)曲線的な形状、すなわち「繭のような形」だったのだ。むろん描き始めから、それが繭のような形だとは意識していた。それならいっそ、意味として繭ということにしてしまおう、といった感じなのである。

 

 こうした繭型、卵型の形と、その中にいくつかの要素を入れ込むといった感じの作品は昔から時おり描いていた。それは時には「琥珀」であったり「水晶」であったりした。それらは共に、時おり何か異物を内包していることがある。若い時に知った中西夏之の「コンパクト・オブジェ」の影響もあったのだろうと、今、思い当たる。

 

 

  ↓ T126.「琥珀-3」 

 1990年 F8 自製キャンバス(麻布にエマルジョン地)、樹脂テンペラ、油彩 個人蔵

 琥珀の中には時として植物や昆虫などを内包しているものがある。そうしたことを知識として知っていて、イメージを喚起されたのだろうか。要は閉じた世界の中に、何事かを内包しているということ。

 今は海外で買った琥珀をいくつも持っているが、当時は持っていなかった。この前後、鉱物名を付けたドローイング作品を多く制作しており、それらと連動した作品。

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 ↓ 中西夏之 「コンパクト・オブジェ」

 1960年代 ポリエステル樹脂

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 ↑ 色々なもの/オブジェをポリエステル樹脂で封じ込んだ作品。当初はもっと透明感が強かったように思うが、合成樹脂は次第に経年変化により劣化し、茶ばんだような色になる。当時の「現代美術」としては何か、生物的というか、生理的というか、そんな趣きがあり、わりと好きだった傾向の作品の一つ。ただし当時見ていたのはこの作品ではない。これはこの稿を書くにあたってネット上から拾ってきたもの。

 

 いずれにしても、やはり私には、どこか壺中天志向とでもいった要素があることは、自覚している。

 

 小ペン画のシリーズには、ここに上げた以外にも、「繭」をモチーフ(の一部)として扱った作品はいくつもある。また、別の角度からそれらを取り上げることもあるかもしれないが、今回はいったんここで筆をおこう。

 以下、作品紹介。

 

 

  ↓ 27.  「驚きのドラマ」

 2019.7.6 11.9×8.3㎝ ファブリアーノクラシコ?に膠引き ペン・インク

 全体が演劇の舞台空間のように見えたので、付けたタイトルだが、ちょっと苦しいか。

 小ペン画を描き出した当初は、タイトルを付けるという発想を持っておらず、いくつかのものを除いては、とくにタイトルを付けていなかった。「無題」でもかまわないかと思っていたのだが、その後作品数が増えるにつれて、必要性を感じはじめ、後になって一つ一つタイトルを付けていった。そのため、いくつかの作品には、どうにも据わりの悪いタイトルが付いてしまったものもある。これもその一つだが、小ペン画のシリーズでは一番早く繭形が登場した作品なので、上げておく。

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 ↓ 34. 「繭に入る」

 2019.9.18 13.7×8.8㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク

 硬質な鉱物結晶の構造物の仄暗い空間を背景として、繭がある。その中に、多少のあらがいを見せつつ、次第に吸い込まれてゆく、といったイメージ。

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 ↓ 37. 「まどろみ」 

 2019.9.19 13.3×8.8㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆

 いくつかの結晶といくつかの繭。それらにもたれてまどろむ人物。異様に長い右腕を描くときには、不思議なエクスタシーのようなものを感じた。この頃からペン特に丸ペンの使い方に急速に慣れてきたようだ。今見直してみると、背景の扱いが今一つだったようにも思われる。

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  ↓ 38. 「繭の中でまどろむ二人」

 2019.9.20 13.5×8.9㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆

 繭の中の二人を男女と見てもよいが、特にそういう意図はない。まどろむことのできる閉じた世界。

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  ↓ 43.  「蜜色の繭の中で」

 2019.9.22 11.4×9.5㎝ 和紙に膠引き、ペン・インク・鉛筆・色鉛筆・顔彩?・ガンボージ?

 中ほどの黄色はガンボージ(植物性の樹脂染料)だったと思うが、はっきりしない。殉教図のような、拘束されたような姿態。まわりの数多くの幾何学的、装飾的図形をどう見るか。

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 (記:2020.4.28-5.1)

 

「閑話 私の野鳥雑記」

 田舎育ちの子供の頃から自然好き、山好きだった。だから、地理、地形、地質などに興味を持つようになり、鉱物・結晶・石好きになった。加えて年とともに花、木、キノコ等の植物も、川魚や動物、昆虫類も好きになった。だが野鳥だけは縁というか、関心が薄かった。なじみはあるのだが、要するに生きているそれらを、肉眼でしっかり見ることが難しいからだ。よく見えないものには興味を持ちにくい。野鳥に関しては、同定をほぼ諦めている。

 

