艸砦庵だより

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レジェンドたちと登った西上州・鍬柄山 (2018.10.27)

【初めに:私は山行のブログにおいては、同行者の氏名は原則仮名としている。しかし本稿ではプロとして活躍している、または活躍していた人、あるいは著書のある人については実名で記す。そうしなければ「レジェンド」の所以がわからないからであり、彼らの活動の軌跡は本名で発表されてきているからである。以上の条件に当てはまらない方のみ仮名で記す。】

 

 

 ここ数年、年に二三回ぐらいのペースで立川会という名の飲み会に参加している。これは『岳人』の編集をされていた山本修(註1)さんが退職されたのを機に、気のおけない知り合いだけで時々集まって一杯飲みましょうという、ごくゆるいプライベートな集まりである。

 (註1)山本修二さん そう言えば正確な年齢は知らない。私より多少年長。長く『岳人』の編集をされていた。板橋勤労者山岳会所属のオールラウンド山屋。編著書に『岳人備忘録』(2010年 東京新聞 *面白く、素晴らしい本です。日本現代登山史の第一級の資料。)等、多数。

 

 私と山本さんの縁は、20年以上前、1995年から2年間『岳人』誌上に「山書彷徨」という、山に関する書物についての連載をしていた時の担当者だったことにさかのぼる。当時所属していた浦和浪漫山岳会の月報に断続的に掲載していた拙文に目をとめ、『岳人』への連載を要請されたのである。連載終了後、数年の間をへて『山書散策』として東京新聞出版局から単行本化された。

 それを機にというか、山書への執着も少し熱が冷めたというか、何よりも本業の大学教員としての多忙な仕事と、制作の両方に追われ、山に行く機会も減り、山岳会とも縁が薄くなった。その間、山の本についての執筆依頼も何度かはあったが、本業と制作に集中するためにほとんどの依頼は断り、いつしかそちらの世界との縁も切れた。やはり自分が積極的に山に行かなくなると、山の本に関する情熱もなくなるというか、薄れる。私は本質的には、山書に限らないが、コレクターではないのである。

 したがって以後の20年近く、ほんの淡いお付き合いしか無かったにも関わらず、ある日立川会に誘われた。そしてノコノコ行ってみたら、その顔ぶれの豪華さにびっくりしたのである。有名度合いはともかく、アルピニスト、ヒマラヤニスト、クライマー、ガイド、ライターばかりのそうそうたる顔ぶれではないか。せいぜい元:三流沢屋、現:ほぼ無名の画家(元大学教授とか博士という肩書は、この会に限らないが、ほとんど無意味)という貧弱な肩書しかない私としては、当初は必ずしも居心地の良い場とは言えなかった。なぜ私に声がかかったのかは、今でもよくわからない。

 しかしそれはそれとして、それぞれのお人柄もあり、話の内容も興味深いものが多かった(最先端のクライミングあたりになると、知らないというか、理解できないことの方が多かったが)。私は決して有名人好きのミーハーでないが、本や雑誌でしか知らなかった有名人・レジェンドたちと場を共にするのは、やはり大した体験である。そうした人にはやはり特有のオーラがある。

 

 9月の初旬だったか、そのメンバーの一人の打田鍈一さん(註2)から「国井さん(註3)と山へ!! 立川会親睦山行」というメールがきた。その前の暑気払いの飲み会には欠席したのだが、その時にでも話が出たのだろうか。

 

(註2)打田鍈一さん 1946年生まれ。名刺には「低山専門 山歩きライター」とある。著書に『ハイグレードハイキング』(共著 1993年 山と渓谷社)、『新分県登山ガイド 埼玉県の山』(山と渓谷社)、『藪岩魂』(2013年 山と渓谷社)、『山と高原地図 西上州』(昭文社)。ほか山岳雑誌に執筆多数。

 

(註3)国井治 1944年生まれ。徒歩渓流会。エベレスト南壁隊隊員、ヌプツェ北西峰初登頂、ナンガパルバット隊隊長。ウィランス・シットハーネスやEBシューズを日本で初めて輸入販売し、のちに登山用品開発会社マジックマウンテン設立。著書に『ザ・ロング・トレイル 登山用具と人と五十年』(2017年 山本修二さん編集 株式会社マジックマウンテン)。

 

 立川会というのは、本質的にはゆるい飲み会である。登山を軸とする会ではあるが、個々間ではともかく、全体としてみんなで一緒に山に行きましょうという雰囲気には、ちょっとなりにくい場なのである。そうした場で、仕切り上手で積極的な打田さんが、最近顔を出されるようになった、現在は実質的に山屋を引退されている国井さんをどう口説いたのか知らないが、こうした企画が出てきたのはちょっと驚きだった。

