艸砦庵だより

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秋合宿・弾丸日帰り百名山-その1 岩手山 (2018.10.15)

 恒例の(といってもまだ3回目だが)防府高校山岳部OB会の秋合宿である。前回の山から、中三か月も空いた。

 7月下旬に夏合宿として北海道、雌阿寒岳羅臼岳斜里岳等を予定し、宿も飛行機のチケットも手配済の7月3日、そのトレーニングを兼ねた奥多摩蕎麦粒山から帰ってみると、メンバーの一人Kが箱根金時山の一般登山道で転倒し、手首を骨折したとの報が入った。当然、夏合宿は中止である。数日後、追いかけるようにして、その時に肝臓も損傷していたことが判明し、即刻入院したとの連絡があった。

 それはまあ仕方がないのだが、その後の連日の猛暑は異常だった。山に向かうモチベーションはおろか、日中は外出する気力すらわかず、ひたすらエアコンを入れたアトリエに逼塞するのみ。9月に入っても猛暑は続き、その後は毎週ごとの台風襲来と、天候に振り回された今年の夏だった。ただし、山を早々にあきらめたその猛暑の中で、ただ制作に専念したことはそう悪いことではなかったが、それはまあ山とは別の話。とにかく、それ以来の山なのだ。

 

 山は、百名山好き、有名山岳好きなFとKの意向もあり、早い段階から岩手山(プラス近いということで八幡平)ということは早くから決まっていた。私自身としても、宮沢賢治ゆかりの山ということから、念願の山でもあった。一応、私がリーダーということで、計画を立てようとするが、山口県から来る三人の交通手段や現地での移動手段まで含めて考えると、なかなかルートも決まらない。メンバーの一人2学年後輩のTはなんと山口県からバイクで旅をしつつ、現地で合流するという!

 私の方は、山とは別に、9月に孫が生まれたり、その他、身辺の雑事・俗事の多忙さもあって、とうとう、私なりの原案のみ提示して、具体的なことはすべてKにゆだねることにした。こうした実際面については、私よりはるかに能力の高いKはあっという間に新しい計画書を書いた。

 当初の私の案では、岩手山は柳沢コースから避難小屋泊り、翌日主稜線を縦走し、網張温泉に下山、次の八幡平は安比高原あたりから入って蒸ノ湯もしくは後生掛温泉で一泊後、田沢湖方面に下山というもの。避難小屋泊まりを含む二日×2では、確かに吾々には少々荷が重いかなという気はした。

 Kの新案では、羽田からレンタカーを駆り盛岡へ、岩手山焼走りコースから日帰り、八幡平は茶臼岳登山口から頂上へという、最短コースの日帰り2本という、なんともシンプルというか、効率的なもの。つまり「日本百名山弾丸日帰り登山×2」に変貌していたのだった。私はそのシンプルかつ効率の極致のような計画を見て、圧倒された。感動したといってもいい。

 ルートに意味や美しさを求めがちな私からは絶対出てこない計画である。悪いとは言わない。むしろ、今の吾々の力量に見合った、良い計画だと思った。それにしても発想(における個性)の違いというのは侮れないものだと思った。そして、昨今の多くの百名山志向の(中高年)登山者の多くは、おそらくこんな感じの計画を立てるのだろうと、思い当たったのである。

 ちなみに宮沢賢治はこの岩手山を愛し、学生時代だけでも三十数回登ったという。「岩手山」という詩も書いている。彼が登ったのはほとんどが柳沢コースからで、「柳沢」という作品もある。私が柳沢コースに多少のこだわりがあったのも、そのことが影響していないわけではない。ともあれ、Kに計画をゆだねたことによって、賽は投げられたのである。

 

 10月14日昼前、山口から飛行機でやってきたKとFが羽田からレンタカーで迎えに来てくれた。現地盛岡でレンタカーというのは私も考えたが、羽田からとは恐れ入った。

 一路盛岡へ。数日前に山口を出てバイク旅を重ねてきたTと盛岡のホテルで合流。一杯飲み(KとFはほとんど飲まない)、盛岡じゃじゃ麺などという不思議なものを食べた。帰途、翌日の朝食と昼食をコンビニで仕入れる。

 

