2018年4月5日 曇りのち晴れ 同行:K
2.5万図/猪丸・七保 最大標高差:676m
何回かの延期をへて、前回から二週間以上たった。期が熟したというのか、ようやく山に行く気になった。3月29日、5時起床。朝食を食べ、準備を終り、さあ靴を履こうかという時になって、女房が起き出してきた。ここ最近血圧が上がり、前日に病院に行き、前夜も薬を飲むなどしていたのだが、一睡もできず、頭が痛いという。血圧を測ると205/125。尋常ではない。
かつて社会人山岳会に在籍していた頃は、パーティー山行である以上、共同装備・食料等の関係もあり、まだケータイ電話もない時代で、ドタキャンということはできなかった。たぶん具合の悪かった家族をおいて山に行ったことも、自分の風邪や体調不良をおして山に行ったことも何度かはあっただろう。しかし、今は情況が違う。この情況ではさすがに山に行くわけにはいかない。中止である。
午後になって、女房は再度病院に行き、点滴を打ったりして、ようやく落ち着いた。その後数日様子を見ると、根本的な解決はともかく、とりあえずは大丈夫なようだ。やれやれ、一安心である。
しかし、今度はこちらの「気」が上がらない。山に行きたいのだが、行く気になれない。何となく煮詰まって鬱々とした日々。そんな時、かねてから話をしていたKから連絡があった。
山口県在住の高校山岳部同期の、あいかわらずのマグロ男(マグロは泳ぎ続けていないと死んでしまう―らしい?)Kは、今回は首都圏在住の娘から車をもらいに来て、ついでの旅三昧らしい。こちらの情況を知って遠慮するが、むしろ来て欲しいのは私の方。むろん一緒に山に登るためである。日々何かしら活動し行動し続けるKは、山も今年に入ってすでに8回も登っているとのこと。こうなるとあらためて知るのは、Kが私にとって、強力な外部性、縁、きっかけとして機能するということだ。
前日4月4日夕方、車でやってきた。さっそく一杯飲みつつ、翌日の計画を立てる。坪山に登るのに電車で行く場合、鶴川側からでも葛野川側からでも上野原駅から午前中1本しかないバスを使わなくてはならないのだが、車利用だとその点がどうにでもなる。さらに南秋川の甲武トンネルを使えば、自宅から鶴川沿いは案外と近いのである。せっかく珍しく車を利用するのだからと、かねてから登りたかった坪山を軸に、うまい周回ルート案をひねり出した。
ふだんから早寝早起きのKに引きずられて、睡眠時間もしっかり確保し、いつもよりゆっくりと自宅をでる。桜、ムラサキツツジその他、百花繚乱、花ざかりの秋川沿いから檜原村南秋川に入り、甲武トンネルを抜ける。
入山地点近くの駐在所に寄って、車を止められる場所を聞いていたら、いつの間にか登山届を出せということになって、その場で書かせられる羽目になった。昨年末の3人が死亡した遭難の影響があるようだ。その現場となった飯尾からの東コースには入るなと言われた。そこは、元々われわれの予定ルートには含まれていないが、あれはあれでちょっと不思議な遭難であった。私は当初、頂上前後の東西に延びる痩せ尾根のどこかでの転落だと思っていたのだが、実際は飯尾登山口からダイレクトに頂上に突きあげる二本ある尾根の、(より険しい)東コースでのことらしい。新聞報道以上に詳しいことはわからないが、滑落が原因にしても三人同時にというのが解せない。全員が70歳以上という年齢のことは確かにあると思う。
ともあれ、おとなしく登山届を提出し、すぐ先の「びりゅう館」という施設の駐車場に車をデポすし、その脇の道標にしたがって登り始める。
↓ 「びりゅう館」 この左が登山口
↓ 登り口
南に延びる尾根につけられた路はよく踏まれ、歩きやすい。しばらくは植林帯が続き、やがて広葉樹林帯も出てくる。芽吹き始めてはいるが、新緑と言うにはまだ早い。振返れば木の間越しに鶴川沿いの集落が見える。ほどなく896m地点に着いた(10:15)。
↓ こんな感じ
↓ こんな巨木もありました
↓ 振り返って見降ろす鶴川沿いの集落
そこから東西に延びる気持の良い尾根の縦走となる。自然林の割合が増え、ところどころに痩せた部分も出てくる。ミツバツツジ(註.1)の花が出てくる。
