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艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

42(?)番目、20年ぶりの百名山 祖母山  2016.11.7

 前回8月の燕~槍縦走ですっかり味をしめたというか、意気投合したメンバーで、二回目の防高山岳部OB会(?)の秋山合宿をやろうということになった。基本は山口と東京の中間あたりの百名山ということと、私の個人的なつてもあって、いったんは大峰山ということに決まった。しかし、その後調べて見ると、今なお女人禁制が生きているとのこと。フェミニズムと宗教的意義のすり合わせという難問はともかく、無理押しすれば登れないことはなさそうだが、ここはメンバーの一人のF嬢の意を汲んで、急きょ九州の祖母・傾山群に変更した。

 当初、祖母山から傾山への縦走ということで計画を立ててはみたが、冷静に考えれば山中二泊の避難小屋泊まりといいうのは、現在のわれわれには少々荷が重いというのが正直なところ。結局、麓の民宿から祖母・傾、それぞれ日帰り山行を二つということにした。これはこれで悪くない計画である。

 

11月5日

 たまっていたマイルを使って山口宇部空港へ。出迎えてくれた同行のKは、つい先日故郷に退職帰郷を果たしたばかり。その実家にお世話になった。同夜、防高山岳部の4学年にわたるOB有志9名が集まってKの帰郷歓迎会。全員がほぼ、または完全に現役をリタイアしている。ああ、光陰矢の如し。

 

11月6日 晴れ

 最新データが入っていないカーナビのおかげで、大きく迷走迂回ルートを辿らされて、豊後大野市上畑の民宿を目指す。途中、行がけの駄賃に原尻の滝とやらに寄って見る。「日本のナイアガラ」はいささかオーバーだが、まあそれなりのもの。だがそれよりむしろ、周辺に散在する石仏群の案内表示に心惹かれる。

 

 ↓ 「日本のナイアガラ」

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 本来の登山口の尾平にある旅館は現在休業中とかで、少し手前にはなるが、上畑の民宿泊は選択の余地がないのである。そのすぐ近くまで来ているはずなのに、人家は見当たらない。電話して確認し、脇道を入ったところでようやく探り当てることができたが、本当にたった一軒だけ、山陰にひっそりとたたずんでいた。御主人は現在85歳。奥様は入院中とかで、年老いた犬と暮らされている。なんだかこれだけでも一篇の物語のようだが、なかなか味わい深い。

 

11月7日 快晴

 4:30起床。5:00心づくしの朝食後、車で登山口の尾平鉱山跡へ。駐車場に車をデポし、6:45に出発。その時点で水の入ったペットボトルを忘れたというか、宿においてきたことに気づいた人、約一名。水量豊かな奥岳川沿いに進み、吊橋を二つ渡り、さらに二回の渡渉がある。その内の一回は滑りやすい対岸へのジャンプである。

 現在、祖母山に登るのは比較的容易な神原コースや熊本県側からのコースからが多く、今回われわれが登る黒金山尾根は健脚向きとされているらしい。あえて難しいルートを選んだつもりはなく、二つの山を登る上での山群の構成上からと、渓谷美や岩峰、原生林、一部とはいえ縦走路を辿ることができることなどから選んだルートである。とはいえ、尾平からの標高差は1166mであるから、確かに日帰り登山としてはなかなかのアルバイトである。尾根の取付きはやや急傾斜で、中間にややゆるやか部分もあるが、その前後はまた傾斜がきついという構成である。

 明るい自然林の尾根上に続く山路は歩きやすいが、意外と歩く人は多くなさそうである。ところどころ美しく色づいた紅葉が目を楽しませてくれる。しばらく行くと前方に岩峰の連続する主稜線が見えた。なかなか素晴らしい山容である。

 

 ↓ こんな感じ

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 ↓ 中腹では紅葉していた

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 ↓ 天狗岩から主稜線上の岩峰群

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 だいぶ登り、スズタケのややうるさくなってきたあたり、左に天狗岩の岩峰が近づいてきた頃、水場が出てきた。そのすぐ上が天狗の岩屋。充分ビバーク可能である。さらにちょっとしたゴーロ帯、二三の梯子を慎重に登れば天狗岩の横の縦走路にポンと飛び出した。出発して休憩も含めて3時間45分だから、ほぼコースタイム通り。悪くないペースである。だいたい今日のペースがつかめたように思う。

 すぐ近くの展望台のピークに立てば、眼前に目指す祖母山、振返れば遠く美しい傾山と、そこに至る重厚な縦走路が見える。西には先頃噴火した阿蘇山が巨体を横たわらせている。予想以上に素晴らしい景色に歓声が上がる。

 

 ↓ 主稜線上の展望台から祖母山頂を見る

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 ↓ 傾山をのぞむ

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 ↓ 遠く阿蘇山塊をのぞむ 中央中岳 右のゴツゴツは根子岳 その主峰右側に先の地震で生じた崩壊が見える。