 当初は何人参加するのかもわからなかったが、場所が西上州鍬柄山と知って、参加を表明した。

 西上州は昔から好きな山域であり、その意味で打田さんの著書もガイドブックもよく読んでいた。しかも、西上州は距離的にはさほど遠くはないが、車を運転せぬ私としてはひどく不便で行きにくい山域だったこともあり、ぜひこの機会に久しぶりの西上州を訪れたいと思ったのである。

 そうこうしているうちに参加者も増え、その夜は奥秩父廻り目平で宴会、山小屋泊まりと、プランが広がっていった。うまくすれば二日目に近くの山に登れるかもしれない。打田さんに電話してみると、二日目の朝、所用で早めに帰るので途中の登山口馬越峠まで送って下さるという。久しぶりのラッキーな展開である。

 

10月27日(土)

 朝6:45東飯能駅に集合。4時過ぎには起きなくてはならない。結果、ふだんにもまして少ない2時間ほどの睡眠…。

 ともあれ駅で金邦夫さん(註4)とT島さん(註5)と一緒に、駅前で待っていていただいた打田さんと合流。打田さんの車で下仁田の道の駅に向かう。まだ雨は少し降っている。

(註4)金邦夫さん 1947年生まれ。アルピニスト。元警察官で長く奥多摩山岳救助隊副隊長。著書に『奥多摩登山考』(2002年 東京都公園協会等)、『金副隊長の山岳救助隊日誌』(2007年 角川学芸出版)、『すぐそこにある遭難事故 奥多摩山岳救助隊員からの警鐘』(2015年 東京新聞)。最近は某宮家の登山に同行というかガイド(?)などもされているようだが、詳しくはオフレコとの由。

 

(註5)T島さん 1960年生まれ。オーケストラ指揮者、某音大等の講師。本人曰く、指揮を始めるより岩登りの方が早かったとか。今でもクライミング、それも単独登攀やアイスクライミングを中心に実践しておられるクライマー。

 

 道の駅に着くころには雨も上がり、なんとかなりそうだ。他のメンバーも続々と集まってきた。山本さん、国井さん、川村晴一さん(註6)、T田さん(註7)、Iさん(註8)、Kさん(註9)、S(娘)さん(註10)、S(母)さん(註11)、計12名の大部隊。

 

(註6)川村晴一さん 1947年生まれ、元山学同志会。ジャヌー北壁初登、エベレスト無酸素登頂(日本人初)、K2北稜登頂、カンチェンジュンガ北壁初登、等。ヒマラヤはすべて無酸素。8000mの上で煙草を吸われたそうである(本人談)。本人の著書はないが、『北壁の七人』(小西政継)、『精鋭たちの挽歌』(長尾三郎)等に登場している。前掲の山本さんの『岳人備忘録』でも山本さんがうまく心情を引き出されている。私が高校生の頃の何年間か『山と渓谷』の表紙モデルをされておられ、それが実にカッコよかった。

 

(註7)Tさん 41歳、現役クライマー。某山岳会所属。立川会会員の、これもまた間違いなくレジェンドの一人である池田功さんの経営される造園会社に勤務していたが最近独立されたとか。会うのは確か今回で2回目か3回目、お話しするのは事実上初めて。

 

(註8)Iさん 茨城県在住。軽トラで遠路来られた。徒歩渓流会で国井さんの少し(?)後輩だと言われるから70歳前後(?)。今も毎週のように山歩きされているとか。私とは初対面。仕事の都合で初日のみ参加。

 

(註9)Kさん 山梨県在住で元蒼山会会員。国井さんの友人(?)。現在も幅広く山登りされておられる由。私とは初対面。私よりちょい年上の、ちょっと不思議な雰囲気の女性。

 

(註10)S(娘)さん 20代後半?30代前半? 沢でT田さんに、日和田でT島さんにナンパ(?)されて立川会に参加。クライミングも沢も志望とのことだが仕事がら山行パートナーが見つからず、お母さんと山に行っているとのこと。

(註11)S(母)さん 私とは初対面。もともと山は歩いておられたようだが、最近は山に目覚めた娘さんに乞われてあちこち同行されているとのこと。中の良い親子である。

 

 駐車場からは、これから向かう鍬柄山がガスを通してぼんやりと見える。風景としては水墨画のようで、それなりに美しいが、鍬柄山そのものは茫洋とガスった大桁山の中腹手前にポコンと飛び出した突起というか、コブのようだ。

 

 ↓ 道の駅から見る鍬柄山 後ろは大桁山

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 終結した計12名全員を知っている人はたぶん誰もいない。簡単に自己紹介とあいさつを交わし、車に分乗し、登山口に向かう。

