↓ 伊豆ヶ岳遠望 右に延びるのが東尾根
【コースタイム】 2017.12.6(水曜日)快晴 単独
西吾野駅9:25~下久通~琴平神社10:10~狢入山10:55~伊豆ヶ岳頂上12:30-13:00~古御岳830m13:20~ナローノ高畑山695m14:00~中ノ沢ノ頭622m14:27~天目指峠14:50~愛宕山15:45子の権現15:52~吾野駅17:30
↓ 5万図「秩父」2.5万図「正丸峠」「原市場」
前回の山行(11月21日 殿平~鞍吾山~沼沢ノ峰)で、下降時(沼沢ノ峰東南尾根)に少々しんどい思いをしたこともあって、今回の山は少し気楽なところに行きたいと思った。気楽と言えば何となく奥武蔵が思い浮かぶ。実際のルートによっては必ずしもそうとは言えないのであるが、まあ気分としてはそうなのである。奥武蔵もある程度歩いているから、そう食指をそそられるコースもないのだが、ふと伊豆ケ岳の東尾根のことを思い出した。
伊豆ヶ岳には30年ほど前に一度登ったことがある。その時は、当時勤めていた美術予備校、武蔵野美術学院での一種の学校行事(?)として、生徒20~30名と講師数名を連れて正丸峠から登った。むろん言い出しっぺは私であり、自分の趣味である。
その時に、出発前には知らなかったのだが、心臓に故障のある生徒が一人いたのである。その彼が頂上付近で「あ、心臓が止まった!」と言いながら、自分で心臓マッサージをし始めたではないか。驚いた。本人いわく「時々、急に止まるんですよ。こうしてマッサージをして薬を飲めば大丈夫です。」そうはいかないだろう。予定では子の権現まで行くはずだったが、急きょ、地図を見て、頂上と古御岳の間の鞍部から久通をへて吾野駅まで、二人で下った。彼はその後、特に問題もなく翌春、愛知県立芸術大学に入ったはずだ。今はどこでどうしているやら。
ちなみにその前年にも、同じ予備校の生徒を連れて、奥多摩の御岳から大岳山に登っている。その中の一人に、それがきっかけとなって美大に入ってから山を始め、卒業後にガイド資格を取り、冬の一ノ倉滝沢スラブを攀ったり、転落して大怪我をしたり、ブータンヒマラヤの初登頂をしながら、現在もある山雑誌に連載を持っているH(女性)がいる。彼女いわく、山を始めたのはその時の山行がきっかけだったとの由。全然知らなかった。人生、何がきっかけで、どう変わるかわからないものである。
伊豆ケ岳の東尾根については、その頃から何となく意識にはあったように思う。現在でも地形図や山と高原地図には破線が記されておらず、一般的なガイドブックにも取り上げられていないが、『新ハイキング』などには以前から時おり載っており、そうしたことから、意識にあったのだろう。出発の二三日前にふと手にした『ハイグレードハイキング[東京周辺]』(打田鍈一 1993年 山と渓谷社)にも思いがけず取り上げられていることに気づいて、つい気を強くした。マイナーであってもかまわないが、どこかで取り上げられているということは、やはりそれなりの魅力があるからだと思うからである。ちなみに著者の打田鍈一さんとはここ最近、年に一二度、立川会(元「岳人」編集者のYさんを中心とする会)で酒を飲む間柄。
11月16日(水曜日 快晴)
少しゆっくりと6:00起床。7:41武蔵五日市発、西吾野8:53着。すぐに歩き始める。『ハイグレードハイキング』にはアプローチとして森坂峠越えのルートが紹介されていたのだが、すっかり忘れていて(特に興味もなかったので…)、下久通まで歩く。いくつかの石仏がある。馬頭観音、地蔵、青面金剛は庚申塔。すっかり風化して判別できないものもある。
↓ 左から「風化して不明」、「青面金剛:庚申塔」、「地蔵」、「判読不能‐蚕関係?」
↓ 下久通から見る琴平神社の鳥居
右の尾根の中腹に鳥居が見えてくる。そこが琴平神社。見下ろせば山里。石段を登れば、一段上にもう一つ社がある。奥宮ということか。
↓ 右下が琴平神社(前宮?)