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 縦走路を辿ると頂上直下になにやら垂直の長い梯子が見える。あれを登るのかと思いながら頂上直下の急登に差しかかると、確かにいくつかの梯子は出てくるものの、先ほど見えていたものとは違う。

 

 ↓ 頂上直下ではいくつか梯子が出てくるがこれではない

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次か次かと思う内にポンと頂上の手前に飛び出した。あれはいったい何だったのだろうかと思うが、よくはわからずじまい。

 これまで人っ子一人出会わなかったが、さすが百名山の山頂ともなるとそうはいかない。とはいってもやってきたのは三組七人ほどである。静かな山頂で360度の大観を堪能する。

 

 ↓ 記念撮影です。左K、中一級後輩のF、私。

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 ↓ 古祖母山をへて傾山へと続く縦走路

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 私は百名山への執着は、昔はともかく、今はほとんど持っていない。むろん「深田久弥百名山」という、他者の価値観に無条件に追随する登山者の、自由と創造性の無さを批判することはあるが、百名山に選定された個々の山そのものの良さ、素晴らしさを否定するものではない。

 これまで登った百名山は41座。ただしそれは高校生ごろからごく素朴に自分なりにカウントした数字であって、厳密に最高地点ということになるといくつかは怪しいというか、不合格のものが出てくる。例えば富士山は富士吉田口頂上までは登ったにしても、最高地点の剣が峰に立っていない以上、やはり登ったとは言えないのである。その点からすると正確には38座だろう。しかし百名山制覇を目指していない以上、何よりも長く人の行かない山に親しみ、人の行かないルートに喜びを見出してきた私としては、それはまあどうでもよいことである。ともあれ今回の一応42座目の祖母山は、41座目を登って以来実に20年ぶりの百名山である。20年間、百名山には目もくれなかったということだ。

 明治23年に日本アルプスの開拓者ウォルター・ウェストンは日本アルプスにおもむく前の熊本滞在時に、富士山に次いで訪れた九州の山旅で阿蘇の次に、当時九州の最高峰と思われていた祖母山に登った。言うまでもなく九州の最高峰は屋久島の宮之浦岳1936mであるが、九州本土の最高峰は九重の中岳1791mである。帰宅後の事後学習で知ったのだが、ウェストンが祖母山に登ったのは何と11月6日。われわれの登った一日前である(だから何だと言われても困るが、奇縁と言えなくもない)。ちなみにルートは熊本側の五所コースからの往復だったとの由。

 故事来歴はともあれ、祖母・傾山群は広い範囲に障子岩、傾山などの顕著なピークと多くの登山ルートを包括し、またその山懐には数多くのすぐれた沢ルートも内包している。また山岳宗教や周辺に多くある鉱山関係のことなど、人々の生活とのかかわりの面でも興味深い。まさに名山の名に恥じないすばらしい山域である。

 

 快晴の静かな山頂を充分に味わったのち、下山に移る。九合目小屋へは登山者の多さを物語る深く掘りこまれた溝状となっており、滑りやすい。展望の良いやや痩せた尾根を過ぎ、しばらくゆくと宮原コースへの分岐。そこからはまた歩きやすい尾根をたんたんと下る。入山時に見た奥岳川の吊橋を渡ればほどなく車デポに到着。心楽しくも充実した一日の山行を終えた。

 

 ↓ 宮原コース分岐へ向かう 

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 ↓ 宮原コースの末端近く まだ紅葉していない

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 ↓ 奥岳川吊橋付近から見返る 天狗岩であろうか

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【コースタイム】

尾平駐車場6:35~最後の渡渉7:30~天狗の水場10:10~縦走路10:30~祖母山頂12:07-13:13~宮ノ原分岐14:20~駐車場16:40  同行:K重K夫 F.K子

 

11月8日 曇り一時雨

 本来はこの日、九折から三尾コースから傾山に登り、九折越経由上畑コース下山の予定であった。しかし天気予報では午後から雨、3時から雷雨。前日に堪能し(すぎ)たこともあって、前夜の話合いで登山は中止、石仏巡り観光へと転進することにあいなった。せっかく遠路はるばる来て日帰りの山一つとは内心忸怩たるものもあるが、まあ、それはそれ。融通無碍。以下、山ではないが、旅の記録としてごく簡単に記しておく。

 

 のんびりと朝食をとって出発。私以外の二人はなぜか筋肉痛との由。情けない。

 

 ↓ 民宿の近くでみかけた。「獣魂」の語は珍しく、重い。しかし獲った獲物のための石碑を建てる民族は世界中で日本ぐらいのものではないだろうか。

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 一昨日見た原尻の滝の近くから石仏(磨崖仏)巡りを始める。まず最初は辻河原石風呂。

 

