艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

「なぜウズベキスタンなのか―過去の海外の旅を概観してみる―その1」(初めてのヨーロッパ・2回目のヨーロッパ・ベトナム・中国内蒙古・中国甘粛省~青海省・スウェーデン+ノルウェー・中国貴州省 篇) 

 ウズベキスタンの15日間の旅に行ってきた。

 なぜウズベキスタンなのか、と問われる。

それに対して、今回のウズベキスタンは、これまでの「美術」を軸とする私の旅の積み重ねから、必然的に出てきたのだと答えることになる。

 そうすると、ウズベキスタン以前の旅の積み重ねについて、ざっと触れておく必要が出てくる。それは私にとっても、過去の旅を「消費」しないためにも、一度はこうした形でまとめてみても良いのではないかと、かねてから思っていた「手続き」なのである。

 

 それにあたって、私の旅についての主たる性格を、2点だけあげておく。

 1点目は、旅の主目的はその地の美術を見ることであり、それに付随して、その美術を成立させる歴史や風土性を見る・体験・確認・考察するということである。したがって有名な観光コンテンツではあっても、美術に関係しないものは基本的に見ない(この原則は近年少しずつ軟化してきてはいるが、大元は今でも変わっていない)。具体的に言えば、例えばパリにはのべ5日以上滞在したはずだが、エッフェル塔にも、凱旋門にも、リュクサンブール公園にも、シャンゼリゼ通りにも行っていない(と思う)。

 2点目は、私の旅はすべて個人的な営為として、それ自体を目的としており、すべて自費で行くということだ。つまり、仕事や、研究調査の名目で、他人の財布で行ったことはないということ。(ただし厳密に言えば、大学教員時代の後半、個人研究費の使い方のルールが変わって、海外研究取材等にも認められるようになり、何回か、ごく一部をそこから充てたことはある。)

 

以下に、ごく簡単に過去の旅の一覧をあげて、概要を振り返ってみる。

 

 

 *国名(都市名)の記載順は必ずしも行った通りの順番とは限らない。同行者名については実名にした場合もあり仮名の場合もある。( )内の立場は当時のもの。

 

① 1977.7.28~9.11 (45日) 

フランス(パリ・コルマール)~ベルギー(ブリュッセルアントワープブリュージュ・ゲント)~イギリス(ロンドン)~イタリア(ミラノ・フィレンツェシエナ・ローマ・オルヴィエト・アッシジ・アレッツォ・ペルージア・フェラーラパドヴァヴェネチア)~バチカン~スイス(ルガノ)~ドイツ(ミュンヘン)~オーストリア(ウィーン)~フランス(パリ)

同行:沓間宏 秋元雄史(共に東京藝術大学油画2年/*当時の立場 以下同様)

 

 3年浪人して入った大学1年の時に、同級の二人に強く誘われ、引きずられるようにして、翌年の夏休みに行った。話が出た時には、表現者としての自分の方向性を見出せないまま、芸大油絵科=ヨーロッパという「歴史的必然性」に必ずしも同意することができず、かといって、行かないという必然性も見出せず、つまりこの頃から、いわば外部性をきっかけとした行動をとっていたということになろうか。

 当時の芸大油絵科には「ヨーロッパ古美研」という希望者と教官による団体旅行の企画もあったのだが、さすがにそれに加わる気にはならなかった。また、この旅行の前に、大学の必修授業「古美研(古美術研究旅行)」で二週間かけて奈良・京都を回ったのだが、その日本体験との対照性も彼の地で面白く感じたものである。

 パソコン・スマホもなく、『地球の歩き方』も日本語のガイドブックもない時代(ついでにと言っては何だが、貧乏と好きでなかったせいで、カメラすら持っていかなかった)。45日間、ひたすら美術館と絵のある教会のみを巡り歩いた。そのハードさに同行の秋元は「もう古い絵なんかたくさんだ!」と宣言して、途中から別行動で一人南仏へ向かい、最後にパリで落ち合うことになった。私見ではこの時の経験が、彼の後の直島地中美術館(および金沢21世紀美術館・藝大美術館)でのキュレーター/館長の仕事に直結していると見ている。

 

 ↓ パリ どこだろう? 右:秋元 それはいいが、なんというパーマ頭だ…。

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 ↓ パリ モンパルナスタワーで 中:沓間。私の腹もこの頃はまだ出ていない…

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 この22歳の旅の結論としては「ヨーロッパ(およびアメリカ)に美術の未来はない。これから面白いのはアジア、わけても日本だ。」というものだった。同時に「海外なんかいつでも行ける。金さえあれば。重要なのは必然性だ。」とも言い切ったのであるが、金のせいか、必然性のせいか、次に海外に行くまでに20年以上の歳月を必要とした。