↓ 琴平神社奥宮
案外良い雰囲気で、先を期待したが、すぐに檜の植林帯となる。それが延々と続く。まあこんなものだろうと思う。このあたりは江戸時代からつい近年まで西川材として有名な材木の供給地だったというから、その名残りなのだろう。この日歩いたコースの6、7割は植林帯だった。
↓ 垂直性と木漏れ日のリズム
↓ なぜドラえもん?
神社から45分ほどで、なぜかドラえもんが置かれている標柱があり、そのすぐ右に狢入り山の表示。470m圏。ドラえもんは狢/狸ではなく、猫だったよな~。
↓ 狢入山
その先もけっこう歩かれているようで、路はしっかりしており、ゆるやかな登り降りと多少の急な登りを繰りかえす。ところどころに石灰岩の露頭が現れる。そういえば、ここは武甲山に近く、地質も似ているということか。
物見台跡はどこかわからぬまま通過。展望のきかぬ、檜の垂直性と木漏れ日だけが眠くなるようなリズムを刻む単調な登りが続く。ところどころに栂の大木が現れる。
↓ こんな感じ
やや急な登りのあとでようやく雑木林となり、木の間越しに多少の遠望が効くようになる。ここまで見ることのなかった鹿の糞も見るようになる。鹿も植林帯では生きてゆけぬか。
↓ 右:伊豆ヶ岳 左:古御岳 遠望
そのあたりがバラガ平と言われる所かとも思うが、よくわからない。多少の岩場や急登も出てきて面白くなるが、案外長い。地図上で思っていた現在地を早めに読み過ぎていたようだ。帰宅後にネットで見てみると、このあたりから先、結構ルートファインディングに苦労した人が多いようだが、特にそんなこともなかった。
↓ こんな感じ
↓ 急登、痩せ尾根、岩場が出てくる
どうやら後ろから後続のパーティーが迫ってきているようだ。ここまできたら、何となく抜かれたくないと思う。
ヤセ尾根から気持の良い小ピークを過ぎると、頂上直下。尾根はここで形状を失い、藪混じりの壁に吸収される。順路は左にトラバースということで、か細い踏み跡を辿る。ザレた急斜面に積もった枯葉の上を慎重に進めば、ようやく主尾根に到達。すぐ先で一般道に合流した。
851mの頂上へは一投足。30年前の記憶はおぼろ。前後して3、4パーティー10名弱の登山者がいた。やはり奥武蔵の盟主、気持の良い頂上である。東尾根も下半の単調さと上部の面白さが相まって、案外楽しめた。駅からの標高差は600m。
↓ 伊豆ヶ岳山頂 三角点はこの左下だが、ここの岩の方が少し高い
↓ 南北に細長い伊豆ヶ岳山頂
例によってコンビニ弁当の昼食休憩30分。古御岳から高畑山へ向かう一般ルートは、さすがにオーバーユースに近いほどよく歩かれている。降り立った鞍部から30年前に左の上久通へ下りたはずなのだが、その路は気づかずじまい。見落としただけなのか、廃道化したのか。登り返した先が古御岳山頂。雑木林の気持の良いピークだが、立派な東屋はなくもがな。
↓ 古御岳山頂の東屋
古御岳山頂からの急な下りには赤いチャート(頁岩)の露頭がある。またところどころ秩父青石や蛇紋岩のような青い岩もある。わずかに残る紅葉が陽を浴びて美しい。
↓ 名残の紅葉 二題
やがて路は多く植林帯を行くようにある。こうなるともう、歩く面白みはあまりなくなってくる。やはり歩く楽しみの一つは樹林相の美しさを愛でることにある。単調ではあるが、それなりアップダウンはあり、疲れが出てくる。それにしても多くの人が歩いているせいか、路が突き固められたように硬い。
↓ 石灰岩の露頭 というか大岩
↓ (ナローノ)高畑山
695mのピークは地形図では名前が記載されておらず、622.7m三角点峰に高畑山の名があるが、現地での表示板では695mピークに高畑山、622.7m三角点峰に中ノ沢ノ頭となっている。どちらも植林帯の中の面白みのない一地点。なお695mピークの「高畑山」表示板の傍らには「ナローノ高畑山」の表示板もあった。そろそろこの先の下山ルートが気になりだしてくる。
