We climbed Mt. Meakan Mt. Rausu and Mt.Syari in east Hokkaido. These mountains are volcano. Mt. Rausu is World Heritage Site.
They were very beautiful and fantastic experience. And I was very tired….
三年ほど前から高校山岳部時代の数名でOB会合宿と銘打って、年に二三回、数日程度の山旅に行っている。昨年の夏は北海道の道東三山(雌阿寒岳、羅臼岳、斜里岳)+大雪山旭岳の予定だったが、直前にメンバーの一人Kが箱根の金時山で転倒して手首を骨折、計画は中止となった。今回はその仕切り直し(註)である。
(註)おそらく日本語化した「再挑戦」という意味でだろうが、リベンジと言う者もいる。しかし、revengeは本来「恨み」とか「復讐」の意味なので、私は好まない。単に「仕切り直し」か「やり直し」である。ついでに言えば、「制覇」とか「征服」といった言葉も好きではない。「登らせてもらった」あるいは単に「登った」で充分である。)
予定は日帰り登山三回プラス予備日移動日二日、トータル一週間での道東三山。
むろん発端は百名山好きのKとF嬢。北海道の山に一人で行く意欲などとうの昔になくした私だが、つまりそれは声をかけられたこの機会を逃せば一生行くことはないということなのだから、やはり欲は出てくるのである。旅程のしんどさ、煩雑さは、計画にも実務にも能力のあるリーダーKに任せればよいのだから安心だが、問題は私の体力と気力と意欲だ。
五月の個展や十月の個展の予定、その他身体のあれこれの不調などから、三か月以上山らしい山には登っていない。完全にトレーニング不足であることは自覚している。しかし、参加すると言ってしまった。残り火に火がついたというか、欲に負けたのである。
直前になってもう一人、一学年先輩のKMさん(以下K先輩)が参加することになった。K先輩は大学を卒業して帰郷後、地元の山の会に所属し、時おりの断続はあったようだが、長く山行を続けてこられた。延べ山行日数は四人の中で最も多い。百名山も残すところあと12座とか。そのK先輩も昨年同じ道東の山を計画し、Kと同じようにその直前に山で転倒し肋骨を骨折、計画を棒にふられた。山口県から北海道の同じ山に、再度同行してくれる人は、まあいないだろう。つまり同病相憐れむではないが、昨年行きそこなった二パーティーが合体したわけである。
K先輩と山に行くのは私が15歳の頃以来、なんと50年ぶりとなるわけだが、気心は知れている。体力、経験共に申し分ない。心強い限りである。何にしても不安なのは私自身(の体力と気力)なのだ。
7月8日
前夜羽田近くの大森町の安いホテルに泊。
7月8日、11:00羽田発。新千歳空港12:40着。ほどなく広島空港からのKとF嬢、次いで福岡空港からのK先輩と合流。レンタカーで阿寒湖を目指す。
飛行機とレンタカーで北海道登山!なんとゼイタクな!それだけでかつての私の常識を越えている。そうした面では、いかに私が古い人間であるか、あらためて思い知る。
北海道は1978年大学3年の夏の利尻岳以来、40年ぶりだ。
その夏は何の予定もなく、姉一家が義兄の実家、青森県深浦町に帰省するのに誘われるままに同行した。あわよくばその後北海道に渡り、利尻岳にでも登ろうかと思ったのである。もとより金はない。テントから何から何まで担いでのヒッチハイクである。