 

 ↓ イタリア アッシジ その後大地震で大きな被害が出たと聞いたが、現在は修復されたようだ。

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 ↓ ローマにて。

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② 2000. 8.8~9.9 (33日)

オランダ(アムステルダムロッテルダム・デン-ハーグ・オッテルロー)~ドイツ(ベルリン・オルレアンブルグ・ミュンヘン)~オーストリア(ウィーン)~イタリア(パドヴァ・フィレツェ・サン・ジミニャーノ)~スペイン(バルセロナ・トレド・グラナダマドリッド

同行:水上泰財(武蔵野美術大学専任教員/オランダで合流)・水上美佐緒(東京都教諭/ドイツまで)・荒木晋太郎(東京学芸大大学院1年 指導学生:油画))

 

 40歳で大学教員となり、生活も安定して数年。ようやく機が熟したというべきか、20数年ぶりの海外の旅。

 指導学生の荒木と二人で非ヨーロッパであるモロッコへ行こうという計画を立てていた時に、当時武蔵野美術大学の専任教員になったばかりの水上君からヨーロッパ旅行の相談をもちかけられた。油絵(≒西洋画)科の専任教員となりながら、ヨーロッパに行ったことがない彼のために、あれこれとアドバイスしているうちに、当時東京都の教員だった奥さんも途中まで加わることになり、さらにはいつの間にかモロッコは消えてなくなり、結局再度ヨーロッパに行くことになってしまった。私の計画は乗っ取られてしまったのである。

 しかも初めてのヨーロッパの三人のために、その旅程の半ばは、23年前に行ったところを再訪するという計画になった。まあ四半世紀ぶりの再訪・復習も一興かと思わざるをえない。

 

 ↓ 左から 私 荒木 水上君 美佐緒さん 全員タバコ吸い。

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 結論として、この旅によって、西欧(美術)はほぼ見尽くしたという感。加えて、若い時の「見る」という体験力がいかに強かったかを思い知った。四半世紀前に見たものを、身体は本当によく記憶していたのである。

 ゴッホ美術館の「カラスのいる麦畑」「荒れもようの空と畑」、サンマルコ修道院のフラ・アンジェリコの壁画(再訪)、プラド美術館ゴヤの「黒い絵」におぼえず涙した。

 

 ↓ グラナダ アルハンブラ宮殿 この後フラメンコとカンテ(歌)のショーを見に行った。

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 また、この旅をきっかけに美術史に目覚めた(?)美佐緒さんが、その後私の勤務先の東京学芸大学大学院に入学し、授業等で教えることになったという後日譚もあった。

 

 

 

③2002.8.18~28 (11日間)

ベトナムハノイ・ダナン・ハイフォン・フエ・ホーチミン

同行:S先生(東京学芸大教授:工芸) S氏(高校教師:新海先生の教え子)

 

 初めての非ヨーロッパの旅。同じ学芸大の工芸(専門は漆芸)の先生で、私以上に骨董好きのキャリアの長く深いS先生と骨董話をしているうちに、同行させてもらうことになった。S先生の元教え子のアジア旅好きのS氏が計画手配全般を引き受けてくれ、また骨董全般に詳しい先輩が一緒なので、気楽かつ心強い限りであった。

 

 ↓ 母子二人の小さな船をチャーターしてホン川をツアーした。

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 ↓ 版画村やら、漆芸村やら、陶芸村やら、各種の工芸村を見に行った。ここは木工家具作りの村。

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 ベトナム=東南アジアという非ヨーロッパ風土を体験し、そこでの美術を見ることが目的の旅だったが、もう一つ、子供の頃から世の中というか、「社会」や「世界」を意識し始めたとき、常に背景にあったベトナム戦争という現象の、その後の姿を確認することも目的の一つだった。

 

 ↓ ハノイ近郊山岳地方のミーソン ここはベトナム戦争当時、激戦地だった。

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 ↓ 奈良の大仏の開眼供養の時、このミーソンからも僧が出席したとのことである。

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 ベトナム=中国およびフランスの旧植民地=辺境ということのありよう、そこから導き出されるコロニアルアートとも言うべき美術のありよう、そして日本もまたそうであるところの、漢字文化圏=東アジアという風土性、等々を考えさせられることになった旅だった。 

 

  ↓ ホーチミン市サイゴン)の美術館にあったベトナム戦争当時の絵。技術はアカデミック。

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④2004. 9.22~30 (9日間)

中国(内蒙古/フホホト・パオトウ・オルドス)