(註.1)私はムラサキ(ヤシオ)ツツジではないかと思うのだが、地元のパンフにはミツバツツジとあったのでここではそれにしたがっておく。ちなみにムラサキツツジとミツバツツジの違いは、雄蕊の数や葉の数の付きかたなどでわかるそうだが、葉はまだ出ておらず、雄蕊の数のことも帰宅後に知ったことなので、正確なことは保留としておく。写真を載せればよいのだが、お馬鹿なことに写真を撮っていない。より絵になる構図を求めているうちに、ミツバツツジの咲く高度を越えてしまったようだ。上部にはあまりなかった。
↓ 芽吹きはじめだが新緑にはまだ遠い渋い配色
芽吹き前、新緑以前の地味な色彩の樹林帯の中にあって、その鮮やかな淡い紅紫色の花は上品でありながら華やかで、一瞬息を飲むほど美しい。
毎週のような山歩きで絶好調だというKに遅れ気味ではあるが、自分なりに快適に登っていると、今度は淡黄色の花。私は初めて見る花で、ツツジとも思えるが、葉を見ると「キバナシャクナゲ」という言葉が思い浮かぶ。後ほどやはり地元のパンフを見ればヒカゲツツジとあった(註.2)。
(註.2)帰宅後調べてみると、「シャクナゲに近い形態をしており、ツツジの名が付くが実際は有鱗片シャクナゲに分類されるべきものである(ウィキペディア)」とあった。石楠花と見たのはまんざら見当違いでもなかったのだ。ただしキバナシャクナゲは「日本では北海道から中部地方までの高山帯から亜高山帯上部にかけて自生する高山植物である(同上)」とあるから、やはりヒカゲツツジが正しい。
高度が上がるにしたがってミツバツツジは減り、ヒカゲツツジとアセビの花が増えてくる。例によって事前にあまり調べてこなかったのだが、坪山はこのヒカゲツツジとカタクリの花の群落によって近年急に人気の出てきた山であるらしい。
確かに坪山自体は主稜線から外れた支脈上にある目立たないピークである。5万図上の位置としては「五日市」図副の端っこにあり、山名も記されていない。つまり文字通り知られざる不遇の山といった印象だった。確かに2,30年前にはあまり聞かなかったように思う。それがこれらの花のおかげで人気が出て、登山者も増え、結果として前述の遭難という不幸な結果に至ったのは皮肉というか、残念なことである。
↓ ところどころに痩せ尾根が出てくるが、木々のせいで不安感はない。
しっかりした樹々に守られてはいるが、左右ともに深く切れ落ちた痩せ尾根を登り切れば、すぐ先が狭い坪山1102.7mの山頂(11:35)。平日にもかかわらず7,8名の登山者が休んでいる。吾々と同様のリタイヤ組だろうか。ほとんどが飯尾から登って来たのだろう。狭い頂上は展望が良く、目の前には三頭山が大きく鎮座している。
↓ 一坪の狭さしかないと名付けられた(?)坪山山頂 後ろは三頭山
↓ 右の三頭山から左奥の鶴峠に連なる北側の景観。手前の右はミツバツツジ、その左はアセビ。
ちなみにこの三頭山でも、写真には写っていない反対側奥多摩湖側のヌカザス尾根で13人の遭難(6人がヘリで搬送)があったのは、つい先日3月21日から22日にかけてのこと。これはあきらかにお粗末な遭難である。三頭山からほど近いわが家でも21日は午前中水分の多いベタ雪。午後から霙、そして雨にかわっていったから、山では最もタチの悪い質の雪であったろうと思われる。その中を登るのは、悪天を承知であえて行くこともありえないことではないが、種々の情報からするとどうもそういうことではないらしい。
私自身は基本的に新聞・テレビ以外の情報をもたないのであるが、ネット上ではその内の何人かの中国の人について、「一時『中国人観光客』のグループと報道されていましたが、そうではなくて日本人もいるものの、日本在住の中国人の方?同士がネットを通じて集まったグループという事が判明しました。(-奥多摩 三頭山遭難事故の深読み-)」というのがあった(「山旅天空俱楽部 http://blog.livedoor.jp/yamatabi_tenkuclub/archives/22981131.html」)。「㈳日本山岳ガイド協会所属登山ガイドのブログです。」と記しているぐらいだから少し信用したいのだが、典拠は示されていない。したがって、それが本当なのかどうか検証・確認のしようがない。ネット上で知り合った人どうしが当日始めて会って一緒に山に登るという、いわゆる「ネット登山」に関しては、ここでは私自身は信じられないとしか言いようがないのであるが、「日本在住の中国人の方?同士」という狭いネットワークの中ではありうる話かもしれない。そもそも、そういう言説の根拠が示されないまま論を進めていくというのは、限りなくフェイクニュースに近いのではないか。