 単線の上信電鉄を横切り、林道(関東ふれあいの道)を少し行けば、車4台ほどが止められる駐車スペースがある。目の前には鍬柄山がいかにも岩峰といった面持ちで、頭を出している。

 

 ↓ 駐車場から見た鍬柄山

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 ↓ 参考:別の角度から見る鍬柄山 (ネット上で拾ってきた画像)

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 山仕事をしていた地元の方に少しスペースを譲っていただいて、歩き出す。雨は上がっている。ほんの少し戻ったところに登山口の標識。植林の中を登る。

 

 ↓ さて出発 すぐ先が登山口

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 ↓ 登山口 左のオレンジのヘルメットが国井さん 

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 中にお社がある。鍬柄山阿夫利大神と記された巨大な木刀が掛かっている。天井裏にはたくさんの木刀が奉納されている。

 

 ↓ 阿夫利神社

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 鍬柄山は別名石尊山とも言われるとは知っていたが、石尊?阿夫利神社?この関係は?と不思議だったが、帰宅後調べてみると、「石尊権現(せきそんごんげん)は、大山の山岳信仰修験道が融合した神仏習合の神であり、不動明王本地仏とする。神仏分離廃仏毀釈が行われる以前は、相模國 雨降山大山寺から勧請されて全国の石尊社で祀られた。(ウィキペディア)」とあって、納得した。丹沢の大山は別名阿夫利/雨降山であり、雨乞いの山でもある。

 

 登り始めて30分ほどで尾根上のちょっとした広場に出た。これからの岩場の登りと頂上からの懸垂下降に備え、ここでザイルを用意し、ハーネスを着ける。

 

 ↓ 岩場手前の肩の広場で

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 ↓ 川村晴一さんのザイルさばき 思わず見惚れるほど流麗である。

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 今回の山は岩峰とは言っても、地元の人が毎年総出で参詣のため登られているとあって、鎖などが整備されており、所要時間もさほどかからないということで、オプションとして、下山は反対側の岩場を下降しようと打田さんが提案されていたのだ。ハーネス?そういえば沢登りをしていた頃もっぱら使っていたのは、いわゆるウエストベルトである。確かシットハーネスも登攀的要素の強いルートでは使っていたが、ザイルを使う山行を事実上やめて以来、とっくに捨てている。まあ、懸垂下降だけに使うのであればウエストベルトでも差し支えあるまいというか、耐用年数はとっくに過ぎているだろうが、それしかないのだから。

 

 ↓ 岩場取り付き手前

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 ↓ 岩場取り付き

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 そこからすぐ先が岩場の取り付き。久しぶりということで、国井さんとS(母)さんのみアンザイレン。前後を、それこそ超ベテランが確保して登る。実際には岩場全部に鉄鎖が設置されていたのだからほとんどその必要はないようなものだが、そこはまあお互いの現状の力量もわからぬこととて、安全第一である。

 

 ↓ アンザイレンされたS(母)さん

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 岩場もそれほどのスケールがあるわけではない。人数も多いせいで少し時間もかかるが、その分のんびりと景色を楽しめながら登れた。

 

 ↓ 岩場中ほどのビューポイント

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 ↓ ビューポイントで撮影中の打田さん

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 いったん祠のある頂稜部に出ると、そこから目と鼻の先にある頂上までの間がやせた岩稜。気持ちが良い。ここにも真新しい鉄鎖が付けられている。ということで、あっという間に頂上。標高は低い(598m)が360度の大展望。小粒だがピリッとした気持ちの良い山頂である。残念ながら鹿岳・四ツ又山や荒船方面は雲がかかって見えない。

 

 ↓ 頂稜のやせた岩稜 目の前が頂上

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 ↓ 下仁田から鏑川流域をのぞむ

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 ↓ 頂上の祠と国井さん

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 ↓ 山本さんと一緒に

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 ↓ その先にも三つの祠がある。良い感じ。

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 私などが展望を楽しんだり、軽くものを食べている間に、クライマーたちは下降予定の岩場を偵察している。クライマー、沢屋(私)、藪屋(打田さん)の考える下降の仕方、懸垂下降の技術論がそれぞれ微妙に違っており、面白い。とはいえ、まだ力量もわからぬ初対面のメンバーもいるということで、結局大事をとって往路を戻ることになった。それはそれで納得。

 

 ↓ この先が下降予定の岩稜というか、壁。手前のブッシュで支点としては充分だと思うのだが…。確かにそうすると長さがね…。

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 いったん基部の尾根上の広場まで降りて、希望者数名で、下降を予定していた岩稜の基部まで行ってみた。見上げれば、やはりかなり切り立っており、今回の懸垂中止は妥当な判断だったようだ。

