艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

2017年の読書

 年末に各種の記録・データの集計をする。美術館関係、山関係、そして読書関係。

 絵(美術)、読書、登山、それらは言ってみれば、私の人生の4本柱の一つ一つだからである。では4本目は何かと言えば、とりあえず骨董蒐集と言ってもよいのかもしれないが、かつては麻雀だったり、恋愛だったり、海外旅行かと思ってみたりしたこともあったが、移り変わってきた。

 現在は骨董蒐集が変位した(主に)蔵書票蒐集ということになるのだろうが、それは言ってみれば美術の一部だから、独立した一柱とは言いにくい。日々の暮らしの中で酒の占める割合も小さくはないが、趣旨としては柱にはならない。4本目は、そのようにその時々に推移する要素のためにキープしてある空白の場所なのだ、としておこう。まあ、よい。ともあれ、年末に各種の記録の集計をするのである。

 

 本ブログでは山行については逐一、美術館関係は「201○年に見た展覧会」という形でまとめたものをブログアップしている。当然、読書関係もある程度はしていたつもりだった。しかし、ふと見てみると、2015年に「先月読んだ本」として、4回アップしただけだった。あれっ?という感じで、フォルダの中を確認して見ると、「2015年に読んだ本」「2016年に読んだ本」として、マイベスト的リストを書き出しただけで、途中放棄、未定稿のままで眠っていた。

 ここ30年以上、平均して年に100冊以上は読んでいる。そこから、単にその年のマイベスト10を選ぶだけなら簡単だ。しかしそこになにがしかの、できれば意義のあるコメントを書こうとすると厄介である。印象は当初は明瞭に残っていても、次第に薄れ、ついには忘れる。正確を期すためには、何ヶ月も前に読んだ本を再び手にしなければならなくなる。その労は大きい。それが大変だから、「先月読んだ本」という形で時間をおかず毎月書こうと一時は思ってみたものの、やはり続かなかったということだ。

 読書専門のブログならともかく、私の場合、他の分野とのバランスからしても、基本年に一度ぐらいが良いのかなと思う。なんせ、対象が本であると、山や展覧会と違って、より実証性というか、正確さが必要なような気がするのである。その辺は、われながら、律儀というか、難儀な性格である。

 ということで、気を取り直して、「2017年の読書」について書く。

 

 近年、読書量も、蒐書量(購読量)も減ってきた。昨年2017年に入手した本は、全部で170冊。これは購入した主に古書と少数の新刊本、図書館等で借りたものや贈呈されたものなど、すべての合計である。

 一頃に比べると少ないとはいえ、170冊といえば一般的にはそう少ないとはいえないかもしれない。しかし、この数字には若干のトリック(?)がある。170冊の内、図書館で借りたものが22冊(そのほとんどが塩野七海のもの)、贈呈されたものなどものなどが5冊、つまり自分で自腹を切って購入したものは143冊。そしてその143冊の内に「豆本」関係のものが75冊あるのである。

 豆本武井武雄の『豆本ひとりごと』(のち『刊本作品ひとりごと』)と『刊本作品親類通信』が28冊、と『古通豆本』が45冊。大きさは『豆本ひとりごと』と『刊本作品親類通信』が縦15㎝×10.5㎝前後、『古通豆本』が縦10㎝弱×横7㎝。別に『九州・まめほん』が1冊。頁数は共に数十頁程度のものなので、内容量としては豆本75冊で普通の本10冊分もあるかどうか。つまり、豆本の分を普通の本で換算してみると、計80冊程度となる。これは過去30年で最も少ない蒐書数である。

 

 読書量で言えば、昨年読了したのは144冊だが、同様にその中の豆本41冊分を普通の本で換算して見ると、100冊少々といったところ。数だけでいえば、ここ10年ほどはだいたいこの程度で推移しているが、実感としてはやはり減っている気がする。読書量の減少と書いたが、それは読書欲の減退であるかもしれない。

