艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

尾崎山~文台山 (2015.4.23)

 尾崎山と文台山を登ってきました。 

 4時間睡眠の5:45起床。7:28の電車。大月乗換で富士急谷村町駅下車10:24。南東の低い丘陵の鍛冶屋坂を目指して歩き出す。車道左側の取り付きの神社から右へ行く破線を辿るつもりが、いきなり道を失い、ケモノ道頼りの藪こぎ。おかげで久しぶりに自生のエビネを見た。

 なんとか鍛冶屋坂(峠)にいたると、そこにはローマの水道橋風の建造物がある。おそらく中を水が流れているのだろう。その上はコンクリートで固められているが、立ち入り禁止。いったんその下をくぐりぬけてから右手にしっかりと整備された「遊歩道」の標識に従い、以後整備されたゆるやかな山路を歩く。まぶしい新緑の下、筆竜胆、碇草、一人静、菫、山吹などが咲いている。

 ↓ こんな感じ

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 ↓ 筆竜胆

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 その遊歩道のかたわらに点在する地元小学校関係の卒業記念植樹などはほほえましいが、「緑の募金」事業との看板の立つ何だか不気味な植林地帯もあった。そこは周囲を見ると、もともとコナラやミズナラなどが生えていたと思われる林の一画を無残にも皆伐して八重桜(これだけは花が咲いていたのでわかった)や何種類かの苗木が植えてある。ほとんど管理放棄され荒廃した杉や檜の植林帯を自然林に復活させようというのならそれは大賛成であるが、もともと自然状態にある雑木林を皆伐して、本来そこには無い、おそらく見栄えの良い花木を植えるというのも妙なというか、センスの悪い、一種の自然破壊である。緑の募金なるものを帰ってから調べてみたら、案の定、農林水産省国土緑化推進機構の、つまり行政の仕業である。国土緑化ということ自体はその歴史的経緯をふまえてみても必ずしも悪い事ではなかった。しかしその後の経済その他の情況の変移からみれば、自然林を皆伐し杉檜のみを植林していくという林野行政はとっくに破たんしている。むろん現代に合った方向に変わりつつあるとは思うものの、その一つがこれであるならば、やはり行政とは度し難きものというしかないのである。

 ↓ 謎の「緑の募金」事業

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 閑話休題(あだしごとはさておいて)

 ともあれそのゆったりとした路を坦々と歩く。高度を増すにしたがい次第に尾根は細くなり、多少の岩場も出てくる。三つ峠山から本社ヶ丸、昨年登った鶴ヶ鳥屋山の並びが堂々と見える。文台山への分岐をへてほどなく、だだっ広い尾崎山山頂967.8mに着いた(13:00~13:15)。あまりぱっとしない山頂だが、まあ仕方がない。

 それよりも昨年11月以来五カ月ぶりの山登りのせいか、調子が良くない。どこが悪いというわけでもないが、しんどいのである。足腰の筋肉の衰えを感じる。筋肉は減っているのに体重は増えている。老化である。不摂生である。はたして予定どうり歩き通せるのかと危惧されるが、さて。

 いったん分岐まで戻り、文台山を目指して先に進む。情報によれば「迷いやすい」「藪が多い」とのことだったが、季節のせいか藪はなく、地形自体を見れば特に迷うところもない。ただし歩く人が少ないせいか、道形は判然としないところもある。稜線上は新緑以前の芽生えといったところ。ところどころにハッとするようなミツバツツジのピンク。

 ↓ こんな感じ

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 相変わらず、ゼーゼー、ヘロヘロと疲れきりながら、意外にも順調に文台山頂上1198.8mに着いた(14:55~15:15)。いつものように人っ子一人いない静かな山頂である。体調、疲労感のわりにはコースタイム通りの時間。結局、久しぶり、ということなのだろう。いずれにしても山そのものは予想していたよりも良い山、良いルートだった。

 ↓ 人っ子一人いない文台山頂上

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 それにしても、このあたり富士急線沿線や笹子周辺の山には何か、どこか独特の雰囲気がある。乾いた感じ、とでも言おうか。そう言えば上部の樹林帯には下草というのか、下生えがほとんど無い。場所や季節にもよるのだろうが、地面に落葉があるのみなのである。ちょっと不思議な気がする。

 下山は北東の尾根を下り、細野への峠から左して上小野へ。疲れた足を引きずりながら谷村町駅へ辿り着く。目の前で出発した電車を見送り、次の電車まで駅に隣接するラーメン屋で、一本のビールとハムカツでささやかな祝杯をあげた。                (2015.4.24)