艸砦庵だより

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「小さな桃源郷」 多峯主山の秘密の尾根

 *タイトルにある「小さな桃源郷」は少し前に読んだ『小さな桃源郷 山の雑誌アルプ傑作選』(池内紀編 2018年 中公文庫)の書名を借用したものである。

 

 市役所から「肺炎球菌ワクチン定期予防接種の実地について(お知らせ)」というのがきた。封筒に「高齢者~云々」と記されている。65歳になる年度初めにきて、自分が高齢者=老人であると行政(および世間)から規定・認定されたと、あらためてショックをうけると恐れられているという、その通知である。

 私は早生まれ(三月)なので、該当するのは来年になってからのはずだが、いわゆる「年度」の関係で、いま来るのはいたしかたない。私自身は、中年=オジサンの時代なんぞ、とっくの昔に通りすぎたという自覚を持っているので、特に問題はない。オジサンの次が当然ジーサンなのは自然の摂理だ。ジーサンであろうとジジイであろうと、私はとうから高齢者の自覚充分なのである。

 

 前後して立川会のUさんから一通のメール、「お花見ハイキング」のおさそいがきた。「~ヤワな山歩きの後、場違いな上等空間での遅い昼食を楽しみたい~」とある。

 場所は奥武蔵、天覧山から多峯主山。古くから知られた初心者家族向けのハイキングコースだ。天覧山には小規模な岩場、ゲレンデがある。二十代後半、結婚して西所沢に住んでいたころ、一時期入間市の小さな山岳会に所属しており、何回か岩トレに訪れたことがある。山頂そのものも、26年前に小学校2年生の息子と女房と一緒に正月二日に登った。冬枯れの季節のせいか、あまり印象は残っていないが。

 

 ここのところ山へのモチベーションはけっこう高いのだが、用事雑事に追われ、なかなか行けない。自分から進んで天覧山多峯主山にいまさら行こうという気にはならないが、誘われれば話はちょっと別。ルートや内容にさほど魅力は感じないが、何はともあれ体を動かすこと、山の中に身を置くことが最優先である。それには外からのお誘いに便乗するのが一番手っ取り早い。ということで、参加することにした。

 クライマー率の高い立川会のメンバーが何人参加するのか、あやぶまれたが、中心のYSさん、YJさん夫妻、発起人のUさん夫妻に加え、Uさんの呼びかけで、山と渓谷社の社員Kさん(女性)、Nさん(女性)、I君(男性)の二十代の若者が三人参加した。七十代が五人(四人かもしれない)、六十代が一人(二人かもしれない)、二十代が三人、つまり高齢者が六人、若者が三人という、実にアンバランスな、珍しい年齢構成の即席パーティーである。

 

 歩程2時間ほどということで、のんびりJR東飯能駅に9:51。Uさん夫妻、YJさん夫妻と合流。西武線飯能駅で残りのメンバーと合流。飯能在住、つまり地元住民であるUさんおすすめの店で、昼食やおやつ類を購入しつつ、導かれるままに歩く。

 

 ↓ 途中の墓地の入り口の六地蔵と一緒にあったもの。梵字の刻まれた造形物。初めて見た。正体は今のところ不明。

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 市民会館から花見客でにぎわう公園をへて、山麓の能仁寺の脇からハイキングコースに入る。かつてはどう行ったものやら、さっぱり見覚えがない。と思っているうちに、すぐに見覚えのある岩場に出た。岩場沿いの歩道脇数㎝上のラインが「トラバースルート」。ちょっと懐かしくて取り付いてみるが、ほんの数ムーブではがされた。ほかの人はとっとと先に進んでいる。私以外は、当然、日和田通いの人たち。なんせここは規模が小さく、ハイキング客も多いところだから、本格的なトレーニングには向いていないのだ。しかし、私がかつて受けた県岳連指導員検定実技試験の会場はここだった。

 歩道の下にも岩場があるそうで、ということは、私がトレーニングしていた岩は下にあったのだろう。久しぶりに見てみたい気持ちもあったので、ちょっと残念。なお最近は、ここの岩場も登るのに、事前の申請が必要だとのことである。

 そうこうしているうちに、あっという間に頂上に着いた。

 

 ↓ いきなり天覧山山頂

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 登り口からは標高差70m、15分ほどか。多くの人が休んでいる。標高は197m。もとより取るに足らない高さだが、案外山の雰囲気はある。木の間超しに、めざす多峯主山が見える。

 

 ↓ 山頂より遠望する多峯主山(右)

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 小休止するほどもなく、歩き始める。

 

 ↓ 天覧山山頂からの下り

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 ↓ 降り立った草原状の沢。本来は右に行き尾根を登るのが順路だが、左に下る。モデルは山渓社員のうら若きKさん。

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 順路でいけばいったん北西に下った先の、沢というか草原状のところから前方の尾根を登るのであるが、Uさんはなぜか左に下り始める。何か秘策というか、考えがあるらしい。

 

 すぐに人家のある舗装道路に出たあたりで、なにやら足元がおかしい。見れば靴底のゴム底がべろりとはがれている!!

