艸砦庵だより

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「ふるさとの山 その3」 これまでに登った最も低い山 天神山 (2017.11.9)

 11月9日木曜

 東京を発ってから6日目、帰京すべき日である。予定していたコンテンツはほぼすべて消化した。

 前夜は馬糞ヶ岳から帰ってきてから、K宅で野郎三人で鍋を囲んで飲んだ。5日連続だ。思い残すことはない。あとは駅に行く途中で、「山頭火ふるさと館」にちょっと立ち寄って見るだけである。途中下車してどこかの美術館を見るのも良いが、正直言って疲れた。満腹である。ということで、さっさと帰ることにする。

 朝食後、山道具や着替えを詰め込んでふくらんだザックを宅急便で出しに行く。いったんK宅に戻って、デイパックとショルダーバッグのいでたちで家を出る。4泊もさせていただいたKのお母さんには感謝のしようもない。

 

 さて山頭火ふるさと館経由、駅に向かうかと思いきや、Kが「天神サマに行こう」と言う。天神様とは日本三天神の一つ、防府天満宮のこと。10分もあれば行けようが、子供の頃からさんざん行っているし、今さら行く気もしない。「いや、天神様ではなく、天神山だ」と言う。天神様は天神山の南山麓にあり、K宅は天神山の西山麓にある。そんな気はまったくなかったのだが、登るとすれば50年ぶりぐらいだろうし、低山ではあるが案外良い感じらしいということも知っていたので、急ぐ旅ではなし、まあ付き合ってみるかという気になった。

 帰郷して以来、Kは日々のトレーニングとして、裏山にあたる天神山を歩いているらしい。確かに玄関から登り口まで3分なのだから裏山歩きとしては最高の位置関係だ。かく言う私も自宅玄関から最短3分で登り口がある高尾山から、尾根続きの網代城山や弁天山などを裏山歩きの場としている。言うまでもなく、高尾山といってもあの有名観光地の高尾山ではなく、あきる野市高尾にある高尾山である。この地の産土神社である高尾神社の裏山だ。あきる野市高尾=旧五日市町は山に囲まれた盆地なので、ほかにも横沢入り・天竺山、秋川丘陵、金比羅山など、1時間半から2時間程度の300mクラスの裏山・里山歩き=裏山散歩の場にはことかかない。弁天山や秋川丘陵はガイドブックにも取り上げられている。

 地図で確認してみたらK宅が標高10mくらい、天神山が166.8mで標高差約155m。私の家の標高が約180m、網代城山が330.7mで標高差約150m。共に玄関から3分で登り口、30分ほどで頂上という、ほぼ同じ環境にあることがわかった。偶然とはいえ、おそろしい(?)もんだ。

 登り口は道路わきの「足王様」という小さな社。猿田彦が祭神で、古くから足の神様として信仰されているとのこと。私がその存在を知ったのはK宅に初めて泊まった昨年の事だが、有名になってきれいに整備されたのもやはり近年のことだという。今は観光スポットとしてある程度有名らしい。山登りをする身としてはまんざら縁がないわけでもないし、猿田彦=足の神様というのもわからなくもないが、「足王様」とはねえ…。

 その足王様の左わきを少し行った先から登りはじめる。入り口には大きな案内図がある。何年か前に遊歩道として天神山全体にいくつものコースが設定整備されたらしいが、詳しいことは知らない。またいくつもあるらしいコースの全貌も、今のところわからない。地理院地図を拡大して見ると、確かに多くの路があるようだが、それがこの遊歩道全体と正確に対応しているのかどうかはわからない。

 

 ↓ 登り口 最初は簡易舗装の道 

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 すぐに整備された幅広い階段となり、それがほぼ頂上まで続く。整備はされていても階段状なので、かえって登りにくい。整備自体は良いとしても、そもそもこんな階段が必要なのだろうか。おまけに鉄鎖の柵まで。行政のやることはまったく・・・。

 

 ↓ こんな感じ 鉄鎖の柵が興をそぐ 

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 すぐに左手、北西に右田ヶ岳が見える。長く両翼を延ばした秀麗豪快な山容である。標高は低いが、視覚的な点だけで言えば、私の最も好きな山の一つかもしれない。その右奥に連なる三谷山、八幡山、山口尾なども、いつか登ってみたい山々だ。

 

 ↓ 右田ヶ岳遠望 右は山口尾(?)方面 

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 路は途中でいくつかの分岐があるが、Kの後を付いていけばあっという間に166.8mの頂上に着いた。頂上にはいくつかの花崗岩の大岩があり、ミニヨセミテとかミニカッパドキアと呼びたいような良い感じである。いや、さすがにほめすぎか?せいぜいマイクロヨセミテ、マイクロカッパドキアという程度。

 

 ↓ 頂上三角点 奥に見えるのが桑山 

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 ↓ 頂上のヨセミテ風の大岩に立つ

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 ↓ 頂上よりカッパドキア風の大岩群の向こうに防府市中心部を見下ろす

