艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

「赤線」を引きに九鬼山から鈴ヶ尾山へ

コースタイム】2017.2.22(水)

田野倉駅~9:50~登山口10:08~池ノ山10:42~九鬼山11:45~高指13:45~桐木差山14:00~林道鈴ヶ音峠14:20~鈴ヶ尾山14:48~朝日小沢16:00~猿橋駅16:20

 

 今回の計画は、九鬼山から東に延びる尾根を辿って鈴ヶ尾山に登り、さらに大桑山を経て高畑山まで、というものである。猿橋駅から神楽山経由九鬼山までと、鳥沢駅から高畑山、倉岳山、高柄山、栃穴御前山経由四方津駅まではすでに二度に分けて踏破済み。地図には赤線が引いてある。つまり、今回はその間の赤線を引いていない部分をつなげようというものである。

 私は昔から山行が終わると、地図上に自分が歩いたルートを赤線で入れる。自分が歩いたラインが一目でわかるし、沢や道のない尾根筋など、そうしておかないとすぐにわからなくなるのだ。それでなくとも登ってから何年、何十年とたつと、記憶は曖昧模糊としてくる。むろん赤線を引くために山に行くのではなく、行った結果が赤線の連なりなのであることは、言うまでもないことだが。それはまあ一種の蒐集癖、整理癖と言えなくもないが、それよりも地域に対する鳥瞰的視点が欲しいと思うのである。

 

 以前在籍していた山岳会で、そうした赤線を引いた地図を見た先輩会員たちから、一頃「赤線マニア」と呼ばれていた。それを聞いてギョッとしたり、ニヤニヤするのは私より少し上の世代の人。「赤線」のもう一つのというか、より俗な意味を知っている世代である。「赤線」とは1958年3月の売春防止法の完全施行以前に存在した、公認で売春が行われていた地域の俗称である。東京の吉原や、永井荷風の愛した玉の井や鳩の街、川崎長太郎の小説に登場する小田原の抹香町などが有名だが、おそらく全国あちこちに存在しただろう。行政的地名ではなかろうが、通称としてなら、例えば福生市駅前の飲み屋街は今でもそう呼ばれている。そうは言っても、なんせ私が3歳の頃までの話だから、実感も懐かしさも持ちようがない。

 ちなみに非公認で売春が行われていた地域は青線と呼ばれていた。同じ山岳会のある若い会員は、歩いたところは私と同じく赤色で、自転車で踏破したところは青色で線を引いていたので、青線マニアと呼ばれたかというと、人柄のゆえか、そんなことはなかった。

 今回の山そのもの、ルートそのものには、さほどの興味も期待もなかった。だがいくつかの山頂を有するある尾根や連山のA山とB山を縦走し、次にC山とD山を縦走したあとで、今度はその間のB山とC山を結んで歩きたいと思うのは、自然な人情というか、美学と言えはしないだろうか。少なくとも私はその種の美学を持っている。今回の山行の半ば以上は、その赤線引きの美学だったのである。ただし予定ルートをすべてこなすとなると8時間以上かかる。日の長い時期に朝一で出かければ可能だろうが、現実的には難しいと思った。その場合、小沢川と幡野沢にはさまれた鈴ヶ尾山から北西に延びる尾根を下ることになるだろうが、それはまあ、現地で判断すればよい。

 

 5時間睡眠で6:00起床。例によって早くはない。五日市駅7:41発。田野倉駅9:40着。二人連れの登山者を先に送り、9:50発。いつものことだが、有名ではない山やルートに行こうとすると、まず取り付きに至るのがけっこう難しい場合が多い。今回は2.5万図と山と高原地図(5万図)を確認しながら行ったので、比較的スムーズに登山口に辿り着くことができた。途中、気がつくと先行した二人連れが、少し迷ったのだろう、遅れてやってくる。結局今日会った登山者はこの二人連れのみ。

 

 ↓ 登り口から見る朝一の富士山

f:id:sosaian:20170223221334j:plain

 

 小さな道標に導かれて沢を渡り、登山道に入る。それなりに歩かれているようで、道はしっかりしている。

 

