艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

再戦の中尾根から京戸山・ナットウ箱山・達沢山(2019.3.22)

【コースタイム】2019年3月22日 標高差885m

笹子駅9:35~中尾根取付10:40~鉄塔11:05~P1093m11:27~中尾根への分岐11:31~主稜線合流(カヤノキ平の頭と誤認)12:50~中尾根の頭標識/引き返し~カヤノキ平の頭14:12~ヤナギ平15:00~ナットウ箱山15:33~達沢山16:10~峠16:30~堰堤16:50~立沢バス停18:00

 

 年明け以来の右腕の不調と高血圧も、どうやら治まったようだ。試しに行ってみた先月の入山尾根でも、まあなんとかなりそうだという感触。では、すぐ山に行くかというと、それがなかなかそうはいかない。  

 絵描きの私の日々の生活は、制作活動が中心である。美術館に行くとか、所用で外出する以外は、毎日アトリエに入り、一日の大半をそこで過ごす。真面目にやればやるほど、身体には必ずしも良くない。完全夜型生活、芸術上の苦悩、腰痛肩こり、その他云々。それはまあ、しかたがない。

 だから心身のリフレッシュのためにも、定期的に山に行った方が良いのだが、タイミングというものは、なかなか意のままにならない。その意味では、私は意志的人間というよりも、ずるずると流されやすい感性的人間なのだ。そんな私だが、今回はどういうわけか、珍しくフッとスムーズに出発することができた。

 目的地は、これもふと思いついて、駅から直接歩き始められる(バス時刻に煩わされない)ということもあって、三年前に一度目指して中退した達沢山。取り付きの中尾根で、コンパスを忘れたことから、読図ミスをおかして中退した、いわば再挑戦のルートである(この時の中退記は「敗退の笹子・中尾根から達沢山」としてUP済み)。

 当初は、上述のようにしばらく体調に不安があったため、もう一度お試し的な、楽な山を考えていた。たとえば標高差300m以下、歩程3時間程度といった里山歩き。

 そうこうしているうちに、日ましに春めいてくる。日も永くなってくる。あんまり楽な里山歩きではなんだかもったいない気がしてきた。それはもう少し先に、もっと齢をとった日のために、とっておこう。

 

 朝5:50起床。7:28の電車に乗る。笹子駅着9:35。通いなれた道を登山口の新田集落に向かう。新笹子トンネルに向かう国道は対向二車線で狭い。歩道も狭い。そこを車はガンガン飛ばす。歩道を歩いていると、トラックの風圧で危険を感じる。

 

 ↓ 甲州街道沿いにあった石仏(?)。正体は不明。頭には古い宝篋印塔の一部らしいものが載っているが、本体は見たことがない。作は立派で、現代の彫刻家の作品かと思われる。お賽銭があげられているから今では立派に石仏として機能しているということなのだろう。何度も前を通っているはずだが、なぜか今回まで気づかなかった。

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 一時間ほどで前回と同じ、植林の尾根末端の取り付き地点。林業用か登山用かわからないが、古いピンクテープがある。この後も断続的にピンクテープはあったから登山用だろう。

 

 ↓ 中尾根末端の取り付き

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 登山道はないから、以前の間伐作業時の仕事道と思われるかすかな踏み跡を辿る。すぐにその踏み跡は不明瞭になったが、足裏の感覚で登りやすいところを選ぶ。前回はやや左方面から尾根に上がり、伐採後の倒木でそれなりに苦労した覚えがあるが、今回は二度目の余裕で、より慎重にルートを選び、右から回り込むように支稜を登れば楽に登れる。植林帯が終わればほどなく鉄塔に着いた(11:05)。ここからは気持ちの良い広葉樹林の尾根である。新緑には早く、色彩は乏しいが、渋い諧調の美しさがある。

 

 ↓ 植林帯をぬけて広葉樹林帯となる

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 ↓ 中尾根の広葉樹林帯。木の間越しに大洞山を見る。

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 山繭を拾った。天蚕とも呼ばれる野生の蚕である。

 