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 しかし傍らには、説明板や航空標識用の電柱といった無粋な人工物がいくつもある。航空標識は防府市自衛隊の飛行場がある以上、不要とはいえないかもしれないが、他はさほど必要とも思われない。惜しいことである。

 ともあれ、予想以上に素晴らしい360度の展望に気を良くし、楽しむ。南には山口県最大の防府平野の先に海が光って見える。(建物が多すぎる…。)右手南西方向には佐波川の流れと、その右岸の西目山、楞厳寺山。左手、東から北にかけては大平山とそれに連なる矢筈ヶ岳、多々良山。わがふるさとの山。それらをつなげて歩いてみたいと思う。

 

 ↓ 南西 佐波川と右岸の山々

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  「ふるさとの山に向かいて言ふことなし

   ふるさとの山はありがたきかな」

 

 ↓ 左 矢筈ヶ岳 その手前 多々良山 右下は競輪場

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 この頂上には50年前後前の小中学生の頃に二三回登ったことがあるはずだが、おぼろげにしか憶えていない。その時は遊びの延長でしかなく、少なくとも山登りとしての意識はなかった。Kはここが子どもの頃の遊び場だったという。そして今は還暦をとうに越えた彼の裏山歩き=トレーニングの場。

 彼が実際に歩いているのはどの程度の頻度なのかは知らない。私の場合は年に40回程度(別に本来の「登山」が10回少々)。むろん山を歩くこと自体が好きなのはいうまでもないが、理念としては山登りのトレーニングであり、心身の健康のためである。なるべく多く、できれば毎日、せめて週3回は歩くのが良いと思っているが、実際にはなかなかそうは行かない。

 

 そう思いだし、多少なりとも実践し始めたのは、多少のきっかけがある。9年前に死んだ母が、自宅の近所の桑山(くわのやま)という標高107.4mの山に、ほぼ毎日登り続けていたのを知ったことである。近所とはいっても自宅から登り口までが約1.5㎞ある。そこから標高差100m少々の「散歩」をし、しかも途中の広場で仲間たちと体操を、よほど天気が悪いとか、体調が悪い時以外は、毎日していたのである。正確にはわからないが、80歳で亡くなる直前まで、おそらく10年以上続けていたようだ。その事を知ったのは私が40台半ば、母が70歳台前半ぐらいの頃だったろうか。多少心配ではあったものの、健康のためと言うのだから止める理由はない。

 

 母がそのような「毎日登山=散歩」をしていたのは、70歳前後から海外旅行に行き始めたということが大きな理由だったようだ。海外旅行など夢だった時代と環境に生まれ育った母が初めて海外に行ったのは、1994年66歳の時。中国戦線で6年間兵士として戦った父の戦跡再訪ツアーも兼ねたパック旅行に同行したのが初めて。その後2001年に父が死んでからは毎年のように、多い年は年に三度も行っている。むろん友人と誘い合わせての、「簡保の旅」とかが主の、パック旅行である。その頻度に私も少々驚き、心配でもあり、多少の苦言を呈した憶えがある。少し気を悪くしたらしい母は以後、行って帰ってきたあとでのみ報告するようになった。その、ある程度の全体像を知ったのは、遺品整理の際にパスポートを見つけ、その中身を見て知った時である。あらためて驚いた。

 ともあれ、その海外旅行をすることによって、歳をとってからやりたいことをやるための、健康であることの必要性を感じ、「毎日登山=散歩」をやり始め、やり続けたということのようだ。ちなみに死ぬ二三年前には富士山(!)にも登っている。それまで山登りなど、たぶん、したことはないと思う。心配して同行した20歳年の離れた妹を含めて、ツアーメンバーの三分の二は途中リタイアしたそうで、当然、母はそのパーティーでの最年長登頂者であったとの由・・・。何をかや言わん、である。

 毎日登山と言えば、ちょっと脱線するが、「一万日連続登山」を目指して9738日目で倒れた東浦奈良男さんという人を取材した『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』(吉田智彦 2012年 山と渓谷社)という本がある。達成間際に倒れたとはいえ、26年以上、毎日雨が降ろうと何があろうと登山し続けるということ。信じられない。何か「業」のようなものも感じさせるが、私自身は面白く、興味深く読んだ。 

 

 話がだいぶ思わぬ方に流れた。

 天神山頂上からの大観を充分楽しんでから下山に移る。三日前の狗留孫山と同様の花崗岩の大岩があちこちにある。水流で掘りこまれた正面コースを下る。東道とか忠魂碑コースとか鐘秀台コースとか酒垂下山道とか、いくつものコースがあるようで、それらのいくつかが分岐合流し、気がひかれるが、それはまた別の機会に。あっという間に天神様=防府天満宮に降り立った。

 

 ↓ 頂上を振り仰ぐ 電信柱は航空管制標識用

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 ↓ 下山路 あまり手入れされていない自然林の中の風化花崗岩に掘りこまれた路

