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艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

燕岳から槍ヶ岳へ(30年振りの北アルプス・45年振りの防高山岳部夏山合宿) -1

 高校(山口県立防府高等学校=防高)時代、山岳部に所属していた。45年前のことである。美大・芸大進学志望ではあったものの、思うところがあり、美術部には入らなかった。その、ほぼ灰色に近かった高校時代を振り返ってみるとき、山岳部の思い出だけが、わずかに淡い青や碧色をふくんだ光を発している。

 山岳部とはいうものの、たいしてトレーニングをするでもなく、非体育会的な、ごくゆるい部であった。県外に出るのは夏の合宿(伯耆大山か石鎚)と、秋の中国大会の二回。それでも春秋の県体を含め、月に一度は山に行った。今と違い、週休二日ではなく、ロクな情報源もなく、地元の社会人山岳会の人に多少の情報を教わったり、部室にあった古い地形図(陸地測量部地図)を眺めたりして、自分たちで計画をたてた。そもそも山口県には、一般的な基準からすれば、たいして山らしい山は無いのである。百名山はおろか三百名山もない。それでも私は、今でも山口県の山が好きだ。

 

 Fさんは私が2年生でリーダーになった年に入部してきた、一級下の女子部員だった。彼女たちの代は女子部員が五名ほどいたが、私と同期の女子部員は事実上いなかったこともあり、以後一貫してめんどうを見たというか、一緒に登ったのである。高校2年生の男子にとって高校1年生の女子というのは、まさしく謎の存在であった。以来3年生の5月に現役引退(そういう決まりだったのである)するまで、ほぼ月1回、計11回の山行を共にした。

 山岳部のある高校自体が比較的珍しい中(当時山口県では八校)で、女子部員がいるというのはさらに少なく、たしか二校しかなかったのではないか。それも翌年にはわが校一校しかなくなったように記憶している。それもあっただろうが、彼女たちはなかなか強く、翌年には山口県の女子としては、おそらく初めてインターハイ福島県・吾妻山系)に出場したりした。

 ちなみに防高山岳部はその後登山部と名前をかえ、男女ともインターハイ優勝を目標とする、インターハイや国体出場の常連校となっているらしい。2012年ワールドカップ・リード部門オーストリア大会と2013年同スロベニア大会で優勝した小田桃花も輩出している。こうなってくるともう完全に別世界の話だが、少しうれしい気がしないでもない。

 

 Kとは中学・高校と同窓で、山岳部でもずっと一緒だった。とはいえ、文理のコースも違い、部員同士、同級生同士であっても、特に親しい間柄というわけでもなかった。

 FさんともKとも、卒業後のそれぞれの進路とともに、縁は薄れていった。以来、幾星霜。

 数年前にKが長いアメリカ勤務から帰国し、何となくといった感じで、付き合いが復活した。お互いの旅好きがうまく共鳴し、何度か海外旅行を共にした。そうした中で、バリ島のバトゥール山1717mを一緒に登り、グランドキャニオンやヨセミテのトレイルを歩いた。現在、退職目前で、目下、有給休暇の消化にいそしんでいる身。

 

 Fさんとは、私が30歳頃から地元に近い徳山市で定期的に個展をするようになって以来、山口県の各地に在住している、他の当時の女子部員たち、Wさん、Sさん、Mさんとともに、ほぼ三年に一度ずつ会っていた。その彼女が今春定年退職となったのを機に、また山登りを、それも百名山を中心としたそれを、再開したいという思いにかられたらしい。

 槍ヶ岳が最終目標だと言う。はいはい、気をつけて、と答える。そのためにまず穂高に一人で登ると言う。おいおい、穂高の方が槍より難しいよ、大丈夫なの?ルートはどこから?せめて穂高の前に槍からにしなさいよ、といったやり取りをかわした。同行する気はまったくなかったのが、途中でKにその話をしたところ、K曰く「俺も行く」。「俺も」? 私は行く気はないよ、だったのが、なんだかいつの間にか結局同行することになってしまった次第である。

 北アを含めてアルプスと名のつくところに最後に登ったのは30年前。現在では魅力の点というよりも、実際的な体力の面から、行く気は全く無かった。それが、あれよあれよという内に、行くことになってしまった。本当に私は「行く」と言ったのだろうか。どうにも記憶が曖昧である。山中三泊の縦走などもう十数年以上やっていない。大丈夫なんだろうか?