 鳥を見る、観察する≒バードウォッチングといえば、高倍率の望遠鏡と望遠レンズをつけたカメラを設置して、ひたすらじっと鳥が来るのを待ち続けるというイメージがある。山の中では、鳥の声に振り仰いでその姿を探して見たところで、容易には見つからない。みつけたと思っても、それは木の間超しに空を背景とした逆光の小さなシルエットでしかなく、色も柄もわかりはしないうちにあっという間に飛び去ってしまうというのが、たいていの場合。したがってバードウォッチャーは、そうした条件を勘案した場所で、望遠鏡とカメラを設置して鳥が来るのを気長に待ち、撮影して、帰宅後、その鳥が何であったのかを図鑑で調べるのだろう。

 私が自然、主に野山にある時は、目的の半ば以上は歩くこと、移動すること。だから、そんな悠長なことはやっていられない。ましてや生来の機械音痴で、カメラ・写真嫌い。ゆえにバードウォッチングとは無縁である。

 

 しかし、終(つい)の棲家になるであろう今のところ(武蔵五日市)に越してきて以来、自然は以前にもまして身近なものとなった。年齢的な、自然な変化でもあるのだろう。庭に木を植え、花を植えた。小鳥が訪れる。季節ごとに鳴き声の変移がある

 だいぶ前に庭に2mほどの高さの棒を立て、餌台を設置した。庭の一画にある女房の陶芸小屋の外壁に巣箱を掛けた。毎年のようにシジュウカラがやってきて巣を作り、卵を産み、雛を育てる。

 

 ↓ 女房の陶芸小屋の外壁の巣箱。下の装飾には意味はない。

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 しかし、餌台に来る小鳥を猫が襲う。手前のモミジの木を利用して巣箱を襲う。わが家の飼い猫のみならず、外猫もまた襲う。本能の為せる技とはいえ、無惨な亡骸を見るのは嫌なものだ。

 何年後かには餌台を廃止した。巣箱は高い位置に移して、手前の大きくなったモミジは切った。鳥は来るが、前にもまして姿は見えにくくなった。あまり面白くない。

                                        

 家にいてよく姿を見かけるか鳴き声によって、多少はわかるのは、シジュウカラ、雀、鴬、ガビチョウ(声は美しいが、特定外来種)、ヒヨドリオナガキジバト(?)、ヒバリ、トンビなど。郭公は近年はあまり声を聴かないようだ。ホオジロメジロ、モズ、カケス、その他、見たり聞いたりしているかもしれないが、確かにそれと同定することはできない。

 夜になれば、ホトトギスアオバズクゴイサギの声を聴く。フクロウは一度近くの裏山歩きをしていた夕方、目の前に翼を大きく広げて突然現れ、ぶつかりそうになって、本当に肝をつぶしたことがあった。近くに巣でもあったのだろうか。

 初めてゴイサギの声を認識した夜は、人間の赤ん坊の泣き声なのか、恋猫なのか、あるいはハクビシンかと、その正体がわからなかった。まさか妖怪でもあるまいがと、ネットで検索してみてようやく知った。酔っぱらった冬の夜の帰り道、頭上を飛びながらのそのギャーギャーという大きな鳴き声を聴くと、あまり気持ちの良いものではない(ゴイサギは夜も飛ぶのである)。

 

 近くの秋川沿いを歩いていてよく見るのは、鴨、白鷺、ゴイサギ、(たぶん)アオサギ、川鵜など。最近オシドリのつがいを、それと初めて確認した。カワセミを見たのは近所では唯一度だけ。本当に碧い瞬間の宝石である。セキレイの仲間は川沿いとは限らず、路上のあちこちで目にする。あの古事記にも出てくる特徴のある腰つきで、道案内するように軽快に跳び歩いている。

 

 ↓ 何年か前に近くの秋川の橋の上から撮ったもの。11月頃か。

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 カラスは言うまでもない。たまにごみ袋をつつき散らかす困り者だ。オオタカ(?)と思われる猛禽類が電柱の上にとまっているのを見たこともある。写真も撮ったのだが、どこかに行ってしまった。

 燕はどこにでもいるなじみ深い鳥。ついこの間まで、五日市駅とその周辺の高架下にたくさんの巣をかけて、その雛鳥を見るのが楽しみだったが、今は全体にネットが張り巡らされて寄り付けなくなった。人間の都合だが、せちがらくて、悲しい。ウズベキスタン(だったと思う)や他のいくつかの国では、モスクや他の建物の中にも巣があり、保護していたように見えたのに比べて。

 

 近辺の山歩きをしていれば、上記の鳥たちとはまた別に山腹で餌をあさるヤマドリや雉、鶉、コジュケイなどを見ることもある。コゲラ類のドラミングもよく耳にする。樹上で鳴きかわすたいていの鳥については、ほとんど知るところがない。北アルプスライチョウイワツバメ妙高の夜鷹、宮崎県の山でのホシガラスなどと、範囲を広げていけばきりがない。

