艸砦庵だより

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晩秋の南大菩薩・殿平~鞍吾山~沼沢ノ峰 (2017.11.21)

 今回の山は南大菩薩の、殿平から鞍吾山をへて沼沢ノ峰*に至り、その南東尾根を下ろうというものである。数年前から何となく気にはなっていたが、大菩薩連嶺の主脈からはずれた、いかにもマイナーな支尾根上の山であり、さほど魅力も感じず、積極的に行く気にはならずいた。例によって、地形図にも山と高原地図にも、殿平以奥は山名も道記号も記載されていない。

*文献により「沼沢ノ峰 沼ノ沢峰」、現地の山名板には「沼ノ沢ノ峰」と表記に違いがあるが、ここでは「沼沢ノ峰」で統一。

 

 しかし、単独行で、運転免許を持たないため、駅近くの、または駅からバスでということになると、自ずと行く範囲は限られ、年と共に近場で未登の山、未登のコースがなくなってくる。特に私が行きやすい相模湖駅笹子駅間ではそうなってきた。その結果、いわゆるマイナー・バリエーションルートといった趣のあるところしか、行くところがなくなってきたというわけだ。

 もともと沢登りや雪尾根を好んでやっていたのだから、マイナールートやバリエーションルートは好きだったのである。ガイドブックに出ていない、つまり人のあまり入らないルートは、登山本来の、個人と自然そのものとの、原始的かつ直接的なふれあいが可能であり、その未知性の魅力に惹かれていたのである。だからその頃は、ガイドブックに出ている、いわゆる無雪期の一般ルートには行く気がしなかった。(今はだいぶ違うが…)

 むろん、マイナーであったりバリエーションであるには、それだけの理由、欠点というか、難点がある場合が多い。技術的な問題がある場合は、誰でも行けるというわけにはいかないから、当然マイナーかバリエーションにとどまらざるをえない。岩登りや沢登り、冬山は一部をのぞいて、当然、基本的にバリエーションである。

 また、展望がないとか、ヤブが多いとか、あるいは特徴的な魅力に欠けるといった理由で人気が出ないルートもあるだろう。そうした欠点や難点のゆえに結果として、マイナールート、バリエーションルートにとどまらざるをえないということか。しかし、そうした欠点や難点が逆に魅力になったり、評価できる場合もないわけではない。それは行ってみなければわからない。

 

 今回のルートの殿平~鞍吾山~沼沢ノ峰の間は、ネット上にもいくつも上がっている。それらのほとんどは、沼沢ノ峰から上部は滝子山へ抜けている。下りを入れれば、ざっと見て実質8時間以上かかる。休憩を入れれば10時間近くかかるだろう。しかも最上部の滝子山にぬける直下の急登が厳しいとのこと。今の私には荷が重い。

 『新バリエーションハイキング』(松浦隆康 2016年 新ハイキング選書)に「恵能野川、藤沢川の流域」として「⑥瑞岳院―岩カモヤ―沼ノ沢峰」が出ていた。そこに沼沢ノ峰の南東尾根が記されていたのである。といってもその時、記事そのものは読んでいない。概念図を見て、破線を手持ちの2.5万図に写しただけ。ある日、その2.5万図を見ている内に、沼沢ノ峰からその南東尾根を下れば良いと思いついた。道記号のない南東尾根を下りきれば、そこの二俣から先は破線が記されている。歩程6~7時間、実質7~8時間での山行計画が完成である。

 

 ちなみにこの松浦隆康氏には、他にも『バリエーションルートを楽しむ』、『バリエーションハイキング』(2007年 2012年 新ハイキング選書)、『静かなる尾根歩き』(未所有 2007年 絶版)などの著作がある。いずれも膨大な量のバリエーションルートが収録されている。

 基本的に価値観、主観等をまじえない簡潔な記述なので、必ずしも親切とは言えないが、基礎的情報源としては宝庫である。ただし、紀行文ともガイドとも言い切れない記述のスタイルであるため、ある種の解読力なくして安易にガイドブック代わりに参考にすると、ルートによっては危険である。要はある程度以上の経験者向きの本だということだ。いずれにしても大した本である。それにしても、まあ、よくこれだけの数の山に行かれたものだと、感心する。

