艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

緑に癒され 風に吹かれ 股関節痛に悩まされ~ 外秩父・鐘撞堂山から陣見山へ

 一週間ほど前から右の股関節の調子が妙な具合に痛い。二三日前も一時間少々の裏山歩きのあと、舗装道路に降り立ったとたん、右足がアレっという感じで、一歩二歩が前に出なくなった。なんとかだまして歩いたが、なんだ?これは?といった感じだった。

 その少し前には急に歯グキが腫れた。かかりつけの歯医者が休みで、急きょ別の年中無休の歯医者に駆け込んで、切開して膿を出した。四月初めにはいきなり花粉症らしき症状となったが、二日間寝込んだら治った。花粉症だったのか風邪だったのか、いまだによくわからずじまい。その前三月には、これは確実に花粉関係で、二三週間ほどまぶたが爛れて困った。これは教え子のカヨちゃん(「『蜂の子』を料理して食べた」の送り主)が作った蜜蝋人参オイルワックスを何日か塗ったら、何とか治った。今年の正月に転倒して左ひざを強打して以来、腰痛肩凝りを含めて、あちこち、どこかしら痛いといった状態が続いている。

 歳なのだろうか。たぶんそうだろう。しかしその直接的な原因は、高め安定の体重であり、それと連動する、絵描きとしてまじめに制作にいそしむことによってもたらされる慢性的な運動不足である。

 なんであれ、ああ~、ジジくさい。何にしてもまたそろそろ山にでも行かないと、身体が倦んでいるなあと、ひしひしと感じる。心と精神は決して倦んでいないのだが、身体が倦んでいるとやはりダメなのである。

 

 そんなことをボンヤリ思いながら前夜、古い美術関係の雑誌を見ていたら、ある寺の五百羅漢の紹介が載っている頁に目がとまった。何かいいなあ、見に行きたいなあと思って何気なく調べると寄居、長瀞の近く。つい地図を取り出して見ると周囲は山だ。鐘撞堂山。聞いたことがある。家族向き低山ハイキングコースとしてポピュラーなところだ。この辺りは奥秩父からも奥武蔵からもちょっと離れているため、何となく所属が曖昧な、外秩父とか北武蔵などといった要領をえぬくくられ方をされているところ。そのためもあってか、山登りの対象としてはあまり魅力を感じるということもなく、20年ほど前に大霧山に家族で登って以来足を向けたことはない。したがって私の「登山予定リスト」には載っていない。

 股関節は微妙に痛い。そういえば明日は久しぶりに晴れだとか言っていたな。でも明日は連休の初日だし、どこも混むだろうな。などと倦んだ頭で考えていたら、閃いた。ウダウダ言わず、行けば良いのだ。股関節が気になるなら低山ハイキングコース、結構、ポピュラールート、上等ではないか。季は新緑。晴天。楽ルート。完ぺきである。多少人が多いくらい、なんだ。何せ私はこの身体の倦みを早急になんとかせねばならぬのだ!ということで、唐突に行くことに決めたのである。五百羅漢はどこかへ飛んで行ってしまった。さすがにここまで唐突なのは吾ながら珍しい。まあそれはそれとして、あまりなじみのない所に行くというのは、それだけでも結構心躍るものだ。

 

 ↓ 国土地理院の地図を利用して初めて作成してみました。赤い線が歩いたラインです。縮尺の関係で見えるかどうか。PCではクリックすると拡大されます。 

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 4月29日、五日市発7:47。拝島、高麗川、寄居と乗り継いで桜沢という妙に風情のある名前の駅に降り立つ。近くにはこれもきれいな杏沢(あんずさわ)という地名もある。

 ここに至るまで、八高線の車窓からは案外ときれいな新緑の里山が続いているのが眺められた。実はその間、微妙な違和感を感じていた。そしてそれは、そのきれいさが、人里近くの里山でありながら杉檜の植林が少ないことによるのだということに思い当たった。考えてみれば私の住む五日市にせよ、奥多摩、中央線沿線にせよ、人里近くはほとんどと言っていいほど植林されている。緑は多いが視界のほとんどは暗緑色の杉檜の常緑針葉樹なのだ。それがこの八高線沿線では、かなりの割合で落葉広葉樹なのである。その理由はよくわからないが。したがってこの季節、ここら一帯の山々は全体が新緑、銀緑色に「うるうるともりあがって」いる。何か、うれしい誤算、うれしい発見である。