 ところで、後述の年間「マイベスト」を書き出そうとしてみると、10に満たない。私は読み終わった後に、単なる心覚えではあるが、◎ ○ △ 無印 ▲ × という、6段階の評価点をつけている。昨年の読了録を見てみると、なんと!◎が一つしかなかった。こんな年も珍しい。つまり、読書欲の減退と書いたが、実はその印象は、読み終わってみて内容的に満足した本が少なかったということに因るのではないかと、思い当たったのである。

 ともあれ、比較的貧しかった昨年の読書の中から、印象に残ったものをいくつか取り上げてみる。

 *比較的ポピュラーなものや、文庫本などは特に書影は載せません。

 

 

ローマ人の物語 34~43 迷走する帝国(下)~ローマ世界の終焉(下)』

塩野七生 2008.9.1~2009.9.1 新潮文庫

『ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍 1~3

塩野七生 2014.8.1~2014.9.1 新潮文庫

『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年 1~5

塩野七生 2009.6.1~2009.7.1 新潮文庫

 まず、昨年後半から引き続きハマり続けた、塩野七海ワールド、『ローマ人の物語』。これについては前年度分として書くべきであろうが、一言で言えば、ヨーロッパ文明の基本構造を知る知的喜びと、長大な通史・ストーリーを読み通す楽しみを充分味わったということ。これについては後述の「2016年の読書」であらためてふれたい。

 ようやく43冊を読破したその余勢を借りて『ローマ亡き後の地中海世界 海賊』と『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』も一気に読んだ。両者共にそれなりに面白かった。ついでに読んだ『わが友マキャヴェッリ フィレンツェ存亡』は今一つ。『ルネサンスとは何であったのか』はまあまあ。他にも二三冊読んだが、特にコメントなし。

 

 美術関係では、市井の一趣味人、研究家である市道和豊の一連の蔵書票関連の研究個人誌。いずれも室町書房とあるが、実質は私家版であろう。ネット経由でなければ入手しにくい。

『奇跡の成立 榛の会昭和21年 <芸術集団の戦中・戦後>』 2008.4.1 

『孤高の版画家 祐正・人と芸術』 2009.9.24

板祐生の画業』 2013.6.4 

『渋谷修 アバンギャルドから消された男』 2011.8.3

『乙三洞の芸術』 2015.9.10

『藤牧を待て <新版画集団と版交の会>』 2013.9.14

『与太雑誌『グロテスク』』 2016.7.8 

 

 ↓ 市道和豊の個人誌3点

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 いずれも興味深かったが、中でも『渋谷修 アバンギャルドから消された男』、『乙三洞の芸術』、『孤高の版画家 祐正・人と芸術』は対象の作家およびその作品の質の高さへの興味からも、私には面白かった。とりわけ渋谷修については、今日彼がわずかに名を残している蔵書票という主に趣味的な世界のそれとは別に、日本の前衛芸術運動の中で最も重要なものの一つである「マヴォ」(それは世界の前衛美術運動史から言っても重要である)との関連においても重要な研究である。

 惜しいことに、全体の構成があまり良いとはいえず、また文章や検証の部分もやや粗雑な面があり、必ずしも読みやすくはない。しかし、扱っているテーマ、対象自体の面白さには惹かれた。また第一次資料を渉猟して得た、挿入された図版も貴重で興味深いものが多い。上記以外にもまだ何冊か、同様な分野のものを出されているようで、いずれそれらも読んでみたいと思っている。

 偶然だが、これらの一連の本が後押ししたかのように、この年、めったに出ない『第四回 蔵票作品集』(大正14年 日本蔵票會)と『昭和蔵票聚集』(未貼りこみ 昭和18年 日本蔵票愛好会)の二つの蔵書票集を入に入れることができた。私にとって幻の蔵書票作家であった渋谷修や森田乙三洞の作品を、手にすることができたのである。それらについては、いずれ稿をあらためて書いてみたい。

 

 ↓ 参考:『日本蔵票會 第四回作品集』 右上:森田乙三洞 左:渋谷修 右下:川崎巨泉

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 ↓ 参考:『日本蔵票會 第四回作品集』 右上:森田乙三洞 右下:川崎巨泉 左上:川崎巨泉?  左下:渋谷修 

