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艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

逍遥画廊[Gallery Wandering] -2

逍遥画廊 [Gallery Wandering]

 

 

「光の柱」(498)

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              制作年:2006.3~2011.12  サイズ:34.4×24.4㎝

 素材及び技法:厚口和紙にアクリルクラッキング地+台紙(キャンソンラビーテクニック)

        に和紙、アクリル・墨・膠彩・アクリル・油彩転写・アッサンブラージュ

                    発表:S.29 個展 2012.10/あかね画廊/銀座

 

 私の絵の中でこの絵は、絵柄的には他にあまり類例がない。ポンと、突然現出したようなものである。きっかけはある。

 30年以上前の学生時代に、アルバイトでM市の市民絵画講座から、そしてその発展した絵画サークルで教えていた頃からの長い付き合いのNさん。10年以上前のある日、そのNさんと話していて、ミヒャエル・エンデの『モモ』の話になった。以前からその名は知っていたが、読んだことはなかった。日本では1976年に岩波少年文庫として発行とあるから、年齢的にも情報的にもタイミングが合わなかったのだろう。当時はいわゆる児童文学やファンタジー系統のものはあまり縁がないというか、むしろ苦手だった。それらを多少なりとも積極的に手に取り出したのは、40歳をすぎてから。

 彼女との長い付き合いの中で『モモ』の名が出たのは何度目かだったと思うが、そのころには『指輪物語』や『ゲド戦記』『守人シリーズ』なども一通り読んでいて、ファンタジーに対する抵抗感はほとんどなくなっていた。自分でも絵を描き、詩を書くNさんの『モモ』を愛する熱意にうたれた形で、初めて手に取り、読んでみた。感想としては、出会いのタイミングを逸したという感じ。読み終わった直後は非常に良い本だと思ったものの、よく評されるように、寓意性や思想性が勝ち過ぎているように感じられたのである。その結果、評価とは別に、感動の記憶として残っていないのである。10代で出会えばまた違ったかもしれないが。

 それでも読み終えた直後には印象が強く、この絵のイメージも『モモ』の中のどこかのシーンを、そのままイメージにしたもののようである。それが物語のどこで、どういう意味があったのかは、もう憶えていない。そのように、詩や小説や様々な本を読む過程で、あるイメージが突然一瞬に切り取られて、絵のイメージとして定着するということは、私の場合、しばしばある。イメージが私を訪れるのである

 

 画像を見ている内に思い出したのだが、もともと中央の楕円形の部分は、四角い台紙(洋紙:キャンソンラビーテクニック/現在は製造中止)に和紙を貼ったものに描いていたものである。それが全体としてはどうにも上手くいかず、ボツにするつもりだったのだが、廃棄するには惜しい感じが絵の一部にはあった。捨てかねてしばらくとっていた。ある日ふと、別の厚口和紙にアクリルクラッキングで地塗りした状態のものと並べてみると、ボツにする予定の絵の気に入っている部分を楕円に切り抜いて貼りつけるというアイデアが浮かんだのである。小さな絵だが5年もかかった所以である。

 わりと最近知ったことであるが、P.クレーもまた描きあげた自作をいくつかに切り分け、左右を入れ替えたり、別々の作品に仕上げたりということをしている。完成作とはしかねるが捨てるには惜しい自分の作品もまた、素材でありうるということだ。

 

 水面に落ちる滝のような、また噴出する光の柱でもあるような、そんなシーンがおそらく『モモ』の中にあったのだろう。挿絵でもあったのだろうか。記憶はない。本も手元にないので確認できない。まあ、できてしまったものはもう私のもの、私の世界なので、出典というか、きっかけを確認しても、あまり意味はない。

 ただし、特に背景の扱いについては、ヘンリー・ダーガーの作品の方法を使っていることは確かである。この時期は彼の作品にかなりの影響を受けている。絵具として膠彩(顔料を膠水で練ったもの)を多く使用しているのもその一例。ヘンリー・ダーガーの場合はグァッシュ(不透明水彩)であろうが、その絵具の中性的な不透明感に惹かれながら、もう少し不透明性を厚くしたかったのである。

 楕円はアクリルクラッキング地塗りの台紙に、細い真鍮の針金で縫いつけられている。その周りを同心円状にペリドット橄欖石)が糸で縫いつけられている。画面の四隅には螺鈿用の貝。下方には、トルコで買ったコーランの断葉の一部が転写されている。深い意味はないが、前提としての東と西ということ、つまり異文化・異世界衝突ないし交流ということ。

 滝、または光柱とそれを映す水面の波紋。洞窟または地下世界。それらの全体の、また画面の一つ一つの要素の意味合い、象徴性というものは、必要であれば、見る人が感じ考えればよいことだ。

 

 Nさんの記憶と結びついた、ちょっと懐かしい、少しばかり愛着のある絵である。

 そう言えばこの絵は東京で一度発表したが、山口県では発表していない。

 

 余談だが、『モモ』から名前をとったらしい、あの小さかったNさんの娘も、現在は画家として立派に活躍されている。

                          (2017.2.12)