  

 二週間ほど前にふと思い立って、アトリエの窓辺に手作りの餌台を設置してみた。せっかくだから、もう少しよく見てみたいという気になったのだ。

 

 ↓ 手作り餌台。見えているのは女房の陶芸小屋。

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 ↓ パソコンの前に座っていても鳥が来たのが見える。

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 窓辺であれば、いつでも見れるし、猫に襲われる心配がなく、餌もやりやすい。二三日もすればすっかり認知されたらしく、毎日やってくる。ただし警戒心は強く、写真はなかなか撮れない。それでなくても逆光気味で、私の腕、私のスマホではなかなか良い写真にはならない。

 

 ↓ たぶんシジュウカラ

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 やってくるのは今のところ、シジュウカラヒヨドリと時々オナガ(かと思われる)の三種。

 

 ↓ たぶんヒヨドリ(?)

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 ↓ 同上

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 これから季節の移り変わりによって種類も変わるかもしれないが、雀が来ることはあっても、(食性からして)カワセミアカショウビンが来ることはありえない。田中一村がよく描いたアカショウビンはこの近辺でも見かけることがあるらしいが、私はまだ見たことがない。一度でいいから見てみたいものだ。

 

 餌に関しては今のところ適当で、パン類や女房の食べ残したクッキー、ビスケットなどを砕いてやっている。残りの飯粒も食べる。たまに柑橘類の半切りや脂肪なども餌台の釘に刺しておいてやると喜ぶようだ。鳥たちは昼過ぎでも来るが、まだ私が寝ている午前中に来ることが多い。

 室内から外の餌台を見るわけだから、全体としては逆光気味で、あまりよくは見えないが、まあ仕方がない。下にパンくずを巻き散らかしたり、時おり窓ガラスに糞を引っかけるのは困りもんだが、大した問題ではない。

 晩秋になれば今の餌台の場所は女房の吊るす干し柿に占拠されるだろうが、その時はその時でまた考えるしかない。

 

 巣箱を利用するのはこれまでのところ、ほとんどがシジュウカラだが、営巣しない年もある。そんな時、中をのぞいて見ると、古い巣で一杯になっており、それを嫌うのかもしれないと思った。中身を出して空にすると、また新たなつがいがやってくる。どちらが良いのかわからないが、今年もまたとりあえず古い巣を出して、中をきれいにしておいてやる。材料は下の方が猫の毛で、まわりにナイロン(?)の綿毛、そして杉苔など。暖かそうにしつらえてあるものだ。さて今年は巣作りをするだろうか。

 

 ↓ 巣箱の中の古い巣。暖かそうだ。

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 以上記してきたように、私と鳥との関係は淡いものだ。これからもそう深かまりはしないだろう。

 

 イメージとしての翼は好きだが、具体的な鳥そのものを描くことは全くない。まれに山歩きの途中に、鷹などに襲われたのだろうか、散乱したきれいな鳥の羽を拾うこともあり、それを作品に使ったこともある(アッサンブラージュ)。

 

  462 「isolad(V-2 風信))

 2004年 33.3×18.5㎝ パネルにクラッキング・銅版画貼り込み、手彩色・ミクストメディア

 「isolad イソラド」とはアマゾンで長く文明と接触しないで生きてきたインディオの部族のこと。生き残って同じ言語を話すのは、男二人だけ。彼等の部族の未来はない。

 彼等を巡る番組がNHKスペシャルで放映され、またその取材にかかわった沢木耕太郎が『イルカと墜落』(2003年 文藝春秋)を書いている。この作品の元には、そのイメージがある。

 この羽の鳥はカケス。

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  ↓ 468 「蒐集(ishi)」

 2005年 パネル(シナベニヤ)にアクリルクラッキング地、アッサンブラージュ

 タイトル中の「ishi」は1911年に発見され1916年に亡くなったアメリカ先住民の一部族ヤヒ族の最後の生き残りの自称(「イシ」とはヤヒ語で「人間」の意)。

 自分と同じ言語を使う人間が一人もいないという世界! 人類学者のシオドーラ・クローバーが『イシ 北米最後の野生インディアン』(1977年 岩波書店 1991年 同時代ライブラリー)で詳しくその悲劇を報告している。なお、著者の娘がアーシュラ・K・ル⁼グウィン(『ゲド戦記』等の作者)であり、彼女が書いた序文も興味深い。また同書を元にして、手塚治虫は漫画「原人イシの物語」を描いている。

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 したがって、私と野鳥との関係において、今後の展望と言ってとも特にあるわけでもない。まあ生活の中の小さな、ささやかな楽しみの一つではある。

 

 以上、閑話ではあるが、私と自然との関係の一つとして、一度ぐらいは書き留めておきたかったまでである。

 