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 ↓ 参考:板祐正の日本書票協会1953年書票暦5月 左下の鉛筆書きは旧所蔵者の武藤完一の筆

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 ↓ 参考:板祐正の蔵書票2点 技法はS2(孔版:独自の謄写版技法)

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豆本ひとりごと』第2集~5集(1954.11.10~1960.4.15 限定版手帖発行所~吾八)および『刊本作品ひとりごと』第6集~24集(1961.10.25~1983.1.20 吾八~刊本作品友の会)の内16冊

『刊本作品親類通信』14~53

(1964.4.15~1983.11.25 刊本作品友の会)の内12冊

  

 ↓ 題簽は武井の木版

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 ↓ 同じく題簽は武井の木版

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 前記市道和豊のものと分野的に若干かぶるところもあるが、思いがけず武井武雄の刊本関連のものをいくつか入手した。

 武井武雄は画家、版画家、童画家、童話作家装丁家、として今なお一部で根強い人気を保っている。中でも彼の幅広い仕事の集大成(?)であり、出版美術界の一偉観とも言うべき「刊本作品」と呼ばれる一連の限定豆本シリーズは、出版印刷史上類を見ないユニークなものであり、評価が高い。市場価格も高いためになかなか手が出せなく、私は一冊も持っていない。個人的には彼の作風があまり好きではないので、無理をしてまで欲しいとも思わないが、その書物、印刷に関する彼の哲学というか、美学、こだわりや工夫のあれこれは、やはり面白い。たまたま今回それにかかわるものが期せずして、ある程度まとまって安く入手できたので、読んでみたが、やはり面白かった。

 

 ↓ 『九州・まめほん』1957.6 九州豆本の会 150部発行 表紙は川上澄夫の蔵書票貼付 目次の前頁に畦地梅太郎の蔵書票貼付 本文は手書き謄写版刷り 

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 同じく豆本である。

『藩校の蔵書』他古通豆本25~49、82~88、97~100、104~106、114~118 日本古書通信社 1976.4.10~1995.11.20)

 

 ↓ カットは若山八十氏

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 私は豆本という分野に特に興味があるわけではない。形態的にも、また内容的にも、あまりにも趣味性に偏しているという印象を持っており、蒐書の対象としては敬遠しているというか、どちらかと言えば好きではない。しかしそうした中で、この古通豆本は、執筆者に古書関係の人や、専門家が多いのは当然だが、その中でまた多様な専門的観点から書かれているものが多く、本好きにとっては面白いコンテンツだと思っていた。たまたま安く(一冊あたり100円少々)40冊ほどまとまって出ていたので入手した。縦10㎝弱×横7㎝、数十頁ほどだから、その気になればすぐに読み終えるのだが、仕事を終えた深更、ちびちびと酒を飲みながら、一冊二冊と味読するのを楽しんでいる。中では『造本覚え書』(内藤政勝 30)、『蔵書票』(坂本一敏 38)、『山の限定本 ☆および☆☆』(上田茂春 42、43)、『限定本と書票』(今村秀太郎 99)などが面白かった。けっこう貴重な内容のものもあるが、ごく一部を除いては一般書に再録されないものが多く、その点でも貴重である。

 なおこのシリーズは普通本と別に、装丁に凝った特装本も小部数出されているが、値段も高い。それはそれで魅力的だが、私は、中身さえ読めればよいというスタンスなので、今のところ手を出す気はない。今のところは。

 

『鬼が来た 棟方志功伝 上・下』

長部日出雄 1999.12.20 人物文庫/学陽書房

 蔵書票、版画とつながって、10年以上前に買ったまま未読だった本書をようやく読んでみた。小説的評伝である。案外というか、予想以上に面白かった。この年、唯一◎をつけたもの。棟方志功の作品はある程度は見ているし、人となりについてもある程度知っているつもりではあったが、著者が同郷のゆえか、よく調べ、公平な目線でよく書かれている。民芸運動とのかかわりや、日本浪漫派とのかかわりなど、教えられることが多かった。前より棟方志功が好きになった。

