艸砦庵だより

河村正之のページ 絵画・美術、本、山、旅、etc・・・

2018年に見た展覧会・国内篇 その2(の前半)

 

 やれやれ。「2018年に見た展覧会・国内篇」の導入としての「8人のマイベスト」があまりに長くなり過ぎたせいで、前後編に分けざるを得なくなったが、ようやく私の「2018年に見た展覧会・国内篇」に入ることができる。

 ともあれ以下に私が2018年に見た展覧会(等)の一覧をあげる。

 例によって、美術館だけではなく、寺社、遺跡、庭園等も含む場合もあるが、MUSEUMの範疇をなるべく広くとって考える。また、一般的な街の画廊等は含まない。

 

 しかし一覧してみると、昨年は数が少なかった。海外(ウズベキスタン)の二週間の大小あれこれ58ヶ所(別記)はあれど、国内で18回というのはここ数年ではかなり少ない方だ。まあ、もともと見たい展覧会が少なかったとか、体調気分等いろいろあるわけだから、少なくてもかまわないが。

 内容的にも面白かった、感動した展覧会は少なかった。もちろん見に行くからには、見たいと思って行くのだが、結果としてはそういうことだ。まあこういう年もある。

 

 凡例:上段「 」内は展覧会の正式名称。その右の( )内は展覧会のサブタイトル。[ ]はざっくりとしたジャンル。下段は美術館名と見た日。○以下はごく簡単なコメント-印象記。

 

 

1.「高柳裕展」(祝喜寿) [版画]

 青梅市立美術館 1月13日

 

 ↓ 展覧会チラシ

f:id:sosaian:20190228232207j:plain

 

 

 青梅市立美術館は、東京都ではあるが、言ってみれば地方公立美術館の一つである。東京都や京都府横浜市広島市といった財政に恵まれたところとは違い、他の多くの地方公立美術館と同様に、企画や運営面で苦労している様子がうかがわれる。今に始まったことではないが、それらの美術館の多くは、新収蔵予算はゼロか限りない縮小、学芸員は削減というのが現状のようだ(そもそも全国の地方公立美術館の数が本来多すぎるのではないか、さらにその収蔵傾向が似通りすぎるのではないか、という根本的な問題は今はさて置く。ついでに言えば、そうした地方行政でも議員報酬は増額のところが多いというニュースが朝日新聞に出ていた、というのもまた別の話。)

 ともあれ、そうした苦しい文化財政の下で、その分知恵をしぼって低予算での自主企画、または似たような状況にある他の地方公立美術館との収蔵品の融通のし合いといった工夫をしているのが、その気になってみれば、最近見てとれる。

 そうした工夫の一つとして、さほどビッグネームでない、地元出身もしくはそこになにがしかのゆかりのある作家、そして大型の立体作品ではなく、版画などの紙の仕事といった軽いコンテンツが選ばれる。皮肉なことに、その結果として、ある時期ある程度の注目評価はされたが、まとまってみる機会の少なかった(セミ・マイナー)作家の展覧会というのを眼にする機会が近年増えているのは、悪いことではない。

 

 今回の高柳裕もそうだ。ある時期美術雑誌等でよく目にし、名前も覚えてはいるのだが、作品となるとあまり記憶がない。少なくとも全貌は知らない作家だ。

 前年の晩秋にこの青梅市立美術館の市民ギャラリーでグループ展をやったのだが、その時にこの高柳裕展の予告のチラシを見て知ったのだったと思う。

 新聞社後援の、入場者数とSNS等での露出度を競い合い、その結果、暇と金のあるシニア層を中心に押し寄せる観客の混雑にウンザリする人気展覧会では決して見ることができない(やや)マイナーな、(まとまって)見たことのない作家の展覧会をゆっくりと見るというのは、勉強(?)にもなるし、ある種の楽しみでもある。

 見に行こうと思った理由はもう一つ。私は彼の作品(版画)を1点持っているのだ。それが画像の作品で、数年前にヤフオクで入手したもの。それなりに良い作品だが(そうでなければどんなに安くても買わない)、値段を公表するのも気の毒なくらい安かった。

 

