読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

伊勢・大峰・大和への旅(観音峰山・三輪山) その2

4月12日 雨後曇り 強風

 前夜半から嵐。台風並みの低気圧だとか。朝になって雨は多少小やみになったが、相変わらずの強風。もとより八経ヶ岳へのアプローチの林道も通行禁止で、登りようがない。登山は中止、強風の中、天川村観光の一日である。今日もA君に付き合ってもらうことになった。感謝。

 最初に予定していた面不動鍾乳洞は、風雨のせいか、閉鎖されている。幸先が悪いが仕方がない。円空仏があるという栃尾観音堂に向かう。

天川村は2015年12月で人口1558人(「天川村公式サイト役場ページ」による。)というから、やはり過疎の村と言うべきであろう。それでも大峰山洞川温泉があるために、観光客は県内では奈良市についで二番目に多いそうだ。また、日本史で重要な意味を持つ南北朝について私の知るところは少ないのだが、調べれば面白そうである。その南北朝の歴史があらゆるところにまとわりついているのが天川村であるようだ。とはいえ、やはり人家は少ない。また、数年前の台風で大きな被害をもたらした土砂崩れの修復工事が今も続けられているのが、あちこちで見うけられた。

 

 ふと見ると道路の脇に立派な滝が落ち込んでいるのが見えた。みたらい渓谷だと言う。かたわらに遊歩道があるようで、これを見逃す手はない。行がけの駄賃とばかり、車を降り、遊歩道に入ってみる。沢の上にかけられた吊橋から滝を見下ろすことができる。強風のせいもあり、連瀑とゴルジュの、なかなかの迫力である。そもそも大峰・台高をはじめ、紀伊半島は沢登りの王国でもあった。私自身は結局、果無山脈の中級の沢、八木尾谷を一本登っただけで終わってしまったが、数々の豪快な沢に憧れたこともあった。その王国の片鱗に予期せず遭遇したということだ。連瀑の先にはナメとさらに滝が続いているようだが、遊歩道をこれ以上辿ってみても仕方がない。思いがけぬ出会いを写真に撮って車に戻る。

 

 ↓ みたらい渓谷を見下ろす 

f:id:sosaian:20170420213556j:plain

 

 ↓ ナメの奥にも滝がある  

f:id:sosaian:20170420213823j:plain

 

 円空仏の安置されている観音堂は、そこから少し行った天ノ川左岸の栃尾集落にあった。A君の顔見知りの方が堂守をされているとの由。そもそも「堂守」と言う言葉が今も生きているという事自体が驚きである。折よくそこに居合わせたその方に許可を得て小さな御堂の中に入り、三尊の立像と一回り小さな護法神を見る。格子戸越しでやや見づらいが、それはしかたがない。撮影は遠慮したが、中でも護法神の造形が味わいがあり、良いものと見えた。円空はいくつもの護法神を彫っているが、聞けばここのものはその最初のものだとのこと。そうした初めての作ということのみずみずしさも現れているように思われた。護法神ヒンドゥーに由来するものが多いが、円空のそれは、彼自身の個性をへて、見事に日本化された造形であった。基本的には宗教心を持たぬ私であるが、円空の意図するものの、少なくとも一部は、感知できるように思われた。

 

 ↓ 栃尾観音堂の外観  

f:id:sosaian:20170420213940j:plain

 

 一通り見終わって、外にあった案内板を読む。最後の方に書かれていた「昭和四十八年七月二十日より八月十四日まで、朝日新聞社主催の『円空・木喰展』に出展される」という一文が気になった。昭和四十八年、私は18歳。その年、私は浪人して東京に出てきており、「円空・木喰展」を見た記憶がある。確か、東京に出て初めて見た展覧会ではなかったか。

 

 ↓ 案内板  

f:id:sosaian:20170420214032j:plain

 

 私は東京に出てきて以来、見た展覧会のチケットはほぼすべてとってあり、今はそれらをファイルに整理して保存している。それ以前、東京に出て来るまで見た展覧会は、小学生の時に学校から引率されて見に行った「山下清」と、高校生の時に悪友と一緒にヒッチハイクで福岡まで見に行った「ミレ―展」の二つだけ。東京に出てきて初めて見たのがこの「円空・木喰展」だったように記憶している。

 帰宅後、確認してみたら写真のように、間違いなくその「円空・木喰展」のチケットが一番最初のページに貼ってあった。また、正確な年度はわからないが、同じページには「古代シリア展」、「大ポンペイ展」、「横山操展」などのチケットが貼ってある。つまり油絵科の受験生でありながら、油絵以外のものを多く見ていたことに、今振り返ってみても、何か自分らしいなという感慨を禁じえないのである。

 

 ↓ これが証拠の昭和48年のチケット。この護法神栃尾観音堂のそれではない。 

f:id:sosaian:20170420214125j:plain

 

