艸砦庵だより

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四国の山旅-その1 霧の丸笹山 (2018.4.25)

 2年ほど前から高校山岳部時代の同期と後輩の三名で、ごくプライベートで怪しげな「OB会」をでっち上げ、山口県と東京から参集して、北アルプスや九州、大峰などで年に二、三回の「合宿」と称する山行を行ってきた。

 その間、帰郷したKを中心に故郷の山口県で何名かの後輩が集まり、「プライベートなOB会」として、県内を中心に月に一二回の山歩きを楽しんでいるようだ。多くは還暦の前後になってから山歩きを再開した者ばかり。一般ルートの尾根歩きではあるが、体力や技術・経験の点からして、まじめに組織論や遭難対策の面を考えれば、不安をおぼえるところがある。

 しかし、そこはすでに確立した大人の意識(?)というものがあり、いわゆる山岳会的な意識性といったものを求めるのは難しいというか、無理がある。60代前半の、それなりの時間と余裕があり、山歩きの面白さに再燃し、そして拘束されることを嫌うリタイア組特有の危なっかしさを指摘するのは容易であるが、そうした指摘もまた野暮だと思えないこともない。悩ましいところである。

 

 それはさておき、三月四月は身辺に私個人以外のことでいろいろと悩ましいことが多く、山に行く気もなかなか起きなかった。恒例(?)の春合宿の計画もなかなか来ない。今回は流会かなと思う頃になって、ようやく連絡が来た。四国の剣山と三嶺。この「OB会合宿」の通奏低音となっている百名山(と二百名山)である。

 いうまでもなく、私は昨今の百名山ブームを苦々しく思う者である。むろん、そこに取り上げられている山々を否定するものではない。それらのほとんどは、間違いなく素晴らしい山々だと思う。その選定の妥当性はさておき、と言ってみたところで、それはあくまで深田久弥個人の価値観・美意識なのだから、否定もしようがないのである。

 誤解がないように言っておけば、私は基本的に書物としての『日本百名山』は、割と高く評価しているのだ。

 嫌いなのは、自らの山を探そうとせずに、無条件にガイドブック的カタログ的指標として深田百名山に身を寄せるという意味での「ブーム」なのであり、それをニーズとして商品化しまくるメディアと商業主義なのだ。

 したがって私自身は、百名山踏破を目標とする意識は持ち合わせていない。といって、百名山にだけは登りたくないという偏屈な気もない。登りたい山のいくつかが、たまたま百名山に選ばれているということだ。

 ちなみに私の登った百名山は、リストの上では、これまで42座。ただし、その内の阿蘇山丹沢山、富士山の三つは、実はその最高地点を踏んでいない。阿蘇山は火口を一周したが高岳山頂には立っていない。丹沢山は塔ノ岳山頂と二三の沢と別の一つの頂。富士山は氷雪の吉田大沢を登りつめた吉田口山頂(?)。剣ヶ峰には立っていない。

 しかし丹沢山で言えば、深田久弥自身が『日本百名山』の「丹沢山 1673米」の項で「最高峰は蛭ヶ岳(毘盧ヶ岳)で」、「私が百名山の一つに丹沢山丹沢山というのは山塊中の一峰である)を取りあげたのは、個々の峰ではなく、全体としての立派さからである。」と記している。表題の「丹沢山」は地図上では1567mであり、1673米なのは蛭ヶ岳であるから、やはり山塊としての「丹沢」山全体を意図したということであり、かならずしも最高地点にはこだわっていないということでもあるのだ。

 いずれにしても、リストアップした当時は、私も厳密には最高地点のことなど気にしていなかったのだ。だが、それはそうだとしても、今思えばやはりスッキリはしないのである。できればいずれその最高点を踏みに再登したいという気も、多少はある。しかし、何が何でもというほどではない。

 余談であるが、『日本百名谷』(関根幸次・中庄屋直・岩崎元郎 白山書房 1983年)は13本。百名山完登者は数多くいるが、百名谷完遡行者というのは、果たしているのだろうか。困難度でいえばはるかに高いが。