 ↓ タイトル不詳 2015年に購入した作品

f:id:sosaian:20190228232444j:plain

 

 

 ともあれ、自分が作品を持っている作家の展覧会であれば、見に行きたくなるのは当然。その作品がひょっとしたら出品されているかもしれないという秘かな期待もある。

ということで、行った。残念ながら私の持っている作品は出品されていなかった。

 

 感想としては、「テーマはないが、モチーフはある」という感じ。言い換えれば「どう表現するか」という工夫はあるが、「何を表現するのか」が希薄だということだ。

 ある程度リアルタイムで知っている私としては、当時の時代相を「現代美術・現代版画」の文脈ではよくとらええている、反映しているとは思うものの、その時代との距離が近すぎて、今見ると、妙に古く見えるのである。古臭い新しさ。それは多くの「現代的な」作家が陥りやすい、しかし避けては通れぬ陥穽であろう。

 しかし、全体として悪い作家ではない。感性自体はすぐれたものを持っていると思った。

 

 

2.「中澤弘光 明治末~大正〈出版の美術〉とスケッチ」展(みだれ髪から温泉周遊まで) [洋画・イラスト] 

 武蔵野市立吉祥寺美術館 1月26日

 

 中澤弘光は1874年(明治7年)生まれの洋画家。黒田清輝や浅井忠、藤島武二といった人たちより少し若いがほぼ同時代の人。「絵葉書芸術」や装丁といった、アールヌーボーの影響が顕著なグラフィックの仕事は時々目にするが、まとまって見るのは、特に本道のタブロー(本画)をある程度まとめて見るのは初めて、と期待していたら「明治末~大正〈出版の美術〉とスケッチ」展だった。油彩が少ないのも道理である。残念。

 

 ↓ 展会チラシ

f:id:sosaian:20190228233049j:plain

 

 

 帝国美術院(のち芸術院)会員にもなった彼のタブロー(油彩)は、今日では歴史的遺物以上の評価はされにくいようだが、食うための仕事であったグラフィックは、経年変化を越えて今なお魅力がある。しかし、正直に言えば、やや物足りない展覧会だった。ウ~ン…。

 この人は確か公立の美術学校では教授になれなかったはず。その時代ではタブローでは食えなかったから、結果として副業(?)としてのグラフィックで美術史に残った。本人は不本意かもしれないが、それはそれでまあ仕方がないではないか。

 

 

3. 「ルドン-秘密の花園」展 (夢の中へ 花の中へ) [洋画]

 三菱一号館美術館 3月9日

 

 ルドンは私にとって最も重要な画家の一人である。私のアトリエの神棚には、ゴッホと、ルドンと、クレーと、恩師のT 先生の四神が祀られている(神棚は嘘だが、気持ちはまあそういうことです)。東京に出てきた1973年以降の、ルドンとクレーの、東京及び近県での展覧会は、これまですべて見ている(と思う)。

 

 ↓ 展会チラシ

f:id:sosaian:20190301001012j:plain

 

 

 今回も、やはり、さすがと思った。絵画の豊饒性を堪能できた。

 今回の目玉は、ドムシー城食堂の壁画というか装飾パネルが、設置当初の配置を再構成した形で展示されていた(ような気がするのだが、すでに記憶はやや曖昧)。それは1980年の伊勢丹美術館(そんなものあったのか?デパート内の特設会場?)での「ルドン展」にも出品されていたから、38年ぶりの再見であった(ただし、その一部、現在三菱一号館美術館が所蔵している「グランブーケ」は、その時には出品されていない)。

当時の図録で「黄色の大パネル」(パネル/板ではなくキャンバス/麻布だろう。今回の図録ではカンヴァスと表記)いう題名を付されたその作品群に、私は大きな影響を受けた。

 まだ大学院の学生であった当時の芸大の油画においては、油彩のほかに田口研究室の黄金背景テンペラ(卵黄テンペラ:パネル向き)や練り込みテンペラ(卵+リンシードオイル+小麦粉糊:パネルや半吸収性地塗りキャンバスの大作向き)と、技法材料研究室での混合技法という言い方をしていたフランドル、あるいはもっとストレートに言えばウィーン幻想派由来の、油彩と併用する描法の、三つの技法があった。それらはいずれも美しい肌合いや表現効果をもたらす魅力的な技法ではあったが、同時に技法ということに付きまとう、ある種の仰々しさというか、煩わしさもあった。

