艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

「小ペン画―その小さな世界」について

 昨年の6月以来、九カ月以上、「小ペン画」が制作の中心になっている。

 「小ペン画」とは、文字通り縦横10㎝内外の、大きくても20㎝に満たない小さな紙に、主にペンとインクで描く作品。個展や海外旅行などでの中断期間はあるが、それ以外はほぼ一日一点のペースで、現在(4月初め)で250点ほど描いている。

 

 最初に描いたのは昨年(2019年)の6月19日。11.8×7.7㎝のやや厚手の和紙(楮)に、これは例外的に鉛筆と色鉛筆で、一輪挿しに生けた花(ホタルブクロ)を見ながら描いた。

 その前提というか、準備していた必然性のようなものがあったのだが、それについては後ほど述べる。とにかく、その時はおそらく大した意味もなく、何となくといった感じで描き始めた。そして、その出来は全く不本意なものだった。和紙に鉛筆と色鉛筆では、まったく弱い効果しか出せなかった。そもそも、「花」を「見て描く」という必然性は、ほぼ皆無だったのだ。

 

 ↓ 1 「ホタルブクロ」 2019.6.19 11.8×7.7㎝ 和紙に膠 鉛筆・色鉛筆

  不本意な出来。 

なお画像はPCやIパッドで見ると原寸より大きく表示され、タッチが相当荒く見えることがありますが、表示されたサイズを念頭においてご覧いただきますよう、お願いします(作者からのお願い)。 

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 そんな不満な出来なら、ふつうなら捨ててしまい、それ以上同様の制作を続けることはないのだが、なぜか翌日も小さな画面に向かった。紙は前日と同じだが、手にしたのは、今度はペン。インク壺に漬けて使うGペンとかスプーンペンとかといった「つけペン」である。なぜペンを手にしたのか、よく覚えていないが、前日の鉛筆と色鉛筆のあまりの効果の弱さから、反動として、今度はいやおうなしに明確な効果が出そうなペンとインクを手にしてみたということは、あるだろう。

 ペンを手にするのは20代前半以来。ごく短い期間だったが、ある程度集中してペンを使っていたことがある。使いこなせたわけでもないが、割と好きな画材のように思えた。しかしそれ以降はほとんど使う機会も必然性もなく、実質45年ぶりになる。40年以上前に購入したペン先とペン軸もまだ手元にあった。

 ペンと言えば普通はケント紙のような、表面が滑らかな、けば立たない紙を使うのが常道であろう。ドーサ(膠)引きしてあるとはいえ、和紙にペンの組み合わせは、あまり聞かない。案の定、ペン先が引っかかり気味で、描きにくい。

 おまけに今度は描くべき主題というか、モチーフは何も考えていない。モノは見ずに画面に向かう。だが、それはいつものことで、つまりイメージである。なまじモノを見て描こうなどという柄にもない心掛けが、創造的モチベーションを発動させないのは、今さらながら、私という画家にとってはほぼ自明のことなのだ。

 

 ともあれ、その二点目の「ペン画」は、自分としては、少し面白いものになった。何よりも、和紙の質感や風合に、黒いペンのタッチがそれなりの絵画的効果を上げていた。何も考えずに描き出すというのは、やはり良いことだ。

 

 ↓ 2 「遠くを見る」 2019.6.20 11.3×8㎝ 和紙に膠 ペン・インク・鉛筆

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 もとより、何か具体的なイメージを描き表そうとしたものではない。紙の形に呼応して現れた線的・形体的要素は、それ以前から持っていた、いわば手持ちの要素である。そうした直線的、曲線的な形体が現れた後で、何とはなしにといった感じで、中央の人物像が、おさまりよく現れたということなのである。

 内容については、「これはいったい何なのだろう」という疑問は、基本的にはでてこない。自分でもうまく説明できないものが現れるのはいつものことだし、むしろ、そういうものとして、そういう方向で制作するのが私の常態なのだ。でき上った後で、そこに現れたものを味わいながら、それについて考えるということ。

 

 以後、こうした流儀で制作は続いた。「一日一枚」とか決めているわけではない。いつまで続くものやら。嫌になったら、飽きたら、その時はやめればよいと思っていた。

 

