艸砦庵だより

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陽春のリハビリ山行―入山尾根の思いがけぬ結末

 2019年の山始め。と、書いてみたが、有体に言って、リハビリ山行である。

 先のブログ記事「『週刊女性』に(ちょっとだけ)名前が出た~古い一枚の写真から」にも少し書いたが、年明けから体調が芳しくなかった。右腕の不具合と高血圧(?)である。

 その後、二つの病院に行き、ビタミン12と一番軽い降圧剤を処方してもらった。その効果があったのか、症状も少し緩和されてきたようだ。自重してきた山歩きに出かけたくなった。あまり標高差がなく、短めのルート。明日は晴だがその後数日は傘マークが続いて出ている。明日は月曜日、女房は10時から英会話教室。というわけで、それに合わせて「登るぞ!リスト」の中から、最もわが家から近い入山尾根に行くことにした。

 

 この入山尾根は戸倉三山の刈寄山の東、今熊山から市道山へ向かう途中の、棚沢入りの峰とか豆佐嵐(ずさらし)山とか呼ばれる648mの小ピークから南東へ延びる尾根である。日々私のアトリエの窓から見える秋川丘陵の奥に、その一部をのぞかせている。雪が降って数日たって、秋川丘陵の雪が消えた後でも、その後ろの尾根にはまだ白く消え残っていて、何となく気になっていた尾根だった。

 何年か前に、運転免許を持たない自分の行動半径を少しでも広げようと思って、自転車(クロスバイク)を買った。自転車プラス山歩きというコンセプトの可能性を試しに、入山尾根の取り付きにあたる琴平神社まで行ってみた。神社まで登ってみて、案外良い尾根だと確認したが、下山後の自転車の回収に難があり、以後これまで行かずじまい。

 もとより大した尾根ではない。ほぼ全く無名の尾根である。古い『新ハイキング』には出ていたような記憶もあるが、ガイドブック等には載っていない。ひと気のない篤志家向きルートであることはむしろ望むところだが、気になるのはその尾根の北面に醜く刻まれ、地肌をむき出しにした砕石場である。雪が降ってもなかなか消えないのはそのせいである。

 昨年か一昨年に、ネットでその記録を見てみた。問題の採石場の部分では「親切な作業員が迂回路に誘導してくれた」とかいったような記述があったように記憶している。これで安心した。まあ、ナメはしないが、甘く見たのである。

 

 当日朝、女房の都合により、結局車で送ってもらい、登り口の琴平神社の入り口近くで降りたのは、予定より少し遅れて11:30。道を確認かたがた、あいさつした傍らの肥料製造所(?)の人の話では、ここを登る登山者はほとんどいないとのこと。 

 

 ↓ 琴平神社の手前 真ん中の道を進む

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 ↓ 琴平神社の最初の鳥居

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 石の大きな鳥居をくぐり、昔はよく歩かれたであろう石段を登ると、ほどなく琴平神社

 

 ↓ 琴平神社 社殿は新しい

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 ここまで前回来た。ここまでもその先も、指導票は一切ないが、以後赤テープはところどころにある。道形というほどのものはないが、踏跡はほぼ尾根上に続いている。不明瞭なところでも尾根を忠実に辿れば良いので、登る分には問題ない。自然林と植林と混ざり合った林相だが、思ったより明るく、快適に歩ける。

 右下に運動場のような採石場の平地が見えてきた。入山尾根の北面、山入川の右岸には四五本の支流が認められるが、登り口の集落のある最初の支流以外はすべて採石場となっている。その最初のものだ。

 

 ↓ 山入川右岸の最初の採石場

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 ふと足元を見ると水準点だか標高点だかがある。両者の違いは今でも正確にはよくわからないのだが、その上には「水準点(だか標高点だか)を大事にしましょう」などと記されたビラがぶら下がっている。地形図で見ると、向山(山名の記載はない)に・386として「標石のない標高点」記号が記されているが、目の前には標石がある。??という感じだが、向山より手前には何も記載されていないのだから、ここが向山なのだろうと思い込んでしまった。

 

 ↓ 問題の水準点だか標高点

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 ↓ 謎の木札 3Dプリンターとかレーザーカッター的なもので同一規格で作られている。なにやら背後に大きな組織がありそうな??

