今回は少し趣きをかえて「建物」。「建築」ではない。
建築というと、どうも公共建築とか、ビルディングというか、大きなもの、夜になると人の住んでいない、政治や資本の論理に裏打ちされたもの、といった胡散臭いイメージがあって、好きではない。だから丹下健三もル・コルビジェも、安藤忠雄もみな嫌いなのである。
大きいということでは教会や寺院、モスクなどもそうだが、これはまた別の文脈があるので、自分の中では一応別扱いである。
それに対して建物/タテモノというと、住宅とかせいぜい三階建てぐらいの、どこか人の体温や体臭といった生活感があり、安心感がある。
以上はむろん個人的偏見、趣味であるが、そうなのである。したがって私が描くのは、「建築」ではなく「建物」。木造か一部石作りの、つまり自然な素材のもの。ちなみに「小屋」はもっと好きだが、たぶんそれとして描いたことはない。
それにしても、そもそもなぜ私は建物を描くのだろう。うまく説明できない。説明できなければ説明できないままでもよいのだが、せっかくだから、こうした機会に少し考えてみようと思う。
遊牧民とか流浪の民といったことがある。日本のジプシー=山窩というのもあった。非定住、一所不住ということだ。人にもよるだろうが、画家はというか、私自身は精神的、本質的にはそうした存在なのだとも思うが、実際には、家族と生活があり、アトリエということがあり、なかなかそうはいかない。
その代償ということでもないだろうが、毎年のように出かける旅の中で、北欧をはじめとするいくつかの国で、古い民俗的な建物を集めた野外博物館を訪れたことがある。
↓ ノルウェー民族博物館 木造の教会。屋根瓦も木製。このタイプの教会はノルウェーにまだいくつかあるとのこと。2006年10月2日
↓ ノルウェー ヴォス近郊にある建物。倉庫か住居か、現在も使われているもの。2006年10月2日
最近は日本でも古民家ブームだが、ブームとは別に各地に古い民家などが保存されている。海外であれ、日本であれ、そうした所を訪ねるのは面白い。私などは、年齢と体験に根差した、あるいは体験から帰納しうる懐かしさを覚える。それらは共に全く異なる風土と歴史でありながら、なぜか妙に共通して、懐かしい。
私の絵の中の建物には、そんな気分が反映されているようだ。
↓ 岩手県花巻市 旧伊藤家住宅の前庭にある馬小屋。 2016年7月15日
↓ エストニア エストニア野外博物館 これは住居なのか蔵(?)なのか、中に入れなかったのでわからない。 2011年9月29日
作品中の建物を眺めていると、作品世界という異界の旅の途上で立ち寄りたくなった建物、そんな感じに思える。実在しない、夢の中の建物。実在しないものへの希求というか、懐かしさととらえれば、それは確かに私らしい発想だ。
以下、作品紹介。
145 異国風の建物
2019.12.9-10 12.5×9.5㎝ 洋紙に和紙・古紙貼り・ドーサ・裏面ジェッソ、ペン・インク・セピア
どういう心境でこの作品を描き出したのか、覚えていない。だが、「はじめにこの用紙ありき」だったことは確かだ。それでなくても小さな台紙に、さらにこまごまと虫食い穴のある古い和紙の断片などを貼ってある。それ自体がコラージュといったタイプの用紙を、ある時、何点も作った。その時点ではどんな絵を描くのかは未定。以前からそうした仕事は好きで、時々そうしたタイプの作品も作っている。
絵を描く前にすでに用紙にある程度の物質感が施されているのだから、そこにあらためて絵を描こうとすると、けっこう難しい。コラージュの要素を生かさなければ意味がない、とすれば。少々扱いかねていたことは確かだ。描き出したのは虫食い穴がきっかけだったかもしれない。
内容的には上述した通り。異郷から異界への懐かしさ。
147 とつ国の水晶塔
2019.12.10-11 12.5×9.3㎝ 厚紙(青灰色)に古紙貼り、ペン・インク・セピア
145とほぼ同じ。テント、波、瞑想者、水晶、梯子、山・・・、イメージがイメージを引き寄せ、形が次の形を呼び寄せる。解釈は見る人にゆだねられる。
172 特別な建物
2020.1.5 14.8×19.9㎝(大サイズ) 和紙(徳地)、ペン・インク・セピア
タテモノというよりも大きな祠。中にいくつかの繭がある。隠されている。結界が張られている。それで「特別な」建物。
右にはその建物を大きく迂回して通過する旅人。テーマとしてはむしろ「旅」ということかもしれない。
柳の木の本歌は竹久夢二の作品。それをさらに桝岡良(版画家 1905-?)が模倣(?)したもの(『浪漫荘蔵書票集』 1947年)。
小ペン画としては初めての大きなサイズ。以後、時おりこうした大きめの作品も描くようになった。
174 しじま-北方の町
2020.1.5-7 12.8×15.8㎝(中サイズ) 和紙に膠、ペン・インク・セピア
純粋に建物だけを描いたのは、いまのところこれ一点。北欧の古い木造の教会や民家や街並みといったイメージ。木造ではないし、北欧とも言えないが、40年以上前に行ったベルギーの『死都ブリュージュ』(著者ローデンバック タイトルのみ印象に深いが、読んではいない)の記憶もあるようだ。
この作品に限らないが、小ペン画では、基本的に定規は使わない。すべてフリーハンド。
208 風信子の家
2020.2.6-8 12.5×9.3㎝ ボール紙に古着色紙貼り・裏面ジェッソ、ペン・インク・水彩
風信子とはヒヤシンスのこと。「風信子の家=ヒアシンスハウス」は、東大建築科卒の詩人、立原道造が設計した自分のためのごく小さな別荘である。没後65年の2004年、本人の希望通り、さいたま市別所沼公園に建設された。
私は立原をはじめとする四季派の詩人たちの、どうもブルジョアジーの子弟の都会的趣味の匂いが好きになれないのだが、このヒアシンスハウスだけは心惹かれる。それもまた私の壺中天趣味であろう。
タイトルとしては完成後につけた。実際のヒアシンスハウスとは似ても似つかぬものだが、言ってみればこれが私のヒアシンスハウスである。
ちなみに冒頭の建築家丹下健三は大学建築科の一学年下。二人は全然違う時代の人かと思っていたが、こんな近い人だったとは、今回初めて知った。
最近はこうした建物のイメージが湧いてこないというか、さっぱり訪れない。そういうたぐいのモチーフ・テーマというものもある。
以下、蔵出しの参考画像。
スェーデン スカンセン(野外博物館)
何の用途なのか不明。 2006年9月25日
スェーデン スカンセン(野外博物館)
屋根の形からするとごく小さな天文台かとも思われるが、不明。まわりの地面には天体を思わせるような大小の球体が置かれてあった。 2006年9月25日
風車だが、木造だとかえって異様な迫力があった。 2011年9月29日
これは石造り。北方の住居は冬の寒さ対策なのだろうが意外と小さく低い。入り口も窓も小さく、内部の熱を逃さない構造になっている。 2011年9月29日
(記:2020.5.22)