 

 ↓ あああああ!!!!

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 いかんともしがたく、いったんは剥がれた部分だけナイフで切り離そうかと思ったが、むしろ紐で縛った方が良いという意見が多い。幸い緊急用のテーピングテープはいつも持ち歩いている。応急処置としてテーピング(?)してみれば、何とかなりそうだ。もう一方も見れば剥がれそうだ。ついでにそちらにもテーピング。何となく痛々しくもマヌケな風情となり、あまり見かけの良いものではないが、仕方がない。

 このローカットのスニーカータイプの山靴は、最近はもっぱら裏山散歩専用で、山にはハイカットのもう少ししっかりしたものを使用している。買って何年目になるのだろうか。10年前後?充分、元は取っているから、まあ、しかたがないか。

 

 いったん一般車道の住宅地に出たのち、尾根の末端を一つ回り込んだ形で、右の道に入る。沢沿いの道は、かつての沢に開かれた水田の跡に沿ってゆるやかに登る。ネコノメソウの黄色い群落がある。スミレも多い。正面からの小さな尾根によって二俣になっている、少し開けた湿原状というか草原状のところあたりは、気持ちが良いところだ。

 

 ↓ 浅い沢の湿地状二俣。中間の尾根には山桜。

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 右に進み、多少の植林帯を行けば、ちょっとした窪地と石碑がある。不動の滝とのこと。滝と言っても高さ1mもない。水は流れていない。そのすぐ上に池がある。なぜか緋鯉や錦鯉やメダカ(?)が泳いでいる。雨乞い池とのこと。それで先ほどのが、不動の滝。

 

 ↓ 雨乞いの池 なぜここに緋鯉?

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 ↓ 池脇の階段に咲くスミレ(タチツボスミレ?)

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 それなりの云われもあるようだが、先に進む。一投足で多峯主山山頂270.7mに着いた。

 

 ↓ 頂上直下

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 ↓ 多峯主山山頂。記念集合写真はUさんが撮られたのだが、送られた画像はTIF形式だったので、このブログは読み込んでくれなかった…。

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 先ほどの天覧山より70mほど高いだけだが、さらに見晴らしは良く、奥武蔵一帯の山々を望むことができる。かつて道に迷いながら登った、今は大規模宅地造成で消滅した柏木山の手前にかろうじて残っている龍崖山を含む三つのコブも、飯能市街を見下ろす里山一帯にも、萌え始めた淡い銀緑色の中、そこかしこに桜、山桜、ムラサキツツジなどが咲いている。淡く繊細だが、いかにも日本的な色調の綾なす美しさである。

 

 ↓ 山頂より飯能市街を見る。日本的色調の綾なす繊細な美しさ。

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 多くのハイカーたちは山頂で弁当を広げているが、吾々はもう少し先に進む。頂上から少し降りてきたところで、物々しい制服の一隊と出会った。消防の救助隊。総員30名ほど。

 先ほどの頂上にいた人から「もう歩けないから助けに来てくれ」と要請があったそうだ。はぁ~?と言いたくなるほどの、こんな易しいところで救助隊要請?つまり山岳遭難?詳しいことはわからないが、???である。いろんな人が山にきているということだ。

 

 ↓ 山頂からの一般ルートの下り始め

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 ↓ ここら辺から秘密の桃源郷

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 少し進んだ先で、一般ルートはそのまままっすぐのようだが、左に入る。ここからがどうやらUさんの「とっておきコース」らしい。標識等はない。あえて設置していないようだ。踏跡微かということもなく、それなりにしっかりした路だが、確かにこちら側に来る人はいない。もとより標高200mほどの里山でしかないのだが、その割に何となく深山っぽい感じも出てくる、気持ちの良い尾根だ。

 

  ↓ かそけき新緑、いい感じです。

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 新緑の芽吹き始めた明るい広葉樹林。ところどころに、また左右の尾根に山桜が咲いている。「小さな桃源郷」という言葉がふと口の端をついてくる。なるほど、Uさんご自慢(?)の尾根だけのことはある。

 

 ↓ おだやかな尾根筋、いい感じです。

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 何か所か絶好の休憩ポイントがあったが、それをやり過ごして、止まったのは、ほどよく朽ちはじめかけた木のベンチとテーブルが置いてあるところ。ボランティアの人たちがよく整備されているとのことだ。さて昼食。和やかにあらためて自己紹介を交わし、雑談に花が咲く。高齢者も若者も、それぞれそれなりに楽しんでいるようだ。微かな風に、気が付けば山桜の花びらが舞い、われわれに降りかかってくる。惜しいことに、酒はない。

 

 ↓ 小さな桃源郷

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 ↓ こんな感じ。花びらが降ってきた。

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 それにしてもこの天覧山多峯主山一帯はハイカーや観光客が多い。またその周辺は、いくつもの大規模な造成地やゴルフ場で囲まれているはず。そうした中で、この小さく短い尾根だけが桃源郷と言ってよいような別天地として在るのは、奇蹟的である。もっとも、そう言えるのは山桜の咲く、このごく短い時期だけかもしれないが。