利尻で、予定していた鬼脇コースに行ってみれば「登山禁止」の立て札。ここまで来て予定ルートを変更する気にならず、そのまま登る。途中の避難小屋かテントで一泊の予定だったが、結局一日で鴛泊まで抜けてしまった。思えば素晴らしい馬力であった。
その後、礼文島にも渡ったが、標高の低い礼文岳に登る気にならず、メノウ海岸で旅愁にまみれつつ、日がな一日メノウのかけらを拾っていた。
稚内で残金を計算してみると、どうやら鈍行電車でギリギリ帰れるだけの額。以後ヒッチハイクを続ければかえって途中で完全に金が尽きる。キャッシュカードの無かった時代、そもそも貯金なんぞありはしなかったのだが。
もともと利尻岳以外に目標もなかったので、稚内からしばらくヒッチハイクを続け、適当なところから電車を乗り継いで帰京した。以上、単なる昔話。
7月9日 コンパクトな火山模型のような雌阿寒岳
阿寒湖畔のホテルから車で雌阿寒温泉登山口まで行く。
身支度を整え、8:53に登り始める。トップはK先輩、以下F嬢、私、最後がリーダーのK。以後三日間、オーダーはこの順。
↓ 雌阿寒岳登山コース入り口
針葉樹の樹林帯の中、よく整備された歩きやすい道が続く。何合目という標識が設置されている。幸いトップのK先輩は30分程度でこまめにピッチを切ってくれるので、いつも自分のペースでどんどん登り続けるKのトップに比べると、大いに助かる。しかしそれも初めのニ三ピッチのこと。傾斜が次第に強まってくると、前の二人にからだんだん離されるようになった。まあ、予想した通りの展開で、つまりは私の現在の力量を露呈したということなのだが。
↓ 傾斜が強まり森林限界付近
↓ 森、森、森…
あたりの樹々が次第に低くなり、ハイマツ帯になると周囲の展望も開けてくる。眼路を限りの森、森、森。この広がりは、やはり北海道でしか見れないものだ。足元のイワブクロ(この花は初めて見た)その他の高山植物に時おり気を休める。
↓ イワブクロ
二時間半ほどで火口壁の一画に出た。眼前には噴煙と、濁り淀んだ水をたたえた小さな火口湖の赤沼を内包する火口が凄惨な景観を見せている。
↓ 火口壁に上がる 撮影:K
↓ 火口内部。左が赤沼。
そこから一投足で雌阿寒岳1370mの頂上。快晴。けっこう人はいる。外国人も多い。
↓ 雌阿寒岳山頂
↓ 三人は元気が良い… 撮影:K
やれやれ、疲れた。標高差794m。登り始めてから2時間42分かかったわけだが、コースタイムでは2時間35分。実際には休憩も入れてだから、むしろコースタイムより早いペースだったのだ。つまり私以外の三名の調子がいかに良いかということではあるが…。
↓ 元気が良すぎてグリコのお姉さん
頂上からは、先ほどの森の広がりとは対照的に、南側の阿寒富士や北東の剣ヶ峰など、地理学での火山地形のコンパクトな模型のような風景が展開している。阿寒湖と雄阿寒岳が見える。
↓ 火山地形の模型 遠くに阿寒湖と雄阿寒岳 撮影:K
そういえば深田久弥が登ったのは、その雄阿寒岳1370mの方。雌阿寒岳の方はその時、火山活動が活発で登山禁止だったそうだ。そのためか、深田は『日本百名山』では「阿寒岳」として表記しているが、『日本二百名山』『日本三百名山』では「雌阿寒岳」となっている。標高は雌阿寒岳の方が高いにしても、ちょっと微妙な感じがしないでもない。
↓ 火口壁
↓ 阿寒富士 凄絶かつ陰惨な色彩
昼食後、激しく噴き上げる噴煙や、わずかに風情のある火口内の小さな青沼を見ながら、阿寒富士手前のコルを経てオンネトーへ下る。一瞬、木曽御嶽山の悲劇を思いだす。阿寒富士山頂付近の陰惨な山肌を見ると登りたい気にならない。途中、駒草の小さな群落があった。
↓ コマクサ