 それにあきたらなかった私は、そのルドンの「黄色の大パネル」を見て、細密描法に適した混合技法のテンペラメディウム(全卵+リンシードオイル+ダンマル樹脂溶液+ベネチアテレピンバルサム)を、大画面のキャンバス(エマルジョン地塗り)の上に太い筆でストローク性を活かして描くという方法を思いついたのである。そしてその描法は今日に至るまで、私の制作の中核をなしている。

 ちなみにその時の図録には「黄色の大パネル」の技法は明確には記されておらず、彼の手紙の一部を引用して「デトランプ、油彩など」と、傍証として曖昧に記されていただけだったが、今回の図録では明確に「油彩、デトランプ」となっている。なお、デトランプの定義はかなり幅があり、難しいが、ここでは膠を用いたもの(別の文献でディステンパー/distemperと表記されるものがこれに当たるようだ)や卵、デンプン系の糊を含んだものなどの、エマルジョン的な要素を含むものとしておく。

 

 少々、専門的になりすぎた。だが作品の鑑賞にあっては、絵柄や造形性だけではなく、技法素材面からの見方もあるのだということで、たまにはこういう記述も良いだろう。

 ともあれ、本展は必ずしもルドンの代表作とか傑作ばかりではなく、どちらかと言えばこじんまりとした展覧会であった。また、すでに見たことのあるものも多かったが、まあ良いものは何度見ても楽しめるのである。

 

 それにしても見てみたいのは、こうした技法で描かれたルドンの最大の大作であり、最高傑作である「昼」と「夜」である。それはフランス南部、スペインとの国境に近いフォンフロワド修道院の図書館の壁に設置されているが、現在も一般には非公開とのこと。十数年前に、フランスからスペインを回るという教え子にけしかけて当地に行かせてみたのだが、やはりどうしても見せてもらえなかったとのこと。う~ん…。

 

 ↓ 参考:フォンフロワド修道院所蔵「夜」

f:id:sosaian:20190301001058j:plain

 

 ↓ 参考:フォンフロワド修道院所蔵「昼」

f:id:sosaian:20190301001129j:plain

 

 ともあれ2018年に見た私のマイベストが、本展である。

 

 

4. 「3331 ART FAIR [現代美術]

 千代田アーツ3331 3月9日

 

 私は千代田アーツ3331という存在に対して、ある種の批判を持っており、そのことは別の場所でも書いたことがある。しかし、それはまあ私個人の、時代に掉さす感性と思想であるからここではそれ以上は言わない。

 

 ↓ アートフェア チラシ

f:id:sosaian:20190301001158j:plain

 

 何にしても自分から積極的に行くことはない場所なのだが、今回はそこで開催されるアートフェアに出品している、奈良の若い友人A君から案内状をもらったので行ってみた。

 アートフェアであるから多くの、主に若い作家が出品している。絵、美術に若いも年寄りもないもんだが、やはり若いということは、その時代の空気をより多く吸っているということなのだろう。今風のありがちな作品群。ほとんどの作品に既視感を感じてしまう。

 やせて貧しい表現。やせて貧しい若者たち。もったいないことである。技術的成熟や完成度などを期待しはしない。そんなものは必要ならいずれ勝手に身に付く。若いということはもっと切実な、熱い、やむにやまれなさ、といったものがあって然るべきだと思うのだが、どうなのだろう。

 そしてそんな彼らを、未来をになう商品として推す画廊。それが日本の美術界の(少なくともある一面の)現状だとすれば、もはや私には言うことはないのである。

 (ちなみにA君の作品は一人それなりに良かった。時流に振り回されず、腰をすえて制作し続けてほしいものである)

 

 

5.「99歳の彫刻家 関頑亭」(声字実相義 耳で見つめ、目で聴く) [彫刻・絵画]

 たましん歴史・美術館 4月12日

 

 ↓ 展覧会チラシ

f:id:sosaian:20190301001254j:plain

 

 

