艸砦庵だより

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個展「耀ふ静謐」 レポート―5(フェイスブックおよび「装飾」について、など)

 個展(5.13~25 SALIOT)は終わった。

 始まって見れば、予想していた以上の規模となった。例えば100号以上6点を含む全50点という点数であり、会期は二週間、会場構成は複雑で広い。また、一般的な画廊ではなく、ビジネス街での企業(製造業)のショールームという勝手の違った世界ゆえの、事前から会期中にいたる対応や準備、また事後処理等々で、相当疲れたというのが本音である。

 さらに会場までの往復の電車の冷房や、会場内での冷房と乾燥が原因で、会期半ばで風邪をひき、それに夜ごとの飲み疲れが追い打ちをかけて、個展が終わってから4、5日寝込んでしまった。

 それはまあ、しかたがない。いろいろとしんどいことはあったが、成果もあった。それで良しとしよう。

 

 個展とはまた別の話であるが、会期の少し前からフェイスブックを始めた。それについては、簡単に言えば、「現代に生きるアーティスト(画家)として、必要最低限のインフラ」という息子の言葉に背中を押されて始めたのである。実を言えば、息子の真意と私の受け止め方には若干の食い違いがあったのだが、それはまあ、たいしたことではない。

 ともあれそうして始めたフェイスブックは、実際問題として今回の個展の宣伝媒体として確かに機能した。それが観客動員数に寄与したかとなると、数字だけ見ればそうとも言えないにしても。

 しかし、一回限りの事前の情報提供としての案内状(フライヤー)に比べて、事前から会期中を通して何回も情報を発信することのできる複数回性と拡散性は、ある程度予想はしていたが、今さらながら確かにたいしたものだという気はした。

 だが、言うまでもなく、フェイスブックにはフェイスブックのルールというかリテラシーといったものがある。ブログにはそれなりに慣れて、自分の流儀といったものを多少は身に付けているように思ってはいても、フェイスブックのそれには不慣れなわが身としては、その差異がなんとももどかしい。要は両者の差異をふまえて使い分ければ良い話なのだが、並行して両方やるとなると、時間的にも思考的にも結構な負担である。まあフェイスブックへの投稿は、本来それほど考えてやるものではないのだろう。

 それやこれや考え惑っていると、そもそも自分には発信すべきものを持っているのか、発信したいという気があるのかといった、根源的な懐疑に突き当たってしまいそうになる。それもまた別の話だ。「隠山造宝」もスローガンとしては良いが、スローガンだけでは身を処していけない。

 

 私にとって、ブログを簡単に言えば、それは言葉によるデッサン(≒写生≒記録)の公開だと思っている。フェイスブックは言葉によるクロッキーにさえもならない。画像(写真)の要素が大きすぎるし、控えめであることを要求される言葉(文字)の量では、それが観念から思考に至る過程を満たすことはできないし、そもそもフェイスブックにおいては観念や思考は歓迎されないのだ。むろんそれは私にとっての話であって、仕事・営業・宣伝のツールとして使う人にとっては自明のことであろう。私の場合は、アナウンスという点では、個展やグループ展といったイベントがそうそうあるわけでもない。

 もともとブログであれフェイスブックであれ、多少なりともSNSに関与しておきたいと思ったのは、息子が言った「情報弱者にだけはならないで」という一言にショック(?)を受けたためでもあるが、もう一つは自分の作品を載せたいという、これはこれで単純ながら切実な気持ちがあったことも事実だ。それは、いまさら有名になりたいとか、作品を売りたいとか、そういうことではない。そんな甘い幻想とはもう無縁の年齢だ。

 だが制作した作品を、一週間程度の画廊での発表で、せいぜい200人程度の人の目にふれさせて、後はお蔵入りという現状を思うと、そこにやはりなにがしかの虚しさというか、無意味さを感じざるをえないのもまた事実である。

 そうした虚しさに対抗する工夫の一つとして、最近までの30年ほどは東京と山口県(故郷)の画廊で一度ずつ計二度発表することを基本形、原則としてきたが、山口県の画廊のオーナーが数年前に亡くなられて以後、この形は自然消滅した。

 もう一つの工夫として、作品集の発行(自費出版)もしてきたが、それを買おうという人は画廊に来る人よりもさらに少ない。

 こうした「芸術的衝動の発動→制作→発表→在庫の山」という事態をへて「保管場所の苦労→保管することへの根源的懐疑」という袋小路的現状に至っているのは私に限ったことではあるまい。多くの画家制作者が同様であろう。世に蔓延している「断捨離」という思考は芸術的には不毛きわまりないものであるが、そこに一理を認めざるをえないのもまた事実である。

