艸砦庵だより

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閑話 - 石仏探訪 (松岩寺・明光寺・中平庚申堂+砂沼谷戸)

 ここのところ痛みを増していた右足小指の治療に行ってきた。古傷の骨折―変形自然癒着によるものかと自己診断していたら、皮膚科の医者の診断は、(爪の水虫の進行と関連しているかもしれないが、)要はややこしい位置にできた「魚の目」とのこと。通院三回目にして、痛みがなくなってきた。釈然としないが、結果良ければ、とりあえずはすべて良し。

 天気も良いし、自転車でもあるし、帰りはついでに遠回りして、ここのところハマっている石仏探訪をした。

 

 実は石仏には30年前後前に一度ハマったというか、関心を持ったことがある。当時、山登りをけっこうまじめにやっていて、その関連で、山岳書蒐集にハマり、その一分野として、民俗学にもハマったというか、民俗学関連の本もずいぶん買った。その中に山の神や石仏関係の本も結構あったのである。

 ただし、いわゆる山村民俗関係のものは、越後や会津方面での山登りの実践を通じて、身近なものとして面白く実感できたけれども、石仏となると、なかなか手が回らなかったというのが、正直なところ。美学的な面から言っても、当時の私には、そうとうに爺臭い趣味という感を免れなかった。つまりは、石仏関係の本に関しては、買ったはいいが、あまり読まなかったというか、実践とはさほど結びつかないまま休眠したというところである。

 

 それがここにきて、ふ~っという感じで、復活してきた。コロナ自粛とは無関係だと言いたいが、上述の足指の痛みなどから、だいぶ長いあいだ山登りに行っていない。せいぜいがんばっての裏山歩きの途中で見かける石仏が、意識のどこかからか浮上してきたということなのだろう。

 その気になれば、私の住んでいる一帯は石仏の宝庫なのだ。30年前からの基盤も資料もある。かつて爺臭いという感が多くを占めていた鑑賞面においても、年齢なりの味わい方ができるようになってきたということもあるのだろう。

 手元には、ここ十年ほどの、あちこち登った山行写真にも、必ずといってよいくらい石仏を撮っている。かくて、気がつけば最近は、裏山歩きや散歩のたびに石仏を探している。

 

 一口に石仏と言っても実は多くの種類がある。もっともポピュラーなものはお地蔵さんだが、馬頭観音庚申塔、念仏塔、廻国記念塔、二十三夜塔、道祖神といった、濃淡はあれど仏教・宗教に関連したものから、道標、記念碑・顕彰碑、その他、あれこれ。むしろまずは石造物というカテゴリーでとらえた方が把握しやすい。

 また、それが何なのか、いつ誰によってどういう趣旨によって建てられたのかといったことを知りたく思っても、刻まれた文字も読もうにも風化して読めなかったり、意味がわからないことの方が多い。そうなると、やはりその地域の文献資料が欲しくなる。石仏は一面、文化財でもあるから、ほぼ必ずその地域の教育委員会等で調査研究し、報告書が出されているはずである。

 

 私の住んでいるあきる野市でも、合併前の五日市町でも出していた。『あきる野市の石造物 -市内石造物調査報告書-』(あきる野市教育委員会 2012年)、『五日市の石仏 ふるさとの精神風土を探る』(五日市町郷土館 1987年)。共に今の私にとっては実に興味深い本だ。しかし、両者共に絶版。「日本の古本屋」で探してみるが、どこにもない。図書館で借りることはできるが、一般図書と違って、資料扱いなので、一週間しか借り出せない。

 そもそもそうしたレファレンスブックというものは、手元に置いておかないとだめなのだ。欲しいけれども入手できないのだから、時々図書館から借りだすことで、今はがまんせざるをえない。私は、欲しい本はいずれ手に入るという信念を持っている。気長に待つしかない。余談だが、「日本の古本屋」に両者はなかったが、代わりに(?)『檜原村の石仏 第一~三集』(檜原村文化財保護調査委員会 1973~1977年)と『伊奈石の会会誌 伊奈石 4号、4号別冊、5号』(伊奈石の会 2000~2001年)を思いがけず入手できた。これはこれで、けっこううれしい。

 

 ともあれ今日回ったのは、伊奈の松岩寺と明光寺と中平庚申堂、そしてちょっと別口だが砂沼というところの「○○(失念)の森」という谷戸。松岩寺とその奥にある「芙蓉山半僧房大権現御堂」は初めてだが、他は一度は行ったことがある。

 

 ↓ 松岩寺

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 松岩寺は小さな寺で、墓地の入り口に地蔵が一つあるぐらいで、石仏はあまりない。その奥の権現堂は神仏習合の頃のなごりなのだろうが、外壁の上部に置いてあったいくつかの古い絵馬に少し心惹かれた。