 ↓ 入口の八幡山 

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 ともあれ駅の目の前にある小さな丘、八幡山めざして八幡神社から登りだす。最初は少し急だが、すぐになだらかな良い路となる。新緑の広葉樹。10分で八幡山山頂。う~ん、良い感じだ。以後も新緑と言うには若干濃くなった若葉のなだらかな尾根を、急がず、快適に歩く。季節のせいもあるだろうが、どうやら思っていた以上に良い山だ。あちこちで朱い山ツツジが満開である。展望はさほどないが、飽きない。まことに気分が良い。

 ↓ 登り始め

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 ↓ 八幡山山頂

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 そういえば今日は強風注意報が出ているそうだが、確かに風は強い。「風はゴーゴー、森はザワザワ」。もう又三郎がやって来たのかと思うほど。

 たしかにポピュラーなコースだけあって、行きかう人は多い。犬を連れた人、犬を背中のザックに入れて歩いている人、会社員風の服装で黒い革靴の人。しかしみなすれ違うばかり、降りてくる人ばかり。ああそうか、また時差登山のせいだと気づく。

 北側に遠望される谷津池の傍らでは、大きな桐の木の紫の花が満開だった。山中にも桐の木は多いらしく、歩いていて桐の花、藤の花があちこちに咲きこぼれている。これも今日の強風のおかげだ。

 ↓ いたるところに山ツツジが満開

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 ↓ 桐の花 そういえば手にとって見るのは初めてかもしれない。

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 ↓ 谷津池と満開の桐の木

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 鐘撞堂山(330.2m)の山頂に11:30着。わが家の裏山の網代城山330.7mとほぼ同じ高さ。歩き始めて1時間ほどである。戦国時代は見張り場だったという、よく整備された、歴史ある山頂。外秩父の山々が意外なほど近く、新緑の衣につつまれて美しく耀いて見える。前日までの雨と今日の強風で、大気中の塵が洗い流され吹き飛ばされたのだろう。

 ↓ 鐘撞堂山山頂

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 ↓ 外秩父 北武蔵の山々 

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 鐘撞堂山からはいったん円良田集落を目指して下る。途中の峠状のところに今も現役の炭焼き窯があった。

 ↓ こんな感じ 

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 ↓ 現役の炭焼き窯 

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 円良田集落から道路わきの最初の指導票に導かれて左に入る。すぐに左右に分かれるが、そこに指導票はない。右か、左か。右を選ぶとすぐに最奥の二三軒の廃屋。あれっ?と思いつつ、もう一歩踏み出すと、目の前を狸が通過した。そこは竹林だったところを前年に伐採したようで、竹は生えていないが筍ばかりが生えている。上を伐っても根は生きていて、今年生えてきたのだ。などと考えながら進んで行くと、路は次第に踏跡へと変わり、それがいつしか怪しくなってくる。ああ、やはりあの分岐は左だったのか、それとも狸に化かされたのかと思いつつも、この踏跡は何とかうまいこと稜線まで続いているのではないかと甘い期待にすがって引き返さない自分がいる。人はそうやって遭難するのである。やがて当然のように藪に突入。地面を横に這う藤蔓をかいくぐるのは厄介である。ヤバい、ヤバいと汗だくになる頃、かすかな獣道を見つけた。それを慎重に辿ればあっけなく、左手の支稜に乗ることができた。かすかにかつて人が歩いていたようにも思われる尾根だ。少なくとも歩く分には差し支えない。やれやれである。ありがとう、狸さん。ほっと一息入れる。反省すべきではあるが、しょせんたかがしれた藪こぎ、その逆境を楽しんでいる自分もいる。

