艸砦庵だより

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2014年に見た演劇・ダンス・ライブ等

2014年に見た演劇・ダンス・ライブ等

 

2014年に見た演劇、ライブ等は下記の四つ。

 

1. 「Ninfa  嘆きの天使」 水族館劇場 (アングラ演劇)

    太子堂八幡神社:特設野外舞臺「化外の杜」 5月24日 

2. 「El veitie ライブ」(+Ithilien Lycanthia Not Another Prequel Just

    Another Sequel」 (フォーク・メタル)

    渋谷サイクロン 6月7日 

3. 「犬神サアカス團 祝20周年! 犬神まつり」(+人間椅子、J・A・

    シーザー/アジアン・クラック・バンド) (ヘビメタ) 

    渋谷O-EAST 7月12日

4. 「3 youths on the sand(「隣人の顔」「不眠普及」「Closet」)」(新劇)

    アトリエ春風舎 11月21日

 

 2014年に見た演劇、ライブ等は上記の四つ。その中で水族館劇場の「Ninfa  嘆きの天使」(アングラ演劇)は約四十年の空白を経ての昨年五月の「NOSTROMO あらかじめ喪われた世界へ」に引き続き二度目である。

 二十歳前後の頃、多少の縁があって、その前々身というべき曲馬館という、当時もっとも過激な政治的主張を持っていたと言われる劇団の芝居が好きで、よく見に行っていた。それから四十年。ヒロインの千代次も六十歳をとうに越えた。反権力、反体制のテイストは相変わらずだが、それはもはや一つの継続された意匠にしか見えぬと言ってしまえば酷にすぎようか。それもまた芸であるか。思想であるか。

 過去のアングラ芝居なるものを知らぬ同行の二十台の若者二人には大いに受けていた。

 その徹底した現場主義、既存の劇場使用を忌避し、大仕掛けな仮設舞台や野外で大量の水を使うといったスペクタクル性、あるいは別ユニットであるさすらい姉妹の路上演劇の舞台である山谷、寿町といった寄場へのこだわり、等々、いまどき素晴らしいとしか言いようのない叛時代性である。そのことに対して、私はおおいに敬意をはらう。しかし、それらはつまり絵で言えば造形性にしかすぎないのではないか。その造形性でもって語られねばならない物語の内実が四十年前とさほど変わっているとは思えないのである。さほど更新されているとは感じられないのである。その結果、その芝居は今日を、世界を、撃つことができているのだろうか。芝居=思想であるかどうかは措くとしても、少なくとも芝居=娯楽として演じられているのではないだろう。

 大きな物語が失われて久しいと言われる。しかし本当に大きな物語は失われたのであろうか。それはあるいは別の語り口でこそ語られ直されなければならないのではなかろうか。

 

 11月に見た「3 youths on the sand(「隣人の顔」「不眠普及」「Closet」)」は水族館劇場とは対照的な表情をもっていた。作者も演出者も異なる三つの短編集とも言うべき舞台。味わいも匂いも今日的で、それなりの不条理感にあふれている。役者のクオリティーは高いのだろう。この三つの舞台は平田オリザの主催する劇団青年団の演劇学校、無隣館に所属する演出家たちの手になるものとのこと。私は平田オリザの芝居は見たことがない。だから批評も好悪の判断もできはしないのだが、要するにポスト天井桟敷や情況劇場、ポスト小劇場運動であるということだけは知っている。

 この二つの芝居の対照性が、芝居を見ることのなかった40年の間に去来した物語の喪失あるいは変質ということを、私にあらためて問いかける。それともそれは、この40年の間に美術界でおきた変容、あるいは何も変わらなかった事態と同じことなのだろうか。何かは確実に変わり、そして何も変わりはしなかったのだろうか。(以下 未定稿)