艸砦庵だより

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ふるさとの山 狗留孫山と三十三霊場めぐり (2017.11.6)

 前回の山行からまた二ヶ月空いた。この間、個展やら、息子の結婚式やら、いろいろあったのだが、何より大きかったのは天候不順である。ちなみに東京の十月の一ヶ月間の降雨日は23日で、過去三番目に多かったとのこと。しかし今さらそんなことを言ってみてもはじまらない。

 そうしたこととは関係ないが、今年は父の十七回忌である。そのための帰郷と合わせて、あれこれと予定を組んでみる。いつもの高校山岳部OB何人かと県内の日帰り山行をすることになったが、それだけでは物足りないので、もう一つ近場の日帰りの山に行くことにした。

 

11月4日

 朝、東京発。徳山で一つ所用を済ませ、夜は下松の姉夫婦宅に投宿。義兄と飲む。

11月5日 

 旧徳地町野谷の徳祥寺での法事を済ませ、さらにいくつかの用事をすませた後、いつものように防府のK宅にごやっかいになる。夜は二人で飲みに出かける。

 

11月6日(月曜)快晴

 当初の予定ではこの日は旧鹿野町の馬糞ヶ岳に山岳部OB会の皆と登り、8日にKと二人で狗留孫山に登る計画だったが、メンバーの都合により日程を入れ替えた。

 

 朝食後、ゆっくりと出かけ、車で登山口の旧徳地町(現山口市)堀の法華寺に着く。寺の正面手前には「法華寺(金徳寺跡)」の説明板があり、本堂には「東狗留孫山三十三カ所霊場 観世音菩薩配置見取り図」の図が掲げられていた。しかし、「法華寺(金徳寺跡)」の説明板には明治維新奇兵隊との関係は記されているものの、寺そのものについては何だか要領をえず、山中の三十三霊場についてもよくわからない。

 

 ↓ 登山口となる法華寺

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 ↓ 三十三霊場の案内図 右上が登山口方向 とりあえずこの撮影時点では何が何だかさっぱりわからなかったが、山行中はこの図がずいぶん役に立った。

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 「東狗留孫山」とあるのは、山口県にはもう一つ、西方の下関市(旧豊田町)にも狗留孫山(別名:御岳)があり(知名度ではそちらの方が高いようであるが)、それに対して東と冠したものだろう。

 狗留孫というのがわからない。三重と奈良の県境上にも倶留尊山があるが、これも同主旨の山名であろう。帰宅後調べてみると、狗留孫とは「実に妙なる成就」の意で、「過去七仏の一つ。過去七仏とは釈迦仏までに(釈迦を含めて)登場した7人の仏陀をいう。拘留孫はその四番目。」(ウィキペディア)とあるが、ただし「この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です」とある。結局よくわからずじまい。いずれ,、ヒンドゥーの影響を受けたりして、仏教が複雑錯綜化していったということなのだろう。

 

 ともあれ、寺の右の道に入り、すぐに中国自動車道を渡る陸橋を越えると、案内板がある。舗装された階段の登山道が続くようだが、すぐに左から山道が入ってくるので、そちらを進む。間もなく大きな石の鳥居が現れる。鳥居といえば神社であるが、この先に記されているのは卍の記号。神仏習合時代の名残であろうか。路は風化花崗岩穿った溝状のところが多いが、歩きやすい。古くからそれなりに良く歩かれているようだ。周囲は常緑広葉樹を主とした自然林。いかにも南西日本の山の植生、雰囲気である。

 

 ↓ こんな感じ

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 ↓ 三丁目の丁目石と石仏(地蔵)

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 路のかたわらには、時おり石仏とセットになった丁目石(丁塚)が出てくる。石仏は地蔵のようだ。路はおおむね見通しのきかない樹林の尾根上を行くが、雰囲気は明るい。ときおり紅葉もまじるが、やはり常緑樹の割合が圧倒的に多く、紅葉の山という感じはしない。

 

