艸砦庵だより

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「鴨居玲 踊り候え」展の黴(カビ)

 ここのところ、ぜひ見たいというほどではないが、まだまとまって見たことがないから、一度は見ておこうといった感じの展覧会が、いくつか開催されている。だが、それらをすべて見るということは、なかなかできるものではない。

 私の住んでいるあきる野市、武蔵五日市から都心、たとえば東京駅に行くのに、片道916円、往復1832円かかる。入場券が1000円から1500円程度。内容にもよるが、図録を買えば2000円から2500円程度。時間は、歩きも入れて片道約2時間、往復4時間。行けば普通1時間半から2時間は観る。つまり一つの展覧会を見に行くのに、5000円の費用と半日から一日の時間を費やすことになる。したがって、その美術展一つ見て帰るのももったいないというか、効率が悪いので、たいていは銀座の画廊回りや飲み会などの、なにがしかの+アルファと抱き合わせということが多い。

 

 それにしても日本はというか、東京は美術館が多い。展覧会が多い。私の感じではひょっとしたら世界で一番多いのでないかと思い、ちょっと調べて見た。1262館(文科省社会教育調査 種類別博物館数)をはじめ、384館、1101館と数字はまちまちであるが、これは「MUSEUM」と「美術館」・「博物館」を区別するか否かによって生じる差異である。これも文献・サイトによって異なるが、美術館の数はアメリカ、フランスについで世界第3位という数字もある。ちなみに国民一人当たりが美術に費やす金額(美術品購入、美術館チケット代、展覧会図録・美術関連書籍代、その他)は日本が世界第1位というのも新聞だかで読んだ記憶がある。こうした数値については、それはそれで興味深い話であり、まあ実感できるところも、そうでないところもあるが、それはさておく。「鴨居玲 踊り候え」展(東京ステーションギャラリー 5月30日~7月20日)を見て来た話である。

 ↓ 出を待つ(道化師)》1984年 

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  私は鴨居玲という画家については、ある程度見てはいるが、それほど評価はしていないし、さほどの興味もない。むろん良い画家だとは思う。しかし、その画面世界の主たる方法である明暗法とマチエールおよび筆触の魅力というのが、造形としてはわかりやすすぎて、それ以上の興味が持続できないのである。また、テーマとしての、あまりにも文学的、心情的すぎる人間のとらえ方に、いささかの反発をおぼえるということもある。

 とは言え、それは私の個人的な趣味というか、受け取り方に過ぎない。実際、ある面での評価は非常に高かった作家であり、その人も画業も否定する気もない。今回初めてまとまって見て、それなりの、予想以上の感興はおぼえたが、感動とまでは行かなかったというのが正直なところである。

 

 問題にしたいのは、作品そのものとは全然別の話。展示中の作品及び額のガラス(またはアクリル 以下同様)に発生していた黴(カビ)のことである。

 具体的に記す。

 最初に気づいたのは17.「静物画 ブラジルにて」。画中の暗い背景部分に白いごく小さな点々がある。当然、絵具というか、その飛沫のようなものだろうと思って近づいて良く見たが、あまりにも小さく、またそれがそこにある必然性も感じられない。観察しているうちに額のガラスの内側にも、これははっきり分かるが、小さな黴のコロニーがあるのが目視できた。

 25.「教会」では絵の中央部に比較的広い範囲で他と少し違った白っぽい絵具の飛沫状のものがリング状に点々とある。それはちょうど絵具の「おつゆ」をある意図を持ってふりまいたようにも見えるし、またコーヒーか何かをこぼしてしまい、それに黴が生えたようにも見える。はっきり黴であるとは今のところ言い切れない。

 28.「おっかさん」にはガラスの内側に何ヶ所か黴の発生が見られた。

 82.「街の楽士」これは他と違い、紙にパステルで描かれた作品だが、これにもガラスの内側に何ヶ所か黴の発生が見られた。

 

 全てをそうした目で見たわけではないし、当然ながら近寄ってルーペで観察することもできない会場内でのことである。

 美術館で展示されている作品の表面や額のガラスの内側に黴が生えているということは、あまりあることではないが、皆無というわけではない。これまで何度か目撃している。特に今回のように、比較的小さいサイズでガラス入りの額に入れられている場合が多い。

