艸砦庵だより

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「梅雨の合間の漆伐採ボランティア」

 

 梅雨の合間を見計らい、昨日今日と、頼まれて、漆の木の伐採ボランティアに行ってきた。

 場所は都内某所。いわゆる山上集落の一つだが、その中でも道路の通じていない、本来徒歩以外に交通手段のないところ。山道を歩けば三十分ほどだが、現在は村設のモノレールが設置されている。

 

 ↓ 山道の一部はモノレールの軌道と並行している。部分的にはかなりの急勾配のところもある。

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 集落の起源は知らないが、だいぶ古いようで、250年前に分家が一軒増えて、以後はずっと二軒。そのあたりの歴史というか、人々の暮らしを思うと、何か感じ入るものがある。

 限界集落をとっくに終了して、何年間か人が住んでいない時期があったが、3年ほど前に、私の女房の友人Hさん(女性)がそこを買い取って移住した。築250年以上の家だから、そのまま住むのはやはり難しく、現在は敷地の一画に小さな家を建てつつ、一人で暮らしている。熊や猪や鹿や猿や狸が出没するところに、犬と猫と羊と鶏と共に。

 

 ↓ 現在の母屋。昔は茅葺の兜造りだったが、今はトタンで葺いてある。二階?三階はお蚕部屋。左奥の一画に新居を建てている。

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 ↓ 参考図版:正確にはわからないが、20年以上前の写真。まだ住人が元気で畑作をしていた頃のもの。『檜原村賛歌』(石塚岩男 2006年 八朔社発行)より。

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 以前から時おり頼まれて、藪の刈払いやら、家の内外装の手伝いやら、薪つくりやら、スズメバチの巣の駆除やら、体調不良時の緊急食糧ボッカ(歩荷=担ぎ上げ)やらに通っている。今回頼まれたのは、昔の畑だった斜面(今はススキがはびこり、猪のねぐらと化している)に生えている漆の木の伐採と撤去。

 Hさんは基本的には何でも自分でやるたくましい人なのだが、けっこう過敏体質で、とりわけ漆には弱く、それが原因で、救急車で運ばれた実績がある。かくて、やむをえず私にお鉢が回ってきたということだ。

 そういう私はと言えば、つい四カ月前のミャンマーで仏像に金箔を貼る際の漆にかぶれ、そこそこのダメージを負ったばかり。大丈夫なのか。しかし、ミャンマーの漆は日本の漆とは品種が違うと聞いていたし、液体になった漆だったのである。今回扱うのは木そのもので、これまでの経験からして、まあ大丈夫だろうとは思う。多少かぶれても、そう大したことにはなるまいと高をくくる。とにかく頼まれたからには引き受けざるをえない。

 

6月29日 

 武蔵五日市駅発10:30のバスで1時間。そこから山道を登り(途中にある一軒家の廃屋や住居跡などを観察しながら)、体力の衰えを実感しつつ、30分ほどで到着。早速仕事に取り掛かる。

 

 ↓ 途中で見かけた下の方の廃屋。道路はない。いつ頃まで住んでいたのだろうか。

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 作業ズボンに長袖シャツ。頭部は手ぬぐいハチマキに帽子と防虫ネット(これは途中で必要なしと判断し、やめた)。足まわりはスニーカー風地下足袋。手はゴム軍手。得物は、左腰に鉈、右腰に剪定用鋸、右手に鎌といういで立ち。

 

 ↓ 今回も活躍してくれた愛用の鉈。秋田のマタギ用の、剣先鉈というのだったか、槍先にもするという実用品。30年ほど前に知り合いの勧めで秋田の鍛冶屋に特注したもの。

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 密生するススキはともかく、そこかしこにある野茨、木苺、アザミと、棘のある草木が邪魔をする。繁茂する藤蔓や蔓草が鬱陶しい。そんな斜面のあちこちに生えている漆の木を、汗だくになって伐る。

 

 ↓ 昔は畑だった斜面。これは伐採した後の写真なので、漆の木は見えない。手前は自然農法の自給自足の畑の一部。電気柵が張り巡らしてある。

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 漆の木はさくい(脆いというか弱い)木質なので、伐ること自体は難しくない。だが、伐っただけでは済まない。漆に対して異常に弱い彼女のために、それを離れた安全な場所まで引きずり上げ、移動しなければならない。これが結構たいへんで、全身の力を使う。

 ヤワな絵描きである私に何ということを頼むのだろうと思うが、こうした肉体を酷使する作業はそう嫌いでもない。むしろ、淀んだ心身を無理やり浄化してくれる。とは言え、実際問題、疲れる。休み休み、おおよその漆の木を伐り終えたと思われるあたりで、本日の作業は終了。

 新居のシャワーを浴び、着替え、持参(Hさんはアルコールも駄目)のビールを飲み、ものを食べる頃には、慣れぬ早起きと肉体労働ですっかり眠くなり、早々に母屋に引き下がる。いつものように開け放った築250年の広い部屋に一人横たわれば、寝袋に入る間もなく一瞬で寝入ってしまった。

 

 ↓ 写真には写っていないが、左にはぶっとい大黒柱がある。この近辺の古来からの伝統的な間取り。

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6月30日

 翌朝も何とか雨は降っていない。昨日ほぼ全て伐り終えたつもりでいても、異様に漆に対する感度の強いHさんの目はごまかされない。指摘された個所をよく見ると、確かにそれらしき、しかも大木が何本も伐り残されている。ということで、本日の作業は自動的に昨日の続き。またひとしきり大汗をかいて、なんとか今度こそ、すべて伐採、移動完了。

 

 終わったころからぽつぽつと雨が降り始め、以後天候悪化との予報。今回はここまでとし、下山することにした。女房に頼まれた、途中に生えているクロモジの小枝を採るために、今度はモノレールで降ろしてもらう。クロモジはお茶にするためである。

 来るときにも見た、少しずつ離れた場所にある二三軒分の廃屋や屋敷跡、共同作業場の跡などを見ながら、今は杉の植林で覆われている一帯もかつては畑作をしていたなどと、興味深い話を聞いた。

 

 迎えに来てくれた女房の車で、帰途にある石仏をニ三か所、大急ぎで撮影。瀬音の湯で汗を流して帰宅した。

 

 ↓ 帰途の下川乗の路傍にあった石仏群。大小8基の石仏が並んでいる。

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 日々アトリエでの制作が私の人生というか、日常ではあるが、時々は山に身を置きたくなる。ふつうは、それは登山なのだが、こうした肉体労働を伴うHさん宅での一日二日も悪くはない。山上の古民家滞在ということも良いし、またハードな山林作業もたまには良いものだ。絵を描くという形而上学的世界の中に、時おりはこうした肉体労働の要素も入り込まなければ、どこかで何かが嘘になると思うのである。

 

 ↓ 家から少し離れたところにある墓地。代々の墓石の面は長い年月、子孫の住む家を見守っている。

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(記:2020.6.30)