艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

別稿 2017年に見た展覧会 ―その2 +見損なった展覧会

 以下は前稿「2017年に見た展覧会 ―その1」で別稿としておいたものである。

 

6. ミュシャ展 

国立新美術館 3月31日  [洋画]

 

  ↓ 展覧会チラシ

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 ミュシャは日本では人気が高く、ずいぶん何度も展覧会が開かれている。しかし私が行ったのは、1983年伊勢丹美術館での「アルフォンス・ミュシャ展」だけ。もう少し見ているような気がするのだが、ある時期、一度見た作家のものは(例外はあるにしても)二度は行かないと決めていたようである。ともあれ、それは良い展覧会であり、深く記憶に残っている。

 ミュシャはもちろんアールヌーヴォーを代表するデザイナー、イラストレーターとして有名であり、展覧会もその分野の紹介がほとんどだったが、タブロー作家としても大きな存在であることは知っていた。今回、そのタブローの代表作「スラブ叙事詩」が一挙に公開されるということで、期待して行った。所蔵先のプラハ国立美術館の改修のためとはいえ、20点そろって国外に出るのは初めてで、おそらく二度とはないだろう。

 

 巨大な画面が次々と繰り広げる世界と、そのメッセージ性は、圧倒的であり、間違いなく美しかった。

 しかし同時に私は、そこにはっきりと、ある違和感と、もどかしさを感じたのである。それはつまり、結局のところ、タブローに不可欠な「肌合い」の魅力に欠けるということである。「肌合い」、「絵肌」、「テクスチャー」の魅力の欠如。言い換えれば、画面を、形と色相と明暗の、正確で合理的・効率的な完璧な布置によって、すなわち絵を、グラフィカルな要素でのみ成立させるデザイナー/イラストレーターの美の作法によって、成立させているということだ。

 良い絵を(絵とは限らないが)見たときに必ず感じる「さわってみたい」という触覚的欲望が惹き起こされないのである。われわれは絵を見る時、実際には手でさわることができなくても、目でさわる。ミュシャの絵を目でさわってみても、ほとんどの箇所で冷やかで、薄い、中性的で無性格な手触りがあるだけなのだ。眺められるためだけの絵。

 すなわちそこに現出されているのは、いわば、完璧なる下絵なのである。印刷工程を経ることなく完成を余儀なくされた巨大な下絵、油絵具とテンペラで描かれた壮大なイラストレーションである。それらは最終的に印刷されるべき存在である。おそらく印刷されたものの方が原画より美しく、なまめかしい。天才イラストレーター、ミュシャの、意図せぬ逆説である。

 

 それは、世紀末のアールヌーヴォーを代表するイラストレーターとして、その方面の注文仕事に追われた彼の、時代とのかかわり方の、宿命的で決定的な「ずれ」なのである。

 念願の絵画(タブロー)制作に専念し始めたのは1910年、50歳になってから。もはや若くはない年齢である。その「スラブ叙事詩」全20点は20年の歳月をかけて1930年ごろに完成したのであるが、その主題をなす民族自決の目標、具体的にはチェコスロバキアの独立は、制作途中の1918年に達成された。つまり、その作品の主題すなわち民族の独立は作品の完成より早く現実に達成されたことにより、言ってみれば作品のテーマは行き場所をうしない、宙吊りにされてしまったのである。出番を逸したということだ。そのことにより、当時ですら微苦笑をもって「国粋的、時代遅れのものと(註)」評価されるしかなかった。

 彼がもっと早い時期にデザイン・イラストレーションの仕事を減らし、絵画に取り組んでいたなら、同様な絵柄であったとしても、そのタブローに必要な「肌合い」を獲得していたに違いない。おそらく絵画の「肌合い」の感覚は、というよりも「肌合い」という身体的な造形要素は、ある程度若い時でなければ身に着かないものなのである。

 「肌合い」は絵画制作の身体作業の終点、すなわち描画作業の完成をもって成立する。デザイナー・イラストレーターの作業が下絵の完成をもって終了し、その先、印刷という機械的行程をへてデザイン・イラストレーション作品が完成するということとの違いは大きい。彼の身体性は、画家としてではなく、デザイナー・イラストレーターとして成熟・完結してしまっていたのだ。

