艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

アメリカに行ってきた-その2

1日目 9月15日(火) 成田~ロサンゼルス~ニューヨーク

 煙草が吸えない。ロサンゼルス空港内にスモーキングルームはない。乗り換えの間に外に出て吸えるはずが、時間が押して結局ニューヨークまで吸えなかった。吸えないと決まっている間は覚悟しているから大丈夫だが、吸える可能性があるのに吸えないというのは辛い。夕方、ニューヨークのJ.F.ケネディ空港に着いて久しぶりに吸うと、クラクラするほど美味い。タクシーでブルックリンの中国系のホテルへ。国連の会議があるとかでマンハッタンのホテルは超高値のため。

 

2日目  9月16日(水) ニューヨーク滞在

 地下鉄利用でマンハッタンへ。薄汚くて、落書きだらけ(キース・ヘリングやバスキアの原点―それはそれで見てみたかったが)で、危険な地下鉄というのは、昔の話らしい。楽だ。しかし東京の地下鉄だって怪しい私一人では、とても使えない。グッケンハイム美術館とメトロポリタン美術館を回る。

 グッケンハイム美術館は肝心の螺旋状の部分が、展示替え作業のためクローズ。最上階の企画展「Doris Salcedo展(註1)」と、観光客のための(?)目玉の印象派を中心としたごく一部の常設展。その分、料金を安くしていたのは良心的。Doris Salcedoという作家を私は知らなかったが、作品はモノ派的な要素を持ったインスタレーションや、その他の現代美術。ポルタンスキー的なところもある。わかりやすく、意外性は無い。一部の作品に羊皮紙(パーチメント)を使っていることで、作品にある種の陰翳とセンスを付与している。

 (註1)私には全く未知の作家だったが、帰国後調べて見ると1958年コロンビア生まれ、2014年に第9回ヒロシマ賞を受賞し、広島市現代美術館で記念展を開催とあった(浅田彰ヒロシマのドリス・サルセド『第9回ヒロシマ賞受賞記念 ドリス・サルセド展』 REAL KYOTO http://realkyoto.jp/review/doris-salcedo/ )。その展評を読むと作品の意味がより良くわかる。ということは、そうしたその作品の文脈の解説抜きでは真のというか、正確なというべきか、作品の理解には至らぬということであるかもしれず、つまり現代美術(とは限らぬが)の難しさをはからずも体験したわけである。ただし前述の私の感想も朝田の解説があればより理解が深まるといったものであり、大筋では訂正の必要は感じない、というのも微妙なところである。

   ↓ Doris Salcedoの作品「Plegaria Muda」 解説としては上記浅田彰を参照

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  ↓ 同じくDoris Salcedoの作品 展示壁面を窪ませ、女性の靴を収納し、羊皮紙で痛々しく覆っている。生理的というか官能的。

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 メトロポリタン美術館は聞きしに勝る規模。あらゆる時代、あらゆる地域、あらゆる西欧の画家の作品を蒐めようという意気込みと経済力。おそらく質量というか、総合的には世界的最大の美術館ではないだろうか。途中2回の休憩をはさんで5時間かけても充分には回り切れなかった。せいぜい4割ぐらいか。ヨーロッパ絵画、アフリカ、オセアニアのものはほぼ全て見た。もとより全部見れると思っていたわけではないが、日本、東洋のコーナーと、肝心のアメリカ美術のコーナー、中でもハドソン・リヴァー派を見逃したのは痛恨の極み。アメリカでしか見れないだろうに。

 さすがにヨーロッパ絵画では超一流品はないが、1.5流品以下は大量に体系的に蒐集している。20世紀のアメリカの経済力と、ヨーロッパへの憧憬(≒コンプレックス)の強さがわかる。それが後の抽象表現主義ポップアートを生み出したのだ。

  ↓ 充実したオセアニア美術のコーナー

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  ↓ 知ってはいたが、初めて見たミクロネシアだかポリネシアだかの「海図」。こんなものを頼りに島影一つ見えぬ大海原に漕ぎ出して行った人々。すばらしい抽象美術。

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 ↓ なんだかわからんが、素晴らしい!