 ↓ 山繭 美しい彩 美しいフォルム

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 この巣立ったあとの穴の開いた自然の繭だけを拾い集めて絹糸を紡ぎ、それを染めて布を織るという染織家の話を読んだことがある。その話にちょっと感動して、自分でもいつか布を織ってみたいと思い、山歩きで見かけるたびに拾い集めていた。しかしそれを実現する機会はどうやら訪れそうもなく、今でも数十個の繭がむなしくアトリエの一隅に眠ったままだ。ちなみに繭一粒から得られる糸は長さ約600~700mとのことである。

 写真には撮れなかったが、きれいなヒオドシチョウが何頭も舞っていた。

 

 ↓ お坊山から笹子雁ガ腹摺山の稜線。すべてかつて歩いた山並み。

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 ↓ 1093m

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 1093m地点に着いたのは11:27。「恩賜林」の標石がある。問題はこの先である。前回のルートミスはこの先から始まったはずだ。気をつけながら数分歩けば、尾根はそのまままっすぐ下り始める。

 

 ↓ 尾根はまっすぐ下っていくが、踏み跡は右に曲がる。

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 そして薄い踏み跡はその右側に、ヘアピン状に曲がって続いている。かたわらの立木には色あせた赤テープ。これが正規ルートである。

 

 ↓ ヘアピン状に右に曲がる踏み跡の傍らに色あせた赤テープ

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 確かに尾根そのものはそのまままっすぐに続いているが、藪っぽい。進入禁止のように多少の枯れ枝も置かれている。地図とコンパスを見てよく注意しさえすれば間違えなくて済む所であるが、そのコンパスを前回は忘れたばかりに、間違えてしまったのである。また前回は10月で、見通しも効かず、現在地の確認が難しいということはあったが、あっけない間違いだったのだ。ともあれ、こうして道迷い遭難は起きるのだろうと、納得した。

 主稜線に続くこの中尾根は吊尾根状で、細い踏跡は間もなく一区間だけしっかりした路となる。2.5万図では左から破線路が入り、この中尾根を辿って途中から右に分かれるように記載してあったが、その部分だろう。その合流と分岐は確認できなかった。赤松の多い気持ちの良い尾根だ。

 左側が檜の植林帯となってほどなく「新田・至」と記された小さな標識があった(12:35)。

 

 ↓ これが躓きの石。本当はまだ中尾根の途中のジャンクション。

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 今思えば、そこは中尾根の上部で右に分岐する支尾根(この支尾根上には路がある)とのジャンクションだったのだ。だがそれまで全く標識の類がなかったことから、私はてっきりそこが笹子峠~カヤノキ平ノ頭間の主稜線との合流点だと思い込んでしまった(またしても思い込み…)。したがって次に辿り着いた、よりはっきりした路と合流するピーク(標識等無し)を、カヤノキ平ノ頭と思いこんでしまったのである(12:50)。すでに一回歩いてはいるのだが、かくも細部は覚えていないものだ。

 

↓ 主稜線と中尾根の合流点なのだが、なぜかここをカヤノキ平ノ頭と思いこんでしまった。前方は笹子峠に向かう尾根。

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 地図を見てコンパスで確認して、達沢山に向かうべく右に進む。うん?妙な感覚。5分も立たないうちに「中尾根の頭」の指導票。これは覚えている!前回見た。ということは、逆方向ではないか!

 一瞬狐につままれた思いだが、ちょっと冷静になって考え直せば、先の現在地認識が一つずつずれていたことに気づかざるをえないのである。う~ん、しかしそれにしてもやってくれるなあ、中尾根君は。またしてもルートミスを犯すところだった、いや、少し犯したのだが。

 気を取り直して、引き返す。

 

↓ 大洞山の稜線。春未だ浅し。

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 カヤノキ平ノ頭までは案外長い。逆コースの前回は、核心部を終えてあとは下るだけと気楽だったからだろうが、何も覚えていない。

 

↓ 北面のルンゼの源頭。足元まで浸食が進んでいる。

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 気持ちの良い尾根筋なのだが、何となく気が焦り、長く感じる。カヤノキ平の頭着14:12。

 