 ↓ 登りはじめはこんな感じ

f:id:sosaian:20170223221459j:plain

 

すぐに尾根に上がり、一登りで池ノ山637.7mの表示のある三角点に到着。この尾根は大根畝と呼ばれているらしい。ときおり展望も開ける。文台山、尾崎山から御正体山への尾根と、倉見山から杓子山の尾根が重なった、奥行きのある構図のその向こうに富士が鎮座している。下の桂川流域の景観もなかなか良いが、手前にはリニア実験線が横切って目障りだ。今さらリニア線を走らせることにどれほどの意義があるのか。少なくともトンネルを掘られ、その膨大な土砂を捨てられることになる南アルプスの渓谷にとって、相当なダメージを受けることは間違いない。美しい景観と自律的経済至上主義が同居する現実。どこにでもある日本の風景。

 

 ↓ 画面下がリニア線

f:id:sosaian:20170223222044j:plain

 

 そこからほどなく右からの登山道を合わせる。しばらく行けば「右急坂登山道 左新登山道」の標識があった。しかしその分岐も見えず、道なりに進む。さらに「右天狗岩3分 展望良い」の表示があった。一応、行ってみると、確かに展望の良い、ちょっとした岩場がある。

 

 ↓ 右下が天狗岩

f:id:sosaian:20170223222218j:plain

 

 ↓ 天狗岩から 富士山の手前右が倉見山 その手前は尾崎山

f:id:sosaian:20170223222324j:plain

 

 そこからほどなく九鬼山970mの山頂(11:45)。ここは18年前に神楽山から登った。途中の感じは悪くなかったが、九鬼山山頂の印象は薄い。北に桂川を挟んで大菩薩連嶺を中心とした展望が広がるが、背後に植林帯が迫っていて、損をしている感じだ。

 

 ↓ 九鬼山頂上

f:id:sosaian:20170223222522j:plain

 

 少し戻って鈴ヶ尾山へと続く尾根を進む。歩く人は多少少なくなるようだが、しっかりした道である。落葉広葉樹の部分、植林の部分、それらの入り混じった部分と交錯し、悪くもないが、あまり面白くもない道を淡々と歩く。

 

 ↓ 途中のちょっと感じの良い部分

f:id:sosaian:20170223223113j:plain

 

 途中鹿除けのネットが張られている。今回のルート全般に猪の糞場がずいぶんとあったが、確かにこの辺りには鹿の糞も多い。鹿除けネット自体はやむをえないが、それが守っているのは、いくつかの檜の大木群の下に過密に植林された稚木である。何というか、植林の、林業の将来的方針が見えない構図である。

 

 ↓ 鹿除けネット 上下で色が違う

f:id:sosaian:20170223222621j:plain

 

 ↓ 中央奥が大桑山とその右が高畑山 鈴ヶ尾山は大桑山の左下だがわかりにくい

f:id:sosaian:20170223222818j:plain

 

 高指とおぼしきピーク(山名表示なし)のすぐ先に桐木差山の山名表示板があった(14:00)。

 

 ↓ 桐木差山 渋い~

f:id:sosaian:20170223223224j:plain

 

 そこからほどなく舗装された林道の鈴ヶ音峠に着いた(14:20)。この鈴ヶ音峠は、途中の道標には鈴ヶ尾峠、鈴懸峠とも記されており、どれが正しいのかわからない。右に林道を行くように大桑山・高畑山方面への表示があるが、ここはとりあえず直に鈴ヶ尾山を目指したい。注意してよく見ると道路の法面の際が登られているようだ。取り付いてみればそのまま踏み跡は上に向かっている。

 

 ↓ 鈴ヶ音峠 法面の際を登る

f:id:sosaian:20170223223412j:plain

 

 少しの登りで広い尾根に乗る。そのまま左に進めばまもなく、広葉樹の点在するだだっ広い鈴ヶ尾山山頂833.9mに着いた(14:48)。頂上には別に大秋日山の山名表示板があった。帰宅後確認したら別に鈴ヶ音山や、大秋田山の名もあった(『新ハイキング』470号 1994年12月)。日と田の写し間違いなのだろうが、どちらにしてもちょっといわくを知りたい山名である。