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  ↓ トーマス・ハート・ベントンの巨大な作品。ようやくアメリカらしい絵画が生まれようとしている。画材としてPermalbaとあった。油絵具の一種のようだが、はて?

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  ↓ そしてアメリカ美術は進化?する

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 閉館時間までねばってへとへとになった後に、おまけでエンパイアーステートビルに登る。最上階の展望台から見たマンハッタンの日没。すごいけれども別にどうということもなし。ただし私はアールデコ建築の象徴としてのエンパイアーステートビルを、ロックフェラービルと勘違いしていたことに気づいた。私が行きたかったのはロックフェラービルだったのだが、後の祭り。

 帰途は地下鉄の乗り換えに失敗し、だいぶ時間を食った。

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3日目  9月17日(木) ニューヨーク滞在

 地下鉄利用でマンハッタンへ。美術館がオープンするまでの時間を利用して、まずグランド・ゼロへ。K氏の希望。時間の関係でミュージアムは見ず、二つある跡地の四角いプールの一つだけを見た。

 

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あの時、私は某氏宅で麻雀の最中だった。女房からの電話でそれを知り、テレビ画面を見て茫然とし、さすがに麻雀は中止となった。繰り返される映像を見ながら去来したのは神風特攻隊のイメージであり、おそらく世界の一部で確実に湧き起こっているであろうイスラム教徒たちの歓呼の声であり、そしてこれから起こるであろうロクでもない世界の成り行きであった。それはその通り推移した。グランド・ゼロの悲惨さと、今日ただ今も進行中の、それ以降のさらなる悲惨さ・・・。

 次いで、自由の女神像を見にリバティー島への舟に乗る。自由の女神像とはアメリカの大仏である。全身に吹いたきれいな緑青錆を身にまとい、これ以上ないというくらいの青空を背景に外海に向かって立っているのを見ると、やはりアメリカはヨーロッパ人にとって新世界だったのだなと思わずにはいられない。美術館の開館時間に合わせるため、エリス島はパス。

 美術館はホイットニー美術館とニューヨーク近代美術館(MOMA)。いずれも巨大であるが、昨日のメトロポリタン美術館ほどではない。それでも大いに疲れる。ホイットニー美術にあった「RAW WAR」という反戦・反体制のアート(ウォーホール等の作品もあった)を展示した一画が興味深かった。そうしたストレートさは確かにアメリカ美術の持つ一側面かもしれない。振返って日本はと考えると、昨今の美術館のある種の作品展示の撤去や自粛の情況等、何やらうそ寒い。

  ↓ 自らの身体をキャンバスに

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↓ 「絵」を見るとほっとします。ルソーの傑作「眠るジプシー女」

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  ↓ フリーダ・カーロの自画像とツー・ショット 私も芸術

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 以上でニューヨークでの二日間四つの美術館巡りは終わったのだが、そこで見たアメリカ美術は、代表的なアーティストの作品が2.3点ずつ網羅的に陳列してあるという、いわば総花的な展示であった。これまでアメリカ以外のところ(それこそ世界中のモダンないしコンテンポラリーミュージアムで同じような展示が見られる)で見たものと、さほど印象は変わらない。むろん量が圧倒的に違うから、全く同じというわけではないけれども。それはおそらく今回の実体験以上に、その前に既に多くの情報として知り過ぎているということなのだろう。つまりアメリカ美術は芸術である以上に、すでに現実そのもの、現象そのものとなっているのである。

 

4日目  9月18日(金) ニューヨーク~フェニックス~フラッグスタッフ

 ニューヨークから国内便でフェニックスへ。そこからレンタカーでグランドキャニオン探訪の足場フラッグスタッフへ移動。果てしなく広がる青空。果てしなく続く乾燥した大地。この広さはいったい何なんだ。この頃からアメリカの風土の持つ広大さというものについて考え始める。

