艸砦庵だより

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裏山歩き 横沢入り東側~北側尾根 2020.5.2

 ゴールデンウイークに北アルプスや奥利根、あるいは下田・川内、南会津の残雪の山々に血道を上げたのは、もうはるか昔のこと。最近では、あきる野市の自宅周辺やその奥の檜原村にも観光客が押し寄せ、道路は渋滞し、私は自宅で息をひそめ、静かに時を過ごすという習慣になっている。

 もともと、人が行く山には行かない、人が登るルートは登らないというのが、昔からの私の流儀。さらにリタイア以降は、人が行く時期には行かない、人が行く時間には行かないという原則が加わった。時差登山である。むろんそれは早寝早起きが苦手な私のひねり出した、屁理屈ではあるが。

 だがコロナ自粛の日々、その自粛の意味を問うのも煩わしいが、ともかく車も人もいない。自宅周辺のウォーキングや散歩はむしろ推奨されているようだが。

 

 県外からの登山客云々というのが問題になっているし、登山口の駐車場が使用禁止となっているという話もあちこちで聞く。同じ都道府県の中であれば良いのか、普段からあまり登山者のいない山であれば差し支えないのか、などというやり取りは、今は不毛な話のようだ。

 

 ただ一つ、「登山禁止」と「登山自粛要請」というのは全く次元の異なる話なのだということは肝に銘じておきたい。感染者の移動ということはわかるにしても、「禁止」というのは本質的に個人の自由にかかわることだからだ。

 すなわち憲法に保障された自由が「緊急事態」だからといってないがしろにされるというのであれば、次には「非常事態」という言葉を持ち出して、国家権力はやすやすと個人の自由を制限する改憲憲法解釈の変更を可能にするだろう。自衛隊の海外派遣やら、憲法改正問題、モリカケ問題、あいトリ問題、等々。そしてそれらにかかわる立憲主義法治主義を無視し続ける、公文書偽造、法解釈の捻じ曲げ等。そして様々な新法策定や法改正を見ていると、そうした予定路線が深く刻まれていると思わざるをえない。それらを黙々と受け入れる多くの「国民」。

 昨今の情況は、どこか、戦時末期の登山者の取り締まりといった話を、うっすらと思い出す。私が言いたいのは、「登山自粛要請」は受け入れられても、「登山禁止」は受け入れがたいということだ。

 話はだいぶ大げさになったが、たかが裏山歩きであっても、やはり何となく人の少ないであろうルートを選んでしまっている今の自分がいる。そのことに忸怩たらざるをえない。

 

 今回歩いたのは、横沢入り東側尾根から北側尾根。横沢入り自体は、ふだん訪れる人、家族連れ、子供連れも多いが、それを取り囲む尾根を歩く人は、表参道からの天竺山以外は少ないようだ。私がいつも裏山歩きをする四つのエリアの中ではおそらく歩く人が最も少ない尾根だと思う。

 

 家から歩いて10分少々で、登り口。いきなりの植林帯の中の急登という記憶があって、あまり登らないルートだが、実際にはすぐに勾配はゆるむ。キリスト教墓地に沿った気持ちの良い広葉樹林帯。とことどころに山ツツジの朱い花。

 

 ↓ キリスト教墓地を右手に見ながら登る。

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 ↓ フデリンドウ/筆竜胆

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 ふと足元を見ればフデリンドウ。記憶では数本が固まって咲いているはずなのだが、一つだけ。まわりをよく見たら蕾の状態のものがいくつかある。もうニ三日したらそのようになるのだろう。いずれにしてもこの尾根でフデリンドウを見たのは初めて。また以後のルート上では見かけなかった。日当たりの良い、やや乾いたところを好むからだろう。

 帰宅後、その話を女房にしたら、すぐ近所の公園にもあったよねと言う。そういえば、見た記憶がある。最近見ていないが、どうなんだろう。

 

 ↓ 気持ちの良い尾根。ところどころに朱い山ツツジ

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 ↓ 同じく

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 新緑というには、そろそろ力強くなり過ぎてきた色彩の森の中を進んでゆくと、右前方に日の出団地が現れる。かつては横沢入りと同様の谷戸であったが、ニュータウンとして大規模開発されたもの。知り合いもニ三人住んでいたが、現在では住民の高齢化による空家が増えたという。

 

 ↓ 日の出団地。正面のピークはこのあたりでは一番高いが、そこには向かわずこの先で左折する。

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 ルートはその団地の際の道路に接するほど近づいたあと、再び森の中へ入っていき、主尾根は左折する。ここから北側尾根となる。

 ここまでも、そしてこれ以降も左右に数多くの小道やら踏み跡を分けていくが、そのほとんど全てをこれまで歩いてみた。道によっては途中や最後で地獄の藪漕ぎを体験させられたものもある。ともあれ、それだけ踏み跡=仕事道が多かったということは、つまりここが典型的な里山=生活の場だったことを物語るものである。

 

 途中にちょっとした窪地がある。少し離れた天竺山の近くには江戸時代以来、伊奈石を生活用材として掘り出していたという石切り場の跡がある。あるいはこの窪地も石切り場の一つだったのではないだろうか。

 

 ↓ 写真ではわかりにくいが、少し不自然な凹地となっている。伊奈石の石切り場跡か?

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 そこを過ぎればすぐに三角点と落葉松山307.6mの標識。本日の最高地点。何の変哲もないただの一地点。腰を下ろし、一服。

 

 ↓ 落葉松山山頂。

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 北側尾根に入ってから、北側はすべて植林帯。北麓の羽生家という山林地主の旧家の持山だそうだ。

 植林帯と常緑広葉樹林に挟まれた展望のない尾根を進む。この盆地状の横沢入りを四方で囲む尾根筋は、遠目よりも小さな急な登下降が続き、案外体力を使うし、時間もかかる。全部を忠実に辿ったら、3~4時間かかりそうだ。だからいつもは、いくつもある支尾根のどれかを選んで主尾根に出て、その半分か、三分の一ぐらいを歩く。

 そのまま尾根通しに進めば林道の通る峠をへて天竺山に至るのだが、今日はその少し手前の支尾根から下ることにした。途中で、今も使われているらしい獣の巣穴らしきものを発見した。狸だろうか。

 

 ↓ 意外と奥行きがあり、今も使っているように思うが、さて?

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 林道に下りてからほどなく横沢入りの中央湿地。

 

 ↓ 掌状にいくつかある沢/谷戸の一つ。ここではもう米作りはしていない。沢沿いに尾根に上がるのは、上部は藪漕ぎになる。

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 ↓ 横沢入り中央湿地。

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 いくつかある戦時中の防空壕(?)などの戦争遺跡を確認しながら帰る。この戦争遺跡についてはまた別の機会に紹介したい。

 

 ↓ 戦争末期に立川の基地から物資を移すために掘られた地下壕の一つ。ほかにも何か所かある。

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 ↓ いわゆる「洗車橋」と呼ばれているもの。ほかにも何か所かある。

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(記:2020.5.3)