艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

大祓形代と水無月祓いのこと

 6月14日、近所のTさんが「大祓神事執行」の「大祓形代」を持ってこられた。息子夫婦と孫と合わせて五人分。

 

 

f:id:sosaian:20190615162803j:plain

 

 これは私が20年以上前に、現在のあきる野市高尾に引っ越してきてほどなく、斜め向かいのというか、当時は住宅が少なく、隣家というべき存在だったNさん(故人)が持ってこられたのが始まりだった。数年前にNさんが亡くなられてからはTさんがその役を引き継がれたようで、年に二回、現在に至っている。

 その形代は写真のように白い紙をヒト型に切ってあり、それに氏名と年齢を書き入れ、神社におさめる。神社はこの近辺で最も大きな、古い歴史を持つ阿伎留神社なのだが、私は別にそこの氏子というわけではない。N家は古くからの地元の方だったようだが、阿伎留神社の氏子だったかどうかは知らないが、おそらく氏子関係とは別の、伝統行事維持的な関係性で私に声をかけてくれたのではないかと思う。Tさんも引き継いだだけで、詳しいことは知らないと言われた。私自身は基本的に無神論者、無宗教者だが、民俗学的観点からの伝統行事には関心があるし、尊重する。(そういえば民俗学的関心は最近、少し薄れつつあるが…。)

 

 このヒト型=人形は「大祓形代」と明記してあるだけで充分予想されるように、われわれの半年分の日常の罪や穢れを、それに乗り移らせて(肩代わりさせて)、水に流して(お祓いして)しまうという、由緒正しい(?)東アジア的習俗である。三月のひな祭りの原型の流し雛も同様の趣旨。想像をたくましくすれば、ガンジス河のヒンドゥーバラモン教のそれと起源を同じくするのではないかと思う。蛇足だが、このヒト型という形状は言うまでもなく、普遍的シンボルとして世界中あちこちに見出すことができる。

 少し調べて見たが、阿伎留神社では6月30日に大祓(水無月祓)として神事を行い、そののち焼くそうだ(?)。ちなみに同じあきる野市の養沢に移住した知人の杉さんも地元の神社の同様の行事を投稿していた(https://www.facebook.com/takuya.sugi.3)。そちらは古式を守って、今でも実際に川に流しているらしい。「穢れた人形たちは、みんなうちの下の淵に集まってくるんだよねー。鮎釣りの人とかギョッとするんじゃないかな^_^;」とのこと。

 

 その水無月祓は「夏越(なごし)の祓い」とも言い、残念ながら私はまだ見たことがないが、茅で作った輪をくぐり抜けて無病息災を祈る「茅の輪くぐり」を伴うとのことである。それは蘇民将来信仰と結びつくが、その起源に関しては、スサノオとの関連もふくめて、渡来系、国津神系とも判然としない、あるいはそれらの習合した、日本=東アジアの民間信仰の曖昧とした薄明の中にたたずんでいる。

 

 ↓ 蘇民将来の一例(Wikipediaより)

f:id:sosaian:20190615163054p:plain

 

 

 ↓ 蘇民将来の護符の一例 晴明紋が描かれている

f:id:sosaian:20190615163445p:plain



 ともあれ、蘇民将来であれ、夏越の祓い、茅輪くぐりであれ、それらはすべて私が18歳で東京に出る以前には、見聞きすることのなかったことである。あるいは私が知らなかっただけなのかも知らないが、どうもそうした古い行事や民間習俗は東日本により多く残っているように思われてならない。中でも山間部に近いとはいえ、東京都にこうした古式の習俗が残っているのは興味深いことだ。

 

 ちなみに、本来であれば、その形代に対する正しい作法は、その形代で身体のあちこちをなでて、身体に付着した穢れを移し、最後に息を吹きかけて心の穢れと合わせて自分の身代わりとさせるとあるが、そんな作法については知らなかった。おまけに、何となく以前から顔を描いていたのだが、別にそんなことをする必要はなかったようだ。まあ、描いてマズいということもあるまいが。なんだか勝手に伝統的作法を変容させていたことには、気づいた…。                 (記:2019.6.15)