艸砦庵だより

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個展「耀ふ静謐」 レポート―6 「をみな」について

 さて「レポート―6」である。

 何を書こうか。どれを紹介しようか。

 「ところで、私はいったい何をしたいのか」、という自問自答は胸にしまっておいて、今回は「瓔珞のをみなたち」を中心に紹介することにしよう。前回が「装飾」という具体性というか再現性・現実性のない絵柄のものだったので、今回はその逆の作風のものをといった感じでしょうか。

 

 「瓔珞のをみなたち」と題されたのは全部で7点あるが、今回展示したのはその内の3点だけ(他はすでに発表済みか、次回10月に発表予定)。関連するものと合わせて5点を、RETAILと称するコーナーに誘導する狭く湾曲した迷路のような通路の金色の片面に展示した。RETAILというのは、まあ小売店というか、具体的にはブティックのイメージだと解しておけばよいだろう。だから、辿り着いた先のスペースには、洋服や靴やマネキン人形が設置されたままになっている。それはそれで面白い。そのスペースの商品棚にも関連する2点と、他の傾向の作品をいくつか展示した。それもまたアンチホワイトキュウーブ。

 迷路のような通路の反対側の白い面には、対照的な「晶」などの流れの紙の作品をマット装にて展示。通路の側壁の後半の曲面はオーバーハングしており、作品の展示には少々苦労する。ともあれ、これだけ狭い幅の通路の両面に作品を展示した例は他にあるまいなどと、妙な自負を秘かに抱く。「してやったり」の感。

 

 さて「をみな」である。「をみな」とは「若くて美しい女」の意。奈良時代の古語(平安時代には撥音便化されて「をんな」となった)。「をとめ」に少し近いが、多少意味が違う。「女/おんな」でも良いのだが、私は古語というものが割と好きで、時おり作品タイトルや詩歌作品や文章中にも使うことがある。「女/おんな」のあたりまえの平板さでは味気なく、やはり「若くて美しい」というニュアンス、憧れめいた感情を忍ばせたいからである。

 「瓔珞」とは古代インドの貴族の宝石などを連ねた装身具から発して、仏像の首、胸あるいは天蓋などに用いられた飾りのことである。飾り=装飾ということで、前稿で取り上げた作品群とつながる。また私の基本的なコンセプトというか、イメージの一つである「荘厳(しょうごん)」ということとも通底する。

 したがって「瓔珞のをみなたち」というのは「宝石のような装飾によって荘厳された若くて美しい女たち(の絵)」ということになる。開き直って言えば、それは、描かれた画像は、すなわちベクトルの曖昧なシンボリズムとして発現する。もとより私は「をみな」そのものに対して強い憧憬を持っているから、その意味するところを一言で言うことはとてもできない。

 

 ここ数年、昔からの私を知る人からは「河村が女の絵を描いている!」などと言われ、驚かれることが多い。確かに私は永く、女と限らず、人物をほとんど描かなかった。まったく描かなかったわけではないが、その数は少なく、ほとんどが具体性に乏しい観念的なシンボルとしての図像であった。

 油絵の源郷であるヨーロッパにおいては、絵画の王道は宗教画―歴史画―肖像画―人物画の系譜である。しかしそのことは、アジア/日本=非ヨーロッパということを持ち出さずとも、私には無縁であっただけの話だ。人物を書かなかったのは必然性がなかったからであり、人物=人間にまつわる現実感を忌避していたからだと言ってもよい。もともと人物画に、というよりも人間に興味が薄いのである。人間嫌いと言ってもよいのだが、私は基本的に人間よりも自然を上位に置いているのである。

 と言って、人間を描かないと決めていたわけではない。描かないことに対しての若干の負い目も持っていた。いずれにしても、あくまで必然性が訪れなかっただけなのであるが、ここ数年、何となく人物、それも女を描きだしたことに、明確な内的理由を挙げることはできない。人物/女に限らず、モチーフやテーマといったものは、論理的帰結として導き出されるものではあるまい。それはあくまで基本的には私に「訪れる」ものなのだ。したがって心の準備や計画などない。気がつけば描き出していたのだ。

 今回は出品していないが、2013年には「をみな」というタイトルの作品を6点描いている。私は基本的に「シリーズ」とか「バリエーション」という考え方、発想法が好きではないのだが、その「をみな」というタイトルの作品群は、今見れば「シリーズ」としか言いようがないようにも見える。しかし、それはあくまで結果から見てそう見えるのであって、初めからそのように意図して複数化したのではないという点で、かろうじて「シリーズ化」は免れていると思う。まあ、些細な違いでしかないが。