坪山の遭難にしても三頭山にしても、いろいろな意見がネット上に出ていたが、それらの多くはほぼ素人の、憶測に基づいた怪しげなものであった。いくつかには悪意に近いものもあった。困ったものである。それにしても13人のパーティー構成はどうなっていたのであろうか。
話を戻す。
坪山山頂は気持は良いし、ゆっくりしたいところではあるが、人の多い頂上にはなじめない吾々は早々に移動することにした。正直、タバコを吸うのも憚られるのである。これ以降、誰とも会うことはなかった。
↓ 坪山~佐野峠の間
西に向かう尾根は踏み跡もしっかりしており、問題ない。カタクリの群落は時期が早いのか、見つけられなかった。二つ三つの登降をくりかえし、佐野峠に着いた(12:50)。ここからまっすぐ主稜線に向かって尾根上を辿る手もあるが、左には西原峠に至る巻道もあり、そちらに入る。
↓ 佐野峠
大菩薩連嶺の大きな支脈である奈良倉山から権現山に至るこの主稜線上には、いくつかの古い峠路や佐野山、西原山、小寺山、大寺山などがある。しかしそれらの上を、あるいはそれらを縫って古い林道が走っており、山歩きのルートとしては魅力を欠くものであると思っていた。それで主脈を忠実に辿ることに執着しなかったのである。
↓ 佐野峠に至る林道(跡?)
↓ キブシ 花はよく見かけるが、そういえばどんな葉っぱだったか?
西原峠着13:03。尾根の反対側に姿の良い山が見える。泣キ坂ノ頭または大峰(この二つの山名は文献によって位置が錯綜している)だ。ちょっと登ってみたくなる姿形である。ここで軽く昼食をとる。
↓ 右の円錐形が大峰 その左が西沢ノ頭 奥は雁ヶ腹摺山(たぶん)
峠から尾根上を辿る踏み跡も見えるが、そのまま林道を辿る。林道は現在は使われておらず、一部崩壊していたり、藪になっていたりして、再び自然に還りつつあるが、歩く分には問題はない。今回のルートは阿寺沢の両岸の尾根を周回するものなので、左手に登って来た坪山の尾根が垣間見える。
↓ 登ってきた坪山の山稜
↓ マメザクラ(フジザクラ)たぶん・・・
ほどなく林道は二つに分岐するが、そのまま直進すると、少しずつ下り気味になっていくように思われる。そのまま沢沿いに下るつもりはないので、頃合いを見計らって、右側の斜面をかき登って主稜線上に出る。主稜線上にも、おそらく先ほど右に分岐した林道がそのまま走っている。幅広い登山道という感じだ。
↓ 小寺山山頂 赤テープに山名表示
すぐ先の、道から外れた右のわずかな高まりが小寺山1165m。楢の木立の、案外気持の良い山頂だ。そのまま気持の良い尾根をゆき、再び左に二つに分岐した林道の右わきに本来の登山道というか、踏み跡がある。それを辿れば一投足で大寺山山頂1226m(14:36)。ここも何ということもないが、明るく気持の良い頂上である。このあたりまだ芽吹きには遠く、景観としては晩秋の風情に近いが、空気には春の気配が満ちている。
↓ 大寺山へ 幅広い登山道のような林道跡
↓ 大寺山直下
↓ 大寺山
さてこの先である。予定ではというか、あわよくばということになろうが、直進してミツモリ北峰(1290m圏)往復というのも選択肢としてはあった。そうすれば権現山稜の赤線とつながる。しかし時間は1時間以上かかる。下に下りる頃には暗くなりそうだ。下降する尾名手尾根も一般ルートではない。ここはまあ安全第一でそのまま下ることにした。もし私一人だったら突っ込んだ可能性が高いが・・・。
↓ 大寺山からミツモリ北峰を見る
その結果、また赤線の未接続区間が生じたわけだが、それもまあ山の味わいの一つ。未完成の美学、「花はさかりに、月は隈なきをのみ見るものかわ」である。