 ましてや1910年代といえば、すでにアカデミックな写実主義にとってかわる、表現主義キュビズムから抽象主義が台頭しつつあった時代である。流行は変化し、進化するもの。いくら時代の流れとはいっても、彼がキュビズム風の絵画を、あるいは抽象画を描くことを想像することは難しい。言ってみれば、前時代的作家の誠実な隘路である。その誠実さは否定されるべきものではない。しかし、彼がそのクラシックで事大主義的な構成や絵柄と描画要素を捨てず、その上でもし彼独自の「肌合い」を獲得していたならば、どうなっていただろうか。古臭くはあっても「油絵具で描かれたイラストレーション」ではなく、「絵画(タブロー)」としての独自の強い魅力を持ち得ていたのではないかと、夢想せずにはいられない。

 

 結局のところ、ミュシャとは、以上述べてきたように、二つのずれを制作者として、時代性として、生きた存在なのである。制作者としてのデザイナー・イラストレーターと、絵画(タブロー)制作者としての年齢上のずれがもたらした「肌合い」の獲得の失敗があり、次いで絵画(タブロー)制作者として、主題である民族主義の理念と現実社会の時系列のずれがあった。それらのすべてが、あの壮大にして空虚な美しさを「スラブ叙事詩」にもたらしたのである。

 完成後も、時代的な美術思潮上のずれによって、おそらくは長く、正当でもあり、不当でもあった評価を甘受せざるをえなかったであろうと想像される。だが、それからさらに100年近くがたった今の地点から見れば、そうした評価は、もはやかなりの部分で風化・解消されたと言えるのではないかと思う。

 

 私は、結局のところ、彼の本筋はデザイナー・イラストレーターであったと思う。

 にもかかわらず、今なお私は、絵画としての「肌合い」の不在が「スラブ叙事詩」にもたらした、壮大にして空虚な美しさが、気にかかってしかたないがないのである。 

 

「《スラブ叙事詩》のメッセージ」(ヴラスタ・チハーコーヴァー『ミュシャ展(図録)』 p30 2017年 求龍堂) 

また「ずれ」についてはp29も参照のこと。「もしムハが第一次大戦の開戦前に、連作全体のなかで最も優れた作品とされる、最初に仕上げた3点を展示することができたたなら、見る人を感嘆させずにはおかなかっただろう。」

 

【付記】

 上記の一文は、本展を見て感動した友人のM氏との会話がきっかけであった。私は「スラブ叙事詩」の良さを認めたからこそ、そのとき体感した「肌合いの魅力」の欠如にこだわり、また他のデザイン・イラストレーションとの比較や時代性などの観点から、一部否定的にならざるをえなかった。しかし、その時には自分のそうした体感をすぐには言語化・論理化しきれず、言い足りない思いをしたこともあり、この一文を書いた。

 

 ↓ 付録 ミュシャがデザインした独立当初の紙幣2点。私の手持ちのものなので、保存状態は悪い。10K紙幣のモデルとなったのは10歳の娘ヤロスラヴァ

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 ↓ 娘ヤロスラヴァ 10歳

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13.佐藤直樹個展 「秘境の東京、そこで生えている」

 アーツ千代田3331  6月7日  [洋画]

 

  ↓ 展覧会チラシ

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 長大な作品自体は、アウトサイダーアートの文脈で見られるべき、見られるようにしつらえてある絵である。その方法と理念を、自覚的に採用しているということだ。作品にはそれなりに、圧倒的な迫力がある。ではそれは本物か?そこで前面に出されているアウトサイダーアート性は本物なのか。

 

 ↓ 会場風景と作品の一部

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 もちろん作者はアウトサイダーではない。その経歴や現多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授というスタンスからしても、筋金入りのインサイダーである。方法、理念の上だけならば、こうした確信犯的ミスマッチなやり方は、今日広く行われている。歴史的に見ても、シュールレアリスム以来そうなのだから、それをズルイ、ヒキョウなやり方だとは言わない。ゆえに、はからずもフライヤーの裏に記された「デザイナーが描くアウトサイダーアート?」(ナカムラクニオ)という文言がそのことを一言で語っている。むろん私はこの文言を提灯持ちではなく、揶揄として読む。

 しかし、そこまでは良い。というか、仕方がない。

 

 問題は、この作品(制作行為)を、なぜ一過性の「そこで生えているプロジェクト実行委員会」を立ち上げ、様々な後援・助成・協賛を取り付け、公的な場でにぎにぎしく、入場料(一般800円)まで取って、権威主義的な展覧会として催さなければならないのか、ということである。なぜ芸大教授が、美術館キュレーターが、そこに提灯を持って並ぶのか。

 