 ものを見ないで描くことの限界も訪れる。描き続ければ、おのずと上手くもなるし、慣れも出てくる。とても和紙には使えないと思っていた丸ペンを何とか使いこなせるようになった頃には、その気持ちよさに思わず身をゆだねる時もあった。

 慣れのもたらす退廃感は、部分的であっても嫌なものだが、それもまた己の実力なのだと思い定めれば、手の打ちようもある。

 ものを見ないで描くことをルールに定めたわけでもない。日々の中で、参考資料というほどでもないが、新聞雑誌や、あれこれのチラシ、パンフなどから気になった図版を切り取ってスクラップブックなどにとどめることもある。最近ではネット上で拾ってきた画像をパソコンに保存することもある。テレビを見ながら、チラッと一瞬流れる画像を、手元の紙に描きとどめようと試みることもないではない。時にはそうしたものを、あるいはその一部を参考にして手を動かす。

 

 ↓ 3 「ミニスカートの娘」 2019.6.21 13.3×8.6㎝ 和紙に膠 ペン・インク

 中の人物像は新聞に小さく出ていた図像を参考にした。以下、特別な場合を除き付記しない。

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 そうしたものは、全体の点数の2割ぐらいだろうか。残りの8割ぐらいは何も見ずに描いたものだが、そうしたことにそれほど大きな意味があるとは思わない。現実や実物といったことと、写真やネット上の画像や動画は、多少の自虐を込めて言えば、見ることの対象、イメージのきっかけという意味では、基本的には等価に近いとも思うからである。

 

 ↓ 58 「繭を運ぶ」 2019.9.30  11.4×9.5㎝ 和紙に膠 ペン・インク・色鉛筆・水彩

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 このような「小ペン画」の制作を始め、継続しているのには、いくつかの要因がある。

 一つにはここ何年か断続的に、大学時代の指導教官であった田口安男氏のポストカード大の大量のドローイングを見たことである。いわき市立美術館での個展でも見たし、その後の御自宅でも見、またそれらを膨大に整理・撮影する機会等もあった。そうしたことを通じて、描くということの根源にいやおうなしにふれたような気がしたのである。

 それらの多くは生の(ドーサを引いていない)和紙に、鉛筆や水彩、その他の素材で描かれていた。それらの面白さと凄さに感動した私は、すぐに似たような手法で、自分でもやってみた。だが、悲しいかな、自分自身の必然性とはかみ合うことがないことを、たちまちにして思い知っただけであった。

 

 ロベルト・クートラスを知ったのは2017年5月。日本でも展覧会の開かれたことのある作家だが、私は知らず、実物はいまだに見たことがない。新聞(?)のちょっとした記事を読んで、ある展覧会の図録をネットで買ったのである。それはカルト(日本のカルタと同意)という、トランプと同じような大きさ、形式の紙に、シリーズ的、連作的に描かれた作品群だった。魅力は感じたものの、その世界観はかなり特殊であり、直接の影響を受けることはなかった。しかし、その悲しげでマイナーな世界の魅力には、忘れがたい味があった。

 スタシス・エイドリゲヴィチウスを知ったのは2018年の9月。武蔵野美術大学美術館の展覧会で見た。絵本作家として、そのごく一部は知ってはいたものの、それがスタシスだとは知らずに、美術館で初めてその全貌に接して、感動した。数㎝四方のものでも作品として成立していた。そしてその膨大な量!私もそうした「小さな世界」を描きたいと思った。

 余談として付け加えれば、これは小ペン画を描き出してからのことだが、今年2020年になって、ミナペルホネンの展覧会を見た。その一角に皆川明の同様な小さな作品群があった。

 これらの現象は、私と小ペン画をめぐるシンクロニシティ共時性/非因果的連関の原理)であるように思われてならない。私個人の内面の発動と、外部における共通した事象の併存。それは余談であってもかまわないが。

 

 私が実際に描き出すきっかけを用意したのは、上述した田口先生のアトリエ整理の際に、和紙をはじめとする様々な小さな紙をもらってきたことかもしれない。

 捨てるのも惜しいが、正直言って、ウンザリもする。わざわざもらわずとも、私自身も、一生かかっても使いきれない量の紙類を抱え込んでいるのである。

 作家は日々の制作と並行して、それに関連する無数の材料道具、また資料等を身のまわりに集めてしまう習性を持っている。あるいは、集まってしまうのである。いつか使うだろう、使いたい、使うかもしれないと。だがいつの頃からか、自分の年齢と、抱え込んだ材料道具の量を比較して見て、一生かかっても使いきれないほどのものを持っていることに気づき、がく然とする。