 (なお、以上上げてきた名称はいずれもアバウトなものである。必ずしも正確ではないかもしれない。私は図鑑好きだが、鳥類図鑑だけは持っていない。中西悟堂の本だけは一二冊持っているが、ろくに読んでいない。長嶋先生、ご指導、よろしくお願いします。)

(記:2020.4.28)

 

 

 

 

秘境ルートの裏山歩き 城山南峰~秋川丘陵~小峰公園 (2020.4.25)

 昨日、所用があって福生に行った。午後3時過ぎの五日市線青梅線で山姿の人を見かけたのは一人だけ。外出自粛には、公共交通機関利用の近郊登山もいやおうなしに含まれるのだろうか。私がそうした山登りになかなか行かない(行けない)のは、自粛でもなんでもなく、ただ単純に早起きができないという情けない個人的事情にすぎないのだが、それすらも「自粛」すべきだというのが、昨今の世情のようだ。反論することもかなわないが、「欲しがりません。勝までは」とか「贅沢は敵だ」といった、かつてあった標語が、大気中に蔓延しているようだ。敵はコロナウィルスという、生物ですらないもの(学者によって異説あり)なのだから、勝てそうもない。

 ともあれ、心身の健康維持、体調管理のために、自宅から歩きでの裏山歩きをしなければならない。「三密」を意識したわけではないが、ルートは弁天・城山エリアから秋川丘陵をつなぐほぼ秘境ルートである。

 

 ↓ ここはまだ歩き始めの、城山への一般ルート。山ツツジ

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 西からの網代城山への登山道に入ってまもなく、うっすらと右に分岐する踏み跡を辿る。

 

 ↓ かすかな踏み跡(仕事道)

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 すぐに小沢にかかる三本の丸木橋

 

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 それを越えて左手の尾根に登る。昔からの仕事道だろうが、数年前に一帯が間伐され、歩きやすくなったようだ。山歩きの対象としてこの小尾根を登る人はまずいない。

 

 ↓ 植林帯の中のかすかな踏み跡。間伐されて、やや明るい。

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 植林帯を抜ければ新緑の広葉樹林帯となり、ほどなく城山と秋川丘陵をつなぐ尾根と合流する。

 

 ↓ 植林帯を抜けると広葉樹の新緑

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 寄り道になるが、一応すぐ先の城山南峰に登る。なんの変哲もない一地点に過ぎないが、かつてはなかった山名表示板がある。裏面には例のよくわからない「東京三五〇」。昨年登った入山尾根でも見たことがあり、その時調べたのだが、何となくいまだに正体不明。

 

 ↓ 網代城山南峰。何の変哲もない一地点。

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 ↓ 山名表示板 裏には「東京三五〇」

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 引き返して、秋川丘陵につながる、ゴルフ場脇の尾根を辿る。手入れはほとんどされていないようだが、トラロープが設置されているところもあり、仕事道としては生きているようだ。ところどころ倒木などもあるが、特に問題はない。コナラなどの新緑が美しい。

 

 ↓ 途中で見かけた藤蔓のⅩ固め!

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 ほどなく秋川丘陵と合流する。ここで「秘境ルート」は終わり。とある送電線鉄塔の基部でイタドリの若芽を採取。たしか前にはワラビが生えていたところだが、今回はない。そういう場所には除草剤が散布されている(?)ようなので、その影響なのか。

 

 ↓ イタドリ(帰宅後)。 うまそうだが、さてどうやって食おうか。

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 秋川丘陵に入ると植林の割合が増え、やや荒れた感じだが、まあこんなもんだ。展望のほとんどない、ゆるやかな上り下りの繰り返し。

 

 ↓ 途中で垣間見た新緑の景。

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 ↓ 途中から見る網代城山(左)と南峰。南峰の左下に延びるラインが登ってきた小尾根。

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 いくつかの鉄塔をこえると、木橋のかかった鞍部。

 

 ↓ 旧小峰峠(?)

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 ここが旧小峰峠なのか。左右ともに荒れ果てており、直下をトンネルが通っているはずなので、辿ってみる気にはなれない。

 そのまま進めば桜尾根との分岐の大きな馬頭観音に出る。そこから下りればすぐに小峰公園。

 

 ↓ 小峰公園桜尾根を下る。数年前に尾根のほぼ全体に木製階段が設置された。

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 ここにも「使用自粛」の表示がなされていた。ちょっとばつの悪そうなバードウォッチャーが一人、目をそらす。

 

 隣の家の娘さんが小さい子を連れてコロナ疎開して来ている。行き場所のない元気あふれるお子さんを連れてこの小峰公園に来てみて、「使用自粛」の表示を見て嘆いていたとの由。都心の代々木公園や新宿御苑などについては、ある程度の規制もやむをえないかとは思うが、こんなめったに人の来ないようなところまで規制するというのも、どうなんだろう。お役所仕事とはいえ、うっとおしいことである。