順調に下り、ほどなくオンネトー登山口に降り立つ。そこからしばらく湖畔沿いに歩き、途中から右手の樹林帯に入り、気持ちの良いゆるやかな登りしばしの後、車をデポしておいた雌阿寒温泉登山口に着いた。
↓ オンネトーからの樹林帯
雌阿寒岳は今回の三山の中では最も標高差が小さく、まずは小手調べという位置づけではあったが、三カ月ぶりの山登りとあっては、やはりそれなりに疲れた。明日以降のめどが立ったというほどではないが、まあ良しとしよう。
その後、次の予定の羅臼岳の出発点岩尾別温泉に向かって、車を走らせた。折あしくわき出したこの地方特有のガス(濃霧)の中、暗くなった頃、ようやく今宵の宿「地の涯」に辿り着いた。しかしホテル「地の涯」とは、よくもまあ名付けたものだ。
【コースタイム】
雌阿寒温泉登山口8:53~火口壁上11:25~雌阿寒岳頂上1499m11:35-12:13~オンネトー登山口14:25-14:45~雌阿寒温泉登山口15:35 岩尾別温泉へ移動
7月10日 北の涯の山-長丁場の羅臼岳
今回の山旅の最大の山場、長丁場の羅臼岳登山の日。未明3時半に起床。前夜作っておいてもらった大きな握り飯を食べるが、ほとんど喉を通らない。無理やり何とか一つだけ食べる。
あいにく天候はガスとも霧雨ともつかぬ状態だが、天気予報を信じて、雨具上下を身に付け、予定より少し遅れて4:55に出発。
↓ 雨具をつけて美しい樹林帯を登る 撮影:K
よく踏まれた歩きやすい路は、美しい広葉樹の樹林帯をゆるやかに登ってゆく。今日の予定コースタイムは8時間20分。休憩も入れれば10時間以上はかかるだろう。
↓ 白樺の美しい樹林帯
じゅ
等高線の密なところも、うまくジグザグに路が付けられているので、急登の感はない。とりあえず先行の二人から離されずに進む。
高度を上げるにしたがって樹々の樹高も低くなる。路に張り出したカンバの木に何度も頭をぶつける。いつの間にかガスの上に出たようで、時おり展望が開ける。弥三吉峠は気づかぬまま、弥三吉水に至る。極楽平、仙人坂の標識を過ぎれば銀鈴水の水場。
近くには携帯トイレ用のブースが設置されていた。それを見るのは、私は初めてだったが、今や日本の有名な山では携帯トイレ持参というのが普通になっているのだろうか。そのことについてはいろいろ複雑な思いがあり、私の山登りのイメージとは相容れぬものがあるが、百名山のようなオーバーユースの可能性の高いところではやむをえないのだろう。今回F嬢は持参されていたが、トイレの近い私のような者にとっては実際問題として、悩ましい限りである。
やがて路は浅い涸沢状を行くようになる。一の岩場、二の岩場とあるが、岩交じり砂礫まじりで少々歩きにくい。このあたり、先行の二人にだいぶ遅れるようになってきた。まあ、仕方がない。焦らず自分のペースで登るだけだ。
↓ 大沢に入る
まわりは高山植物のお花畑となっており、それを保護するためにか、左右にロープが張られている。チシマノキンバイソウ、エゾツツジ、エゾノツガザクラ、エゾコザクラ、エゾフウロなどの、思いがけぬ強い鮮やかな色彩は本当に美しい。
↓ エゾツツジ 撮影:K
↓ エゾコザクラ
沢はいつしかその形状を失い、そのまま少し進むと待望の峠、羅臼平。この頃になると天候は完全に回復して、山の上は快晴となった。下界はまだ雲海に閉ざされているが、その雲海から遠くに頭を出しているのは、国後島の爺々岳(チャチャヌプリ)だろう。
↓ 羅臼平から山頂を見る
ここまでくれば先は見えた。一休みののち、頂上へ向かう。ゆるやかな登りから岩清水の先に、一か所だけ小さな雪渓があった。40年ぐらい前に登った(7月末か8月)という友人の話では、尾根上は雪だらけだったとのことだし、私の昔の知識と比べても、やはり近年の温暖化ということはあるのだろう。
