艸砦庵だより

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山行記‐4  月夜見山に登った  (2015.6.29)

 

 今年の梅雨は、今のところ雨の日も蒸し暑い日も少なく、しのぎやすい。だから山に行くにはもってこいなのだが、実際にはそうならない。しのぎやすい気候だと制作もはかどり、制作がはかどれば、山に行く欲求も減るからである。前回の山行から4週間もたった。

 この29日月曜の予報は晴れ。その後一週間は天気が悪い。それを知って、前夜急に行く気になった。遠出する気はしない。上州、越後、東北と、心は惹かれるが、身体は動かない。笹子より先には行ける気がしない。結局、困った時の奥多摩とあいなる。

 20万図や5万図をざっと眺め、浅間尾根上半から月夜見山~陣馬尾根下降と決めた。稜線を走る奥多摩周遊道路のせいで、何となくポイントの無いコースと言うか、あまり通して歩かれることのないルート構成だという気がする。いずれもっと歳をとってから、晩秋か早春の頃にでもと、あわく思っていた。しかし、もう、どこでも良いのだ。山でありさえすれば。行ける時、行けるところに行くのだ。かくして近場で行くべきルートがどんどん無くなっていく。

 コースタイムでは6時間。一番日の長い時期だから、帰りの終バスに間に合いすればよい。五日市駅発10:30のバスに乗る。

 

 浅間尾根登山口バス停11:35。登りはじめてすぐの浅間の湯の表示のところで、なぜか前回と同じように間違えて直進してしまう。すぐに気づいて戻り、浅間の湯の脇を通過。ここは一度、風呂だけ入りにきたことがある。その後一度火事で焼けてしまったとか。その名残なのか、敷地の一部にブルーシートがかけられている。

 ほどなく数馬分岐。右に直進するメインコースと分かれ、左へ入る。けっこう良く歩かれているようだ。ところどころにマウンテンバイクの跡がある。なるほど。奥多摩周遊道路から入ればダウンヒルオンリーだ。

 藤原峠から臼久保集落への道に入り、台座に享保の年号が記されている石仏(地蔵か?)のところから分かれて右に入る。台座の年号は享保八年と読めなくもないが、確認はしていない。檜原最古の馬頭観音は享保元年(1716年)というが、享保八年(1724年)とすればこれも結構古いものだ。その先の仲の平分岐にも文政十年(1818年)の年記の入った石仏があった。200年も300年もそこに佇んでいるのだ。

  ↓ 臼久保集落との分岐にある石仏 地蔵か?

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  分岐の左手にある奥多摩の高地集落の一つである臼久保はもともと三軒ほどの集落だったが、ここ数年無住だったところに、女房の友人が今年から住むことになった。専用のモノレールも稼働し始めたそうだ。物好きなことではあるが、悪いことではない。いずれ何かお手伝いに来ることもあるだろう。何だか少しずつ檜原と縁ができつつあるような気がする。

 御林山1078.4mに13:30着。ここは檜原に五ケ所あった御林山の一つ。御林山とは幕府直轄の用材を提供するための山林。熊倉山、三頭山、白岩向山、毛手山、月夜見山で計三百三十四町八反歩と言うが、どれくらいの広さなのか、ちょっと見当がつかない。

 この御林山をめぐっては、天保7年に村民あげておびただしい盗伐をした御林山事件というのがあり、名乗り出た百姓代惣助、他が牢死したが、真相は最後までわからなかったそうだ(『檜原・歴史と伝説 炭焼村の生活史』、『桧原 ふるさとの覚書き 村の暮しと民俗』小泉輝三朗/武蔵野郷土史刊行会 による)。村民もなかなかしたたかにお上の目をかすめて生きていたようだ。

 むろん御林山というのはその山域一帯を言うのであって、特定のピークを指し示すわけではなかろうが、当時の名残として三角点の置かれた尾根上の1078.4m地点にその名をとどめているのである。ちなみにその北面の北秋川源流白岩沢の左俣にもオハヤシ沢の名をとどめている。まあそんなことを少しでも知っていると、なんの変哲もない尾根上の一地点にも淡い興味がいだけるというものである。

 ↓ 御林山頂上

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 ↓ 稜線はこんな感じ

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 それはそれとして、晴れの予報であったにもかかわらず、曇天。一向に日は射さず、しかもおおむね樹林帯だから、暗い。暗いと風景の遠近感や色彩の彩度が失われ、世界が平板になる。前回あれほどやかましかった鳥の声、蝉の声も全くと言っていいほどない。繁殖の季節が終わったということなのだろうか。花もせいぜいコアジサイがショボショボと咲いているばかり。ほかには山法師や熊苺(ニガイチゴ?)の実ぐらい。それはそれで風情ではあるが、生命力や華やかさには欠ける。

 ↓ 山法師の花

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 静かでゆるやかな登りを淡々と続ける。奥多摩周遊道路を横切り、しばし登れば主稜線上の1249mの戸沢峰の表示のある地点。西方すぐ近くの1302mには砥山(砥沢峰)の名がある。今回で最も高い地点だが、特に何の感興も湧かない。コンビニ弁当をボソボソと食べる。

 このあたりからルートは周遊道路と並行するようになり、峠族だかのバイクの音がときおり聞こえるものの、意外と山路を辿って歩ける。結局三か所舗装道路を歩いたが、それぞれ20~30mほどだった。

 月夜見山手前の右手に石灰岩の岩場を見るあたりで、ルートはその岩場の裾を巻き上がるようになっていたのだが、それを見落として直進してしまった。少したってから気づき、慎重に元に戻り、事なきをえる。

 月夜見山1147.0mの山名は月読命から来ているのではないかと思うが、よくはわからない。麓には関連する神社でもあるのだろうか。

 その後、月夜見第2駐車場を突っ切り、防火帯なのだろうか、幅広く開いた尾根上のゆるやかな起伏を辿る。天神山、大久保(水窪)山といったピークは踏んだはずだが、どこだったかよく分からないうちに小河内峠に着いた。そこからは陣馬尾根を下る。最初のトラバース気味の部分が何ヶ所か少しザレていたが、尾根に乗ればかつての生活道であっただけに歩きやすい。植林と自然林が交互し、新緑のころでもあれば気持が良さそうだ。ただし、曇天と夕暮れのせいで暗くなりはじめており、急ぐ。

 ↓ 人っ子一人いない尾根道=防火帯?

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 途中の縄文期の中ノ平遺跡や、修復工事の完了した江戸中期に建てられたという重要文化財の小林家住宅にも心ひかれるが、それはまたの機会としよう。今は廃校となった本当に小さくてかわいい藤原小学校(今はコミュニティーセンターとして利用されている)を見て、藤倉バス亭着17:40。ほどなくやって来た最終の一つ前のバスに乗り、1時間足らずで自宅に戻った。

 ↓ 校舎も運動場も本当に小さい旧藤原小学校。おつとめ御苦労さまでした。

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 今回は全体に急な登り降りがなく、そのせいか足腰の疲労も、足指の痛みも覚えず、まあ快調に歩けた。少し山での体力、山力の貯金ができてきたのだろうか。スッキリしない天気のせいで、堪能したとは言い難いが、山はそういうもんである。それよりも近場で、気楽に歩けるルートがどんどん減っていくのが、不安と言えば不安だ。

 

コースタイム】浅間尾根登山口バス停11:35~浅間尾根分岐12:25~藤原峠12:45~御林山1078.4m13:30~奥多摩周遊道路13:55~戸沢峰1249m14:20~月夜見山1147.0m15:30~小河内峠16:25=~藤倉バス亭17:40           (2015.6.30)