 

 ルートはたいして迷うこともなく、燕岳から槍ヶ岳、槍沢下山、と決めた。いわゆる表銀座と言われるコースである。むろん小屋泊まり。槍沢からの往復をのぞけば最も容易なコースと思われ、また充分魅力的なコースだからである。ただし私はこのコースのうち、大天井~槍ヶ岳~横尾以外はすでに歩いている。主要なピークは皆踏破済み。またKも槍沢以外は踏破済。しかし、まあいいか。30年40年ももたてば既に記憶も薄れているし、何より、可愛い後輩の女子の望みをかなえるためなら。言ってみれば45年ぶりの防高山岳部夏山合宿みたいなもんだ。

 

8月1日

 スーパーあずさ11号で松本駅大糸線のホームで山口から来たFさんと合流。FさんとKは高校卒業以来の再会である。穂高駅からはタクシーで中房温泉へ。宿の部屋は値段の割にはいかにも登山者専用といった趣だが、シーズン中だからまあ仕方がないか。ともあれ、入下山にそれぞれ温泉で一泊というのは、時間と経済力に余裕の出てきた今なればこそのスキルである。

 夜、豪雨。宿に上がる道路は封鎖され、近辺では警報も出たらしい。

 

8月2日

 曇ってはいるが、雨は上がっている。朝食の弁当(二種類のおこわとカロリーメイト!)をむりやり詰めこんで出発する。

 樹林帯の中のよく整備された登山道を、ひたすら登る。前夜の雨にもかかわらず、この山の地質を成す風化花崗岩質のせいか、ぬかるむこともなく、歩きやすい。周囲の樹林はさすがに素晴らしい。植林は全くない。第一、第二、第三ベンチ、富士見ベンチと通過するにつれ、混みあうというほどでもないが、陸続と登山者、下山者が行き交う。さすがに人気の山だ。

 

 ↓ 登り始めはこんな感じ

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 この登りは「北アルプス三大急登」と称されており、燕山荘までの標高差は約1200m。ふだんの日帰り登山でも標高差1000m程度は時おりこなしているからさほどでもないはずだが、やはり久しぶりの背中の重荷(といってもせいぜい10㎏少々なのだが)のせいか、山のスケールの大きさのゆえか、トップを行く元気なKに次第に遅れるようになる。後続を置いて行くその登りは、相変わらずだなと思う。ただし、遅れるのは私一人で、Fさんはしっかりついて行っていた。しっかりしたものだ。

 合戦小屋で一休み。スイカを食べる。何という贅沢。その上あたりから森林限界を越える。お花畑が出てくる。ハクサンフウロトリカブト、まだ蕾のウスユキソウ、その他、名を知らぬ花々。先行の二人との距離はいよいよ大きくなり、燕山荘目前で多少雨が降り出したところで雨具を着れば、ほどなく二人の待つ小屋に着いた。やれやれである。

 

 ↓ 燕山荘と燕岳 (翌朝の撮影)

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 1時間ほど休んだ後、空身で燕岳の頂上に向かう。ガスっていて展望はあまりきかないが、奇岩がそびえ並ぶゆるやかな砂礫地を行くのは気持が良い。この奇岩群には過去多くの絵描きが魅了されてきた。そこをスケッチブックも持たずただ登高するのは、少々引け目を感じないでもないが、まあそれはそれ。

  ↓ 奇岩 その1

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  ↓ 奇岩 その2 イルカ岩

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  ↓ 奇岩 その3 メガネ岩

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  ↓ 奇岩 その4

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 コマクサがずいぶんたくさん咲いている。これだけ移植し増やすには相当の時間とエネルギーを要したことだろう。

 

  ↓ 風化花崗岩の砂礫とコマクサ

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  ↓ コマクサの群落とハイマツ

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 燕岳山頂(2763m)はわずらわしい山名表示板などもなく、シンプルで清潔で好ましい。30年前の記憶もほとんど無い。ともあれ、いよいよ槍ヶ岳へのスタートである。

 

  ↓ ガスに包まれた燕岳山頂 中央Kと右Fさん

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 燕山荘は北アで最も人気の高い山小屋だとか。なるほど、とは思う。食事も良かった。最盛期には食事も6交替だとか聞いたが、今回は2交替制で、それなりに余裕はあった。夕食後の小屋の主人の話も有意義だった。中でもストック、特にダブルストックを自粛すべき意義、その他。そして今日の私の不調は、どうやら軽い高山病のせいであったかもしれないと、思い至る。

 しかし、今回の山中3泊の計画で最も気がかりだったのが、この山小屋泊ということなのだ。私はずっとテント専門でやってきたので避難小屋はともかく、営業小屋、特にハイシーズンのそれは経験がない。特に歳のせいか、就寝中に二度三度と小用に起き出すことを考えると、実に憂鬱になるのである。結果的にはどの小屋でもまあ何とか事なきを得たのであるが、精神的にはやはり快適とは言えない。他にもいろいろ気を使うことは多い。といって、いまさらテント泊の縦走というのは、荷物の重さなどから現実的にはほぼ無理であり、悩ましいところである。

 

【コースタイム】8月2日

中房温泉発5:50~富士見ベンチ8:33~合戦小屋9:35~燕山荘11:30/12:45~燕岳13:15~燕山荘14:00頃