↓ 唯一の雪渓
↓ 頂上直下の岩場 撮影:K
頂上直下の岩場を慎重に登りきれば、そこが頂上だった。
↓ 羅臼岳山頂
固い溶岩がそのまま凝り固まった、岩だけの頂上。広すぎもせず、狭すぎもせず。360度の大展望。理想的な頂上だ。先行者は一人だけ。昨夜の宿の宿泊者などからして、今日は大勢が登っていると予想していたが、その後も数名が登ってきただけで、うれしい誤算の静かな山頂だった。
↓ 遠く硫黄岳を望む
↓ 反対側 知西別岳・遠音別岳方面
硫黄岳への縦走は今の吾々の実際問題としては無理だったろうが、それでも三峰からサシルイ岳をへて硫黄岳へと続く稜線と、その先に隠れて見えないが、半島の突端まで続く山稜の存在を思うと、やはり何か高ぶるものを覚えるのである。私にとって北海道の山、わけても知床の山など、遠くから憧れるだけで、まさか実際に登ることがあろうとは思ってもいなかったというのが正直なところだ。その意味で同行の三人にはただただ感謝!である。
1時間近く滞在し、雄大な展望を堪能した。
下山は往路を戻るだけだから、基本的には問題ない。ただただ体力と微妙に具合の悪くなりそうな気配を示し始めた左股関節の状態しだいである。
↓ 帰路の風景二本の木の間に羅臼岳山頂が顔をのぞかせている
帰路もあらためてお花畑の高山植物を愛で、針葉樹と広葉樹の美しい林相を愛で、淡々と歩く。左股関節の微妙な不調から、普段にも似ず、下りのペースは上がらなかったが、仕方がない。登山口に降り立ったのは16:15。11時間20分かかったわけだ。登りはコースタイムで4時間55分のところを6時間、下りはコースタイムで3時間25分のところを4時間25分だから、休憩時間を考えれば上等のタイムだ。ちなみに岩尾別温泉の標高は230m。羅臼岳の頂上が1660mだから標高差は1430mだった。
【コースタイム】
岩尾別温泉4:55~極楽平6:53~羅臼平9:23~羅臼岳頂上10:55-11:50~羅臼平12:40~岩尾別温泉16:15
7月11日
予備日兼移動日。午前中知床自然センターに寄り、次いでカムイワッカの滝に遊ぶ。途中で羅臼岳から硫黄岳の稜線が見え、ちょっと感動する。そのカムイワッカ川はかつての噴火で、溶岩流ではなく、硫黄流を海まで流し出した「世界で一番奇妙な火山」だとか。
↓ 右:羅臼岳 左:硫黄岳
↓ 今回、鹿を三回、狐を三回見た。なかなか逃げない。
↓ カムイワッカ川 当然裸足になって遡り始める 撮影:K先輩
↓ 延々とナメが続く
その後、知床峠を越え羅臼に出て昼食。さらに野付崎に寄り道観光する。憧れの地の一つであった野付崎のトドワラは、もはや消滅寸前の態であった。
↓ 消滅寸前のトドワラ 撮影:K
鮮やかなハマナスの紅と、その妖艶な香が印象深かった。
↓ ハマナス 26歳の美しい女性の妖艶な香り 撮影:K
その後、斜里岳登山のベースとなる、摩周湖と屈斜路の間にある硫黄山近くの川湯温泉のホテルに向かう。そこまで行ってようやく思い出したのだが、そのあたりは河田楨の紀行文で何となく親しみを覚えていたところだったのだ。だが、飛行機と車で移動する今の私には、彼の時代の辺境の旅情といったものは、もはやどこにも見出せぬものとなったことを知るのみであった。
道東三山の山旅もいよいよ最後の一山である。天気予報では微妙なところもあったが、何とか昼過ぎぐらいまでは持ちそうだ。なぜか前夜寝付けず、実質2時間ほどの睡眠しかとれなかったのが、少々不安だ。