 そのくせ、捨てればすむような小さな材料であっても、できれば有効に活用したいという「もったいながり屋」の自分がいる。小さな「作品」を描きたい、「小さな世界」を正直に描き表したいと思う気持ちは、気がつけば長いあいだ私自身の心の中で息をひそめながらも、確実に存在し、少しずつ大きくなっていたのである。

 

 ある日、アトリエの片隅に置いていたポジフィルム用のファイルに目が行った。以前ポジフィルムを使っていた頃の保管用ファイル。撮影がデジタル化して以降、使い道がなく捨てなければとは思っていたが、未使用だったので、もったいなく、ずるずると捨てかねていたものである。30㎝弱×25㎝弱の、中が四分割されている。それを開いて、ふとひらめいた。そこに入る小さなサイズのものを描けば良いのだ。全ページ分の点数を描けば100点以上。そこまでの数を描くかどうかはわからないが、とりあえずの展望が見えた。

 実は田口先生の作品整理の際に、ほとんどの作品に年記がなく、また何十点かずつ仮まとめはされているのもあったが、全体としてバラバラに存在しており、整理分類するのに困ったのである。

 和紙をはじめとして、紙類は一生かかっても使いきれないぐらいのストックがある。描画材についてもほぼ同様。機は熟したというべきか。

 

 別に、もう一つの要因というか、伏線もあった。40歳をすぎて大学に勤めだして安定収入を得るようになってしばらくたったころから多少、骨董蒐集にハマった。その憑き物が少し落ちた頃、今度は(あまり認めたくはないのだが)仕事上のストレス解消と、大義名分としての資料収集という名目で、ヤフオクを通じての外国切手や外国紙幣、マッチラベル、蔵書票などといった、いわゆる紙モノの蒐集にハマってしまったのである。それらはあくまで私の制作に益する資料材料ではあったはずだが、同時に「紙上の小さな世界」の魅力に開眼したのである。

 「小さな世界」と大作のタブローとの関係については、今ここでは言うまい。というか、私自身、それについて今はまだうまく説明できないのだ。

 ともあれこうした情況が事前の物理的なというか、必然性として「小ペン画」を発動させる下地をつくっていたのである。

 

 ↓ 78 「ダンスを始める」 2019.10.14 11.7×7㎝ 和紙に膠 ペン・インク

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 かくして描画材や技法など、多少の変遷はあるが、今に至るまで小ペン画の制作は飽きもせず続いている。

 それらからタブローへというベクトルもあるかもしれない。それはそれで良い。しかし、正直言って、効率や生産性も、目的性も、計画性も、点数への魅惑も、何も考えていないのである。発表することも、売ることも考えていないし、考えたくもない。たまに家に来るごく少数の知り合いに見せて、いい気になっているだけである。

 どこまで行くのか。「遠くまで行くのだ」と言えれば良いなと、思ってはいるが…。

 

 ところで、つい最近、ある画廊の人と会い、最初は峻拒していたものの、その強い要望もあって、次第にこの「小ペン画」を中心とする個展をやっても良いかなという気になってきた。実際に発表するかどうかは、時期や形式もふくめて、未定である。

 ただ、そうした心境の変化をきっかけにして、小ペン画の位置づけがまだ自分の中での曖昧だったこともあり、考えを整理するために、この一文を記してみた。

 

 ↓ 255 「青の洞窟」 2020.4.2-3 14.6×12.5㎝ 和紙に膠 ペン・インク・水彩

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(付記:私は基本的には、未発表作品は、ブログやFBに画像を投稿しないことにしている。しかし上記の一文を発表するからには、まったく画像を出さないというのも、なんだか不自然な気もする。考えてみれば、基本などというものは、時には変えられることがあるからこそ基本たりうるとも思えるので、今回は適当に何点かの作品画像を上げてみることにした。)

 

                         (記:2020.3.25~4.9)