 ガラスによって密封された額の内部は、小さな温室のようなものである。個人所有の場合、商品として画商を経由してきた絵は、普通、ガラス入りの額におさめられ、その裏側は裏板で封ぜられている。それを額ごと布の袋に入れられ、さらに全体を差箱(差込箱)に入れられと、丁寧に二重三重に密封された状態である。つまり通気性がない。黴が発生するには絶好の条件なのである。たまに箱から出して眺められることがあっても、また元のように長く箱に入れたまま保管されることも多いだろう。また壁に掛けられる場合でも、額から出して絵肌を直接外気に晒すという機会は普通ないだろう。さらに今回の鴨居玲のように黒色、褐色の絵具を多用している場合、それは特に黴が発生しやすい色として定評がある。

 一般に油絵は日本でのテンペラなどと比べて、比較的黴は生えにくいとされている。絵具自体にも紡黴剤は入っている。しかしそれも程度問題で、上記のように、黒色の絵具を多用した絵でそれがガラス入りの額におさめられている場合、黴は容易に発生する。絵の表面そのものにおいてもそうだが、絵の裏面や、額のガラスの内側にはさらに容易に発生する。ごく普通の住宅にアトリエを構え、作品保管用に借りている元工場の建物以外に多くの作品を自宅に保管している私も、黴については散々苦い思いをさせられた。いや、今現在なおその対応には苦労させられている。

 以前インドのムンバイのチャントラパティ・シヴァージー・マハーラージ・サングラハラヤという大きな博物館で素晴らしい細密画の数々を見たが、そこでも一部(多く)の絵の表面やガラスに黴が生えているのを見たことがある。博物館自体に冷房はなく、巨大な扇風機が床に置かれ、ぬるい空気をかきまわしているという環境だった。タージ・マハルのタージ博物館その他でもほぼ同様な事情だった。ベトナムホーチミンの博物館でもしかり(ベトナムの絵画修復については岩井希久子さんが献身的な貢献をされているとの由)。それはそれで経済をはじめとする様々な要因があり、とりあえずは仕方がない、としか言いようがない。しかし、ガラス入りの額というのは保存・鑑賞上、基本的に必要であるにしても、湿度、温度差の低いヨーロッパ流のやり方を、形だけそのままアジア、日本に持ってきても、やはりまずいと思う。だがこれについては、私としても専門外であり、これ以上はひかえる。

 問題は、では今回の展示に際して、東京ステーションギャラリー側ではそのことに対してどのように対応していたのかということである。美術館には学芸員がおり、それぞれの専門分野はあっても、普通、展示作業の前段として作品の状態チェックをするはずである。その際に作品の表面の黴を確認しなかったのか(黴ではないという可能性もある)。ガラス内側の黴の存在に気がつかなかったのか。作品表面の黴の洗浄にはまた時間も手間もかかるであろうが、少なくともガラス内側の黴の洗浄、除去にはたいした手間はいらないはずだと思う。美術館の職員、学芸員に保存修復に関する専門的知識を持っている人が少ないということはよく聞く。そもそも東京ステーションギャラリーはギャラリー(展示会場)であって、美術館(法的には博物館)ではないのだろうか。法的規定については私もよく知らないのだが、しかしこれだけの「美術展」を恒常的に開催しているのだから、少なくとも美術館と同等の責任はあるだろう。

 

 今回のことに限らず、あちこちの美術館の展覧会で、その展示の方法や内容、例えばキャプションの解説の記述内容等でも思わず首をかしげることが再々ある。日本の美術館、未だし、である。

 正直言って私は、日本の美術館における全体としての展覧会の数と種類、その内容、運営、集客力、保存修復力、等々に関して、色々問題はあっても、世界的に見れば、最も優れた国の一つだと思っている。であるがゆえに今回のような、展示されている作品のガラスの内側に黴が生えたままになっているなどという不手際が起きないようにして欲しいと思うのである。やはりそれは美しくないのである。              (2015.7.2)