 

 ↓ 下降予定の岩稜の基部。う~ん、確かにまあ…。

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 そうこうしているとその反対側の尾根からぞろぞろと人が降りてきた。大桁山から下りてきて、これから鍬柄山に登るという。老若男女交えて約20名ほどの団体。どこかの市民ハイキングでもあろうかという風情である。

 下りはあっという間である。かくて普通であれば2時間足らずの山をゆっくりと楽しんだ、豪華な山行は終了した。

 

 ↓ 駐車場から青空を背景に再度鍬柄山を見る。

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 ↓ ズームすると、こんな感じ。左の影のところの下から右上に斜上。頂上は左のピーク。

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 いったん道の駅に戻り、打田さんおすすめの食堂で昼食。その後、昭和の色合いを濃く残す路地を歩いて、名物のコンニャク屋に寄る。ここでIさんのみ仕事の都合で帰宅され、他は今宵の宿、奥秩父廻り目平に向かう。

 

 ↓ 昭和の色合い。「撞球場」などと書かれた店(廃屋)もあった。

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 西牧川沿いを行き、内山峠では車を止めて荒船山艫(トモ)岩を眺める。なかなかの絶景である。突然、S(娘)さんが「岩壁に星がある!」と言う。よく見ると確かに岩壁の左側に星形が見える。ズームして撮影してみると多少形は崩れるが、やはりそのように見える。いわゆるゲシュタルト反応というか、無秩序な偶然の状態の中にある意味をもった形体を見出す(「だまし絵」などがその一例)ということなのであるが、それはそれで面白かった。それを見出し面白がるS(娘)さんの詩的感性に感心。

 

 ↓ 荒船山・艫岩 確かに軍艦の舳先のようだ。左の影との境のリッジに星が見えますか。

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 ↓ ズームすると星形が見える。

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 その後佐久に出て、小海線沿いから川上村廻り目平に向かう。この辺りは、昼間は初めて、あるいは実に久しぶりに目にする景色。西日をあびて紅葉の山々が美しい。と思っていたら、Kさん曰く、長野県の人は、長野県の山はカラ松(唐松 落葉松)の植林ばかりでつまらないと言われるとのこと。そうか、素晴らしい紅葉(黄葉)だと見入っていたら、植林されたカラ松の黄葉だったのである。とはいえ、一年中ほとんど変化することのない暗緑色の植林=杉檜に馴染んでいる吾々からすれば、確かに人口林、植林ではあっても四季の変化に対応して新緑から夏の緑、そして黄葉から落葉へと遷り変わるカラ松は十分に自然の一部として美しく見えるのである。風土性というか、認識の違いというのは面白いものだ。

 

 ↓ 残照に映える御陵(おみはか)山

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 廻り目平に近づくと前方に怪異な岩峰群が現れてくる。あれが屋根岩かと思うが、車窓からは撮影の余裕もない。素晴らしい白樺林の黄葉とその間に点在する紅葉。メンバーのほとんどの人にとっては単なる見慣れたアプローチにすぎないのだろうが。もっとゆっくりと鑑賞したいものだが、今回は仕方がない。ほどなく廻り目平に到着。

 

 ↓ 廻り目平から見る屋根岩。もっと手前でカッコ良く見えたのですが、撮影できませんでした。

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 ↓ 廻り目平の紅葉。これももっと少しきれいな場所があったのですが、あっという間に暗くなってしまった。そして何よりも私の腕とカメラではあの素晴らしさは再現できません。わが心に残るのみ。 

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 素晴らしい紅葉である。私がこれまで見た紅葉の中でも間違いなく一番である。残念なことに秋の日は釣瓶落としで、雑用に追われているうちにあっという間に暗くなってきた。

 

 ↓ さて宴会準備。続々とクライマーたちの車がやってくる。圧倒的に多いのはボルダリングの人たち。

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 早速、宴会の準備。流儀は違ってもベテラン揃い。焚火に大鍋をかけ、おでんが煮える。あっという間に準備は整い、宴会に入る。楽しい宴会はその後、金峰山荘の部屋へと二次会の場を移し、23時頃まで続いたのであった。

 

 ↓ 歩行距離が短すぎて赤線がさびしい。

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【コースタイム】2018.10.27(土)曇りのち晴 

 *あまりちゃんと記録をとっておらず、不正確です。

林道駐車スペース9:10~尾根広場ハーネス着装9:55~頂上598m~尾根広場~西側岩稜基部往復~阿夫神社12:20~林道駐車スペース12:25