↓ ここが本当のカヤノキ平ノ頭。やれやれ。

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 立派な指導票やらベンチがある。なぜさっきのところをカヤノキ平の頭と誤認したのか。やれやれといった感じだ。ここまではいわば前段で、ここからが未知の本番なのだ。

 一服して先を検討する。「あわよくば」といった感じで思っていた、達沢山から西に延びる尾根を旭山経由で下山というプランは、この時点で時間的に断念せざるをえない。今回に限らないのだが最近、あわよくば、できればと思って計画の最後の下山用にと考えていたルートは、たいていの場合、時間切れ等で踏破することができないことが多くなってきた。それは体力的、コースタイム的な面もあるのだが、なによりも一般の登山者に比べて約2時間ほどの時差登山をしていることが大きい。かくて美しいラインは達成されずに終わってしまうのである。

 

 カヤノキ平ノ頭からのルートは山毛欅や楢を主とした自然林で、実に気持ちが良い。新緑のころはさぞきれいだろう。最初に少し浸食の進んだ痩せた部分もあるが慎重に歩けば問題ない。北面の斜面にはわずかの雪が残っている。このあたりからは富士山が見えるはずだが、あいにく雲がかかっていて見えない。

 

↓ いよいよ達沢山に向かう。気持ちの良い尾根。

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↓ 左の沢の源頭の浸食。ここだけちょっとコワい。

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 南に下る尾根を派生させるヤナギ平の手前にこの一帯の最高地点1487mがあるのだが、何の標識もなく、それと気づかないうちに通過。普通最高地点にはなにがしかの地名とか標識とかあるものだが、不思議だ。

 

↓ こんな感じ。ヤナギ平の前後。

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 その先の1439mにも何の表示もないが、河田楨の『小さき峠』(1949年 十字屋書店)では(1440mと記してあるが)これが京戸山とされていた。その後最近まで1412.4mの三角点のあるピークが京戸山とされていたと思っていたら、今回初めて知ったのだが、現在はそれがナットウ箱山という名に代わっている。そして現行の「山と高原地図」では1439mと1412.4mの間の1430m圏に京戸山の名が冠されている。つまり私が知っているだけでも三回山名が引っ越ししているのだ。歴史的には山名の変更はたまにあるが、山名の引っ越しはあまりない。いずれにしても国土地理院の地形図には京戸山の名は記載されていないのであるが。

 ともあれ、1439mにも1430m圏にも何の標識もなく(あったのかもしれないが、だいぶ疲れていたせいで見落としたのかもしれない)、北側へのルートもはっきりとは確認しないまま、気がつけば1412.4mのナットウ箱山山頂に立っていた(15:33)。さほどの特徴があるわけではないが、気分は悪くない山頂だ。

 

↓ ナットウ箱山山頂。

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 ナットウ箱山の由来はちょっと調べてみたが、笛吹市と合併する以前の『一宮町誌』に書かれているらしいが、どうもはっきりしない。ある日、旧一宮町が強引(?)に山名表示板を建てたということらしい。山名表示というか、山名変更というか、そういう場合のルールというのはあるのだろうか。従来からあり、それなりに定着していたと思われる京戸山という山名を移動してまで主張するには、地元なりの理由はあるのだろうが、どうもその根拠がわかりにくい気がする。

 それにしても、その山名変更、移動の経緯も珍しいが、ナットウ箱山という山名自体がきわめて珍しいというか、ユニークである。そもそもナットウとはあの美味しい納豆のことなのか。気にはなる。私個人としては、山名としてはユニーク過ぎて、なにかなじみにくい気はするのだが…。いずれにしても、大いに珍しい山名であるだけに、もう少しどこかで親切に説明してほしいと思う。そして京戸山というそれなりに悪くない山名がどこかないがしろにされている気がして、何となく気の毒に思うのである。

 時間的にあまりゆっくりもできず、次の達沢山に向かう。ところどころ雪が消えた名残りで、そうとも見えないのだが、実に滑りやすくなっている。あっという間に尻もちを二度三度。100mほど下った峠からまた少し登り返す。

 辿り着いた達沢山1358mの山頂も似たような趣だが、甲府盆地方面が少し展望がきく。例によって(?)山梨百名山だとか。

 

↓ 達沢山山頂

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↓ 塩山方面。遠くは奥秩父金峰山か?