 

『特異児童画の世界 山下清とその仲間たち 石川謙二 沼祐一 野田重博』

(2004年 「八幡学園」山下清展事業委員会)

 

 ↓ 本のサイズが大きすぎてスキャナーにおさまりきらず、下5%ほどカット

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 美術関連でもう一点。川崎市民ミュージアムで開催された「山下清 とその仲間たち(踏むな 育てよ 水そそげ 石川謙二 沼祐一 野田重博)」展の会場で販売されていて内容も関連したものであるが、2004年発行で、正確には同展の図録ではない。内容も単なる展覧会図録ではなく、「踏むな 育てよ 水そそげ」のモットーを掲げる八幡学園の思想や歴史、また特異児童画=アウトサイダー・アートの評価史の一端をも紹介している。資料的にも価値の高いものである。

 

J・A・シーザー黙示録』

J・A・シーザー 2015.7.31 東京キララ社

 

 ↓ 表紙カバー おどろおどろしいですね。デザインでちょっと損しているような…。

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 アングラ劇団「天井桟敷」から寺山の死後、それを引き継いだ「演劇実験室◎万有引力」を主宰し、ミュージシャンとしても評価が高い、J・A・シーザーの回想録。

 二十歳前後の一時期、友人の関係からアングラ演劇をよく観ていた時期があった。そのころ贔屓にしていたのは「曲場館」と「摩訶摩訶(後、ブリキの自発団)」。最も過激で政治的だったと言われる「曲場館」は、ドキュメンタリー映画『風ッ喰らい節 時逆しま』(布川徹郎監督)にその残像を留められているが、その後「風の旅団」や「水族館劇場」に分かれた。「水族館劇場」は今も健在であり、最近、二度ほど観に行った。「摩訶摩訶」と「ブリキの自発団」には現在テレビ・映画俳優として活躍している銀粉蝶や、片桐はいりが所属していた。「天井桟敷」と「状況劇場」は当時すでにメジャーで、私は一本ずつしか観ていない。その頃からすでにマイナー好みだったようだ。

 

 ↓ ついでと言っては何ですが、表紙に惹かれて、曲馬館から水族館劇場の桃山邑の『水族館劇場の方へ』(2013.6.13 羽鳥書店)も紹介。表紙はこちらの勝ち。ただしこちらは未だ読んでいない。モデルは曲馬館以来の看板女優、千代次。惹句は「「此の世の外へこぼれてゆけ!!」

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 J・A・シーザーは「天井桟敷」時代から、演出とともに音楽も担当していた。1997年にアニメ「少女革命ウテナ」(私は見たことありませんが)の音楽を担当し、一般的にも人気を獲得した。2012年からコンサートもおこなっており、私もこれまで4回ほど聴きに行った(芝居にも2回行った)、かなり好きなミュージシャンである。

 内容は多様で、何となく昔のサイケデリックなヒッピー風なイメージもあるが、胡散臭くも、面白く読めた。ただ、その芝居を見たことのない人に話がわかるだろうか?という懸念はある。

 

『七帝柔道記』増田俊也 2017.2.25 角川文庫)

 格闘技にはあまり興味はないのだが、柔道だけは好きである。何年か前にたまたま読んだ『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(2014年 新潮文庫)が面白く、そこで昔の高専柔道という世界を知った。高専柔道とは戦前の旧制高等学校・大学予科旧制専門学校で行われていた、講道館柔道とは趣の異なる柔道であり、現在も東大や京大といった旧七帝大によるいわゆる七帝柔道に引き継がれているとのこと。