(追記:当日使用したのは昭和56年発行の2.5万図だったが、その数日後に買い換えた平成10年発行のものでは、695mに高畑山の名が記され、622.7m三角点峰は名前がなくなっている)
↓ 工事中の送電鉄塔 原発再開と関連して(?)最近またあちこちで増えている 鬼の面
天目指峠14:50。舗装道路が上がってきている。今回は途中どこからでも下山できるという気もあって、最低でも子の権現まで、できれば仁田山峠近くまでと漠然と思っていた。
実は今回、ここ2年いつもはいているサポートタイツを、あえてはかずにきた。最近数回はワコールCWXを使用しているのだが、あの締め付け過ぎる圧迫感がいまだになじめないのである。その圧迫感によってサポートされているのだと、頭ではわかっているのだが、どうにも不快なのだ。その不快感とサポートを秤にかけたら、さてどちらが重いのだろうと、それを確かめるためにあえて今回はかずにきてみた。結果としては、やはりはかないと疲れる。それが今の実力なのだとは思うが、ちょっと予想以上だ。ああ、われ老いたり。
そんなことをラインでつぶやいたら、F嬢いわく「そうなんです。そんな年なんです!でも何度もはいて洗濯をしていると伸びてきますよ」。しかし、それはサポート力が落ちるということではないのか?
それはそれとして、疲れと時間からすれば、天目指峠から右に名栗川沿いのバス路線までの30分か、左に西吾野駅までの1時間少々かの、いずれかの車道歩きで下山するのが順当だとは思う。しかし、わかってはいても、ラインとしてはやはりせめて子の権現まではつなげないと、美しくないと思ってしまう。そこらへんのこだわりというのは、われながら少々妙だとも思うのだが、それが私の個性ということなのだろう。子の権現まで行っても、そこからさらに最低1時間はかかる。暗くなるのは目に見えている。
ここまでもどうしようか迷いつつ来たのだが、あらためて散々迷い、結局子の権現まで行くことにした。ヘッドランプはある。暗い林道歩きは慣れている(?)。
峠から子の権現までへは約1時間、標高差は180mほどだが、岩混じりの急登の小さなピークの上り下りが四つある。根性と諦めでゆっくり登って行くが、やはりこたえる。最後のピーク愛宕山をすぎてようやく子の権現に着いた。
↓ 子の権現近くから残照の都心遠望
↓ 子の権現近くの森の中のアート(?) 仏陀の御手でしょうが…
↓ 子の権現 天台宗だが入口には阿吽の仁王と朱い鳥居が建っていた
ゆっくり拝観する余裕もなく、下り始める。距離的に吾野駅にではなく、少し近い西吾野駅に向かうつもりだったが、おそらく地形図の記載間違い(よくあること!)のため、途中の分岐を見出せず、まあ、より確実な西吾野駅に向かった。
↓ 最後の残照に浮かぶ山上集落ユガテ
薄暗くなりかけた頃、青場戸の集落に降り立った。立派な家も多いが、廃屋や無住と思われる家の方が多い。何を考えているのか、とある家から猫が一匹出てきて、まとわり付いてきて困る。30分近く私の前を先導してくれた。早く家に帰れ。
途中から対向車への注意喚起のため、ヘッドランプを着用。駅近くになって標識に導かれるまま妙な道を辿り、少しだけ迷い、すっかり暗くなった17:30に吾野駅に着。直前で下山報告が遅いと心配した女房から電話がかかってきた。すみません。
今回の山行は後半で慾をかきすぎた感はあるが、まあ、想定内というか、私らしいというか、つまりは確信犯である。したがって、こんなもんだろうと思うしかないのである。