 関頑亭という人については、骨董の世界でしか知らなかった。『古美寳鑰 頑亭古美術対談』(関保寿名義 蒼樹社美術出版 1983年)という本を読んだことがあるが、対談形式だったせいか、印象は薄い。まだ生きていたのか(失礼!)と思ったが、作品もまったく知らなかったので、かえって淡い興味をもち、また場所が国立と近かったので行ってみた。

 

↓ 展覧会チラシの中面 上の図のパステル画が良かった。

f:id:sosaian:20190301001358j:plain

 

 仏像をはじめとする彫刻、日本画、水墨、スケッチ、ドローイング類。意外と面白かった。20代のころ描いたパステルの風景など、不思議な味わいがあり、良かった。

 しかし、今この文を書くにあたって、作品をほとんど思い出せなかった。私の制作とはほぼ関係ないということであろう。ただ、長生きをするというのはどういうことなんだろうと、ちょっと感慨にふけってしまった。

 

 

6.「真下慶治 最上川 Ⅰ」(常設展) [洋画]

 最上川美術館・真下慶治記念館  5月13日

 

 浪人中以来の友人であるA、S、K、Fと、最近帰郷して山形に在住しているIのところに遊びにというか、彼の作品を見に行った。それぞれに濃淡はあるにせよ、45年の付き合いである。六人のうち、今も制作しているのはそのI 、K、F、と私の四人。AとSは制作はしていないが、美術関連の仕事をバリバリやっている。制作組の四人は完全リタイアか、準リタイアで制作専念である。あ!Iは最初からリタイア人生だった。

 寝る間も惜しんでの、絵の話だけの三日間(Aのみ二日)。合間に観光地でも何でもない近辺を訪れ散策する。豊かな自然、少ない人口。どんな所でも楽しめる。しかしまあ、せっかくだからということで、その近所で一番近い美術館に行こうということで、最上川美術館・真下慶治記念館というのを訪れてみた。最上川を間近に見下ろす、素晴らしい立地条件である。

 

↓ 真下慶治記念館のベランダというか、外が見えるところ

f:id:sosaian:20190301001501j:plain

 

↓ そこから眼下に最上川を見る。あいにくの曇天だが景観はすばらしい。

f:id:sosaian:20190301001539j:plain

 

 真下慶治という画家は知らない。説明書きを見れば、山形県に生まれ、日展特選、日展審査員、日展評議員とキャリアを重ね、山形大学教授となって村山市にアトリエを建てる。没後10年ほどして真下慶治記念美術館(現最上川美術館)設立とのこと。おそらく遺族からの作品寄贈の話を受け入れた市が、美術館を建てたということだろう。よくある話だ。

 

↓ 展覧会チラシ

f:id:sosaian:20190301001608j:plain

 

 スペースの大部分は真下慶治常設展示室。別棟の企画展示室はごく小さい。なるほど、そういう条件での作品寄贈なのか。あるいは受け入れ側の忖度なのか。

 

 例えば、青梅市立美術館は青梅市立小島善太郎美術館であり、小金井市立はけの森美術館は元は中村研一記念美術館。府中市美術館には牛島憲之記念館があり、吉祥寺美術館には浜口陽三記念室と萩原英雄記念室がある。いずれも出身地だとか、なにがしかの所縁があっての寄贈作品が母体だろう。

 いずれにしても、企画展示室がメインで、寄贈を受けた作家の常設展示室はごく控えめなスペース配分である。それは美術館としては、ましてや公立であれば、当然そうあるべきだろう。それからすればこの最上川美術館・真下慶治記念館は少々おかしい。その点でいろいろと批判もあるようで、旅人である私の耳にも小さな声は聞こえてきた。実際問題として、年に何回かの展示替えはあるにしても、毎回同じ画家の絵がくり返し展示されているだけなら、人は何度も足を運びはしない。実際吾々が行った時にも閑古鳥が鳴いていた。

 東北の風土性ということばかりではないだろうが、地方在住で日展作家、おまけに地元大学の教授なり教育関係で指導的立場にいて、つまりは地方ボスと呼ばれる存在となる。よく聞く話だ。さすがに今現在はこうした存在形態は薄らいできているとは思うが、実際のところはよくわからない。

