艸砦庵だより

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「有朋自遠方来」 三ヶ月ぶりに登った王岳 (2017.9.5)

 Kから電話がかかってきた。有朋自遠方来。不亦楽。いや、共に山に行かざるべけんや、である。

 Kは本ブログにも、山と海外旅行の際の相棒としてたびたび登場する、中学・高校時代の同級生、高校山岳部のときの相棒。退職帰郷後も、郷里山口と東京と海外をしょっちゅう行き来している、せわしない男である。

 

 それにしても今年の夏は辛かった。そもそもまだ夏前の5月半ば、グループ展のさ中にギックリ腰になった。一応回復したと思われた6月初旬には上野原方面の権現山に登ったが、ほどなく再発した。今度は病院(整形外科)に行ったが、老化による筋力低下との診断。そうですか・・・。

 6月には風邪から気管支炎になり、10日ほど沈没。7月には60肩になり、左肩の痛みから腕の痛み、痺れへと移行し、指先の痺れが常時出るようになった。こちらは今も時々鍼治療に通っている。ギックリ腰も60(40、50)肩も40代から何度も経験しているが、良いものではない。ついでに(?)右足に魚の眼ができ、おまけに歯の具合も悪くなって治療に通った。散々である。

 女房の方も、7月に自宅の庭で足長蜂に眼球を刺され病院に行き、さらに8月には今度はスズメ蜂に太股を刺され、先の足長蜂の抗体ができていたせいか重症で、救急車で病院行き。以後女房も何かと不調。

 かてて加えて、今夏の猛暑と40数年ぶりとかいう19日連続の雨ですっかり体調が狂ってしまった。絶不調である。もともと夏は弱いのだ。それでも若いころは気力で制作に集中し、なんとかしのいできたが、今年はもうバテバテ。山やトレーニングどころではない。ブログを更新する気力もない。日々のわずかばかりの制作が精一杯。そのため、以前からの約束だった穂高行きもキャンセルのやむなきにいたった。仕方がない。もう限られたエネルギーは制作にしか向けないのだと、開き直るばかりの夏であった。

 そしてようやく秋めいて涼しくなった頃、上記のKからの電話である。すっかり腰の重くなっていた私には、まさに干天の慈雨。まさに、行かざるべけんや、である。

 

 前夜、Kは立川での飲み会の後、わが家で一泊。翌5日、朝5時起床のはずが、なぜか1時間遅れた。その後もアプローチの電車、バスの選択ミスが重なり、登り口の「いやしの里根場」バス停に着いたのは予定より1時間半も遅い11:25。私一人ならたぶん起床が1時間遅れた時点で中止している。Kの辞書には「山行中止」という言葉はないようだ。

 

 「いやしの里根場」は1966年の台風26号の集中豪雨で40数戸の家屋の内4戸を残し、他は流出または倒壊し、死者94名を出したところである。その後残った住民は西湖対岸に集団移住し、2006年以後、元の集落の復元・展示がなされ、観光施設として今に至っている。(以上、ウィキペディア「西湖によるいやしの里根場」から。なお本ブログの2015.7.14の『山行記5 富士周辺・節刀ヶ岳~鬼ヶ岳』では「40軒の家のうち3軒以外はすべて流され、200人未満の住民のうちの63人が亡くなられた」と記している。出典を明記していないため、数字の違い等の詳しい事は不明だが、今回は一応ウィキペディアの記載によった。)

 海外からの観光客も多いその「いやしの里根場」を後に、ともあれ歩き始める。

 

  ↓ 復元された茅葺の兜造りの民家群の奥から山に入る(撮影:K)

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 そこから主稜線上の鍵掛峠までは一昨年、一度下っている。その時、大石峠から節刀ヶ岳をへて立った鬼ヶ岳の山頂から見た王岳の山容がすっきりと魅力的に見え、ぜひ登りたいと、その時から私にとって課題となっていたのであった。

 

  ↓ 鬼ヶ岳から遠望する王岳への稜線(2015.7.13撮影)

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 まるまる三ヶ月山登りから遠ざかっていた身体に最初の1ピッチはキツイはずだが、歩きやすい路のせいか、意外にも脚は動く。言うまでもなくKのピッチはマイペースで速い。私が山に行かなかった三ヶ月の間に、Kは穂高を含めて5、6回は登っているという。まあ、身から出たサビ(?)ではあるが。

 

  ↓ 登り始めはこんな感じ。足裏にやさしく、登りやすい。

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  ↓ 岩を食む橅の造形

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 沢沿いの砂防ダム建設用の道から、やがて右手の尾根に乗る。下草のない樹林帯で展望はきかないが、登りやすい。左手、大岩の下の石仏を過ぎ、鍵掛峠着13:06。登り口からの標高差約600mだからまあいいペースだ。峠とはいうものの、標識のあるところは峠状をなしていない。そのまますぐ先の鍵掛という名のピークを目指して、主稜線の縦走に入る。

 