 ともあれ、44年前に見ていたのである。偶然と言えば偶然でしかない。だが、もともとここ大峰に来る気になったのも、Fを通じてA君と知り合ったという偶然の所産である。それも山に登りに来たのであって、円空仏があるのを知っていたわけではない。そもそも予定通りに天気に恵まれ、山に登れていれば、ここを見に来ることはありえない。また堂の外の案内板に上記の説明文が記されていなければ、それが44年前に見たものであるということを気づきようがないのである。かなり精緻に織りなされた偶然である。世界はそのようにできている、ということか。後になってじわじわと感動が滲みだしてきた。

 なお帰宅後の事後学習で知ったのだが、この一帯は、栃尾観音堂や洞川温泉街、みたらい渓谷などを含めた55の項目をまとめて「森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしとこころ~美林連なる造林発祥の地“吉野”」として文化庁から「日本遺産」に認定されているとのことである。何とか百名山、何とか100選といった行政のお墨付きリストアップが大流行りだが、へそ曲がりな私としてはそうした他者の決めた価値観にはウンザリなのだが、まあ色々な考え方もあるということで、ここではあまり毒づくのはやめておこう。

 

 その後近くの「天川薬湯センターみずはの湯」で、昼風呂を味わう。

 いったん洞川まで戻ってみると、朝は閉まっていた面不動鍾乳洞が開いている。話のタネにと、材木の形をしたおもちゃのようなモノレールに乗って入口へ。内部は小規模なもので、色調が変化するライトアップはきれいと言えばきれいであるが、特段言うべきものでもない。近くには他にいくつもの鍾乳洞があり、中でも昨日の母公堂登山口近くにある、やはりA君のお祖父さんが拓かれたという五代松鍾乳洞はより見応えがあるらしいが、まだ閉鎖中とのこと。

 

 ↓ 面不動鍾乳洞 一巡20分ぐらい  

f:id:sosaian:20170420214237j:plain

 

 一通り見終わってこれも帰りがけの駄賃とばかり、動鍾乳洞の入り口から続く遊歩道に足を踏み入れてみる。20分ほどでかりがね橋なる吊橋にさしかかる。「かりがね」とはふつう「雁」のことだが、このあたりでは「岩燕」のことを言うとのこと。所変われば名前も変わる。落下防止のためだろうが、左右上下、金網で囲まれた吊橋というのも初めて見た。一応渡ってみたものの、そこからはまた登りになるし、雨がまたぱらつき始めるしで、降りて宿に戻ることにした。

 かくて曇天時々雨、強風下の観光の一日は終わった。

 

 ↓ かりがね橋  Kは高所恐怖症

f:id:sosaian:20170420214428j:plain

 

 

4月13日 曇りのち晴れ

 下山、春合宿解散の日。解散後、Kは東京へ各種健診に、F嬢は京都へ一人旅の途へ、私は葛城市在の友人宅訪問へと、三人それぞれの予定がある。せっかく名だたる桜の名所吉野の近くに来たのだからと、帰りがけの駄賃に、とりあえず人出の多い吉野を避けて、地元の人だけが知るという桜の古木が一本だけあるという穴場に向かった。吉野の近くの、限界集落の一画の高みにその古木はあった。あったが、残念なことにまだ蕾は固いまま。一期一会である。すぐそばの廃校となった分校跡地の満開の二三本の桜にわずかに気を紛らわせるものの、かえってKとF嬢は刺激されたようで、人出の多さをかえりみず、吉野に寄って行くという。その二人を裏道から送り届けて、A君と葛城市へ向かった。

 

 ↓ 隠れ吉野の古木 蕾は固し  

f:id:sosaian:20170420214537j:plain

 

 ↓ 廃校となった分校跡のこちらはきれいだった  

f:id:sosaian:20170420220129j:plain

 

 この辺らしい昼食をということで、吉野そうめん(にゅうめん)を食べに、たまたま入った店が、大神(おおみわ)神社のすぐそば。大神神社とは三輪神社のことなのか、とすれば当然裏にあるのは三輪山か?などと話しているうちに、登れるのか?ということになった。私は、三輪山は三輪神社=大神神社の御神体なのだから、登れないのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、あにはからんや、登れるという。修験道の本場大峰天川村に住んでいるA君にしてもぜひ登ってみたいと言う。(かつては実際に「禁足の山として入山が厳しく制限されてきました。近代になり、熱心な信者の方々の要望もあり、特別に入山を許可することとなり現在に至っています:大神神社HPより」とのこと。)

 行き当たりばったりではあるが、登山(登拝)口の狭井神社に行く。登拝料300円なりを払い、「三輪山登拝証」のたすきをかけさせられ、あれこれと禁止事項の多い注意をかなり高飛車に授けられる。「一般の登山・ハイキングとは異なる」そうだからやむをえないが、まあここはルールに従うしかない。ちなみに飲食は禁止だが、水分補給は可とのこと。撮影禁止もかまわない。トイレ禁止も納得はできるが、山に入るとトイレが近くなる私としては少々困る。だが仕方ない。しかし「九、宗教活動及び勧誘行為などは謹んで下さい。」というのは、揚げ足取りと承知で言えば、読みようによっては??である。登拝=宗教活動ではないのか。