同行:荒井経(東京学芸大教授:日本画)夫妻 S君(東京学芸大大学院生 中国留学生/モンゴル族日本画

 

 当時同じ学芸大日本画を教えていた荒井君に誘われて、彼の指導学生S君の故郷内蒙古に行った。初めての中国だがモンゴル文化圏。

 

  ↓ パオでの歓迎セレモニー 強烈な馬乳酒を一気に飲み干さねばならない。

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  ↓ 舗装はされていないが、ここはまだ道があるからいい。やがてなくなった。ホテルに戻ったのは深夜3時。

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  ↓ フホホト東方 万部華厳経

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 旅程等はS君におまかせだったが、例えば五當召だったかに行くのに、深夜の道なき道を命がけでといった趣きの、文字通りハードなもの。異文化体験としては大きなものだった。また、歓迎の席ですすめられる酒の強さには参った。

 

  ↓ どこだったか? 新しく作られたチンギスハン記念館(?)の壁画

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  ↓ 同上 美人です。上手です。

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 風土的には面白い旅だったが、モンゴルの仏教美術は私の中には入って来なかった。

 

  ↓ 休館中の内蒙古美術館 内部では地元の美術系大学を卒業した若い画家がこのように新造の施設用の大壁画を共同製作中。彼らの未来は…。

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⑤2005.8.14~28 (15日間)

中国(甘粛省敦煌・阿克塞~青海省/烏蘭・青海湖・西寧・同仁・互助)

同行:M君(東京学芸大大学院生 中国留学生/モンゴル族:指導学生:油画) D君(東京学芸大大学院生 中国留学生/モンゴル族:油画) 河村森(息子/大学生)

 

 前年に引き続き中国人留学生(モンゴル族)二人の故郷に錦を飾る旅に、憧れの敦煌を加えた旅。チベットも加えたかったのだが、ちょっと欲張りすぎということで青海省までとした(ただし現在の青海省西蔵自治区とともにいわゆる昔からのチベットの範疇に含まれる)。ほぼ全行程車チャーターの長距離移動の旅。

 

  ↓ 敦煌莫高窟遠望

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  ↓ 敦煌付近 果てしなく続く砂漠というか土漠。

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 初めて息子も連れていった。息子と一緒というのはやはりどこか面はゆいものではあるが、それはそれとして、ある種の体験のきっかけを提供することはできたと思う。歓迎の酒宴対策の面もあったが、その点ではたいして役に立たなかった。

 

  ↓ 蒙古族自治県粛北 結婚したばかりのM君(中央右)の奥さんの実家で歓迎される。 

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  ↓ 今回の最高地点、青山坪山4412mを越えて青海省へ。茫漠たる荒野が続く。

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  ↓ D君の故郷近くの仏教寺院内部

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  ↓ D君の親族一同が近くの草原のパオに集合して歓迎してくれた。

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  ↓ 朝、散歩していたらわらわらと集まってきて、記念写真。

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 風土・風物のすばらしさは言うまでもない。だが、敦煌莫高窟については、前評判というかイメージが大きすぎて、美術としてはやや物足りなかった。やはり私は、有名すぎるところには、なにがしかのアレルギーが発動するようだ。昨年に引き続き、モンゴル族をはじめとする少数民族の領域での異文化体験。

 

  ↓ お茶を飲みに立ち寄ったチベット族の遊牧のテントの中では羊を解体して、ソーセージ造りの最中だった。

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  ↓ 黄河(?)源流域の絶景の中、旅は続く。

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  ↓ 耕して天に至るとはこのことか? 旅は続く。

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  ↓ 地元のタンカ(仏画)制作工房を訪れて勉強する。左の彼が主催者の画家。

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  ↓ 路上の国際交流。私が一局勝った後、息子に交代。

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⑥2006.9.22~10.6(15日間)

スウェーデンストックホルム・ヨテボリ・ゴットランド島)~ノルウェーオスロソグネフィヨルド・ヴォス)

同行:S嬢(東京学芸大大学院生:洋画・指導学生) M君(東京学芸大4年生:芸術学) I君(東京学芸大大学院生:デザイン スェーデンに留学中)

 

 指導学生のS嬢から、「北欧に一緒に行ってくれませんか」と言われた。聞けば彼女の恋仲の君がスウェーデンに留学中で、その彼に会いに行きたいのだと言う。つまりはお目付け役ということか。きっかけはどうであれ、北欧は昔から行ってみたかったところ。ただし美術ではムンク以外は知らない。

 

  ↓ ゴットランド島にて、たぶん火薬塔。S嬢と共に。

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  ↓ ゴットランド島のヴィスビー廃墟群(セント・カタリナ教会)