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 さらにすぐそばには「370m 東京350」と掘りこまれた板(標識)がぶら下がっている。その先にもいくつかあって、いずれも同一規格の、手の込んだものである。「東京350」は意味不明だが、水準点か標高点の存在ですっかりそこが標高386mの向山だと思い込んでしまった私は、その木札を、いいかげんな標高で付けているなと思っただけだった。

 実際には、後ほど判明したのだが、その木札の位置は正しかった。つまり向山はまだだいぶ先だったのである。今、地図を見れば簡単にわかるのだが、中三か月のブランクのせいか、すっかり勘が狂ったようだ。そのせいで、しばらくの間、自分が思い込んでいる地図上の現在地と実際の地形や周囲の見え方にズレが生じて、困った。

 

 ↓ 快適な尾根筋

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 ともあれ、多少の藪や小さなアップダウンはあるものの、快適な尾根を進む。

 

 ↓ 見苦しくてすみません。謎の獣糞。猪?熊?鹿?狸?

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 足元に奇妙な獣糞を見つけた。猪ではない。けっこう大きいので熊かと思ったが、どうも違う。鹿は豆のようなのをパラパラとまき散らすはず。その先にも数多くの獣糞があったが、その中に豆のようにばらけたのと、それらを圧縮したようになっているのが同時にあるのをみつけた。それを見て私の考えた仮説は「鹿は歩きながら排泄する時はパラパラと小粒の豆状の糞をする。警戒する必要のない安全な状態でゆっくり踏ん張って排泄するときは、粒々を葡萄の房を固めたように、まとめて大きな糞をする」というものだった。

 

 ↓ 見苦しくてすみません-その2。豆粒状とブドウの房状の合体。

   これ以外にも各種撮りましたが、もう載せません。

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 帰宅後その説を裏付けるためにネットで調べてみたら、それはおそらく猪のものだった。「塊状のつながりが特徴」とあったのである。そして私が今まで猪のそれだと思っていたものは、どうやら狸のそれ(溜めグソ)だったようだ。体の割合からすれば大きすぎるように思えるが、猪は溜めグソはしないそうだ。鹿はいつだって豆粒状。う~ん、素人の思い込みは危険である。

 ともあれこんな人里に近い、しかも始終砕石場の騒音が聞こえてくるこの尾根一帯に、猪やら鹿やら狸やらの糞は多い。私は確認していないが、熊の爪とぎ跡もあったそうだ。野生の気配濃厚である。

 

 閑話休題

 

 ある小さなピークの北側、砕石場の上部に当たる側が幅十数メートルに渡って、二三mほど地滑りを起こしているというかずり落ちているように見えるところがあった。

 

 ↓ 写真ではわかりにくいが、左の採石場方面にずり落ちているように思われる。

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 ↓ 同上

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 集中豪雨、土砂崩れなどと連想すると、ちょっと怖い。

 

 ↓ ところどころにある快適な尾根筋

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 ↓ ところどころにある気持ちの良い尾根筋

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 そうこうしているうちに「向山」と記された黄テープが現れた。傍らには「向山 386m」と記された木札。

 

 ↓ ガーン!

