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艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

2017年初登山 「山椒は小粒でも・・・」 花咲山と岩殿山  (2017.1.6)

 月に2回×12ヶ月=24回の山登りと、「2時就寝~9時起床(本当は1時就寝~8時起床としたいところだが、まずは段階的にと)」という目標を、懲りもせず今年も年度目標として掲げた。

 さて、今年の初登山である。どこに行こうか。「2時~9時」あるいは「1時~8時」に改善されようと、日帰り登山では、朝4時台か遅くとも5時台には起きなければならない。特に日の短い冬場はそうだ。できれば6時間睡眠、せめて5時間睡眠でないと辛い。4時間以下となると、結局その日は中止せざるをえない。

 行くならばやはり充実した良い山行をしたいと思う。そのためには山の高さ、行動時間、ルートの難易度や、当然山そのものの良さ(ただし、これは行ってみなければわからないことが多い)といったことが要素としてでてくる。しかしそれらにこだわる限り、出発前の計画段階で起床時間、睡眠時間が高いハードルとなって立ちはだかるのである。

 そこで今回は発想を変えた。とりあえず年初めの今回は、そうしたことはそこそこにして、まあのんびり楽しく、まずは行くことだ、と。低くて、行動時間が短くて、アプローチの短いところ、上等。

 

 岩殿山大月駅の背景の岩山として昔から知っていた。むろん戦国時代の山城跡として有名なところであり、古くから登られている山。いつかは登ってみたいとは思っていた。花咲山はその名も、ルートについても、長い間知らなかった。中央線の車窓から見れば単なる裏山、藪山である。2014年版の山と高原地図『大菩薩』には山名もルートも破線ながら記されているが、1998年版には山名もルートも記されていない。つまり、ここ15年ほどで多少なりとも登られるようになったということなのだろう。

 いずれにしても、岩殿山にしても花咲山にしても、地図でも見るとあまりパッとしない、前山か裏山、あるいはせいぜい里山といった風情にしか見えない。登るのはもっと先、私が70歳くらいになってからのためにとっておこう、ぐらいに思っていた。だが単独では少々物足りないにしても、二つの山を連続して登れば、それなりに歩きでのあるルートになるのではないか。

 

 ↓ 大月駅前から見る岩殿山

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 ↓ 同じく花咲山から続く叉平山方面

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 武蔵五日市駅発8:05。大月駅9:52。初狩駅から歩いても登山口まで1時間足らずだが、今回は大月からバスを利用する。20分ほどで中真木バス亭(10:33)。少し戻って「花咲山」の指導標に導かれて小学校の裏手の道に入る。突き当たりの民家の左手から山道に入る。

 

  ↓ バス亭付近から見る富士山

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 しばらく鹿除けのフェンス沿いに登り、舗装された林道を横切る。思っていたより歩かれているようで、道はしっかりしていて、歩きやすい。ほどなく細い尾根上の露岩帯にトラロープが張られて「立入禁止」とある。「立入禁止」と言われても左は絶壁、右も踏み跡はなく、そこしか歩きようがない。やむをえず、ロープをかいくぐってそのまま進むが何の問題もない。なぜ「立入禁止」なのかわからない。向こう側には「女幕岩」の表示があった。

 

  ↓ 女幕岩 「立入禁止」のトラロープ

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 この近辺の山にはこうした礫岩の露頭や岩壁、岩峰が多く、単なるおだやかな里山にとどまらぬピリっとした変化を与えている。礫岩と言っても、中の礫は角ばったものではなく、水流で丸くなった玉石のようなものばかりであり、尾根上でありながら河原にあるような玉石ばかりがあるのはちょっと不思議な感じだ。太古の水流に洗われた玉石が富士山の噴出した火山灰が凝縮した凝灰岩に包み込まれ、長い年月の後に隆起し、浸食を免れたということなのだろうと、とりあえず推測しておく。

 その先で何匹かの猿の群れに遭遇。威嚇するような鳴き声をあげながら去っていったが、ちょっと怖い。

 