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 すぐ先で山向こうの鴬宿に下る路が右に分岐する。その先一登りで鍵掛1589m。とはいうものの、境界票石が一つあるだけで山名標識も展望もなく、およそ山頂らしからぬ所。今回のルートは地形図で見るかぎり、地形的にもすっきりと細長く延びる良い尾根なのだが、実際に歩いて見ると全体に樹林帯で、展望のきくところもほとんど無い。新緑やもう少し落葉した頃なら気持が良いだろうが、この時期でしかも曇天とあってはいささか魅力が乏しく感じるのもやむをえないところか。
 
  ↓ 鍵掛という名のピークだが、境界標石以外何もない。 

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 鍵掛からはゆるやかなアップダウンの歩きやすい尾根筋が続く。あいかわらず展望はないが、時おり現れる少しばかりの端境期の花に慰められる。といっても、早咲きのトリカブト(これだけは鹿も食べないようだ)と、遅れ咲きのハクサンフウロ以外は名前も知らないのであるが。
 
  ↓ トリカブトの群落が多かったが花期には少し早いようだ。 

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  ↓ 名前は…忘れた。 

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  ↓ これはたくさんあったが、名前は知らない。 

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 王岳周辺では多少の展望がえられる。西湖が見える。一瞬頭だけのぞかせた富士山もすぐに雲に隠れた。

 

 ↓ 西湖を見下ろす。遠方は足和田山 

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 ↓ この日唯一度見えた富士。この後一瞬にして雲の中。 

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 王岳の山頂はやはりあまり山頂といった感じがしない。三角点と山名表示板と、石仏のようなものがあり、お賽銭があげられている。近寄って見れば、日蓮宗の名号というのか(?)が石に彫られたもの。

 

 ↓ 王岳山頂右の石造物が日蓮宗物件。

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 甲州には日蓮宗の信徒が多いのだろうか、他でも新しいものが設置されているのをみかけたことがある。それがここにも置かれている。そう古いものとも思われない。古くから特定の(土着的)信仰と結びついた山は確かにあり、その意味での伝統はそれなりに尊重すべきだと思うが、言うまでもなく、基本的に山は特定の宗派のものではない。昔からあるものならばともかく、近年になってむやみに新たに設置するのはいかがなものであろうか。たとえそれが信仰のなせるわざだとしても。仮にそこに十字架やらヒンドゥーの神像やらがある日設置されることを想像してみればいい。

 

 ↓ 来し方を振り返る。雲が厚くなり、暗くなってきた。

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 遅めの昼食をとって、先に向かう。高度が下がる分、笹が路に覆いかぶさり、足元が見えないところが増える。先頭のKは蜘蛛の巣払いに大わらわ。御苦労さまです。

 多少のゆるやかなアップダウンを経ると、五湖山の表示がある。全く山頂とは言えない路の途中といった場所で、1340mと記されているが、地形図で見るとその手前の1330m圏あたりだと思われる。すぐ先が1340m圏の多少なりとも山頂らしさのあるところ。五湖山とあるからには富士五湖すべてとは言わぬまでもいくつかは見えるのだろうと期待していたが、見えるのは精進湖一つ。よくわからない山頂(山名)である。

 

 ↓ ここは笹藪がなく感じが良いところ。しかし暗くなってきた。

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 ↓ よくわからない五湖山の標識

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 多少の岩場混じりの小さな登高を二つ三つ繰りかえすと、ようやく女坂峠(阿難峠 1210m)に辿り着いた。

 

 ↓ 女坂峠。悲しい伝説の残るかつての生活道。

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 この峠を越えようとして子供と共に難に遭った母親の昔話が存在していることからわかるように、この峠は古くから山向こうの芦川とを結ぶ生活道だったのだろう。実際、下り始めれば、それまでの細い尾根筋とはうってかわった、幅広い九十九折りの歩きやすい路。数少ない帰りのバスに間に合いそうだ。そんなに急がなくても大丈夫だというのに、下りではペースが遅くなるはずのKのスピードは衰えない。ずいぶん余裕をもってバスの時刻に間に合った。山中誰にも会わない静かな山行だった。

 バスを待つ間に今日一日サポートしてくれ、圧迫し続けてくれたタイツを脱ぐと、ようやくほっとすることができた。

 その後、河口湖駅、大月を経由して八王子で降りて、夕食をかねた一杯に今日の山行を振り返った。

 

  今回の山行は私にとっては課題の山ではあったが、季節、天候のせいもあってそれほど好印象のものではない。しかし、課題を達成できたことはもちろんだが、それ以上に三ヶ月ぶりの山行ができたこと自体(それも珍しくコースタイム以上のスピードで)が、うれしいことである。Kよ、付き合ってくれてありがとう!

 山は逃げる。山は行ってナンボ。行けなかった山の計画にも味わいはあるにしても。

 ともあれ、今年はまだ四カ月近くある。暑さも終わったこれから、せいぜいがんばって山行に励むことにしよう。それにつけても強力なのは、外的推進力=相棒であると、今さらながら思うのである。

 

【コースタイム】2017.9.5 曇り

河口湖駅~いやしの里根場バス停11:25~鍵掛峠13:06~鍵掛1589m13:30~王岳1623.4m 14:27-14:55~五湖山16:10~1340m峰16:25~女坂峠16:53~精進バス停17:20~河口湖駅