 体制には逆らいたいが、ことコロナに関しては、逆らいづらい。これからも当分こうした情況は続きそうだが、近郊登山はともかく、せめてほとんど人の来ない裏山歩きは続けたいものだ。

 

 ↓ おまけに、三年ほどまえに撮影した熊のものと思われる爪とぎ跡。近くには熊のものと思われる糞もあった。たまにこんなところまで散歩に来るやつもいるのだろうか。

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「小ペン画ギャラリー」その1 とりあえずの(女房が選んだ)3点

 フェイスブックの最近の自分の投稿を見直して見ると、なんだか自然愛好的家的なコンテンツが多い。そういう一面があることは間違いないから、それはそれで構わないのだが、やはり釈然としない。

 

 FBやブログとのつき合い方というか、使い方は、人それぞれであると思うが、正直に言って私は、ブログはともかく、FBとの関係性や距離感のようなものが、いまだにつかめていないのである。さすがに具体的な反応があるということはわかるし、それが少しばかりはうれしいと思うこともある。

 基本的に私は、FBやブログを自分の作品とは限らず、文章を含めた表現の発表の場としてとらえている。ブログで9割、FBで7割程度がそうで、残りは宣伝・広報ないしその他的な場。

 昨年のように個展が2回、グループ展が3回もあれば、その過程でさほど無理もなく、FBに自分の作品や思考を、宣伝・広報と共に、ある程度は上げていくことができる。しかし、今年のように、今のところ確定的な個展の予定もないとなると、その流れがちょっと難しい。ましてや昨今のコロナウィルスによる自粛ムードの蔓延する世の中。

 といって、(あくまで私にとっての感覚であるが)割と多くの作家がやっているような、あまり脈絡や必然性を感じさせない作品やコメントの出し方も、好みではない―むろん、人それぞれなのではあるが。元々宣伝も営業もする気はないのだが、やはり絵描きである自分が作品をあまり登場させないのも面白くない。

 

 そんな気分から、前段として先日、「『小ペン画―その小さな世界』について」をブログに投稿した。最近の制作の中心となっている「小ペン画」についての、といってもその周辺についてのあれこれである。その延長というか展開として、これから何回か「小ペン画ギャラリー」とでもいった感じで、何点かずつアップしていこうと思う。もとより確固とした予定や計画があるわけではない。自分で面白がりたいだけである。

 必然性と言いながら、第一回目だけは、作品のセレクトを女房にやってもらった。他者の目で選んでもらうところからスタートしたかったからである。おそらく今回に関しては、作品どうしの関連性といったようなものはないと思う。女房好み、ということだろう。いずれ今後は、多少の関連したテーマやモチーフということになると思う。

 作品はすべて未発表。ひょっとしたら今年の末か来年にはそれらを中心とした個展をするかもしれないが、今のところ未定である。

 

 以下、作品紹介。

 

 

54 「手から花」

 2019.9.28 11.4×9.6㎝ 膠引きの和紙にペン・インク・色鉛筆

 

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 自分でもよくわからない作品。まあ、そういう「わからなさ」も絵を描く面白さの一つであろうとは思っている。絵柄的にはちょっと面白いかとも思うが、女房がこれを選んだ理由はよくわからない。少し不思議だ。

 

 

77 「石売り花売り」 

 2019.10.11 16×12㎝(中サイズ) 雑紙(淡グレーの封筒)にペン・インク・鉛筆

 

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 紙は小ペン画では珍しく、封筒の紙。いわゆる茶封筒を含めて、多少の色(ハーフトーン)がついている封筒の紙は、イメージ・アイデアスケッチ用には使い勝手がよく、よく使うが、作品用としてはコクが足りず、あまり使うことはないのだが。

 適当に切ったら右下に少しはみだしが出た。手漉き紙などの縁を「耳」と言うが、別の場ではこうした予期せぬ裁断ミスのはみ出しを「福耳」と呼ぶ。

 私は、絵とはキャンバスであれ、紙であれ、「物質」の上に描かれた物であるということを、昔から意識、重視しているので、こうした「耳」はなるべく切り落とさないようにしている。「耳」が紙を「平面」としてだけではなく、物質としての意味も主張してくれるからだ。すなわち「耳」も絵の内。それがこの作品にどの程度貢献しているかどうかはわからないが、少なくとも私はそれがもたらす全体の表情は好きである。

 イメージとしては、アジア的物売りを連想させる。別に実景や写真を参考にしたわけではないが、似たような実景はかつての旅で何度も見た。実際に石(結晶・鉱物)と花などを一緒に売り歩いている商人を見たことがあるわけではないが。

 

 

261 「花の木に佇つ」

 2020.4.16-18 12.9×8.8㎝ ドーサ引きの和紙にペン・インク・水彩

 

