艸砦庵だより

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秌韻・外覧会-3 久しぶりの金地テンペラ3点

 金地テンペラ(黄金背景テンペラ)は私の制作の出発点の一つであり、長くこだわってきた技法である。しかし、その制作上、技術上の様々な制約と、志向する表現方法のギャップが大きくなり、ここ20年ほどは描いていなかった。数年前にちょっとしたきっかけがあって、また描いてみる気になった。

 20年も間が空くと、さまざまな技術面を、腕は辛うじて憶えているものの、頭の方はだいぶ忘れていた。それもまあ、いいだろう。

 

 この3点は珍しく具体的な体験がモチーフとなっている。2016年の岩手県の南昌山(作品タイトルでは「南晶山」としてある)登山である。

 小学生の頃から愛読していた宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる銀河ステーションの発想のもととなったのがこの南昌山の山頂だという説を、地元の研究者が出した『童話「銀河鉄道の夜」の舞台は矢巾・南昌山』(松本隆 ツーワンライフ 2010年)で読んで、登り、あえて頂上で一泊してみたのである(詳しくは、ブログ「艸砦庵だより」の「宮沢賢治ゆかりの山―1 『銀河鉄道の夜』の舞台、南昌山」 http://sosaian.hatenablog.com/entry/2016/07/21/012128 を参照してください。)

 黄金背景テンペラと言えば、本来の彩色は卵黄テンペラとほぼ決まっているが、日本の気候風土では保存上の難しさがあり、本作では最下層の彩色以外は、樹脂テンペラ(卵黄+卵白+ダンマル樹脂+ヴェネツィアテレピンバルサム+リンシードオイル)と、多く油彩を使用。その結果、テンペラらしさ、卵黄テンペラの最大の魅力であるわずかな半透明感は失われたが、絵柄的にはこれはこれでという仕上がりになったと思う。

 いずれにしても久しぶりに使っみたた金箔には、やはり強い魅力を感じた。手元にはまだ何点か分の材料は残っている。あいかわらず使いこなすには難しい素材、技法であるが、何とか手元に在る分だけは制作してみたいと思う。

 

 

『天気輪の柱』

(F10 2016-2019 パネルに麻布・石膏地、卵黄テンペラ、樹脂テンペラ、油彩、金箔、鉛薄板)

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 南昌山の山頂にあったのは石造のいくつかの苔むした獅子頭と、麓の幣の滝あたりから持ち上げられたと思われる何本かの柱状節理の石材。それらが置かれている詳しい経緯などは不明だが、賢治はそれらの存在をきっかけにして「天気輪の柱」を発想したのだろう。

 左右の人物には特定の意味はない。したがって、どのようにでも解釈可能。

 完成近くなってから気がついたのだが、遠景は、翌日登った準平原北上山地のように見える。

 

 

『(カムパネルラと)』

(2016-2019 パネルに麻布・石膏地、卵黄テンペラ、樹脂テンペラ、油彩、金箔、鉛薄板)

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 カムパネルラはジョバンニにともに銀河鉄道で旅する少年。とくに彼を描こうとしたわけではないのだが、構成上、人物を入れてみたら、ジョバンニではなく、カムパネルラであるように見えてきた。

 カムパネルラのモデルは、従来早世した妹のトシであると言われているが、前述の松本隆氏は、やはり早世した一年先輩の藤原健次郎であるという説を唱えられている。それなりに説得力のある説だ。しかし、そもそも創作物のモデルは、必ずしも一人、一つであるとは限らないから、カムパネルラには両者の要素が併存していても無理はない。少年でもあり、少女でもある存在。

 ちなみにカムパネルラ(≒カンパニュラ/Campanula)とは、ツリガネソウ(釣鐘草=ホタルブクロの仲間)のラテン語名である。藤原健次郎の自宅から遠望する南昌山がまさに釣鐘形に見える鐘状火山(トロイデ)であることからの連想というのは、少々こじつけのようにも思われるが、連想≒空想というのはそういうものかもしれない。

 

 

『南晶山にて』

(2016-2019 パネルに麻布・石膏地、卵黄テンペラ、樹脂テンペラ、油彩、金箔、鉛薄板)

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 南昌山に登ったのは7月13日。予定ではその頃の夜の山頂では無数のヒメボタルが乱舞しているはずだったが、当日の雨のせいか、一匹も見ることができなかったのは残念だった。

 南昌山の昌を晶と変えたのは、「南部繁昌」の意から名付けられたというのはあまりに現世御利益的で美しくないし、ここは私の好きな「結晶」の「晶」の字の方が「ナンショウザン」の語感にふさわしいと思ったから。私には「天気輪の柱」なるものは、きっと水晶か何か結晶質の鉱物でできているように思われるのである。

                             (記:2019.11.8)