 竹杖を手に登り始めると、実によく整備された歩きやすい道。狭井神社で渡された案内図によれば、神社の標高が80m、山頂=興津磐座?が467.1mだから標高差は約370m。ちなみに帰宅後確認した地理院地図では神社120m、三輪山山頂三角点466.9mだから標高差は約350mとなっている。どちらが正しいのか。

 

 ↓ 地理院地図による三輪山 またしても横にならない 

f:id:sosaian:20170420214755j:plain

 

 山全体が神域ということで、自然のままに保たれているはずで、照葉樹の多い南西日本の森林相であるが、特に面白いものでもない。出合う人もやはりハイキングではなく登拝ということなのか、粛々といった雰囲気である。御神体ということで裸足で登っている人も二三人いた。山としては、基本的には単なる里山で、祭祀遺跡であるという中津磐座なども特に注意をひくものではない。

 頂上と思われるところは興津磐座として一帯に立ち入り禁止のロープが張り巡らされており、その周りを一周することもできない。三角点の存在も確認できない。離れた処にあるのか。

 ともあれ、予定外ではあったが一山登った、それもずいぶんと由緒のある山に登ったということに満足して、下山にうつる。

 登拝口も近くなったあたりで傍らの小沢に向かって何人かが騒いでいる。「沢の中に何か動く動物がいる」。撮影禁止ゆえ使い道のなかったカメラのズームでのぞいて見ると、どうやらフクロウの子が巣から落ちて沢の中で鳴いているようだ。ヒナとはいっても大型。助けるべきだとか、神域だからそのままにしておくべきだとか、議論は続いているが、われわれはそのまま元の登拝口に戻った。近くの小公園の満開の枝垂れ桜越しに見た三輪山はやさしくおだやかな風情であった。

 

 ↓ 三輪山 

f:id:sosaian:20170420213330j:plain

 

 ↓ 記念写真 

f:id:sosaian:20170420215141j:plain

 

【コースタイム】4月12日 曇りのち晴れ

狭井神社12:55~三輪山頂上13:45~狭井神社14:25

 

 その後、ちょっとした必要もあり、桜井市にある喜多美術館に立ち寄る。個人コレクター(旧山林地主)による近現代美術の小さな美術館。小さいがなかなか良いコレクションである。ゴッホピカソからボイスやデュシャンの「グリーンボックス」「スーツケース」まである。言うならば吉野の山林が作ったコレクションである。ただし、私立ゆえの維持保存の苦労はそれなりにしのばれる。

 

 その夜は葛城市のF宅にA君とともにお世話になった。一晩心おきなく飲む。

 翌日は近くの當麻寺を見る。初めてだと思っていたが、途中で40年前の大学の授業、古美術研究旅行かあるいはその後に、一度は訪れたことがあることに気づいた。憶えていないものだ。

 その後、和歌山にあるFの別荘に行こうという誘いを振り切って、帰途についた。家を出てちょうど一週間。そろそろアトリエに戻りたくなったのである。

 

 蛇足ではあるが、今回、大峰、三輪山當麻寺と宗教関連の地を訪れる中でふと思い至ったことがある。それは仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、およそ「宗教とは善意から発して悪と成るもの」ということである。誤解を招きやすい表現だと承知しているが、世界のあちこちで見てきたそれぞれの場、建築等の施設の豪華さ、今現在の維持の熱意や行政との関係、等々を見てそう思うのである。多くの人は、多かれ少なかれ、宗教を必要とする。その必然性もわかるが、また「宗教はアヘン」と言われるゆえんにも思い至らざるをえないのである。

 

 もう一つ、疑問というか、謎が残っている。標高の違いについてはすでに述べたが、地理院地図の写真を見てもらえばわかるように、三輪山山頂に至るには三四本の道記号が記されている。頂上には三角点もあるはずだし、そこから東に延びる尾根上にも道記号が記されている。しかし実際三角点があるとおぼしきあたりは立ち入り禁止のロープ。尾根伝いに進むことはできそうにない。三輪山が信仰の対象だということはわかる。しかしそこは神社の私有地(?)なのか、厳しい規制をする権利がそもそも神社サイドにあるのか、地図には記載されている山道を自由には歩けないのか、という疑問である。

 まあ、宗教のからむこの手の疑問に深くかかわる気もないのだが、素朴な疑問としては、今もあるのである。

 

 ↓ 帰途の新幹線から見た絶品の富士 

f:id:sosaian:20170421002948j:plain

 

                       (記:2017.4.20)