 こうした話は多かれ少なかれ日本全国、いや世界中にある話だろう。これは決して揶揄ではない。地元びいきというか、郷土出身作家を大事にするのは、基本的に大切なことだ。フィレンツェ派(フラ・アンジェリコボッティチェリなど)あってのフィレンツェだし、シエナ派(ロレンツェッティやサセッタなど)あっての古都シエナなのである。世界中どこの美術館でも、特に首都以外の都市にある近代美術館であれば、自国、地元出身作家を最優遇している。

 要は大切にするその仕方だ。芸術、美術館運営に地方政治力学を持ち込むべきではない。見識が問われ、良識が問われ、教養が問われる。そうした悪しき例は枚挙にいとまがない。それはその名を冠せられた作家にとっても不幸である。

 ちなみにこの真下慶治という画家は悪い作家ではない。展示されていた作品を見る限り、地元の最上川にこだわり、愛情込めて懐かしさに満ちた風景を描いている。その限りにおいては愛されてしかるべき作家であろう。

 

 それにしても素晴らしいロケーションにある美術館である。建物の規模としてもちょうど良い。できるものならこんな美術館で回顧展をやってみたいものだ。故郷との縁が極めて薄くなった現在の私としては、それなりに痛切に思ったのであった。

 

 

6-2. 「工藤幸治 洋画展」 (郷土賛歌) [洋画]

 最上川美術館・真下慶治記念館  5月13日

 

↓ 展覧会チラシ

f:id:sosaian:20190301001722j:plain

 

 

 同じ美術館の別棟の小さな企画展示室でやっていた展覧会。同じく山形県出身、山形大学卒業、山形の公立学校に勤務し、公募団体旺玄会と山形県美術展を発表の場とする。定年退職後は各種協会等の会長や理事、評議員に就任、とあった。

 作風も同じく地元、東北の民俗性、土俗性に根差した表現。悪いとは思わないが、そうした風土性以外に何があるのかと思うと、無さそうである。

 

 最上川美術館・真下慶治記念館を見て思ったのは、地元、郷土性、風土性といったものに立脚するのは良いとしても、そのことによって美術という、美術館という、開かれた可能性の場を、かたくなな狭い世界にしてほしくないということである。

 

 

 以上、思いがけず妙に筆が(キーボードが)走りすぎ、分量が多くなり過ぎてしまった。それぞれこんなに長く書くつもりはなかったのだが…。

 いったんここで筆(キーボード)を置き、以降はまた次稿とする。とりあえず、項目だけはあげておく。以下次稿。

 

 

7.「光る絵本展(えんとつ町のプペル)」 [絵本]

 OWNP  5月17日

 

8.「戦後美術の現在形 池田龍雄展」  [洋画]

 練馬区立美術館 5月18日

 

9. 「夢二繚乱」 [洋画・イラスト」

 東京ステーションギャラリー 6月25日

 

10. 「長谷川利行展」(七色の東京) [洋画]

 府中市美術館 7月8日

 

11. 「縄文」展(1万年の美の鼓動) [原始美術]

 東京国立博物館・平成館 

 

12.「木田金次郎展」(青春の苦悩と孤独を歓喜にかえた画家たち) [洋画]

 府中市美術館 8月30日

 

13.「八幡平市松尾鉱山資料館」(常設) [歴史・民俗]

 八幡平市 10月16日

 

 14.小岩井農場小岩井農場資料館」(常設) [歴史・民俗]

 雫石町 10月17日

 

15.「ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅」展 [版画]

 町田国際版画美術館 10月25日

 

15-2「まちだゆかりの作家 赤瀬川原平岡崎和郎・中里斉」(常設) [版画]

 町田国際版画美術館 10月25日

 

 16.「アメリー 2018アッサンブラージュ 秋の色」展(甦れ!古い着物に新しい息吹を与える喜び) [染織]

 O美術館 11月2日

 

17. 「ピエール・ボナール展」(いざ、「視神経の冒険」へ) [洋画]

 国立新美術館 11月26日

 

18.「城所祥 展」(没後30年) [洋画]

 青梅市立美術館 11月28日

 

以下次稿

                              (記:2018.2.28)