  ↓ こうした岩がところどころにある。中央を通る。

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   ↓ 木の間越しに花咲山を望む

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 尾根は思っていたよりも細く、落葉しているせいで見通しもきき、なかなか気持が良い。717mピークには何の表示もなく、いったん下って登り返した先が花咲山山頂(11:55)。梅久保山の別名もあるが、のどかな山名とちょっと違った、ピリッとした山である。三角点はなく、地形図に標高の記載もないが、750m圏の等高線。小さな祠が一つだけあるまことに気持の良い頂上である。木の間越しに360度の展望が楽しめる。山頂の祠の傍らには小さな金精様。

 

   ↓ 花咲山山頂

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   ↓ 山頂の祠 左下が金精様

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 山頂からは少し急な下りが続く。散りつもった落葉のせいで滑りやすい。下りきったところに花咲峠の表示。登り始めの女幕岩と対になるのだろう男幕岩の表示があったが、それがどれなのかはわからなかった。そこから二つ目のピークが叉平(さすでぇら)(山)、610.1m(12:30)。そのすぐ先で昼食とする。珍しく女房の作ってくれたお弁当を食べる。やはり美味い。

 

   ↓ 叉平(山)山頂

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 そこから尾根は二つに分かれ、登山道は右の尾根に向かって下っていく。まっすぐの尾根を行く道もある(あった)ようだが、そちら側には今は踏み跡はほとんどない。まあここは無難にと右を選び、のどかに快適に降りていく。小さな社の前を右に進めば、中央高速脇の道路に出た。まずは一山目、終了である。

   ↓ 叉平(山)から右尾根の下り

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 次は岩殿山。浅利集落を稚児落としへの登り口に向かう。ここから稚児落としまでの間は二十年以上前に宮地山からセイメイバン、兜山経由で歩いている。その時はできれば岩殿山までという予定だったのかもしれないが、時間切れで浅利集落に降りたのである。その時に浅利川の橋を渡ったのだが、橋は二か所あり、そのどちらを渡ったのだかはっきりしないが、どちらでも正規の登山道に至るはずである。ふと見ると目の前に不動橋と書かれた小さな橋がある。二つの橋のどちらでも良いのだからと、何のためらいもなくその橋を渡った(13:30)。

 対岸をほんの少し登ると小広く開けた場所。お墓が一つだけある。あれ?道がないな?と思いながらも、一つ先の橋からの道はすぐ先で合流するはずだと、そのまま藪に入り左にトラバースして行く。最初は薄かった藪も、次第に濃くなってくる。なかなか道が出てこないが、この時点ではまだ間違ったとは思っていない。やがて小さな沢にさしかかる。どうやらこれは何か間違えたことを自覚せざるをえなくなったが、とにかく進むしかない。沢を渡り、対岸に上がると、そこからは超濃密な笹藪が待ち構えていた。久しぶりの本格的な密藪。まっすぐ前に進めず、藪の下を這いずって行くしかないところも多い。下をかいくぐっていると、あちこちに猪のねぐらとおぼしきところがある。そう言えば猪は昼間はこうした藪の中で寝ているはずと思い出した。なんとか猪にでく合わさないことを祈るばかり。この密藪は正味は15分ほどだっただろうか。ようやく道に出た時はほっとした。やれやれ、である。あらためて地図をよく見ると、稚児落としへのルート上の橋は二つと思っていたのだが、実はその手前にもう一つ別の橋がごく小さく記されていた。思い込みである。またしても…深く反省。30分以上のロス。

 道の有難さをしみじみ感じつつ、細い尾根を辿る。稚児落としはやはり絶景というか、魅力的というか、なかなかの迫力である。ここを登攀した人はいるのだろうか。とはいえ、史実であるかどうか定かではないが(たぶんある程度は実際にあったことだろう)、「稚児落とし=幼児を谷底に投げ落し殺した」のだから、恐いというか、陰惨な話、むごい地名ではある。

   ↓ 稚児落としの左岸側 左奥が岩殿山f:id:sosaian:20170108222327j:plain

 

   ↓ 稚児落としの右岸側 

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 いったん登りつめた先が天神山。祠があり、中には天神とおぼしき彩色された木造の立像が一体。神道の神像の場合、胡坐を組んでいる坐像が多いと思うのだが、立像というのもあるのだろうか。またその傍らには那智青岸渡寺の木札が置いてあったが、この両者の関係はどうなのだろうかと、少々疲れた頭で考える。また、この祠の前にはいくつものやや丸い石が置いてあった。それを見ていて、ふと思いついたことがある。

