艸砦庵だより

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今年の山納め:大高取山から鼻曲山をへて越上山 (2017.12.27)

 不調である。何とはなしに。不定愁訴とでも言おうか。よくあることだ。だからこそ山に行かねばならない。

 今年16回目の山行が、本年の山納めである。年度目標の月2回×12=24回には遠く及ばなかったが、夏場の天候や体調等の問題もあり、まあ、こんなもんだろうと思う。

 前二回の山行がともに一部スリリングというか(その分面白かったのではあるが)、ちょっと恐いところがあり、今回は絶対安全安心というか、そうした要素のない楽なところに行きたいと思った。予感による危険回避というほどのことでもないが、年末でもあるし、基本的には陽だまりハイキングのイメージである。

 とは言っても、そうしたイメージにかなう手持ちのカードもそうはない。とりあえず前回に続き奥武蔵の、大高取山376.4mを起点として南下するコースを選んだ。後半、越上山に行くか、山上集落として有名なユガテの方に行くか、現場で決めることにする。大高取山は昔から初心者向けハイキングコースとして有名なところ。おそらく一生行くことはないと思っていたところだが、まあいいか。

 

 ふだんよりもう少しゆっくりと7:48、五日市発。越生駅9:20着。「ハイキングのまち 越生」の看板がある。昨年4月28日に全国で初めて「ハイキングのまち宣言」をしたんだそうだ。ふ~ん・・・。

 

 ↓ 越生駅前からの西山高取(?) 右の中腹の白い建物が「世界無名戦士之墓」

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 ↓ 越生の石仏 右の庚申塔石灰岩 中の「いなり大こんけん(稲荷大権現)入口」は秩父青石 左の馬頭観音の材は? いい感じです。

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 大高取山はどこからでも取り付けそうだが、とりあえず「世界無名戦士之墓」なるところを目指す。車道をゆっくり登った先の階段の上の、横広がりの白い建物がどうやらそれらしい。ちらっとのぞいてみると仏教式の慰霊施設(?)のようだ。帰宅後一応調べてみた。例によってウィキペディアによると「~1955(昭和30年)に完成。264人の戦死した無名戦士の墓として遺骨が納められ、さらに世界60余ヶ国の251万の戦死者を安置している」との由。意味がわからない。当然「出典がまったく示されていないか不十分です」のレッドカード付き。私はこの手のものに対しては、まずは胡散臭さを感じる方なので、あまり深入りはせず、早々と脇のハイキングコースに入る。

 

 ↓ 「世界無名戦士之墓」 アルメニアグルジアにも同様の趣旨、同様のデザインのものがあった。

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 ↓ 登り始め こんな感じ

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 「ハイキングのまち宣言」のせいか、ルート全般に標識は多い。特に大高取山一帯は「月例ハイキング大会」のイベント用パウチ標識がやたらと多く、目ざわりだが、イベントだから仕方がないか。

 

 ↓ 数十枚も目についたパウチ標識 なんと二ヶ月以上放置されたまま

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 そう思い、当然のごとく、近々予定されているイベントの準備かと思った。帰宅後、何げなく越生町のHPで「月例ハイキング大会 平成29年度月例ハイキング」を見てみたら、来年1月は「武蔵越生七福神めぐりコース」とあり、違う。終わった12月は9日で「野末張見晴台コース」、11月が「健康長寿(樹)コース」で、いずれも違う場所だ。さかのぼって見ていくと、10月14日に「山々をめぐる健脚コース」として「越生駅前ポケットパーク→世界無名戦士の墓→大高取山→黒山三滝→傘杉峠→顔振峠→桂木観音→越生駅」とあった。これだ。なんと二カ月以上も前のイベントのパウチ標識が何十枚もそのまま放置されているのだ! 呆れた。

 「ゴミを持ち帰ろう」の看板も山中にいくつもある。用の済んだイベント用パウチ標識は、タチの悪いゴミ以外の何物でもない。それを「ハイキングのまち宣言」の町が率先して、撒き散らしているのだ。何をかや言わん、である。イベントが終われば速やかに回収すればよいだけの話である。