  ↓ 展覧会チラシ裏面

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 この作品(とその行為)は、誰知られず為され続ければ良い作品なのである。ゆえにそこに見えてくるのは、その場かぎりのプロジェクト実行委員会側の、矛盾をそれと認めることなく、むしろそれを無視ないし充分承知した上での開き直った社会性として利用しようとする計算であり、アウトサイダーアートの根底に本来的に在るはずの無償性すら、社会的有効性・文化資源としておいしく消費しようとする、危険で退廃した美術消費主義の匂いなのである。

 かくてアウトサイダーアートもエイブルアートも、そうした構造を範として、例えば楽しく可愛いアートという消費コンテンツの一つに組み込まれていき、社会の中に居場所を与えられてゆく。誰もアウトサイダーアートの本質に言及することなく。もっとも効率的で安全な方法だけを与えられて。今やこの手のプロジェクトはあちこちで花盛りである。

 

 せめて作者はこの作品を発表するにあたって、どこかしかるべき展示会場かギャラリーなどで、自腹を切って、もしくはギャラリー企画展で、単純に個展として発表すればよかったのである。

 

 ちなみに公平を期すために一言つけ加えれば、一見無償的と見えるその描画の行為性も、よく見れば、さすが一流のデザイナーならではの効率の良い、上手に換骨奪胎された、口当たりの良い完成度を持っている、つまり充分美しい作品であるということだけは指摘しておこう。

 

 

18. 山下清 とその仲間たちの作品展 踏むな 育てよ 水そそげ 石川謙二 沼祐一 野田重博

 川崎市民ミュージアム 9月13日  [アウトサイダーアート]

 

  ↓ 展覧会チラシ

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 山下清は以前から何度も見てきた。その山下清が在籍していた八幡学園に同時期にいた石川謙二、沼祐一、野田重博という三人の「特異児童」の作品を見に行った。

 『宿命の画天使たち 山下清・沼祐一・他』(2008年 三頭谷鷹史 美学出版)や『山下清と昭和の美術 ―「裸の大将」の神話を超えて―』(2014年 服部正 名古屋大学出版会)などを読めばもっと早く知るところがあったのだろうが、未だ読んでいない。買っていない。だが、読まずに行って良かった。久しぶりに何の予備知識も持たずに、初めての作品・作者に出会えた。

 むろん、良い作品であった。山下清以上に知的障害の度合いが高く、「会話能力」も「身体能力」も劣るがゆえに、より他者の理解・共感を求めない、より自己完結せざるをえない「表現」。ゆえにそこに顔をのぞかせる「表現」なるものの深淵。

 

  ↓ 沼祐一の作品2点 ほとんど褪色していない

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 作品に即して言えば、褪色がやるせない。わけても山下清の作品においてはそれが著しい。山下は彼らの中で最も健康に恵まれ、一番長生きをした。彼らの中で、辛うじて社会となんとか折り合えるだけの知性を、山下だけが持っていた。彼はこれまで日本で最も多くの観客を展覧会に集めた画家である。それは日本で、一人の作家としては、最も数多くの展覧会が開催されたということでもある。作品が激しく色褪せてゆくほどの回数を。

 材料への認識における時代的限界といったことは、当然あるだろう。特に緑、青あたりの褪色が甚だしい。高村智恵子の切り絵の作品もそうであった。

 褪色という悲惨な現実を見据えていると、かえって、消えることのいさぎよさといった考えも浮かんでくる。アートとはしょせん消え去るものか。

 ヘンリー・ダーガーもそうであったように、専門の美術教育を受けていない/アカデミックに描けない者は、自分にみあったというか、自分が必要とする技法を発明するということだ。耐久性などといったことは、やはり二次的なことにすぎないのかもしれない。学んでできることと、学んではできないことがある。

 

 

19.  ハイチアート展

 川崎市民ミュージアム 9/13日 [エスニック・アート]

 

  ↓ 展覧会チラシ

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 耀く「おみやげアート」!

 これは否定的な語ではない。世界のあちこちの観光地の「アート・マーケット」で、そこの風土と直結した「スーベニール・アート」を見てきた。むろん圧倒的に石の多い玉石混合である。それらに比べて、本展はかなり上質な「スーベニール・アート」である。異文化の輝き、異風土の光。独特のオリジナリティと魅力があり、大いに楽しめた。楽しい展覧会だったが、意外と深い問題を提示している。

 残念ながら図録がない。そのため、なぜこうなのか?これは何なのかと事後に考える楽しみが提供されていない。せっかくの良い展覧会なのに、不親切である。あげた画像も図録がないため、やむなくネット上で拾ってきたもの。私が最も良いと思った作品の画像はなく、私が本展を評価するゆえんが今一つ伝わらないというか、誤解されそうなのを危惧する。