 東京近辺を対象としたこの手の本は他にもいくつかある。大都市ゆえに絶対的登山人口が多い、分母が大きいということだろう。またそれに見合って、東京近辺の山には不思議なほどルートが多い。ガイドブックに記載されているもの以外に、およそありとあらゆる尾根筋には踏み跡があり、それを辿る物好きな登山者がいる。私と同様に近場を歩き尽くした結果、必然的にマイナーな尾根筋を歩くようになったのか、あるいは意外にもまだ山仕事にかかわる人が多く、多少なりとも山路が生きているということなのか。地方では登山者の分母が少ないためか、そこまでの現象は見られない。

 

11月21日(火)晴れ 

 4時間睡眠ではあるが、珍しくすっきりと5時に起床。6:52五日市駅発。初狩駅8:55着。駅前のコンビニで昼食等を仕入れ、9:08に歩きだす。

 

 ↓ 初狩駅前から見る百反刈山(左)と殿平(右)

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 中央高速をくぐり抜けた先で地元のおじさんにあいさつされ、声をかけられた。「今日は富士がよく見えるよ」。振り返っても見えない。「いやもう少し先だ」。なるほど頭を少し出している。歩くほどに、振り返れば富士はその高さを増す。道路わきの看板に「あいさつ街道」のコピー。なるほど。

 

 ↓ 顔をのぞかせる富士山

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 ↓ 民家の庭に置いてあった石仏。頭の上の馬頭の耳の尖り具合が可愛い。

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 子神社(ねのじんじゃ)の裏手から山道に入る。標識がある。初めは植林帯だが、ほどなく自然林となる。おりからの快晴に紅葉が美しい。しかし、やや強い風は冷たい。山は初冬だ。

 

 ↓ 百反刈山の手前 朝の光に紅葉が美しい

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 気持の良い明るい広葉樹の尾根を30分ほどで、ちょっとした高みに着いた。ふと足元を見ると百反刈山794mと記されたプレートが落ちている。気づかなければそのまま通り過ぎただろう、何ということもない尾根の一地点。

 

 ↓ 足元に落ちていたプレート

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 ↓ こんな感じ

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 その先も歩きやすいゆるやかな尾根を下り、また登り返せば、そこがあっけらかんとした殿平の山頂812m(10:27)。殿平(蕨平の表記を見たこともある)は「でんでえら」または「でんだいら」と発音し、全国各地にあるダイダラボッチ・だいだら法師伝説に由来する山名である。ダイダラボッチとは、出雲系の金属・製鉄伝承と関連する巨人信仰。踏鞴(たたら)製鉄のタタラと同根だろう。

 

 ↓ あっけらかんとした殿平山頂

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 気持は良いが、三角点と山名表示板が一つあるだけの、特に何と言うこともない山頂。あちこちで目にする「秀麗なんとか」とか「なんとか百山」の看板がないだけ、幸せな山頂であるかもしれない。まあ、そこがマイナーであるゆえんなのだろうが。

 

 ↓ 逆光で少しわかりにくいが、二本の幹が癒着した連理木 縁結び、夫婦和合の象徴として吉兆とされる。すぐそばにももう一つあった。

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 ここから先がマイナー・バルエーションルート。踏み跡はやや薄くなるが、歩きやすいなだらかな尾根の起伏が続く。尾根は幅広くなったり、細くなったり。藪っぽいというほどではないが、樹林であまり展望はきかない。ところどころに倒木がある。

 1時間ほど行くと傾斜が強まり、岩場が出てくる。岩角や木の根や幹につかまり、三点確保で登る。風化したザレの上に枯葉がつもり、滑りやすく、気が抜けない。写真を撮っている余裕もない。奮闘しばしで、ひょっこりと平らな尾根の一画に出た。ソモウノ峰というピークだろう。鞍吾山はその右に3分ほど行ったところ。標高で言えば数mは低いが、1037.7mの山頂である。支尾根の突端といったあんばいで、ここもあまりパッとしない。

 

 ↓ 鞍吾山山頂

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 鞍吾山の鞍は、こことソモウノ峰を結ぶラインを遠望して、鞍の形に見立てたのだろうか。それとも鞍=嵓(くら)(岩、岩場)ということか。木の間越しに周囲の山を垣間見るのみ。そそくさと昼食を食べて、先を急ぐ。