下りの尾名手尾根にはやや薄いが踏み跡はある。道標はないが、ところどころに古い赤テープがある。感じは良い。15分ほどで1207m。お椀を伏せたような丸いピークである。赤テープに小さくチョウナ沢ノ頭と記されていた。チョウナとは釿と書きチョンナとも発音される、斧の一種。左右いずれかの沢にあてられた名前だろう。
↓ 尾名手尾根はこんな感じ
さてそこからKは左手に下り始めた。こちらにしか路はないと言う。確かにかすかな踏み跡はあるようだが、薄すぎる。5分足らずで再度、地図とコンパスで確認する。東に向かうはずが北に向かっている。間違いである。登り直して、あらためて東に向かえば、踏み跡は続いている。
路のかたわらに、少し古いが熊の糞を見つけた。これまでにも1,2ヶ所あったが、その後も含めてこの尾名手尾根だけで4ヶ所あった。爪とぎの痕もあった。猪の糞や掘り返し痕、鹿の糞や樹皮剥ぎ痕も多く、尾根全体には獣の痕跡気配が濃厚である。万が一のために笛を吹いたり、木を叩いて音を出しながら下る。
↓ 尾籠な写真ですみません。だいぶ古い熊の糞。もう少し新しめのもあったけど、写真には撮らなかった。
↓ 再び尾籠で済みません。こちらは猪の糞で、いわゆる溜グソ。やはり少し古めですが、次々に積み重ねていきます。
↓ 熊の爪痕 古いもの
↓ 立ち枯た木の中の虫を求めて熊が齧りまくったものだと思います。
尾根自体は見通しも良く快適に進む。1時間ほどでちょっとした祠に至る。傍らの赤テープに尾名手山ノ神と記されていた。そのあたりから左側の支尾根に乗れば、ほどなく阿寺沢の民家の脇の車道に降り立った。
↓ だいぶ下に降りてから見上げた坪山の稜線
居合わせた地元の人と話をすると、やはり猪や熊は多く、家の裏庭の柿を食べに来るとのこと。そのせいか近所には猟友会の建物や猟犬のアパート(?)もあった。「鳥獣 名犬供養塔 水楢大物俱楽部」というのもあった。そこから25分ほど歩いて車デポに到着。
↓ 供養塔 同様のものは宮崎県の山の中でも見たことがある
ミツモリ北峰を往復できなかったのは若干心残りではあるが、まあ充分楽しめた。予想よりも良いルートであった。新緑にはもう一週間か10日ほど先だろうが、その頃にはまた別の山を歩けば良いのだ。最近はもっぱら山口県内の山を歩いているKも楽しめたようだ。
帰途に秋川沿いの瀬音の湯に立ち寄って一浴。最近の煮詰まっていた細胞が活性化したのがよくわかる。これでまた10日や2週間は元気にやっていけるだろう。
ちなみに前回の山行からしばらくの間悩まされ続けた股関節通は、今回全く問題がなかった。そのように、身体のあちこちが気まぐれに痛みだし、いつの間にか治り、その頻度が次第に増えていくというのが、老化の一つの現れということなのだろう。そして、いかにそれらとうまく折り合いをつけていくかが、これから続く課題なのだろう。
↓ 今回歩いたルート 上の黄色いマーキングが坪山 下のマーキングが大寺山
余談になるが、この稿を書き出してから気がついた。
私はこれまでの山行をすべてリストにして、通し番号を振っているのだが、それが今回の山行でちょうど400回になったのである。
そのリストには小学生のころの家族旅行での阿蘇山(火口は一周したが最高点には登っていない)や中学生の頃のボーイスカウトの頃のものも若干は含んでいるが、実質的には高校山岳部以降である。社会人山岳会の頃は、現地まで行ってから雨天で中止した場合は、山行回数としてカウントしたので、それらも数に含んでいる。
実質的には50年弱で400回だから、もとより大した数ではない。一回も登らなかった年もある。せいぜい塵も積もれば、といった程度のものでしかない。しかしそれはそれとして、400回という記念すべき(?)節目の山行として、もう少し気合いを入れてというか、祝祭的に取り組んでも悪くはなかったとのではとも思うが、後になってから気づくというのも、いかにも私らしいかなと思わざるをえない。
さて、そのリストに、今後何回の山行を加えていけるだろうか・・・。
(記:2018.4.8)
【コースタイム】2018.4.5
郷原びりゅう館9:28~P896m10:15~坪山1102.7m11:35~佐野峠12:50~西原峠13:03~小寺山1165m14:00~大寺山1226m14:36~チョウナ沢ノ頭1207m14:52~尾名手山ノ神~阿寺沢16:20~郷原びりゅう館16:45