「ダンス」を訳せば「踊り」。
だが日本語の「踊り」には「舞踏」と「舞踊」とがある。もともと日本語として「舞踏」と訳されていたのを、1904年の『新楽劇論』において、坪内逍遥と福地桜痴が新たに造語した「舞踊」を訳語として当てたとのこと。
私は「舞踏」とは踏すなわち下半身、足を踏みならすリズミカルなもの、「舞踊」は上半身を中心としてゆらゆらさせるもの、といった感じで理解していた。西洋舞踏と日本舞踊、つまり西洋的と日本的ということで良いのかと思っていたのだが、あらためて調べてみると、どうもそうではなく、本質的には似たようなものというか、その違いがよくわからない。どうも現在では、歴史的あるいは意味強調的な文脈において使い分けられるらしい。
その歴史的背景からダンスは「諸芸術の母」と言われることもあるようだが、音楽も詩もそうした言い方をされることはあり、まあ、人間の表現文化の上で古いものであることは確かだ。
何にしても、私はダンスなどというものとは、一生縁が無いと思っていた。ディスコやクラブに行ったこともなければ、行きたいと思ったこともない。盆踊りもほぼ同様。暗黒舞踏だけは一度は見てみたいと思っているが、縁がない。ずいぶん昔に田中泯と霜田誠二だけはチラッと見たことがある。
正直に言うと、私はダンスに対してけっこう偏見を持っていた。つまりダンスとは、音楽や演劇などもそうなのだが、限定された時間と場においてのみ存在する時間芸術であり、非時間芸術である絵画とは相容れぬ関係にある、別の言い方をすれば、とてもかなわない、と認識していたのである。微妙なコンプレックスと言ってもよい。
それなのに、最近このように「ダンス/踊り」を画題・モチーフとして描いているのは、いったいどうしたことなんだろう。
そうなる上で、いくつかの前段階があった。だいぶ前からだが、「ダンス/踊り」ではなく、パフォーマンス=身体表現ということには、限定的ではあるが、多少の興味を持っていたこと。マタハリ等における、エキゾチシズムの眼差しに興味を持ったこと。中でも海外に行って、観光客向けではあるが、各地の伝統的なダンスショーを数見る機会があったことは大きい。多様な地域で何の先入観もなく初めて見る、多様な文化に根差したダンスは、実に面白く、感動したといってよい。
↓ 参考:2003年 キューバ・トリニダーで見たストリートダンス。これだけは観光客向けではない。貧しいキューバの田舎の貴重な楽しみ。電力不足の暗い路上に人々は集う。
↓ 参考:2009年 トルコで見たベリーダンス ダンサーは外国からの出稼ぎだとか
また近年はテレビやインターネットなどで、アイドルグループなどのダンスパフォーマンスを目にする機会がいやおうなしに増えたこともあるだろうし、その延長(?)でつい高校ダンス選手権なるものまでネット上で見てしまったこともある。今や、例えばYouTubeでベビーメタルを見て、歌よりも、そのダンスに感動したりしている。
そうしたいくつかの要因をへて、気がつけば、ダンスというものに対して持っていた偏見はだいぶなくなり、面白がることができるようになった。そうなれば「諸芸術の母」と言われるゆえんも理解できるようになってきたし、自分自身を、気分的にはではあるが、身体的に同調させることもできるようになった。
ダンスとは動きが本質であり、(多くの場合は音楽との連関がある)時間を軸とする表現だから、ふつうは絵で描くのは難しいと言える。ロダンのクロッキーやドガの踊り子はやはり神技というべきだろう。
パフォーマンスの現場では、その瞬間瞬間を体感し、味わうしかない。それとは別に日常生活の中で、ビデオやユーチューブなどでダンスを見る。それを一時停止にして静止画像で見ると、動きや流れとはまた別種の美しさが稀にあらわれることがある。それは絵の対象として実に魅力的だ。
だがそれはそれとして、ダンスとは動きが本質である以上、目に映る数秒の印象、記憶をもとに描く、表現するべきであろうとも思う。
要はそのあたりの葛藤と緊張感がもたらすものが、絵画としてのダンスの美を可能にするのではないか、と思う。何も見ずに記憶やイメージだけで描くときは問題ないが、いわゆる写真のような「切り取られた瞬間」を絵にする気はないのだ。静止画面を見過ぎるべきではない。
むろんダンスを描くということは、瞬間の人体の形の美を描くということではない。そもそもの原初のダンスがおそらくは神とのコレスポンダンスであったような、意味以前の意味や、儀礼化様式化以前のメッセージといったものに成っていかないとつまらないと思うのである。私の作品がそうしたところに行っているかどうかは、はなはだ自信がないが。
今回取り上げるのは以下の4点。すべて男の踊りだが、男を描いたものはこれで全部。ほぼ同時期に描いている。「踊り」を描いた作品はほかにもいくつかあるが、それらはすべて女性。女性を描いたものについては、また別の要素も加わっているようであり、それらについてはまた別の機会に紹介したい。
ともあれ、以下に作品を紹介する。
↓ 「世界の不安を踊る」
2020.1.20-21 12.4×9.6㎝ 画用紙に薄和紙・古紙貼り、ペン・インク・水彩
↑ これを描いたのは、コロナウィルス騒動が今のように世界的になる前であったことは確かだが、その不安を反映している。だがそれはそれとして、やはり漠然とした「世界の不安」で良いのだろう。かなりデスペレートな、ペシミスティックな情感、そしてそのことで結果として醸し出されるユーモア、といった感じを描きたかった。絶望の踊りでもある。女房には「タコ踊り」と言われた。
↓ 227.「辺境の風神の踊り」
2020.3.11-12 12.5×9.1㎝ 和紙風はがきにドーサ、ペン・インク・水彩
↑ BS放送で見たネパールの奥地(ドルポ地方)のドキュメンタリーで、相当に過酷な自然と文化状況の中で生きている人々を見た。そこで営まれるしごくまっとうな生活と宗教と踊り。番組を見ながらの一瞬の走り描きが元なので、その映像と比較されても、似ても似つかぬものになっていると思う。関係ないが、石井鶴三の木版画でちょっと似たような作品(『山精』だったか?)を思い出した。
↓ 228.「辺境の陽神の踊り」
2020.3.11-12 12.7×9.4㎝ アジア紙にマルチサイジング、ペン・インク・水彩
↑ 同じくネパールの奥地のドキュメンタリーが元。描き終えて二つを見比べて「風神」「雷神」としようかと思ったのだが、一ひねりして「陽神」とした。造語である。
251.「新しいダンスは可能か」
2020.329-4.11 11.5×9.4㎝ 和紙にドーサ、ペン・インク・水彩・アクリル
↑ 元は何もない。こうした激しい動きの、土俗的とでもいうような動きには心惹かれる。背景(?)には苦労し、小ペン画にしては珍しく10日以上かかった。(部分的な)白以外のアクリル絵具で彩色したのは初めてだが、構成もふくめて、それなりに納得している。
↓ 参考:2009年 トルコで見たフォークダンスショー
↓ 参考:2013年 バリ島で見たトラディショナルダンス
(記:2020.5.9)