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 ↓ またしてもこの木札 わかったよ、あんたが正しい

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 ↓ 向山はなんの変哲もない一地点

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 ここに至ってようやく、これまでの現在地の誤認に気がついた。妙にいいペースだと思っていたが、むしろ遅いではないか。それもこれもあの地図に出ていない水準点だか標高点だかが悪いのだ(帰宅後、確認のため「地理院地図」を見てみたが、やはり出ていなかった。むろん、悪いのは思いこんだ私である)。

 気を取り直して先を急ぐ。踏み跡ははっきりしたり、薄くなったり、藪は多少濃くなったり薄くなったりするが、問題はない。それなりに快適に進む。ところどころ気持ちの良い部分もある。向山から1ピッチで一ツ石山と記された例の木札。納得するしかない。特に何の変哲もないピークだが、山頂は山頂だ。

 

 ↓ 了解です。納得しました。

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 ↓ 一ツ石山山頂

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 その先、尾根筋はやや荒れてきた。砕石場関係か、ススキやイバラの中の作業道跡のようなところを歩くところも出てくる。右手に大規模な砕石場の全景が見えてくる。場違いな例えだが、古代の神殿の建設現場のようだ。

 

 ↓ 古代神殿の建設現場

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 615mあたりかと思われるところで、とうとう現れた、「危険 立ち入らないで下さい」の看板。予定通りである。少し下った鞍部状のところで鉄鎖と同じ新しい看板。その先で砕石場の現場と直接出会う。

 

 ↓ やはり出てきやがった。この先には新しいものがあった。

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 ↓ 右上から重機のある所に降り、そこから手前斜面をトラバース

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 私の見込みではここから迂回路があることになっていたのだが、そんなものはない。親切な作業員もいない。工事現場は尾根の頂稜きっちりまで来ているので、そのわずかに下の斜面を、あるはずの迂回路を探しながらトラバースしてゆく。

 

 ↓ トラバース その2 この先傾斜がきつくなり、廃棄された岩や伐木が多くなる。

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 現場からの岩や土砂、伐採された木材が形成する斜面は歩きにくいが、仕方がない。こうしたところを歩くのはそう嫌いでもない。迂回路なんぞはとっくの昔になくなったというか、そのあったところを越えて砕石場が拡大されたということなのだろう。

 次第に斜面の傾斜は強まり、捨てられた岩や材木が増え、危険に感じはじめる。やむなく上に上がってみて、驚いた。それまで尾根の頂稜部までしか来ていなかったはずの現場は、尾根そのものを切り崩して平らにしていたのだ。

 

 ↓ トラバースを断念し上がった地点から。尾根は無くなっていた。

  前方のピークの少し先が一般縦走路なのだが、その手前に重機が稼働中。手前ではボーリングの最中。

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 さて困った。その先の斜面トラバースは急で危険、時間もかかりそうだ。ずっと下の植林帯まで入って大きく迂回するのも、大変だ。時間が読めない。そもそもそんなことをする意味がわからない。

 現場を突っ切って300mほど先の樹林に入れれば良いのだが、その先には重機が働いている。すぐ目の前ではボーリング作業をしている。その作業員の目には、今は姿を現している私が見えているだろうか。

 この期に及んで、ようやく腹が立ってきた。砕石場はギリギリでも尾根頂稜までで、よもや尾根そのものを切り崩すとは思っていなかったのである。それもまあ、私の勝手な思い込みではあるが。そもそもここで掘り出した土砂岩石をいったい何に使うのか。ビルやマンションの建設にか。東京オリンピック関連か。先ほどの看板には「菱光石灰工業」とあったから、セメント関係か。このあたりの岩石を見ても私の知っている石灰岩とは違うように思われるが、奥多摩一帯、私の家のすぐ近くにも石灰岩帯は多いから、やはりここも石灰岩なのか。

 いずれにしても、資本主義ベースの自然破壊であり、環境破壊ではあるが、今それをとってつけたようにここで憤っても始まらない。問題はこれからどうするかだ。

 のこのこ歩いて行っても、どやされるのは目に見えている。予定ルートの完登は目の前だが、トラブルは避けたい。しかし、思えばこちらに理も分も、あまりない。熟慮数分、いや15分、引き返すことにした。久しぶりの「中退」ではなく、「敗退」である。

 