 再びゆるやかで歩きやすいな尾根の登り下りが続く。おおむね落葉広葉樹の好ましい林相。紅葉といえば紅葉だが、彩の割合は少ない。一二週間遅かったか。

 

 ↓ 紅葉の感じ 今一つか

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 一カ所、岩っぽい所に古いロープが張ってあった。また、例の恩賜三角点や恩賜林の標識杭も見かけた。

 

 ↓ ちょっとした岩場と古い残置ロープ

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 ここまでもそうだったのだが、この間、何ヶ所かで熊の糞を見た。猪かとも思ったが、猪は溜め糞のはず。地面を掘った痕跡もほとんどなかった。同じような大きさ、量だが、何となく風格(?)が違う。よくはわからないにしても、会いたくはないもの、そう思っていたら、少し先で突然ガサガサと走りだす大きな動物。どうやら鹿だったようだ。そう言えば鹿の糞もあちこちに落ちていた。

 

 ↓ 双耳峰の滝子山 右手前が沼沢ノ峰か?

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 ↓ 沼沢ノ峰頂上直下の急登

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 鉄塔を過ぎ、二重山稜を過ぎたあたりから再び傾斜がきつくなる。滑りやすいザレの上の枯葉をどけながらの登高しばしで、左から来た尾根に乗る。そのすぐ先が沼沢ノ峰1250m(14:05)。ここもまた頂稜上の単なる一地点といったあんばい。しかし、悪くはない。山名表示板が一つだけあった。ある程度の見晴らしはある。最後まで誰とも会わない、一人だけの山。

 

 ↓ 沼沢ノ峰山頂 右の木にプレートが見える

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 さて、ここまでは予定通り、順調に来た。その先の御聖人ノタルへは一投足のはずだが、そこから滝子山山頂までは、なお標高差400mほどの、岩混じりの難儀な急登があるとのこと。遠望する限りでは、そうも見えないが、時間的にも、ここから予定通りの南東尾根を下ることにする。滝子山自体はだいぶ前に登っていることだし。

 

 ↓ 沼沢の峰南東尾根の下りはじめ

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 下り始めは踏み跡らしきものもあるように見え、何の問題もなかった。しかし、ほどなく右側の支稜に入りこみかけた。この手の尾根の下降が案外難しいのは、何度も体験済み。深入りする前に地形図とコンパスで何度も確認する。間違いと判断して左の尾根に戻ることにする。登り返すほどの事もなく、そこから沢の源頭をトラバースできるように見える。獣道らしきものも見える。トラバースし始めてみると、意外と簡単ではない。ザレの上の落葉の堆積がやっかいだ。慎重に、緊張してなんとかトラバース終了。ほっと一息。あせりと過信は禁物だ。

 この尾根は藤沢川の源流の神戸沢と達沢に挟まれた、標高差400mの細い尾根である。左右に垣間見える沢は案外低い。ということは、尾根の左右の末端は崖ないし急傾斜の岩場になっているということだ。また細い尾根ではあっても、途中でアミダくじ状にいくつかに分岐している。その分岐したハズレの支尾根の末端は岩壁である確率が高い。アミダくじの正解は一つしかないのだ。慎重に行くしかない。ちなみに沼沢ノ峰山頂から後述の堰堤まで、テープ類は一つもなかった。やはり登高密度は相当低いのだろう。

 その後も大岩が出てきたり、岩場が続いたり、また風化したザレに積もった滑りやすい落葉と、緊張が続く。ところどころ痩せたところがある。分岐点では慎重にならざるをえない。ルートとして面白くはあるのだが、正直それどころではない。写真を撮る余裕もなかった。右手に植林帯と幅広い沢床が見えてきたときにはこれで一安心と、その沢床に下りようかとも思ったが、自重した。

 降り始めてかれこれ1時間以上たった頃、ようやく尾根の末端、二俣に近づいた。やれやれと思ったが、近づいて見れば、その末端は岩壁となっており、下降不能。慎重に右側にルートを見出して沢に降り立った時には、心からほっとした。振返れば左右共にそれなりの規模の沢。特に先ほど下りようかと思って止めた達沢の方は、大石の滝となっている。そちらに下りなくて良かった。

 

 ↓ 二俣から見る東南尾根の末端と達沢(左)と神戸沢(右)

