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艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

植物誌‐現在わが家にある樹木 

 

 ここ何年か女房が庭いじりというか園芸に凝っている。春になると日々、穴を掘り、苗木を植え、また園芸店に行って何やかやと買ってきたり、注文したりしている。

 その種類や植える場所など、多少の相談はしてくるものの、私が反対することが多いせいか―反対するにはそれだけの理由があるのだが―最近ではあまり相談もせずに、勝手にやっている。何事であれ、夫婦間で意見が異なるとき、結局のところどちらかが譲るということでしか、解決(?)も進行(?)もしないものだ。

 

 私自身、植物は昔から好きだったと書こうとして、ふと思い返してみた。私は田舎育ちの農家の息子である。物心ついたときから植物に囲まれていて、それが当り前に思っていた。むしろ植物のわずらわしさといったものには、早くからきづいていたようだ。また昔から山登りや川遊びが好きだったから、当然それに付随するもの、その一部としての植物も好きに決まっているような気がしていた。しかし、それは当然すぎて、かえって視野の中に無かったというべきだったかもしれないと、今思う。

 高校を卒業して東京でアパート暮らしをはじめ、二十七歳で結婚して庭のある借家や親に買ってもらった一戸建て住むようになってからも、庭木だとか園芸だとかといったことにはほとんど興味を持たなかった。むしろ否定的であったかもしれない。向き合おうとしてみて、そのことに興味を持てない自分を認めるのが嫌でもあった。その間、断続的にではあっても山登りをしていて、自然から大きな影響を受けていると自覚していたにもかかわらず。

 それは、日々の生活や制作活動に追われ、庭いじりなどに向ける心の余裕がなかったのだとも言えるだろうし、それ以上に、そうしたことに必要な腰のすわり方というか、人としての成熟の度合いが足りなかったようにも思う。

 四十二歳で今住んでいる五日市に家を建てた。もともと梅林だったところである。出が田舎の農家の息子だったから、家を建てるならなるべく都心から離れた、広い敷地が欲しかった。生活の利便性よりも自然の中ということと、アトリエのための広さが欲しかったのである。生活の実際面を強調する女房との折衝の中で、やや不本意ながら、自分の希望とその中間とでもいうべき五日市に決めた。今にして思えば、好判断であったというべきであろう。当時候補にあがっていた奥多摩の古里や日向和田あたりであったなら、今この歳になってみると、自然が強すぎるように思われ、色々な意味でもっと不便をかこっていたように思う。

 敷地は80坪。一般の住宅としては決して狭いとは言えないだろうが、アトリエを中心に考えるものの、結局必要なかったのだが親との同居の可能性を考え、さらに敷地内に女房の陶芸用の小屋も建てねばならぬとなると、そうそう大きな庭はとれなかった。

 ともあれ、この五日市の家を建ててから、急に庭やそこに植える樹木や草花に強い興味をもちはじめたのである。生活の安定ということもあるだろうし、時間も比較的とれるようになったということがあるかもしれない。あまり好きではないが「恒産なくして恒心なし」という言葉を思い出す。

 

 メインツリーということがあるが、当時、私はそのことを知らなかった。家を建ててくれた大工の棟梁が記念に何か木をやろうというので、わが家を象徴する木として、山登りをする中で一番好きだった橅(ブナ)を所望した。そんなことを考えたこともなく、ほかに思い当たる木とてなかったのである。その棟梁は奥多摩の白丸だったか鳩ノ巣だったかに住んでいた人だが、首をひねりながらも、たまたま自分の敷地に植えてあった十年程度の橅の木を持ってきて植えてくれた。残念なことにこの橅の木はいったん根付いたものの、その後二三年して枯れてしまった。やはり平地に植えるには無理があったのか、地味地質が合わなかったのか。しかし、もし枯れずにいたら、けっこう大きくなる木なので、植えた位置からしても、少々もて余していたようにも思う。その後メインツリーというほどのことではないが、似たような趣旨で植えたのが白樺である。しかしこの木も虫(カミキリムシ)に弱く、幹に穴を空けられ弱ったところを何年か前の台風で大きく傾き、少々危険な状態になった。応急処置として支えの材をあてがっているが、いずれ切り倒し、植えかえなければならないだろうと思っている。

 以後、結果として様々な木を植え、そのいくつかは自分の手で切り倒した。木ではあっても命あるものと思えば、それを切り倒すというのは、あまり良い気のするものではない。切り倒すに至った理由は大きくなりすぎたとか、植えた場所のせいなどで不調であったり、虫が付いたりといったことである。結局、狭い敷地にもかかわらず、あれも植えたいこれも欲しいという感情から植えすぎてしまったのである。その傾向は今も必ずしも改善されたとは言い難い。とくに女房においてはその傾向が強い。

 ともあれこれを機に、今、わが家の庭にどれだけの種類の木があるのか、調べてみようという気になった。その結果が以下の一覧である。

 

【地植え―買ってきて植えたり、もらってきたりしたもの】

白樺  枝垂桜  ヤマモモ(楊梅)  椿(ピンク)  椿(白)  ワビスケ侘助)  シャラ(夏椿)  コデマリ(小手毬)  楓  ミツバツツジ(三葉躑躅)  ドウダンツツジ(灯台躑躅‐2本)  ブルーベリー(2本)  コニファー(ブルーロケット)  コニファー(ゴールドクレスト)  カロライナジャスミン  ミモザ  イチジク(無花果)  山椒  柿  ナンジャモンジャ  イヌツゲ(犬黄楊)  白山吹  西洋柏  アケビ(木通)  ムベ(郁子、野木瓜)  ノウゼンカズラ凌霄花)  アメリカノウゼンカズラ  千島笹  笹(?)

 【鉢植―買ってきて植えたり、もらってきたりしたもの】

ソロ(アカシデ 赤四手‐山田さんから)  イブキ(伊吹)  シャクナゲ(石楠花‐三浦千賀子さんから)  ウツギ(空木 卯の花‐二本)  蜜柑  ネム(合歓‐室内)  パキラ(室内)

 【勝手に生えてきたもの】

シュロ(棕櫚)  南天  マンリョウ(万両)  野薔薇  クマイチゴ(熊苺)

【かつて植えていたが今はないもの】

ブナ(橅 山毛欅)  ヤマボウシ(山法師 山帽子)  サラサドウダン(更紗灯台)

ヒバ(檜葉‐? 2本)  エニシダ(金雀枝)  サルスベリ百日紅)  ハナミズキ  アジサイ  コナラ(小楢)  ムラサキシキブ紫式部)  ジンチョウゲ沈丁花)  サカキ/榊(?)  ヤブコウジ(藪柑子)  ハナモモ(花桃‐鉢植)

 

 ほかにももう少しあったような気もするが、とりあえずこんなものであろう。こうしてあらためて見てみると数が多い。庭の広さからすれば多すぎると言えるだろう。今後あらたに植えるにしても、高く育ったり、横に広がる種類のものは難しい。理想を言えば、橅や楢や楠などがおおらかに植わっている庭を持ちたいものだが、今となっては無理だ。せいぜいもう種類を増やさず、あまり高く大きくなり過ぎないように、年々歳々手入れをしながら、四季おりおりの風情を楽しんでいくようにしなければならないと思う。

 花の咲く木は言うまでもないが、新芽の頃、紅葉の頃、もまた美しい。さらに、緑の彩が最も重くなる夏や、葉を落とし尽くした冬の風情もまた悪くない。そんな時、私はつくづく日本というところの風土性といったものを感じるのである。                (2015.5.8)