 参加した人、地元の人の見識も疑う。何も感じないのだろうか。このブログを見て、気がついた行政当局(越生町役場産業観光課)なり、地元の心ある人が速やかに回収におもむいて欲しいと思う。

 

 気分は悪いが、話を戻す。

 路は歩きやすいが、予想通り、ただただ植林帯の中。この日歩いたコースの8~9割が植林帯。江戸以来の西川材の地であり、さらに江戸の大火や関東大震災、戦後の復興等への貢献からすれば仕方がないか。植林帯は今もなお生きているようで、見通しのきかない起伏の中に、多くの仕事路、作業道が錯綜している。多すぎるハイキング用標識もむべなるかな(と先ほどまでは思っていた)。

 途中には「白岩様」と表示のある石灰岩の露頭があった。この日のコース全体、特に後半にはあちこちで規模の大きな石灰岩の露頭、大岩が散見されたが、それらのほとんどは針葉樹の植林に隠されている。自然林の中であれば、もっと見栄えがするだろうに、残念なことである。馬子にも衣装というが、その逆だ。

 

 ↓ あちこちにあった石灰岩の露頭 中央に小さな「白岩様」の表示 

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 大高取山周辺では何人かの登山者、トレランの人に出会った。さすが、ポピュラーコース。大高取山頂上では北東側が伐採されて展望が効く。都心方面から筑波山まで見えた。

 

 ↓ 大高取山山頂

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 ↓ 筑波山遠望 右には都心が望める この写真はさきほどの「世界無名戦士之墓」から撮ったもの

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 桂木山はどこか気づかぬまま通過し、少し下れば桂木観音に至る。由来は養老三年(719年)の行基に遡るとの由。彼が彫ったと言われる本尊の千手観音でも見れるなら別だが、信仰心のない私はスルー。

 

 ↓ 桂木観音

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 ↓ 桂木観音を下の車道から見る 山里の風情

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 参道の下には舗装された立派な車道が上がってきており、見れば近所には普通の民家が点在している。標高で言えば240mにすぎないにしても、ここもまた山上集落であったかと、合点する。この日は結局その後さらに3回舗装された林道を通過することになった。

 その先のルートがややわかりにくいが、おおよその見当をつけて進む。民家の横から柚子畑の脇を行き、桂木峠とおぼしき峠から再び山道となる。

 天気は良いが、風は冷たい。途中でコンビニ弁当の昼食を食べている時、山口のKらからライン。雪の県境の莇ヶ岳から弟見山に登っているとのこと。向こうは4人パーティーで昼食は暖かいウドンだと聞けば、少しうらやましい。

 

 再び舗装された林道を横切れば、そこからは今日初めてと言っていい落葉広葉樹林が現れる。やはり植林帯よりは遥かに気分が良い。368.3mの四等三角点ピークの名は天望ということだが、由来はわからない。

 

 ↓ 舗装された林道正面の赤い標識の右から山道に入る

 

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 ↓ 登り始めて以来、久しぶりの広葉樹林 下生えは常緑の喬木

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 ↓ 送電線鉄塔付近から見た関八州見晴らし台方面

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 広葉樹林帯と植林帯を交互に進む。二カ所ほどのやや急登の先でひょっ

こりと鼻曲山(447.3m)の山頂に飛び出した(13:05)。やっと山頂らしい山頂で、少し気分が良い。

 

 ↓ このちょっとした急登のすぐ先が鼻曲山山頂

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 ↓ 鼻曲山山頂

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 その後もちょっとした岩場、植林帯、落葉あるいは常緑広葉樹林帯と進めば、一本杉峠。あたりの植林に紛れてはいるが、標識の後ろのそれが「一本杉」の名の由来なのだろうか。

 

 ↓ ちょっとした岩場(逆方向より)

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 ↓ コースの8~9割はこうした植林帯 下生えは馬酔木

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 ↓ 標識の後ろが名の元になった一本杉だろうか

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 さて、ここからどちらに進もう。西へ越上山か、南へユガテか。時間的には同じようなものだ。少し迷ったが、やはり越上山という「山頂」を目指す。