 ↓ 辻河原の石風呂。岩壁に穿たれたサウナ。中央の黒くすすけたところが現在でも使われている。

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川岸の凝灰岩の岩肌をくりぬいたもの。風呂とはいってもつまりはサウナであり、したがって北方由来のものだろう。それ自体は石仏ではないが仏教との関連も深いそうだ。近くに他にもいくつかあるようだが、ここは現在も年に一度使われているというのは驚きである。そう言えばわが故郷防府の岸見や阿弥陀寺にも、タイプは違うが石風呂があり、隣の山口市にもある。

 次いで宮迫西石仏と宮迫東石仏を見る。古拙とも言えるがやはり、それなりのレベルのもの。

 

 ↓ 宮迫の西石仏(磨崖仏) 彩色は近世のもの

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 ↓ 宮迫の東石仏 石も仁王もいずれは植物にのみこまれてゆく

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近くには他にもいくつかあるようだが、このエリアは以上とし、臼杵石仏に向かう。

 石仏(磨崖仏)は西日本に多く分布しているが、その中でも大分県は特に多いところである。平安から鎌倉のものであるが、比較的早くに忘れられ、民間の信仰の対象となることも少なく、千年もの間放置されていたとのこと。それは仏教国日本では珍しい現象と言えよう。この日泊まった旅館のロビーにおいてあった『豊後の磨崖仏散歩―岩に刻むほとけとの対話』(渡辺克己 1975年 双林社)の最初の数頁をちょっと読んでみたが、来歴不明で関連資料がほとんど残されていないなど、いろいろ謎の多い存在だということであり、興味がそそられる。

 

 ↓ ウ~ム… ここにもゆるキャラ  

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 次にむかったのは大分の石仏群の中でも中心的な臼杵石仏群。比較的狭い範囲にいくつかの石仏群が存在している。国宝に指定されている古園石仏は長く頭部が落ちて下に置かれたままだったのが、20年ほど前に修復され、胴体の上に戻されたというのを今回初めて知った。やはりレベルは高い。

 

 ↓ いくつかの石仏群が散在している 

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 ↓ 同上 

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 ↓ 上の写真の右の仏像の頭部拡大 

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 ↓ 国宝指定の古園石仏 落ちた頭部は長く下に置かれていた 

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 石仏は当然ながら信仰の対象であるが、私にとっては美術というフレームの中で見ている。先日旅したアルメニアの教会の在り様などとどこかで重なって、美術とは何か、作る・表現するとは何か、という答えの出ない問がまた湧いてくるのを感じるのである。

 

 次いで隣接しているヤマコ臼杵美術博物館をざっと見て、ながゆ温泉の宿に向かう。投宿後、まだ時間もあることだし、ということで、車で30分ほどの岡城址に行ってみた。岡城址といえば「荒城の月」。それから想像していたのはこじんまりとした、うらぶれたものであったが、実際は堂々としたものである。しかし晩秋の曇天の夕暮れという条件もあって、なかなか風情のあるものであった。滅びゆくもの、みな美し。

 

 ↓ 岡城址 本丸入口付近

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 ↓ 追手門付近

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11月9日 曇り

 帰路、帰りがけの駄賃に耶馬渓に寄ってみる。耶馬渓といってもいくつものエリアに分かれているようだが、行ったのは深耶馬渓(一目八景)と本耶馬渓青の洞門)の二か所。深耶馬渓はまあ、特にどうということもなし。ただ、いくつか入ってくる小さな支流を遡ってみると楽しいかなという気もする。青の洞門の掘られた一帯もまあそれなりではあるが、やはり数多くの山、渓谷を見なれた目からするとスケールの小ささは否めない。というのも野暮ではあろうが。

 

 ↓ 下部の道路が本来の青の洞門のあったところ。現在は舗装道路となっている。当初の洞門は入口と出口にわずかに残っている

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 ↓ 禅海和尚の手掘りの鑿の跡が残っている部分。奥の窓は最初に作られた明り取り用の窓といわれている。f:id:sosaian:20161114222052j:plain

 

 ここに限らず、今回の観光はすべて事前にはなにも調べていない行き当たりばったりのものであったため、帰宅後に事後学習してみれば当然見落としも多かったことに気づくが、それはまたそれ。本来行く予定はなかったのであるから、行っただけ儲けものだと思うべきであろう。

 ともあれ山は予定の半分しかこなせず後は軟弱な観光旅行に終わってしまったわけだが、これはまたこれで良しと思う。いや、見方を変えれば、長く気にはなっていても結局一生見ずに終わる可能性の方が高かった、臼杵の石仏群や耶馬渓、岡城址を思いがけずに見ることができたわけだから、むしろ収穫の多かった旅であったといっても良いのである。

 なお、蛇足ではあるが、この日アメリカ大統領にトランプが当選したのを知り、脱力したというか、むなしさにおそわれたことも付記しておく。

 

 その夜は故郷防府でまた別のメンバーで飲み会。退職、帰郷、人生、が肴である。故郷とは言っても、私の生まれ育った実家はすでに人手に渡っている。

 さて次は来年の春合宿。どこに登ろうか。  

                          (2016.11.11)