ホテルから登山口の清岳荘まで車で約1時間。途中、斜里岳の全景が見え、車を止め、写真を撮る。思いがけず秀麗な山容だ。優美な長い裾を引きながら、上部にはそれなりの変化がある。これはきっと良い山だという予感がする。
↓ 斜里岳遠景
清岳荘には多くの車が停まっており、さらに陸続と登山者がやってくる。20人ほどのガイド登山グループもいる。あれに巻き込まれたら大変だなと思う。しかし、こんな辺鄙なところにある斜里岳も、百名山効果というべきなのだろうか、ずいぶんとメジャーな山になったのだなと驚いた。
私自身は大雪山や知床の羅臼岳といった非の打ちどころのない名山よりも、斜里岳のようなどちらかと言えば1.5流どころというか、ちょっと地味な山の方が好きなのである。それは登る人が少ないからというのも理由の一つなのだが、こうしてみる斜里岳は、少なくとも今日の登山者数では、一流の山である。
ともあれ、身支度を整え、6時過ぎに標高690mの清岳荘から登り始める。すぐに路はゆるやかに下り始め、旧林道に出る。林道はほどなく標高610mの一の沢川に行き当たり、そこから沢沿いの登路となる。頂上までの実質の標高差は937m。
↓ 沢沿いに進む。
↓ ちょいとした巻き
踏み跡はしっかりしており、ピンクテープも要所要所にあるが、何度も渡渉個所がある。羽衣の滝とか方丈の滝などといった標識(なくもがな…)がつけられた滝らしい滝もいくつかあるが、そうしたところは高巻くようになっている。というか、事実上ほとんど沢登りである。実に気分が良い。
↓ その気になれば滑りやすい草付き、泥付き
↓ 空に向かって伸びるナメの連続 あああ~気持ちいい!
上部になると傾斜もやや増し、ナメ滝の連続となる。沢足袋ではなく山靴で沢を登るのも相当久しぶりだが、わりとフリクションの効く岩質なので、不安はあまりない。しかしそうは言っても泥壁、草付きの高巻きもところどころにはあり、それなりに神経を使う。後続の団体ガイドパーティーも結局ザイルを出さずに登ったようだが、よくやるもんだと感心した(呆れた)。
↓ 振り返ればガイド先導で大パーティーが。 撮影:K
ともあれ、久しぶりの沢の「気」の中に在るせいだろうか、不思議なことにきわめて体調が良い。身体の動きにリズムがある。前夜の寝不足にもかかわらず、まったく遅れず、他のメンバーも驚いている。やはり私の山屋としての体質の主要部分は、沢の要素でできているのだろうかなどと、らちもないことを思ってみる。
楽しい沢登りの2時間ほどで上の二俣。ここにも携帯トイレ用のブースが設置されている。二俣を過ぎると水流はなくなり、やがて稜線の鞍部(馬の背)に着いた。
↓ 馬の背
↓ 斜里岳頂上への最後の登り
そこから頂上にかけてはミヤマオダマキ、エゾフウロ、ハクサンチドリ、ニッコウキスゲなどが鮮やかに咲き群れている。
↓ なんとも鮮やかなミヤマオダマキ
↓ ハクサンチドリ
ほどなく待望の斜里岳1547mの頂上。
↓ 斜里岳頂上
どういうわけか1535.8mの三角点は頂上の少し手前の一段低いところにあった。ややガスっぽいきらいはあるものの、一応360度の大展望。遠く羅臼岳とおぼしき山影も見える。後方の南斜里岳への尾根筋に心惹かれる。
↓ 南斜里岳方面を見る。撮影:K
斜里岳は長く淡い憧憬の山であったが、まさか実際に登る日がこようとは思ってもいなかった。
風が強く、体感温度が一気に下がる。風を避けて直下の藪の中で、昼食と大休止。
下りはいったん馬の背をへて上の二俣まで戻り、そこから熊見峠経由の新道を行く。樹林帯のトラバースから高原上の尾根筋。何度も斜里岳を振り返る。良い山だ。