 一度舗装林道を横切り、尾根筋直下の山腹を水平にトラバースする路を辿る。尾根筋、山腹には植林帯の中、ところどころに石灰岩の大岩。車の通れそうな幅広い道に出た先に越上山への標識がある。そこを右に10分ほどで越上山566.5mの山頂に着いた(14:45)。展望はないが、感じは案外悪くない。大高取山、鼻曲山、越上山とだんだん山らしくなってきた感じだ。

 

 ↓ 越上山頂上手前の岩 右下は切り立っているが、植林のせいで迫力なし 見栄え悪し

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 ↓ 越上山山頂

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 下山は諏訪神社に出たあと、いったん阿寺集落の舗装された林道に出る。遠くにわが家から毎日見る大岳山と、その右に富士山が顔をのぞかせている。これから下る予定の尾根も確認した。

 

 ↓ 下山途中の林道から見る筑波山遠望

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 ↓ 左 大岳山と富士山 (富士山好きのFさんのために特に掲載) 

  富士山はラーヘンしている(煙草を吸っている=雪煙をあげている:ドイツ語)

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 ↓ 右の尾根が下山コース(のはずだった)f:id:sosaian:20171228195631j:plain

 

 林道を右に少し進み、標識に従って左折、予定の虎秀山への尾根に向かう。幅広い路はしっかりしており、標識もある。ここまで来ればもう楽勝だ。そのはずであった。しかし、好事魔多し。

 ほどなく現れた分岐には、正面に「東吾野駅(井上方面)」、左に「東吾野駅(虎秀)」の二つの標識。「虎秀山」方面に進むつもりであった私は、一応地図で(手書きの)「虎秀山」の位置を確認した上で左を選んだのである。しかしその手書きの「虎秀山」の右の谷間に「虎秀」という集落名が印刷されていたのに、気がつかなかったのだ。

 歩きだせばほどなく沢沿いに進むようになる。先ほど見た地図にあった分岐も沢沿いに下るようになっている。実は私が左に入った分岐と、予定していた地図上の分岐はだいぶ位置が違っていたのだが、思い込んでいたのでそのことに気づかなかったのである。

 ところどころにある石灰岩の露頭や、鍾乳洞の赤ちゃんのような小さな穴を観察したりしているうちに、右下の河原に大きな岩場を発見。どう見てもゲレンデのように見える。私は全く知らなかったのだが、阿寺の岩場として結構有名だということを、帰宅後に知った。

 

 ↓ 阿寺の岩場 左下に祠が納められていそうな小さな洞窟が見える

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 ちなみに阿寺は諏訪神社の下にある集落の名だが、「アテラ」とは東日本を中心にある地名で、「左」の字を当てられることも多い。越後や会津ではアテラの付いた山や沢も多かった。語源としては、「あちら側」という音韻からきたという説もあるが、「左」の字を当てられる場合は、その意はそのまま「左側」ということであり、それは同時に「日当たりが悪い」ということでもあるらしい。やはり古来日本では右が正=陽、左が邪=陰ということか。ともあれ、古い地名であることは間違いない。

 

 まあ、間違えはしたのだが、予定の尾根筋を歩くよりは、虎秀川沿いの車道歩きの方が結果的には早く楽だった。とはいえ、車道を歩いていて、間違いに気づいたのはだいぶたってから。単純かつお粗末な話である。東京付近の、特に奥武蔵あたりの林業がまだ多少なりとも生きている地域、高地集落がある地域では、今なお地図に出ていない仕事道や作業道、生活道が多い。案外間違えやすいゆえんである。

 しかし、今回のルートミスもまた、要は思い込みが原因である。間違えてばかりだ。ともかく反省。それにしても下りに関しては、奥武蔵とは何か相性が悪い・・・。

 

 暗くなる寸前、足が棒になる寸前に東吾野駅に着いた。電車を待つ間に夕闇が迫り、プラットホームはなんだかちょっと童話のような光につつまれていった。

 

 ↓ 東吾野駅ホーム ちょっとメルヘン

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 ↓ 5万図「川越」

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  【コースタイム】2017年12月27日快晴 単独 最大標高差約500m

越生駅9:25~世界無名戦士之墓9:47~大高取山10:55~桂木観音11:20~展望(P368.3m)12:32~鼻曲山13:05/13:20~一本杉峠14:00~越上山14:45~諏訪神社15:13~東吾野駅16:45