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 近作。一瞬視界の隅を通り過ぎた映像の、陶器(?)だったか絵画(?)だったかの絵柄(松?梅?―確認する間もなく、忘れた)の残像が始まり。

 それだけでは絵にはなりようもないが、すかさず、そこに立つ/佇つ人物のイメージが発想/幻視(?)された。一瞬走り描きしてみれば、ガラスのマントの風の又三郎か鳥男かとも思う。しかしそれでは付きすぎ、ありがちだ。そして何者でもない人物になった。

 遠くの街並みと山を組み合わせて風景仕立てとする。空に雲を浮かべるのは初めてか。

 

 

264 「私の赤い繭」

 2020.4.19-20 9.4×8.6㎝ ミャンマー紙(ブーゲンビリア漉込)にペン・インク

 

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 これも近作。

 紙はミャンマーで買った手漉き紙のノートを入れてくれた、いわば包装紙。それも同様の手漉き紙だが、いわゆる民芸紙風に色々な種類の花びらや葉っぱなどを漉き込んである。そうしたものには興味がないのだが、ただ捨てるのは少し惜しい。適当に切って、何となく手元において、そのブーゲンビリアの花びらの赤を見ていたら、ふと、描いて見る気になった。

 この「ふと」が大事なのだ。意識して「生かそう」とすると作為的なものになりがち。その赤い形に見合う形、この場合は顔を描いて見れば、それでイメージは完結する。

 紙にドーサ引きやサイジングはしていない。日本の和紙に比べればかなり雑なつくりなので、丸ペンではきわめて描きにくい。でも丸ペンで描いた。ほんの少し力が入りすぎると、けば立って始末に負えない。慎重にごく短時間で描き終えた。

 「繭」としたが卵でも構わない。なるべく単純に完結したイメージは、私にとっても大切なのだ。

 

 

(記:2020.4.20-21)

「小ペン画―その小さな世界」について

 昨年の6月以来、九カ月以上、「小ペン画」が制作の中心になっている。

 「小ペン画」とは、文字通り縦横10㎝内外の、大きくても20㎝に満たない小さな紙に、主にペンとインクで描く作品。個展や海外旅行などでの中断期間はあるが、それ以外はほぼ一日一点のペースで、現在(4月初め)で250点ほど描いている。

 

 最初に描いたのは昨年(2019年)の6月19日。11.8×7.7㎝のやや厚手の和紙(楮)に、これは例外的に鉛筆と色鉛筆で、一輪挿しに生けた花(ホタルブクロ)を見ながら描いた。

 その前提というか、準備していた必然性のようなものがあったのだが、それについては後ほど述べる。とにかく、その時はおそらく大した意味もなく、何となくといった感じで描き始めた。そして、その出来は全く不本意なものだった。和紙に鉛筆と色鉛筆では、まったく弱い効果しか出せなかった。そもそも、「花」を「見て描く」という必然性は、ほぼ皆無だったのだ。

 

 ↓ 1 「ホタルブクロ」 2019.6.19 11.8×7.7㎝ 和紙に膠 鉛筆・色鉛筆

  不本意な出来。 

なお画像はPCやIパッドで見ると原寸より大きく表示され、タッチが相当荒く見えることがありますが、表示されたサイズを念頭においてご覧いただきますよう、お願いします(作者からのお願い)。 

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 そんな不満な出来なら、ふつうなら捨ててしまい、それ以上同様の制作を続けることはないのだが、なぜか翌日も小さな画面に向かった。紙は前日と同じだが、手にしたのは、今度はペン。インク壺に漬けて使うGペンとかスプーンペンとかといった「つけペン」である。なぜペンを手にしたのか、よく覚えていないが、前日の鉛筆と色鉛筆のあまりの効果の弱さから、反動として、今度はいやおうなしに明確な効果が出そうなペンとインクを手にしてみたということは、あるだろう。

 ペンを手にするのは20代前半以来。ごく短い期間だったが、ある程度集中してペンを使っていたことがある。使いこなせたわけでもないが、割と好きな画材のように思えた。しかしそれ以降はほとんど使う機会も必然性もなく、実質45年ぶりになる。40年以上前に購入したペン先とペン軸もまだ手元にあった。

 ペンと言えば普通はケント紙のような、表面が滑らかな、けば立たない紙を使うのが常道であろう。ドーサ(膠)引きしてあるとはいえ、和紙にペンの組み合わせは、あまり聞かない。案の定、ペン先が引っかかり気味で、描きにくい。

 おまけに今度は描くべき主題というか、モチーフは何も考えていない。モノは見ずに画面に向かう。だが、それはいつものことで、つまりイメージである。なまじモノを見て描こうなどという柄にもない心掛けが、創造的モチベーションを発動させないのは、今さらながら、私という画家にとってはほぼ自明のことなのだ。

 

