艸砦庵だより

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敗退の笹子・中尾根から達沢山  (2016.10.21)

 (本稿は二つ前の山行記録です。いったん書き出したもの、敗退記ではあり、中断していたのですが、自戒のためにあえて書きあげてアップすることにしました。)

 

 前回の山行から二カ月以上空いてしまった。暑くて不快な夏。不順な気候。トランスコーカシア三国への旅。理由を言えばあるのだが、結局は怠惰であり、情熱の不足である。と、まあ言い訳にもならないことをつぶやいてみても仕方ないのだが。

 ともあれ、久しぶりに山に向かった。予定のルートは笹子から中尾根をへて、京戸山~達沢山~旭山~石和である。

 

 達沢山は有名な山とは言いがたいが、昔から一部の人にはそれなりに登られていたようだ。山岳雑誌等ではよく知らないが、私の持っているものでは、川崎精雄・望月達夫他の『静かなる山』(1978.7 茗渓堂)に収録されている記憶があった。帰宅後その章を読み返してみたら、文中に河田楨の『小さき峠』(1949.5.20 十字屋書店)によって筆者は達沢山を知ったとある。その本なら私も確か持っていたはず。確認してみると確かに書棚にあり、しかも読了している。しかし内容はさっぱりおぼえていない。河田楨のものは、読んでいるときには静かでレトロな空気感があり、ある種の心地よさにひたれるのだが、読後記憶に残る強さといったものはない。 

 ともあれ最近では、先に大沢山~大洞山~笹子峠と歩いた時に見た、カヤノキ平の頭から中尾根の頭の間の状態からも、思っていた以上に整備され、歩かれているように思われた。中尾根自体は2.5万図にも「山と高原地図2014年版」にも破線路の記載がなく、あまり歩かれていないようだが、しかし、どこかで記録を見たことがあり、地形図を見ても特に問題はないだろうと思った。いずれにしても全体として、まあ篤志家向きというべきルートではあろう。

 

 7:05五日市発。笹子駅9:01。新田集落の先まで歩き、舗装道路が右に大きくカーブするあたりにあるはずの登り口を探すが、見当たらない。左に分岐する林道はゲートが閉ざされており、通行禁止となっている。もとよりここまで中尾根を表示する道標はない。今でも一般的な登山コースとしては認定されていない、あるいは歓迎されていないということなのだろう。それはそれで、望むところであるが。

 とりあえず右に舗装道路なりに登り口を捜しながら進むが、見当たらず、左手の伐採がおこなわれているゆるやかな尾根末端の斜面から取り付くことにした。伐採とはいっても間伐で、さほど登りにくくはない。とはいっても、切り倒された木を時に跨ぎ踏み越えていくのは、登山道を登るのとはまた違った疲れがある。

 40分ほどで植林帯の間伐帯は終り、気持の良い広葉樹林帯になる。先が楽しみである。頭上を横切るはずの送電線を意識せず過ぎたあたりは、踏み跡のある明瞭な尾根となり、ほどなく1093mとおぼしきピーク。ここまで道標は一切無い。しかしここまで来ればあとは尾根なりに行けばよいと、そのまま進む。

 

 ↓ 植林帯が終わり尾根に乗る

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 ↓ 感じのよい広葉樹林帯 先が楽しみ

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 ↓ 同上 1093mピークの前後

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 間もなく再び踏み跡が薄くなり、さらに下る勾配が少しきつくなってきた。ちょっとおかしいかなと、地図を取り出す。コンパスも出そうとするが、無い。思い出した。先月アルメニアに行ったときに使ったショルダーポーチに移してそのままだったのだ。そのままさらに進む(下がる)と比較的しっかりした路が横切っている。視界は良くないが、木の間越しに谷(?)を隔てて大きな尾根が見える。その時点でまだ、自分はあくまでも本来の尾根上にいると思い込んでいたため、それが目指す笹子峠から大洞山への稜線だと思い込んでいた。

 「思い込み」、それが全ての敗因である。地図を見れば本来の中尾根の中ほどで左から上がってくる路が記載されている。今出くわした路がそれだと多少安心し、それを辿る。だがその路は作業路だったのである。作業が終われば歩かれないゆえに次第に衰え、廃道化が進み、怪しいものになってゆく。進むほどにその路は山腹を巻きながら次第に登ってゆく。おかしい。いったん戻って、今度は踏み跡を下に向かって辿って見る。ほどなくどこのものだかわからない舗装された林道近くまで降りてしまった。再び戻り直すと、途中から尾根上に登る踏み跡がある。今度はそれを登り、辿ると見覚えのあるところに戻った。なんだか、メビウスの輪を辿らされたような気がする。時間が気になり始める、結局1時間以上ウロウロと費やして、現在地不明、少なくとも目指す尾根上にはいないということだけはわかった。忠実に高みを目指して1093mピークまで戻って、仕切り直しをするには、時間を費やしすぎた。なによりメゲてしまった。「敗退」という言葉を受け入れざるをえなくなったということである。

 

 あきらめて下降を始める。先ほどいったんは近くまで行った林道に降り、それを辿ると地図の看板がある。そこは狩屋野川沿いの林道、つまり目指す方向とは90度違っていたのである。あらためて2.5万図をよく見ると、1093mピークの先は尾根なりに左、狩屋野川方向に曲がっており、中尾根を辿るには尾根なりにではなく、途中で右90度にほんの少し下降しなければならなかったのである。踏み跡に依存しすぎであった。地図をよく見ながら行けば何のことはない程度の読図力を要す所でしかなかった。すべての敗因は「思い込み」である。

 

 私のかつての沢登りや積雪期の山登りではいわゆる登山道の無いところを行くことが普通だったため、行動中の地図やコンパスの使用は必須のことだった。今回は篤志家向きコースとはいえ、尾根上に踏み跡があるということの安心感=踏み跡への依存と、コンパスの不所持が直接的な敗因である。何よりも最近は、程度の差はあれ、いわゆる登山道や道標のある山に慣れ過ぎているということなのだろう。文献や山と高原地図に出ているコースであっても、登り口・入山地点を見いだすのが結構難しい場合がある。だが、今回のように登高中にルートを間違えたというのは、ちょっと記憶がない。

 とは言ってもこれを機にGPSや高度計つきのプロトレックを持とうという気にもなれない(そもそもたぶん使いこなせないだろうし)。

 うらさびしく、何となくむなしい気持で、とぼとぼと笹子駅まで歩いた。これはこれで教訓とせずばなるまいが、中尾根から達沢山へは、いずれ近いうちに、あらためて行かねばならないだろう。

 

コースタイム】

笹子駅9:01~新田 尾根取付9:50~1093mピーク10:50~ルートミス迷走11:40~林道12:50~笹子駅13:50