 ↓ 敗退途中。現場内を行く。白けた広がりと赤いコーンの組み合わせがシュールな美しさを出していた。

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 本来なら、予定通り登って今熊山経由で下りる方が家までの距離は短く、時間も早い。登ってきた尾根を下るとなると、小さな上り下りが結構あり、疲れるだろうが、仕方がない。

 登るときには踏み跡も当てにしたが、基本的には単純に尾根を忠実に辿るだけでよかった。しかし、下りとなると特徴のない微妙な屈曲が多く、ちょっとした枝尾根に入り込みやすく、案外難しい。そういうところに限って赤テープがない。五六回は迷った。ちょっとした登り返しがこたえる。下りにこそ読図力が必要だ。琴平神社に着く直前までそんな小さな罠(枝尾根)に神経を使わせられた。途中、ショートカットするために、一ツ石山から北に分岐する枝尾根を下って山入川方面に降りれないかと、いったんは試みてみたが、そのまま砕石場に降りてしまいそうで断念。

 

 ↓ 西日をあびた感じの良い尾根を敗退行

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 琴平神社が近づいた頃、私の歩くのと並行して、すぐ近くの山腹を数頭の鹿がゆっくりと移動していった。足を止め、目を凝らしても樹林の中で移動する姿は見えない。ざわざわと足音だけが聞こえる。暗くなりかけたこれからが彼らの活動時間なのだろうか。

 

 ↓ 途中でみつけた不思議な木の造形

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 琴平神社着17:20。時間のめども立ったので、女房に電話して迎えを頼む。歩いて帰るつもりだったが、やむをえない。そこからさらに10分少々で平川病院近くの駐車場。ほどなくやってきた女房にピックアップされて帰途についた。

 

 今年の山始め、実はリハビリ山行は、かくて思いもかけない展開のうちに終わった。ここ数年の宿題だったルートが敗退に終わったのは残念だが、必ずしもそう悪い印象は残っていない。尾根自体は案外良かったし、思っていた以上には歩けたということもあるからだ。しかしそれ以上に思いを深くしてしまうのは、この尾根の将来についてである。

 帰宅してネットで調べてみたら、前回見た時と違って、最近の記録が出ていた。その内の一ツは休日の誰もいない砕石場をスタスタと通過したというものであり、もう一つは私と同じ場所で作業員に通過を断固拒まれ、そこから車でバス停まで送られたというものである。休日!その手があったか。盲点だった。しかしそこまでして登るのもどうかと思うし…。

 地図を見ていて思い出したが、この入山尾根と並行する山入川左岸の尾根もだいぶ前に登ってやはり主稜線に合流する手前で踏み跡もなくなり、時間切れで、短い距離だったが猛烈な藪の中を薄暗くなった林道に下ったことがあった。ついでに言えば、同じ山域の刈寄山に突き上げる古くからの登路として知られる篠八尾根を、高をくくって行ったら、大採石場の崖に出くわして、ほうほうのていで退散、石仁田山から日陰本田山へと転進したこともあった。この時も最後は藪コギだった。近場で人の行かないルートに行くと、こうした確率は高い。

 いずれにしても私がこの入山尾根を再訪することはないだろう。登山ブーム、一部ではバリエーションルートブームの昨今ではあるが、戸倉三山に繋げられなくなってしまえば、その魅力はかなり減じる。今後この尾根に入る人はますますいなくなるだろう。一ツ石山までの往復だけでも、私はそれなりの魅力を感じるが、あまり効率の良いルートとは言えない。ましてや下りのルートファインディング等を考えると人には勧められない。

 百年歩かれた道は百年持つというが、登山ルートとしては、このまま静かに消滅してゆくというのも、それはそれで味わい深いかなと思うのである。

                             (記:2018.2.19)

 

  ↓ 今回歩いたルート 左の✖まで

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【コースタイム】2018.2.18(月)

琴平神社入口手前11:30~琴平神社11:55~向山386m13:10~一ツ石山536m13:55~615mピーク先引き返し地点14:40~一ツ石山15:35~向山16:20~琴平神社17:20~平川病院入口駐車場17:35  標高差410m