↓ 熊見峠への途中から斜里岳を振り返る 撮影:K
途中で龍神ノ池への寄り道が分岐していたが、誰も興味を示さない。さほど時間を要するとも思えないが、みんな湖沼類には興味がないのだろう。山中の小さな湖沼をけっこう好きな私としては、少々後ろ髪を引かれるのだが、結局寄らずに通過。惜しいことをしたかな…。
↓ 熊見峠への途中から斜里岳を振り返る
急下降の部分も問題なく下り、下の二俣に13:20着。4人の若い救助隊員とすれ違った。山頂付近で調子の悪くなった登山者から救助の要請があったらしい。後にはヘリコプターも出てきた。携帯電話を持って山に登ることの当り前さ・必要性と、不思議さ・違和感。
清岳荘着14:25。久しぶりに味わった快適で楽しい登山だった。
【コースタイム】
清岳荘6:07~一の沢川6:30頃~下の二俣7:00~上の二俣~馬の背9:30~斜里岳頂上10:00-10:45~馬の背11:00~熊見峠12:30~下の二俣13:20~清岳荘14:25
7月13日 移動+観光日
14日の帰京のための移動の日。三連休とやらで、新千歳付近の宿がとれず、帯広泊まりとなる。倉重リーダーの事前研究と指示のもと、神の子池、裏摩周展望台、屈斜路湖、釧路湿原、幸福駅、六花の森などを訪れる。天気はあまり良くなく、降ったりやんだり。せっかくの釧路湿原も何も見えず。まあ山を堪能したあとでは、どれもたいしてピンとこない。
↓ 神の子池 撮影:K
↓ 幸福駅旧駅舎 内部もふくめて千社札を張られまくられた神社状態
ただし、何も期待していなかった六花の森だけは、拾い物といった感じで面白かった。よく整備された広大な敷地に坂本直行、百瀬智宏、小川游、池田均、安西水丸のそれぞれの作品館と花柄包装紙館、サイロ五十周年記念館などが点在していて、楽しめた。地元ゆかりの作家を大切にし、支援する北海道特有の郷土性が見え、感心させられた。
↓ 他は撮影禁止だったので、花柄包装紙館のみ。まあ、これはこれで…。
中でも坂本直行については、昔からその著作(『開墾の記』『原野から見た山』)をそれなりに面白く読み、また労山の機関誌『山と仲間』の表紙絵(一点だけ原画を持っている)で見知っていたわりには、その絵画作品そのものにはふれる機会がなかった。必ずしも悪意はないのだろうが、坂本本人とその作品をよく知っていた人から「しょせんアマチュアだよ」との評を聞いたこともあったが、どうして、そのようなレベルではない。確かに専門教育を受けたことはなく、その意味で「素朴派」と言ってもよいのだが、上質な愛されるべき絵である。幸いそこのショップにあった『日高の風 孤高の山岳画家・坂本直行の生涯』(滝本幸夫 2006年 中札内美術村)を買って、帰途の機内で読んだが、面白かった。ただし、山の人・坂本直行に焦点が当てられていて、絵についてふれているところが少ないのは、やむをえないとはいえ、少し残念である。
何にしても旅先での偶然の出会いは面白いものだ。
↓ なんでもアート アートは遍在する
翌14日新千歳空港から帰京。
かくて一週間にわたった防高山岳部OB会夏山合宿、北海道道東三山めぐりは終わった。三つの日本百名山に登った。百名山にこだわる気は、今後とも基本的にはあまりないが、要は素晴らしい山に登れたということだ。
つつがなく登れたのは、私個人の事前の情況からすれば、ほとんどありえないことであった。トレーニングも事前研究もほとんどせず、計画立案も実務もほとんどしなかった。すべてKとF嬢におんぶに抱っこ状態で、まことに申し訳ない、ありがたいと思う。同行のK先輩、K、F嬢に深く感謝するしだいである。 (記:2019.7.19)