 ↓ 何丁目めだか? 根に巻き込まれて浮いている

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 ↓ 尾根上の路を行く

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 ほどなく十五丁目で、「狗留孫山霊場入口」と刻まれた石柱があった。ここが結界ということか。かつてここから先は女人禁制だったとのこと。そのすぐ先に何やら和歌らしきものが刻まれた巨岩がある。そんなものに興味のないKはさっさと通過するし、風化と苔のせいもあって読み下せなかったが、帰宅後調べてみると御詠歌岩と言われるもので、「八重がすみ 峰よりかけて狗留孫の 仏のちかいたのもしきかな」と刻まれているとのこと。

 

 ↓ 「狗留孫山霊場入口」

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 ↓ 1番目の摩崖仏

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 そのすぐ先に最初の摩崖仏があった。かたわらには「1」と記されたパウチされた番号札がかけられている。摩崖仏とはいっても昨年訪れた臼杵のそれのような、立体的に圧倒的に彫り出されたものではなく、道端の大岩に小さく、浅くレリーフ状に刻まれたもの。どちらかと言えば、可憐というか、可愛い感じのものである。手前には地蔵と思われる小さな石仏が置かれている。この日は三十三カ所の摩崖仏の内の約三分の二ほどを見たのだが、図像的には如意輪観音や千手観音等の違いはあるが、設置状況等はほぼすべて同様である。

 そのすぐ先に小さな御堂がある。こぢんまりとした良い感じだ。屋根はこの地方特有の赤い釉薬をかけられた石州瓦で葺かれている。案内図には奥の院と記されていたが、麓の法華寺奥の院ということなのだろうか。そもそもここの霊場や摩崖仏がいつ頃のものなのか、どういう性格のものなのか、私は今も知らないのである。地元の図書館などで調べればわかるのだろうが…。

 

 ↓ 奥の院

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 ↓ 12番(だったか?)

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  ↓ 穴観音への途中から佐波川右岸の山なみを見る

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 奥の院から左の分岐を進むと「穴観音」への標識がある。なるべく多くの摩崖仏も見たいが、穴観音といういわくありげな名前にも惹かれる。案内図では路は行き止まりで、往復することになりそうだが、すぐ近くにありそうに思われて、そちらの路を選ぶ。路はおおむね山腹をトラバース気味に続いているが、案外と長い。やがて「穴観音」の標識のすぐそばに「山頂」への標識が現れ、戸惑う。要領を得ぬまま路を辿ると、ほどなくその前に出た。それは大岩に穿たれた直径20~30㎝ほどの穴。人工的に広げられたようにも見える。中には小石がいくつかあるだけで、仏像等は何もない。釈然としないままに、もう一度ゆっくり全体を眺めてみると、かたわらに金精様の形をした岩が、その先を穴に向けて置かれているのに気づいた。やはりそういうことか。

 

  ↓ 看板の右の石が金精様

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 とは言え、この穴観音と金精様は三十三霊場とは本来は無関係なのではないか。場所的も離れている。そもそも西日本(の山)には金精信仰はあまり無いのではないかと思う。私が知らないだけかもしれないが。当初は小さかった穴を見つけた後世の誰かが、それを広げ、半ば冗談で金精様の形をした岩を探し出してわざわざ設置のではないだろうか。それはそれで、まあ悪い話でもないが、などと思っていたら帰宅後、この穴観音は「『防長風土注進案』堀村の寺院の項には、穴観音について「是より奥の院に穴観音方九尺位の石の中に尺位の穴あり、深サ曲がりてしれず、内は水晶石なり、是を出現石といふ」とある。」という記述を見出した(「鷲ヶ嶽・狗留孫山(剣谷川ルート)」 山へgomen … 山口県の山歩き記録 http://gomen.blog.so-net.ne.jp/2014-03-25 )。やれやれ、わからないもんだ。

 なお『分県登山ガイド 山口県の山』(中島篤巳 1995年 山と渓谷社)には「穴地蔵分岐」という記述があるが、どういうことだろう。

 

 岩観音の所から標識に従って尾根をほんの少し登ればすぐに主稜線上の通常ルートと合流する。いったん鞍部に下り、若干の急登で狗留孫山の三角点の設置されている543.9mの頂上に着いた。

 