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 参道の石段を下りて、大鳥居から3分。楽しい寄り道をしたあげく、ようやくオープンしたばかりの「山頭火ふるさと館」で「山頭火の句 名筆特選 ~百年目のふるさと~」展を見ることができた。芸術文化に対してはいたって冷淡な気風を持つ山口県防府市でようやくできた施設ではあるし、ある意味、極道の限りを尽くした山頭火を受容し難かったのももっともだと言えなくもない。だから今回はあまり冷やかに批評するのはやめよう。あまり上質なものとは思えないが、とにかく山頭火の真筆も見ることができたことだし。

 

  「分け入っても分け入っても青い山」

  「雨ふる故里ははだしであるく」

  「どうしようもない私が歩いている」

 

 最後に山頭火ふるさと館の前の蕎麦屋で、意外と美味かった鶏竜田揚げ蕎麦とビールの昼食。やれやれ、これでようやく帰宅することができる。そのビールのせいか、新幹線の中ではほとんど寝ていた。

  

【コースタイム】(2017.11.9) 晴れ

とっていない。2時間近く楽しんだと思うが、最短コースなら天満宮から登って下りて1時間以内。

 

付記1

 私はこれまで登った山はすべて「山行一覧」として記録している。基準としては、標高は関係なく、例外もあるが、だいたい歩行3時間程度以上ということ。したがって1~2時間程度の「裏山歩き=山散歩」は、ふつうは「山行」としてはカウントせず、リストには記載しない。したがってこの天神山は「山行」ではなく「山散歩」ということになる。しかし、考えてみれば、「山高きをもって尊しとせず」という言葉もある(?)。ふるさとへの愛着も、山そのものの良さも含めて、今回は山行として扱うことにした。かく、駄文も記した次第である。

 ついでにいえば、作成途中ではあるが、「標高順山行一覧」というリストも作っている。自分の登った山を標高順に並べたものである。それを見るとこれまで登った山で100m台のものは、奥武蔵の天覧山197mとあきる野市の滝山丘陵の170.7m峰の二つだけ。低くても山は山。

 しかし、それらより低い天神山は、登った山としては最も標高が低いという点で、むしろ意味があるのではないか。あ!今、気づいたが、桑山107.4mもあった(その尾根続きにはもっと低い井上山もあったが、現在は上に施設ができて、山頂そのものがなくなったらしい)。これはリストに入れ忘れていた、というか、やはり登山としての意識がなかったのである。麓に母校防府高校があったということもあって、10回以上は登っているはずだが、いつか再訪することがあったら、そのときあらためてリストに載せることにしよう。

 

 

付記2

 天神山は別名「酒垂山(さかたりやま)」とも呼ばれるが、「山の中腹にある岩からの湧き水が飲料水として用いられていたが、東大寺再建のために防府に来た重源が松崎天神の加護を求めて社殿の造営をしたところ、湧き水が酒に変わったとの言い伝えもある。(例によってウィキペディア)」とのことである。天神山=酒垂山ということはなんとなく知っていたが、その所以は今回初めて知った。

 ちなみに私の母校の佐波中学校校歌の2番の歌詞には「山は紫 酒垂の 古き韻の 花かげや」とある。1番の歌詞はかろうじて憶えていたが、この2番は酒垂の一語しか憶えていなかった。

 

付記3

 この機会に母が行った海外旅行の一覧を付しておく。むろん、何の意味もない個人的な感傷ではあるが、どこか今現在の海外旅行好きの私自身に重なるところからの、そして親を心配させ続けた息子からの、ささやかな供養であると思って看過していただきたい。

 

① 1994年1月20~25日 

 中国/石林・桂林 香港経由(初めての、そして父と一緒の最初で最後の海外旅行)

② 1995年12月11~13日

 韓国/ソウル

―2001年父死亡―

 

? 2002年12月12~15日 (詳細不明)

 ?

③ 2003年11月15~20日

 ハワイ

④ 2005年2月6~13日

 中国/大連・旅順

⑤ 2005年9月2~5日

 台湾/台北

⑥ 2005年10月27~30日

 ベトナムサイゴンメコンデルタ

⑦ 2005年2月6~13日

 メキシコ/メキシコシティメリダ・チチェンイッツァ・ロンクン

⑧ 2006年2月11~18日

 フィンランド・ロシア/ヘルシンキ(市内)・モスクワ・サンクトペテルスブルグ

⑨ 2006年7月4~8日

 中国/山東省 曲阜・黄山・泰山・青島

⑩ 2007年2月11~17日

 インド/デリー・ジャイプール・アグラ・ベナレス

⑪ 2007年8月22日~9月2日

  ブラジル・ペルー/イグアスの滝マチュピチュ・クスコ

⑫ 2008年2月21~28日

  フランス/南仏+モン・サン・ミシェル

―2008年 母死亡―

 

*(2005年から2007年の項の年月日に疑問があるが、今確認する余裕がなく、とりあえずそのまま記載しておく)

                        (記 2017.11.15)