 

 ↓ フォーレスト・アブリール[幻想の森」

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 ↓ ギー・ジョセフ「ラブトゥリー」

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 なお、似てはいるが、別の文脈で「コロニアル・アート」がある。例えば、中南米で17世紀頃から19世紀にかけて、旧スペイン美術から発し、以後独自の展開を遂げた<植民地の美術>である。そうした仕組みは、古くからの<中国―日本>美術についても、<欧米の油絵―日本西洋画>についても、異なる風土の中に持ち込まれた異文化を核として独自の発展をした美術という観点から、もっと研究され、語られるべき問題があると思う。なぜならばわれわれ日本人自体が当事者だからである。

 

 ちなみに本展とは関係ない話であるが、その後、トランプ大統領がハイチやその他の国々を「屋外便所*のような国」と言ったのは記憶に新しいところ。なぜこんな発言をする人間が一国の大統領をしていられるのだろう。まあ、日本でも同様な発言(認識)は、首相以下、しょっちゅうなされているのではあるが。

 

*発言は「shit-hole」。直訳すれば「糞穴」、わかりやすく言えば「糞壺」であり、ちょっと意訳して「肥溜」であろうから、新聞等で「屋外便所」と訳したのは若干歪曲してでも下品さを回避したということだが、そもそもの発言が下品なのである。むろん「肥溜」と「屋外便所」は違う。屋外の肥溜は人糞を肥料として活用していたついこの前まで、日本中どこの農山村でもわれわれの目に親しく見うけられた、必要欠くべからざる農業施設なのである。ハイチは知らないが、確かにアジアの田舎などでは、今でもかなりおぞましい形でそうした類の施設が在るのを見たことがある。

 

 

以上で「2017年に見た展覧会」は終りだが、ついでに(と言ってはなんであるが)見そこなった展覧会もあげておく。

 

2017年に見そこなった展覧会

 

1.クラーナハ」(500年後の誘惑)

西洋美術館 [洋画]

クラーナハは海外でも日本でもずいぶん見ている。「今さら」感。

 

2.「endless 山田正亮の絵画」

 東京国立近代美術館  [洋画・現代美術]

 

  ↓ 展覧会チラシ

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●見よう、行こうと思いつつ、ついつい行かずじまい。なぜ行かなかったのか、説明が難しいが、どちらかと言えば、私自身がアンチの位置にいるからなのだろうかとも思うし、それをおして「御勉強」のために見に行くのが潔くないと思ったのか。しかし今にしてみれば、やはり見るべきであったと後悔。

 

3.「瑛九」(1935-1937

 東京国立近代美術館  [写真]

瑛九は、まとまって見たことがないので、行くつもりではあったが、どうやら写真のみ(?)の展示と知って、急に行く気が失せた。写真にはあまり興味がないのです。

 

4.「草間彌生」(わが永遠の魂)

 国立新美術館  [洋画・現代美術]

●いろいろ思いは大きく、重くあったのだが、結局行かずじまい。否定的にであれ、何であれ、見に行くべきであった。痛恨。

 

5.「これぞ暁斎」(世界が認めたその画力)

 Bunkamuraザ・ミュージアム

●30年前に見たことがあり、世評はともかく、私にはあまり関係ないという判断。

 

6.「ブリューゲルバベルの塔」展」(16世紀ネーデルランドの至宝-ボスを超えて-

 東京都美術館 [洋画]

ブリューゲルも海外でずいぶん見た。今回の目玉の「バベルの塔」も昔現地で見たし。

 

7.「椿貞雄」(没後60年 師・劉生、そして家族とともに)

 千葉市美術館 [洋画]

 

 ↓ 展覧会チラシ

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●草土社あたりは気になるが、なんせ毎日暑いし、千葉は遠いし、今さら感もあるし。時期が悪かった。行かない理由はこのようにいくらでもひねり出すことができる。まあ、今回は縁がなかったのだ。次は行こう。

 

8.「怖い絵」展

 上野の森美術館

 ●中野京子の『怖い絵』その他は、案外面白く読んだ。何よりもほとんど知らない絵をわかりやすく解釈しているのが面白く、こういう見かた、紹介の仕方もあるのかと、感心した。しかし、行かずじまい。何となく。少し後悔している。ふだん美術館に行くことのない友人Tが二度も行ったというのに。最後の方は2時間待ちだったとか。

 

 ●他にもいくつかあったような気もするが、特に記録もしておかないぐたいだから、たいしたものではないだろう。

                                        (記:2018.1.19)