 その支稜を少し登ればなんの苦もなく正規のハイキングコースに出れた。そこから一投足で337mの虎ヶ丘城址(資料では亀ヶ岡城となっているものもあったが、ここでは現地での表示に従う)に到着。13:05。小さな館というか、砦が置かれるに充分な広さである。ここの前後の尾根には二三層の空堀の遺構と思われる地形があった。

 ↓ 虎ヶ丘城址 

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 鐘撞堂山を出て以来、人に合わない。ここまで足を延ばす人は少ないのだろう。以後も気持の良いなだらかな尾根が続く。防火帯かと思わせるような幅広い路が長く続くところもあった。そうしたところには敷石のような、秩父青石と呼ばれる緑泥片岩の露頭が多く見られた。この石のスレート状に加工できる性質を利用して作られた「板碑(または板石卒塔婆)」と呼ばれる石碑が檜原や青梅周辺でいくつか発見されている。その色合いや彫りこまれた梵字などの様相と相まって、ちょっと趣のあるものだが、それらは鎌倉から室町前期にこの長瀞付近で作られ、はるばる青梅や檜原まで山を越えて運ばれたものである。下山の時に通過した地元の集落では、いつの頃のものかわからないが、墓地にいくつか見受けられた。比較的近年まで使われていたのかもしれない。

 馬頭観音のある大槻峠をへて(13:30)、稜線上の舗装道路を渡ればほどなく陣見山山頂(531m)。

 ↓ 大槻峠 秩父青石に彫られた馬頭観音の年記は安永9年(1780年)  

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 ↓ 途中で見かけた不思議な三角点 コンクリートのふたの下に埋められているのか?

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 ↓ 味気なき陣見山山頂f:id:sosaian:20160501143657j:plain

 

ここは残念ながらテレビ埼玉の施設が設置された植林帯の中のまことに味気ないところ。写真を一枚撮って早々に通過する。この少し前頃から心配だった右股関節が痛み出してきていた。まだなんとか歩ける。時間的にも余裕はあるが、予定していた雨乞山や不動山まではちょっと辛い。残念だが、今日は充分堪能した。きりの良い次の榎峠から降りることにした。

 ↓ 榎峠の看板

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 榎峠には林道が上がってきている。あまり突っ込む気にもならないが、「長瀞八景 ~『間瀬峠と陣見山のビューライン』と命名しましょう」という看板があった。峠からは痛みたがる股関節をだましだまし下り、1時間ほどで秩父鉄道樋口駅に着いた(16:20)。

 

 ↓ 下山途中から見る521m峰 やさしい風情 ここもちょっと登ってみたい

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 股関節痛はともかく、意外にも、予想以上に楽しめた今日のルートの余韻にひたりながら帰途に着いた。

 

 そしてこの後、おまけがある。17時少し前に着いたJR寄居駅のホームで時刻表を見ると八高線は何と1時間以上無い。ゲッ、まさかと思ってスマホの「駅すぱあと」で検索すると17:01発がある。何だ、あるではないか???と思いつつ待っていたが、やはり来ない。ちょうどその時間、向こうのホームを出発する電車があったのをボンヤリ眺めていた。窓口で「駅すぱあと」画面を見せて聞いたら、何と寄居駅にはJRと秩父鉄道以外に東上線も乗り入れていて、ちゃんとその東上線の時間が表示されていたのだった。すみません、そんなこと知らなくて、「駅すぱあと」を使い慣れていなくて。

 仕方がない。駅員に断って煙草を吸いに、いったん外に出た。さて、と、幸か不幸か目の前に赤ちょうちんがある。当然、一杯、二杯とビールを重ねる仕儀とあいなってしまったのであった。その最中に教え子のイトキン嬢から一年振りのメールが届いた。飲み会のお誘い。明日30日も5月2日も飲む予定が入っている。「では1日に」と。もちろん「了解」と返信したのであった。

 

コースタイム】 2016.4.29

桜沢駅10:00~八幡神社10:15~八幡山10:30~鐘撞堂山330.2m11:30~円良田集落~道を失う・藪こぎ~支尾根上12:40~虎ヶ丘城址337m13:05~大槻峠13:30~陣見山531m~榎峠15:20~樋口駅16:20

                         (記:2016.5.1)