 ともあれ、剣山と三嶺は昔から登りたかった山だ。そして四国にはなぜか長く縁がなく、遠いところだった。したがって今回の計画は私にとって、千載一遇というべきチャンスなのである。

 

 

4月25日(火)雨時々曇り

 新幹線で新倉敷駅へ。昼過ぎ、山口から車で来たKとF 嬢と合流。雨の中、剣山へ向かう。初めて通る瀬戸中央自動車道も雨で、瀬戸内海の島もほとんど見えない。ただカーナビの指示に従い、峠を越え、貞光川沿いに走る。奥に行くほど道幅は狭まり、ヘアピンンカーブの続く、なかなかスリルのあるドライブだった。運転ができず、土地勘もない私はただただ助手席でハラハラするのみ。目的地に近づけば、かたわらの山腹を四五頭の鹿の群が駆け上り、こちらを見下ろしていた。

 夕方、濃い霧のたれこめる夫婦沼そばのラフォーレつるぎ山に到着。ここはすでに標高1450m。元は国民宿舎だったという、ホテル風の立派な宿である。登山のベースとしてはいささか贅沢すぎるような気がする。連休前とあって客は我々のみ。夜は強い雨で、翌日からが思いやられる。

 

 

4月25日(水)

 もともと天気があまり良くない、変わりやすいのはわかっていた。そのため宿をベースに日帰り登山を二日、一日を予備日もしくは観光に充てるというのが当初からの計画だった。

 朝、雨は降っていないが、濃い霧。前夜、宿の支配人(?)にすすめられた丸笹山1711.6mに、足慣らしを兼ねて登ることにする。丸笹山は宿がすなわち登山口で、標高差260m、往復2時間足らずの山。ガイドブックには出ているようだが、全く頭になかった。

 露対策もかねて雨具上下とスパッツも着用。指導票にしたがって登り始める。

 

 ↓ ラフォーレつるぎ山の前の登山口で

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 よく歩かれているようで、歩きやすい。露を払うような下草もない。時おり梢から雫がおちてくるだけだ。針葉樹林帯をしばらく行くと落葉灌木帯になる。

 

 ↓ 登り始めの針葉樹林帯

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 ↓ 落葉灌木帯

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 途中いくつかの石仏があった。第何番と刻まれていることからしても、信仰登山の対象である剣山とセットのような形で、それなりに古くから登られているのだろう。

 

 ↓ 石仏三体三様

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 ↓ 石仏その2 完全に苔にのみこまれている。何かを全うしきったような、良い感じだ。

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 ↓ 石仏その3 第29番

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 ゆるやかな登り道はすぐに背丈の低い笹原となり、霧で先が見えない中、そこから一投足で頂上だった。あっけない登高だったが、感じの良い頂上である。展望は良いはずだが、周囲360度霧で何も見えない、いや、霧だけが見える。それもまた悪くない。これならいっそのこと、もう一つすすめられた塔丸1713.3mを目指せば良かったかなと思ってもみるが、後の祭。

 

 ↓ 白い笹原を行く

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 ↓ 山頂

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 下山は北に向かう。すぐに赤帽子山へのルートとぶつかる。こちらもそれなりに魅力的だ。

 

 ↓ 山頂から北に向かって下る

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 ↓ 赤帽子山への分岐

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 道を左にとれば貞光川の源流をトラバースするようになる。

 

 ↓ 貞光川源流沿いにトラバース

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 ↓ 貞光川源流

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 まだ芽吹き以前のやや荒涼とした景観だが、霧と苔むした源流の雰囲気がそれなりに味わい深い。

 

 ↓ 霧と苔の世界

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 瞑想的な歩みしばしで登山口に戻った。実質1時間半ほどのささやかな山登りだった。ささやかではるが、味わい深い、もうけものというか、拾い物の山だった。