 

 ↓ 松岩寺・権現堂の絵馬 その1 剥げかかった胡粉。組板なのは珍しいように思うが…。

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 ↓ 松岩寺・権現堂の絵馬 その2 面白い絵柄だが同様の絵柄は中平庚申堂にもあり、専門の画工がいたのだろうか。

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 そのすぐ近くの砂沼という名の谷戸は、少し先の横沢入りと同じように、かつて稲作をしたところ。美しい湿地帯となっている。今回見てみると「○○の森」と名付けられて、蛍が見られるように遊歩道やベンチなどが新たに整備されていた。

 

 ↓ 砂沼の「○○(失念)の森」 小規模だが気持ちの良い湿地帯

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 ↓ 「○○の森」入口のにあったホタルブクロの群落

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周回路の路傍に小さな五輪塔や墓石らしきものがあったが、個人の墓地のように思われる。またこの谷戸周辺には横沢入りと同様に、戦争末期にいくつかの地下壕が掘られたとのことだが、その内の一つを、崩壊してはいるものの、確認することができた。

 

 ↓ 砂沼の谷戸沿いには8ヵ所の地下壕があったそうだが、今回確認できたのはこれ一つ。

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 明光寺は広く、新しくきれいにしつらえられた庭を持つ寺。入り口近くにはそれなりに古く趣きのある地蔵や如意輪観音、萬霊塔などが集められていた。

 

 ↓ 明光寺入口の石仏群。

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  ↓ 奥にあって見えづらいが、小首かしげた如意輪観音

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 ↓ 境内の墓地にあった古い墓石だが、よほど音楽関係の人なのか、笛、三味線のバチ、鼓、太鼓が浮き彫りされているのが珍しい。

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  中平庚申堂は現在でも地元の暮らしと結びついているらしい集会所的な御堂。

 

 ↓ 中平庚申堂。左に石仏群。自転車はわが愛車ビアンキ製。

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 入口の戸は開け放たれている。中には、大きな、古拙な青面金剛立像のほかに、奉納された数枚の絵馬と、穴の開いた石と、鉄のわらじ。それらの意味を昔読んだような気もするが、今はもう忘れてしまった。また調べてみるか。

 

 ↓ 本尊の庚申塔青面金剛立像だが、長く露天にあったため、近くで採れる伊奈石製の特徴である風化・剥落が激しく、図像がよく見えない。彩色は近年のもの。

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 ↓ 奉納された、右はサルノコシカケ、中央は穴のあいた石。

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 ↓ 奉納された鉄の草鞋。

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 御堂の外には集められた地蔵、馬頭観音如意輪観音などの残欠群。カラっとした明るい滅びの風情が好ましい。

 

 ↓ 外側の石仏(残欠)群。

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   ↓ 辛うじて残され補修された馬頭観音。馬の造作ははっきりしている。はねあがった衣の裾が可愛い。

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 寄り道にしては、収穫は多かったというべきであろう。

 

 ところで、石仏探訪の意義は、現場での鑑賞以外に、帰宅後に撮った写真を見ながら、(本来であれば)資料と付け合わせて、種類や年代や時代背景等々を調べ、そこから何事かを知り、考察することにあると思う。なぜならば、石仏の多くは単に宗教的対象物であるにとどまらず、庶民の生活や思想や歴史性をも反映しているからである。しかし、上述のような資料が手元にない限り、考察は宙吊りにならざるをえないのである。

 

 二月に行ったミャンマーで見た、今現在の生き生きした信仰対象である仏像と信者(国民の大多数である一般市民)とのかかわり。生きた信仰の対象であるから、像は年々歳々美しく豪華に塗り替えられる。光背にはピカピカと色変わりに点滅するネオンを採用する。人々は日々当たり前のように参拝し、貢物を奉納し、ひたすら来世の幸福を祈り、現世の悩みを癒され、幸せになる。そうした彼我のかかわり方の違いを見ると、とても同じ仏教とは思えない。

 かつて見てきた中国のモンゴル仏教・チベット仏教圏においても、ラオスカンボジアスリランカなどにおいてもそうした違いはあった。またイスラム教圏、ヒンドゥー教圏も同様である。さらにキリスト教のローマカトリック教圏とプロテスタント教圏は言うに及ばず、ギリシャ正教圏、アルメニア正教圏、グルジア正教圏、ロシア正教圏においてもまたしかり。

 要するに宗教とは何か、宗教を求め必要とする人間の心のありようとは何かという実に大きな命題が立ち現れるのだ。その地点において、無宗教者である私が絵を描くということと、絵とは何かという命題と、つながるのである。悟りは日常の中にあり、制作の中にある。

                             (記:2020.6.17 )