 その少し前の2012年頃にいくつか女性をモチーフとした作品を描いており、2010年頃には「マタハリ」をテーマとした何点かの作品を、前後してや女性の印刷物によるにコラージュを制作しているから、そうしたあたりが準備段階となって今回の「瓔珞のをみなたち」がポロンと紡ぎ出されたのだろうと思う。

 

 絵には系統的進化といえるような展開は、ないのではないだろうかと思う。Aというステージをクリアすることによって次のBというステージに行き、次いでC、Dに順次至るといった段階的発展は、少なくとも私においてはありえない。行き当たりばったりというほど杜撰ではないにしても、制作とは地図を持たぬ直観の旅/彷徨だと思う。ある一点の、あるいは同時進行する複数の作品の制作、それらの交錯した連鎖を通してしか先の作品のイメージは生み出されない。少々ロマンチックで幻想的なイメージではあるが、私は制作の展開というものを、そのようにイメージしている。以上は余談である。

 

 もう一つ別の余談を記しておく。

 今回取り上げるものの中に基底材として「パーティクルボード」とあるものが3点ある。パーティクルボードとは木材チップと接着剤を圧縮して成型した建材の一種。それに何種類かの地塗塗料を塗布して描画面としたのだが、それは1982年だから30年以上前の学生時代にまとめて作ったものである。当時は各種の技法や材料を色々と試していた頃で、ゼミか何かで作ってはみたものの、会わないというか、使いこなせなかったという感じで、以後未使用のままずっと持ち続けていたのだ。私は断捨離どころか、どちらかといえば物持ちの良い方だとは自覚しているが、それにしてもよく持ち続けていたものだと思う。それ以上に、よくそんなものにあらためて描こうという気になったのが、われながらちょっと不思議である。つまり最近は、イメージであれ、材料であれ、何でも自在に使いこなせるような気になっているということなのだろうか。だとすれば、それはそれで喜ばしいこと言うべきか。

 いずれにしても、それらの作品はそのパーティクルボードの存在なしには描かれなかった作品なのである。手持ちの素材が作品世界を決定することもあるのだということ。

 

 

 ↓ 750「巫女」

(2017.5.8~2018.1.19 25×18㎝ パーティクルボードに石膏地、樹脂テンペラ・油彩)

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 「巫女」という言葉とそのイメージは、私の中ではけっこう大きい。人に神の言葉を伝える者。人と神の媒介者(メディウム)。その手段としての芸能、などといったこと。なぜユダヤキリスト教イスラムでは預言者が男で、より古い宗教である神道その他では巫女=女なのか。

 ただしこの作品もタイトルをつけたのは、完成後か、完成近くなってから。つまり「巫女」という絵を描こうとしたのではなく、「をみな」のイメージで描いていく中で自然に「巫女」という言葉が降りてきたのである。タイトルは、目指す地点ではなく、後追いで建てられた道標なのだということだ。

 塗りっぱなしの地塗り層の石膏地のマチエールが、結果としてちょっと面白い効果を上げている。

 

 

  ↓ 755「瓔珞のをみなたち-1(霧の滴)」

(2017.6~8.  25×18㎝ パーティクルボードに麻布・エマルジョン地/1982.8製作、樹脂テンペラ・油彩)

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 「瓔珞のをみなたち」と題した最初の作品。見てわかるように、作品の主役というか動機は、ほぼ左右対称の装飾的構成である。私の場合、こうした構成をとる際には、最初のほろ酔いかげんでのイメージスケッチの次に、必ず定規やコンパスなどを使った下図を作るというやり方をしていたのだが、この作品からはそのやり方をやめたというか、必要としなくなった。描きとめておいたイメージスケッチをチラ見しながら、パネルに直接フリーハンドで描く。線が少々曲がっていようと、不正確であろうと意に介さない。多少曲がっている方が、直線性が出る。味が出る。それは私にとって小さな革命であった。ようやく私も、ほんの少しではあるが、線や形を意のままに使えるようになった気がして、少しうれしかった。

 「霧の滴」というサブタイトルは、日本のロックバンド、ソウル・フラワー・ユニオンの曲から。やはり作品完成前後の絵柄と、女性ボーカルの意志的な歌声が結びついて思いついたタイトルである。