 ともあれ、その二点目の「ペン画」は、自分としては、少し面白いものになった。何よりも、和紙の質感や風合に、黒いペンのタッチがそれなりの絵画的効果を上げていた。何も考えずに描き出すというのは、やはり良いことだ。

 

 ↓ 2 「遠くを見る」 2019.6.20 11.3×8㎝ 和紙に膠 ペン・インク・鉛筆

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 もとより、何か具体的なイメージを描き表そうとしたものではない。紙の形に呼応して現れた線的・形体的要素は、それ以前から持っていた、いわば手持ちの要素である。そうした直線的、曲線的な形体が現れた後で、何とはなしにといった感じで、中央の人物像が、おさまりよく現れたということなのである。

 内容については、「これはいったい何なのだろう」という疑問は、基本的にはでてこない。自分でもうまく説明できないものが現れるのはいつものことだし、むしろ、そういうものとして、そういう方向で制作するのが私の常態なのだ。でき上った後で、そこに現れたものを味わいながら、それについて考えるということ。

 

 以後、こうした流儀で制作は続いた。「一日一枚」とか決めているわけではない。いつまで続くものやら。嫌になったら、飽きたら、その時はやめればよいと思っていた。

 

 ものを見ないで描くことの限界も訪れる。描き続ければ、おのずと上手くもなるし、慣れも出てくる。とても和紙には使えないと思っていた丸ペンを何とか使いこなせるようになった頃には、その気持ちよさに思わず身をゆだねる時もあった。

 慣れのもたらす退廃感は、部分的であっても嫌なものだが、それもまた己の実力なのだと思い定めれば、手の打ちようもある。

 ものを見ないで描くことをルールに定めたわけでもない。日々の中で、参考資料というほどでもないが、新聞雑誌や、あれこれのチラシ、パンフなどから気になった図版を切り取ってスクラップブックなどにとどめることもある。最近ではネット上で拾ってきた画像をパソコンに保存することもある。テレビを見ながら、チラッと一瞬流れる画像を、手元の紙に描きとどめようと試みることもないではない。時にはそうしたものを、あるいはその一部を参考にして手を動かす。

 

 ↓ 3 「ミニスカートの娘」 2019.6.21 13.3×8.6㎝ 和紙に膠 ペン・インク

 中の人物像は新聞に小さく出ていた図像を参考にした。以下、特別な場合を除き付記しない。

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 そうしたものは、全体の点数の2割ぐらいだろうか。残りの8割ぐらいは何も見ずに描いたものだが、そうしたことにそれほど大きな意味があるとは思わない。現実や実物といったことと、写真やネット上の画像や動画は、多少の自虐を込めて言えば、見ることの対象、イメージのきっかけという意味では、基本的には等価に近いとも思うからである。

 

 ↓ 58 「繭を運ぶ」 2019.9.30  11.4×9.5㎝ 和紙に膠 ペン・インク・色鉛筆・水彩

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 このような「小ペン画」の制作を始め、継続しているのには、いくつかの要因がある。

 一つにはここ何年か断続的に、大学時代の指導教官であった田口安男氏のポストカード大の大量のドローイングを見たことである。いわき市立美術館での個展でも見たし、その後の御自宅でも見、またそれらを膨大に整理・撮影する機会等もあった。そうしたことを通じて、描くということの根源にいやおうなしにふれたような気がしたのである。

 それらの多くは生の(ドーサを引いていない)和紙に、鉛筆や水彩、その他の素材で描かれていた。それらの面白さと凄さに感動した私は、すぐに似たような手法で、自分でもやってみた。だが、悲しいかな、自分自身の必然性とはかみ合うことがないことを、たちまちにして思い知っただけであった。

 

 ロベルト・クートラスを知ったのは2017年5月。日本でも展覧会の開かれたことのある作家だが、私は知らず、実物はいまだに見たことがない。新聞(?)のちょっとした記事を読んで、ある展覧会の図録をネットで買ったのである。それはカルト(日本のカルタと同意)という、トランプと同じような大きさ、形式の紙に、シリーズ的、連作的に描かれた作品群だった。魅力は感じたものの、その世界観はかなり特殊であり、直接の影響を受けることはなかった。しかし、その悲しげでマイナーな世界の魅力には、忘れがたい味があった。

 スタシス・エイドリゲヴィチウスを知ったのは2018年の9月。武蔵野美術大学美術館の展覧会で見た。絵本作家として、そのごく一部は知ってはいたものの、それがスタシスだとは知らずに、美術館で初めてその全貌に接して、感動した。数㎝四方のものでも作品として成立していた。そしてその膨大な量!私もそうした「小さな世界」を描きたいと思った。

 余談として付け加えれば、これは小ペン画を描き出してからのことだが、今年2020年になって、ミナペルホネンの展覧会を見た。その一角に皆川明の同様な小さな作品群があった。