10月15日

 朝6時すぎ、ホテルを出る。登山口の岩手山焼け走り国際交流村の駐車場で、前夜買ったコンビニ弁当の朝食。駐車場のすぐ脇が登山口。7:00に歩き出す。

 

 ↓ 焼走り登山口 左から欲深キョーコ 防長マグロK チャリダー兼バイカー兼旅人T          

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 植林はほとんどなく、ミズナラなどの落葉広葉樹を主とした林相である。紅葉というにはやや中途半端な彩合いだが、まあ今年はこんなものなのだろう。新緑に比べて紅葉は、一斉にといったまとまりのタイミングで行き当たることは、案外難しいのである。

 

 ↓ こんな感じ 以後植生の垂直分布が観察される          

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 岩手山は南部富士の別名のごとく富士山型の成層火山(コニーデ)なので、ゆるやかで均一な登りが続く。道はよく踏まれているが、火山帯特有の軽石のような砂礫交じりで、その分少し滑りやすい。焼走りコースというからにはその溶岩流の上を歩くのかと思っていたら、並行してその右側を登るばかりで、溶岩流そのものを見るところはほとんどなかった。

 変化の少ない、単調といってもよいゆるやかな路を淡々と登る。緊張感もなく、時おり、周辺にキノコを眼で探すが、不思議なほど見当たらない。

 単調とは言っても、次第に傾斜は増してくる。先行の三人に少しずつ遅れる。必ずしも私のペースが遅いわけではないのだが(決して早くはないが)、前の三人が元気良すぎ、早すぎるのである。Kの手首の痛みも登るぶんにはあまり問題ないようだ。時々立ち止まって待ってくれるが、かえって少し苛立つ。パーティー登山ではよくある、仕方のない現象である。すがれたウスユキソウの渋い美しさに慰められつつ、自分のペースで登るしかない。

 第2噴出口跡は少し開けた溶岩の台地。気持ちの良いところだ。仰げば岩手山山頂がまだまだ先の高みを優雅な傾斜の上に見せている。反対側を見下ろせば、雲海の上に姫神山がその愛らしい山体をのぞかせている。

 

 ↓ 第二噴出口 見えている頂上まで標高差はまだ1000m近くある          

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 ↓ 雲海の彼方の姫神山をズーム

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 伝説によれば男らしいイケメンの岩手山と、あまり美しくない(?)正室姫神山と、美しい側室の早池峰山の間で、オクリセン(送仙山472.4m/岩手山の東北東)を介して人間臭い(?)葛藤悲劇があったとのことだが、遠望するかぎり、十分可愛らしい山容である。

 第2噴出口跡のすぐ先が第1噴出口。傾斜は少し強まっているはずだが、巻き気味に登るのでさほど苦にはならない。気が付けばいつのまにか高い木はなくなり、岳樺などの灌木帯となっている。

 

 ↓ 第一噴出口と溶岩流

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 ↓ 第一噴出口の先

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 ツルハシの分かれで上坊コースを合わせ、やや傾斜の増してきた登りを続けると、ちょっとした岩とその下の祠が目に入った。帰宅後に見た山と高原地図では「三十六童子」と記されてあった。わずかに名のみ知っているセイタカ童子やコンガラ童子を含めた、不動明王の眷属ということらしいが、詳しいことは知らない。

 

 ↓ 三十六童子と記されていたところ~後述

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 ↓ この溶岩塊全体を平笠不動というのだろうか? 手前が避難小屋 遠くは八幡平 まわりはハイマツ帯

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 その先一登りで平笠不動避難小屋。小屋の背後の大きな岩塊が平笠不動(の御神体)ということなのだろうか。ちょっと攀じ登ってみたくなる風情だ。あたりにはハイマツも出てきた。頂上まではあと一息。その一登りでまた十分に遅れ、ようやく皆の待つ山頂(薬師岳)2038mに着いた。

 

 ↓ 岩手山山頂(薬師岳) 八幡平方面は雲

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  さすがに東北を代表する名山。平日とはいえ、登山者も多い。やや雲が多いものの、展望やロケーションは素晴らしい。ことに当初の私の計画にあった鬼ヶ城の岩尾根や、それと対照的な御苗代湖のある草原湿地帯に目を惹かれる。

 