 

   ↓ 天神山の祠の中の神像と木札 

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   ↓ 祠とその前に置かれた石 

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 甲斐は石仏も多いが、それとともに丸石神と言われるものも多い。文字通り真ん丸い石が祀られているのだが、この尾根上ですら玉石、丸い石が多く見受けられるのだから、里でも同様な丸石が地中から畑地から掘り出されることは多いだろう。中でも甌穴(ポットホール)の中にあったものは、見事な真球に近いものがある。暴れ川と言われる桂川の河原で見られるようなそうした丸石が、他と違ってこの地ではしばしば地中から掘り出されることの不思議さと、丸さそのものの形が持つ神秘性と相まって、素朴な信仰の対象となったのであろうと。

 

 天神山からはもうすぐだと思っていたら、もう一つ兜岩と呼ばれるピークが立ちはだかっていた。その直下で道は左にトラバース気味に下降する。巻道かと思うとすぐに二分し、左は林間コースとある。右をとれば結局はピークに登ることになった。そこから何ヶ所か下降、トラバースと鎖場が続く。鉄鎖、ロープとしっかりしているが、スリルはあり、楽しい。楽しいが疲れていることもあり、慎重に下る。

 

   ↓ 岩殿山と大月の町並みを挟んで桂川右岸の山々 

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   ↓ 鎖場 その1 

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   ↓ 鎖場 その2

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 築坂峠からが最後の登り。道もこれまで以上にしっかりしたものになるが、ほどなくコンクリート舗装された階段状のものになる。左に岩殿城址の表示を見てそちらに入る。城戸門跡の巨岩の間を入り上に上がれば、城址の小広い空間。戦国時代についてはあまり興味がなく、知ることは少ないのであるが、「つわものどもが夢の跡」の感はする。おりからの夕暮れが近い富士の大きさがその感をさらに際立たせる。

 東屋や乃木希典の碑のあるところには岩殿山山頂634mの標識があるが、これはおかしい。地形図を見てもわかるように、その先の烽火台や本丸跡の方が明らかに高い。そちらにも634mの標識はあるが、紛らわしい。

 

   ↓ 烽火台跡 最高地点(?)

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 一通り見て、暗くなる前に下らなければならない。下りは東に延びる尾根を下るつもりで地図を確認したつもりだったのだが、またしても読みそこなってしまった。城址の中ほどの馬場跡から東に向かう路を辿れば良かったのに、いったん城址の入口の表示のところまで下り、そこから東に向かうのだと思い込んだのである。下っても下っても東に向かう道は分岐せず、もはや登り返す気力はなし。そのまま下る。まあこの大岩壁(鏡岩)の直下を下る正面登山道とでも言うべきルート自体も気にはなっていたのだから、それでもよいのだが、やはり少し残念である。九十九折りの味気ない舗装された階段の正面に美しく暮れなずんでゆく大きな富士が在った。

 

   ↓ 正面登山道より鏡岩を仰ぎ見る

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 ↓ 暮れなずむ富士

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 顧みて、稚児落としの登り口手前のルートミスと藪こぎ、岩殿山頂からの下降ルートミスという失敗はあったが、結果として今回の花咲山+岩殿山は変化のある、予想以上に良い山、良いルートだった。登り口からの標高差はそれぞれ300mと280mだが、それなりに登りがいのあるルートとなった。「山高きがゆえに尊からず」である。「山椒は小粒でもピリリと辛い」である。前山、裏山、里山というべき山であっても、二つをつなげれば充分登りがいのある山行になる。これから日の短い冬場は、少しそんなルートを探して登ってみようかなと思う。    (記2017.1.6)

  

【コースタイム】2017.1.6 晴れ

大月駅9:52~中真木バス亭10:33~女幕岩11:23~花咲山750m11:55~花咲峠12:20~叉平山610.1m12:30~中央道脇13:20~不動橋13:30~墓地~藪こぎ~登山道14:00~稚児落とし14:40~築坂峠15:35~岩殿城址16:05~烽火台・本丸跡634m16:15~大月駅17:00