艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

小ペン画ギャラリー

「小ペン画ギャラリー-11 風景の中の人物」

ファイルをパラパラとめくっているうちに、「風景の中の人物」という視点を思いついた。「風景を背景とした人物」ではなく、「ある風景の中にいる」人物。 小画面で描くということは、ややもすると、閉じた絵画的空間とならざるをえないところがある。だから…

小ペン画ギャラリー―10(石仏探訪-7) 「石仏から」 

石仏探訪にハマって約4カ月。長梅雨、猛暑にもかかわらず6月からの四カ月で45回だから尋常ではない。爺臭い趣味のように趣味のように思われるかもしれないが、まあ、それはどうでも良い。なぜ石仏なるものにハマったのかは、未だ自分の中でも十分には説明…

小ペン画ギャラリー-9  「へんな男 いくつか」

今回は「へんな男」というテーマ(?)。いや、テーマではない。テーマにもなっていない。何となくとらえどころのない、そのくせ何か引っかかる感じのものを選び出して並べてみたら、この言葉が浮かび上がってきたのである。したがって、解説のしようもない…

小ペン画ギャラリー 8 「常夜燈-浄夜燈」

「小ペン画ギャラリー」は、ここのところ人物を描いたものが続いた。いや、蝶も蝸牛も登場はしているが、画面上の主役はやはり人物である。少しそれに飽きたというわけでもないのだが、なんだか少し私らしくもないような気もして、今回は人物の登場しない絵…

「小ペン画ギャラリー-7 蝸牛」

梅雨がなかなか明けない。東南アジアやアフリカの雨期・乾期のそれとは違うにせよ、言い換えればまあ日本の雨季である。雨季には雨季なりの風情があることは認めるにしても、心身は不調気味。 路上や擁壁や樹々に蝸牛が這い出る。蝸牛のフォルムを見るのは好…

「小ペン画ギャラリー―6 家族」

家族、つまり自分の妻や息子を、また両親や姉たちを、作品として描いたことはこれまでない。そう思うと、ちょっと情の薄い男なのかなとも、思う。 若いころは、自画像を描くのが好きだった。と言っても、予備校での課題の油絵数枚にすぎないが。別に、日々の…

小ペン画ギャラリー 5-「蝶」

「蝶」を描いた小ペン画、5点。 あらゆる動物、植物、鉱物といった自然の存在が不思議で美しいように、蝶もまた不思議で美しい存在である。 ギリシャ神話では魂の象徴とされた。中国には荘子の「胡蝶の夢」がある。日本においても「極楽浄土に魂を運んでく…

小ペン画ギャラリー・4 「建物」

今回は少し趣きをかえて「建物」。「建築」ではない。 建築というと、どうも公共建築とか、ビルディングというか、大きなもの、夜になると人の住んでいない、政治や資本の論理に裏打ちされたもの、といった胡散臭いイメージがあって、好きではない。だから丹…

小ペン画ギャラリー―3 「踊り―その1」

「ダンス」を訳せば「踊り」。 だが日本語の「踊り」には「舞踏」と「舞踊」とがある。もともと日本語として「舞踏」と訳されていたのを、1904年の『新楽劇論』において、坪内逍遥と福地桜痴が新たに造語した「舞踊」を訳語として当てたとのこと。 私は「舞…

「小ペン画ギャラリー」―その2 「繭」

今回は繭と人物を描いた絵を5点(+油彩作品1点+参考図版1点)。 人物の性別はあいまいである。 繭とは書いてみたが、はたしてそれは繭なのか。 形と意味からすれば、「卵」でも良いような気もする。 しかし私にとって、そのイメージに最も近いのが、ヤ…

「小ペン画ギャラリー」その1 とりあえずの(女房が選んだ)3点

フェイスブックの最近の自分の投稿を見直して見ると、なんだか自然愛好的家的なコンテンツが多い。そういう一面があることは間違いないから、それはそれで構わないのだが、やはり釈然としない。 FBやブログとのつき合い方というか、使い方は、人それぞれであ…

「小ペン画―その小さな世界」について

昨年の6月以来、九カ月以上、「小ペン画」が制作の中心になっている。 「小ペン画」とは、文字通り縦横10㎝内外の、大きくても20㎝に満たない小さな紙に、主にペンとインクで描く作品。個展や海外旅行などでの中断期間はあるが、それ以外はほぼ一日一点のペ…