 これらの現象は、私と小ペン画をめぐるシンクロニシティ共時性/非因果的連関の原理)であるように思われてならない。私個人の内面の発動と、外部における共通した事象の併存。それは余談であってもかまわないが。

 

 私が実際に描き出すきっかけを用意したのは、上述した田口先生のアトリエ整理の際に、和紙をはじめとする様々な小さな紙をもらってきたことかもしれない。

 捨てるのも惜しいが、正直言って、ウンザリもする。わざわざもらわずとも、私自身も、一生かかっても使いきれない量の紙類を抱え込んでいるのである。

 作家は日々の制作と並行して、それに関連する無数の材料道具、また資料等を身のまわりに集めてしまう習性を持っている。あるいは、集まってしまうのである。いつか使うだろう、使いたい、使うかもしれないと。だがいつの頃からか、自分の年齢と、抱え込んだ材料道具の量を比較して見て、一生かかっても使いきれないほどのものを持っていることに気づき、がく然とする。

 そのくせ、捨てればすむような小さな材料であっても、できれば有効に活用したいという「もったいながり屋」の自分がいる。小さな「作品」を描きたい、「小さな世界」を正直に描き表したいと思う気持ちは、気がつけば長いあいだ私自身の心の中で息をひそめながらも、確実に存在し、少しずつ大きくなっていたのである。

 

 ある日、アトリエの片隅に置いていたポジフィルム用のファイルに目が行った。以前ポジフィルムを使っていた頃の保管用ファイル。撮影がデジタル化して以降、使い道がなく捨てなければとは思っていたが、未使用だったので、もったいなく、ずるずると捨てかねていたものである。30㎝弱×25㎝弱の、中が四分割されている。それを開いて、ふとひらめいた。そこに入る小さなサイズのものを描けば良いのだ。全ページ分の点数を描けば100点以上。そこまでの数を描くかどうかはわからないが、とりあえずの展望が見えた。

 実は田口先生の作品整理の際に、ほとんどの作品に年記がなく、また何十点かずつ仮まとめはされているのもあったが、全体としてバラバラに存在しており、整理分類するのに困ったのである。

 和紙をはじめとして、紙類は一生かかっても使いきれないぐらいのストックがある。描画材についてもほぼ同様。機は熟したというべきか。

 

 別に、もう一つの要因というか、伏線もあった。40歳をすぎて大学に勤めだして安定収入を得るようになってしばらくたったころから多少、骨董蒐集にハマった。その憑き物が少し落ちた頃、今度は(あまり認めたくはないのだが)仕事上のストレス解消と、大義名分としての資料収集という名目で、ヤフオクを通じての外国切手や外国紙幣、マッチラベル、蔵書票などといった、いわゆる紙モノの蒐集にハマってしまったのである。それらはあくまで私の制作に益する資料材料ではあったはずだが、同時に「紙上の小さな世界」の魅力に開眼したのである。

 「小さな世界」と大作のタブローとの関係については、今ここでは言うまい。というか、私自身、それについて今はまだうまく説明できないのだ。

 ともあれこうした情況が事前の物理的なというか、必然性として「小ペン画」を発動させる下地をつくっていたのである。

 

 ↓ 78 「ダンスを始める」 2019.10.14 11.7×7㎝ 和紙に膠 ペン・インク

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 かくして描画材や技法など、多少の変遷はあるが、今に至るまで小ペン画の制作は飽きもせず続いている。

 それらからタブローへというベクトルもあるかもしれない。それはそれで良い。しかし、正直言って、効率や生産性も、目的性も、計画性も、点数への魅惑も、何も考えていないのである。発表することも、売ることも考えていないし、考えたくもない。たまに家に来るごく少数の知り合いに見せて、いい気になっているだけである。

 どこまで行くのか。「遠くまで行くのだ」と言えれば良いなと、思ってはいるが…。

 

 ところで、つい最近、ある画廊の人と会い、最初は峻拒していたものの、その強い要望もあって、次第にこの「小ペン画」を中心とする個展をやっても良いかなという気になってきた。実際に発表するかどうかは、時期や形式もふくめて、未定である。

 ただ、そうした心境の変化をきっかけにして、小ペン画の位置づけがまだ自分の中での曖昧だったこともあり、考えを整理するために、この一文を記してみた。

 

 ↓ 255 「青の洞窟」 2020.4.2-3 14.6×12.5㎝ 和紙に膠 ペン・インク・水彩

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(付記:私は基本的には、未発表作品は、ブログやFBに画像を投稿しないことにしている。しかし上記の一文を発表するからには、まったく画像を出さないというのも、なんだか不自然な気もする。考えてみれば、基本などというものは、時には変えられることがあるからこそ基本たりうるとも思えるので、今回は適当に何点かの作品画像を上げてみることにした。)

 

                         (記:2020.3.25~4.9)