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 何となく達沢山という山は昔から気にかかっていた山だが、考えてみれば標高はナットウ箱山に比べれば一段低い。位置的にもどちらかといえば、ナットウ箱山の添え物のような、せいぜい太刀持ちか露払いといった感じがしないでもない。実力(?)はナットウ箱山の勝ちという感じか。しかし山梨百名山とあるからには、老舗の知名度の勝ちということなのだろうか。それはそれとして、一つの懸案の山と一つの懸案のルートを登ることができて満足である。

 

↓ 下りは薄暗い植林帯

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 下りはいったん先ほどの峠に戻り、薄暗くなり始めかけた植林帯を下る。路は歩きやすい。

 

↓ 薄暗いけれども歩きやすい

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 ところどころに炭焼き窯の跡を見る。比較的規模が大きいようだ。かつてのこのあたりの林相や生業の様を偲ばせる。

 

↓ 炭焼き窯の跡 けっこう大きい

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 20分ほど下ると堰堤に出る。沢の水に舌鼓を打ち、顔を洗い、汗を流す。

 その先から簡易舗装(コンクリート)された林道を歩く。立沢バス停までの、この1時間ほどの林道歩きはだいぶ長く感じられた。

 

↓ 歩きにくくはないが、長く感じた林道歩き。

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 大きな砕石工場の前を経て、国道に出た。反対側にある立沢バス停でバスの時間を見ようと、横断歩道を渡ろうとするが、信号はない。横断歩道の標識もあるが、車はまったく止まらない。甲州のドライバーの運転モラルはきわめて悪い。ガンガン飛ばす。スピードを緩めさえしない。大幅に制限速度をオーバーしている。ふだん通りの東京でのように、車の流れの切れ目を狙って、少しスピードを緩めてくれさえしたら渡れるつもりで渡り始めたら、スピードを緩めない。マジで轢かれそうになった。いったいどうなっているのだ、甲州は。

 そういえば沢登りをやっていた頃、渓流釣りの世界で、甲州の釣屋の評判はきわめて悪かった。私がよく行っていた北関東や会津越後方面では。沢屋ではあっても釣屋ではなかった私には実情はよくわからなかったが、マナーが悪いというのか、場を荒らすというのか、放流サイズでもみな持ち帰るとか、云々等々、言われていた。嘘か本当か、林道の入渓地点で先行の甲州ナンバーの車が止めてあると、千枚通しでタイヤを刺してパンクさせるなどといった話も聞いたことがある。火のない所に煙は立たぬと言うが、今回の横断歩道で、人が渡ろうとして立っていても決して止まらない、スピードをゆるめさえしないという体験をした私としては、なにか共通する風土性県民性でもあるのかしらと、つい思いたくもなるのだが、そんなろくでもない話を考究しても面白くはないのである。

 とにかくバス停で時間を見るとあと30分もある。石和温泉駅にも止まるはずと思っていたら何度路線図を見ても石和温泉駅は出ておらず、甲府駅しか出ていない(これはさすがに見間違いかもしれないが)。やれやれと煙草に火をつけたらバスが来た???なんだかどうなっているのかわからないが、結果はオーライ。しかも石和温泉駅にも止まった。オーライである。(釈然としないまま、バス時刻については帰宅後バス時刻について調べてみたら、どうやら一本前のバスが10分ほど遅れてきたらしい。中高生がたくさん乗っていたので、そういうこともあるのかなということだ…。)

 バスに乗っている間に暗くなってきた。ともあれ懸案の山とルートを、さほど美しい形ではなかったが登ることができた。久しぶりということもあって、けっこう疲れたが、それはまあ仕方がない。そして、このあたりにはまだ面白そうなルートがいくつも見出せそうである。                     (記:2019.3.25)

 

↓ 今回のルート。できうれば達沢山山頂からまっすぐ西へ赤線を引きたかった。右下の青線は前回の中退ルート。

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