 現在私は自宅とは別に、車で一時間ほどのところの元織物工場の一画を倉庫として借りているのだが、五年先十年先を思うと、日々頭が痛いのである。

 そうした現実のしんどさからの一時的な逃避として、SNS/フェイスブックへの作品画像の投稿ということがあるのではないか。少なくとも私の場合はそのようなものとしてフェイスブックが考えられる。逃避ということも、生き延びるためには、時には大切かつ有意義なことだ。

 

 当たり前だが日々の生活の中心は制作である。制作に倦んだとき、気晴らしに本を読み、資料整理や骨董いじりをし、裏山歩きをし、ブログの文章を書く。そこに新たにフェイスブックが加わるとすれば、やはりブログの文章への誘導装置としてということになるのだろうか、

 まあしばらくの間はそういった感じで、自分の中で折り合いを探っていくしかないだろう。

 とりあえず今回始めた「レポート」を引き継いで、しばらくやってみようと思う。「レポート—4」までに取り上げたのが10点ほど。とにかく残り全部の画像を投稿してみようと思う。そこまでやってみたら、次の展開というか、可能性も見えてくるのではないかと期待して。

 

 一つ困っているのは、見せ方として、ある作品を、例えば692「やわらかな装飾」を取り上げる時に、必ずしもそれは「シリーズ」ということではないのだが、おのずと似たような「装飾」をテーマとした絵柄のものを関連して取り上げたくなるだろうということ。しかしそれをやってしまうと、それこそキリがなくなりそうだ。やはり、まずは今回の個展の全出品作の紹介ということで、いったんやってみよう。

  

 ↓ 692「やわらかな装飾」

(2015.12.1~2016.1.19  53.5×40.1㎝ ワトソン紙に東南アジア紙・膠地、鉛筆・アクリル・砂)

この手のものとしては3点目。紙は東南アジアのどこかのもの。こうしてみるとアルメニアグルジア的、あるいはケルト的要素が目に付く。

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 前稿の最後に紹介したのが696「装飾(ひびきと光)」。よって今回はその流れで「装飾」をテーマ(?)にしたものを紹介する。

 「装飾をテーマ」ということについては、前稿で簡単に触れている。装飾といっても多様であり、それが抽象的であろうと具象的であろうと、およそ古今東西、装飾を持たぬ民族・歴史はなかったと言える。今回とりあげるのは、それらの中でも中近東、イスラム圏のそれに根差すというか、影響を受けたものである。むろん影響といってもそれほど直接的なものではない。

 私がそれらに引かれるのは、そうした地域が宗教的理由によって、人物はおろか、鳥獣以上の生き物の具象的再現的表現を基本的に禁じられている所のものだからである。

 言うまでもないが、装飾の多様性を見てゆくと、それは民族的地域的な固有性と共に、いくつかの面においては汎世界的な共通性も持っていることに気づく。それは普遍性と言い換えてもよい。

 およそ人間には表現の本能が備わっている。それが絵画的表現をとるにせよ、あるいは音楽的表現、舞踏的表現であるにせよ、それが表現であるかぎり、装飾性ということと無縁ではいられない。ゆえに装飾もまた人間における本能的営為であると言える。

 仏教であれキリスト教であれ、その初期には偶像崇拝禁止という観点から、神仏の像を作り描くことは禁じられていた。しかし人々はその初源の原理に納得しえなかった。古代においては、イコン無くして現実的には宗教は広がりようがなかったからである。一人イスラム教のみその原則を今なお基本的に守っていられるのは、それが母体であるところのキリスト教が完成して以降の7世紀に成立したものだからである。すなわちその教義の前提としてのユダヤ教キリスト教における聖書の図像的イメージを、現代にいたるまでのムスリムは内蔵しているからではないかと、私は推測している。

 いずれにせよ、そのように鳥獣以上の生き物の具象的再現的表現を基本的に禁じられている世界における、唯一可能な絵画的表現としての装飾とは一体何なのだろうかというのが、私の根本的な興味なのである。

 

 私の海外への旅は、油絵を学ぶ者としての順路であるヨーロッパから始まった。その後、カウンターポジションとしての日本を含むアジア各地へと、またヨーロッパへと、何度か交互に旅を重ねてみると、それは要するにキリスト教圏と、仏教・ヒンドゥー教道教圏を比較対照して見ることであったと気づく。その結果というか、副産物(?)として、もう一つの未知の文化圏・宗教圏としてのイスラム圏が気になってきた。

