艸砦庵だより

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モロッコ・チュニジアの旅 8  2月6日 マラケッシュからサハラ砂漠へ

 早朝5:50起床。まだ暗い中、朝食を済ませ、7:20迎えの車で出発。寒い。吾々のほかは中国人5名(四川省の4人家族と北京の一人旅の大学生)とブラジルの若者2人組。

 アトラス山脈越えは快適。ただし一行10名中3名は車酔いで苦しそうだった。ゲロゲロ・・・。

 樹木の少ない荒涼たる峠越え。遠方の雪。樹林帯、岩砂漠帯と、アトラス山脈はなかなか複雑な構成をしている。合間に佇む小さな集落。見たことのないすばらしい風景の連続を堪能する。

 ↓ 雪のアトラス山脈越え

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 ↓ 「指輪物語」の世界

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 吾々のサハラ砂漠ツアーの希望は、マラケシュを出発して砂漠のテント泊を含む三泊四日でフェズに至るというもの。この通りのプランは日本でネットで探しても見当たらない。いつもお世話になっている旅行会社のO氏を通じてアレンジしてもらうととんでもない値段になる。何、現地で探せば何とかなるさ、ということで来てみて、実際何とかなったのだが、実情は複数の個人旅行客あるいはグループをまとめて、それぞれの希望をコラージュするというもの。多くの旅行者は一泊二日、せいぜい二泊三日というところ。したがって三泊四日の吾々は二日目と三日目でメンバー、車の変更がある。そのおおよそは事前の打ち合わせで了解していたものの、やはり細部の詰めという点では遺漏があり、そのため三日目には相当スリリングな思いを味わうことになるのである。

 ともあれ昨日までの迷路のようなメディナと、いったんお別れして、砂漠の世界である。砂漠というとどうしてもサラサラとした文字通りはてしなく砂、砂丘の広がる世界をイメージしてしまうが、要はdesert、つまり荒野、荒地であって、土漠とか石漠と言いたくなるところが多い。これまで行った内蒙古敦煌、ナスカおよびそこに至るまでの砂漠、おおむねそんなぐあいだった。目指せ砂砂漠。

 途中、アイト・ベン・ハッドゥに立ち寄る。規模は小さいが、世界遺産の古い要塞化された村。今はそこに本の数家族が住んでいるだけとか。頂上からは広大な展望が広がる。

 ↓ 「アイト・ベン・ハッドゥ」 右が集落 丘の頂上まで登ると展望絶佳

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↓ 虫眼鏡で焼いて作る「焼き絵」。日本でも横井弘三という絵描きが焼き絵を制作していたがあれは焼き鏝で描くもの。こういうアートもある。でもあまり面白いものではなかった。

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 その後また長いドライブをへて、夕暮れの迫る頃、車から降り、ラクダに乗って少し先のテントに。あまり砂漠という感じもしない。テント泊も私自身は特にどうということはない。ただし寒い。昨日ようやく見つけて買ったタイツ(ただし前空きではない)が役に立った。

 当初割り当てられた二つのテントの部屋割で、同じ中国人グループに振り分けられた北京の大学生が「あんな旧式のグループは嫌だ。こちらに一緒に泊めてくれ。」と言ってやってきた。同じ中国人とは言ってもやはり色々とあるのだろう。この旅行(旅游)学専攻(卒業目前の四年生だがまだ就職が決まっていないとの由)といろいろ話し、その結果、翌日も妙になつかれてしまったのである。馮佳斌君と言ったか。今、どうしていますか。

 その夜、楽しみにしていた星空は、薄い雲のせいでほとんど見えず。残念。深更、小用に起きた時に見た月の明るさに驚いた。

 ↓ サハラの月

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                           (2015.5.4)