 ↓ 御苗代湖と奥の乳頭山秋田駒方面 手前左が鬼ヶ城の一部

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 ↓ 鬼ヶ城の岩尾根をズーム

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 八幡平方面は折あしく雲の中だが、遠望すれば秋田駒や早池峰に限らず北東北一帯の山々が見えているはずだが、茫洋となだらかな起伏で連なる、いかにも東北的な山々は、一目でそれが何山だとは同定しにくい。

 遠望もさることながら、眼前にあるのは、一周1時間ほどのカルデラのお鉢巡りの路と、その中に、何となく恥ずかしそうに佇んでいる中央の墳丘。意図的にか、その頂上の二か所に積まれたケルンによって、それはアドレッセンス中葉の少女のまだ硬い乳房を思わせる。乳房山とか乳頭山といった山名はいくつかあるが、これほど魅力的な乳房は初めて見た。

 

 ↓ 少女の乳房

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 ↓ 何してるの? いや、させられてるの?

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 少し楽しみにしていたお鉢巡りは、時間の点から中止という。少々残念ではあるが、反対する者もおらず、もったいない、残念だと思いつつ、そういう私がこの時点では一番疲れているのだから、仕方がない。

 いったん避難小屋に下り、昼食。コンビニ弁当以外に、例によって具沢山の熱いみそ汁やコーヒー等々の豪華な昼食である。

 

 帰路、少し気になっていた三十六童子に立ち寄ってみる。祠の前には赤さびた鳥居と剣。剣は不動明王の持物で問題はないが、ヒンドゥー由来ではあっても一応仏教の範疇である。それと神道の鳥居が同居するのは、神仏混交時代の名残なのだろう。右の首のない石仏ははっきりとはわからないが、地蔵のようにも思われる。もう少しゆっくりと観察したいところだが、そんなことに興味のない皆はとっとと下っている。

 

 ↓ 左:鉄の剣と鳥居の組み合わせ        右:地蔵?不動と見えなくもないか。 詳細不明

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 下りでは遅れることはない。ツルハシの分かれからは往路と分かれ、上坊神社に至る上坊コースを下る。こちらも登りと同様の、変化の少ない単調な下りが続く。時おり現れる美しい紅葉を愛でる。どういうわけかTが何度も滑って尻もちをつく。昨日までの連日のバイク乗りのせいか。この歳になると、下りでひざが痛いという人が多い。他の三人ともその傾向があると言う。私もまったく経験が無いわけではないが、普段はほぼ全くないのは幸いである。

 次第に薄暗くなりつつあることもあって、上坊神社でもゆっくり観察する余裕はなく(他のメンバーはもともと関心がない)、地図上でやや不安のあったその先の路も問題なく、まもなく舗装道路に出た(16:30)。そこから車道を歩くこと30分ほどで駐車場に着いた。途中で振り返ると、岩手山が大きく優美な姿態を見せていた。

 

 ↓ 見返れば暮色に包まれた南部富士

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 省みると、今回の登りでは一人だけ常に遅れていたわけだが、実際にかかった時間は休憩を入れても5時間25分。山と高原地図のコースタイムでは5時間20分。コースタイムは一つの目安にしか過ぎないのだが、休憩時間は含まないことになっている。したがって実質的にはコースタイムよりだいぶ早く登っているのである。上等ではないか。まあコースタイムより早く登ろうが遅かろうが、想定内であれば問題ないのであるが、パーティー全体の力量を配慮しろよと言いたくはなる。しかし一人遅れる私としては言いにくいのだ。ただ「ブツブツ…」とつぶやくのみ。

 ちなみに今回の標高差は1450m。登りやすい単調な富士山型の登降なので、特にきついとは思わなかったが、やはり吾々の年齢としては、日帰り登山としては標高差1000mというのが目安だろう。まあこのコースと移動手段の効率の良い計画だったからこそ、充分日帰り可能だったのである。とにかくまた一つ百名山を登ったのである。

 

 【コースタイム】          

焼走り登山口7:00~第2噴出口跡8:45~第1噴出口跡9:10~ツルハシ分かれ10:05~平笠不動避難小屋11:10~岩手山山頂(薬師岳)2038m12:25 平笠不動避難小屋13:05~ツルハシ分かれ~上坊神社~車道16:30~焼走り登山口駐車場17:00