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 二俣からは、地図に破線が示されていることだし、楽勝のはずだった。しかしその右岸にあるはずの路がない。ところどころに小規模な山抜けというか、崖崩れの跡。路は消滅していた。渡渉を繰りかえしながら、何とか行けそうなところを行くが、いつまで行っても路は見いだせない。思い切って右の尾根に高く登って、高巻こうかとも思うが、結構なアルバイトになるし、路がある保障もない。とにかくあるはずのものが見出せないということで、不安が増す。左から支沢が滝を落として合流する。右岸にあるはずの卍も見えない。まさかそれもなくなったのか。

 方角としては間違いないにしても、沢の水流もすこしずつ増えてきている。先の渡渉も思いやられる。かなり不安を覚え出した頃、簡易水道用の新しい塩ビのホースを見つけた。これを辿っていけば良いのだ。ホッと一安心と思ったら、しばらく先で、そのホースは右の尾根の上高くへと登っていった。直接、辿りようもない。

 やがて堰堤が出てきた。地図によればこのあたりでは破線路から実線に変わり、林道が上がってきているはず。しかし、そんなものはない。堰堤を左に上がれば作業道がある。しかしそこを降りれば、またなくなる。この辺にきてやっといくつか赤テープが出てきたが、意味不明だ。そんな感じでさらに二つの堰堤を越えた先に、ようやく舗装された立派な林道があった。今度こそ間違いない。本当にやれやれである。身体よりも心理的疲労感を覚えた。

 

 ↓ 集落の手前にあった山の神の神社 やれやれ…

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 その先、しっかりした車道はあるが、地図にはない道も色々と錯綜しており、気分的に疲れた。別荘地を過ぎ、今朝の登り口の子神社に至り、今度こそ本当にホッとすることができた。薄暗くなりかけた頃、初狩駅に着いた(17:00)。8時間、まあ、終わってしまえば予定通りである。

 

 ↓ 暮れなずむ富士

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 今回の山行の核心部は何といっても下降の南東尾根と、その先の消失した沢沿いの道であった。林道の管轄は林野庁であり、国土地理院の管轄は国土交通省である。そのため、実際には存在する、あるいは消失した林道が2.5万図や5万図に記載されない、反映されないという話はよく聞く話である。今回、二俣以降の路に関しては、それに振り回された格好である。

 ただし逆に、このコースの状態を知った上で、南東尾根を登りに使うのであれば、変化に富んだ良いルートであるかもしれない。

 

 今回のルート上にある三つの山頂はいずれもあまり展望のきかない、パッとしない山頂である。また鞍吾山直下と沼沢ノ峰直下をのぞいて、尾根筋自体は歩きやすい気持の良いものであるが、やはり総じて展望はきかない。沼沢ノ峰から滝子山に向かうとすれば体力技術を要するロングコースであり、南東尾根の下降は経験者でないと危険なルートだ。したがって、結局のところ、今後とも多くの登山者を呼び込める一般的なルートにはなりえないだろう。そのことはこのルートにとって幸せなことだと思う。どんな世界でも、ごく少数の人にだけ認められ愛されるというタイプの人がいる。鞍吾山も沼沢ノ峰もそういう山であり続けてほしいと思う。

 

 ちなみにたまたま同じ日、故郷では先日一緒に登った高校山岳部OB会のメンバー数人である山に登っていたのだが、今回のルートでは、彼らと同行する自信はない。自分一人で精一杯である。単独で良かったと思うこともあるのだ。

 ともあれなかなか味わい深い山行であった。一流のマイナー・バルエーションルートであった。

 

 なお二俣の先の右岸にある卍は瑞岳院禅堂という由緒ある御堂で、現在もそこにあり、機能しているとのこと。沢床からでは見えない高みに位置していたようだ。塩ビのホースもそこに上がっていたと思われる。不安と焦りで、実際の位置よりも上流にあるように思いこんでいたようだ。

 

 ↓ 赤線が登高ルート

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【コースタイム】2017.11.21(火)単独 標高差790m

初狩駅9:08~子神社9:30~百反刈山10:15~殿平10:27~鞍吾山12:10-12:35~鉄塔13:13~沼沢ノ峰14:05~二俣15:25~最初の堰堤15:50~林道16:00~初狩駅17:00