  ↓ 頂上にて。11月とは言え、暖かくTシャツ一枚。このあと一組の登山者夫婦がやってきた。この日会ったのはその二人だけ。

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  ↓ 頂上からの展望

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 小ぢんまりとした頂上だが、気持が良い。東から南にかけての展望が良く、ススキの穂の向こうに、ふるさとを貫く佐波川方面が良く見える。標高は低いが、懐かしい山々。大都市近郊と異なり、こうした地方の山では一部をのぞいて、山道はどんどん消滅していきつつある。そのため縦走や周回ルートがとれなくなり、同じルートを往復せざるをえない場合が多く、もったいないことだと思う。ここの山頂には北に延びる尾根に向かうと思われる薄い踏み跡があったが、今はそれを辿ってみる余裕はない。それに心を残しつつ下山にうつる。

 

 穴観音へのルートと合流したすぐ先に狗留孫山方面を指す標識があった。それに手書きで「ここは510mピーク(昔はここが山頂?)」と書かれていた。しかし、上記『分県登山ガイド 山口県の山』には「標高510㍍の展望の峰、さらに尾根をたどると狗留孫山山頂に着く。頂上には石仏。東に石ヶ岳方面180°のパノラマが展開する。」とある。さらに「544㍍の山頂三角点はこれから西に25分であるが、ヤブ漕ぎ道であり、すすめるほどではない。」と記されている。この山に以前登ったことのある後輩のTによれば、確かに数年前まではヤブだったとの由。当時の山頂の正確な位置関係はわからないが、その標識の近くには石仏が一体あり、そこが旧山頂であろう。展望はきかない。ヤブの繁茂しやすいこのあたりでは、刈り払いをしなければあっという間に木々が繁茂し、況や景観は変化するのだろう。なお510mピークを狗留孫山、543.9mピークを鷲ヶ嶽とした記録もある(上記「鷲ヶ嶽・狗留孫山(剣谷川ルート)」)。

 

  ↓ 旧山頂510mピーク?

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 尾根道を辿っていくうちにシダの群落の中を降りてゆくようになる。風化花崗岩とこのシダは相性が良いのか、このあたり一帯の山によくある景観である。緑が輝き、他では見られない私の大好きな風景だ。ただし足元が見えなく、滑りやすいのが難。

 

   ↓ 緑金色に耀く羊歯

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  ↓ シダの群落の中を駆け下るお地蔵様

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 そうこうしている内に26番から33番へと至るコースとの分岐となり、右の25番から13番へのコースに入る。いくつもの摩崖仏が出てくる。場所や向きによっては風化が進んでいたり、苔に覆われたりしていて、パウチされた番号札がなければ見落としそうなものも多い。図像は正確にはわからないが、千手観音や如意輪観音が多いようだ。ほぼ同じような大きさで、下に地蔵が置かれているのも同様。岩に当たる陽ざしと、樹々の影と、苔とに同化しているような風情である。

 

  ↓ 光と影と苔とたわむれる観音様たち

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   ↓ 何番目だかの如意輪観音 解脱と諦念と慈悲の表情? この像が一番好きかも

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 途中、当方遙拝所と記された展望の開けたテラス状のところがある。その先で先の穴観音への分岐と合流する。奥の院からは御堂の裏手に回る。「悪人戒め岩」という直立した岩がある。そちらに回ったせいか、御堂のわきにあったはずの「御勅願岩」は気づかずじまい。その先に「西院ノ河原」とあったので「東院ノ河原」もあるのかなと思っていたが、しばらくして西院ノ河原=賽ノ河原であることにようやく気づいた。

 

  ↓ 悪人戒め岩

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  ↓ 光と影と石仏と

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 まもなく1番の摩崖仏に出て往路と合流。以後、往路を戻る。中国自動車道の陸橋を越えたところにもいくつかの石仏があったのに気づいた。その一つである青面金剛が吾々をみて笑っているように見えた。

 

  ↓ 登山口近くにある青面金剛

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 今回の標高差は420m。頂上往復だけなら3時間かからないところを、あれやこれやと楽しみながら4時間かけて登った。丁目石、奥の院、穴観音、摩崖仏、その他、楽しみどころの多い、良い山行であった。

 その後近くのロハス島地温泉で一浴。夜は山岳部OB会のメンバーとの飲み会で一日を終えた。

  

【コースタイム】2017.11.6 快晴 同行:K(高校山岳部同期)

法華寺10:10~奥の院11:20~穴観音11:40~狗留孫山543.9m頂上12:05~法華寺14:20