艸砦庵だより

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個展「耀ふ静謐」 レポート―4

個展「耀ふ静謐」 レポート―4

 

これまでどちらかと言えば、デーハな(?)作品の紹介が多かったので、今回は少し地味めなものを紹介します。

 

 ↓ 736「アララット―いにしえの光」
(41.8×59.2㎝ 2016~2018年 版画用和紙/アクリル・彩墨)
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 アララット山は、現在はアルメニアとの国境に近いトルコ領内にある山。古来ノアの箱舟の辿り着いた山として有名
 キリスト教アルメニア人の心の山であるが、その山麓第一次世界大戦前後にトルコ=イスラム教徒による100万人単位のアルメニア人虐殺があり、今に至るも両国間の民族的アポリア(解決困難な難題)となっている。
 数年前にアルメニアを旅した時、その優美な姿を見て強く心惹かれた。その歴史性を含めて。
 もとよりかりそめの旅人である私に明快に言えることなどないのであるが、手前に描いたアルメニアの印象と合わせて、そうしたことに対する私の心情を綴った作品である。
 ちなみに版画用和紙とあるのは、生前東京学芸大学で版画を教えられていた宮下登喜雄さんが東秩父村で指導(?)されて作られたもの。現在も作っておられるかどうかは知らないが、それも淡い縁であった。
 
 
 ↓ 635「何処へ」
(41.5×28.4㎝ 2012~2013年 台紙に和紙/アクリル・コラージュ・彩墨)
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 これは私の中でも位置づけ、意味付けの難しい、類例のない作品。(会場では額装してあるので、少し印象が違うかもしれません。)
一見してわかるように横断歩道の信号機をモチーフとしている。
 何年か前から信号機が電球式からLED式にかわり、歩く男の図像が「青(緑)地に白」から「黒地に緑(のドット)」と変わった。
 変わり始めの頃で、場所によって従来のものと新型のものと混在していた時期であり、その変化に気づかず、妙な違和感をしばらく感じていた。調べて見たらちょうど切り替えの最中だと知って、安堵したのであるが、『1Q84』村上春樹)の中の「二つの月」のような不思議さであった。
 そうしたことから連想したもろもろの「我々はどこからきたのか。(中略)我々はどこへ行くのか。」(P.ゴーギャン)、「われわれは遠くから来た。そして遠くまで行くのだ。」(白戸三平/忍者武芸帖)に通底する感覚をごくあっさり描いたもの。

*上の一文を書いた後で知ったのですが、忍者武芸帖のそれは、イタリア共産党のパルミロ・トリアッティ(1893-1964)の言葉だそうです。知らなかった。様々な立場から似たような考えに到達するもんだ…。
 
 
 ↓ 603「夜のうつわ」
(80.3×55.9㎝ 2011~2012年 台紙に和紙、アクリル・膠彩・地の粉)
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 次に紹介する604「月の器」と並行して制作。共に既発表のものだが、後者はすでに売れてしまっている。今回この作品を買っていただいた方は、作品集を見て、両方欲しいと言われたが、残念ながらそれはできません。
 この作品はギリシャサントリーニ島の考古学博物館あたりで見た、おそらくミケーネ文明あたりの壺の印象が直接の契機となっている。もちろん忠実な再現ではないが。
造形的要素はかなりシンプル。水性絵具(膠彩・アクリル)のたらし込み的描法のコントロールの難 しさはあったが、私にしては珍しく楽しく描けた作品。
 
 参考までに。
 ↓ 604「月の器」
(80.3×55.9㎝ 2011~2012年 台紙に和紙、アクリル・膠彩・地の粉)
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 内容的には「夜のうつわ」とほぼ同じ。中学高校の同級生のMM君が5年ほど前に買ってくれた。
 古いものを見て我々が美しいと感じる、そうしたフォルムや造形性などといったものは、それを使用していた当時の人たちにとって、どれほどの意味があったのだろうかと、思いはめぐる。
 

 ↓ 696「装飾(ひびきと光)」
(71.3×52㎝ 2016年 台紙に和紙/揉み紙、鉛筆・セピア・アクリル)

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 一連の「装飾」自体をテーマ(?)にしたものの一つ。
 装飾は常に二次的なものとして在った。何物かのための存在。存在理由を自身は持たないものとして。
 だが私は装飾それ自体を描いてみたかった。ゆえにそこに描かれたものは、この作品にはおそらく、「意味」はない。「意味」がないところに顕ち現れるものがあるとすれば、それを見たい。それは何か。仏教で言うところの「荘厳(しょうごん)」と通底するものがあるか、どうか。
 この作品も、自分としては比較的珍しく、割と楽しく描けたものの一つである。