 

 ↓ だだっ広い鈴ヶ尾山山頂 感じは悪くない

f:id:sosaian:20170223223612j:plain

 

 私がこの鈴ヶ尾山を初めて知ったのはこの『新ハイキング』の記事によってだったと思うが、今回の山行に際して読み返しはせず、内容については全く記憶していない。そのせいか、鈴ヶ尾山とその北西尾根は植林に覆われた、あまり面白みのない尾根だと思い込んでいた。たぶん他の記事と混同したのだろう。

 

 時間的にもこれから大桑山、高畑山へ向かうのは少々無理がある。すなおに北西尾根を下り、小沢川二俣に出て猿橋駅を目指すことにした。多少薄くはなったものの、踏み跡もしっかりしている。尾根はイメージとちがって、意外にも落葉広葉樹の明るく気持の良い尾根である。降りるほどに尾根はやや細くなり、二三か所岩場や崩壊地の際のザレ場を行くところもあるが特に問題はなく、楽しく下っていく。今日のルートの中で一番気持の良いところだった。

 

 ↓ ちょっとした岩場 中ほどを下る

f:id:sosaian:20170223223742j:plain

 

 ↓ 気持のよい尾根すじを下る

f:id:sosaian:20170223223917j:plain

 

 ↓ 奥は権現岳(中央)と麻生山、ミツモリ 手前は左が百蔵山、右、扇山

f:id:sosaian:20170223224105j:plain

 

 この尾根は、末端近くに597mの幡野山を小さくせり上げたその先で、小沢川本流と支流の幡野沢の二俣で終わる。その幡野山もそろそろかなと思われるあたりでアンテナのたっている小ピークがあった。その先あたりだったか、「幡野入口バス停 右」という小さな道標があった。地図と磁石を出して確認する。下降する方向の右側に幡野という集落がある。私は二俣の尾根末端までまっすぐ進むつもりである。したがって右に行くのはまだ早いと判断し、左の正面方向と思われる方に進んだ。

 ここで見た2.5万図は新しいもので、道記号は全く記されていない。山と高原地図(5万分の1)には二俣へと北上するルートのみが破線で記載されている。帰宅後確認した古い2.5万図には、左手の朝日小沢集落からの道だけが記載されていた。しかし正面(北)に向かっているはずの踏み跡はいつのまにか左方向(西)に向きをかえ、同時に薄く怪しくなってきた。前回に引き続きまたしてもルートミスである。末端に近づいて掌状に分岐する尾根を地形的に読んで正確に下降するのは難しいものであるが、前回と全く同じ間違いをするというのはいささか情けない。直接の原因は「幡野入口バス停」=幡野集落と誤解したことにある。後ほどバスの窓から見た「幡野入口」と表示されたバス停は、何と正面の二俣にあったのである。

 ともあれ間違いを確信したのはもう朝日小沢集落の間近。苦労することもなく民家の脇に降り立った。その目の前をバスが上流に向かって通過する。終点はすぐ先だからまもなく戻って来るはず。少し歩いているうちにやって来たバスに手をあげ、乗りこむ。小沢川沿いの道を駅まで歩くのも悪くはないが、1時間半歩くよりはバスで15分の方が良い。そして途中の二俣で「幡野入口」の表示を発見し、ミスの原因を確認したのである。予定通り幡野山を越えて尾根末端まで歩けなかったのは画竜点睛を欠いたことになるが、帰路を楽できたのはラッキーだったとも言える。

 

 今回のルートは「赤線引き」が理由の大部分であったが、結果としてはなかなか味のあるルートで楽しめた。ただし結局、鈴ヶ尾山と高畑山の間は赤線の空白が残ったわけだが、それにこだわるかと言えば、案外そうでもない。こだわりはあるが、執着は少ないのである。行くべき山はたくさんあるし、ルート設定があまり面白くなさそうなのだ。しかし、またいつかその空白が気になり、赤線引きを目的として行くことがないとも限らない。それもまた私の山の楽しみ方の一つだからである。

                        (記:2017.2.23)