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  ↓ ルーン文字の刻まれた石碑(レプリカかもしれない)。赤い色は近年の補彩。

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 S嬢、M君という現・元指導学生と異なり、専攻分野も違い、またそれまでの接し方も違ったためか、旅行中君との関係に微妙なところもあったが、まあそれは仕方がない。二人はその後めでたく結婚し、幸せに暮らしているようだ。

 

 西洋美術史(≒ファインアート)の文脈にあっては、北欧もスカンジナビアあたりまでいくと、やはり田舎(≒辺境)だということを認識した。そうした場所における近代から現代の美術のありようを見てゆく中で「ローカル・アート」ということを考え始めた。むろん辺境=日本におけるそれと重ね合わせてである。

 それとは別に、工芸=フォークアートの豊かさには目をみはらされた。それらに対する人々の愛情と、保存・展示方法などについても。

 

  ↓ アイアンアート 門扉

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 ↓ アイアンアート 門扉その2

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 ↓ 刺繍 その1

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 ↓ 刺繍 その2

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 フィヨルドをはじめとする自然の景観も興味深く味わった。

 

  ↓ ノルウェー ソグネフィヨルド

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⑦2007.9.20~10.4(15日間)

中国(貴州省/貴陽・凱里・南花村・榕江・従江・岊沙・黎平・隆里・錦屏・鎮遠・台江・四川省重慶

同行:R嬢(東京学芸大大学院生 中国留学生/漢族:指導学生:油画) U嬢(東京学芸大学1年生:友人の娘) Y氏(R嬢の夫・大学教員/苗族 現地在住)

 

 三回目の中国だが、またしても辺境、少数民族の地である。結局今に至るまで、北京や上海といった漢民族中心の近代的大都市には行かずじまいである。まあ、望むところではあるが。

 指導学生のR嬢の修了論文(苗族の刺繍について)の指導の過程で、必要とされる現地調査に同行したのである。現地に在住する彼女の夫のY氏がすべて立案・手配してくれた。

 その話を古くからの知り合いのUさんとその娘と飲んでいるときに話をしたことから、その娘の学芸大1年生のU嬢も同行することになった。その展開には、自分が言い出したこととはいえ、少々面食らったが、まあそれも良かろうと。

 

   ↓ 気の遠くなりそうな棚田。そういえば日本の稲作のルーツは苗族だと聞いたことがある。f:id:sosaian:20180615013128j:plain

 

  ↓ 苗族だったか?土族だったか?何族だったか?

   とある少数民族の集落に入る際のセレモニー。むろん飲まされるのは超強い酒。f:id:sosaian:20180615013202j:plain

 

  ↓ 何族だったか? とある少数民族の集落での、めちゃくちゃ激しい民族ショー。男性の吹くのは笙。面白かったです。

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 これまでの中国旅行と同様に、やはりとても個人では回れない地域・内容であったが、私にとっては面白い旅であった。しかし、後日知った事だが、この旅は、夫婦関係がうまくいかなくなっていたR嬢とY氏の関係修復を試みる最後の機会でもあったとのこと。残念ながらその試みは成功しなかったようだ。

 

    ↓ 友人やら、親戚やら、知り合いやらとの食事。基本、シェアです。取り皿はありません。

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  ↓ 同上。この時はかなり人里から離れた小さな集落に夜中に着いて、地面に埋めた甕から取り出した「魚の漬物(なれ鮨)」とか「カメムシの唐揚げ」とか、結構なものをいただいた。ちなみに「魚の漬物」は塩辛いが美味かった。

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   ↓ こういう中国山水画的風景もあります。

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 ↓ 偶然行き会った俳優の〇〇。Y氏の知り合い(?)だとか。名刺交換までしたのに名前が思い出せない。張芸謀監督の作品にもよく出ている、日本でいえば高倉健レベルの有名俳優だとか。何かこの時は鼻のガン(?)で治療中とか言っていたような。

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  ↓ こんなのも見た。超派手で、豪華絢爛な、民族音楽舞踏その他のショー。面白かったです。

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 現地で出会った美術では染織、中でも刺繍が最大のもの。前回の北欧旅行の際のそれとも共振して、以後染織・刺繍関係に対する興味が強まった。

 

   ↓ 貴陽の青空市。ほとんど骨董市で、ずいぶん面白いものがあった。

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   ↓ 上とは別に、紹介されて骨董屋の倉庫にも行き、いくつか買った。これはそのうちの一つ。現在我が家に展示してある。

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 以下、その2 その3 と続く(かな?)。      (記:2018.6.14)