 

 

 

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  ↓ ラフォーレつるぎ山の前の夫婦沼 小さな池だが霧で対岸も見えない

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観光篇

 

 宿に戻っても雨にはなりそうもない。時間もあるし、服を着替えて今度は観光におもむく。

 

 途中に「かかしの村」という不思議な集落がある。住人の数より多い等身大のぬいぐるみがあちこちに置かれ、それ目当ての観光客が来ている。微妙なイメージであるが、とりあえずスルーして、奥祖谷二重かずら橋へ。

 私はいつもたいていそうなのだが、今回も周辺の観光に関しては不勉強で、かずら橋が近くにあるということも、そしてそれが二か所あるということも知らなかった。そもそも、剣山が祖谷渓の奥にあるということすら知らずに来たのである。山登りと同様に観光にも貪欲な、KとF嬢の仰せのままに、である。祖谷渓にせよ、かずら橋にせよ、一度は見てみたかったところなのだから、ここはまあラッキーとしておくべきであろう。

 この奥祖谷の二重かずら橋は、その名の通り隣りあって二本かかっている。金550円也を払ってさっそく渡ってみる。

 

 ↓ 奥祖谷の二重かずら橋 遠景

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 ↓ 奥祖谷の二重かずら橋 近景

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 まあ写真のとおりであるが、芯にはワイヤーが使用されている。今どき当たり前といえば当たり前だが、な~んだ、という感も少しある。

 

 ↓ ワイヤーが見えるのが残念

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 ↓ 葛の造形 芯はワイヤー

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 その先には野猿もあり、こちらも乗ってみる。野猿(やえん)とは籠の渡しとも言い、いわば人力ロープウェイである。こちらは屋根付きの立派なもの。実際に実用されていた頃は、もっとむき出しの危なっかしいものではなかったかと推測される。30年以上前に朝日岳から白馬岳に登った時や、海谷に行った時のものはそうだったような記憶がある。

 

 ↓ 野猿 到着する時と下りる時には結構腕力が要る

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 次いでもう一つの、おそらくこちらの方が本家(?)として有名なのではと思われる、祖谷のかずら橋へ行く。見かけはこちらの方が葛を纏う量も多く、よりそれっぽいが、芯がワイヤー(と見えないようにコーティングされている)なのは同様。さらに隣接してコンクリート造りの近代的な橋が並行しており、やや興ざめだが、まあ仕方がない。足元の隙間を通して見える川面までの空間を楽しむ。

 

 ↓ 本家(?)祖谷のかずら橋近景 造作はより丁寧になされている

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 ↓ 隣接する橋からの遠景 水色はイマイチだが新緑と藤の紫は美しい

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 ↓ 皆さんこんな感じでしがみついて渡っています

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 ↓ ワイヤーは微妙にカモフラージュされています

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 ついでにすぐ近くのびわ滝も見に行った。まあ、祖谷渓で二か所のかずら橋を見たということだ。

 次いで大歩危へ行く。ここも名のみ知ってはいたが、具体的なことは何も知らなかった。各地の渓谷を見てきた目からすれば、単なる山間のそこそこ大きな流れとしか見えない。だが、本来ここを味わうには、国道から眺めるだけではなく、船で川下りすべきなのだろう。しかし今回はそこまでの時間も熱意もない。かたわらの道の駅で早々に土産を買って、小歩危も見ずに宿に戻ることにした。

 途中、工事のため30分ほど通行禁止で待たされる。暇つぶしにすぐそばの山腹に登って、ふと足元を見たら有害獣駆除の罠が仕掛けられていた。鹿用か猪用かわからないが、知らずに足を突っ込んでいたらどうなったのだろう?

 

 ↓ 上部の輪っかに足を入れていたらどうなったんだろう?

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【コースタイム】4月25日(水)霧

フォーレつるぎ山前登山口8:45~丸笹山山頂1711.6m9:30/9:43~貞光川源流~登山口10:32