 ソウルフラワーユニオンは現場主義を標榜し、民謡や大衆歌謡、労働歌、革命歌などを取り入れたユニークな、私の好きなバンドで、「霧の滴」は1910年前後のアイルランド独立運動に取材した曲。第二次大戦後に完全独立するまでのアイルランドとイギリスの関係は、戦前の朝鮮と日本の関係と似たようなものであった。アイルランド独立運動自体は日本ではあまり紹介されていないようで、私も詳しくは知らないのだが、もともと私は独立運動や革命運動、抵抗運動といった反体制運動全般に基本的に共感を感ずる者である。詳しく知らないからといって共感していけないということにはならないだろう。体験していないことにも共感できるのは、想像力によってであるのだから。

 いずれにしても形や構成、絵具使いなどといった造形的要素には、それまでの私の中にはあまりなかった要素が自然に出てきて、多少戸惑いつつも、比較的楽しく描けたような気がする。幸いにというべきか、今回売れなかったが、しばらく手元にとどめておきたい作品である。 

 

 

 ↓ 757「瓔珞のをみなたち-3(赤色旗)」

(2017.7.20~2018.5.7 F3 パーティクルボードにミックステンペラ地/1982.8製作、樹脂テンペラ・油彩)

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 全体の構成は他と同様に左右対称の装飾的構成。中のをみなの扱いに苦労した。他と違って全身をいれのはたこの作品だけ。彼女の持つ赤色旗は当然共産主義のそれと見られても構わないのだが、なぜこのようにセミヌードのをみなが、稲妻の光る荒野に立っているのかは、作者としても説明のしようがない。絵解き的には割と簡単に読み解けそうであるが、簡単に読み解かれてしまっても、それもまた仕方がない。作者はどんなに扱いに困っても、自分に訪れたイメージに忠実に従うしかないのである。

 ちなみに、会田誠の作品に、日韓の女子高生がそれぞれの国旗を持って立つという絵(『美しい旗 戦争画RETURNS』があるが、それとの類似に気がついて、少し動揺したが、結果として似たところが出てきてしまったのはまあ仕方がないと思うしかない。いや、そもそも似ていると思う人は、ほとんどいないかもしれないし。

 ここであえて赤旗共産主義に言及しておけば、私は共産主義とは、人間の考えだした最も優れた理想主義の一つだと高く評価している。そしてその理想主義は、キリスト教であれイスラム教であれ、宗教のそれと同様の、人間には達成しえないがゆえに永遠に「理想」の域にとどまらざるをえないものなのだということだ。理想に対する人間の現実存在。宗教はいまだにその達成不可能性を自らは認めていないが、共産主義ソ連崩壊を具体的事例として、その達成不可能性を証明されたと見なされている。

 少し余談を加えておく。

 共産主義原理主義が達成不可能な理想主義なのであれば、次善の策として修正社会主義としての社会民主主義ということになるだろうし、実際に戦後から今日にいたるまでヨーロッパ社会を主導してきたのは社会民主主義であるということを、日本人も再確認しておくべきだと思う。

  

 ↓ 759「瓔珞のをみなたち-5」

(2017.7.22~2018.3 自製キャンバス/麻布に弱エマルジョン地、樹脂テンペラ・油彩)

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 「瓔珞のをみなたち」も5作目となると、少し手慣れてきた=退廃し始めてきた感があった。しかし手慣れてきているので、作業効率は良い。しかし芸術においては「慣れ」ということは、基本的に危険だ。だから何か新しい未知の要素を入れなければいけない。この作品では、過剰ともいえる色点(ドット)を描き加えることにした。造形的思いつきである。

 「過剰」は「装飾」の一要素、あるいは可能性の一つである。そして「過剰」ということは私にとって、大事な要素の一つである。「やりすぎるぐらいがちょうどよい」。「過剰」の果ての静寂・静謐に至ること。

 制作途中ではその過剰さのゆえに、一時かなり下品(?)な趣きを呈したらしく、女房のひんしゅくを買っていたが、そんなことを気にしてはいられない。ある種の静けさには辿り着けたと思うが、さて。

 ちなみにこの絵に限らず、最近の作品に描かれている女性・人物は一切現実のモデルはいない。写真や図版も使わない。ただ想像力や曖昧な記憶だけで描いている。モデルや図版を見るということは、その再現性=記録性にとらわれて、絵画的リアリティが損なわれるからである。私の場合は、というべきかもしれないが。

 サブタイトルはなんとでも付けられるとも思ったが、あえて付けなかった。曖昧なものは曖昧なままに。

 

(記:2019.6.4)