艸砦庵だより

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小ペン画ギャラリー 5-「蝶」

 「蝶」を描いた小ペン画、5点。

 

 あらゆる動物、植物、鉱物といった自然の存在が不思議で美しいように、蝶もまた不思議で美しい存在である。

 ギリシャ神話では魂の象徴とされた。中国には荘子の「胡蝶の夢」がある。日本においても「極楽浄土に魂を運んでくれる神聖な生き物」として(?)、また「『不死・不滅』の象徴として武士に好まれ」(?)、武具の装飾に使われたり、家紋になったりした。平清盛の家紋は「丸に揚羽蝶」。

 

 デザインではよく取り上げられるが、絵では脇役以外では、案外少ない。私の大学時代の師田口安男先生はよく取り上げられていた。それに影響を受けたことは確かだ。開き直ってしまえば、あらためて先生の蝶の翅の造形的美しさ、面白さがすなおにわかる。

 そして人は、卵から毛虫・芋虫~蛹あるいは繭へ、そして蝶へと形態を変容し、空に舞うことの不思議さが意味するものを、読み解こうとする。

 

  ↓ 田口安男 「眼の島」 1977年 F150

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 坂崎乙郎は「私は、淡い色あいでまとめられたこの絵を一番好む。」と『田口安男作品集』(1977年東京セントラル美術館個展図録)に書いている。

 

 

 ↓ T43.「他所にて」

 1983年 S40+M40 自製キャンバスに樹脂テンペラ・油彩

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 大学院の頃の作品。一言で言ってしまえば、異界志向。この作品以外にも蝶の翅はしばしば登場する。田口安男の影響大である。

 

 

  D.20 「語られる前の言葉-4 李蝶」

 1988年 31×22㎝ 和紙に鉛筆・色鉛筆・水彩

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 李朝の民画の中の蝶の図を引用したもの。李蝶は李朝のごろ合わせ。参考までに。

 

 

 ↓ 75 「真后の嫦娥

 2019.10.11  10.7×9.3㎝ 水彩紙?にペン・インク・水彩

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 嫦娥とは中国の伝説では、元仙女だったが、下界に下りて結婚した後に不老不死の薬を盗んで飲み、月に逃げてヒキガエルになったとか。また道教では月の神とされる。近年の中国の月面探査機にその名がつけられている。蝶と嫦娥の関係は、はて?

 

 

 ↓ 203 「それでも彼は旅を続ける」

 2020.2.1-3   18.2×15.3㎝ インド紙にペン・インク・水彩・顔彩

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 これを描いたのは、コロナウィルス騒動が日本で本格化する少し前だが、中国ではすでにたいへんなことになっていた。上海経由でのミャンマー旅行を予定していた私たちにも、その影響が出始めていた。「こんな時に本当に行くの?」という周りからの危惧・非難に答える(?)作品。読みようによっては、空を飛び自由に彷徨うべき蝶の翅を持っていながら、自分の足で着実に、朗らかに歩くのだという意志の表明、というのはむろん後付けの解釈である。

 

 

  214 「蝶を食(は)む」

 2020.2.12  12.8×9.6㎝ アジア紙?に ペン・インク・水彩

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 朔太郎の詩に「蝶を食む」といったタイトルの作品があったような気がしていたが、調べてみると「蝶を夢む」という作品だった。私の記憶違いだが、「食む」もまた、良いような気がした。

 

 

 ↓ 215 「蝶を吐く」

 2020.2.13  13.1×9㎝ 雑紙にペン・インク・水彩

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 口の中に蝶が入ってゆく「蝶を食(は)む」を描いた翌日に、逆に口から蝶が出てくる「蝶を吐く」を発想。

 「もはや若くはない歌手が場末の酒場で、蝶=昔の夢を苦い思いと共に吐き出す。その時の彼女は、やはり昔日の美しさをとどめていた。」というのはむろん今でっち上げた後付けのストーリーである。

 

 

  221 「肩に蝶の翅」

 2020.3.5-6   10×7.9㎝ ペン・インク・色鉛筆・水彩

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 蝶の翅は造形的要請として召喚されただけで、特に何のストーリーもありません。結い上げた髪から別の作品が出てくるのだが、それはまた別の機会に。

 

(記:2020.6.22)