 埼玉ほか数多くのガイド記事を書かれているUさんだが、ここだけは非公開だとのこと。納得である。非公開ルートということで、全員一致。私もこの記事は書くが、歩程を記した地図は載せないことにする。まあ、わかる人にはわかるだろうが。

  楽しいひと時ののち、下り始めればすぐ、正面に大きな山桜。残念ながら、ほんの少し満開には早い。

 

 ↓ 尾根正面の大きな山桜はまだ咲き初めだったので、代わりに横の山桜。

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 その先が、登り途中で出会った二俣。来た道を辿り、町中を抜け、飯能河原に着いた。

 

 飯能河原を渡った先にあるブルワリーレストラン、カールヴァーンに案内される。アラビア料理とクラフトビールの店。隊商宿(キャラバンサライ)をイメージしたという、立派な造りだが、個人的にはそうかぁ?という感じがしないでもないが。

 

 ↓ カールヴァーン 当然禁煙なので一人テラスの喫煙コーナーに。むしろこちらの方が気持ちが良い。

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 ビールの起源はアラビアというか、古代メソポタミアだとのこと。そう言われりゃ、そうですか。海外体験豊富なメンバーばかりなので、別にビビりはしません。まあ、昼食も済ませたことだし、試飲的な四種類の小グラスとつまみ、デザートでさらっと終わる。

 

 ↓ ふと見るとテラスの先の高い木に山叺(ヤマカマス=ウスタビガの繭)があった。ふつう地上数十㎝ほどのところでしか見たことがなかったが、あんな高いところにも繭を付けるのだろうか。かなり距離があったので、背一杯ズームしたが、そうするとなかなかうまく撮れない。

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 あんまりさらっと終わるので、この後誰か駅前でもう一杯などと話していたら、Uさんがうちで一杯どうですかと言われた。結局、私一人厚かましくも御自宅におうかがいし、さらに杯を重ねる仕儀となってしまった。どうして私はこんなに酒にいやしいのだろう。反省せねばならぬ。しかしそのおかげで、奥様を交えて、山以外の、美術やらあれこれやらの清談の、思いがけぬ楽しいひと時を過ごせたのもまた事実である。この立川会という、一切規約の無い、ゆるい集まりのおかげである。

 

 山的には取るに足らない、半ば以上はすでに歩いたことのあるルートだったし、何も期待せず参加した山行(ハイキング)だったが、結果としては魅力のある小さな楽しい山行になった。久しぶりの新緑の、山桜の、もっとも繊細で美しい時期を味わうことができた。参加して良かった。

 それにしても、ごく短い、ある特定の時期だけ輝く、エアポケットのような場所というのがあるものだ。それとどう出会えるか。情報過多の中で、誰もが知っているところではなく、やはり偶然も含めた、自分なりの感性というものが必要なのだろう。

 

 ↓ 歩いたルートは記しませんが、まあ一応天覧山多峯主山の所在ぐらいは示しておきましょう。

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                             (記:2019.4.8)

 

【コースタイム】2019年4月6日 晴

東飯能駅9:51 以後のんびり歩いて3~4時間 普通に歩けば2時間ほど 記録は取らず。

 

 

【追記】

 本稿をアップした翌日の今朝、YSさんから連絡があった。

 立川会のメンバーの一人である指揮者の寺島康朗さん(これまではTさんと表記)が亡くなられたとのこと。急ぎネットで調べて見ると、いくつか出ていた。

 それらによると、寺島さんは7日の夕方から一人で日和田にクライミングの練習にでかけ、夜になっても帰ってこないと奥様から通報を受けて、8日早朝に駆けつけた警察が、岩場の下で、頭部から血を流して、仰向けになって亡くなられている寺島さんの遺体を発見したとのこと。転落は間違いないが、詳しいことはわからない。

 寺島さんは長くソロクライミングをされており、「僕は臆病だから」と安全対策の研究には人一倍つとめられていた。指揮者という仕事柄、日和田に行く時間も思い立ったらという感じで、夕方からというのもそのためだろう。

 昨年の暮、彼を含めて何人かの立川会のメンバーがわが家に来られた。その時のことに反応されてだろうが、その後しばらくたってから、彼の長文のエッセイが三部(「私の登山人生 ~一人神々の座に向き合って~」「私の音楽人生 ~神々の音に触れて~」「指揮者として ソロクライマーとして」 いずれも私家版コピー)送られて来た。一読、予期せぬ面白さに驚き、自費出版するなり、せめて私のブログにアップさせてもらいたいものだと思った。

 3月26日の立川会でそんなことを言ったら、「あの続きも書いたんですよ」と言われた。それらを入れたUSBはYSさんのところに届いているという。

 

 身近な、あるいは知りあいの人が山で死ぬのは久しぶりだ。いずれにしてもいたましいことである。享年五十八歳。御冥福を祈る。合掌。