 著者の半ば自伝といってもよい本書は、北大入学後、中退するまでひたすら七帝柔道に明け暮れる、苦行僧めいた青春記である。面白いことは面白く、一気に読んだが、全体としてはやや冗長の感があり、作品としては完成度に不満が残る。ついでに関連して、同様に旧制四高で柔道に明け暮れた井上靖の『北の海』も読んだ。こちらの方も面白かったが、やはり完成度が今一つ。どうも柔道をやっていた人が自伝的柔道小説を書くと、描写に力が入り過ぎて、構成や完成度がおろそかになるようだ。

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(2015.12.10初刷 2015.12.15二刷 文春文庫)

神の子どもたちはみな踊る(2002.3.1初刷 2007.5.5九刷)

 私は村上春樹のあまり良い読者ではないが、6~7割程度は読んでいるだろうか。彼の作品をちゃんと論ずるとすれば、いくら紙数があっても足りないだろう。むろん、そんな気はない。この二冊共に村上ワールドの魅力を味わいつつ、それなりに面白く読んだ。途中までは。

 彼の作風の翻訳小説的都会感は私の好みではないのだが、それは作者の個性だからがまんする。ただ一点、起承転結的でないストーリー進行、というか、多彩な伏線を張りめぐらしておきながら、往々にしてなぜそうなるのかが不明なまま話が終わってしまう感じに、いまだに不満感が残るのである。結論は読者の解釈に任せるというか、投げ出されたまま多様な解釈にゆだねられるというあたりが、今一つ納得できないのである。必ずしも理路整然と終わらせる必要はないにしても、その不明感が私に心地よく感じられれば良いのだが、そうではないのである。

 そして、こうした物語の終わらせ方というのが、今の小説界で増えているというか、安易な方向で流行っているような気がする。恩田陸原田マハとか、小川洋子とか(女性ばかりだ)、今ちょっと思い出せないが、他にもいたような気がする。でもまあ、村上の作品は、これからもぼちぼちと読んでいくだろう。

 

『被差別のグルメ』上原善広 2015.10.20 新潮新書

 食に関する本はわりと好きで、比較的よく読む。もちろん私のことだから、正統からやや外れたあたりのものが好みなのは言うまでもない。同じ著者のものではだいぶ前に『被差別の食卓』(2005.6.20 新潮新書)というのも読んだことがある(内容はほぼ忘れた)。著者は大坂の被差別部落で生まれ、そこでしか食べられない、臓物料理である「あぶらかす」や「さいぼし」を食べて育った。私は「あぶらかす」だけは一度食べたことがあるような気がする(美味かった!ような気がする)が、他のものもぜひ食べてみたいものだ。

 長じて、世界各地の同様な食文化を求め、体験したのが本書である。フライドチキンや針ねずみ料理については、別のところでも読んだことがある。食は文化であり、差別もまた裏返された一種の文化である。その両者を結びつけた観点が面白い。いや、面白がってはいけないのかもしれないが、読みつつ、食欲を刺激されたことは事実である。

 

『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎 2017.5.17 6刷 光文社新書

 友人の奥さんから「これ面白かったわよ!」と言われ、借りて読んだ。食べる対象として以外の昆虫関係にはあまり興味はないのだが、舞台のサハラ砂漠イスラム教国であるモーリタリアあたりには、異文化趣味上、淡い興味がある。

 こういうのをエンタメ・ノンフィクションと言うのだろうか。一読、何とも面白かったが、その面白さの側面に、博士号取得後の不安定な研究者生活、いわゆるポスドク問題がリアルに透けて見え、その部分も少し興味深かった。学術博士号を取得して以降の10年間、学位と無縁な生活を続けざるをえなかった私にとって、他人事とも思えなかったのである。もっとも私の場合は、分野的なこともあるが、そもそも生きる力が弱かったということなのだろうが。 

 

 以上が2017年の読書「マイベスト」である。資料的なことは別にして、読書の喜びといった点では、例年に比べると見劣りがする。2016年、2015年のものをみてみると、その年は当たり年だったような気がする。このまま当たり年の2年分の「マイベスト」を死蔵しておくのも、なんかもったいないような気がするので、次稿ではその2年分の「マイベスト」を、項目だけでも揚げてみようと思う。          (記:2018.1.22)