 途中Agua Fria (PUEBLO LA PLAT)という国定公園(Nationl Memorial:正しくは国立記念公園というべきであろうが、Nationl Parks=国立公園に対してこの言い方が日本ではよくなされている)に寄り道する。標識に従って未舗装の道路を行けども行けども辿りつかない。どうやら整備途上らしい。ようやく最終駐車地点とおぼしき何も無い処に車を止め、少し歩いた先に先住民の石積みの住居跡があった。これはこれで風情である。あたりには当時のものと思われる小さな陶片が散らばっていた。

  ↓ 荒野の中の先住民の小さな遺跡(ポーズに意味はありません)。

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 ルート17に戻り、何の変哲もない地方都市フラッグスタッフで泊。ここに限らず、今回行った所では街並みの面白さといったものは一切感じることができなかった。これも初めてのことである。

 

5日目  9月19日(土) フラッグスタッフ~グランドキャニオン

 2時間ほどのドライブでグランドキャニオン国立公園入口。まずはマザーポイントへ。ただただ圧倒される雄大な景観。ただし、想定内。すなわち、既視感あり。

  ↓ 一応、グランドキャニオン

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 想定外だったのは、日本であれば確実に安全対策として講じられるであろう柵などが、本当に人の多い一部、それも必要最小限しか設置されていないことだ。本当にヤバいでしょうという所でも、その気になれば自由に立ち入れる。実際、立ち入っている勇気ある若者たちもいた。翌日以降に体験したトレイルにおいても同様。自己責任ということらしいが、日本で言うところのそれとはどうやらだいぶ意味合いが異なるようだ。

 サウスリム(南岸)の舗装された遊歩道を、大勢の老若男女の観光客に混ざって少し歩いてみる。絶景ポイントだらけだが、暑さとアメリカに来て以来の疲れが出たのか、昼飯時のビールが効いたのか、すっかりバテバテ。ヤバパイ博物館に寄るも、特にどうということなし。早々にロッジに帰る。スカンクが遊びに来ていた。

 

6日目  9月20日(日) グランドキャニオン滞在

 ブライド・エンジェル・トレイルを歩いた。

 これについては別に「山行記-7 グランドキャニオンのブライド・エンジェル・トレイルを歩いた」として「山」のカテゴリーでアップした。

  

7日目  9月21日(月) グランドキャニオン~フェニックス

 予定ではもう一泊するはずだったが、昨日で堪能したことと、翌日早朝にフェニックスの空港に行くためには未明3時頃出発しなければ間に合わないことから、本日中にフェニックスに移動することにした。まだ真っ暗の曲がりくねった山道を3時間もドライブするのは恐い。ちなみにここに限ったことではないが、路肩にガードレールは一切無い。ということで前夜の内に、K氏のロサンゼルスの会社の部下に電話して、フェニックスの空港近くにホテルを予約してもらった。したがって今日はのんびりと寄り道しながらの移動である。とりあえず途中のいくつかのビューポイントや、ごく小さな民俗博物館、TUSAYAN博物館、デザートビューポイントなどに寄り道しながらグランドキャニオンに別れを告げる。

 Wupatki国定公園に寄り、小さなLomaki遺跡のあるボックス・キャニオンと、やや大きなWupatki Pueblo遺跡を見る。サンセット・クレーター・ボルケーノはその脇を通り過ぎただけ。

  ↓ Wupatki Pueblo遺跡

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 フラッグスタッフの街を通り過ぎ、セドナ国立公園の渓谷沿の道を走る。ここも良い所らしいが、グランドキャニオンで満腹になっていたのと、駐車場があまり無いため、結局ほとんどスルー。出口付近の赤いベル・ロックなどの岩峰群はなかなか見ごたえあり。最後にモンテズマ国定公園のキャッスル(先住民住居跡)を見に行くつもりが、間違ってMontezuma Well(大きな泉というか池)に辿り着いてしまった。これはこれでなかなか面白かった。小規模だが住居跡もあったし。 

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  ↓ 乾燥した大地に忽然と現れるMontezuma Well。水は地殻深くから涌出する古代水。

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 ともあれ予定終了。本日の核心部は、運転のさ中に低血糖症で意識を飛ばしそうになるK氏へのケアと、フリーウェイからホテルに至るまでの、ゲームのような、必死のナビゲーションであった。

 以下、続く。