 そしてトルコから始まり、インドのいくつかの地域、モロッコチュニジアアゼルバイジャンウズベキスタンと旅した。上記したように、ある時期のミニアチュールや、世俗主義的社会体制もしくは旧ソ連邦における宗教を否定する社会体制に基づいた近現代を除いては、基本的に再現的描写的絵画の歴史的文脈は存在しなかった。あるのはひたすらなる装飾の森であった。ムスリムの世界においては、絵を描く表現の本能は、装飾の中に溶け込んでいったのだろうか。ともあれ、私はそうした装飾の森の、特異な美しさと豊かさに心ひかれた。

 

 以下の作品を発想し描くにあたって、他と同様に、論理的な要素はほとんど介在していない。ほぼ情動的衝動を造形化したとしか言いようのない制作プロセスであった。装飾ということ自体がテーマというかモチーフなので、きっかけとしてはともかく、個々の要素としては必ずしも中近東イスラム的なものとは限らない。前後して訪れたアルメニアグルジア的な要素や、それ以前に訪れたケルト・北欧的な要素も混在しているだろう。

 いずれにしても再現的あるいは説明的意図はない。その意味では抽象画だと言えるかもしれないが、私としてはあくまで「装飾をテーマとした絵画」「装飾それ自体の意味を探る絵画」なのである。

 

 

 

 ↓ 697「異国風の形而上学的装飾」

(2016.1.6~2.17  59.3×41.3㎝ 水彩紙に和紙・膠地、鉛筆・セピア・アクリル)

この手のものとしては6点目で一応最後と言えるもの。それまで可能だった「まとまり」が何だか制御不能というか、解体し始めた感じになった。以後この延長上のものを二三点は描いたが、「まとまり」は二度と訪れなかった。一種の慣れが生じたのだろうか。

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 ↓ 698「光と観念の装飾」

(2016.1.24~2.17 40.8×26.7㎝ 台紙/シリウスD.P.に和紙・膠地、鉛筆・アクリル)

 「まとまり」が訪れなくなったことによって、「装飾」にはいまだ関心があるもののモチベーションがないといった状態で制作したもの。したがってシンプルではあるが奥行きといったものはない。シンボリズムの方に逃げているか?

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 ↓ 705「モロッコの窗から」

(2016.2.27~6.14  39.9×28.0㎝ 台紙/シリウスD.P.に和紙・膠地、鉛筆・水彩・顔彩・アラビアゴム・アクリル)

 これは上記の3点とは異なるシリーズ(?)のものだが、装飾という観点からここに挙げる。この関連のものは何点かあるが、はっきりモロッコチュニジアでの体験をもとにしたものは数点程度。モロッコチュニジアマドラサ(神学校)の装飾にインスピレーションを得たというか、それにクレーのチュニジア体験を重ね合わせたところもある。技法的には和紙に透明水彩や、同じことなのだが、顔料をアラビアゴムで練ったものを使うことの楽しさで描き連ねたようなところもある。こうした説明的意味から離れた色とリズムだけの織りなす世界に遊ぶのは楽しいものだ。

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 ↓ 749「モロッコのバラ」

(2017.3.20~2018.1.2  22.4×27.2㎝ 市販パネル/シナベニヤ)に台紙+和紙・ドーサ引き、彩墨・アクリル・鉛・革・真鍮釘)

 モロッコのある霊廟の庭に咲いていたバラを、珍しく実際に見て写真に撮って描いたもの。なぜと言われても困るが、美しかったことは確かだ。妙な話だが、いかにも「モロッコ的」だと感じ入った覚えがある。いずれにしても「霊廟に咲く薔薇」だから、おのずと対立相反循環する世界観なのである。中央の黒い形はそのころ使っていた革財布を切り取って使った。物質感のある黒が欲しくなったのである。

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 ↓ 735「月の窓 (晶夜)」

(2016.11.10~2017.2.27  29.7×21㎝ パネル/シナベニヤに和紙二枚重ね、アクリル)

これはイスラムではなくアルメニアグルジア体験。このシリーズは10点ほどあるが、今回出品したのはこの1点だけ。前稿の736「アララット―いにしえの光」にやや近いか。風土も宗教も異なる世界の、装飾の差異性と共通性。

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