2月3日 マラケシュ・一日目
ホテルの朝食は2~3種類のパン、チーズ、無塩バター、マーマレードとジャム、ヨーグルト、オリーブ、コーヒーで、かなり美味い。ただし、以後毎日どこでもだいたいこんな感じで、しまいには少々飽きました。
8:50の電車でマラケシュに移動。窓の外の風景は地中海側ということもあって、思いのほか緑が濃い。といっても、オリーブ畑や小麦畑、牧草地など、人の手の入った自然である。広大で雄大な広がりを堪能する。遠くに雪をかぶった山並(アトラス山脈)が遠望され、何となく地理が頭に入ってきた。
駅からはタクシーで旧市街のホテル(リャド・イーダ・バロウ)へ。たまたまホテルのオーナーが吾々を見かけ、声をかけてくれたが、ちょっとそれとは気付きにくいごく小さな入口である。ここはすでに旧市街メディナの迷路の一画なのだ。
この日行ったのは、
①マラケシュ博物館
②ベン・ユーセフ・マサドラの二か所とフナ広場
共に建築とそれに付随する装飾の素晴らしさ、幾何学の美ということ。
前者の規模は大きくはない。常設の伝統的工芸品と、現代作家の作品が並列されていた。最近、世界各地でこうした形式の展示を見ることがふえてきた(コーナーで分けるのではなく、古いものと現代のものを並置する)。流行りなのだろうか。こうした見せ方は良いと思う。日本では公的な美術館などではまだ見たことがないが、今後どうなるだろうか。
マサドラとは神学校のこと。モスク自体は異教徒には非公開のところがほとんどだが、マサドラは現在神学校として使われていないところは内部を見学できる。ちなみにトルコやインドの有名なモスクはほとんど公開されている。ただしインドのヒンドゥー寺院は同様に異教徒には非公開というところが多かった。
マサドラには神学生用の個室が並び、そのたたずまいは、イタリア等の修道院の僧坊のそれと似ている。主旨からすればそれも当然かもしれない。仏教の寺院ではどうなっているのだろうか。考えてみると知らないのである。
フナ広場は観光の中心。たいへんな人だかりである。様々な商品、食べ物の屋台、大道芸人。人、人、人。しかし、特に見るべきものはない。
マラケシュのメディナでは例の、道案内をかって出てチップを要求する若者たちに閉口する。ただしこれも彼の地の当然の習慣であってみれば、そうそうこちら観光客の論理だけで判断するわけにもいかない。イスラムにおけるバクシーシ、ザカート(喜捨)の論理がかの地のルールとして在るのだから。収入の2.5%を寄付する人が日本人の中でどれだけいるだろうか。年収500万であれば12万5千円。まあそうは言っても、慣れぬ吾々にとって不愉快の感は否めないのであるが。フェズやチュニスのメディナではあまりなかった。
↓ イスラム的装飾と西洋的装飾のコラボレーション ベン・ユーセフ・マサドラにて